ハチワレが言えなかった「もしもさ…」の続きには、どんな思いが隠されていたのでしょうか。前半の穏やかな友情と、後半の「あのこ」のクラッキングをつなげながら、“強くなること”と“強くなったあとも自分でいられること”の意味を考察します。

- 『ちいかわ』第382話「パラレルワールド⑧/クラッキング」
- 前半――戻ってきた日常と、それでも消えないハチワレの不安
- 「変なこと聞くけど」――本人確認のような質問
- 「もしもさ…」――ハチワレは何を聞きたかったのか
- 「なんでもない」――言わないことを選んだハチワレ
- 後半――「あのこ」のクラッキングが突きつけるもの
- 同じ「震える」でも、意味がまったく違う
- お尻フリフリ……ではなく、獲物へ飛びかかる準備
- 「またやってる…」――でかつよに残っているもの
- ハチワレと「あのこ」は、本当に同じなのか
- かわいさと恐ろしさを同じ画面に置ける『ちいかわ』
- 前半と後半を続けて見るからこそ生まれる意味
- コメント欄では、こんなところが多く注目されていました
- 今回の動画が教えてくれるかもしれないこと
『ちいかわ』第382話「パラレルワールド⑧/クラッキング」
今回の話を見て、まず強く感じたのは、前半と後半でまるで別の作品のように空気が変わるのに、その二つが実は一本のテーマでつながっているように見えることでした。
前半は、パラレルワールドから戻ってきたちいかわとハチワレの、ほっとするような日常です。
ところが後半では、突然「あのこ」のクラッキングと捕食を思わせる恐ろしい場面が描かれます。
一見すると別々のエピソードです。
しかし私は、この二つを続けて見ることで、「強くなるとはどういうことなのか」「姿や力が変わっても、自分は自分のままでいられるのか」という問いが、より強く浮かび上がっているように感じました。
前半――戻ってきた日常と、それでも消えないハチワレの不安
冒頭のイラストでは、パラレルワールドにいた木が笑顔で手を振っています。
この姿を見るだけでも、少し寂しい気持ちになります。
あの木は、自分が一緒についていくのではなく、ちいかわたちが元の世界へ帰れることを喜んでくれた存在でした。
自分が残されることより、相手が無事に帰れることを喜ぶ。
そう考えると、最後までとても優しい存在だったのだと思います。
そして「ちいかわ」と呼ぶ声のイントネーションも、普段とはどこか違って聞こえます。
ほんの小さな違いですが、それも「あちら側の世界のちいかわ」という余韻を残しているようで、私は印象に残りました。
場面が変わると、ちいかわの家です。
まずハチワレが尋ねるのは、
「具合悪くない? 大丈夫?」
という、ちいかわの体調についてでした。
ここが私は、とてもハチワレらしいと思いました。
自分自身もパラレルワールドでかなり恐ろしい経験をしたはずなのに、最初に気にするのは自分ではなくちいかわです。
ハチワレの汗は、単純に病み上がりのちいかわを心配している汗なのかもしれません。
ただ私は、それだけではなく、
「本当に元の世界へ戻ってこられたのか」
「この目の前にいるちいかわは、自分の知っているちいかわなのか」
という、まだ消えきっていない不安も含まれていたのではないかと思いました。
そして、この場面は細かいところまで本当にかわいいです。
正座しているように見えるハチワレの短い足と尻尾。
少しずれた冷却シート。
ふわふわのお布団。
背景にはキッチンやフライパンらしきものまで見えます。
ちいかわの普段の様子が描かれていてとてもホッとします。
また、こうした生活感のあるものが描かれることで、「怪異の世界」から「いつもの生活」へ本当に帰ってきたのだという感覚が強くなります。
ちいかわがこの家で料理をしたり、布団にくるまって眠ったりしているのだと思うと、それだけでこの場所がとても大切な日常に見えてきます。
ハチワレに体調を聞かれたちいかわは、一瞬「ハッ」としたような反応をします。
私はここを、
「あ、そういえば自分は具合が悪かったんだ」
「それを心配してくれていたんだ」
と改めて気づいた瞬間のようにも感じました。
そして「うん!」と答えながら、小さな手を何度もパタパタと動かします。
ただ「大丈夫」と答えるだけではなく、
