『ちいかわ』第372話「メロン当選①」感想考察――ちいかわが本当に嬉しかったのは「当選」だけではなかった

感想

メロン当選をきっかけに見えてきた、ちいかわの「幸せを独り占めしない優しさ」。うさぎとの言葉にしなくても通じ合う友情、ハチワレへの信頼、そして失敗を笑顔で受け止めるラッコ先生の温かさから、第372話に込められた「誰かと一緒に喜び、笑えることの幸せ」を考察します。

  1. 『ちいかわ』第372話「メロン当選①」
  2. 冒頭のラッコ先生の笑顔が、すでに今回の結末を予告しているように見えます
  3. ちいかわにとって「当選」は、みんなで楽しむところまで含めて幸せなのだと思います
  4. メロンそのものより、メロンの網で遊び始めるのがとてもいいです
  5. うさぎのお尻を振る動きには、「分かってくれた!」という喜びがあるように見えました
  6. ちいかわが思い浮かべる「うさぎの食べ方」に、積み重ねてきた時間を感じます
  7. ハチワレを驚かせようとするちいかわに、ハチワレへの信頼が見えます
  8. 「来た!」と言われて飛び出した先にいたのは、まさかのラッコ先生でした
  9. ちいかわがうさぎを見る表情は、「どうしよう!」と助けを求めているようです
  10. うさぎは最初からラッコ先生だと分かっていたのでしょうか
  11. ラッコ先生が笑ったことで、ちいかわの「恥ずかしい失敗」が楽しい出来事に変わりました
  12. 強くてかっこいいラッコ先生だからこそ、あの満面の笑顔がより印象的です
  13. ハチワレが最後に来ることで、さらに面白くなります
  14. 今回は「何も起こらない回」だからこそ、3人の関係がよく見えます
  15. 大人になるほど失っていく「くだらないことを一緒に楽しむ時間」
  16. 声だけでも気持ちが伝わってくるのがすごいです
  17. コメント欄では、ちいかわの優しさとうさぎとの関係、そしてラッコ先生の笑顔に注目する声が多く見られました
  18. 今回の動画が教えてくれるかもしれないこと

『ちいかわ』第372話「メロン当選①」

今回のお話は、ちいかわにメロンが当選したところから始まる、とても穏やかな回です。

ところが、実際に見てみると、単に「メロンが当たってよかったね」というだけのお話ではありませんでした。

ちいかわが当選した喜びを誰と分けようとしているのか。うさぎはその喜びにどう反応するのか。ちいかわはハチワレの前ではどんな自分でいられるのか。そして、間違ってラッコ先生の前に飛び出してしまったとき、ラッコ先生はどう受け止めてくれるのか。

ほんの短いやり取りの中に、3人の友情や、それぞれの距離感、そして「誰かと一緒に笑えること」の温かさが、とても濃く詰まっている回だったように感じました。

冒頭のラッコ先生の笑顔が、すでに今回の結末を予告しているように見えます

今回のアニメは、ラッコ先生の満面の笑顔を切り取った一枚絵から始まります。

初めて見ると、なぜいきなりラッコ先生がこんなに笑っているのだろうと思います。しかし最後まで見ると、この笑顔そのものが今回のお話の大きな見どころだったことが分かります。

