PR

カントとはどんな人物?なぜ物自体と現象を区別したのか|生涯と思想を解説

学ぶ
当サイトでは広告・アフィリエイトプログラムを利用しています。

「物自体」を調べると、なぜカントの名前が出てくるのでしょうか。生い立ちや研究の歩みをたどりながら、人間が何をどこまで知ることができるのかという問いと、『純粋理性批判』に至るまでの考えを、やさしくひもときます。

5秒でわかる結論

イマヌエル・カントは、18世紀のドイツの哲学者です。

人間が世界をどこまで知ることができるのかを問い、経験によって知る「現象」と、人間の知り方から切り離して考える「物自体」を区別しました。

この区別を哲学の重要な問題として深く考えたため、物自体を理解するうえで欠かせない人物です。

小学生にもわかりやすく言うと

目の前に、一つのリンゴがあるとします。

私たちは、そのリンゴの色を見たり、手で触れたり、重さを測ったりできます。

中がどうなっているのか知りたければ、切って調べることもできます。

でも、ここでカントは、もっと根本的な問題を考えました。

「人間が見たり、触れたり、考えたりする仕組みを通さずに、物事そのものを知ることはできるのだろうか?」

私たちは、何かを知ろうとするとき、必ず人間に備わった「知る力」を使っています。

カントは、私たちがその力を使って経験できる物事を「現象(げんしょう)」と呼び、人間の知り方から切り離して考えた物事そのものを「物自体(ものじたい)」として区別しました。

そして、人間は現象について知ることができても、物自体がどのようなものかを、そのまま知ることはできないと考えたのです。

これは、リンゴの中に何か秘密が隠れているという話ではありません。

カントが深く考えたのは、世界の秘密を調べるだけでなく、世界を知ろうとする私たち自身に、どのような力と限界があるのかという問題だったのです。

この記事を読むとわかること

「物自体について調べていたら、イマヌエル・カントという名前が何度も出てきた。どうしてだろう?」

「そもそもカントって、どんな人物だったの?」

そんな疑問を持ったことはありませんか。

カントは、18世紀に活躍したドイツの哲学者として知られています。

しかし、なぜ人間が世界をどこまで知ることができるのかを問い、「物自体」と「現象」を区別することが重要だと考えたのでしょうか。

そして、カント自身はどのような人生を送り、誰から何を学び、どのようにしてその考えを深めていったのでしょうか。

この記事では、次の疑問を一つずつ解き明かしていきます。

なぜ物自体を調べるとカントが出てくるのか? カントは物自体と現象をどのように区別し、なぜその考えが哲学で重要なのか。

カントとはどのような人物だったのか? いつ、どこで生まれ、どのような家庭で育ち、どんな人生を送ったのか。

カントは何を知りたかったのか? なぜ人間の知る力や、その限界を重要な問題として考えたのか。

どのように考えを深めていったのか? 誰から影響を受け、どのような研究を重ねて、自分の考えを発展させたのか。

カントは哲学に何を残したのか? 『純粋理性批判』では何を明らかにしようとし、その後もどのような問題を考え続けたのか。

カントの哲学は、その後どう受け継がれたのか? カントの考えが後の哲学者にどのような影響を与え、フィヒテがその研究をどのように発展させたのか。

この記事の主役は、物自体という言葉そのものではなく、人間が世界をどこまで知ることができるのかを問い直し、物自体と現象の区別を重要なものとして考えたイマヌエル・カントという人物です。

カントの人生や研究の歩みをたどりながら、なぜ物自体を理解するうえで欠かせない哲学者なのかを、一緒に考えていきましょう。

疑問が生まれた物語

「知ることができない」と考えたのは、どんな人?

ある日の放課後、結衣と航は学校の図書室にいました。

「ねえ、結衣。昔はわからなかったことも、科学が進んで、いろいろわかるようになったんだよね?」

「うん。今でも新しい発見が続いているよね」

航は、以前二人で調べた「物自体」について書いたノートを開きました。

「でも、ここには『人間は物自体を知ることができない』って書いてあるんだ」

結衣は首をかしげました。

「不思議だね。まだわからないことなら、もっと調べれば、いつかわかるんじゃないのかな?」

「僕もそう思ったんだ。どうして『まだ知らない』じゃなくて、『知ることができない』って考えたんだろう?」

気になった二人は、図書室の哲学の本で「物自体」について調べ直してみました。

すると、説明の中に何度も同じ名前が出てきます。

イマヌエル・カント

「この人が、物自体と現象の違いを深く考えた哲学者なんだって」

「でも、どうしてそんなことを考え始めたのかな?」

結衣が本のページをめくると、そこには18世紀の服装をしたカントの肖像画がありました。

「ずっと昔の人なんだね。この人はどんな子どもだったんだろう。何を勉強して、誰から学んだのかな?」

航も興味が湧いてきました。

「そうだね。何かきっかけがあったのかな。それとも、長い時間をかけて考えたのかな?」

物自体について調べていたはずの二人は、いつの間にか、その問題を考え続けた人物自身に興味を持ち始めていました。

「イマヌエル・カントって、いったいどんな人だったんだろう?」

二人は、その答えを探すため、カントの人生を調べてみることにしました。

1 イマヌエル・カントとは?

どんな人物だったのか

イマヌエル・カント(Immanuel Kant)は、1724年(享保9年)4月22日に生まれ、1804年(享和4年)2月12日に79歳で亡くなった、ドイツ語圏の哲学者です。

生まれたのは、当時のプロイセン王国にあったケーニヒスベルク(Königsberg)という町です。

プロイセン王国は、当時のヨーロッパに存在した国で、現在のようにドイツが一つの国に統一される前の時代でした。

ケーニヒスベルクは、現在のロシア連邦にあるカリーニングラード(Kaliningrad)にあたります。

バルト海に近い港町で、船によって品物が運ばれ、商人たちが行き交い、大学もある町でした。

カントはこの町で生まれ、家庭教師として近郊で働いた時期を除き、生涯のほとんどをケーニヒスベルクとその周辺で過ごしました。

カントはどのような家庭で育ったのか?

カントは、9人の子どものうち4番目として生まれました。

父親のヨハン・ゲオルク・カント(Johann Georg Kant、1682年〈おおむね天和2年〉または1683年〈おおむね天和3年〉生まれ、1746年〈延享3年〉3月24日没)は、馬に取り付ける革製の道具などを作る職人でした。

母親のアンナ・レギーナ・カント(Anna Regina Kant、旧姓ロイター〈Reuter〉、1697年〈和暦では元禄9〜10年〉生まれ、1737年〈元文2年〉12月18日没)は、当時の同じような家庭の女性としては教育を受けており、息子の学びを励ました人物として伝えられています。

両親は、キリスト教の信仰を日々の生活でも大切にしていました。

カントの家庭は特別に裕福だったわけではありません。成長するにつれて父親の仕事による収入が減り、親戚の助けを必要とする時期もありました。

それでも、カントは学校へ通い、学びを続けました。

1732年(享保17年)、8歳になったカントは、コレギウム・フリデリキアヌム(Collegium Fridericianum)という学校に入ります。

そこでは、古代ローマで使われていたラテン語や宗教などを学びました。ラテン語は、当時のヨーロッパで古い書物を読んだり、学問を学んだりするために重要な言葉でした。

学校では厳しい宗教教育も行われており、カントは後に、当時の学校生活をつらいものとして振り返っています。

1737年(元文2年)、カントが13歳のときに母親が亡くなりました。

それでも学びを続け、1740年(元文5年)、16歳で地元のケーニヒスベルク大学に進みます。

大学では哲学のほか、数学や物理学なども学びました。

カントは、最初から「物自体」だけを研究していたのではありません。自然の仕組みを調べる学問にも関心を持っていたのです。

カントはどのように働き、研究を続けたのか?