「こんなに元気だよ」
「もう平気だよ」
「心配してくれてありがとう」
と、全身で伝えているように見えます。
しかも、その動きが意外と長い。
だからこそ私は、ちいかわがハチワレを安心させようと、一生懸命「元気になった自分」を見せているように感じました。
言葉の少ないちいかわだからこそ、こうした仕草そのものが会話になっています。
二人の関係の良さがよく表れている場面です。
「変なこと聞くけど」――本人確認のような質問
しかし、そんな穏やかな空気の中で、ハチワレが急に少し深刻そうな顔になります。
「変なこと聞くけど」
そして、草むしり検定5級のお祝いにもらったものが何だったかを尋ねます。
ちいかわからすれば、
「どうして今さら、そんな二人とも知っていることを聞くの?」
と思っても不思議ではありません。
「はぁ」と考えているような表情も、答えを思い出そうとしているだけなのか、それとも質問の意図がわからず戸惑っているのか、どちらにも見えます。
そして、クッキーや袋、青いリボンをきちんと思い出したちいかわに対して、ハチワレはつぶっていいる目の表現だけで、心配顔からの変化での明らかに安心したような表情に変えます。
「正解」
「よかった」
この「よかった」には、いくつもの意味が重なっているように感じます。
本当に元の世界に戻ってきた。
目の前のちいかわは、これまで一緒に過ごしてきたちいかわだ。
二人の間にある記憶もなくなっていない。
そうしたことを、一つ一つ確かめたかったのではないでしょうか。
これは単なるクイズではなく、ハチワレにとっては「日常を取り戻したことを確認するための質問」だったのかもしれません。
「もしもさ…」――ハチワレは何を聞きたかったのか

そして今回、私が最も気になったのが、その後です。
ハチワレは、
「あと…さ…」
と言い始めます。
視線をそらし、少し目を伏せ、耳も下げ気味にして、手を握りしめるようにして、何度瞬きし、緊張しながらも聴かなければいけないという決意を見せて
「もしも…」
「もしもさ…」
と続けます。
しかし、結局その先を言うことができません。
この間が、とても長く感じます。
ちいかわも目をぱちぱちさせながら待っています。
何かとても言いにくいことを、ハチワレが必死に口にしようとしている。
それだけは伝わってきます。
では、ハチワレは何を聞こうとしていたのでしょうか。
私は、ここには一つだけではなく、いくつもの可能性があると思いました。
一番想像しやすいのは、
「もしも、本当に僕があの大きくて強い姿になったら、それでも友達でいてくれる?」
という質問です。
パラレルワールドでハチワレは、大きく、強い存在になりました。
ハチワレ自身からすれば、自分は自分です。
しかしちいかわから見れば、恐ろしい討伐対象にもなり得る姿でした。
そこには、
「自分は同じ自分なのに、姿が変わっただけで友達ではいられなくなるのか」
という恐怖があったのかもしれません。
ただ私は、それだけではないようにも感じます。
もしかするとハチワレが怖かったのは、
「ちいかわが自分を攻撃すること」
ではなく、
「強くなった自分が、ちいかわを傷つけてしまうこと」
だったのではないでしょうか。
パラレルワールドのハチワレは、「強くなっただけだよ」と、自分の変化を受け入れていました。
けれども力を持ったことで、以前とは違う言葉を使ったり、強く言ってしまったりする場面もありました。
もし本当に同じことが現実で起きたら。
そのとき自分は、今と同じ自分でいられるのか。
大切なちいかわに対しても、同じ優しさを持っていられるのか。
そんな恐怖が、「もしもさ…」の中にあった可能性もあると思います。
そして、
「もしも。自分が怪異になり力に溺れてしまったら・・・・、退治してほしい」
と願ったのかもしれません。
さらに別の読み方もできます。
パラレルワールドは、ある意味ではちいかわにとって夢のような世界でもありました。
強く、活躍し、さまざまなものを手にしている世界です。
ハチワレが虫を倒したことでその世界が終わったのだとしたら、
「本当は、あっちの世界のほうがよかった?」
と聞きたかった可能性もあるのではないでしょうか。
自分がちいかわの望んでいた世界を壊してしまったのではないか。
そういう罪悪感を感じていたと考えることもできます。
あるいはもっと単純に、
「あの世界で、僕たちは本当に友達だったのかな」
「僕が変わってしまっても、今みたいに一緒にいられるのかな」
と聞きたかったのかもしれません。
答えは示されません。
だからこそ、この「もしもさ…」には、いろいろな気持ちを想像できます。
私は、ハチワレの中にある恐怖、後悔、罪悪感、友情を失いたくない気持ちが、全部一つになって言葉にならなかったのではないかと思いました。
「なんでもない」――言わないことを選んだハチワレ
結局、ハチワレは、
「なんでもない!」
と話を終わらせます。
ちいかわは、
「えっ?」
というような顔をします。
そこまで深刻そうに話し始めていたのに、何も言わない。
ちいかわからすれば、「何だったの?」となるのも当然です。
このときのちいかわの表情もとてもかわいいのですが、私はハチワレの「なんでもない」という選択にも、ハチワレらしさを感じました。
訊けば答えは得られたかもしれません。
しかし、その答えを聞くことが怖かったのかもしれない。
あるいは、ちいかわまで不安にさせたくなかったのかもしれない。
そしてハチワレは、
「ねぇ、味付きコーン食べよッ!」
と、突然楽しい話へ切り替えます。
一見すると、ものすごい話題転換です。
でも私は、ここがとても好きです。
過去の怖かったことを考え続けるのではなく、
「今ここにいる」
「ちいかわもいる」
「一緒に何かおいしいものを食べられる」
という現在に戻ろうとしているように感じるからです。
訊けなかったことはある。
怖いことも残っている。
それでも今日を一緒に楽しく過ごそう。
そんなハチワレなりの気持ちの切り替えだったのではないでしょうか。
ちいかわの「え? え?」という戸惑いを残しながら、外の晴れた空へと画面が移っていきます。
扉の開いたちいかわの家。
青い空。
ここだけで終わっていれば、非常に穏やかな余韻だったと思います。
ところが、『ちいかわ』はここでは終わりません。
後半――「あのこ」のクラッキングが突きつけるもの

後半は、いきなり「あのこ」の大きな口と、
「カカカカ……」
というクラッキングから始まります。
前半との温度差がものすごいです。
あれだけ穏やかだった日常から、一瞬で捕食者と獲物の世界へ引き戻されます。
グレーの子たちが泣きながら、木の上に逃げ怯えています。
彼らの手には槍のような武器もあります。
つまり、彼ら自身も討伐に来た側だった可能性があります。
ここは少し複雑です。
彼らからすれば「あのこ」は恐ろしい存在です。
しかし「あのこ」からすれば、自分を討伐しに来た者たちです。
攻撃されるのなら、自分も攻撃し返す。
そう考えれば、単純に「あのこだけが一方的に悪い」とも言い切れません。
ただ、それでも今回の「あのこ」の様子を見ていると、「戦っている」というより、明らかに「狩っている」ように見えてしまいます。
そこが怖いのです。
表情を大きく変えず、クラッキングを続ける。
相手は震えています。
しかし「あのこ」にとっては、その捕獲という行動すらなんでもなく普通の行動のように見えます。
もう同じ立場の相手を見ているのではない。
完全に「捕食する側」と「捕食される側」の関係になってしまったように感じます。
同じ「震える」でも、意味がまったく違う
この場面でもう一つ面白いと思ったのが、木の上にいるグレーの子たちと「あのこ」の双方に、細かな“震え”のような動きが見られることです。
しかし、その意味は正反対です。
木の上のグレーの子たちは、「このまま襲われるかもしれない」という恐怖から震えています。
一方の「あのこ」は、獲物を目の前にしてクラッキングをしています。
同じように体や口元が細かく動いているにもかかわらず、一方は「食べられるかもしれない」という恐怖、もう一方は「獲物がいる」という興奮や高揚だと考えると、その対比はとても残酷です。
しかも、「あのこ」の動きだけを切り取って見ると、かなり猫らしく、どこかかわいくも見えてしまいます。
家で暮らしている猫でも、窓の外に鳥などを見つけたとき、「カカカッ」「ケケケッ」といったクラッキングをすることがあります。
その姿を見ていると、獲物を見つけて狩猟本能を刺激され、興奮しているようにも、早く近づきたいのに近づけないもどかしさから思わず口が動いてしまっているようにも見えます。
そう考えると、今回の「あのこ」のクラッキングも、単純な「威嚇」だけではないのかもしれません。
木の上にいる相手を見つけ、
「いた」
「捕まえたい」
「早く飛びかかりたい」
とでもいうような、猫が獲物を前にしてわくわくしている状態に近いと考えることもできます。
もしそうだとすれば、私はそこに別の恐ろしさを感じます。
「あのこ」は、かつてちいかわ族のような小さな側にいた存在だったのではないか、と考えられているキャラクターです。
だとすれば、「あのこ」にも以前は、今のちいかわのように帰る場所があったのかもしれません。
家の中で眠ったり、何かを食べたり、誰かと過ごしたりする、当たり前の日常があったのかもしれません。
元は家がある状況で暮らしていたということを、家猫特有のクラッキングという表現で表しているのかもしれません。
もちろん作中でそこまで明確に描かれているわけではありません。
ただ、そう想像すると、今の「あのこ」の姿がより印象的に見えてきます。
かつては“狙われる側”だったかもしれない存在が、今では完全に“狙う側”の感覚で、小さな存在を見つめているからです。
私たちが家猫のクラッキングを見て「かわいい」と感じられるのは、自分がその猫の獲物ではないという安心感があるからでもあるのではないでしょうか。
猫が鳥を見つけてクラッキングをしていても、私たちは安全な場所からその姿を見ることができます。
飛びかかる前に身を低くしたり、お尻を動かしたりする姿を見ても、
「かわいい」
「狙っている」
と微笑ましく感じることができます。
しかし、自分がその猫よりもはるかに小さく、今まさに狙われている側だったとしたらどうでしょう。
同じクラッキングも、同じ構えも、まったくかわいくは見えないはずです。
それは、「これから襲います」という合図に変わります。
つまり、「かわいい」という感情は、その仕草だけで決まるものではなく、それを見る側がどの位置にいるのかによって大きく変わるのだと思います。
安全な側から見れば、猫らしくてかわいい。
獲物の側から見れば、死を予感させるほど恐ろしい。
今回の「あのこ」は、その二つを同じ動作の中で成立させています。
だから私は、このクラッキングがとても『ちいかわ』らしい表現に感じました。
かわいいものが突然怖いものに変わったのではありません。
最初から同じ行動なのに、見る側の立場が変わった瞬間、意味だけが完全に反転するのです。
そして、その恐ろしさをさらに強めるのが、この直後の「あのこ」の行動です。
クラッキングを続けていた「あのこ」は、今度は突然体勢を低くし、足元を踏みしめるような動きを始めます。
猫なら「飛びかかる前のかわいい仕草」に見えるその動作が、木の上で震えるグレーの子たちにとっては、逃げ場がなくなっていく合図になっていきます。
お尻フリフリ……ではなく、獲物へ飛びかかる準備
「あのこ」は突然、身を低くします。
そして、一見するとお尻を振っているようにも見える行動をします。
グレーの子たちも、一瞬、
「え?」
というような反応をします。
これまで恐怖で震えていたのに、一瞬だけ「何をしているんだろう」という戸惑いに変わる。
しかし、よく見ると「あのこ」は足元を踏むように動き、次の瞬間、一気に跳び上がります。
あれだけ大きな体が、一瞬でその場からいなくなるほどの跳躍、多分木の上の獲物であるモブたちにまで、その巨体は届いたのでしょう。
それだけでも、力の差がはっきりわかります。
「「「ヒヤーッ」」」という短い声。
そして、その先は直接描かれません。
だからこそ怖い。
何が起こったかを画面で見せるのではなく、音とその後の反応だけで想像させます。
かわいい絵柄の作品だからこそ、見せないことがかえって残酷に感じられます。
「またやってる…」――でかつよに残っているもの
そして現れるのが、でかつよです。
震えながら、
「またやってる…」
とつぶやきます。
私は、この「また」がとても重いと思いました。
今回だけではない。
これまでも「あのこ」は同じことをしてきた。
そして、でかつよは、それを何度も見てきたのでしょう。
ここで興味深いのは、でかつよの反応です。
同じ大きな姿をしていても、「あのこ」のように獲物を前に興奮するわけではありません。
怖がっています。
苦しそうです。
もともと小さな側にいたときの感覚が、まだ残っているように見えます。
だからこそ、目の前で小さな子たちが襲われることを、単なる「食事」や「狩り」として見ることができないのではないでしょうか。
ここから考えると、「大きく強い姿になること」と「心まで捕食者になること」は、必ずしも同じではないことがわかります。
外見や力が変わっても、でかつよの中には以前の感覚が残っている。
一方「あのこ」は、その強い体を使うことにすっかり馴染んでいるように見えます。
この二人の違いを見ると、今回描かれているのは単純な、
「強くなったら恐ろしくなる」
という話ではないように思います。
大切なのは、
「力を持ったあと、自分が何を選ぶか」
なのかもしれません。
ハチワレと「あのこ」は、本当に同じなのか
だから私は、前半のハチワレと後半の「あのこ」を、単純に
「ハチワレも将来こうなる」
という意味だけで見るのは少し違うように感じました。
確かに構成としては非常に不穏です。
ハチワレが、
「もしも、自分が大きく強くなったら……」
と言おうとした直後に、実際に大きく強くなった「あのこ」が登場します。
あまりにも出来すぎた流れです。
しかし同時に、でかつよもいる。
姿が変わっても、以前の心を残している存在です。
だからこの後半は、ハチワレに対して、
「強くなったらこうなるぞ」
と一つの答えを示しているのではなく、
「強くなったあと、どうなるかは一つではない」
と示しているようにも思えます。
それならばハチワレにとって重要なのは、
「大きくならないこと」
ではありません。
大きくなっても。
強くなっても。
今の優しさを失わないことです。
そしてハチワレには、ちいかわとうさぎという大切な友達がいます。
その存在こそが、ハチワレを「あのこ」と同じ方向へ行かせないものになるのではないか。
私はそんなふうにも考えたくなります。
かわいさと恐ろしさを同じ画面に置ける『ちいかわ』
今回改めて面白いと思ったのは、『ちいかわ』が「かわいい」と「怖い」を完全には分けていないことです。
前半では、ずれた冷却シート、パタパタする手、ハチワレの短い足、ふわふわの布団、ちいかわの「えっ?」という顔。
細かいところまで、ひたすらかわいい。
後半になると、クラッキングする「あのこ」も、猫として見ればかわいい動きをしています。
それなのに、その先で起きていることは恐ろしい。
つまり、
「かわいい見た目だから優しい」
「怖い見た目だから悪い」
という単純な世界ではありません。
かわいいものの中にも残酷さがある。
恐ろしい姿の中にも、でかつよのような優しい心が残っている。
見た目だけでは、その存在の心までは判断できない。
この複雑さも、『ちいかわ』という作品が長く考察される理由なのだと思います。
また、声の演出にも細かいこだわりを感じました。
ちいかわやハチワレの声には、前半の安心と不安が細かく込められていますし、後半ではグレーの子たちにもそれぞれに声の割り振りが3人ありクレジットにも表記されています、そのため悲鳴にも違いがあります。
画面に長く登場するわけではない小さなキャラクターにまで「この子たちは一人一人別の存在なのだ」と感じさせる声が与えられているからこそ、その恐怖もより生々しく感じるのだと思います。
前半と後半を続けて見るからこそ生まれる意味
私は今回、前半だけなら「友情の話」、後半だけなら「あのこの狩りの話」として見ることもできたと思います。
しかし、この二つが一つの回として並べられたことで、意味が大きく変わったように感じました。
前半では、ハチワレが「もしも」を口にできませんでした。
後半では、言葉を使わずに一つの可能性が示されます。
強い体を手に入れた存在が、その力を使いこなし、かつて自分と同じ側にいた小さな存在を追い詰めている。
それを見たあとでは、
「もしもさ…」
というハチワレの言葉が、さらに重く聞こえます。
ただし、その答えは「あのこ」だけではありません。
その隣には、姿が変わっても小さな側の心を忘れていないでかつよもいます。
だから今回の話は、
「強くなったら怪物になる」
と決めつける話ではなく、
「強くなったとき、あなたはどちらになるのか」
と問いかけているように私には見えました。
コメント欄では、こんなところが多く注目されていました
今回のコメント欄では、やはりハチワレの「もしもさ…」と、その直後に「あのこ」の場面を配置した構成についての意見が非常に多く見られました。「強くなっても仲良しでいられるのか」というハチワレの問いに対して、実際に強くなった「あのこ」を一つの答えとして見せているのではないか、という考察です。
また、「本当に怖いのは、強くなった自分から友達が離れることではなく、強くなった自分自身の心が変わってしまうことなのではないか」という意見も印象的でした。
一方で、姿が大きく変わっても善良さを残しているでかつよの存在から、「あのこをそのままハチワレの未来として考えるのは違うのではないか」という意見もありました。
ほかにも、「あのこ」のクラッキングや瞳孔、飛びかかる前の動きが実際の猫そのものだという声や、猫ならかわいいはずの動作が巨大な捕食者になると一気に恐ろしく見えるという感想、直接捕食を見せず悲鳴だけで終わらせる演出への反応も多くありました。
そしてその一方で、ちいかわの手をパタパタさせる仕草、ずれた冷却シート、「なんでもない」と言われた後の「えっ?」という顔、ハチワレの言いよどむ表情など、前半の細かなかわいさについてのコメントも非常に多く見られました。
恐ろしさを考察しながら、同時に「ここがかわいい」と細部まで楽しんでいる。
この両方が同時に成立していること自体が、今回の回の面白さなのだと思います。
今回の動画が教えてくれるかもしれないこと
今回の話を見終えて、私は「強さ」というものについて考えさせられました。
強くなること自体は、悪いことではありません。
ハチワレだって、強くなりたいと思うことがあります。
力があれば、守れるものも増えます。
今までできなかったこともできるようになります。
しかし、力を持つことで、それまで自分がいた場所から見える景色が変わってしまうことがあります。
弱かったときには怖かったものが怖くなくなる。
今まで仲間だった相手が、自分よりずっと弱く見えてしまう。
そしていつの間にか、その相手の痛みがわからなくなる可能性もある。
「あのこ」は、そんな力の一面を見せているように感じます。
でも、でかつよは違います。
強い姿になっても、小さかった頃の感覚を失っていないように見えます。
そしてハチワレには、ちいかわやうさぎとの思い出があります。
それなら、本当に大切なのは「強くならないこと」ではなく、
強くなったあとも、弱かった自分を忘れないことなのかもしれません。
自分より弱い人を見下さないこと。
力を持つ前に大切だった人を、力を持ったあとも同じように大切にできること。
そして、怖いことや答えの出ないことを抱えていても、目の前にいる大切な人と今日を楽しく過ごすこと。
ハチワレが「もしも」の続きを飲み込み、「味付きコーン食べよッ!」と今の時間へ戻った場面を見ていると、そんなことまで考えさせられます。
未来に何が起きるかはわかりません。
自分が変わってしまうこともあるかもしれません。
大切な人との関係も、ずっと同じとは限りません。
それでも、今目の前にいる人を大切にすることはできます。
一緒に食べるものを選び、一緒に笑い、相手が具合を悪くしたら心配する。
そういう何気ない積み重ねが、自分が自分であり続けるための支えになるのかもしれません。
そして本当の「強さ」とは、大きな体や圧倒的な力ではなく、力を持ったあとも誰かを思いやれることなのかもしれません。
『ちいかわ』第382話は、かわいい仕草と恐ろしい捕食という正反対の場面を並べながら、
「強くなったとき、それでもあなたは今まで大切だったものを大切にできますか」
という問いを、私たちに投げかけているのかもしれません。
そして今回の動画は、
強くなること以上に、強くなったあとも優しさや友情を失わずにいることこそ、本当に難しく、そして本当に大切な強さなのかもしれない――そんなことを教えてくれているのかもしれません。


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