『ちいかわ』第368話「当たりはずれ/いたずらなこころ」感想考察――はずれを引いたその先にある、小さな幸せと三人の友情

感想

マンボウの「はずれ」から始まった一日は、三人で歌い、笑い、涼む穏やかな夏の夜へ。ちいかわの小さな成長、ハチワレのさりげない優しさ、うさぎ独特のリズム感など、細かな表情や動きを追いながら、第368話に描かれた三人の友情と「小さな幸せ」を考察します。

『ちいかわ』第368話「当たりはずれ/いたずらなこころ」。

今回の話は、一見すると、マンボウに乗ってきたちいかわが乗り物酔いをしてしまい、その後、ハチワレとうさぎと一緒にサイダーフルーツポンチの湧きどころへ涼みに行く、というとても穏やかな話です。

けれど、映像を一つひとつ追いながら見ていくと、単に「かわいい」「癒される」だけでは終わらないものがいくつも見えてきました。

マンボウに必死でしがみつくちいかわ。

具合が悪くなったちいかわを自然に気遣うハチワレ。

二人とはまったく違う動きをしているのに、なぜか完璧にリズムへ溶け込んでいるうさぎ。

そして、最後に三人が同じ場所で、それぞれ違う方法で楽しんでいる姿。

今回は、そんな細かな描写を動画の流れに沿って追いながら、私が感じたこと、そしてそこから考えられることを書いてみたいと思います。

夜の中で光る「サイダーフルーツポンチの湧きどころ」

冒頭では、サイダーフルーツポンチの湧きどころと思われる場所が映ります。

周囲は暗く、水面のような場所だけが淡く光っています。

この時点では朝方なのか夜なのか少し分かりにくいのですが、後半で三人が同じ場所にやって来たときの描写を見ると、月明かりのある夜として描かれているように思えます。

ここでまず面白いのが、「フルーツポンチ」という非常に明るく、かわいらしい食べ物と、静かな夜の森のような風景が一緒になっていることです。

サイダーフルーツポンチが自然に湧いているというだけでも十分不思議なのに、その場所が夜の中で光っていることで、単なる食べ物の湧きどころというより、どこか秘密の泉のような幻想的な雰囲気になっています。