1746年(延享3年)には父親も亡くなりました。

その後、カントは大学での勉強をいったん離れ、近郊の家庭で子どもたちに勉強を教える家庭教師として働きました。

そして1755年(宝暦5年)、31歳でケーニヒスベルク大学の講師となります。

ただし、現在の大学教授のように、大学から決まった給料が支払われる立場ではありませんでした。

当時のカントは、自分の授業を受ける学生から授業料を受け取り、生活を支えていたのです。

授業では哲学だけでなく、数学、物理学、地理学なども教えていました。

1770年(明和7年)、46歳で、ようやくケーニヒスベルク大学の「論理学」と「形而上学」の教授に就任します。

論理学とは、考えをどのように筋道立てれば、正しい結論を導けるのかを調べる学問です。

形而上学(けいじじょうがく)とは、物事が存在するとはどういうことか、世界の根本的なあり方をどこまで考え、知ることができるのかなどを研究する哲学の分野です。

カントは大学で教える仕事を続けながら、多くの文章や書物を発表しました。

また、規則正しい生活を送った人物として知られていますが、一人で研究ばかりしていたわけではありません。

友人たちと食事をしながら、社会の出来事や学問について会話することも楽しんでいました。

生涯結婚はしませんでしたが、友人たちとの交流を大切にし、大学でも講義の上手な先生として知られていました。

なぜカントは「物自体」を理解するうえで重要なのか?

カントが関心を持った問題は、自然科学だけではありません。

人間は何を根拠に物事を知ることができるのか。何が正しい行いなのか。人間の自由とは何なのか。

こうした問題についても、長い年月をかけて考え続けました。

そのなかでも、今回の「物自体」という言葉に深く関係するのが、人間の知識は、どのような条件のもとで成り立ち、どこまで確かなものとして認められるのかという問題です。

カントは、私たちが経験する世界について知識を得られることを認めながら、人間の経験の仕組みを離れた物事についても、同じように知ることができるのかを問い直しました。

そして、その研究のなかで「現象」と「物自体」の区別に重要な役割を与えました。

物自体を理解するうえでカントが重要なのは、この区別を通して、人間が何を知ることができ、どこから先は知識として確かめられないのかを、哲学の中心的な問題として考えたからです。

ただし、カントが最初から完成した考えを持っていたわけではありません。

子どものころから学び、家庭教師や大学の講師として働き、研究を重ねるなかで、自分の哲学を発展させていきました。

こうしたカントの研究を理解するためには、彼自身の人生だけでなく、当時のヨーロッパで何が問題になっていたのかを知ることも大切です。

次の章では、カントが生きた18世紀の時代背景を見ていきましょう。

2 カントが生きた時代

カントが生きた18世紀のヨーロッパは、科学が発展し、人間はどこまで確かな知識を得られるのかが、哲学でも重要な問題になっていた時代でした。

当時の科学が突然生まれたわけではありません。

それ以前の16〜17世紀から、自然の出来事を観察したり、数学を使って調べたりする研究が大きく進んでいました。

例えば、石が地面に落ちることと、月が地球の周りを回ることは、一見すると違う出来事です。

しかし、どちらにも重力(じゅうりょく)という、物と物が引き合う力が関係しています。

このように、自然界の異なる出来事を、共通する法則(自然の中で成り立つ決まり)によって説明する研究が進んでいたのです。

こうした科学の発展は、人間が自分で考え、自然の仕組みを理解できるという期待を高めました。

その時代に広がっていた思想の動きの一つが、啓蒙(けいもう)です。

啓蒙とは、昔からの決まりや権威のある人の言葉を、そのまま正しいと信じるのではなく、自分でも理由を確かめ、判断しようとする考え方を大切にした動きです。

ただし、啓蒙にはさまざまな思想が含まれており、すべての人が同じ考えを持っていたわけではありません。

カント自身も、1784年(天明4年)に発表した『啓蒙とは何か』という短い文章で、この問題を取り上げています。

この文章は、人間が他人の判断に頼り切る状態から抜け出し、自分自身の理解する力を使うことの大切さを論じたものです。

カントは、他人に考えることを任せるのではなく、自分の理解する力を使う勇気を持つことを、啓蒙の重要な考えとして示しました。

では、自分で考えることができれば、どのような問題にも確かな答えを出せるのでしょうか。

答えは、そうとは限りません。

ここで重要になるのが、理性(りせい)という言葉です。

この時代の広い意味での理性とは、ただ思いつきで判断するのではなく、理由や根拠を確かめ、筋道を立てて考える人間の働きを指します。

しかし、筋道を立てて考えたからといって、その答えが必ず正しいとは限りません。

例えば、自然界で同じ出来事が何度も起きることを観察できても、「これからも必ず同じ法則に従う」と言えるのは、なぜなのでしょうか。

このように、自然を説明する科学の成果と、その知識を確かなものとして認められる根拠を明らかにすることは、別の問題です。

カントは、科学によって得られる知識を大切にしながら、そうした知識がどのような条件で成り立ち、どこまで認められるのかを哲学によって明らかにしようとしました。

つまり、カントが生きた時代には、人間が多くのことを知るようになった一方で、「そもそも人間は、何を根拠に『知っている』と言えるのか」という問題も重要になっていたのです。

では、そうした時代の中で、カント自身はどのように研究を進め、考えを深めていったのでしょうか。

次は、その歩みをたどっていきましょう。

3 カントの研究の歩み

カントは、最初から「物自体」と「現象」について完成した考えを持っていたわけではありません。

自然の仕組みを研究することから始まり、人間は何を根拠に物事を知ることができるのかという問題へ、長い時間をかけて考えを深めていきました。

最初は、宇宙の成り立ちにも関心を持っていた

1755年(宝暦5年)、カントは『天界の一般自然誌と理論(てんかいのいっぱんしぜんしとりろん)』という本を出版しました。

この本でカントは、太陽や惑星などが、どのようにして現在のような姿になったのかを説明しようとしました。

例えば、宇宙に広がっていた物質が、互いに引き合う力や運動によって集まり、太陽や惑星が形づくられていったのではないかと考えたのです。

これは宇宙の成り立ちを自然の法則から説明しようとした考えであり、実際に宇宙の誕生を観察して確かめた結果ではありません。

若いころのカントは、自然界の出来事を、どのような仕組みによって説明できるのかという問題にも取り組んでいたのです。

1770年、世界を知る二つの働きを区別した

1770年(明和7年)、46歳のカントは、大学教授への就任に際して『可感界と可想界の形式と原理(かかんかいとかそうかいのけいしきとげんり)』という論文を発表しました。

この論文では、人間が物事を知る二つの働きを区別しています。

一つは、目で見たり、耳で聞いたりする感覚を通して物事を知る働きです。

カントは、こうして感覚によって捉えられる世界を「可感界(かかんかい)」と呼びました。

もう一つは、感覚に頼らず、知性によって物事を理解しようとする働きです。

ここでいう知性とは、見たり触れたりしたものを受け取るだけでなく、考えることによって物事を理解する人間の働きを意味します。

カントは、この働きによって捉えられると考えた世界を「可想界(かそうかい)」と呼びました。

可想界は、単に頭の中で想像した架空の世界という意味ではありません。

当時のカントは、感覚では捉えられない物事についても、知性によって知ることができると考えていたのです。

しかし、この考えには、まだ解決していない問題がありました。

1772年、自分の考えに残る問題を見つけた

1772年(明和9年)、カントは、かつて自分の講義を受けていたマルクス・ヘルツ(Markus Herz、1747年〈延享3〜4年〉生まれ〜1803年〈享和2年〉1月19日没)に手紙を書きました。

ヘルツは、当時のプロイセン王国のベルリンに生まれ、のちに医師や哲学者として活動した人物です。

1766年(明和3年)からケーニヒスベルク大学でカントの講義を受け、1770年(明和7年)には、カントが大学教授に就任する際の論文討論で、論文についての質問や反論に答える役割を務めました。

