『ちいかわ』第374話「日焼け/干し芋」感想考察――夏の終わりに残る友情と「本当のことを言いたかった」ハチワレの強さ

感想

日焼けした3人に残る「あの夏」の記憶と、理不尽な状況でも「本当のことを言いたかった」と語るハチワレの強さ。かわいさの奥にある友情、正直さ、そして『ちいかわ』らしい不条理をじっくり考察します。

『ちいかわ』第374話「日焼け/干し芋」

今回のお話は、前半の「日焼け」と後半の「干し芋」という、一見するとほとんど関係のなさそうな二つのエピソードで構成されています。

前半は、日焼けしたちいかわ、ハチワレ、うさぎが自分たちの姿を見て楽しむ、とても穏やかな時間です。

ところが後半では、泉から突然得体の知れない大きな存在が現れ、干し芋について謎の二択を迫られた末、ちいかわとハチワレが追いかけられてしまいます。

平和な日常から、説明のつかない理不尽な出来事へ。

短い時間の中で『ちいかわ』らしい振れ幅を存分に楽しめる回なのですが、改めて一つ一つの言葉や行動を見ていくと、私は今回のお話には「友達と同じ時間を過ごした記憶」と「自分の本当の気持ちを曲げないこと」という、思っていた以上に深いものが描かれているように感じました。

「コントラスト強い!」という言葉から、すでにハチワレらしい

冒頭、いつもとは明らかに違う、こんがりと日焼けしたうさぎが登場します。

そのうさぎを見たハチワレの第一声が、

「コントラスト強い!」

です。

ここからもう面白いです。

普通なら「日焼けしてる!」「黒くなった!」と言いそうなところを、ハチワレは「コントラスト」という言葉で表現します。

色が濃くなったことで、もともとの白い部分との差がはっきりした。その見た目を「コントラストが強い」と捉えたのでしょう。

間違っているわけではありません。

むしろかなり的確です。

ただ、その的確さの方向が独特なのです。

私はここに、ハチワレというキャラクターの面白さがよく表れていると思いました。

ハチワレは、目の前で起きていることをそのまま言葉にするだけではなく、一度自分なりの感覚で受け止めて、それを少し変わった言葉で表現することがあります。

だから、何でもない出来事から妙に記憶に残る言葉が生まれます。

そのあとになって、

「すごいッ!みんなしてるよッ、日焼けッ!」

と、ようやく「日焼け」という言葉が出てきます。

最初に現象の名前ではなく「見え方」を言い、あとから日焼けだと説明する。

この順番まで含めて、ハチワレらしいなと思いました。

そして何より、「みんなしてるよ」という言い方がいいです。

ここでハチワレが喜んでいるのは、単に日焼けという現象を発見したからだけではなく、「みんな同じなんだ」ということなのではないでしょうか。

日焼けを「失敗」ではなく「みんな一緒」と喜ぶ3人

ハチワレとうさぎのもとへ、少し離れたところからちいかわがやってきます。

ちいかわは登場したときからとても嬉しそうで、笑顔で2人のところへ駆け寄ってきます。

そこでハチワレが、

「すごいッ!みんなしてるよッ、日焼けッ!」

と気づきます。

ハチワレに言われたちいかわも、改めて自分の体を見回します。

自分も同じように日焼けしていることを確認すると、やはり嬉しそうな表情を見せています。

私はこの一連の様子を見ていると、3人にとって大切なのは「日焼けしてしまった」ということよりも、「みんな一緒に日焼けしている」ということなのではないかと感じました。