『ちいかわ』の世界では、ときどき食べ物が自然の一部のように存在しています。

しかし、登場人物たちはそれをいちいち不思議がりません。

そこにフルーツポンチが湧いている。

ならば、そこへ行って楽しむ。

それだけです。

この「不思議なものを、不思議なものとして説明しすぎない」ところが、『ちいかわ』の世界をより魅力的にしているように感じます。

いきなり現れるマンボウ。そして、必死に登るちいかわ

場面が変わると、いきなり巨大なマンボウが現れます。

そして、その横にはマンボウへ必死につかまっているちいかわの手が見えます。

ちいかわは「ンショ、ンショ」とでも言うように体を持ち上げ、マンボウの体の出っ張った部分へ手をかけ、なんとか上へ登っていきます。

ここで私は、かなり素朴な疑問を感じました。

そもそも、ちいかわはどうやってマンボウに乗ったのでしょうか。

マンボウには座席もありません。

手すりもありません。

当然、乗り込み口のようなものも見当たりません。

しかも、かなりの大きさです。

映像を見る限りでは、ちいかわはマンボウの横から自力でよじ登っているように見えます。

そう考えると、マンボウに「乗る」という行為そのものが、私たちが電車やバスに乗るような簡単なものではなさそうです。

それでも、ちいかわは必死に登ります。

そして、ようやく上へ到達したときには、少し満足そうな表情をしています。

「乗れた」という小さな達成感のようにも見えます。

ところが、その直後です。

マンボウが突然、急角度で曲がります。

「はずれ」のマンボウは、まるで暴れ馬

マンボウが急に方向を変えた瞬間、ちいかわの表情は一変します。

驚き、体を大きく振られ、足まで浮いています。

それでも、なんとかしがみついている。

さらにマンボウは左右へ大きく体を振ります。

ちいかわは「ワッ」と言いながら、それでも必死に耐えています。

この場面で印象に残るのが、マンボウの表情です。

乗っているちいかわは明らかに大変な状況なのに、マンボウの顔はどこか無表情で、非常にシュールです。

マンボウ自身がちいかわを振り落とそうとしているのか。

単にこういう泳ぎ方をする個体なのか。

そこは映像だけでは分かりません。

ただ、後のハチワレの言葉から考えると、この激しい動きこそが「はずれ」のマンボウなのだろうと思います。

つまり、この世界ではマンボウが移動手段として利用されていて、さらに個体によって乗り心地まで違うらしい。

改めて考えると、とんでもない設定です。

「マンボウに乗れる」というだけでも不思議なのに、「今日はこのマンボウ、はずれだったな」という感覚まで存在している。

けれど、この世界の住人にとっては、それが普通なのです。

私は、この「普通の基準が私たちの世界と少しずれている」というところに、『ちいかわ』独特の面白さを感じます。

あれだけ振られても落ちなかったちいかわ

そしてもう一つ、この場面で私はちいかわの意外な強さを感じました。

あれだけ激しく振られているのに、落ちていません。

足が浮き上がるほど体を持っていかれているのに、最後まで必死につかまっています。

普段のちいかわは、怖いことがあると泣いたり、戸惑ったりすることが多いキャラクターです。

だからこそ忘れそうになりますが、今回やっていることはかなりすごい。

自分でマンボウへ登る。

一人で乗る。

ものすごい揺れに耐える。

そして、少なくとも目的地までは到着する。

結果的には乗り物酔いしてしまいましたが、それと「挑戦できたこと」は別です。

私はここに、ちいかわの小さな成長を感じます。

成長というと、以前できなかったことが完璧にできるようになることを想像しがちです。

けれど、本当はそうではないのかもしれません。

怖いままでも、一人でやってみる。

失敗しても、以前より少し先まで進める。

それも十分な成長です。

今回のちいかわは、マンボウには負けたかもしれません。

でも、「一人でマンボウに乗って友達のところまで来た」という部分だけを見れば、かなり頑張っています。

そして気になる。「どうやって降りたんだろう?」

さらに、個人的にどうしても気になることがあります。

あのマンボウから、ちいかわはどうやって降りたのでしょうか。

次の場面では、すでにちいかわは地面を歩いてハチワレのもとへ向かっています。

しかし、あれほど大きなマンボウです。

そのまま飛び降りたとは考えにくい。

マンボウが地面近くまで高度を下げてくれたのでしょうか。

それとも、マンボウから降りるための独特な方法がこの世界にはあるのでしょうか。

本編では当然説明されません。

そして、物語の本筋からすれば説明する必要もありません。

でも、こういう描かれていない部分を考えてみるのも『ちいかわ』の楽しみの一つだと思います。

「マンボウが交通手段なら、乗り場はあるのか」

「好きなマンボウを選べるのか」

「料金のようなものは必要なのか」

「当たりのマンボウとは、どれくらい乗り心地がいいのか」

一つ疑問を持つだけで、この世界の見えない日常がどんどん広がっていきます。

「マンボウで来たの?」と笑顔で迎えるハチワレ