その後もカントと手紙を交わしており、ヘルツに宛てられた1772年の手紙は、カントが自分の研究をどのように深めていったのかを知るための重要な資料となっています。

1772年2月21日の手紙で、カントは、以前の論文で十分に答えられていなかった問題を取り上げています。

それは、「人間が頭の中で考えた内容は、どうして実際の物事と一致していると言えるのか」という問題です。

これは手紙の内容を、わかりやすく言い換えたものです。

例えば、知らない町について、頭の中だけで「きっと大きな川が流れているはずだ」と考えたとします。

しかし、そう考えたからといって、本当にその町に川があるとは限りません。

これはカント本人が使った例ではありませんが、「頭の中で考えられること」と「実際の物事について正しいと言えること」の違いを理解する手がかりになります。

カントが問題にしたのも、感覚に頼らずに考えた内容が、なぜ人間の考えとは独立して存在する物事について、正しい知識になると言えるのかということでした。

1770年には知性によって可想界を知ることができると考えていたカントが、その知識はどうして成り立つのかを、改めて問い直したのです。

1781年、長年の研究を『純粋理性批判』にまとめた

その後もカントは研究を続け、1781年(天明元年)、57歳のときに『純粋理性批判(じゅんすいりせいひはん)』を出版しました。

この本は、人間が経験に頼らずに考える働きも含め、どのように知識を得られるのか、その条件と限界を詳しく調べた著作です。

ここでいう「批判」とは、悪いところを責めることではありません。人間が知識を得る働きについて、何ができて、何ができないのかを明らかにすることです。

カントは、人間が知識を得るには、感覚を通して物事を経験することと、それを理解する働きが必要だと考えました。

そして、私たちは経験できる物事について知識を得られますが、人間の経験の仕組みから切り離して考えた物自体については、同じように知ることはできないと論じました。

カントの重要な変化は、感覚に頼らない知性によって物事そのものを知ることができるという以前の考えを見直し、人間の知識が成り立つ条件と限界を明らかにしようとしたことです。

ただし、1770年の「可想界」と、後に論じた「物自体」を、まったく同じ意味の言葉として扱うことはできません。研究の発展とともに、その捉え方も変化しているからです。

このように、カントの哲学は一度に完成したものではありません。

以前の自分の考えに残された問題を確かめ、研究を重ねながら発展していったのです。

それでは、こうした研究の歩みには、ほかの科学者や哲学者の考えがどのように関係していたのでしょうか。

次は、カントに影響を与えた人々と、彼が向き合った問題について詳しく見ていきましょう。

4 カントに影響した人々

カントは、自然を数学で説明した科学者や、人間が何を根拠に物事を知るのかを考えた哲学者たちから影響を受け、自分自身の研究を深めていきました。

特に重要なのが、アイザック・ニュートンとデイヴィッド・ヒュームです。

二人は異なる問題に取り組みましたが、その研究は、カントが「人間はどのようにして確かな知識を得られるのか」を考えるうえで重要でした。

ニュートンの研究は、カントにどのような影響を与えたのか?

アイザック・ニュートン(Isaac Newton、1643年〈寛永19年〉〜1727年〈享保12年〉)は、イングランドで活躍した数学者・自然研究者です。

物体の運動や、物と物が引き合う重力の働きを、数学を使って説明した人物として知られています。

ニュートンの研究では、物体がどのような条件で動くのかを法則によって説明し、その後の動きを計算によって予測することができます。

つまり、自然界の出来事は、ただ観察するだけでなく、数学を使ってその仕組みを調べ、説明することもできると示したのです。

カントも若いころから、ニュートンの研究を検討していました。

最初からその考えをすべて受け入れていたわけではありませんが、研究を進めるなかでニュートンの自然科学を高く評価するようになりました。

第3章で紹介した宇宙の成り立ちに関する研究にも、ニュートンの運動や重力についての考えが関係しています。

ニュートンの研究は、カントにとって、自然についての確かな知識を考える際の重要な手がかりとなりました。

ただし、自然の動きを法則で説明できることと、人間がなぜそのような知識を得られるのかを明らかにすることは、同じ問題ではありません。

この知識の根拠を考えるうえで、もう一人の哲学者が重要になります。

ヒュームは、原因と結果について何を疑問に思ったのか?

デイヴィッド・ヒューム(David Hume、1711年〈宝永8年〉〜1776年〈安永5年〉)は、18世紀のスコットランドで活躍した哲学者・歴史家です。

ヒュームは、人間が経験からどのように知識を得るのかを研究し、特に「原因と結果」の関係について重要な問題を提起しました。

例えば、ビリヤードという、台の上で球を突いて遊ぶ競技を考えてみましょう。

一つの球を転がして、止まっている別の球に当てると、当てられた球が動き出します。

球がぶつかったことが「原因」、別の球が動き出したことが「結果」です。

このような出来事を何度も見ていると、私たちは次も同じことが起こるだろうと予想するようになります。

しかし、ヒュームはここで、重要な疑問を示しました。

「何度も同じような出来事を見たこと」と、「これからも必ずそうなると知っていること」は、同じなのでしょうか。

ヒュームは『人間知性研究(にんげんちせいけんきゅう)』という、人間がどのように物事を理解し、知識を得るのかを考えた本で、実際にビリヤードの球を例にしています。

私たちは、球がぶつかったことと、その後に別の球が動いたことを観察できます。

しかし、それらの出来事を何度も見ただけでは、「原因と結果が必ず結びつく」という関係そのものを、目で見て確かめたことにはなりません。

ヒュームは、同じような経験を繰り返すことで生まれる「習慣」が、私たちの予想に重要な役割を果たすと考えました。

ここでいう習慣とは、何度も似た出来事を経験するうちに、一方の出来事を見ると、もう一方の出来事も起こるだろうと自然に予想する心の働きです。

また、哲学では「必然性(ひつぜんせい)」という言葉を使います。

この場合の必然性とは、単に何度も続けて起きたということではなく、原因があれば、その結果が一定の決まりに従って起こるという結びつきのことです。

ヒュームが問い直したのは、そのような結びつきを、私たちは何を根拠に認めることができるのかという問題でした。

これは、ヒュームが「自然界には原因も結果も存在しない」と証明したという意味ではありません。

日常生活や科学で役立つ予想ができることと、その予想が必ず正しいと証明できることは区別する必要がある、という問題なのです。

ヒュームの疑問を、カントはどう受け止めたのか?

1783年(天明3年)、カントは『プロレゴーメナ』という本を出版しました。

「プロレゴーメナ(Prolegomena)」は、「本題に入る前の説明」という意味を持つ言葉です。

この本は、先に発表した『純粋理性批判』で取り組んだ問題を改めて説明し、人間の経験を超える問題について考える哲学が、学問として成り立つためには何が必要なのかを検討した著作です。

その序文でカントは、ヒュームの問題提起が、それまでの自分の考え方を問い直し、研究の方向を変えるきっかけになったと振り返っています。

ただし、カントはヒュームの結論を、そのまま受け入れたわけではありません。

カントは、原因と結果についての知識が、単に経験を繰り返すだけでは説明できないという問題を受け止め、人間がどのような条件のもとで、自然について確かな知識を得られるのかを明らかにしようとしました。

なお、ヒュームの影響が具体的にいつ、どのような問題を通して決定的になったのかについては、研究者の間でも解釈が分かれています。

カントに影響したのは、この二人だけだったのか?

