「鳩の迷信実験をした人」だけでは見えてこない――B. F. スキナーは、なぜ行動を測り、オペラント条件づけを研究し、教育・言語・社会へと問いを広げたのでしょうか。その生涯と功績をたどりながら、「行動はなぜ変わるのか」を追い続けた心理学者の姿に迫ります。

「鳩の人」だけでは見えてこない――“行動はなぜ変わるのか”を、生涯かけて確かめ続けた心理学者の物語。
冒頭・代表例
心理学の「迷信行動」について調べていると、何度も名前が出てくる人物がいます。
B. F. Skinner(ビー・エフ・スキナー)。
「鳩の迷信実験をした人」
「スキナーボックスで有名な人」
「オペラント条件づけの心理学者」
として知られています。
でも、スキナーは本当に「鳩の人」だけなのでしょうか?
たとえば、一匹のネズミがレバーを押したあとに餌をもらったとします。
レバーを押す
↓
餌が出る
↓
次からレバーを押す行動が増える
スキナーが研究したかったのは、
「行動のあとに何が起こると、その後の行動はどう変わるのか」
という関係でした。

餌の与え方を変えたら?
餌が出なくなったら?
結果が行動とは無関係に起きたら?
スキナーは、こうした変化を「なんとなく」で説明せず、実験によって測ろうとしました。
1948年(昭和23年)の有名な「鳩の迷信」研究も、その長い研究人生の一部分です。
今回は、
Burrhus Frederic Skinner(バラス・フレデリック・スキナー)が、何を知ろうとし、どのように「行動」を科学として研究した心理学者だったのか
を追いかけていきます。
5秒で分かる結論|B. F. スキナーとは?
B. F. スキナーは、「行動のあとに起きる結果によって、その後の行動がどう変わるのか」を実験的に研究した、20世紀アメリカの心理学者です。
オペラント行動やオペラント条件づけの研究を体系的に発展させ、ネズミや鳩を使った実験だけでなく、教育・言語・社会についても研究しました。
小学生にもスッキリ分かる答え
もっと簡単にいうと、
スキナーは、「どうすると行動が増えたり減ったりするの?」を、とことん調べた人です。
たとえば、
犬がお手をする
↓
おやつをもらう
↓
またお手をする
という経験が続けば、お手をすることが増えるかもしれません。
では、おやつを毎回あげなかったら?
途中からなくしたら?
行動はどう変わるのでしょうか。

スキナーは、
「きっとこうなるだろう」と想像するだけでなく、実際に条件を変えて行動を測ろうとしました。
だからネズミや鳩を研究し、実験装置まで工夫しました。
そして、その研究の中で生まれた有名な仕事の一つが「鳩の迷信」です。
ただし、
スキナー=鳩の迷信を研究した人
だけではありません。
彼が追い続けたのは、
「生き物の行動は、環境との関わりの中でどう変わっていくのか?」
という、もっと大きな問いだったのです。
- 冒頭・代表例
- 5秒で分かる結論|B. F. スキナーとは?
- 小学生にもスッキリ分かる答え
- 1.こんなことありませんか?
- 2.疑問が生まれた物語
- 3.すぐに分かる結論|スキナーは何をした人?
- 4.B. F. スキナーとはどんな人物だったのか
- 5.作家を目指した青年は、なぜ心理学者になったのか
- 6.スキナーは「行動」をどう科学にしようとしたのか
- 7.実験装置まで作った心理学者
- 8.『オペラント行動』とは?
- 9.なぜネズミ、そして鳩だったのか
- 10.第二次世界大戦とProject Pigeon(プロジェクト・ピジョン)
- 11.『鳩の迷信』研究は、スキナーにとって何だったのか
- 12.スキナーの説明は、その後どう見直されたのか
- 13.実験室の外へ
- 14.なぜスキナーは批判されたのか
- 15.それでも、なぜ今もスキナーの名前が残っているのか
- 16.おまけコラム
- 17.さらに学びたい人へ
- 18.まとめ・考察
- 19.疑問が解決した物語
- 20.文章の締めとして
1.こんなことありませんか?
B. F. Skinner(ビー・エフ・スキナー)について調べていると、
「この人、結局何をした心理学者なんだろう?」
と思うことはありませんか?
たとえば――。
「迷信行動を調べていたら、スキナーという名前が出てきた」
「オペラント条件づけを勉強したら、またスキナーが出てきた」
「スキナーボックスって聞いたことはあるけれど、何のための装置なの?」
「鳩の実験をした人だと思っていたら、ネズミの研究まで出てきた」
「さらに調べたら、教育や言語の話まで出てきて、ますます分からなくなった」
そんな経験があるかもしれません。
心理学の教科書や解説では、
operant conditioning(オペラント・コンディショニング/オペラント条件づけ)
reinforcement(リインフォースメント/強化)
Skinner box(スキナー・ボックス)
鳩の「迷信」研究
などと一緒に紹介されることが多いため、
「スキナー=何か一つの有名な実験をした人」
というイメージを持ちやすいのです。
でも、少し調べるだけでも、
作家志望だったこと。
実験装置を工夫したこと。
ネズミや鳩を研究したこと。
第二次世界大戦中に鳩を使った研究へ関わったこと。
教育や言語、人間社会についてまで考えたこと。
と、かなり幅広い人物像が見えてきます。
すると、こんな疑問が浮かびます。
「B. F. スキナーとは、結局“何を知ろうとした心理学者”だったのでしょうか?」
これが、今回の記事の中心となる問いです。
この記事を読み進めると、
スキナーがどんな人物だったのか。
なぜ心理学者になったのか。
なぜ行動を「測る」ことにこだわったのか。
なぜネズミや鳩を研究したのか。
「鳩の迷信」研究が、彼の研究人生の中でどんな意味を持っていたのか。
そして、なぜ今でも心理学でスキナーの名前が登場するのか。
ということが、少しずつつながって見えてきます。
「鳩の実験をした人」から、
「何を問い続けた心理学者だったのか」へ。
ここから、スキナーという人物そのものを見ていきましょう。
2.疑問が生まれた物語
「この人、結局何をした人なんだろう?」
心理学を学び始めた大学生の健太さんは、授業で初めてB. F. Skinner(ビー・エフ・スキナー)の名前を知りました。
最初に聞いたのは、鳩を使った有名な研究でした。
鳩の行動とは関係なく餌が出る状況を作る。
すると、特徴的な反復行動をする鳩が現れた。
スキナーは、それを人間の迷信に似た現象として論じた――。
「へえ、鳩でそんな研究をした人なんだ」
その日は、それくらいの印象でした。
ところが数日後。
別の授業で、
operant conditioning(オペラント・コンディショニング/オペラント条件づけ)
という言葉が出てきます。
そこでも、
「スキナー」
という名前が登場しました。
さらに教科書を読むと、
Skinner box(スキナー・ボックス)
という実験装置まで出てきます。
「あれ? またスキナーだ」
気になった健太さんは、自宅で少し調べてみることにしました。

