『ちいかわ』第365話「洗車/パンフレット」考察・感想――「いいよね、歩きも」に見える優しさと、ラッコ先生の日常が心に残る理由

感想

車に憧れるハチワレ、運転の失敗を想像して怖くなるちいかわ、そして愛車を磨き新型車に目を輝かせるラッコ先生。同じ「車」を前にしても、三者の見える未来はまったく違います。第365話『洗車/パンフレット』から、優しさ、自己理解、憧れ、日常の幸福を考えます。

  1. 『ちいかわ』第365話「洗車/パンフレット」。
  2. ラッコ先生が車を磨く姿から始まる意味
  3. 「車いいね」から「免許取りたいね」へ進むハチワレ
  4. ちいかわの頭に浮かぶのは「できた未来」ではなく「失敗した未来」
  5. ちいかわの慎重さは「弱さ」なのか
  6. それでも「無理」と言える関係
  7. 「いいよね、歩きも」は、ただ慰めているだけではない
  8. 「できない」を「別の良さ」に変えられるハチワレ
  9. 一生懸命磨いた直後に降る雨
  10. 上位ランカーでも、雨には勝てない
  11. 言葉にしないから、こちらが感情を想像する
  12. 怪異のいる世界に、普通のカーディーラーが存在する面白さ
  13. 「世界観」とは、大事件ではなく仕事から見えてくることもある
  14. スーパーアルバイターが特別な世界で、ディーラーはどれくらいすごいのか
  15. 花の車と蛇の新型車――乗り物なのに、どこか生き物のよう
  16. 「ありがとう」に見える、日常の中の格好よさ
  17. 「トコトコ」と走る車が世界を柔らかくする
  18. みかん大福を食べながら車のパンフレットを読む幸せ
  19. パンフレットは「まだ手に入れていない未来」を見るもの
  20. 「クルーズコントロール」が一気に世界を広げる
  21. 「難しい本なのかな」と思う二人――憧れが相手を大きく見せる
  22. 憧れとは、相手の日常まで特別に見えることなのかもしれない
  23. キラキラした目は、みかん大福か、新型車か
  24. コメント欄では、どんなところが注目されていたのか
  25. 今回の動画が教えてくれているのかもしれないこと――人は同じ未来を選ばなくてもいい

『ちいかわ』第365話「洗車/パンフレット」。

今回は、大きな事件が起こる回ではありません。

ラッコ先生が愛車を洗い、それを見たちいかわとハチワレが車や免許について話す。

ラッコ先生は車を点検に出し、新型車のパンフレットをもらい、みかん大福を食べながら楽しそうに眺める。

物語だけを並べれば、とても小さな日常のお話です。

ところが見終わってみると、不思議なくらい印象に残ります。

私はその理由を考えてみて、今回の話には「同じものを見ても、人によって見えている未来は違う」ということや、「強い人にも自分ではどうにもできない小さな出来事がある」ということ、そして「誰かと違う選択をしても、それを否定しなくていい」という、『ちいかわ』らしい優しさがいくつも重なっているからではないかと思いました。