カントの研究には、さらに以前のドイツ語圏の哲学も関係しています。

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz、1646年〈正保3年〉〜1716年〈享保元年〉)は、数学や論理学、世界の根本的な仕組みについて研究したドイツの哲学者・数学者です。

ライプニッツは、経験によって知ることだけでなく、筋道立てて考えることによって得られる知識も重視しました。

また、クリスティアン・ヴォルフ(Christian Wolff、1679年〈延宝6年〉〜1754年〈宝暦4年〉)は、ライプニッツから影響を受け、哲学の問題を筋道立てて説明する方法を発展させたドイツの哲学者・数学者です。

ヴォルフの著作や教育方法は、カントが学んだ時代のドイツの大学にも大きな影響を与えていました。

カントは、こうした先人たちの考えを学びながら、そのままでは答えられない問題についても検討を重ねました。

カントの哲学は、ニュートンの自然科学、ヒュームが示した知識の問題、そしてライプニッツやヴォルフに代表される哲学の伝統など、さまざまな研究との関わりの中で発展したのです。

では、カントは人間の知識が成り立つ条件を、具体的にどのように考えたのでしょうか。

次は、カント自身がその問題にどのような方法で取り組んだのかを見ていきましょう。

5 カントの研究方法

人間はどのように知識を得られるのか

カントは、人間が物事を経験し、それについて確かな知識を得るためには、どのような条件が必要なのかを、哲学的に調べようとしました。

ここでいう「知る力」とは、頭のよさや、たくさんのことを覚える能力ではありません。

人間は、何を根拠に物事について「本当だ」と判断できるのか。そして、どこまでのことなら、確かな知識として認められるのか。

カントが明らかにしようとしたのは、こうした問題でした。

カントは、どうやって知識が成り立つ条件を調べたのか?

私たちは普通、世界について何かを知りたいとき、その物事を観察したり、調べたりします。

しかし、カントは、そこからさらに問いを深めました。

「そもそも人間が物事を経験し、それについて知識を得られるのは、どのような条件があるからなのだろう?」

例えば、私たちは自然界の出来事を調べ、数学や科学を使って、その仕組みを説明できます。

カントは、こうした知識が成り立つことを手がかりに、それを可能にしている人間の知り方について考えました。

つまり、個々の物事について答えを探すだけでなく、私たちが物事を知ること自体が可能になるために、何が必要なのかを考える方法です。

これは、人々を集めて感覚や記憶を測る科学実験とは異なります。

カントは、人間が実際に物事を経験し、知識を得ていることから出発して、その経験が成り立つために欠かせない条件を、理由を積み重ねながら明らかにしようとしたのです。

物事を知るには「感性」と「悟性」が必要だった

カントは、人間が物事を経験して知識を得るためには、特に二つの働きが必要だと考えました。

一つは、感性(かんせい)です。

感性とは、物事からの刺激を受け取り、私たちが物事を直接捉えられるようにする働きです。

カントは、そのとき私たちが物事を捉えるには、「空間」と「時間」という基本的な形が必要だと考えました。

空間とは、物がどこにあり、どのように広がっているのかを捉える形です。

時間とは、出来事がいつ起こり、どのような順番で続いているのかを捉える形です。

もう一つは、悟性(ごせい)です。

悟性とは、受け取ったものを一定の決まりに従って結びつけ、何が起きているのかを理解し、判断する働きです。

例えば、机の上に置いた氷が、少しずつ小さくなっていく場面を考えてみましょう。

私たちは、氷の形や大きさを見て、その変化が時間の中で起きていることを捉えます。

さらに、その変化を一つの出来事として理解し、「氷が溶けるのには原因がある」と考えることができます。

カントによれば、このように出来事を原因と結果の関係に従って理解することには、悟性の基本的な働きが関係しています。

ただし、氷が実際に何によって溶けたのかを知るには、周囲の温度などを調べる必要があります。

原因があるという基本的な考え方と、実際に何が原因だったのかを調べて知ることは、別なのです。

この氷の話は、カントの考えを理解するための記事上の例です。

カントが重要視したのは、私たちは感覚から情報を受け取るだけでなく、人間に備わった基本的な知り方の条件のもとで、物事を経験しているということでした。

なぜ、カントはこの考え方を重要だと考えたのか?

カントは『純粋理性批判』で、人間の知識は経験から始まるものの、知識を成り立たせる条件のすべてが、経験から得られるわけではないと論じました。

例えば、私たちは経験を通して、一つ一つの出来事について知ることができます。

しかし、カントは、そもそも出来事を時間の中で捉えたり、原因と結果の関係に従って理解したりできることには、経験する人間の側に備わった条件が必要だと考えたのです。

そこでカントは、私たちの知り方が一方的に物事に合わせられると考えるだけでなく、私たちが経験する物事も、人間の知り方に備わった条件に従って捉えられるという方向から問題を考え直しました。

これは、人間が思い通りに物事を存在させたり、世界を自由に作り変えたりできるという意味ではありません。

また、カントがこの考えを科学実験によって証明したということでもありません。

あくまで、人間の経験や知識が成り立つ条件について、カントが哲学的に示そうとした説明です。

カントが目指したのは、人間が何を知ることができるのかを明らかにするために、まず知識そのものが成り立つ条件を確かめることでした。

そして、この考え方を進めると、さらに重要な問題が生まれます。

人間が経験する物事は、人間の知り方の条件に従って捉えられるとしたら、その条件から切り離して考えた物事そのものについては、何を知ることができるのでしょうか。

この問題こそが、カントによる「現象」と「物自体」の区別につながっていきます。

次は、なぜカントがその二つを区別したのかを詳しく見ていきましょう。

6 現象と物自体の区別

カントが「物自体」と「現象」を区別したのは、人間が物事について確かな知識を得られる理由を説明し、その知識がどこまで成り立つのかを明らかにするためです。

なぜ、現象と物自体を区別する必要があったのか?

前の章で紹介したように、カントは、人間が物事を経験して知識を得るには、感性と悟性という働きが必要だと考えました。

つまり、私たちは外の世界をそのまま受け取るだけではなく、人間に備わった知り方の条件のもとで、物事を経験しているということです。

ここでカントは、重要な違いを考えました。

人間が経験するために必要な条件が、人間の知り方から切り離して考えた物事そのものにも、そのまま当てはまるとは言えません。

カントは、私たちが経験し、知ることのできる形で現れる物事を「現象(げんしょう)」と呼びました。

一方、人間の知り方から切り離して考えた物事そのものを「物自体(ものじたい)」として区別しました。

この違いを考えるために、身近な出来事を例にしてみましょう。

風が吹いて、机の上に置いた紙が動いたとします。

私たちは、紙が動いた原因を調べ、風がどのように働いたのかを確かめることができます。

しかし、カントが問題にしたのは、もう一歩先のことです。

「経験できる出来事について使う『原因と結果』という考え方を、経験できない物事にまで、そのまま当てはめてよいのだろうか?」

カントは、原因と結果を理解するための基本的な決まりは、私たちが経験する出来事について成り立つものだと考えました。

だからといって、その決まりが、人間の経験の条件から切り離して考えた物事にも、同じように当てはまると知っているわけではありません。

これはカントの議論を理解するための記事上の例であり、カント本人が紙と風を使って説明したという意味ではありません。

カントは、人間が経験によって知ることのできる範囲と、その範囲を超えて考えることを区別する必要があると考えたのです。

この区別は、人間の知識を否定するためのものだったのか?

いいえ。カントは、私たちが経験する世界について確かな知識を得られることまで否定したわけではありません。

むしろ、数学や自然科学によって知識を得られるのはなぜなのかを、哲学的に説明しようとしました。

その一方で、人間が知識を得るときに使う決まりを、経験できない物事にまで広げて、正しいと決めつけることには問題があると考えました。

つまり、カントにとって重要だったのは、人間の知識が成り立つ理由を明らかにすると同時に、その知識をどこまで使えるのかを見きわめることだったのです。

物自体は、知ることができなくても考えることはできるのか?