そして、うさぎはお尻をふりふりしながら、自分の日焼けした姿を見せています。

全身がこんがりと色づいている一方で、しっぽだけは真っ白なままです。

普段は、それほど意識しないしっぽの白さですが、今回は日焼けした体との色の差によって、いつも以上にはっきりと目立っています。

ハチワレが最初に言った「コントラスト強い!」という言葉が、ここでもぴったり当てはまるようで面白いです。

一方、ちいかわには、うさぎとはまた違った「白い部分」が残っています。

いつも身につけているポシェットのところだけ日焼けせず、きれいに跡になっています。

それを見つけたハチワレが「ポシェット焼け」と指摘すると、ちいかわ自身も「エ?」というように自分の体を確認し、嬉しそうに笑います。

この二つの「白く残った部分」は、見た目は似ていても少し意味が違います。

うさぎの白いしっぽは、もともと持っている体の特徴が、日焼けによっていつも以上に目立って見えているものです。

それに対して、ちいかわのポシェット焼けは、いつもポシェットを身につけて過ごしていることが、そのまま日焼け跡として残ったものです。

そしてハチワレには、そうした目立った焼け跡があるというより、素直に全身がこんがり日焼けしています。

だから私は、この場面を「3人それぞれ違う日焼けをしている」と考えるよりも、「3人で同じように日焼けし、その中にあるちょっとした違いまで一緒になって楽しんでいる」場面として見る方がしっくりきました。

みんな一緒に日焼けした。

その中で、「しっぽだけ白い」「ポシェットの跡が残っている」といった小さな発見もある。

そして、その違いを気にしたり恥ずかしがったりするのではなく、友達同士で見つけて笑い合っています。

現実なら、思いがけない形に日焼け跡が残ったとき、

「変な焼け方をしちゃったな」

と気にしてしまうこともあります。

でも、ちいかわたちはそうではありません。

自分たちが一緒に日焼けしていることを喜び、その中で見つけたちょっとした違いまで面白がっています。

私はそこに、3人の素直な明るさと、何でもないことまで一緒に楽しめる自然な仲の良さを感じました。

日焼けは「3人で過ごしたあの夏」が体に残ったものなのかもしれない

原作では、長かった島編が終わったあと、その次のエピソードとして今回の「日焼け」が描かれています。

作中で「島で日焼けした」とはっきり説明されているわけではありませんが、この掲載順を考えると、私は3人のこんがりとした姿を、島で過ごした時間の名残として受け取りたくなります。

そして、その島編が映画『ちいかわ 人魚の島のひみつ』として描かれました。

そう考えると今回の日焼け姿は、テレビアニメだけを見れば突然の変化にも見えますが、原作の流れを知っていると、映画での大冒険を終えて帰ってきた3人の「その後」のようにも見えてきます。