ラッコ先生が車を磨く姿から始まる意味

物語の始まりは、ラッコ先生の愛車です。

車の上には花のような飾りがあり、車そのものにも顔があります。

そして「洗車中」。

ラッコ先生は、自分の車を一生懸命に磨いています。

まずここで感じるのは、ラッコ先生にとって車は単なる移動手段ではないのだろうということです。

ただ乗れればいい。

動けばいい。

そういう扱いではなく、自分の手できれいにしてあげたいと思える存在になっている。

つまり「所有している物」というより、かなり「愛着のある相棒」に近いのではないでしょうか。

これは後半の新型車のパンフレットにもつながっているように思います。

新しい車に興味はある。

新機能にもワクワクする。

それでも今乗っている車は、ちゃんと自分の手で丁寧に磨いている。

新しいものへの憧れと、今持っているものへの愛着。

この二つが同時に存在しているところが、ラッコ先生らしくて面白いです。

「車いいね」から「免許取りたいね」へ進むハチワレ

その様子を見て、ハチワレは素直に車を「いいな」と感じます。

そして、

「取ってみたいね、免許」

という方向へ気持ちが進んでいきます。

ここには、ハチワレの性格が非常によく表れているように思いました。

ハチワレは何かに出会ったとき、まず可能性を見るキャラクターなのではないでしょうか。

「できるかな」

よりも先に、

「できたら楽しそう」

と考える。

新しいものに出会ったとき、その先にある楽しい未来を想像できる。

だから車を見たときにも、「運転は危険かもしれない」ということより、「自分も乗れたらいいな」という未来が先に浮かぶのだと思います。

これはハチワレの大きな長所です。

ただし、その前向きさは、ときどき危なっかしさにもつながります。

「なんとかなれーッ」と進んでしまえるハチワレと、まず最悪の可能性を考えてしまうちいかわ。

この二人は対照的だからこそ、うまく一緒にいられるのかもしれません。

ちいかわの頭に浮かぶのは「できた未来」ではなく「失敗した未来」

ところが、ちいかわは全く違う反応をします。

ハチワレが免許について楽しそうに話した瞬間、ちいかわの頭の中には、自分が運転している光景が浮かびます。

しかしその想像は、

操作が分からない。

周囲を確認できない。

道に迷う。

ぶつかる。

事故を起こす。

という悪い方向ばかりへ進んでいきます。

同じ車を見ているのに、ハチワレが想像したのは「乗れた自分」。

ちいかわが想像したのは「失敗した自分」。

この対比は、今回かなり大切なのではないかと思います。

人は出来事そのものによって不安になるだけではなく、そこからどんな未来を想像するかによって感情が変わります。

ハチワレにとって車は「可能性」。

ちいかわにとって車は「責任と危険」。

同じものなのに、意味が全く違うのです。

ちいかわの慎重さは「弱さ」なのか

ここで面白いのが、ちいかわを単純に「怖がり」とだけ見ると、この場面の意味を少し取り逃がしてしまうように感じることです。

ちいかわは、まだ車を運転していません。

実際に失敗したわけでもありません。

それなのに、

「もし自分がこうなったら」

ということを具体的に想像しています。

つまり、かなり先の危険まで予測しているわけです。

これは臆病さであると同時に、一種の危険予知でもあるように思います。

世の中では「怖くても挑戦すること」が前向きな態度として語られることがあります。

もちろん、それも大切です。

でも、自分の能力や性格、起こり得る危険を考えたうえで、

「これは今の自分には向いていない」

と判断することも、本来は立派な自己判断のはずです。

何でも挑戦することだけが成長ではない。

「やらない」という選択にも、自分を理解した結果である場合があります。

そう考えると、震えながら嫌がっているちいかわの姿が、ただかわいいだけではなく、少し違って見えてきます。

それでも「無理」と言える関係

もう一つ大切だと思ったのが、ちいかわがハチワレの前でちゃんと嫌がれることです。

親しい相手が、

「これいいよね」

「やってみたいね」

と楽しそうに言っていると、こちらも合わせてしまうことがあります。

本当は嫌でも、

「うん」

と言ってしまう。

でもちいかわは、ハチワレが車に好意的でも、自分は怖いという反応をそのまま出します。