カントは、物自体を知ることはできなくても、物事を物自体として考えることはできると論じています。

この違いは、1787年(天明7年)に出版された『純粋理性批判』第2版の序文でも説明されています。

何かについて頭の中で考えられることと、その物事について根拠のある知識を持っていることは、同じではありません。

例えば、人間には、自分の意志で行動を選ぶ「自由」があるのかという問題があります。

カントは、私たちの行動を自然界の出来事として考えることと、人間の自由について考えることを区別するうえでも、現象と物自体の違いが重要だと論じました。

ただし、これは物自体を考えることで、人間の自由が科学的に証明されたという意味ではありません。

カントにとって、現象と物自体の区別は、経験できる世界についての知識を大切にしながら、経験だけでは答えられない問題についても考える余地を残すものだったのです。

なお、現象と物自体をどのような関係にあるものとして理解すべきかについては、現在も研究者の間で異なる解釈があります。

しかし、カントが人間の知識を考えるうえで、この区別を重要なものとして論じたことは確かです。

物自体とは?

ここまでの説明をもとに、「物自体」とは何かを、改めて整理してみましょう。

物自体(ものじたい)とは、人間が物事を経験し、理解するときの条件から切り離して考えた、物事そのもののことです。

カントは、私たちが経験し、知ることのできる形で現れる物事を「現象(げんしょう)」と呼びました。

例えば、物の大きさを測ったり、自然の動きを調べたりすることで、私たちは経験できる世界について知識を得られます。

しかし、人間の知り方の条件から切り離して、その物事がそれ自体でどうあるのかについては、同じように経験して確かめることができません。

つまり、カントは、現象については知識を得られても、物自体がそれ自体としてどうあるのかを知ることはできないと考えたのです。

ただし、物自体は、世界のどこかに隠れている未知の物という意味ではありません。また、現象が偽物や幻という意味でもありません。

カントがこの区別を重視したのは、人間が何を知ることができ、その知識にはどのような限界があるのかを明らかにするためでした。

物自体を理解するうえでカントが欠かせないのは、この区別を通して、人間が知ることのできる範囲と、考えることはできても知識としては確かめられない範囲を明らかにしようとしたからです。

ここでは、カントが「現象」と「物自体」をなぜ区別したのかを紹介しました。

「物自体」という言葉そのものの意味や、「現象」との違いを、身近な例からさらに詳しく理解したい方は、こちらの記事も参考にしてみてください。

物自体とは?なぜ知ることができない?

では、こうした考えを示した『純粋理性批判』は、物自体の問題だけを扱った本だったのでしょうか。

次は、カントがこの著作全体で何を明らかにしようとしたのかを見ていきましょう。

7 『純粋理性批判』とは?

カントは何を明らかにしようとしたのか

『純粋理性批判』は、カントが「人間は何を根拠に確かな知識を得られるのか」を問い、経験に頼らずに得られる知識の可能性と限界を調べた哲学書です。

1781年(天明元年)、57歳のカントは、長年取り組んできた研究を『純粋理性批判(じゅんすいりせいひはん)』という一冊の本にまとめました。

この本は、単に「物自体とは何か」を説明するための著作ではありません。

カントが明らかにしようとしたのは、数学や自然科学の知識が成り立つのはなぜなのか、そして、人間は経験を超えた問題についても確かな知識を得られるのかということでした。

なぜ、この本に「批判」という言葉を使ったのか?

本の題名にある「理性(りせい)」とは、物事の理由をたどり、筋道を立てて考え、個々の経験を超えた答えまで求めようとする人間の働きです。

ここでいう「純粋」とは、観察や体験から得た情報を根拠にしないという意味です。

つまり、この本では、人間の理性が、経験から得た情報に頼らずに、どこまで正しい知識を得られるのかが問題になっています。

では、「批判」とは何でしょうか。

ここでの批判は、誰かの悪いところを責めたり、何でも否定したりすることではありません。

何を正しい知識として認められるのか、その根拠を調べ、どこから先は正しいと認められないのかを判断することです。

カントは1781年の初版序文で、この作業を、理性自身の主張を審査する「裁判所」にたとえています。

裁判所では、ただ「正しい」と言い張るだけでなく、その主張を認めるだけの理由があるかを確かめます。

カントはこれと同じように、人間が「これは知っている」と言うとき、その主張を認める根拠が本当にあるのかを調べようとしたのです。

カントは、この本でどのような問題に答えようとしたのか?

例えば、算数では「7+5=12」という答えが正しいことを、一つ一つの実物を毎回数えなくても確かめられます。

では、数学の知識がそのように広く成り立つのは、なぜなのでしょうか。

カントは、数学や自然科学の知識が成り立つために必要な条件を考えました。

一方、人間は「世界全体には始まりがあるのか」「魂は死後も存在するのか」といった問題についても考えます。

しかし、こうした問題は、目の前の物事を観察するだけでは答えを確かめられません。

それでも、人間の理性だけで確かな答えを出せるのでしょうか。

カントは、数学や自然科学の知識が可能になる理由を明らかにすると同時に、経験を超えた問題について、理性だけで確かな答えを出せるのかを調べようとしたのです。

これは、世界の根本的なあり方などを考える「形而上学(けいじじょうがく)」が、確かな知識を得られる学問としてどこまで成り立つのかを問い直すことでもありました。

カントは、この本を出版して研究を終えたのか?

いいえ。『純粋理性批判』の出版は、カントの研究の終わりではありませんでした。

1787年(天明7年)、63歳のカントは、第2版を出版します。

カントは、初版の説明が難しく、誤解されやすかった部分をより明確にしようと、いくつかの重要な議論を書き直し、新しい説明も加えました。

ただし、初版と第2版で考え方がどの程度変化したのかについては、現在も研究者の間で議論があります。

カント自身は、中心となる考えやその根拠を変えたわけではないと説明しています。

『純粋理性批判』は、カントが長年の研究を一つの大きな著作にまとめた成果であり、その後も自分の考えを説明し、発展させていく出発点となったのです。

ここまで読んで、『純粋理性批判』やカントの考えを、本でもう少し詳しく学んでみたいと感じた方へ。

この記事の後半では、漫画で親しめる本から、カントの人生や哲学をさらに深く学べる入門書まで、読みやすさに合わせて3冊を紹介しています。

カントについてさらに学べる、おすすめの3冊を見る

それでは、この本を出版したあと、カントはどのような問題に取り組んだのでしょうか。

次は、人間の行動や自由についての研究も含め、カントの哲学がその後どのように広がっていったのかを見ていきましょう。

8 その後のカントの研究

カントは『純粋理性批判』を出版したあとも研究を続け、人間の知識だけでなく、何が正しい行動なのか、自由とは何か、美しさや自然をどのように判断するのかという問題へ哲学を広げていきました。

『純粋理性批判』の出版後、カントはどのような問題をさらに研究したのか?

1785年(天明5年)、カントは『道徳形而上学の基礎づけ(どうとくけいじじょうがくのきそづけ)』という本を出版しました。

この本は、人間がどのような考え方に従って行動すべきなのか、その根本的な決まりを明らかにしようとした著作です。

道徳(どうとく)とは、人間がどのように行動するのが正しいのかを考えることです。

また、題名の「基礎づけ」とは、ある考えがなぜ正しいと言えるのか、その根拠を明らかにすることです。

カントは、自分の利益やそのときの気分に左右されるのではなく、誰にとっても守るべき道徳の原則があるのかを考えました。

例えば、自分に都合が悪いときだけ約束を破ってよいとしたら、それを誰もが守るべき決まりとして認められるでしょうか。

そうは言えません。誰もが自分の都合に合わせて約束を破れば、約束そのものが信頼されなくなるからです。

これはカントの道徳の考え方を理解するための記事上の例です。

カントは、行動の結果が自分にとって得かどうかだけでなく、どのような原則に従って行動することが正しいのかを重要視したのです。

さらに1788年(天明8年)、カントは『実践理性批判(じっせんりせいひはん)』を出版しました。

ここでいう「実践理性」とは、人間が何をすべきかを考え、その判断に従って行動しようとする理性の働きです。

カントは、道徳の原則がなぜ人間にとって守るべきものなのか、また、その原則に従って自分の行動を決めることと、人間の自由がどのように関係するのかを検討しました。

ここでいう自由は、単に何でも好き勝手にできることではありません。

カントにとって重要だったのは、欲望や周囲からの影響にただ流されるのではなく、道徳の原則に従って自分の行動を決めることができるのか、という問題でした。

カントは、なぜ美しさや自然についても考えたのか?