つまり冒頭の一枚は、今回の出来事が最終的に「笑い」にたどり着くことを、先にそっと見せてくれているようにも感じられました。

そして場面が始まると、きらきらと光るメロンが映ります。

切り株の上には立派なメロンが2つ。その近くには段ボールがあります。ちいかわは嬉しそうに微笑みながら、何かを後ろ手に持っています。

この時点で私は、「また何かに当選したのかな」と思いました。

しかも、ちいかわの表情には「自分だけのものを手に入れた」という感じよりも、「嬉しいことがあったから誰かに見せたい」という喜びが出ているように見えます。

ちいかわにとって「当選」は、みんなで楽しむところまで含めて幸せなのだと思います

ちいかわは少し照れたように「ヘヘ」と笑いながら、「メロン当選おめでとう」と書かれた紙をうさぎに見せます。

今回は、ハチワレではなくウサギに初めに報告しているところも興味深かったです。

それに対して、うさぎは紙そのものにはほとんど反応せず、メロンに顔を近づけて一生懸命匂いを嗅いでいます。

この反応が、とてもうさぎらしいです。

ちいかわは「当たったこと」を報告していますが、うさぎにとってはもう目の前にあるメロンそのものの方が重要なのでしょう。

けれど私は、ここに冷たさはまったく感じませんでした。

むしろ「細かい説明なんていいから、これはすごいメロンだ」とでも言うように、遠慮なく興味を示せる関係なのだと思います。

相手の言葉にいちいち形式的な返事をしなくても成立する。それだけ普段から一緒にいる2人だからこその自然なやり取りなのかもしれません。

今回も、ちいかわは相変わらず当選運がいいなと思いました。

これまでも思わぬ幸運を引き当てることがありますが、私がちいかわらしいと感じるのは、その幸運を自分だけのものにしようとしないところです。

今回も、当選したメロンを見て「自分が食べたい」と考えるより先に、ハチワレとうさぎと3人で食べている場面を思い浮かべています。

ちいかわにとっては、何か良いものを手に入れることそのものよりも、それを大切な仲間と分け合って、一緒に楽しめることの方が、本当の幸せなのかもしれません。

自分だけで幸せを独り占めするのではなく、自分に来た幸運をみんなの幸せに変えていく。

そういうところに、ちいかわの仲間を大切にする性格がとてもよく表れているように感じました。

そして、ここからのちいかわの想像が、とても印象に残りました。

ちいかわは嬉しそうな顔をしながら、自分とハチワレとうさぎの3人でメロンを食べている姿を思い浮かべます。

ハチワレは嬉しそうにメロンを食べています。うさぎは、やはりうさぎらしく、ものすごい勢いでかじっています。そしてちいかわ自身も幸せそうです。

ちいかわにとって幸せとは、自分のところに良いものがやって来た時点では、まだ完成していないのかもしれません。

「これをハチワレとうさぎと一緒に楽しめる」

そこまで想像して、初めて幸せが大きくなるのだと思います。

また、ちいかわは確かに運のいいキャラクターですが、懸賞などにもきちんと応募しています。ですから、「何もしなくても幸運が舞い込んでくる」というより、応募するという小さな行動を続けた先で幸運をつかみ、その幸運をさらに誰かと分けようとしている、と見ることもできます。