つまり、ここで私が感じる「あの夏」とは、単なる一般的な夏休みの思い出という意味だけではありません。

映画で描かれた島で、ちいかわ、ハチワレ、うさぎの3人が一緒に過ごした、あの濃密な時間のことです。

楽しいだけではありませんでした。

怖いこともありました。

危険な出来事もありました。

3人にとって、とても濃い時間だったはずです。

しかし、そんな大きな出来事を終えて日常へ戻ってきた3人の体には、その時間の名残を思わせるように日焼けが残っています。

そう考えると、今回の穏やかな光景が少し違って見えてきます。

物語の中で起きた大きな出来事そのものは、もう終わっています。

今、目の前にいる3人は、危険な何かと戦っているわけでも、必死に逃げているわけでもありません。

ただ、お互いの日焼けを見て笑っています。

けれど、その何でもない日常の姿の中に、映画で過ごした時間がちゃんと残っているのです。

日焼けというものは、ずっと残るものではありません。

時間が経てば薄くなります。

今回のように皮がむけ、やがて元の姿へ戻っていきます。

だから私は、3人の日焼けを見ながら、

「映画で過ごしたあの夏の記憶が、一時的に体に残っている」

ようにも感じました。

ちいかわのポシェット焼けも、うさぎの真っ白なしっぽも、ただかわいいだけではありません。

あの島で、それぞれがいつもの姿のまま過ごしていたことまで想像させてくれます。

ちいかわは、いつものポシェットを身につけていた。

うさぎは、いつもの白いしっぽのままだった。

そして3人とも、同じ太陽の下で時間を過ごした。

同じ場所にいて、同じ出来事を経験したからこそ、3人は同じようにこんがり日焼けして帰ってきた。

でも、その焼け方にはそれぞれの個性が残っています。

私はそこに、「一緒に過ごす」ということの面白さまで感じました。

同じ体験をしたからといって、全員がまったく同じになるわけではありません。

同じ夏を過ごしても、それぞれに残るものは少しずつ違います。

それでも、「あのとき一緒だった」という事実は共通している。

だからこそ、3人がお互いの日焼けを見つけて楽しそうに笑っている姿が、私はとても好きです。

映画で描かれた大きな物語を乗り越えたあと、3人がまたこうして何でもないことで笑っている。

それは、「大変だった出来事が終わった」というだけではなく、「3人がちゃんと日常へ帰ってきた」ということでもあるのだと思います。

そして、日焼けはいつか消えてしまいます。

皮もむけ、やがて元の白い姿に戻ります。

けれど、映画で3人が一緒に過ごした「あの夏」まで消えるわけではありません。

そう考えると今回の日焼けは、単なる見た目の変化やギャグではなく、映画での出来事と、その後の日常を静かにつないでくれている「夏の痕跡」のようにも見えてきました。

大変だったことが終わったあと、その時間を共有した友達と、残った跡を見ながら笑える。

私はそれが、とても幸せなことなのではないかと思います。

皮をむき合う三角形に見えた、3人の友情

そのあと、ちいかわの頭から日焼けした皮がぺろっとむけます。

それをうさぎが発見します。

すると今度はハチワレにもむけた部分が現れ、それをうさぎが指さします。

さらにうさぎにも同じような部分が現れ、今度はちいかわとハチワレが気づきます。

最終的には、ハチワレがちいかわ、ちいかわがうさぎ、うさぎがハチワレというように、お互いのむけた皮へ手を伸ばし、3人が輪になるような形になります。

私は、この何でもない動作がとても好きです。

誰か一人だけが何かをしてもらうのではありません。

自分も友達の皮を触ってみたい。

そして、自分の皮を友達に触られることも自然に受け入れている。

もちろん3人は、そんなことを難しく考えているわけではないでしょう。

ただ面白そうだからやっているだけなのだと思います。

でも、むしろその「何も考えずにできる」ということ自体に、3人の距離の近さが表れているように感じます。

友達だからこそ、相手に自然に手を伸ばせる。

友達だからこそ、自分にも手を伸ばしてもらえる。

そして3人の関係が、一方向ではなく、それぞれがお互いにつながった三角形になっている。

ほんの数秒の動作ですが、私はここに3人の友情がとてもよく表れていると思いました。

鎧さんの「ノミ取りか?」で世界が一気に変わって見える

そこへ鎧さんが現れます。

そして3人を見て、