すると――。
作家を目指していた。
Harvard University(ハーバード・ユニバーシティ/ハーバード大学)で心理学を学んだ。
ネズミや鳩を研究した。
Project Pigeon(プロジェクト・ピジョン)という戦時中の研究にも関わった。
Teaching Machine(ティーチング・マシン/教育機械)を作った。
Verbal Behavior(ヴァーバル・ビヘイビア/言語行動)という本まで書いている。
健太さんは、だんだん混乱してきました。
「鳩の迷信を研究した人じゃなかったの?」
「動物の研究者なの?」
「教育の人なの?」
「言葉についても研究したの?」
検索すればするほど、違う顔のスキナーが出てきます。
そして健太さんは、あることに気づきました。
自分は、
「スキナーが何をしたか」
をいくつか知り始めている。
でも、
「なぜ、それら全部を研究したのか」
は、まだ分かっていない。
鳩。
ネズミ。
実験装置。
教育。
言語。
社会。
一見するとバラバラです。
それなのに、同じ一人の心理学者の研究としてつながっています。
「もしかして、この人には全部につながる一つの大きな疑問があったのかな?」
そう考えると、急にスキナーという人物そのものが気になってきました。
「この人は、一生をかけて何を知ろうとしていたんだろう?」
鳩の実験の答えを知りたいのではありません。
その実験をした人が、
何を考え、
何を疑問に思い、
なぜそこまで「行動」を研究したのか。
健太さんの疑問は、
「鳩はなぜあの行動をしたの?」
から、
「スキナーは、なぜ行動をそこまで研究したの?」
へと変わっていました。
あなたも、誰かの有名な実験だけを知って、
「でも、この人は本当はどんな研究者だったんだろう?」
と思ったことはありませんか?
3.すぐに分かる結論|スキナーは何をした人?
お答えします。
B. F. スキナーは、
「環境や結果が変わると、生き物の行動はどう変わるのか」を、観察と実験によって明らかにしようとした心理学者です。
特に、
ある行動をしたあとに何が起こるかによって、
その行動が増えたり、減ったり、続いたりする仕組みを詳しく研究しました。

その研究の中心にあるのが、
operant behavior(オペラント・ビヘイビア/オペラント行動)
や、
operant conditioning(オペラント・コンディショニング/オペラント条件づけ)
です。
そして、1948年(昭和23年)の「鳩の迷信」研究も、
スキナーが突然迷信だけを調べ始めた研究ではありません。
長く続けてきた「環境と行動の関係」を調べる研究の中で現れた、有名な一場面なのです。
だから、
「スキナー=鳩の迷信を研究した人」
だけでは足りません。
ネズミや鳩を使った実験も、
実験装置を工夫したことも、
教育や言語について考えたことも、
すべての中心には、
「行動は、どのような条件によって変わるのか?」
という問いがありました。
では、その問いはどこから生まれたのでしょうか。
作家を目指していた青年が、
どうして心理学者になり、
なぜ、目に見えない心の働きを推測するだけでなく、観察できる『行動を測ること』を重視するようになったのでしょう。
スキナーの研究を知る前に、
まずはスキナー自身を知るところから始めてみましょう。
一つの行動の“結果”を追い続けた研究者が、どんな人生の“結果”として心理学へたどり着いたのか――ここから一緒に見ていきましょう。
4.B. F. スキナーとはどんな人物だったのか
ここからは、「鳩の迷信を研究した心理学者」というイメージをいったん離れて、B. F. スキナーという一人の人物を見ていきましょう。
B. F. Skinner(ビー・エフ・スキナー)。
正式な名前は、
Burrhus Frederic Skinner(バラス・フレデリック・スキナー)
です。
1904年(明治37年)3月20日生まれ、1990年(平成2年)8月18日没。
アメリカ・ペンシルベニア州のSusquehanna(サスケハナ)という小さな鉄道の町に生まれ、20世紀の心理学、とくに行動分析の発展に大きな影響を与えました。
サスケハナは、ニューヨーク州との州境に近い、小さな鉄道の町でした。
スキナーには弟が一人おり、父親は弁護士、母親は家庭を支える主婦でした。
本人は後に、子ども時代を過ごした家庭について、
温かく、安定した環境だった
と振り返っています。
では、少年時代のスキナーは、どんな子どもだったのでしょうか。
意外にも、このころから心理学に夢中だったわけではありません。
むしろ人物像を知るうえで印象的なのは、
ものを作り、仕組みを考えることが好きな少年だった
ということです。

B. F. Skinner Foundation(ビー・エフ・スキナー財団)の伝記には、少年時代のさまざまな工作が残されています。
たとえば、自分で操縦するカートを作りました。
ところが設計を間違え、ハンドルを切ると予想とは反対方向へ曲がるものになってしまいました。
さらに、
perpetual motion machine(パーペチュアル・モーション・マシン/永久機関)
を作ろうとしたこともあります。
もちろん、永久に動き続ける装置は完成しませんでした。
一方、うまくいった工夫もあります。
友人と森の中に小屋を作ったり、ニワトコの実を売るときには、水に浮かべることで熟した実と未熟な実を分ける仕組みを考えたりしました。
高校時代に靴店で働いたときには、掃除に使う粉を効率よく床へまくための装置まで作っています。
こうしたエピソードから見えてくるのは、
「どうすればうまくいくだろう?」と考え、実際に作って試してみる少年
の姿です。
失敗することもありました。
それでも、
考える。
作る。
試す。
うまくいかなければ、また工夫する。
ということを楽しんでいたようです。
のちにスキナーは、動物の行動を正確に研究するため、さまざまな実験装置や記録装置を工夫するようになります。
もちろん、
「子どものころ工作が好きだったから、後に心理学者になった」
と単純に結びつけることはできません。
それでも、後の研究者スキナーを知ったうえで少年時代を振り返ると、
頭の中だけで考えるのではなく、実際に仕組みを作り、確かめてみる
という姿勢には、どこか通じるものが見えてきます。
スキナーには、もう一つ興味深い一面がありました。
それは、
スキナーには、疑問や反論を受けたとき、自分で資料を読んで確かめようとする一面もありました。
高校時代、英語の授業でWilliam Shakespeare(ウィリアム・シェイクスピア)の『As You Like It(アズ・ユー・ライク・イット/お気に召すまま)』を学んでいたときのことです。
父親から聞いた話をもとにスキナーは、
「この作品を書いたのはShakespeare(シェイクスピア)ではなく、Francis Bacon(フランシス・ベーコン)ではないか」
という趣旨の発言をしました。
先生から「何を言っているのか分かっていない」と指摘されると、そこで終わらず、図書館へ行ってBacon(ベーコン)の著作をかなり読み込んだと伝えられています。
もちろん、これは、
「実際にBacon(ベーコン)がShakespeare(シェイクスピア)の作品を書いた」と証明された話ではありません。
興味深いのは、スキナーが先生に否定されたあと、
「では、自分でも調べてみよう」
と実際に資料へ向かったことです。
B. F. Skinner Foundation(ビー・エフ・スキナー財団)の伝記では、Bacon(ベーコン)が重視した、権威だけに頼らず観察や事実から考える姿勢が、後のスキナーにも役立ったと紹介されています。
後に「観察し、測り、確かめる」ことを重視する心理学者になるスキナーを考えると、少年時代の興味深いエピソードの一つといえるでしょう。
スキナー財団の伝記では、ベーコンが重視した、権威だけに頼らず観察や事実から考えていく姿勢が、後のスキナーにも通じるものとして紹介されています。
ものを作って確かめる。
疑問があれば調べる。
仕組みそのものに興味を持つ。
少年時代のスキナーには、後の研究者を思わせる一面がすでにいくつも見えてきます。
しかし、このころのスキナーが、
「将来は心理学者になろう」
と決めていたわけではありません。
むしろ、若いスキナーが強く惹かれていったのは、
文学の世界
でした。
高校を卒業したスキナーは、
Hamilton College(ハミルトン・カレッジ)
へ進学します。
そして大学を卒業したあと、目指したのは心理学者ではありませんでした。
作家です。
ところが、この夢は思うようには進みません。
そして、その挫折の先で、
スキナーの人生を心理学へ向ける出会いが待っていました。
作家を目指していた青年は、なぜ「行動」を研究する心理学者へと変わっていったのでしょうか。
次は、その大きな転換点を見ていきましょう。
5.作家を目指した青年は、なぜ心理学者になったのか
少年時代から、ものを作り、自分で確かめることが好きだったB. F. Skinner(ビー・エフ・スキナー)。
しかし、若いころの彼が目指していたのは、心理学者ではありませんでした。
本気でなりたかったのは、作家です。