そう考えると、今回のメロンは単なるラッキーアイテムではなく、ちいかわの「嬉しいことを人と分ける性格」を見せるためのものでもあるように思えました。

メロンそのものより、メロンの網で遊び始めるのがとてもいいです

ところが、ちいかわがそんな幸せな食事風景を想像している間に、現実ではまったく違うことが起きています。

気がつくと、メロンについていた網がちいかわの頭にかぶせられています。

ちいかわは「え?」というような表情になります。

すると今度は、うさぎがメロンについていたシールをちいかわのおでこにペタッと貼ります。

そのときのうさぎの横顔が、いかにも「完成したぞ」と言いたげな得意顔なのがとてもかわいいです。

そしてさらに面白いのは、うさぎがちいかわだけを変な姿にして終わらないことです。

うさぎ自身も同じようにメロンの網をかぶり、おでこにシールを貼ります。

私はここに、うさぎなりの親しさがとてもよく表れているように感じました。

もしちいかわだけに網をかぶせて笑うのであれば、単なるいたずらです。

しかしうさぎ自身も同じ格好になることで、この遊びは「お前だけ変な格好をしろ」ではなく、「一緒にこれをやろうぜ」という遊びになります。

言葉で「仲良しだよ」と言わなくても、同じくだらないことを一緒に全力でやれる。

これはかなり強い友情の表れではないでしょうか。

しかも、よく考えると2人は、当選した高級そうなメロンそのものだけでなく、その周りについていた「網」と「シール」で大喜びしています。

本来なら捨ててしまうようなものです。

しかし、それを帽子にして遊び始める。

私はこの場面を見て、子どもの頃の遊びを思い出すような感覚がありました。

何か高価なおもちゃがなくても、箱や包装紙や変な形の物が1つあるだけで、なぜか遊びが始まってしまう。

メロンそのものではなく、「メロンではない方」でここまで楽しくなれるというのは、ある意味とても贅沢なことなのかもしれません。

うさぎのお尻を振る動きには、「分かってくれた!」という喜びがあるように見えました

同じ格好になったうさぎを見て、ちいかわも意図を理解したように笑います。

すると、うさぎがお尻を振るような動きを見せます。

私はここがすごく好きでした。

まるで、

「そうそう、それそれ」

「分かったな」

「じゃあ行くぞ」

と言っているように見えるからです。

実際にはほとんど言葉を交わしていないのに、2人の間では遊びの目的が成立しています。

『ちいかわ』では、こういう「説明されないけれど通じている関係」がとても魅力的です。

長い台詞で友情を語るのではなく、表情や動きだけで「あ、この2人はいつもこういうことをしているんだろうな」と思わせてくれます。

ちいかわが思い浮かべる「うさぎの食べ方」に、積み重ねてきた時間を感じます

もう1つ気になったのが、先ほどのちいかわの想像の中で、うさぎだけメロンをものすごい勢いで食べていたことです。

これも何気ない描写ですが、とても大事な気がします。

ちいかわの頭の中には、

「ハチワレならこんなふうに喜ぶ」

「うさぎならきっとこう食べる」

という具体的なイメージがあります。

人は、よく知らない相手の行動をここまで自然には想像できません。

「うさぎならこうする」と分かっていること自体が、これまで一緒に過ごしてきた時間の長さを表しているように思います。

友情というものは、必ずしも「大切な友達です」と言葉にすることではありません。

相手が何を好きか分かっている。

どんな反応をするか何となく想像できる。

そしてその反応まで含めて思い浮かべたとき、自分まで嬉しくなる。

今回のちいかわの想像には、そうした関係の深さがさりげなく出ているように感じました。

ハチワレを驚かせようとするちいかわに、ハチワレへの信頼が見えます

場面が変わり、ちいかわとうさぎは木の陰に隠れます。

2人が待っているのはハチワレです。

ちいかわの頭の中では、メロンの網とシールをつけた自分たちが飛び出し、それを見たハチワレが大笑いしています。

しかも、ちいかわ自身もその想像だけで嬉しくなり、少し膝を沈み込ませ「えへへ」と楽しみにしています。

ここも、ただ「かわいい」で終わらせるにはもったいない場面だと思います。

ちいかわはもともと、人前で何でも大胆にできるタイプではありません。

怖がったり、遠慮したり、恥ずかしがったりすることが多いです。

そんなちいかわが、自分から変な格好をしてハチワレを笑わせようとしている。

これは、ハチワレの前だからこそできる行動なのではないでしょうか。

ちいかわの中には、

「ハチワレなら笑ってくれる」

「変だと思われても嫌な笑い方はされない」

という安心感があるのだと思います。

だから、普段は恥ずかしがり屋のちいかわでも、自分からふざける側に回れます。

私は、この「相手によって出せる自分が違う」という描写がとても人間らしいと思いました。

私たちも、誰の前でもまったく同じではありません。

家族の前の自分。

昔からの友達の前の自分。

職場の先輩の前の自分。

尊敬している人の前の自分。

ハチワレの前ならできることが、ラッコ先生の前では急に恥ずかしくなる。

この後に起こる出来事によって、その違いが一気に分かるのがとても面白いです。

「来た!」と言われて飛び出した先にいたのは、まさかのラッコ先生でした

そして、うさぎが誰かが来たことを知らせます。

遠くには黒い影が見えます。

ちいかわは「あれはハチワレだ」と思ったのでしょう。

少し汗をかきながらも、とても得意そうな表情になっています。

ここで汗をかいているのも面白くて、私は「ちゃんとうまく驚かせられるかな」という緊張も少し混じっているように見えました。

そして、いよいよその人物が近づいてきます。

ちいかわは満面の笑顔で勢いよく飛び出します。

頭にはメロンの網。

おでこにはシール。

本人は完全に「これからハチワレを笑わせるぞ」という気持ちです。

ところが目の前にいたのは――ラッコ先生でした。

ここからのちいかわの反応が、本当に見事です。

一瞬、状況を理解できないように止まります。

そして徐々に震え始めます。

さらに一歩引くようにして、顔が真っ赤になっていきます。

この変化だけで、

「え?」

「ハチワレじゃない」

「ラッコ先生だ」

「こんな格好を見せちゃった」

という思考が、全部伝わってきます。

ハチワレを笑わせるためならあんなに得意満面だったのに、相手がラッコ先生になった途端、同じ格好が猛烈に恥ずかしいものになる。

この差が、とても面白いです。

そして同時に、ちいかわにとってハチワレがどれほど気を許せる存在なのかも、逆にはっきりします。

ちいかわがうさぎを見る表情は、「どうしよう!」と助けを求めているようです

顔を真っ赤にしたちいかわは、横にいるうさぎを見ます。

私はこの顔が、

「どうしよう」

「ハチワレじゃないよ」

「これどうするの?」

と助けを求めているように見えました。

しかし、うさぎはまったく動じません。

腕を組んで、いつもの得意げな表情のままです。

さらに一歩前へ出て、両手を広げるような動きまでします。

まるで、

「そうだぞ」

「フルーツだぞ」

「どうだ」

と言っているようです。

ここで、ちいかわとうさぎの性格の違いが一気に出ます。

ちいかわにとっては、「誰に見せるか」が非常に重要です。

ハチワレ相手なら楽しい。

ラッコ先生相手なら恥ずかしい。

ところがうさぎには、あまりその境界がないように見えます。

面白いと思ったならやる。

相手が誰であっても堂々としている。

この強さがあるから、ちいかわが困ったときもうさぎは一緒になって慌てず、その場に立っていられるのかもしれません。

そして私は、これもうさぎなりの優しさにも見えました。

もしうさぎまで「あ、間違えた」と慌てて逃げたら、ちいかわはさらに恥ずかしくなったでしょう。

でもうさぎは、「別に変じゃないだろう」と言わんばかりに、その格好を堂々と続けています。

結果として、ちいかわだけが失敗した形になりません。

最初から最後まで「2人でやったこと」のままなのです。

うさぎは最初からラッコ先生だと分かっていたのでしょうか

ここで少し気になるのが、うさぎは近づいてきた人物がラッコ先生だと分かっていたのではないか、ということです。

これは作中でははっきり説明されていません。

ですから、あくまで私の想像です。

しかし、うさぎは相手を見てからちいかわに来訪を知らせています。

それなのに、ちいかわは完全にハチワレだと思い込んで飛び出します。

もしうさぎが最初からラッコ先生だと分かっていて、あえて「誰が来たか」までは教えなかったのだとしたら、ちょっとした逆ドッキリだったことになります。

「来たぞ」とは知らせた。

でも「ハチワレが来た」とは言っていない。

そう考えると、かなりうさぎらしいです。

もちろん、本当に気づいていなかった可能性もあります。

このあたりを明言せず、どちらとも取れるところが面白いです。

ラッコ先生が笑ったことで、ちいかわの「恥ずかしい失敗」が楽しい出来事に変わりました

そして今回、私が特に印象に残ったのがラッコ先生の反応です。

ちいかわとうさぎの姿を見たラッコ先生は、笑います。

しかも、ちょっと口元を緩める程度ではありません。

「ハハハハハ」と、本当に楽しそうな満面の笑顔です。

そして2人の姿を「フルーツか」と受け止めます。

この反応があることで、ちいかわの失敗は「恥ずかしい出来事」だけでは終わりません。

もしラッコ先生が無表情で見ていたら、ちいかわにとっては相当つらい時間だったと思います。

「何をしているんだ?」と冷静に返されたとしても、余計に恥ずかしかったでしょう。

ところがラッコ先生は笑ってくれます。

しかも、からかうような笑いではなく、「面白いな」と一緒に楽しんでくれているような笑いです。

だからこそ、ちいかわの震えも少しずつ落ち着いていくように見えます。

ここには、とても優しいことが描かれているように思いました。

恥ずかしい失敗をしたかどうかだけで、その出来事の意味は決まりません。

それを見た人がどう受け止めてくれるかによって、失敗は「消したい記憶」にもなれば、「後から笑える思い出」にもなります。

ラッコ先生は、ちいかわの失敗を笑いものにしたのではなく、一緒に笑える出来事に変えてくれたのではないでしょうか。

強くてかっこいいラッコ先生だからこそ、あの満面の笑顔がより印象的です

ラッコ先生は、普段はとても強く、落ち着いていて、ちいかわたちからも尊敬されている存在です。

だからこそ、今回のように心の底から楽しそうに笑っている姿には、大きなギャップがあります。

強い人だからといって、いつも厳しい必要はありません。

むしろ、本当に強い人ほど、誰かのちょっとした失敗を大げさに責めたりせず、一緒に笑って受け止める余裕がある。

今回のラッコ先生には、そんな「強さの中にある柔らかさ」を感じました。

また、これは作品の中で明言されていることではありませんが、私はもう一つ想像しました。

ラッコ先生ほど強く、有名で、尊敬される存在になると、周囲から少し距離を置かれることもあるのではないでしょうか。

「あのラッコ先生だ」

「すごい人だ」

という尊敬が、逆に気軽に接しにくい距離を作ることもありそうです。

だからこそ、ちいかわとうさぎのように、何の計算もなく変な格好で目の前に飛び出してくる存在は、ラッコ先生にとっても新鮮なのかもしれません。

もちろんこれは私の想像にすぎません。

しかし、あのいつも以上に楽しそうな笑顔を見ていると、ラッコ先生自身もこのくだらなくて平和な時間を楽しんでいたのではないか、と考えたくなります。

ハチワレが最後に来ることで、さらに面白くなります

そして、ようやく本来この姿を見せる予定だったハチワレが現れます。

ハチワレは「なになに?」というような様子でやってきます。

しかし、ハチワレからすれば状況がまったく分かりません。

ちいかわとうさぎはメロンの網とシールを身につけています。

ラッコ先生はなぜか大笑いしています。

ちいかわはついさっきまで顔を真っ赤にしていました。

ハチワレだけが、その直前までの流れを知らないのです。

本来はハチワレを笑わせるために準備していたのに、そのハチワレが最後にやってきたときには、すでに別の人が大笑いしている。

この順番がとてもよくできています。

そして私は、ハチワレがこのあと事情を知ったら、きっと想像していた以上に笑うのではないかと思いました。

「僕を驚かせようとしてラッコ先生にやっちゃったの!?」

と笑うハチワレの姿まで何となく想像できます。

そう考えると、ちいかわが最初に思い描いていた「ハチワレを笑わせたい」という目的は、少し違う形になっただけで、結局は叶うのかもしれません。

今回は「何も起こらない回」だからこそ、3人の関係がよく見えます

今回、大きな事件は何も起きません。

敵も出てきません。

危険な目にも遭いません。

メロンが当たり、網をかぶり、ハチワレを驚かせようとし、間違えてラッコ先生の前に出てしまい、みんなで笑う。

文字にすると、それだけです。

それなのに、私はこういう回ほど『ちいかわ』という作品の魅力がよく見えるような気がします。

誰が誰におすそ分けをしたいと思うのか。

誰の前なら変なことができるのか。

誰の前では恥ずかしくなってしまうのか。

失敗した友達の横で、誰が堂々としていてくれるのか。

そして、その失敗を誰が優しく笑ってくれるのか。

こうした小さな行動の積み重ねによって、キャラクター同士の関係が説明されているからです。

「ちいかわとハチワレとうさぎは仲良しです」と言葉で説明するのは簡単です。

でも今回のように、当たったメロンを見た瞬間に3人で食べる姿を想像することや、ハチワレを笑わせるためなら恥ずかしい格好もできることの方が、ずっと強くその友情を感じさせてくれます。

そして、うさぎも「ちいかわが好き」とは言いません。

その代わり、ちいかわに網をかぶせたら、自分もかぶります。

ちいかわが困っても、自分だけ逃げたりしません。

言葉ではなく行動によって関係を見せているところが、この回の大きな魅力だと思いました。

大人になるほど失っていく「くだらないことを一緒に楽しむ時間」

もう一つ、今回を見ながら考えたことがあります。

それは、大人になると、こういう「何の役にも立たない遊び」をする時間が少なくなるということです。

メロンの網を頭にかぶることには、何の意味もありません。

シールをおでこに貼っても、何か得をするわけではありません。

木の陰に隠れて友達を驚かせても、何かが成長するわけでもありません。

でも、すごく楽しそうです。

むしろ、何の役にも立たないからこそ楽しいのかもしれません。

大人になると、時間を使うときにも「何のためになるのか」「意味があるのか」「効率がいいのか」と考えてしまいます。

しかし、ちいかわたちは違います。

メロンの網があった。

面白そうだからかぶった。

ハチワレに見せたら笑いそうだ。

だから待ち伏せした。

それだけです。

この無駄さを全力で楽しめることが、今回の平和さにつながっているように思いました。

そして、そんな無意味なことを一緒にできる友達がいることは、実はとても幸せなことなのかもしれません。

声だけでも気持ちが伝わってくるのがすごいです

今回改めて感じたのは、声の表現の細かさです。

ちいかわやうさぎは、普通の文章として明確に話しているわけではない場面も多いです。

それなのに、声の高さや息の入り方、間の取り方、表情と動きを合わせることで、

「来た!」

「え?」

「どうしよう!」

「そうだぞ!」

という意味が自然に伝わってきます。

特に、ラッコ先生だと気づいた後のちいかわは、声と震えだけでも恥ずかしさが伝わります。

ハチワレを驚かせる直前まであれほど嬉しそうだったのに、ほんの数秒で感情が変化していく。

アニメだからこそ見える表情や動き、そして聞こえる声によって、原作の短いやり取りがさらに立体的になっているように感じました。

ラッコ先生の笑い声も印象的でした。

普段の落ち着いた雰囲気があるからこそ、あれほど長く、心から楽しそうに笑う声が入ることで、今回の場面の温かさが一段と強くなっています。

コメント欄では、ちいかわの優しさとうさぎとの関係、そしてラッコ先生の笑顔に注目する声が多く見られました

今回の動画のコメント欄では、ちいかわが当選したメロンを自分だけのものにせず、真っ先にハチワレとうさぎと一緒に食べる姿を想像していることについて、「幸運をみんなと分けられる子だからこそ、ちいかわは幸運に愛されているように感じる」といった意見が多く見られました。

また、うさぎがちいかわにメロンの網をかぶせるだけでなく、自分も同じ格好をするところから、「うさぎは本当にちいかわのことが好きなのだと思う」「からかうのではなく、一緒にふざけているところがいい」という声も目立ちました。

さらに、うさぎは近づいてきた人物がラッコ先生だと最初から気づいていて、あえてちいかわに知らせなかったのではないかという考察や、ハチワレの前では思い切ってふざけられるちいかわがラッコ先生の前では真っ赤になることから、それぞれとの関係の距離感がよく表れているという意見もありました。

そして何より、ラッコ先生が想像以上に長く楽しそうに笑う姿には大きな反響があり、その笑顔や声の格好よさ、強い人物が見せる柔らかい表情のギャップを喜ぶ声が非常に多かったのも印象的でした。

ほかにも、ちいかわとうさぎの細かな声だけで意味が伝わる演技、メロンそのものではなく網やシールだけでもこれほど楽しめること、そして怖い出来事のない平和な日常回そのものに癒やされたという声も多く見られました。

今回の動画が教えてくれるかもしれないこと

今回のお話を見終わって、私は「幸せは、自分が何を手に入れたかだけでは決まらないのかもしれない」と感じました。

ちいかわはメロンに当選しました。

けれど、ちいかわが一番嬉しそうになるのは、メロンそのものを眺めているときではありません。

ハチワレとうさぎと一緒に食べる姿を想像したときです。

相変わらず幸運を引き当てるちいかわですが、その幸運を自分だけのものにせず、大切な仲間と分け合おうとするところも、ちいかわらしさなのだと思います。

ちいかわにとっては、「当たったこと」そのものよりも、「この嬉しさを誰と一緒に楽しめるか」の方が大切なのかもしれません。

そして、メロンを食べる前から、その網を使って友達と遊び、友達を笑わせようとしています。

つまり、1つの幸運から、さらに別の楽しさを作っています。

うさぎは、そのくだらない遊びに本気で付き合います。

ちいかわが恥ずかしい思いをしたときも、同じ格好のまま堂々と横に立っています。

ラッコ先生は、そんな2人を見て心から笑ってくれます。

そして最後には、本来笑わせたかったハチワレまでやってきます。

こうして見ると、今回のお話には「喜びは人と分けるほど増えていく」という流れがあるように思います。

メロンが1つの幸運だったとしても、その幸運を3人で食べたいと思った瞬間に喜びが広がり、その包装で遊び始めたことでさらに笑いが生まれ、間違えてラッコ先生の前に出てしまったことで、さらにもう1人までその笑いに加わりました。

そしてもう一つ大切なのは、「恥ずかしい自分を見せても大丈夫な相手がいること」なのだと思います。

ハチワレの前ならふざけられる。

うさぎなら一緒にふざけてくれる。

ラッコ先生なら失敗しても優しく笑ってくれる。

そういう人たちに囲まれていること自体が、メロンに当選すること以上の幸運なのかもしれません。

良いことがあったとき、「あの人にも知らせたい」と思える相手がいること。

くだらないことでも、「一緒にやろう」と付き合ってくれる人がいること。

そして失敗したとき、その失敗を嫌な思い出ではなく、一緒に笑える出来事へ変えてくれる人がいること。

もしかすると今回の動画は、幸せとは何かを自分一人で手に入れることではなく、その喜びや失敗や笑いまで誰かと分け合えることによって、もっと大きくなっていくものなのだと教えてくれているのかもしれません。

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