なんとかマンボウから降りたと思われるちいかわは、ハチワレのもとへ歩いていきます。

ただ、その体は明らかにプルプル震えています。

一方、まだ事情を知らないハチワレは笑顔で、

「マンボウで来たの?」

と迎えます。

このハチワレの表情がいい。

そこには悪気も心配もまだありません。

ただ単純に、

「ちいかわが来た」

「マンボウで来たんだ」

ということを嬉しそうに受け止めているように見えます。

しかし、その目の前でちいかわの表情が変わっていく。

そして震えながら、

「ヴォエ……」

と吐いてしまいます。

この「ヴォエ」がかなり印象的でした。

乗り物酔いのつらさが伝わるくらいリアルなのに、どこかちいかわらしい。

かわいそうなのに、かわいくも見えてしまう。

その直後のハチワレの驚いた顔まで含めて、この短いやり取りの中に二人の感情がとても分かりやすく描かれています。

「大丈夫?」ではなく、「当たり外れあるよね」

その後、二人は岩陰で休んでいます。

強い光が差し、蝉の声も聞こえ、夏の暑さが伝わってくる場面です。

ちいかわは涙を浮かべながら、オレンジ色の飲み物を飲んでいます。

そしてハチワレは、

「マンボウ、当たり外れあるよね」

と話します。

ここで私は、ハチワレらしい優しさを感じました。

映像として確認できる事実は、ハチワレが「マンボウには当たり外れがある」という内容を話していることです。

そこにどこまで意図があるのかは分かりません。

本当に単純な事実として言っているだけなのかもしれません。

しかし私は、

「今回はちいかわが悪かったんじゃなくて、マンボウがはずれだったんだよ」

という慰めにも聞こえました。

ハチワレは、

「乗り方が下手だったんじゃない?」

とも言わない。

「こんなので酔ったの?」

とも言わない。

ただ原因を「マンボウの当たり外れ」に置いている。

もしそこにハチワレなりの気遣いがあるのだとすれば、とても優しい言葉だと思います。

そして、言葉だけではありません。

ちいかわを日陰へ連れていき、飲み物を渡して休ませている。

大げさに「僕が助けるよ」と言うわけではなく、必要なことを自然にする。

ハチワレの優しさは、こういう何気ない行動に表れているように感じます。

ちいかわの口元には、少し「悔しさ」もあるのかもしれない

そのときのちいかわは、震えながらうなずき、口元を少し噛みしめるような表情をしています。

これは単に気持ち悪さに耐えているだけなのかもしれません。

ここから先は、私の考察です。

私は、あの表情に少し「悔しい」という感情もあるように感じました。

頑張ってマンボウへ登った。

一人でここまで来た。

途中で振り回されながらも耐えた。

なのに最後には酔ってしまった。

そう考えると、

「せっかく頑張ったのに……」

という気持ちが少しあっても不思議ではありません。

そう見ると、この場面は単なる「乗り物酔い」のギャグではなくなります。

挑戦した。

失敗した。

悔しかった。

でも、友達がそばにいる。

短い場面なのに、とても人間らしい感情の流れが見えてきます。

空気が一変。「いたずらなこころ」を歌いながら歩く三人

そして場面が変わると、今度はハチワレ、ちいかわ、うさぎの三人が森の中を歩いています。

ここから空気が一気に明るくなります。

ハチワレが「いたずらなこころ」を歌い、ちいかわもそれに合わせて歩いている。

そして後ろには、うさぎ。

ここが今回、私が特に好きだった場面の一つです。

ハチワレとちいかわは比較的似たリズムで歩いています。

ところが、うさぎだけ明らかに動きが違う。

首を左右に動かす。

周囲をキョロキョロ見る。

ステップも細かい。

少しだけ一テンポ速いようにも見えます。

それなのに、全体として見ると妙に曲へ合っているのです。

バラバラに動いているのではなく、

「同じ曲の中で、うさぎだけ別のアレンジを入れている」

ように見えます。

これがとてもうさぎらしい。

人と同じことをそのままするわけではない。

でも、一人だけ別行動しているわけでもない。

自分のやり方で同じ時間を楽しんでいる。

私は、この動きそのものが、うさぎというキャラクターの性格を表しているように感じました。

「プルッ、プルッ」は即興なのか、それとも練習済みなのか

さらに、うさぎはハチワレの歌に合わせて、

「プルッ、プルッ」

と合いの手を入れます。

そして一節が終わると、

「イヤッハ、ウララ」

というような独特のフレーズまで歌い始めます。

この場面を見ていて、私はふと考えました。

この三人、普段からこの歌を歌っているのでしょうか。

それとも、その場で突然始まった即興なのでしょうか。

もし即興なら、うさぎはハチワレのメロディーとリズムをその場でつかみ、自分の声を合わせていることになります。

しかも、ただ真似をするのではなく、自分なりのフレーズへ変えている。

かなり音楽的です。

逆に、三人が以前からこの歌を歌っているのだとしたら、それもまたいい。

私たちが見ていない普段の時間にも、こうやって歩きながら歌っているのかもしれません。

どちらなのかは分かりません。

しかし、どちらにしても三人の仲の良さが伝わってきます。

言葉で「仲良し」と説明しなくても、一緒に歌う姿だけで伝わる。

それがいいのです。

うさぎは「楽しい」と言わない。でも、誰より楽しそう

うさぎというキャラクターは、自分の気持ちを言葉で細かく説明しません。

「楽しい」

「二人と一緒にいるのが好き」

などと直接言うこともありません。

でも、今回のうさぎは明らかに楽しそうです。

歩きながらリズムを取る。

合いの手を入れる。

自分のパートまで歌う。

つまり、うさぎにとっては、こうした行動自体が感情表現なのかもしれません。

私はここに、三人の関係の面白さを感じます。

ハチワレのように言葉で気持ちを伝えるタイプもいる。

ちいかわのように表情や短い言葉で伝えるタイプもいる。

うさぎのように、行動そのもので伝えるタイプもいる。

表現方法は違っても、一緒に楽しむことはできる。

「同じリズム」でなくても、一緒に歩ける

さらに考えてみると、「いたずらなこころ」を歌いながら歩く三人は、友情そのものを表しているようにも見えます。

ハチワレとちいかわは似た動きをしています。

うさぎは全然違う。

でも、目的地は同じです。

同じ方向へ歩いています。

これを見ていると、友達だからといって、何もかも同じである必要はないのだと思えてきます。

同じ性格でなくてもいい。

同じテンションでなくてもいい。

同じ言葉を使わなくてもいい。

同じ曲を、それぞれ違う歌い方で歌ってもいい。

それでも、一緒に歩くことはできる。

むしろ三人の違いがあるからこそ、この場面は面白いのだと思います。

月明かりに照らされるフルーツポンチ

三人はやがて、冒頭で映っていたサイダーフルーツポンチの湧きどころへ到着します。

ここで、最初の景色が夜だったことがより分かりやすくなります。

月明かりのような光が差し、フルーツポンチの水面が淡く輝いています。

その光を見つめるハチワレとちいかわの顔にも明るさが映り込んでいて、とてもきれいです。

私はこの場面で、今回の話が「夏」をかなり丁寧に描いていることにも気づきました。

マンボウに乗ったあとの暑さ。

蝉の声。

岩陰。

冷たい飲み物。

夜道。

そして、冷たいサイダーフルーツポンチ。

派手に「夏です」と説明するのではなく、音や光や行動で夏を感じさせています。

それだけに、この夜の湧きどころが本当に涼しそうに見えます。

冷たさを楽しむハチワレと、少し我慢するちいかわ

ハチワレはフルーツポンチへ入り、冷たさを楽しんでいるように見えます。

一方、ちいかわは少し冷たさを我慢しながら入っているようにも見えます。

同じ場所へ一緒に入っても、二人の反応は同じではありません。

こういう微妙な差がかわいい。

そして『ちいかわ』では、こうした違いをセリフですべて説明しません。

ほんの少し表情を変える。

震える。

足の入り方を変える。

そうした身体の動きで、それぞれの感覚が伝わります。

短いアニメだからこそ、一つひとつの小さな動きがとても重要なのだと思います。

うさぎは、すでに「最高のくつろぎ方」を知っている

そして、またしてもうさぎです。

ハチワレとちいかわがフルーツポンチへ入っているところへ、すでに完全にくつろいだ姿で現れます。

仰向けに浮かび、足を組み、さらにみかんを枕にしています。

この姿があまりにも完成されています。

まるで、

「フルーツポンチの湧きどころはこう楽しむんだ」

と誰よりも先に理解しているようです。

私はここに、うさぎの「遊びを発見する能力」の高さを感じます。

みかんは本来なら食べるものです。

でも、うさぎにとっては枕にもなる。

普通なら「これはこう使うもの」と考えるところを、うさぎはあまり気にしていない。

使えるなら使う。

面白いならやる。

その自由さが、うさぎの魅力の一つなのだと思います。

みかんは枕、果物はビート板

ハチワレも、

「みかんを枕にしてるの?」

というように、うさぎの使い方へ気づきます。

そして三人を見ると、果物の使い方がそれぞれ違います。

うさぎはみかんを枕にする。

ハチワレは果物につかまる。

ちいかわはパイナップルのようなものを、まるでビート板のように抱えています。

こうした小さな描写も、じっくり見ると面白いところです。

さらに、ちいかわが抱えている果物には少しかじったような跡にも見える部分があります。

もし本当に食べた跡なのだとしたら、

「ちょっと食べてからビート板にしたのかな」

と想像するだけでもかわいい。

本筋とは関係のない細かな描写ですが、こういうものを探すと、一度見た動画でも違う楽しみ方ができます。

「ヒショ…」という一言にも、ちいかわらしさがある

そして最後に印象的なのが、ちいかわの

「ヒショ……」

という言葉です。

ハチワレが「避暑だね」と言い、それをちいかわが繰り返します。

普段の「ンショ」に近い響きで「ヒショ」と言うため、それだけでもかわいい。

ただ、私はそれだけではなく、ちいかわがハチワレの言葉を受け取って、自分でも口にしているところが好きです。

新しい言葉を覚えたようにも見えます。

ちいかわはもともと言葉数が多くないため、一つ新しい単語を発するだけでも印象に残ります。

大きな成長ではありません。

誰かから褒められるようなことでもありません。

でも、こういう小さな変化も、長く見ているからこそ気づける成長なのだと思います。

「当たりはずれ」は、マンボウだけの話ではないのかもしれない

ここまで今回の話を順番に見てくると、やはりタイトルの「当たりはずれ」という言葉が気になります。

ちいかわは、どう見てもマンボウでは「はずれ」を引きました。

激しく振られる。

酔う。

吐く。

泣く。

それだけを見れば、散々です。

しかし、その後まで見ていくと印象が変わります。

ハチワレがそばにいてくれる。

飲み物を飲んで休む。

うさぎと合流する。

三人で歌う。

夜の森を歩く。

そして最後には、フルーツポンチに浮かんで楽しんでいる。

つまり、最初に一つ「はずれ」があったからといって、その日全部が「はずれ」になるわけではない。

私は今回、ここがとても好きです。

人は嫌なことが一つあると、

「今日は最悪だった」

と思ってしまうことがあります。

でも、そのあとに小さな楽しいことがあるかもしれない。

誰かが優しくしてくれるかもしれない。

一緒に笑える時間があるかもしれない。

ちいかわにとってマンボウは確かにはずれでした。

でも、ハチワレとうさぎと過ごしたその後の時間まで含めれば、本当に「はずれの一日」だったのでしょうか。

むしろ最後の光景を見ると、かなり幸せな一日に見えてきます。

コメント欄では、こんなところに多くの人が注目していた

今回のコメント欄を見てみると、特に多かったのは、うさぎの歌や合いの手に対する反応でした。

「プル・イヤハァウララ」がかわいい、独特の動きをしているのにリズムがしっかり合っている、うさぎのリズム感がすごい、うさぎが歌っているだけで嬉しい、といった声が数多く見られました。

ハチワレについては、歌声がきれい、以前よりさらに歌が上手くなったという感想のほか、マンボウ酔いしたちいかわを日陰へ連れて行き、飲み物を渡している優しさに注目している人も多くいました。

ちいかわでは、「ヴォエ」という声のリアルさとかわいさ、「ヒショ」という一言、そして以前より一人でマンボウに乗れるようになっているのではないかという成長への注目が印象的でした。

また、

「マンボウで来たの?」

「マンボウ、当たり外れあるよね」

「みかんを枕にする」

「サイダーフルーツポンチ湧きどころ」

など、『ちいかわ』の世界でしかまず聞けないような言葉そのものを面白がる声も多くありました。

さらに、「三人が一緒にいるだけで癒される」「こういう平和な話が好き」「ずっと三人で仲良くしていてほしい」「落ち込んでいたけれど、この回を見て少し元気が出た」という感想も見られました。

こうしたコメントを読んでいると、今回の回が愛されている理由は、単に一つのギャグや一つのかわいい場面だけではないのだと思います。

細かな動き、声、三人の距離感、不思議な世界観、そして何でもない日常そのもの。

それぞれ違う部分を好きになりながら、最後には多くの人が「この三人を見ていると安心する」というところへ戻ってきているように感じました。

今回の動画が教えてくれているのかもしれないこと

今回の動画を見終わって、私が最後に感じたのは、「一つのはずれだけで、その日のすべてを決めなくてもいい」ということです。

ちいかわはマンボウでは、はずれを引きました。

自分で頑張って登り、一人で乗ってきたのに、激しく振り回され、最後には酔ってしまった。

でも、そのあとにはハチワレがいました。

日陰で休むことができました。

そして、うさぎと三人で歌いながら歩き、最後には月明かりの下でフルーツポンチに浮かんでいます。

人生でも、自分では選べない「当たりはずれ」のようなものはたくさんあると思います。

頑張ったのにうまくいかないこともある。

思っていたものとは違う結果になることもある。

避けられない嫌な出来事もある。

でも、一つ嫌なことが起きたからといって、その先にある時間まで全部嫌なものになるとは限りません。

少し休めばいい。

そばにいる人に助けてもらってもいい。

そのあと楽しいことを見つけてもいい。

そしてもう一つ、三人の姿から感じるのは、同じでなくても一緒にいられるということです。

ハチワレはハチワレの言葉で歌う。

うさぎはうさぎのリズムで合いの手を入れる。

ちいかわはその中で、自分なりに歩き、最後には「ヒショ」と新しい言葉を口にする。

三人は性格も、言葉も、動きもまったく違います。

それでも、同じ方向へ歩いている。

同じ場所で笑っている。

同じ時間を楽しんでいる。

今回の動画は、「はずれを引くことがあっても、その後にある小さな幸せまで見失わなくていい。そして、誰かとまったく同じでなくても、自分のリズムのまま一緒に歩いていくことはできる」――そんなことを、マンボウと歌とフルーツポンチを通して教えてくれているのかもしれません。

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