スキナーはHamilton College(ハミルトン・カレッジ)で文学を学び、1926年(大正15年)に卒業しました。
その後は実家へ戻り、作家になることを目指します。
ところが、思うように書くことができません。
スキナー自身は、のちにこの時期を、
dark year(ダーク・イヤー/「暗い一年」)
と呼びました。
この期間に書いたものは十数本ほどの短い新聞記事にとどまり、帆船の模型などを作って過ごすこともあったと伝えられています。
「作家になりたいのに、書けない。」
若いスキナーは、自分が選んだ道で立ち止まっていました。
転機になったのは、数か月間New York City(ニューヨーク・シティ/ニューヨーク市)で書店員として働いた時期でした。
そこでスキナーは、
Ivan Pavlov(イワン・パブロフ)
と、
John B. Watson(ジョン・B・ワトソン)
の著作に出会います。
Pavlov(パブロフ)は条件反射の研究で知られる生理学者。
Watson(ワトソン)は、観察できる行動を心理学の重要な研究対象としたbehaviorism(ビヘイビアリズム/行動主義)を強く打ち出した心理学者です。
スキナーは彼らの研究に強く興味を持ち、
「もっと知りたい」
と思うようになります。
そして1928年(昭和3年)、24歳でHarvard University(ハーバード・ユニバーシティ/ハーバード大学)の心理学へ進みました。
1930年(昭和5年)に修士号、1931年(昭和6年)には心理学の博士号を取得しています。
ハーバード大学では、生理学者William John Crozier(ウィリアム・ジョン・クロージャー)の影響も受けました。
Crozier(クロージャー)は、動物の内部にある見えない仕組みを安易に仮定するより、動物全体の行動と実験条件との関係を調べることを重視していました。
この考え方は、スキナーが進もうとしていた方向とよく合っていました。
作家として人間を描こうとしていた青年は、やがて、
「人や動物は、どのような条件で、なぜそのように行動するのか」
を実験によって調べる研究者へと進んでいったのです。
6.スキナーは「行動」をどう科学にしようとしたのか
心理学へ進んだスキナーが重視したのは、
行動を、観察と実験によって調べること
でした。
たとえば、ネズミがレバーを押したとします。
どのような状況でその行動が起きたのか。
そのあとに何が起きたのか。
条件を変えると、行動はどう変化したのか。
スキナーは、こうした行動と環境との関係を詳しく調べようとしました。

これは、
「きっと餌が欲しかったのだろう」
「そうしたいと思ったからだろう」
と心の中を推測するだけで説明を終えるのとは違います。
スキナーが問い続けたのは、
「では、その行動が生まれ、続いている条件は何なのか?」
というところでした。
この立場は、のちに
radical behaviorism(ラディカル・ビヘイビアリズム/徹底的行動主義)
と呼ばれるようになります。
ただし、
「スキナーは感情や思考を存在しないものとして扱った」
という理解は正確ではありません。
スキナーは、考えることや感じることのように、本人には経験できても他人から直接観察しにくい出来事も研究の外へ完全に追い出したわけではありません。
徹底的行動主義では、そうしたprivate events(プライベート・イベンツ/私的出来事)も含めて、人間に起きている出来事を自然科学の中で考えようとします。
ただ、
「心がそうさせた」
という説明だけで終わらず、
それを含む行動が、どのような環境や経験との関係で生じているのかまで調べようとした
ところに、スキナーの大きな特徴がありました。
7.実験装置まで作った心理学者
「測る」ことへのこだわり
行動を科学として研究するなら、
「増えたように見える」
では足りません。
実際に、どれくらい行動が起きたのかを測る必要があります。
ここで、少年時代からものづくりが好きだったスキナーらしい一面が再び現れます。
ハーバード大学で研究を始めると、スキナーはネズミの行動に合わせて実験装置を次々と工夫しました。
試行錯誤の末に生まれた重要な装置の一つが、
cumulative recorder(キュムラティブ・レコーダー/累積記録器)
です。
この装置では、動物がレバーを押すなどの反応をするたびに、移動する紙の上の記録線が上へ進みます。
反応が速ければ線の傾きは急になり、反応が少なくなれば傾きはゆるやかになります。
つまり、
行動が時間の中でどのくらいの頻度で起きているのかを、目で見える記録にできた
のです。
スキナーが特に重視したのが、
rate of responding(レート・オブ・レスポンディング/反応率)
でした。
簡単にいえば、
一定の時間の中で、その行動がどれくらい起きたのか
を見る指標です。
スキナー財団の資料では、累積記録器について、反応が起こるたびに線が上昇し、その傾きによって反応率を確認できたと説明されています。スキナー自身ものちに、この記録方法によって行動の時間的な変化が「見える」ようになったと振り返っています。
1938年(昭和13年)に出版された、
The Behavior of Organisms(ザ・ビヘイビア・オブ・オーガニズムズ/『生物の行動』)
では、この反応率を重要なデータとして、行動を変化させる条件を研究する体系がまとめられました。
スキナーにとって実験装置は、単なる道具ではありません。
それまで見えにくかった行動の変化を、測れる形にするための“目”のようなものだった
と考えると、彼の研究姿勢が分かりやすくなります。
8.『オペラント行動』とは?
スキナーが見つめた「行動と結果」
では、その装置を使って行動を測ったスキナーは、何に注目したのでしょうか。
重要だったのが、
「行動のあとに起きること」と「その後の行動」との関係
です。
たとえば、ネズミが実験装置の中でレバーを押したとします。
その結果として餌が出る。
こうした関係が続くと、レバーを押す行動の頻度が変化することがあります。
スキナーは、このように環境に働きかけ、その結果との関係によって変化していく行動を捉えるため、
operant(オペラント)
という考え方を研究の基本単位として用いました。
そして、行動とその結果との関係を整えることで行動が変化していく過程を、
operant conditioning(オペラント・コンディショニング/オペラント条件づけ)
として研究していきました。

「パブロフの犬」とは何が違うの?
ここで、
「条件づけというと、“パブロフの犬”も聞いたことがあるけれど、何が違うの?」
と思った方もいるかもしれません。
Ivan Pavlov(イワン・パブロフ)が犬の唾液反応などを使って研究したのは、
classical conditioning(クラシカル・コンディショニング/古典的条件づけ)
と呼ばれる学習です。
たとえば、犬に食べ物を与えると、もともと唾液が出ます。
そこへ、食べ物を与える前に特定の音などを繰り返し提示します。
音
↓
食べ物
↓
唾液が出る
という経験が繰り返されると、それまで唾液とは関係のなかった音だけでも、唾液反応が起こるようになることがあります。
つまり古典的条件づけでは、
「ある刺激と、別の刺激との関係を学習することで、反応が起こる条件が変わる」
ことが重要になります。
一方、スキナーが研究したoperant conditioning(オペラント・コンディショニング/オペラント条件づけ)では、注目する関係が少し違います。
たとえば、
ネズミがレバーを押す
↓
その結果として餌が出る
↓
その後、レバーを押す行動が増える
というように、
「ある行動をしたあとに何が起き、その結果によって、その後の行動がどう変化するのか」
を調べます。
とても簡単に整理すると、
パブロフの古典的条件づけ
→ 刺激どうしの関係によって、反応が起こる条件が変わる
スキナーのオペラント条件づけ
→ 行動とその結果との関係によって、その後の行動が変わる
という違いがあります。
そのため、
「パブロフの犬」と「スキナーのネズミ」は、どちらも「条件づけ」を扱った有名な研究ではありますが、まったく同じ仕組みを研究していたわけではありません。
なお、これは違いをつかみやすくするための基本的な整理です。
実際の生き物の行動では、古典的条件づけとオペラント条件づけが完全に切り離されて起こるとは限りません。
それでもスキナーを理解するうえでは、
「刺激が反応を引き起こす関係」だけでなく、「行動のあとに起きる結果が、その後の行動にどう関わるのか」を詳しく研究した
という違いを押さえておくと、オペラント条件づけがぐっと分かりやすくなります。

ここで大切なのは、
「行動の結果が学習に関係することを、スキナーが世界で初めて発見した」わけではない
という点です。
スキナー以前にも、
Edward L. Thorndike(エドワード・L・ソーンダイク)
などが、行動の結果と学習との関係を研究していました。
スキナーの大きな仕事は、そうした問題をさらに実験的に詳しく調べ、
どのような条件で、行動がどのように変化するのかを継続的に測定できる研究体系へ発展させたこと
にあります。
1938年(昭和13年)のThe Behavior of Organisms(ザ・ビヘイビア・オブ・オーガニズムズ/『生物の行動』)では、operant(オペラント)を行動研究の基本単位として定め、反応率を主要なデータにしながら、行動がどのような変数によって変わるのかを明らかにする研究計画を示しました。
ここまで見ると、
「スキナー=鳩の迷信を研究した人」
という最初のイメージとは、かなり違って見えてきます。
彼が長く追いかけていたのは、
生き物の行動と、その行動を取り巻く条件との関係を、実際に測って確かめること
でした。
そして、この研究を進めていくなかで、ネズミだけでなく鳩も重要な研究対象になっていきます。
なぜスキナーは動物を使ったのでしょうか。
そして、なぜ数ある動物の中で「鳩」が、彼の名前とこれほど強く結びつくことになったのでしょうか。
次は、スキナーとネズミ、そして鳩との関係を見ていきましょう。
9.なぜネズミ、そして鳩だったのか
ここまで、スキナーが行動を「観察するだけ」でなく、実際に測ろうとしていたことを見てきました。
その研究で、初期から重要な役割を果たしたのがネズミです。
スキナーは、実験条件を変えたときに行動がどう変化するのかを詳しく調べるため、ネズミの反応を継続的に記録しました。
1938年(昭和13年)の
The Behavior of Organisms(ザ・ビヘイビア・オブ・オーガニズムズ/『生物の行動』)
も、こうした研究の成果をまとめたものです。
しかし、第二次世界大戦の時期を境に、スキナーにとってもう一つ重要な実験動物が登場します。
鳩です。
B. F. Skinner Foundation(ビー・エフ・スキナー財団)の伝記によると、スキナーは鳩について、ネズミより速いペースで反応するため、新しいcontingency(コンティンジェンシー/随伴性)が行動に与える影響を、より速く調べられる利点があったとしています。

ここでいう随伴性とは、簡単にいえば、
「どんな行動のあとに、どんな出来事が起こるのか」
という関係です。
そしてProject Pigeon(プロジェクト・ピジョン)の研究以降、スキナーは鳩を主要な研究対象として使うようになり、財団の伝記では、その後ネズミを使った研究には戻らなかったと記されています。
では、なぜ戦争が、心理学者スキナーと鳩をこれほど強く結びつけることになったのでしょうか。
そこには、スキナーの研究人生でも特に異色の出来事がありました。
10.第二次世界大戦とProject Pigeon(プロジェクト・ピジョン)
第二次世界大戦中、スキナーはUniversity of Minnesota(ユニバーシティ・オブ・ミネソタ/ミネソタ大学)で教えていました。
戦争では、爆弾や誘導兵器を目標へ正確に導く方法が大きな課題になっていました。
そこでスキナーが考えたのが、
訓練した鳩の行動を、兵器の誘導に利用する
という驚くような計画でした。
Project Pigeon(プロジェクト・ピジョン)です。
スキナーは、鳩に船などの標的の像をつつくよう訓練しました。
B. F. Skinner Foundation(ビー・エフ・スキナー財団)には、標的が動いても鳩がそれを追ってつつく訓練映像が残されています。
Smithsonian Institution(スミソニアン・インスティテューション/スミソニアン協会)には、スキナーが関わった鳩誘導兵器のnose cone(ノーズ・コーン/先端部分)の試作品も保存されています。
そこには3つの区画があり、それぞれに鳩を入れ、窓に映る標的をつつかせる構想になっていました。
「本当に鳩がそんな状況で働けたの?」
と思うかもしれません。
スキナー財団の伝記によると、訓練された鳩は、急速に落下する状況や戦場を想定した騒音の中でも標的をつつき続けました。
それでも、この計画が第二次世界大戦で実用兵器として採用されることはありませんでした。
Project Pigeon(プロジェクト・ピジョン)は中止され、試作品は実用化には至りませんでした。
しかし、スキナーにとって、この経験には別の意味がありました。
それまで実験室で研究してきた行動の原理が、
現実の課題に応用できるかもしれない
と実感したことです。
スキナーは後に、The Behavior of Organisms(ザ・ビヘイビア・オブ・オーガニズムズ)で行っていた研究が、単なるexperimental analysis(エクスペリメンタル・アナリシス/実験的分析)だけではなく、technology(テクノロジー/技術)を生み出し得るものとして見えるようになった、と振り返っています。
これは、後のスキナーを理解するうえでも重要です。
彼はやがて、行動研究を動物実験だけにとどめず、教育や人間社会にも広げていきます。
Project Pigeon(プロジェクト・ピジョン)は、奇抜な戦時中のエピソードというだけではなく、
「行動の科学を現実世界に応用できないか」と考えるスキナーの一面
がよく表れた研究でもあったのです。
そして戦争が終わったあとも、鳩はスキナーの重要な研究対象として残りました。
そこから1948年(昭和23年)、心理学の「迷信行動」を語るときに現在でも登場する、有名な論文が生まれます。
11.『鳩の迷信』研究は、スキナーにとって何だったのか
1948年(昭和23年)、スキナーは
“‘Superstition’ in the Pigeon”(スーパースティション・イン・ザ・ピジョン/「鳩における『迷信』」)
という論文をJournal of Experimental Psychology(ジャーナル・オブ・エクスペリメンタル・サイコロジー/『実験心理学雑誌』)に発表しました。
この研究は、「鳩が変わった動きをした実験」として紹介されることがあります。
しかし、スキナーという人物を知るために重要なのは、
鳩がどんな動きをしたかよりも、スキナーがその行動をどう説明しようとしたのか
という点です。
実験では8羽の鳩に、鳩自身の行動とは関係なく、一定の間隔で餌が提示されました。
すると8羽のうち6羽に、旋回する、頭や体を特徴的に動かすなど、はっきりした反復行動が観察されました。
重要なのは、
その行動をしたから餌が出たわけではない
ということです。
餌は、鳩が何をしていても予定されたタイミングで提示されます。
それでもスキナーは、鳩がたまたま何かをしている直後に餌が現れることで、その行動が繰り返されるようになる可能性を考えました。
そして論文では、鳩が、
自分の行動と餌の提示との間に因果関係があるかのように振る舞った
と説明しています。
ここで、
「スキナーは、鳩にも人間と同じ迷信の信念があると証明した」
と考えるのは正確ではありません。
実際に観察されたのは、鳩の行動です。
鳩が人間と同じように、
「この動きをすれば餌が出る」
と考えていたことを確認したわけではありません。
むしろ、この研究に表れているのは、ここまで見てきたスキナーらしい研究のしかたです。
「鳩は何を考えているのだろう?」
という推測だけで終わらず、
餌をいつ提示したのか。
そのとき鳩は何をしていたのか。
その後、どんな行動が繰り返されたのか。
条件を変えると、その行動はどう変化したのか。
という、環境と観察可能な行動との関係から現象を説明しようとしたのです。
つまり、「鳩の迷信」研究は、スキナーの研究人生の中に突然現れた珍しい実験ではありません。
少年時代からの「実際に確かめる」という姿勢。
行動を測ろうとした研究方法。
オペラント行動への関心。
行動と、そのあとに起きる出来事との関係。
それらの延長線上にあった研究の一つでした。
だからこそ、心理学の迷信行動を調べると、B. F. スキナーという名前にたどり着きます。
しかし同時に、ここまで彼の人生をたどってくると、
「鳩の迷信を研究した人」という一言だけでは、スキナーという心理学者を説明しきれない
ことも分かってきます。
そして、この1948年(昭和23年)の説明も、心理学の最終回答になったわけではありません。
その後の研究者たちは、
「本当に、偶然に餌が続いたことだけで、これらの行動を説明できるのだろうか?」
とスキナーの解釈そのものを調べ直していきます。
有名な研究だから正しいと、そのまま受け入れるのではない。
実験を繰り返し、別の説明がないかを確かめる。
次は、スキナーの「鳩の迷信」が、その後の研究によってどのように問い直されていったのかを見ていきましょう。
12.スキナーの説明は、その後どう見直されたのか
1948年(昭和23年)の「鳩の迷信」研究で、スキナーは、鳩の行動とは無関係に餌が与えられていても、たまたま餌の直前に起きた行動が強められることがあると考えました。
しかし、この説明がそのまま心理学の最終回答になったわけではありません。
大きな転機となったのが、1971年(昭和46年)の研究です。
John E. R. Staddon(ジョン・E・R・スタドン)とVirginia L. Simmelhag(ヴァージニア・L・シメルハグ)は、スキナーの研究を改めて検討し、餌が与えられるまでの時間の中に、異なる種類の行動が規則的に現れることを報告しました。
彼らは、
interim activities(インタリム・アクティビティーズ/中間活動)
と、
terminal response(ターミナル・レスポンス/終末反応)
を区別しました。
これは、
「たまたま餌の直前にした行動が強化された」だけでは、観察された行動のすべてを説明できないのではないか
という問題を提起するものでした。
その後も研究は続きます。
2020年(令和2年)の研究では、鳩だけでなくキジバトの仲間やニワトリなどを比較し、反応とは無関係に餌が与えられる状況では、その動物の種類に特徴的な餌探し・採食行動が重要である可能性が示されました。
さらに2023年(令和5年)のレビューでも、スキナーが考えた偶然の強化だけではなく、餌が出る前の刺激や、オペラント条件づけとは別の行動機能などを含めて考える必要があると整理されています。
では、
「スキナーは間違っていた」
で終わるのでしょうか。
そうではありません。
科学では、
仮説を立てる。
実験する。
別の研究者が確かめる。
説明できない部分が見つかれば、別の仮説を考える。
ということが繰り返されます。
スキナーの説明が後の研究によって問い直されたこと自体が、科学が前へ進んだ証拠でもあります。
スキナーを「すべて正しかった偉人」と考える必要はありません。
同時に、後に修正されたからといって、その研究の価値がなくなるわけでもありません。
後の研究者たちが何十年にもわたって確かめ直すほど重要な問いを残したこと。
そこにも、科学者としてのスキナーの大きさが表れています。
13.実験室の外へ
教育・言語・社会にまで広がった研究