1790年(寛政2年)、カントは『判断力批判(はんだんりょくひはん)』を出版しました。

この本でカントは、物事を判断する人間の働きを、さらに詳しく調べています。

例えば、美しい花を見たとき、私たちは「きれいだな」と感じることがあります。

カントは、何かを「美しい」と判断することは、単に「自分が好きだ」という気持ちとは違うと考えました。

何かを美しいと判断するときには、ほかの人にも同じように美しいと認めてもらえるはずだという考えが含まれると論じたのです。

さらに、生き物の体についても問題を取り上げています。

例えば、植物の根や葉は、それぞれ異なる働きをしながら、植物全体の生命を支えています。

カントは、こうした生き物の仕組みを、それぞれの部分が全体のために役立っているかのように理解するとき、人間はどのような判断をしているのかを考えました。

ただし、これは生き物が誰かによって目的を持って作られたと証明した、という意味ではありません。

『判断力批判』では、美しさについての判断と、生き物などの自然を理解する際の判断が、どのように成り立つのかが重要な問題になっています。

このようにカントは、知識の問題から、道徳・自由、そして美しさや自然についての判断へと研究を発展させました。

カントの哲学は、その後の人々にどう受け継がれたのか?

カントの著作は、当時の哲学者たちから注目される一方で、その考えに疑問や批判も向けられました。

そして、カントの研究を出発点に、新しい哲学を考えようとする人物も現れます。

その一人が、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte、1762年〈宝暦12年〉〜1814年〈文化10年〉)です。

フィヒテは、18世紀後半から19世紀初めに活躍したドイツの哲学者で、カントの著作から大きな影響を受けた人物です。

フィヒテは、人間が自分自身を意識する働き、つまり「自分が考えたり行動したりしている」とわかる働きに注目し、そこから知識や経験が成り立つ根拠を説明しようとしました。

しかし、フィヒテはカントの考えをそのまま繰り返したわけではありません。

自分自身の哲学を発展させた結果、二人の考えには重要な違いが生まれ、カント自身も後にフィヒテの哲学に反対する立場を明らかにしています。

カントの哲学は、後の人々がそのまま受け入れただけでなく、新たな問題を考え、異なる答えを探すための出発点にもなったのです。

そして、カントが生涯を通して問い続けた人間の知識や自由、判断についての問題は、その後の哲学にも大きな影響を残しました。

では、このような研究を続けたカントという人物について、私たちはどのような点を誤解しやすいのでしょうか。

次は、カントの人生と哲学について、特に間違えやすいことを確認していきましょう。

9 カントについての誤解

カントは、長い研究の中で自分の考えを見直し、経験できる世界についての知識を認めながら、さまざまな哲学の問題に取り組んだ人物です。

ここでは、カントを正しく理解するために、特に間違えやすい三つの点を確認しましょう。

カントの哲学は、最初から完成していた?

カントの哲学は、最初から完成していたのではなく、長年の研究を通して発展しました。

特に重要なのは、若いころの考えと、後に発表した著作の考えを、すべて同じものとして扱わないことです。

カントは、人間が感覚に頼らずに何を知ることができるのかについて、以前の自分の考えを問い直しました。

そのため、カントの主張を理解するときには、「いつの著作で、どのような問題について述べたのか」を確かめることが大切です。

物自体を知ることができないなら、現実の世界についても何もわからない?

カントは、人間が経験できる世界について、確かな知識を得られることを認めていました。

例えば、気温を測って記録を比べたり、自然の動きを観察して調べたりすることには意味があります。

カントが問題にしたのは、こうして経験から得られる知識を、人間の経験の条件から切り離して考えた物自体についても、同じように使えるのかということでした。

物自体について知ることができないという主張は、現実の世界について何もわからないという意味ではありません。

カントの哲学は、物自体の問題だけを学べば十分?

物自体と現象の区別はカントの哲学で重要ですが、それが彼の研究のすべてではありません。

カントは、人間が知識を得られる理由だけでなく、何を正しい行動とするのか、人間の自由とは何か、美しさをどのように判断するのかについても研究しました。

これらは互いに関係する問題ですが、すべてが物自体の説明だけで答えられるわけではありません。

物自体はカントを知るための重要な入口であり、その先には、人間の知識や行動、判断についての幅広い研究があるのです。

この三つを意識すると、カントの哲学を一つの結論だけで捉えず、彼がどのような問題に向き合ってきたのかを、より正確に理解できます。

次は、ここまでの人生と研究の歩みを踏まえ、カントという人物から何がわかるのかを考えていきましょう。

10 まとめ考察

カントという人物から考えること

カントの生涯と研究から見えてくるのは、答えを出すことだけでなく、「なぜその答えが正しいと言えるのか」を問い直すことの大切さです。

カントは、若いころから自然の仕組みを研究し、ほかの哲学者たちの考えを学びながら、自分自身の考えも見直していきました。

そして、世界について知ろうとするだけでなく、私たちが世界について「知っている」と言えるのは、どのような場合なのかを考えました。

ここからは、カント本人がそのまま述べた人生の教訓ではなく、彼の生涯と哲学を知った私自身の考察です。

自分の考えを変えることは、間違っていたということなのか?

私は、カントの歩みから、自分の考えを見直すことは、それまでの努力を無意味にすることではないと考えました。

カントは、以前の研究で得た考えをすべて捨てたわけではありません。

引き継いだ考えもあれば、十分に答えられていなかった問題を見つけ、さらに検討したこともありました。

この姿から考えられるのは、何かを学ぶうえでは、自分の答えを持つことと同じくらい、その答えを確かめ直すことにも意味があるということです。

例えば、以前は正しいと思っていたことでも、新しい資料を読んだり、ほかの人の意見を聞いたりすると、考えが変わることがあります。

それは、以前の自分が何も考えていなかったという意味ではありません。

新しくわかったことを受け入れ、以前の考えを修正することも、学びを深める方法の一つなのだと思います。

「わからない」と認めることは、知ることを諦めることなのか?

もう一つ、私が興味深く感じたのは、カントが「知ることのできる範囲」を明らかにしようとした点です。

私たちは、何かについて「わからない」と聞くと、まだ勉強が足りないのかもしれない、と考えることがあります。

実際、調べたり経験したりすることで、わかるようになることはたくさんあります。

しかし、カントが物自体について考えた問題は、それとは異なります。

人間が物事を経験するための条件から切り離して考えた物事について、経験によって得る知識と同じように「知っている」と言えるのか。

カントは、そこに区別が必要だと考えました。

私はここに、少し意外な意味を感じます。

知ることができない範囲を認めるのは、知る努力を否定するためではなく、確かに知っていることと、まだ知識として認められないことを混同しないためでもあるのではないでしょうか。

「何でも知っている」と考えるより、「ここまでは根拠を持って説明できる」とわかっている方が、自分の知識を正確に扱える場合があります。

また、人が物事を正しく知ろうとするとき、思い込みが理解を妨げることもあります。

この問題を「イドラ」という、思い込みや考え方の偏りに関する哲学の考え方から紹介した記事もあります。

カントの「物自体」とは異なる問題ですが、自分の考えを確かめ直すことに興味を持った方には、別の角度から学べる内容です。

関連記事:イドラとは?4種類の思い込みをわかりやすく解説

日常の中で、カントの姿勢をどう生かせるだろう?