「ノミ取りか?」

と言います。

ここで一気に笑ってしまいます。

本人たちは日焼けした皮をむき合っているだけなのに、事情を知らない鎧さんから見れば、確かに何かを取り合っているように見えます。

しかも「ノミ取り」という発想が出てくるところから、別の疑問まで浮かんできます。

ちいかわたちは、やはり毛に覆われた生き物なのでしょうか。

だとすると、なぜあれだけきれいに日焼けをして、皮までむけるのでしょう。

毛があるのか。

皮膚なのか。

真剣に考え始めると、よく分からなくなります。

ただ私は、こういうところも『ちいかわ』の面白さだと思います。

この世界では、生物としての仕組みを完全に説明することよりも、その瞬間の感覚や面白さが優先されているように見えます。

モフモフしているようにも見える。

でも、人間のように日焼けもする。

そして皮もむける。

現実の生物学では整理できないのに、不思議と「ちいかわならそういうこともあるか」と受け入れられてしまいます。

この説明しきれない部分こそ、『ちいかわ』という世界の魅力の一つなのかもしれません。

平和な日常のすぐ隣に、理解不能な危険がある

そして場面が変わります。

森の中の泉から水が盛り上がり、突然、大きな謎の存在が姿を現します。

つい先ほどまで3人で日焼けの皮をむき合っていたのに、突然です。

日焼けは、ありません。

この落差がすごいです。

『ちいかわ』の世界では、「かわいい日常」が安全な場所として完全に隔離されているわけではありません。

ほんの少し前まで笑っていた場所のすぐ隣から、何を考えているのか分からない存在が突然現れます。

しかも、その存在が差し出してくるのは武器でも宝物でもなく、干し芋です。

黄色っぽい干し芋。

黄土色っぽい干し芋。

そして、

「どっちがいい?」

と聞いてきます。

水辺の怪異と干し芋。

この組み合わせだけでも十分に不思議です。

雰囲気だけなら「金の斧と銀の斧」のような昔話が始まりそうなのに、出てきたものが干し芋なのです。

私はここに、『ちいかわ』特有の「知っているようで、まったく知らない世界」の面白さを感じました。

どこかで見たような構図だからこそ、「このあとこうなるのかな」と予想します。

ところが、その予想したルールが『ちいかわ』世界では通用しません。

「どっちがいい?」は、本当に二つから一つを選べという意味なのか

謎の存在から「どっちがいい?」と尋ねられたちいかわとハチワレは、しばらく悩みます。

そして顔を見合わせ、互いにうなずきます。

そこでハチワレが出した答えが、

「どっちも好きです」

でした。

私は、今回のお話でここが一番興味深いと思いました。

なぜなら、ハチワレは「両方欲しい」とは言っていないからです。

「どっちも欲しい」と「どっちも好き」は、似ているようでまったく違います。

前者は、二つとも自分のものにしたいという要求です。

後者は、自分の好みについて説明しているだけです。

相手は「どっちがいい?」と尋ねました。

「一つだけ選べ」と明確に言ったわけではありません。

「どっちが欲しい?」とも言っていません。

そう考えれば、「どっちも好きです」という回答は、それほどおかしなものではないように思えます。

ところが相手は、

「欲張り」

と判断します。

私はここに、とても面白いすれ違いがあると思いました。

ハチワレは「自分の気持ち」を答えた。

しかし相手は、それを「二つとも手に入れたいという欲望」だと解釈した。

同じ言葉を聞いているのに、意味の受け取り方がまったく違っています。

「欲張り」と決めたのは、ハチワレではなく相手だった

ここで少し考えたくなるのが、「欲張りとは誰が決めるのか」ということです。

ハチワレ自身は、二つとももらおうとはしていません。

ただ、本当にどちらも好きだったから、それをそのまま伝えました。

ところが、相手が設定したルールの中では、それが「欲張り」になってしまいます。

これは現実にも少し似たところがあるように感じます。

私たちは「AとB、どちらがいい?」と聞かれると、いつの間にか「一つだけ選ばなければならない」と思い込んでしまうことがあります。

でも、本当の答えは、

「両方好き」

かもしれません。

「どちらでもない」

かもしれません。

あるいは、

「場合による」

かもしれません。

問いかける側が二択にしたからといって、人の気持ちまで本当に二つに分けられるとは限りません。

そう考えると、ハチワレの「どっちも好きです」は、とてもハチワレらしいだけでなく、意外に強い答えにも見えてきます。

用意された選択肢に無理に自分を合わせるのではなく、自分の気持ちそのものを答えているからです。

昔話なら正解のはずなのに、『ちいかわ』では追いかけられる

この場面を「金の斧と銀の斧」のような昔話と比較すると、さらに面白く感じます。

昔話の世界では、正直者であることには意味があります。

嘘をつかなかった人は報われる。

「正しい人間でいれば、最後には良いことがある」という道徳的な構造があります。

しかし今回の『ちいかわ』では違います。

本当のことを言ったのに、追いかけられます。

嘘をつかなかったからといって、守ってもらえるわけではありません。

ここは、かなり重要なのではないかと思いました。

『ちいかわ』の世界では、「正しい行動をすれば必ず正しい結果になる」という保証がありません。

良いことをしても報われないことがある。

慎重にしていても危険に巻き込まれる。

何も悪いことをしていなくても、理不尽な出来事に遭遇する。

世界の側が、自分の善意に合わせてくれるとは限らないのです。

その意味では、昔話よりもむしろ現実に近いのかもしれません。

だからこそ、そのあとにハチワレが口にする言葉が、一気に重く感じられます。

「本当のことを言いたかったから」の「から」がすごい

追いかけられながらハチワレは、

「どっちも好きだから」
「本当のこと、言いたかったから」

と話します。

私は今回、この言葉が最も心に残りました。

特に気になったのが、

「本当のことを言ったのに」

ではなく、

「本当のことを言いたかったから」

であることです。

もし「言ったのに」だったら、

「正直に答えたのに、どうしてこんな目に遭うの?」

という、結果に対する不満になります。

しかしハチワレは「から」と言っています。

つまりこれは、自分の行動の理由を説明している言葉です。

追いかけられてしまった。

怖い。

逃げなければならない。

それでも、あの場面で自分がそう答えた理由については変わっていない。

「本当にそう思ったから、そう言いたかった」

ということです。

私はここに、ハチワレの強さを感じます。

正直に答えれば褒められるから、本当のことを言うのではありません。

正直に答えれば干し芋をもらえるから、本当のことを言うのでもありません。

結果とは関係なく、自分が本当にそう思ったから、それを言葉にしたかった。

正直さそのものを、自分の価値観として持っているように見えるのです。

「好き」と言うことは、思っている以上に勇気がいる

「好きなものを好きと言う」。

言葉にすると、とても簡単なことに聞こえます。

でも実際には、そうではないこともあります。

相手がどんな答えを求めているのかを考えてしまう。

その場の空気に合わせてしまう。

面倒なことになりそうなら、本心とは違う無難な答えを選んでしまう。

私自身も、そういう場面は日常の中にたくさんあると思います。

その点で、ハチワレはとても素直です。

「どっちも好きだった」。

だから「どっちも好き」と言った。

それによって危険な目に遭ったとしても、自分が本当に好きだったという事実まで変える必要はない。

「好き」という気持ちは、相手から許可をもらって初めて成立するものではありません。

相手が「一つに決めろ」と考えていても、自分の心の中では二つとも好きでいていい。

私はハチワレの言葉から、そんなことまで考えました。

ハチワレの長所と危うさは、同じ場所から生まれているのかもしれない

ただ、ハチワレの行動を全面的に「格好いい」で終わらせるのも違う気がします。

なぜなら、この世界ではこれまでにも不可思議な存在や危険な出来事に何度も遭遇してきたからです。

森の泉から突然巨大な存在が現れた時点で、

「何か怪しい」

と考えてもおかしくありません。

それでもハチワレは、相手の問いにかなり素直に答えます。

そう考えると、ハチワレの「正直さ」は、同時に少し危なっかしい性格でもあるのかもしれません。

でも私は、そこが面白いと思います。

人の長所と短所は、必ずしも別々の場所から生まれるわけではありません。

素直だから、人の良いところも素直に喜べる。

素直だから、知らないものにも好奇心を持てる。

素直だから、自分の気持ちを言葉にできる。

しかし素直だからこそ、怪しい相手にも真正面から答えてしまう。

ハチワレの優しさと危うさは、もしかすると同じ根から生まれているのかもしれません。

だからこそ、単純な「正直者キャラクター」ではなく、魅力のある存在になっているのだと思います。

ちいかわは本当にハチワレと同じ答えだったのか

そして私は、もう一つ気になるところがありました。

謎の存在から「どっちがいい?」と聞かれたあと、ちいかわとハチワレは少し悩み、互いの顔を見合わせています。

そして二人で「うん」とうなずき合います。

この流れだけを見れば、二人が相談するまでもなく同じ結論にたどり着き、「やっぱりそうだよね」と確認し合ったようにも見えます。

そのあと、ハチワレがはっきりと、

「どっちも好きです」

と答えます。

ちいかわも一緒に声を上げているため、自然に考えれば、ちいかわもハチワレと同じ「どっちも好き」という気持ちだったのでしょう。

ただ、ここで少し気になったことがあります。

言葉として「どっちも好きです」と明確に答えているのは、あくまでハチワレです。

ちいかわも声を上げていますが、ハチワレとまったく同じ内容を言っているのかまでは、はっきりとは分かりません。

そのため私は、「二人は本当にまったく同じ答えだったのだろうか」と少し想像を広げてみたくなりました。

もし二人とも同じ答えだったのなら、顔を見合わせてうなずいた場面は、とても二人らしいやり取りに見えます。

言葉にしなくても、

「どっちもだよね」

「うん、どっちもだよね」

と気持ちが通じ合い、最後にはハチワレが二人を代表するように「どっちも好きです」と言葉にした。

そう考えると、二人の間には、いちいち詳しく相談しなくても考えていることが分かるほどの信頼関係があるようにも感じます。

一方で、もしちいかわとハチワレが少し違うことを考えていたとしたら、それもまた面白いです。

ちいかわは普段、ハチワレよりも周囲の危険に敏感なところがあります。

何か分からないものに遭遇すると、まず不安そうな表情を見せたり、「危ないかもしれない」と感じたりすることがあります。

それによって怖くなってしまうこともありますが、その慎重さが危険を察知する力になっていることもあります。

今回も、泉から突然現れた得体の知れない相手を前にして、ちいかわの中にはハチワレとは違う警戒心があったのかもしれません。

もしかすると、ちいかわはどちらか片方を選ぼうとしていた可能性もあります。

謎の正体から逃げている時の涙目の顔のちいかわも、やっぱり危険な存在だったんだと思っていたのかもしれません。

あるいは、「この答えで大丈夫なのかな」と少し不安に思いながら、ハチワレの答えに同意したのかもしれません。

もちろん、これは映像では明らかにされていない部分なので、あくまで私の想像です。

でも、私はそこが面白いと思いました。

二人が同じ答えだったと考えれば、言葉にしなくても気持ちを共有できる二人の仲の良さが見えてきます。

反対に、二人の中に少し違う考えがあったとすれば、慎重に危険を感じ取るちいかわと、自分が感じたことを素直に相手へ伝えるハチワレという、それぞれの性格の違いが見えてきます。

つまり、どちらだったとしても二人らしいのです。

そして私は、だからこそ、この短い「顔を見合わせてうなずく」という場面が面白いのだと思います。

映像では二人の心の中まで説明されません。

だからこそ、「二人とも同じ気持ちだったのかもしれない」「いや、ちいかわは少し違うことを考えていたのかもしれない」と想像する余地が残されています。

ただ一つはっきりしているのは、そのあとハチワレが自分の答えをきちんと言葉にしたことです。

「どっちも好きです」。

そして追いかけられることになっても、

「どっちも好きだから」
「本当のこと、言いたかったから」

と、自分がなぜそう答えたのかを説明しています。

ちいかわがまったく同じ答えだったのかどうかは分かりません。

しかし少なくともハチワレにとっては、「どっちも好き」という気持ちは誰かに合わせて選んだ答えではなく、自分自身が本当にそう感じていたからこそ口にした答えだったのでしょう。

私はこの場面を、二人の答えが同じだったか違っていたかという結論だけで見るのではなく、はっきりと説明されていないからこそ、それぞれの性格や二人の関係まで想像できる場面として楽しみたいと思いました。

「日焼け」と「干し芋」は、本当に別々の話なのか

ここまで考えて、私は一見無関係に思えた「日焼け」「干し芋」に、一つの共通点があるように感じました。

それは、

「今の自分を、そのまま否定しない」

ということです。

前半では、3人がいつもとは違う自分たちの姿を楽しんでいます。

日焼けしていてもいい。

ポシェットの跡がついていてもいい。

しっぽだけ白くてもいい。

皮がむけていても、それを友達と笑い合える。

「いつもの姿と違うから嫌だ」とは考えません。

そのときの自分を、そのまま面白がっています。

そして後半では、

「二つとも好き」

という自分の気持ちをハチワレが否定しません。

相手から「一つ選ぶべきだ」という圧力をかけられたとしても、自分の心の中にある「どっちも好き」を無理に一つへ変えません。

前半では「自分の姿をそのまま受け入れる」。

後半では「自分の気持ちをそのまま認める」。

そう考えると、二つの短い話は意外なところでつながっています。

もちろん、作品がそこまで明確なテーマとして意図しているのかは分かりません。

あくまで私が今回のお話を見て感じたことです。

ですが、こうして考えてみると、「日焼け」と「干し芋」という全然違う出来事が、不思議と一つの話としてまとまって見えてきました。

夏は終わっても、「一緒に過ごしたこと」は消えない

そして今回の日焼けした3人を見ていると、私はどうしても「夏の終わり」を感じます。

日焼けは、夏の間は「今起きていること」です。

しかし皮がむけ始めると、その日焼け自体が少しずつ過去へ変わっていきます。

楽しかった夏も、苦しかった出来事も、その最中にはずっと続くように感じることがあります。

でも、必ず終わります。

そして終わった瞬間から、それは「思い出」に変わっていきます。

今回の3人の日焼けは、その境目にあるように感じました。

まだ体には夏が残っている。

でも、皮はもうむけ始めている。

夏が「今」から「思い出」に変わり始めているのです。

それでも、3人が同じ夏を過ごした事実は消えません。

日焼けが消えても、ポシェットの跡が消えても、一緒に過ごした時間そのものまでなくなるわけではありません。

だから私は、皮をむき合って笑っている3人の姿に、単なるかわいさ以上のものを感じました。

大変な時間を乗り越えたあと、また友達とどうでもいいことで笑える。

もしかすると、それこそが「無事に日常へ帰ってきた」ということなのかもしれません。

そして、その日常にもまた突然、泉から干し芋を持った怪異が現れます。

平和になったからといって、もう何も起きないわけではない。

これからもきっと理不尽なことは起きる。

それでも、そのたびに逃げたり、助け合ったり、ときには自分の気持ちを言葉にしながら、3人はまた日常を続けていくのでしょう。

私はそこに、『ちいかわ』という作品の優しさと厳しさの両方があるように感じます。

コメント欄ではこのような意見が多く見られました

実際のコメント欄では、日焼けした3人の姿、ちいかわのポシェット焼け、うさぎの白いしっぽ、3人で皮をむき合う場面を「かわいい」と感じる声が多く見られました。

また、ハチワレの第一声である「コントラスト強い!」という独特の言葉選びや、鎧さんの「ノミ取りか?」を面白がる声も目立っていました。

ちいかわたちは毛に覆われているように見えるのに日焼けして皮までむけることから、「毛なのか皮膚なのか」と不思議がる意見もありました。

さらに、島での出来事や映画のエンディングに描かれた日焼け姿とのつながりから、「島編の後日談のように感じる」「夏が終わった」「映画から日常へ戻ってきた」と受け止める声や、9月初めという放送時期を「夏休み明けにぴったり」と感じる意見も多く見られました。

そして後半については、「どっちも好きだから」「本当のこと、言いたかったから」というハチワレの言葉に対して、嘘をつかず本当の気持ちを言うところがハチワレらしい、好きなものを好きと言えるところがいい、という声が数多くありました。

一方で、「金の斧と銀の斧」のような状況なのに正直者が報われず、むしろ追いかけられるという理不尽さや、泉から現れた存在が普通に陸まで追いかけてくるシュールさを『ちいかわ』らしい面白さとして楽しんでいる意見もありました。

今回の動画が教えてくれるかもしれないこと

今回の動画を見て私が一番強く感じたのは、「自分の本当の気持ちを持っていること」と、「その気持ちを実際に言葉にすること」は、似ているようで別のことなのだということです。

ハチワレは、二つとも好きだと思いました。

そして、それを心の中だけに置いておくのではなく、「どっちも好きです」と相手に伝えました。

その結果、褒められたわけではありません。

ご褒美をもらえたわけでもありません。

むしろ「欲張り」と言われて追いかけられます。

それでも、

「本当のこと、言いたかったから」

と言います。

私は、この「から」という言葉に今回のお話の大切な部分が詰まっているように感じました。

正直だった「のに」報われなかったのではなく、報われるかどうかとは別に、本当のことを言いたかった「から」言った。

世界が自分に優しくしてくれるかどうかと、自分がどうありたいかを分けて考えているようにも見えます。

人生でも、正しいことをすれば必ず得をするとは限りません。

本当のことを言えば必ず理解してもらえるとも限りません。

相手が作った二択の中に、自分の本当の答えがないこともあります。

そんなとき、それでも自分の気持ちまで嘘に変える必要はないのかもしれません。

そして前半の3人は、いつもとは違う自分たちの日焼けした姿さえ、友達と一緒になって楽しんでいました。

姿が違ってもいい。

好きなものが一つに決められなくてもいい。

夏が終わって日焼けが消えてしまっても、一緒に過ごした時間は消えない。

理不尽なことが突然起きても、逃げながらでも自分の本当の気持ちは持っていられる。

今回の動画は、自分の姿も、自分の「好き」も、誰かが用意した正解に無理やり合わせなくてもいいこと。そして、変わっていく日常の中でも、自分の本当の気持ちと大切な友達との時間を大事にして生きていくことの価値を、私たちに伝えてくれているのかもしれません。

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