そしてハチワレも、それを受け入れる。

考えてみればこれは、とても良い関係なのではないでしょうか。

相手と意見が違っても大丈夫だと思える。

「嫌だ」と言っても友情が壊れないと分かっている。

今回の短いやり取りには、そういう二人の関係の安心感も表れているように感じました。

「いいよね、歩きも」は、ただ慰めているだけではない

そして今回、やはり一番心に残るのがハチワレの、

「いいよね、歩きも」

です。

私はこの言葉を改めて考えてみると、単にちいかわを慰めているだけではないように思いました。

もしハチワレが、

「そっか、無理なんだね」

だけで終われば、そこには「車に乗れる方がいいけれど、仕方ない」というニュアンスが少し残るかもしれません。

しかしハチワレは、

「歩きもいい」

と言います。

つまり、価値の基準そのものを変えているんです。

車を運転できるか、できないか。

その尺度でちいかわを評価するのではなく、

「そもそも歩くのだって良いことじゃない?」

と別の価値を見つける。

これは、とても優しい考え方です。

「できない」を「別の良さ」に変えられるハチワレ

私たちは誰かが苦手なことを話したとき、

「練習すればできるよ」

「慣れれば大丈夫」

と励ましたくなります。

けれど、それは場合によっては、

「できるようになることが正解」

という価値観を相手に押しつけてしまうこともあります。

ハチワレは違います。

できないなら、できないままでもいい。

その代わり、

「こっちにも良いところがあるよね」

と考える。

車に乗らないことを「不足」として扱わず、歩くことを一つの選択として成立させる。

だからちいかわも、最後には嬉しそうに「うん」と返せるのだと思います。

私はこの場面が印象に残る理由は、ハチワレがちいかわを変えようとしていないからではないかと思いました。

人を助けるというと、相手を良い方向へ導くことを想像しがちです。

でも、

「今のあなたのままでも大丈夫」

と思える場所を作ることも、同じくらい大きな助けなのかもしれません。

一生懸命磨いた直後に降る雨

そんな二人の会話の裏では、ラッコ先生が一生懸命に洗車を続けています。

そしてついにピカピカになります。

「ふう」

と満足そうに一息。

その直後、雨。

この流れは本当に見事です。

あれだけ時間をかけてきれいにした直後に降る。

現実にもありそうだからこそ、余計に面白い。

しかし私は、この雨もラッコ先生という人物を見せるために、とても効果的な出来事になっているように感じました。

上位ランカーでも、雨には勝てない

ラッコ先生は強いキャラクターです。

討伐では頼りになり、ちいかわとハチワレにとっては憧れの存在です。

でも、どれだけ強くても雨は止められません。

怪異なら戦える。

危険な相手なら立ち向かえる。

しかし、

「洗車した直後に雨が降った」

という日常の小さな不運には、どうすることもできない。

この対比が、ラッコ先生を一気に身近な存在にしているように思います。

人は、完璧な人物よりも、どこか自分と同じ部分を持っている人物に親しみを感じます。

強い。

格好いい。

頼りになる。

それだけだったラッコ先生が、

「せっかく洗ったのに……」

という気持ちになる。

その瞬間に、ラッコ先生が「憧れの強者」であると同時に、「自分たちと同じように生活している存在」になる。

だからあの後ろ姿が妙に心に残るのではないでしょうか。

言葉にしないから、こちらが感情を想像する

しかもラッコ先生は、大げさに嘆きません。

雨を見ながら、少し寂しそうな声を出すだけです。

それだけなのに、

「ああ、絶対がっかりしているな」

と分かる。

ここも『ちいかわ』らしい表現だと思います。

全部説明しない。

全部しゃべらせない。

だから見る側が、

「このとき、こんな気持ちだったのかな」

と想像する余地があります。

そしてその余白の中に、私たち自身の経験が入り込む。

洗車後に雨に降られたことがある人なら、自分の記憶とラッコ先生の背中が重なります。

作品の場面が自分自身の経験とつながったとき、その場面はさらに強く記憶に残ります。

今回の雨のシーンが多くの人に刺さるのは、そのためなのかもしれません。

怪異のいる世界に、普通のカーディーラーが存在する面白さ

そして後半。

ラッコ先生は車を点検に出しています。

そこで登場するのが、スーツを着たモブディーラーです。

ここで急に「現代社会」が前面に出てきます。

ちいかわ世界には、危険な怪異がいます。

討伐という仕事があります。

草むしりの資格もあります。

かなり不思議な世界です。

それなのに、

車検や点検らしき制度があり、

ディーラーがあり、

新型車があり、

パンフレットがある。

このアンバランスさが面白いです。

「世界観」とは、大事件ではなく仕事から見えてくることもある

私はここで、『ちいかわ』の世界観の広げ方も面白いと思いました。

大きな設定説明をしなくても、一人のディーラーを登場させるだけで、

「じゃあ車を作るメーカーもあるのか」

「整備士もいるのか」

「自動車学校もあるのか」

「免許制度を管理する場所もあるのか」

と、見えていない社会まで想像できます。

世界観というと、国の歴史や政治や地理を説明することを考えがちですが、実は「どんな仕事をしている人がいるか」を一つ見せるだけでも、その世界の広さは伝わります。

今回のモブディーラーは、その意味でかなり重要な存在なのかもしれません。

画面に少し登場するだけなのに、その背後に「自動車を売る社会」が丸ごと存在していることを想像させてくれます。

スーパーアルバイターが特別な世界で、ディーラーはどれくらいすごいのか

さらに考えると、ちいかわ世界では資格や仕事がかなり重要です。

スーパーアルバイターの資格を取得することも、一つの能力として描かれています。

だとすれば、車の知識を持ち、接客をし、点検や新型車について扱っているディーラーのモブたちは、実はかなり優秀なのではないでしょうか。

もちろん、そこまで設定されているとは限りません。

でも、そう想像したくなる余地がある。

それがこの世界の楽しいところです。

モブ一人を見て、

「この子はどうやってこの仕事に就いたんだろう」

と考えられる。

背景にいるキャラクターにも生活があるように感じられることで、ちいかわ世界がさらに広く見えてきます。

花の車と蛇の新型車――乗り物なのに、どこか生き物のよう

新型車のパンフレットを見ると、今度の車には蛇のような飾りが付いています。

ラッコ先生の愛車は花。

新型車は蛇。

この違いも気になります。

メーカーを示すマークなのでしょうか。

車種ごとの特徴なのでしょうか。

それとも持ち主が選べるのでしょうか。

そして何より、ちいかわ世界の車には顔があります。

だから車が単なる道具ではなく、どこか生き物のようにも見えます。

ラッコ先生が愛車を洗う場面も、人間が機械を磨いているというより、自分の相棒を手入れしているように見える。

そのため、後で新型車のパンフレットに興味を示していても、

「今の車をもういらないと思っている」

という感じにはならないのだと思います。

今の愛車を大切にしながら、新しいものにもワクワクする。

この感覚も、とても現実的です。

「ありがとう」に見える、日常の中の格好よさ

ディーラーからパンフレットを渡されたラッコ先生は、

「ありがとう」

と自然に返します。

これは短い場面ですが、私はかなり印象に残りました。

ラッコ先生の格好よさというと、どうしても戦っている姿を考えます。

でも、人物の本当の魅力は、こういう何でもない場面に出ることがあります。

店員だから礼を言う。

何かしてもらったから「ありがとう」と言う。

ただそれだけです。

でも、誰に対しても自然に礼を言えるというのは、その人の普段の姿勢が出るところでもあります。

「強いから格好いい」のではなく、

「普段の振る舞いまで格好いい」。

だからこそ、ちいかわやハチワレがラッコ先生に憧れることにも説得力が出てくるように思います。

「トコトコ」と走る車が世界を柔らかくする

点検が終わり、ラッコ先生の車が走り去ります。

そのときの「トコトコトコトコ」というような音がとても印象的です。

現実の車なら、もっと機械的なエンジン音を想像します。

でも、ちいかわ世界の車はトコトコ走る。

顔まで付いているので、まるで生き物が歩いているようです。

私はこうした部分が、この世界の「怖さ」と「かわいさ」のバランスを取っているようにも感じます。

『ちいかわ』の世界には、本当に恐ろしいものも存在します。

だからこそ、日常の道具や音までどこかかわいらしく作られていることで、世界全体が独特の柔らかさを保っているのかもしれません。

みかん大福を食べながら車のパンフレットを読む幸せ

その後、ラッコ先生は岩の上で、みかん大福を食べながら新型車のパンフレットを読んでいます。

私はこの場面が、今回の中でも特に好きです。

強いラッコ先生が、誰かに見せるためでもなく、一人で好きなものを楽しんでいる。

甘いものを食べる。

車のパンフレットを見る。

ただそれだけです。

でも、考えてみれば、人の幸福というのは、案外こういうものなのかもしれません。

ものすごく大きな成功がある日ばかりではありません。

好きなものを食べる。

好きな本を見る。

好きな趣味について調べる。

そういう小さな楽しみの積み重ねが、日常を作っています。

討伐では英雄のように見えるラッコ先生も、幸せを感じる瞬間は私たちとそれほど違わない。

だからこの場面に、妙な親しみを感じるのだと思います。

パンフレットは「まだ手に入れていない未来」を見るもの

さらに考えてみると、「パンフレット」という小道具も面白いです。

パンフレットを見る時間というのは、まだ持っていないものを想像する時間です。

買うと決めたわけではない。

でも、

「これがあったらいいな」

「この機能すごいな」

と未来を想像する。

物を手に入れた瞬間とは違う種類の楽しさがあります。

つまり前半では、ちいかわとハチワレが「免許を取った未来」を想像し、

後半ではラッコ先生が「新しい車のある未来」を想像している。

そう考えると、今回の話全体に「未来を想像する」という共通点があるようにも見えてきます。

ただし、その想像の仕方は三者三様です。

ハチワレは楽しい未来を想像する。

ちいかわは危険な未来を想像する。

ラッコ先生は新しい機能へのワクワクを想像する。

同じ「まだ起きていない未来」を見ても、性格によってこれほど違う。

ここにも今回の面白さがあるのではないでしょうか。

「クルーズコントロール」が一気に世界を広げる

そしてラッコ先生が気になっているのが「クルーズコントロール」。

これは一定速度での走行を補助してくれる機能です。

現実では珍しすぎる装備ではありませんが、ちいかわ世界からこの言葉が出てくると、急に面白く感じます。

クルーズコントロールがあるということは、それを使いたくなる道路もあるのでしょうか。

長距離道路があるのか。

高速道路のようなものがあるのか。

渋滞もあるのか。

サービスエリアもあるのか。

一つの単語だけで、見えない場所まで想像が広がっていきます。

怪異の存在するファンタジー世界と、かなり高度な自動車技術が普通に共存している。

しかも作品は、その不思議さを説明してくれません。

説明されないからこそ面白い。

私は『ちいかわ』の世界には、こういう「分からなさ」が必要なのだと思います。

全部分かってしまったら、おそらくここまで想像したくならないでしょう。

「難しい本なのかな」と思う二人――憧れが相手を大きく見せる

そしてパンフレットを読んでいるラッコ先生を、ちいかわとハチワレが遠くから見ています。

ハチワレは、何か難しいものを読んでいるように感じている。

実際には、ラッコ先生は新型車のパンフレットに夢中になっているだけです。

このズレがかわいいです。

でも同時に、ここには「憧れ」の性質も出ているように思います。

尊敬する人が何かをしていると、それだけで高度なことをしているように見える。

好きな人の持ち物が格好よく見える。

その人が読んでいるものまで難しく見える。

ちいかわとハチワレにとって、ラッコ先生はそれだけ大きな存在なのだと思います。

憧れとは、相手の日常まで特別に見えることなのかもしれない

ラッコ先生からすれば、今回はただの日常です。

車を洗う。

点検に行く。

パンフレットをもらう。

お菓子を食べる。

新型車を見る。

しかし、ちいかわとハチワレからすると、その一つひとつが特別に見える。

私は、憧れとはそういうものなのかもしれないと思いました。

相手が特別なことをしているから憧れるだけではなく、

憧れているから、相手の普通の行動まで特別に見える。

ラッコ先生が車に乗る。

それだけでハチワレは「自分も免許を取ってみたい」と思う。

好きな人や尊敬する人は、それだけでこちらの世界を少し広げてくれる存在なのかもしれません。

キラキラした目は、みかん大福か、新型車か

そして最後のラッコ先生。

目をうるうる、キラキラさせながらパンフレットを眺めています。

あれは、みかん大福がおいしいからなのか。

新型車が格好いいからなのか。

おそらく両方なのではないでしょうか。

そして私は、その「どちらか分からない」というところがいいと思います。

幸せな理由を一つに決めなくてもいい。

甘いものがおいしい。

車を見るのも楽しい。

その二つが重なって、ただ嬉しい。

強いラッコ先生が、好きなものを前にすると子どものような目になる。

このギャップがかわいいというだけではなく、

「人は一つの顔だけでできているわけではない」

ということまで感じさせます。

戦うラッコ先生。

礼儀正しいラッコ先生。

車好きのラッコ先生。

甘党のラッコ先生。

雨にがっかりするラッコ先生。

全部同じ人物です。

こういういくつもの顔が積み重なることで、キャラクターはより魅力的になっていくのだと思います。

コメント欄では、どんなところが注目されていたのか

今回のコメント欄では、特に「洗車した直後に雨が降る」というラッコ先生の不運への共感が非常に多く、実際に同じ経験をした人たちから「分かる」「これはつらい」という声が数多く見られました。

また、ちいかわが運転中の事故や操作ミスを次々と想像する場面について、「自分が免許を取らない理由と同じ」「ペーパードライバーなので気持ちが分かる」と共感する意見も目立ちました。

その一方で、「そこまで危険を想像できる人の方が、むしろ慎重に運転するのでは」という見方もあり、ちいかわの慎重さを弱さではなく危機管理能力として捉える考え方も印象的でした。

ハチワレの「いいよね、歩きも」については、ちいかわを説得せず、選択そのものを肯定する優しさを評価する声が非常に多くありました。

さらに、スーツ姿のモブディーラーを見て「この世界では相当優秀な存在なのではないか」と考える声や、クルーズコントロールという装備から「ちいかわ世界の技術力や道路事情はどうなっているのだろう」と想像する意見、パンフレットを受け取ったラッコ先生が自然に「ありがとう」と言うところに人柄の良さを見る意見もありました。

そして何より、討伐では圧倒的に格好いいラッコ先生が、洗車し、雨に落ち込み、みかん大福を食べ、新型車に目を輝かせるというギャップを楽しんでいる人が多かったのが印象的です。

短い日常回なのに、性格、友情、社会、技術、仕事、憧れ、生活の「あるある」まで考察が広がっていくところにも、この回ならではの面白さがあるように思います。

今回の動画が教えてくれているのかもしれないこと――人は同じ未来を選ばなくてもいい

今回の「洗車/パンフレット」を改めて考えてみると、私は「人は同じものを見ても、同じ未来を選ばなくていい」ということを描いたお話でもあるように感じました。

ハチワレは車を見て、

「自分も乗ってみたい」

と思う。

ちいかわは同じ車を見て、

「自分が運転したら怖い」

と思う。

ラッコ先生はすでに車を持ちながら、新型車の新しい装備に胸を躍らせる。

三人とも、車に対して全く違う気持ちを持っています。

でも誰かが間違っているわけではありません。

未来にワクワクする人がいてもいい。

危険を考えて立ち止まる人がいてもいい。

今あるものを大切にしながら、新しいものにも憧れる人がいてもいい。

そして違う選択をする相手に、

「それでもいいよね」

と言える。

もしかすると、今回最も大切なのはそこなのかもしれません。

人と同じことができるようになることだけが成長ではない。

自分が何を怖いと思うのかを知ること。

自分が何を好きなのかを知ること。

誰かが自分とは違うものを選んでも、それを否定しないこと。

そして、自分の好きなものにはラッコ先生のように素直に目を輝かせること。

人生には、頑張っても雨が降ってしまう日のように、自分ではどうにもならないこともあります。

それでもまた好きなものを楽しみ、誰かの違いを受け入れ、自分なりの道を選んでいく。

今回の動画は、そんな日常の小さな優しさを、「車に乗るか、歩くか」というとても身近な話を通して伝えてくれているのかもしれません。

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