例えば、誰かから短い返事が届いたとき、「きっと怒っているのだろう」と思った経験はないでしょうか。

しかし、そのとき確かめられるのは、返事が短かったという事実です。

相手が本当に怒っていたのか、それとも忙しかっただけなのかは、その返事だけでは決まりません。

もちろん、これはカントの物自体と、他人の気持ちが同じものだという意味ではありません。相手の気持ちなら、事情を聞くことで確かめられる場合もあります。

ここから私が日常に取り入れたいのは、「実際に確かめたこと」と「自分がそう考えただけのこと」を、一度分けてみる姿勢です。

では、何かについて自信を持って答えられないとき、私たちはどうすればよいのでしょうか。

私は、答えを急いで決める前に、次のように考えてみることが役立つと思います。

「私は何を確かめたのだろう。そして、どの部分はまだ確かめられていないのだろう」

確かめられることは、さらに調べてみる。

まだ根拠がないことは、無理に正しいと決めつけない。

そして、新しいことがわかったら、自分の考えを見直してみる。

これはカントの哲学から私なりに考えた日常への応用であり、カント本人がそのまま教えた行動の決まりではありません。

私がカントという人物から受け取ったのは、「答えを持つこと」だけでなく、「その答えをどこまで信じてよいのかを考え続けること」にも価値があるという考えです。

物自体という難しい問題を入り口にカントの人生をたどると、そこには、一度の答えで研究を終わらせず、自分の考えを確かめ直しながら問いを深めていった一人の哲学者の姿が見えてきます。

そして、その姿は、私たちが何かを学ぶときにも、少し立ち止まって自分の考えの根拠を確かめるきっかけになるのではないでしょうか。

おまけコラム

時計の逸話と、カントの意外な食卓

カントは、毎日の生活を規則正しく送っていた哲学者として、伝記や人物紹介でも知られています。しかし、人と食事をし、会話を楽しむことも大切にしていました。

カントには、散歩の時刻があまりにも正確だったため、町の人々が彼の姿を見て時計を合わせたという有名な逸話があります。

この話は、どこまで本当なのでしょうか。

カントの散歩は、本当に時計のように正確だったのか?

ハインリヒ・ハイネ(Heinrich Heine、1797年〈寛政9年〉生まれ〜1856年〈安政3年〉2月17日没)は、19世紀に活躍したドイツの詩人・著述家です。

現在のドイツにあるデュッセルドルフで生まれ、詩や評論を通して、ドイツの社会や文化、哲学についても文章を書いた人物です。

ハイネはカントの弟子ではありませんが、1834年(天保5年)に発表した、ドイツの宗教と哲学の歴史を紹介する文章の中で、カントの暮らしを時計のように規則正しいものとして描きました。この描写は、ハイネがカントの生活を直接観察して記録したものではなく、後の時代に書かれた文学的な表現として理解する必要があります。

カントが決まった時刻に散歩へ出るため、近所の人々は、その姿から時刻がわかったというのです。

実際、カントが特に晩年、決まった生活の習慣を大切にしていたことは、彼を知る人々が残した記録からもわかります。

ただし、町の人たちが本当にカントの散歩を見て時計を合わせていたのかについては、確かな証拠が十分にあるわけではありません。

規則正しい生活を送っていたことと、時計代わりになるほど正確だったという逸話は、分けて理解する必要があります。

ところが、カントの日常生活をさらに調べると、時計のように正確な人物という印象とは少し違った姿も見えてきます。

カントは、なぜ食事中の会話を大切にしたのか?

カントは、一人で研究する時間だけでなく、友人や知人と食卓を囲む時間も楽しんでいました。

しかも、食事中の会話について、自分の著作でも詳しく考えています。

1798年(寛政10年)、カントは『実用的見地における人間学(じつようてきけんちにおけるにんげんがく)』を出版しました。

これは、人間が日常生活や社会の中でどのように考え、行動し、人と関わるのかなどを論じた本です。

その中でカントは、よい食事をよい仲間と楽しむことを、人間らしい生活にとって大切なものとして取り上げています。

興味深いのは、食事会に集まる人数についても考えていることです。

カントは、別の著述家による、集まる人数は3人以上9人以下がよいという目安を紹介しています。

人数が少なすぎると会話が続きにくくなり、多すぎると、それぞれが近くの人だけと話す小さな集まりに分かれやすくなります。

つまり、一緒に食事をする人々が、互いの話を聞き、会話を楽しめることを大切にしていたのです。

これは、カントがすべての食事会で必ずその人数を守っていたという意味ではありません。

彼の著作に記された、望ましい会話の場についての考え方です。

この意外な人物像から、何が見えてくるのか?

ここからは、こうした記録を読んだ私自身の考察です。

カントというと、一人で難しい本を書き続けた哲学者を想像するかもしれません。

しかし、実際のカントは、友人たちとの会話も楽しんでいました。

私はそこに、興味深い対照を感じます。

一人でじっくり考える時間と、ほかの人の話を聞く時間。

どちらか一方だけが大切なのではなく、二つの時間が一人の哲学者の生活の中にあったのです。

もちろん、食事中の会話が、カントの物自体についての考えを生み出したと証明できるわけではありません。

それでも、「難しい哲学を考える人物」と「人と食事を楽しむ人物」は、決して矛盾しないということがわかります。

規則正しい散歩の逸話だけでは見えてこない、そんなカントの人間らしい一面を知ると、遠い昔の哲学者が少し身近に感じられるのではないでしょうか。

さらに学びたい人へ

カントの人生や「現象」と「物自体」の違いを、もっと詳しく知りたい方へ。

ここでは、漫画で楽しく学べる本から、カントの哲学を深く理解できる本まで、おすすめの3冊を紹介します。

漫画で学びたい初学者向け
『純粋理性批判』講談社まんが学術文庫 原作 イマヌエル・カント 著者 近藤たかし、佐藤文香

哲学が初めての人や、漫画から学びたい人向け。小学生は大人と一緒に読むのもおすすめです。
本の特徴
人間とアンドロイドの恋を題材に、感性・悟性・物自体・現象など、カントの考え方を漫画で紹介しています。
おすすめ理由
難しい哲学の言葉も、物語を通して具体的に考えるきっかけになります。

※カントの原典を漫画として構成した入門書で、原典そのものではありません。

カントの哲学を幅広く学びたい人向け
『自分で考える勇気―カント哲学入門』 著者 御子柴善之

漫画から一歩進み、カントの人生や哲学を文章で学びたい初学者・中高生・大人向け。
本の特徴
カントの生涯を紹介しながら、『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』などの重要な著作を通して、知識・自由・道徳・幸福について考える本です。
おすすめ理由カントが何を研究し、どのような問題に向き合ったのかを、人物の歩みと哲学の両方から学べます。

さらに理解を深めたい中級者向け
『カント入門』 著者 石川文康

カントの基本的な考えを知ったあと、その哲学をさらに深く理解したい人向け。
本の特徴
『純粋理性批判』を中心に、人間の知識や理性の問題を解説しながら、カントが研究の中で向き合った困難や思想の発展を描いています。
おすすめ理由
カントがどのような疑問を持ち、なぜ考えを深めていったのかを、哲学の内容と人物の研究人生を結びつけながら理解できます。

カントの哲学は、どの本から読み始めても、一度ですべてを理解する必要はありません。

漫画で興味を持つことも、入門書で考え方を整理することも、少し難しい本に挑戦してみることも、それぞれ大切な学び方です。

自分に合った一冊から、カントが生涯を通して考え続けた問題を、さらに深くたどってみてはいかがでしょうか。

疑問が解決した物語

「知ることができない」と考えた理由がわかった日

放課後の学校の図書室。

結衣と航は、以前「物自体」について調べたときに使ったノートを、もう一度開いていました。

机の上には、カントの生涯や哲学について調べた本が並んでいます。

「ねえ、航。最初にこのノートを見たとき、どうして物自体は『まだ知らない』じゃなくて、『知ることができない』なんだろうって、不思議だったよね」

「うん。でも、今ならカントが何を問題にしていたのか、前よりわかる気がする」

航は、ノートに書かれた「現象」と「物自体」という二つの言葉を指さしました。

「カントが考えたのは、科学が進めばいつか発見できるものと、まだ発見できていないものの違いだけじゃなかったんだね」

結衣もうなずきます。

「そう。私たちが何かを経験して知るときには、時間や空間など、人間の知り方に必要な条件がある。だから、その条件から切り離して考えた物事そのものについては、同じように知ることができないと考えたんだよね」