スキナーの研究は、ネズミや鳩の実験だけでは終わりませんでした。
むしろ後半の研究人生では、
「行動について分かったことを、人間の生活にどう生かせるのか」
という問題へ大きく広がっていきます。
1948年(昭和23年)には、
Walden Two(ウォールデン・ツー)
という小説を出版しました。
そこに描かれたのは、行動科学の考え方を教育、仕事、子育てなどに取り入れた架空の共同体です。
スキナーはすでに、
個人の行動だけでなく、人が暮らす環境そのものをどう設計するか
という問題を考え始めていました。
1953年(昭和28年)には、
Science and Human Behavior(サイエンス・アンド・ヒューマン・ビヘイビア/『科学と人間行動』)
を出版し、行動科学の考えを人間や社会へ本格的に広げます。
同じ1953年(昭和28年)11月11日には、娘の小学4年生の算数授業を見学しました。
そこでスキナーが気になったのは、
理解できていない子も、すぐ解ける子も、同じ問題を同じペースで進めていること。
さらに、問題を解いても、正しかったかどうかがすぐには分からないことでした。
「一人の先生が20人、30人の子ども一人ひとりに、すぐに反応を返すのは難しい。」
そう考えたスキナーは、その日の午後に最初の
Teaching Machine(ティーチング・マシン/教育機械)
を作りました。
その後、
programmed instruction(プログラムド・インストラクション/プログラム学習)
へと発展させ、内容を小さな段階に分け、学習者が実際に答え、すぐにfeedback(フィードバック)を受けながら自分のペースで進む方法を研究しました。
1957年(昭和32年)には、
Verbal Behavior(ヴァーバル・ビヘイビア/『言語行動』)
を出版します。
ここでは「話す」「書く」などの言語も、人間だけが持つ説明不能な能力として切り離すのではなく、行動として分析できないかと考えました。
そして1968年(昭和43年)には、
The Technology of Teaching(ザ・テクノロジー・オブ・ティーチング/『教育の技術』)。
1971年(昭和46年)には、
Beyond Freedom and Dignity(ビヨンド・フリーダム・アンド・ディグニティ/『自由と尊厳を超えて』)
を発表します。
ネズミのレバー押しから始まった問いは、
教育へ。
言語へ。
そして社会へ。
スキナーは、
「行動を生み出している条件を理解できるなら、人間が暮らす環境もよりよいものにできるのではないか」
と考えるところまで進んでいきました。
しかし――。
研究が人間や社会という大きな問題へ広がれば広がるほど、
スキナーの考えは激しい議論を呼ぶことになります。
14.なぜスキナーは批判されたのか
スキナーは、心理学史に大きな影響を与えた一方で、強い批判を受けた人物でもあります。
代表的なのが、言語をめぐる論争です。
1957年(昭和32年)のVerbal Behavior(ヴァーバル・ビヘイビア/『言語行動』)に対し、1959年(昭和34年)、言語学者Noam Chomsky(ノーム・チョムスキー)が批判的な書評を発表しました。
Chomsky(チョムスキー)は、動物実験などで使われてきた刺激、反応、強化といった概念を人間の言語へ広げても、人間がこれまで聞いたことのない表現を生み出したり理解したりする、言語の豊かさを十分に説明できないと批判しました。
この論争は非常に有名ですが、
「チョムスキーがスキナーを完全に論破して、それで終わった」
と考えるのも単純すぎます。
その後、行動分析側からチョムスキーの批判に対する反論も行われ、Skinner(スキナー)のverbal behavior(ヴァーバル・ビヘイビア/言語行動)をもとにした研究も現在まで続いています。
もう一つ大きな議論になったのが、
「自由」や「人間らしさ」をどう考えるのか
という問題です。
スキナーは、人間の行動を「本人の内側にある自由な意志」だけで説明することに批判的でした。
人は、これまで経験してきたことや、現在置かれている環境から大きな影響を受けています。
ならば、
「なぜそんなことをしたのか」
と本人だけを責めるのではなく、
「どのような環境が、その行動を生み出しているのか」
まで考える必要がある。
この考えを社会にまで広げたのが、1971年(昭和46年)のBeyond Freedom and Dignity(ビヨンド・フリーダム・アンド・ディグニティ/『自由と尊厳を超えて』)でした。
しかし当然、
「人間を環境に動かされる存在として見すぎていないか」
「自由や主体性を軽視しているのではないか」
「誰が“よりよい環境”を決めるのか」
という疑問も生まれます。
つまりスキナーは、単に動物の学習について研究しただけではありません。
研究を人間や社会へ広げたことで、
「人間とは何か」
という心理学の根本的な問題にまで踏み込んだのです。
だからこそ、高く評価されると同時に、強く批判された人物でもありました。
15.それでも、なぜ今もスキナーの名前が残っているのか
ここまで見てきたように、スキナーの説明には後から見直されたものがあります。
言語や自由についての考えにも、大きな批判がありました。
それでも、
B. F. Skinner(ビー・エフ・スキナー)の名前は、現在も心理学や行動分析を学ぶと繰り返し登場します。
大きな理由の一つは、
行動を実際に測り、条件を変え、その変化を確かめる研究を体系的に発展させたこと
です。
operant behavior(オペラント・ビヘイビア/オペラント行動)。
reinforcement(リインフォースメント/強化)。
reinforcement schedule(リインフォースメント・スケジュール/強化スケジュール)。
extinction(イクスティンクション/消去)。
こうした概念を使いながら、
「どのような条件で行動がどう変化するのか」
を実験によって明らかにする研究を大きく発展させました。
1957年(昭和32年)にはCharles B. Ferster(チャールズ・B・ファースター)と、
Schedules of Reinforcement(スケジュールズ・オブ・リインフォースメント/『強化スケジュール』)
を出版し、強化が与えられる規則と行動との関係を詳細にまとめています。
さらに、その研究から育ったbehavior analysis(ビヘイビア・アナリシス/行動分析)は、実験研究だけでなく、教育や臨床、社会のさまざまな場面へ広がっていきました。
現在のapplied behavior analysis(アプライド・ビヘイビア・アナリシス/応用行動分析)を含む今日の行動分析すべてをスキナー一人が作ったわけではありません。
しかし、
実際の行動を測り、環境との関係を分析する
という研究の基盤を築いた中心人物の一人だったことは間違いありません。
1990年(平成2年)8月、亡くなる10日前にはAmerican Psychological Association(アメリカン・サイコロジカル・アソシエーション/アメリカ心理学会)で最後の講演を行い、同年、同学会から最初のAward for Outstanding Lifetime Contributions to Psychology(アワード・フォー・アウトスタンディング・ライフタイム・コントリビューションズ・トゥ・サイコロジー/心理学への卓越した生涯貢献賞)を受けています。
スキナーが残したすべての答えが、現在もそのまま受け入れられているわけではありません。
それでも彼は、
「行動について語るだけではなく、実際に測って確かめる」
という研究を徹底しました。
そして、その研究を、
ネズミから鳩へ。
実験室から教育へ。
言語へ。
社会へ。
と広げていきました。
一つの有名な「鳩の迷信」実験だけでは見えてこなかったスキナーの姿が、ここまで来るとかなりはっきりしてきます。
スキナーが心理学に残したものは、一つの答えではありません。
むしろ、
「行動はなぜ変わるのか。それを、どうすれば科学として確かめられるのか」
という問いを、後の研究者が検証し、批判し、発展させられる形で残したこと。
そこに、B. F. スキナーが現在も心理学史の重要人物として名前を残している大きな理由があるのです。
16.おまけコラム
「鳩の人」だけじゃない!B. F. スキナーの意外な人物像を比べてみよう

ここまでB. F. Skinner(ビー・エフ・スキナー)の人生と研究をたどってきました。
最初は、
「鳩の迷信実験をした心理学者」
というイメージだった方もいるかもしれません。
でも、一人の人間として見てみると、スキナーには意外な一面や、今も残る誤解があります。
ここでは少し視点を変えて、
「なんとなく持ちやすいスキナーのイメージ」と「実際の人物像」
を比べてみましょう。
| こんなイメージがあるかも? | 資料から見えてくるスキナー |
|---|---|
| ① 最初から心理学者を目指していた? | いいえ。若いスキナーが本気で目指していたのは作家でした。大学卒業後に作家を目指して思うように書けない時期を経験し、書店員として働いていたころにIvan Pavlov(イワン・パブロフ)やJohn B. Watson(ジョン・B・ワトソン)の著作と出会ったことが、心理学へ進む大きな転機になりました。 |
| ② 理論ばかり考える「机の上の学者」だった? | むしろ、自分で作って試すことが好きな人物でした。少年時代からさまざまな工作をし、研究者になってからも実験装置を次々と工夫しています。cumulative recorder(キュムラティブ・レコーダー/累積記録器)も、その代表例です。 |
| ③ 「スキナーボックス」で自分の娘を実験した? | これは有名な誤解です。スキナーは第二子Deborah(デボラ)のために、温度を調整できるBaby Tender(ベビー・テンダー)というベッドを作りましたが、これは動物実験用のSkinner box(スキナー・ボックス)とは別物です。B. F. Skinner Foundation(ビー・エフ・スキナー財団)は、スキナーが自分の子どもを実験対象にしたことはないと明記しています。 |
| ④ 「心」や「感情なんて存在しない」と考えていた? | これも単純化しすぎた理解です。スキナーのradical behaviorism(ラディカル・ビヘイビアリズム/徹底的行動主義)は、思考や感情のように本人にしか直接経験しにくい出来事を無視したわけではありません。そうしたprivate events(プライベート・イベンツ/私的出来事)も含めて、なぜそれが生じるのかを行動と環境の関係から考えようとしました。 |
| ⑤ 昔の有名な実験だけを残した心理学者? | スキナーは晩年まで研究活動を続けました。1989年(平成元年)に白血病と診断されたあとも活動を続け、亡くなる10日前にはAmerican Psychological Association(アメリカン・サイコロジカル・アソシエーション/アメリカ心理学会)で講演しています。そして1990年(平成2年)8月18日、亡くなったその日にも、その講演をもとにした論文を仕上げていました。 |
こうして見ると、
「鳩の迷信実験をした人」
という一言だけでは、かなり違った人物像になってきます。
作家になろうとして行き詰まった青年。
子どものころから、ものを作ることが好きだった少年。
娘のために新しいベッドまで作った父親。
実験装置を工夫し続けた研究者。
そして、亡くなる直前まで心理学について考え、文章を書き続けた人物。
スキナーは、最初から「有名な心理学者」として完成されていたわけではありません。
失敗した工作もありました。
作家になる夢も思うようには進みませんでした。
自分の研究は強く批判され、1948年(昭和23年)の「鳩の迷信」の説明も、後の研究によって問い直されました。
それでも、
疑問を持つ。
実際に試す。
結果を見る。
そして、また考える。
この姿勢は、少年時代から晩年まで、スキナーという人物を見る一つの手がかりになります。
もちろん、
「少年時代の工作好きだったから、心理学者として成功した」
という単純な因果関係が証明されているわけではありません。
それでも、一人の人物の人生として眺めてみると、
“考えるだけではなく、自分で確かめてみる”
という姿勢が、何度も顔を出していることに気づきます。
「鳩の人」。
「スキナーボックスの人」。
「オペラント条件づけの人」。
どれもスキナーの一部分ではあります。
でも、ここまでその人生をたどってきた今なら、もう少し違った言葉でも表せるのではないでしょうか。
B. F. スキナーは、「行動のなぜ?」を、実際に確かめる方法を探し続けた人だった。
そう考えると、100年以上前に生まれた心理学者が、少し身近な一人の人間として見えてくるのではないでしょうか。
17.さらに学びたい人へ
スキナーと行動分析をもっと知る3冊
ここまで読んで、
「B. F. スキナーについて、もう少し知りたい」
「オペラント条件づけや行動分析を、本でも学んでみたい」
と思った方もいるかもしれません。
そこで最後に、今回の記事からもう一歩先へ進みたい方に向けて、日本語で読める本を3冊紹介します。
難しい専門書をたくさん並べるのではなく、
初めて読むならどれか。
もう少し本格的に学ぶならどれか。
スキナー本人の考えを知るならどれか。
という基準で選びました。
初学者向け
『メリットの法則 行動分析学・実践編』奥田健次
「まずは難しい理論より、身近な例から知りたい」という方におすすめです。
「どうして同じ行動を繰り返してしまうの?」
「叱られているのに、なぜやめないの?」
といった日常の疑問を、行動分析学の視点から考えていきます。
ダイエット、恋愛、不安、日常の習慣など身近な例が多く、
「行動のあとに何が起きているのかを見る」
という、今回の記事で紹介したスキナーにつながる考え方を実生活から理解しやすい一冊です。
全体におすすめ
『行動分析学入門――ヒトの行動の思いがけない理由』杉山尚子
今回の記事を読んだあとに最初の一冊を選ぶなら、特におすすめしたい本です。
行動分析学とは何か。
行動はどう変わるのか。
人の行動をどう考えるのか。
という基本から始まり、
スキナーの思想やexperimental analysis of behavior(エクスペリメンタル・アナリシス・オブ・ビヘイビア/実験的行動分析)、verbal behavior(ヴァーバル・ビヘイビア/言語行動)まで扱っています。
「このブログで知ったスキナーを、行動分析学という大きな世界につなげたい」
という方に向いています。
中級者向け
『スキナーの徹底的行動主義――20の批判に答える』B. F. スキナー
「解説ではなく、スキナー本人はどう考えていたの?」
というところまで知りたくなったら、この一冊です。
内容は、
行動の原因、
オペラント行動、
知覚、
言語行動、
思考、
感情、
自己、
行動の制御
など、かなり広い範囲に及びます。
とくに、
「スキナーは心や感情を無視した心理学者なの?」
という今回の記事でも触れた疑問を、本人の考えからもう一段深く理解したい方に向いています。
そのぶん、最初の一冊としては少し難しめです。
まず『行動分析学入門』などで基本を知り、そのあとに読むと、スキナーが何を主張し、何を批判されていたのかがずっと見えやすくなるでしょう。
この3冊を難易度順に並べるなら、
身近な例から知る
→『メリットの法則』
行動分析学全体を学ぶ
→『行動分析学入門』
スキナー本人の思想まで読む
→『スキナーの徹底的行動主義』
という順番がおすすめです。
一つのブログ記事でスキナーのすべてを理解することはできません。
でも、
「鳩の迷信を研究した人だった」
という入口から、
「行動を科学として研究した人だった」
へ進み、
さらに本を通して、
「では、その考え方は現在の行動分析にどうつながっているのだろう?」
と疑問が広がっていけば、スキナーという心理学者はさらに面白く見えてくるはずです。
18.まとめ・考察
スキナーを知ると、自分の行動の見え方が少し変わる
ここまで、B. F. Skinner(ビー・エフ・スキナー)の人生と研究をたどってきました。
作家を目指していた青年。
ものづくりが好きだった研究者。
ネズミや鳩の行動を測り続けた心理学者。
第二次世界大戦中のProject Pigeon(プロジェクト・ピジョン)。
1948年(昭和23年)の「鳩の迷信」研究。
そして、教育・言語・社会にまで広がっていった行動への問い。
こうして振り返ると、スキナーが一生をかけて追い続けたものは、意外なほどシンプルだったように見えます。
「なぜ、その行動は起きるのだろう?」
ただしスキナーは、その答えを「性格だから」「本人がそうしたかったから」だけで終わらせませんでした。
その行動の前に何があったのか。
行動したあとに何が起きたのか。
これまで、どんな経験をしてきたのか。
環境を変えると、行動はどう変わるのか。
そうやって、行動を本人だけの問題にせず、周りとの関係の中から見ようとしたところに、スキナーの研究の面白さがあります。
こんな経験はありませんか?
勉強を始めようと思っていたのに、スマートフォンを手に取ったら、そのまま30分たっていた。
何となくSNSを開いたら面白い投稿があり、それ以来、暇になるたびに開くようになった。
仕事や勉強を終えたあとに好きなお菓子を食べる習慣をつけたら、以前より取りかかりやすくなった。
「このペンを使った日はうまくいった」と感じて、試験の日になると同じペンを持っていきたくなった。
私たちはつい、
「自分は意志が弱いから」
「クセだから仕方がない」
と考えてしまいます。
でも、スキナーの視点を少し借りてみると、
「この行動のあとには、いつも何が起きているだろう?」
という別の疑問が生まれます。
SNSを開いたあと、面白い情報が見つかる。
勉強したあと、好きなことをする。
ある物を使った日に、たまたま良い結果が起きる。
そうした小さな「結果」が、知らないうちに次の行動と結びついているかもしれません。
これは、すべての行動をオペラント条件づけだけで説明できる、という意味ではありません。
人間の行動には、感情、記憶、身体、文化、人間関係など、さまざまな要因が関わっています。
それでも、
「本人の性格だけを見るのではなく、行動を取り巻く条件も見てみる」
というスキナーの視点は、日常生活でも役立つ考え方ではないでしょうか。
さらに興味深いのは、スキナー自身の人生にも「環境との出会いによって行動が変わる」という物語が見えてくることです。
作家を目指した。
うまくいかなかった。
書店でPavlov(パブロフ)やWatson(ワトソン)の著作に出会った。
心理学へ進んだ。
実験を重ねた。
批判された。
それでも研究を続けた。
もちろん、スキナー自身の人生を彼の理論だけで説明することはできません。
けれど、
人は最初から完成された道を歩くのではなく、経験や環境との出会いによって次の行動を変えながら生きていく
と考えると、少し面白く見えてきます。
人生もまた、一つの原因だけから生まれるものではないのかもしれません。
そして、スキナーから学べるもう一つのことがあります。
「有名な説だから、そこで考えるのをやめない」
という姿勢です。
1948年(昭和23年)の鳩の「迷信」についての説明も、後の研究によって再検討されました。
それはスキナーの価値をなくしたというより、
「本当にそうなのか?」
と次の研究者が問い続けられる研究を残したということでもあります。
科学とは、正しい答えを一度だけ見つけて終わるものではありません。
問い、確かめ、疑い、また確かめる。
その積み重ねによって、少しずつ理解を深めていくものです。
もしかすると、スキナーが残した最も興味深いものは、一つの理論だけではなく、
「行動を見たときに、もう一度『なぜ?』と問い直す視点」
なのかもしれません。
あなたにも、なぜか繰り返している行動はありませんか?
ついスマートフォンを開く。
同じ順番で準備をする。
ある言葉を言われると頑張れる。
決まった物がないと少し不安になる。
そんなとき、
「私はどうしてこうなんだろう?」
だけではなく、
「この行動の前と後には、何が起きているだろう?」
と考えてみてください。

いつもの自分の行動が、少し違ったものに見えてくるかもしれません。
そして、もし変えたい行動があるなら、
「自分を変えなければ」と考える前に、「行動が起きやすい環境を変えられないだろうか?」
と問い直してみる。
それも、B. F. スキナーという心理学者から現代の私たちが受け取れる、一つの実践的なヒントなのではないでしょうか。
19.疑問が解決した物語
「なるほど……スキナーって、“鳩の人”じゃなかったんだ」
記事を読み終えた健太さんは、最初にB. F. Skinner(ビー・エフ・スキナー)の名前を知ったときのことを思い出していました。
あのときは、
「鳩の迷信を研究した心理学者」
という印象しかありませんでした。
ところが、少しずつ人物像をたどっていくと、見えてきたものはまったく違いました。
作家を目指していたこと。
ものづくりが好きだったこと。
行動を正確に測るために、実験装置まで工夫したこと。
operant conditioning(オペラント・コンディショニング/オペラント条件づけ)の研究を体系的に発展させたこと。
第二次世界大戦中にはProject Pigeon(プロジェクト・ピジョン)に取り組んだこと。
そして、その後は教育や言語、人間社会にまで研究を広げていったこと。
健太さんが最初に感じた、
「この人、結局何をした人なんだろう?」
という疑問にも、ようやく答えが見えてきました。
スキナーが研究していたものは、バラバラではなかったのです。
ネズミも。
鳩も。
実験装置も。
教育も。
言語も。
その中心には、
「生き物の行動は、どのような条件によって変わるのか?」
という問いがありました。
「だから、鳩の迷信研究にもスキナーが出てきたんだ」
健太さんは、ようやく納得しました。
鳩の研究だけをしていたからではありません。
もともと行動と環境との関係を長く研究していたスキナーが、その延長線上で「迷信のように見える行動」を取り上げたのです。
そして、もう一つ大きく変わったことがありました。
以前の健太さんは、心理学者について調べるとき、
「この人は何を発見したのか?」
ばかりを見ていました。
でも今は、少し違います。
「この人は、何を疑問に思っていたんだろう?」
「どうやって、その答えを確かめようとしたんだろう?」
と考えるようになりました。
有名な実験だけを知ることと、その研究者を理解することは同じではありません。
さらに、
「昔の有名な研究だから正しい」
とそのまま受け入れることも、科学を知ることとは少し違います。
スキナーの1948年(昭和23年)の「鳩の迷信」の説明も、後の研究によって問い直されました。
それを知った健太さんは、
「じゃあ、スキナーは間違っていたんだ」
とは思いませんでした。
むしろ、
「一つの研究から次の疑問が生まれて、それを別の研究者がまた確かめていくんだ」
と感じました。
心理学は、偉い人が一度答えを出して終わる学問ではない。
問いを立て、
確かめ、
疑い、
また確かめる。
その積み重ねで、少しずつ理解を深めていくものなのだと分かってきたのです。
そして翌日。
健太さんは、授業のノートに小さく一つの言葉を書き加えました。
「何をした人か、だけではなく、何を問い続けた人なのかを見る。」

それは、スキナーを調べたことで得た、健太さんなりの新しい人物の見方でした。
さらに日常でも、
「自分はどうしてこんなことを繰り返すんだろう」
と思ったとき、すぐに
「自分の性格だから」
と決めつけるのではなく、
「この行動の前と後には、何が起きているだろう?」
と考えてみるようになりました。
すぐに答えが見つかるわけではありません。
でも、行動を少し離れたところから眺めてみるだけでも、以前とは違う見え方がすることがあります。
スキナーの研究を知ったことで、健太さんが手に入れたのは、
「鳩の迷信実験についての知識」
だけではありませんでした。
人の行動を見たときに、もう一度「なぜ?」と問い直してみる視点
だったのです。
あなたなら、B. F. スキナーという人物を知ったあと、自分や周りの人の行動をどんなふうに見てみたいですか?
もしかすると、これまで「性格だから」「クセだから」と思っていた行動の中にも、
まだ気づいていない「前」と「後」の関係が隠れているかもしれません。
20.文章の締めとして

B. F. Skinner(ビー・エフ・スキナー)の名前を最初に知ったとき、
「鳩の迷信実験をした心理学者」
という印象しかなかった方もいるかもしれません。
けれど、その人生をたどってみると、見えてきたのは一つの実験だけではありませんでした。
作家を夢見た青年。
ものづくりが好きだった少年。
行動を測るために装置を工夫した研究者。
戦争の中でも鳩の行動を研究し、
その後は教育や言語、社会にまで問いを広げていった心理学者。
そして、自分の考えが批判され、後の研究によって問い直されても、行動について考え続けた一人の人間でした。
心理学の歴史に残る人物というと、私たちはつい、
「何を発見した人なのか」
「どんな理論を残した人なのか」
という答えを探したくなります。
でも、一人の研究者を知る面白さは、それだけではないのかもしれません。
その人は、
何を不思議だと思ったのか。
なぜ、その疑問を放っておけなかったのか。
そして、どうやって確かめようとしたのか。
そこまで見ていくと、昔の教科書に載っている名前が、少しずつ一人の人間として見えてきます。
スキナーが出した答えのすべてが、現在もそのまま正しいと考えられているわけではありません。
それでも彼が残した問いは、今も続いています。
「行動は、なぜ変わるのだろう?」
「私たちは、何によって行動しているのだろう?」
「その答えを、どうすれば確かめられるのだろう?」
もしかすると、心理学を学ぶということは、有名な理論を覚えることだけではなく、
これまで当たり前に見ていた人の行動に、もう一度『なぜ?』と問いかけてみること
なのかもしれません。

補足注意
本記事は、B. F. Skinner(ビー・エフ・スキナー)の人物像や研究について、著作・論文・研究機関など、個人で確認できる範囲の資料をもとにまとめたものです。
心理学や行動研究にはさまざまな立場や解釈があり、スキナーの考え方だけが唯一の答えというわけではありません。
また、この記事で紹介した研究の中には、その後の研究によって再検討されたものもあります。
科学は、新しい実験や資料の発見によって、これまでの説明が修正されたり、より詳しい理解へ更新されたりすることがあります。
そのため、本記事の内容も「最終的な答え」ではなく、現時点で確認できる研究や資料をもとにスキナーを理解するための一つの入り口としてお読みください。
🧭 本記事のスタンス
この記事は、
「B. F. スキナーについて、これが唯一の正しい見方です」
と結論づけるためのものではありません。
「鳩の迷信を研究した人」という入口から、
その人物、生涯、研究方法、功績、批判、そして後世からの再検討へと興味を広げ、
「もっと知りたい」「自分でも確かめてみたい」
と思っていただくための入り口として書いています。
心理学者の考え方も、一つの実験も、一つの説明だけで理解できるものではありません。
異なる研究や立場にも目を向けながら、
「なぜそう考えられているのだろう?」
と、自分でも調べ、考えてみる視点をぜひ大切にしてください。
このブログをきっかけに興味が動き出したなら、その「行動」の先にある文献や資料へ、もう一歩進んでみてください。
スキナーが行動の「結果」を追い続けたように、学びの先にある新しい「なぜ?」を、今度はあなた自身で確かめてみてください。
最後まで読んでいただき、
本当にありがとうございました。
B. F. スキナーの人生と研究は、一つの答えを覚えることよりも、目の前の行動に「なぜ?」と問い続け、実際に確かめていくことの大切さを教えてくれているのかもしれません。


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