「つまり、物自体は、ただ遠くにあったり、小さすぎて見えなかったりするものとは違うんだ」

二人は、カントが問題にしたのは、まだ発見していないものを探すことではなく、人間が物事を知るための条件と、その条件のもとで得られる知識の範囲だったのだと理解しました。

結衣は、開いていた本に載っているカントの肖像画を見ました。

「それに、カントって、最初からこんな考えを持っていたわけじゃなかったんだね」

「うん。自然の仕組みを研究して、ほかの哲学者たちから学んで、自分の考えも何度も確かめ直していたんだ」

「大学で教えたり、友達と食事を楽しんだりもしていたんだよね。難しい哲学の本を書いた人にも、毎日の生活があったんだなあ」

二人は少し笑いました。

やがて航が、最初の疑問を思い出したように言いました。

「でもさ、カントが物自体を知ることはできないと考えたなら、僕たちが何かを知ろうとすることには、意味があるのかな?」

結衣は少し考えてから答えました。

「あると思う。だってカントは、私たちが経験する世界について知識を得られることまで否定したわけじゃないもの」

「そっか。何もわからないという話じゃなくて、何を根拠に『知っている』と言えるのかを大切にしたんだね」

カントが示そうとしたのは、人間の知識をすべて否定することではなく、何を知ることができ、何を考えることはできても知識としては認められないのか、その違いを明らかにすることでした。

航はノートの新しいページを開き、二つの言葉を書きました。

「確かめたこと」

「自分がそう考えたこと」

「僕、これから何かを調べるとき、この二つを分けて書いてみようかな」

結衣が尋ねます。

「どうして?」

「前は、なんとなく正しそうだと思ったことまで、わかったつもりになることがあったから。でも、理由を確かめてから判断した方が、もっとちゃんと理解できる気がするんだ」

「それ、いいね。私も、間違っているとわかったら、前の考えを直せるようにしたいな」

もちろん、これはカント本人が教えたノートの書き方ではありません。

二人がカントの人生と哲学を学んで、自分たちなりに考えた方法です。

窓の外では、夕方の光が少しずつやわらかくなっていました。

結衣は、最初に書いた疑問の下へ、新しく一文を書き加えます。

「カントは、世界について何を知ることができるのかを考え、自分の考えも見直しながら研究を続けた哲学者だった。」

航はその言葉を読み、うなずきました。

「最初は『物自体って何だろう』って調べていたのに、今は、カントがどうしてそう考えたのかまで知ることができたね」

「うん。それに、答えを知ったあとも、その答えがどうして正しいと言えるのかを考えることって、大切なんだと思った」

二人は本を閉じ、ノートをかばんにしまいました。

ここで、あなたにも一つ問いかけてみたいと思います。

何かを「わかった」と思ったとき、あなたなら、その答えをどのように確かめますか?

一つの方法は、二人のように「実際に確かめたこと」と「自分がそう考えたこと」を分け、その答えを支える理由や資料を探してみることです。

そして、確かめるうちに新しいことがわかれば、以前の考えを見直してもよいのです。

それは、カントがそのまま教えた生活上の決まりではありません。

けれども、長い年月をかけて知識の根拠を問い直したカントの姿から、私たちが日常に持ち帰ることのできる、一つの考え方ではないでしょうか。

文章の締めとして

何百年も前、遠い町で一人の哲学者が考え続けていたこと。

その問いを、今こうして私たちが一緒にたどっていると思うと、なんだか不思議な気持ちになります。

カントが見ていた景色も、生きていた時代も、私たちとは違います。

それでも、何かを不思議に思い、もっと知りたいと感じる気持ちには、どこか通じ合うものがあるのかもしれません。

補足注意

この記事は、筆者が個人で確認できる範囲の原典や信頼できる資料をもとに、カントの生涯と哲学をわかりやすく整理したものです。

カントの思想には、研究者の間でも解釈が分かれる部分があり、この記事の説明が唯一の答えではありません。

また、歴史資料の新たな発見や今後の研究によって、人物像や思想についての理解が深まったり、見直されたりする可能性もあります。

🧭 本記事のスタンス

この記事は、カントの哲学について唯一の正解を示すものではなく、読者が自分自身の疑問を持ち、さらに学ぶための入り口として書いています。

カント本人の考えと、研究者による解釈、筆者自身の考察を区別することを大切にしています。

一つの説明だけで結論を決めず、さまざまな資料や考え方にも触れながら、カントという人物への理解を深めていただければ幸いです。

カントを知って、観点を変えて、感嘆だけで終わらずに――その先は、原典や研究書をひもとき、「知っている」のその先に広がる問いを、あなた自身の目でさらに深くたどってみてください。

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました。

カントの生涯は、一人の人間が抱いた問いが、長い年月を越えて、誰かの「もっと知りたい」という気持ちを生み出すことがあると教えてくれているのかもしれません。

参考資料・さらに詳しく知りたい方へ

この記事では、イマヌエル・カントの生涯や哲学について、本人の著作、歴史的な記録、専門家による研究や解説などを手がかりに、確認できる範囲の情報を整理しました。

特に、次のような資料が、今回取り上げた内容を確かめ、より深く理解するための参考になります。

カントの生涯や人物像について

『Stanford Encyclopedia of Philosophy(スタンフォード哲学百科事典)』

大学の研究者などが執筆する哲学の専門事典です。「Immanuel Kant」の項目では、カントの生涯や著作、哲学の中心的な問題が解説されています。

『Deutsche Biographie(ドイチェ・ビオグラフィー)』

ドイツの歴史上の人物について調べられる人物事典です。カントの生い立ち、大学での仕事、人物としての歩みなどを確認する手がかりになります。

カントの研究と哲学の発展について

カントの著作と書簡

1770年の『可感界と可想界の形式と原理』、1772年のマルクス・ヘルツ宛書簡、1781年に初版が出版された『純粋理性批判』などは、カントがどのような問題に向き合い、考えを発展させたのかを知るうえで重要な資料です。

また、1783年の『プロレゴーメナ』や、その後に出版された道徳・自由・美しさなどに関する著作も、カントの研究の広がりを理解する手がかりになります。

『Stanford Encyclopedia of Philosophy』のカントに関する専門項目

カントの思想がどのように発展したのか、また「現象」と「物自体」の関係をどのように理解すべきかについて、専門家による解説や異なる解釈を知ることができます。

カントに影響を与えた思想について

デイヴィッド・ヒューム『人間知性研究』

人間が経験から何を知ることができるのか、原因と結果の関係をどのように理解するのかについて考察した著作です。

本文で紹介した、ヒュームがカントに与えた影響を理解するための重要な資料の一つです。

カントの日常生活や人柄について

カント『実用的見地における人間学』

人間の生活や行動、人との関わりなどを扱った著作です。おまけコラムで紹介した、食事中の会話についての考えも取り上げられています。

また、カントの生活習慣や散歩に関する逸話については、当時の人物による記録や、後世の伝記・人物研究などが理解を深める手がかりになります。


ここで紹介したものは、記事の内容に関係する主な資料や、さらに詳しく調べるための参考先です。すべての原典や研究資料を最初から最後まで通読したことを示すものではありません。

カントの哲学には、現在も研究者の間で解釈が分かれる問題があります。

この記事をきっかけに興味を持った方は、カント本人の著作や、さまざまな研究者による解説にも触れてみてください。

一つの答えを知るだけでなく、その答えがどのような考えや資料から生まれたのかをたどることも、カントという人物をより深く理解する楽しみの一つになるのではないでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました