フランシス・ベーコンとはどんな人物?帰納法・4つのイドラ・「知識は力なり」を生涯からわかりやすく解説

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帰納法を調べると何度も名前が現れるフランシス・ベーコン。政治と法律の世界を生きた彼は、なぜ観察・比較・実験を重視し、人間の思い込みを「イドラ」と呼んだのでしょうか。生涯と思想をつなぎながら、初心者にもわかりやすくたどります。

「帰納法の人」だけではない――政治家として生き、「知る方法」を問い直したフランシス・ベーコン

代表例

なぜ「帰納法」を調べると、フランシス・ベーコンが出てくるの?

「帰納法について調べていたら、フランシス・ベーコンという名前が出てきた。」

そんな経験はないでしょうか。

フランシス・ベーコン(Francis Bacon/1561~1626)は、イングランドの哲学者・政治家です。

帰納法との関係でよく名前が挙がりますが、ベーコンは「帰納法だけの人」ではありません。

法律を学び、議会で活動し、国王に仕え、政治家として高い地位まで上りました。その一方で、「人間はどうすれば、もっと確かな知識を得られるのか」という大きな問題を考え続けた人物でもありました。

大切なのは、ベーコンは帰納法をゼロから発明した人物ではなく、観察や経験を重視しながら、自然について新しい知識を得る方法を大きな構想の中で発展させようとした重要人物だということです。

この記事では帰納法そのものを詳しく説明するのではなく、

「帰納法を調べると出会うベーコンとは、いったいどんな人物だったのか?」

を中心に、その人生と思想をたどっていきます。

5秒でわかるフランシス・ベーコン

フランシス・ベーコンとは、政治と法律の世界で生きながら、「人間の知識をもっと前へ進めたい」と考えた哲学者です。

昔から伝わる考えを受け入れるだけでなく、自然を観察し、比較し、そこから新しい知識を生み出す方法を重視しました。

だからこそ、帰納法や科学的方法の歴史を調べると、ベーコンの名前が何度も登場します。

小学生にもわかるように言うと?

ベーコンは、

「最初から答えを決めるより、まずよく見てみよう」

と考えた人です。

「似ているものだけでなく、違うものも見て、それから考えよう」

という姿勢を大切にしました。

でも、ベーコンの面白さはそれだけではありません。

政治家として成功し、失敗も経験しながら、それでも「人間はどうすれば、もっとよく知ることができるのか」を考え続けた人物でした。

第1章 こんなことはありませんか?

名前は知っている。でも、どんな人かは知らない

歴史上の人物について、

「名前は知っている。でも、その人がどんな人生を送ったのかは知らない」

ということはないでしょうか。

フランシス・ベーコンも、その一人かもしれません。

帰納法を調べると「ベーコン」。

哲学史を調べても「ベーコン」。

科学の歴史でも名前が出てきます。

ところが人物について少し調べると、哲学者だけでなく、法律家、国会議員、国王に仕えた政治家、随筆家、歴史家という、さまざまな顔が見えてきます。

しかも、政治家として非常に高い地位まで上った一方で、その人生が最後まで順調だったわけでもありません。

では、なぜこれほど多くの顔を持つ人物が、帰納法の歴史で重要なのでしょうか。

そして、政治の世界で生きた人が、なぜ人間の「知る方法」をそこまで真剣に考えたのでしょうか。

「ベーコンとは、結局どんな人だったの?」

この記事では、この疑問を中心に見ていきます。

ベーコンがどんな時代に生きたのか。

どんな人生を送ったのか。

なぜ観察や経験を重視したのか。

なぜ帰納法と結びつけて語られるのか。

そして、人間の思い込みを表す「イドラ」という考えを、なぜ重要視したのか。

それらを一人の人物の歩みとしてつなげていきます。

この人物を知ると、帰納法だけではなく、「なぜ近代の人々が新しい知識の作り方を必要としたのか」という時代の変化も少しずつ見えてきます。

名前と功績だけを覚えるのではなく、一人の人間の人生から、どのように思想が生まれていったのかを見ることが、この記事の大きな目的です。

第2章 疑問が浮かんだ物語

「帰納法の人」って、それだけなの?

高校生のユウは、帰納法について調べていました。

すると、何度も同じ名前が出てきます。

フランシス・ベーコン。

「この人が、帰納法で有名な人なんだな。」

最初は、それだけでした。

ところが人物について調べると、予想していなかった言葉が次々と出てきます。

政治家。

法律家。

国会議員。

大法官。

随筆家。

歴史家。

ユウは少し不思議に思いました。

「……帰納法を考えていた哲学者じゃないの?」

さらに調べると、ベーコンは若いころから法律と政治の世界に入り、国王に仕え、政治家として高い地位まで上ったことが分かりました。

その一方で、知識や自然を研究する方法についても考え続けていました。

そして、政治家として成功した後には失脚も経験しています。

ユウは少し意外に感じました。

哲学者というと、静かな書斎で一生考え続けた人を想像していたからです。

けれどベーコンは、実際の政治や法律の世界で人と関わり、評価され、競争し、失敗もしながら生きていました。

「政治家なのに、どうしてそこまで“知ること”を考えていたんだろう?」

最初の疑問は、

「ベーコンは帰納法で何をしたの?」

だったはずです。

ところが今は、

「この人は、何を目指して生きていたんだろう?」

ということのほうが気になります。

帰納法について調べていたはずなのに、いつの間にかユウは、フランシス・ベーコンという一人の人間そのものを知りたくなっていました。

第3章 すぐに分かる結論

お答えします。

フランシス・ベーコンは、政治家・法律家として現実の世界で生きながら、「人間の知識そのものをもっと前へ進めたい」と考えた哲学者です。

これが、まず覚えておきたいベーコンの姿です。

彼は、自然について新しい知識を得るためには、昔から伝わる考えを覚えるだけではなく、実際の観察や経験を集め、比較し、そこから慎重に考えていくことが重要だと考えました。

ここで、帰納的な方法が関係してきます。

帰納とは簡単に言えば、具体的な観察や経験をもとに、そこからより広いことを考えていく推論です。

ただし、今回の記事の主役は帰納法そのものではありません。

大切なのは、

「なぜベーコンは、新しい知識の得方が必要だと考えたのか」

ということです。

その答えは、彼の人生と、彼が生きた時代を見ていくと少しずつ分かってきます。

ベーコンは政治の世界で成功し、やがて失脚も経験しました。

その一方で、人間の知識を大きく立て直そうという壮大な構想を持ち続けました。

帰納的な方法は、その大きな構想を実現するための重要な一部だったのです。

ここで細かな専門用語を覚える必要はありません。

まず知ってほしいのは、ベーコンの思想は、彼の人生や時代と一緒に見ることで、ずっと分かりやすくなるということです。

ここから先は、帰納法の説明を繰り返すのではなく、

フランシス・ベーコンという人物が、どこで生まれ、どんな環境で育ち、何を目指し、なぜそのような思想へたどり着いたのか

を見ていきます。

「帰納法の人」という一言の向こう側にいた、一人の人間としてのフランシス・ベーコンをたどっていきましょう。

第4章 フランシス・ベーコンとはどんな人物?

ここまで、「帰納法の人」という言葉の向こう側にいるフランシス・ベーコンを見てきました。

では、実際にはいつ、どこで生まれ、どんな家庭で育ち、どのような人生を歩んだ人物だったのでしょうか。

まず、一人の人間としての輪郭から見てみましょう。

フランシス・ベーコン(Francis Bacon)は、1561年1月22日にロンドンで生まれ、1626年4月9日に65歳で亡くなった、イングランドの哲学者・法律家・政治家・著述家です。

後には爵位を得たため、資料によっては、

Francis Bacon, 1st Viscount St Alban(フランシス・ベーコン、ファースト・ヴァイカウント・セント・オールバン/初代セント・オールバン子爵)

と表記されることもあります。

ロンドンにある、イギリスの歴史や文化に関わった人物の肖像を収集・研究するナショナル・ポートレート・ギャラリー(National Portrait Gallery/国立肖像美術館)でも、ベーコンは「哲学者・大法官」として、この名称で登録されています。

ベーコンは、政治の中心に近い父と、高い教育を受けた母のもとで育ち、幼いころから政治と学問の両方が身近にある環境にいました。

ベーコンが生まれた場所は、ロンドンのストランドにあったYork House(ヨーク・ハウス)という邸宅です。

父はサー・ニコラス・ベーコン(Sir Nicholas Bacon)

エリザベス1世のもとで Lord Keeper of the Great Seal(ロード・キーパー・オブ・ザ・グレート・シール/国璽尚書〈こくじしょうしょ〉)を務めていました。

国璽とは、国王や女王の重要な公文書に用いられる印章です。その管理を担う国璽尚書は、当時の政治や司法の中枢にかかわる重要な役職でした。

母はアン・ベーコン(Anne Bacon/アン・ベーコン、旧姓クック)です。

ベーコンは父ニコラスと2番目の妻アンとの間に生まれた次男で、兄には後に外交や情報活動にも関わったアンソニー・ベーコン(Anthony Bacon)がいました。

幼いころのベーコンは、まず家庭で教育を受けています。

つまりベーコンにとって、政治も学問も、成人してから突然出会った世界ではありません。

幼いころから、国家を動かす政治の世界と、言葉や知識を学ぶ世界の両方が身近にあったのです。

12歳になると、兄とともにケンブリッジへ向かいます。

1573年4月5日、12歳になったばかりのベーコンは、兄アンソニーとともにケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ(Trinity College, Cambridge/トリニティ・カレッジ)へ入りました。

当時と現在では教育制度が異なるため、「12歳で現代の大学生と同じ生活を始めた」と考える必要はありません。

それでも、非常に若い時期から高度な学問に触れていたことは確かです。

二人を指導したのは、当時トリニティ・カレッジの学寮長だったジョン・ホイットギフトで、後にカンタベリー大主教となる人物でした。ベーコンは1575年末までケンブリッジで学んでいます。

当時の教育では、古代以来の哲学や論理学が重要な位置を占めていました。

後にベーコンは、従来の学問の方法には大きな不足があると考えるようになります。

しかし、それは昔の学問を何も知らない人が外から批判したわけではありません。

ベーコン自身が若いころに伝統的な学問を学び、その内側を知ったうえで、新しい知識の作り方を模索するようになったのです。

この点は、後の思想を理解するときに重要になります。

大学の次にベーコンが進んだのは、哲学者への道ではなく法律の世界でした。

1576年、ベーコンはGray’s Inn(グレイズ・イン/イングランドの法律家を養成してきた法曹院の一つ)に入りました。

同じ年には、外交官サー・アミアス・ポーレットに同行してフランスへ渡っています。

約2年半にわたるフランス滞在では、外交上の仕事を手伝うとともに、ローマ法を基礎とした大陸ヨーロッパの法制度にも触れました。

1579年、父ニコラスの死を知ってイングランドへ戻り、その後はグレイズ・インで法律の勉強を続けます。

1582年には法廷で活動する資格を得て、本格的に法律家として歩み始めました。

哲学史ではどうしても思想だけが注目されます。

しかし実際のベーコンは、人生の大部分を法律と政治の実務にかかわりながら生きた人物でした。

政治の世界では、20歳ごろから長い経歴を重ねていきます。

1581年、ベーコンは議会の一員となり、その後1621年まで各議会に参加しました。

1603年には国王ジェームズ1世からナイトに叙され、Sir Francis Bacon(サー・フランシス・ベーコン)と呼ばれるようになります。

その後、法律家・政治家として地位を高め、1613年には法務長官、1616年には枢密顧問官、1617年には国璽尚書となりました。

そして1618年には、

Lord Chancellor(ロード・チャンセラー/大法官)

に就任します。

大法官は、当時のイングランドにおいて政治と司法の双方に大きな影響を持つ、極めて高い地位でした。

つまりベーコンは、政治を外から眺めて論じていた哲学者ではありません。

実際に権力の中心近くまで上りつめた人物だったのです。

爵位も、政治家として地位を高める中で与えられました。

1618年には、

Baron Verulam(バロン・ヴェルラム/ヴェルラム男爵)

となり、

1621年には、

Viscount St Alban(ヴァイカウント・セント・オールバン/セント・オールバン子爵)

に叙されました。

そのため「フランシス・ベーコン」「サー・フランシス・ベーコン」「ヴェルラム男爵」「初代セント・オールバン子爵」といった複数の呼び方が資料に登場します。

これらは別の人物を指しているのではなく、同じベーコンが人生の中でナイトや爵位を与えられていった結果です。

私生活では、1606年にアリス・バーナムと結婚しています。

妻はアリス・バーナム(Alice Barnham/アリス・バーナム、1592~1650)です。

記録上、二人の間に子どもはいませんでした。

夫婦関係やベーコン本人の私的な感情については、後世にさまざまな解釈があります。

しかし、本人の内面について史料から確実に判断できないことまで推測で埋める必要はありません。

人物を知るときには、「確認できる事実」と「後世の解釈」を分けて考えることも大切です。

そして1626年4月9日、ベーコンはロンドン北部のハイゲートで亡くなりました。

スタンフォード哲学百科事典では、死去した日と場所を**1626年4月9日、Highgate(ハイゲート)**と確認できます。

ベーコンの死については、雪を使って肉の保存を試している途中で体調を崩したという有名な逸話も伝わっています。

ただし、この章で確実な人物情報として覚えておきたいのは、1626年4月9日に65歳で亡くなったことです。死の詳しい経緯については、同時代に近い記録と後世の逸話を区別して扱う必要があります。

ベーコンはセント・オールバンズのSt Michael’s Church(セント・マイケルズ・チャーチ/聖ミカエル教会)に葬られたと伝えられ、現在も教会には彼の記念像があります。

ただし、教会側の現在の説明では、後に棺が移された記録があり、現在その遺骸が正確にどこにあるのかは確定していません。

ここまでを一人の人生として眺めてみると、ベーコンの人物像が少し変わって見えてきます。

1561年、政治と学問に近い家庭に生まれる。

12歳でケンブリッジへ進む。

法律を学ぶ。

若いころにフランスで外交の世界を見る。

20歳ごろから議会に入り、長年法律と政治に携わる。

そして最終的には大法官にまで上りつめる。

その人生と並行して、人間の知識、自然の調べ方、学問そのものをどう変えていけばよいのかを考え続けました。

最新のスタンフォード哲学百科事典も、ベーコンを法律家、政治家、随筆家、歴史家という多面的な人物として捉えながら、彼の哲学上の中心的な仕事を、「すべての知識を刷新する巨大な計画」にあったと位置づけています。

フランシス・ベーコンは、書斎だけで世界を考えた哲学者ではありません。政治と法律という現実の世界を生きながら、それと同時に「人間はどうすれば、もっとよく知ることができるのか」を追い続けた人物でした。

この人物像を知っておくと、後に登場する帰納法や「イドラ」も、単なる哲学用語ではなくなってきます。

では、ベーコンはなぜ、

「人間の知識の得方そのものを変える必要がある」

と考えるようになったのでしょうか。

その答えを探すためには、ベーコン一人だけを見るのではなく、彼が生きた16世紀後半から17世紀初頭のヨーロッパにも目を向ける必要があります。

次は、フランシス・ベーコンが生きた時代を見ていきましょう。

第5章 ベーコンが生きた時代

「昔の本を読むだけ」で自然を理解できるのか?

まず大切なのは、ベーコン以前の学問が「昔の本を読むだけ」で、自然をまったく観察していなかったわけではないということです。

古代ギリシャのアリストテレスは動物を体系的に調べ、解剖を含む観察的な研究も行っていました。中世にも、観察や経験を使って自然を理解しようとした研究者たちがいました。現在の科学史でも、観察を重視する研究はベーコンから突然始まったとは考えられていません。

では、ベーコンは何を変えたいと思ったのでしょうか。

彼が問題にしたのは、過去の権威ある考えを学ぶことが、新しい知識を発見することより優先されてしまう学問のあり方でした。

とくに大きな影響力を持っていたのが、アリストテレス(Aristotle/紀元前384~322年)と、その思想を受け継いできた学問的伝統です。

ここでいう学問的伝統とは、ある哲学者の考えや研究方法が、何世代にもわたって教育や研究の土台として受け継がれてきた流れのことです。

ベーコン自身も、ケンブリッジ大学でその伝統の中の教育を受けました。

つまり彼は、昔の学問を何も知らないまま外から批判したわけではありません。

自分自身が伝統的な学問を学んだからこそ、「この方法だけで、まだ知られていないことを発見できるのだろうか」と疑問を持った人物でした。

ベーコンが生きた16世紀後半から17世紀初頭のヨーロッパでは、学問や技術を取り巻く環境も変化していました。

Renaissance(ルネサンス/古代ギリシャ・ローマの文化や学問を再評価しながら、新しい知的活動が広がった時代的な動き)の中で古典が読み直され、印刷によって知識が広まり、航海によって地理や自然についての新しい情報も増えていました。

ベーコン自身も、人間の生活を大きく変えた発明として、印刷・火薬・方位磁針を挙げています。

印刷は、本や知識を大量に複製し、学問を広く伝えられるようにしました。
火薬は、大砲などを通して戦争の方法や軍事力のあり方を変えました。
方位磁針は、海上で方角を知る助けとなり、遠くの海へ航海する力を大きく高めました。

ベーコンは、この三つがそれぞれ学問・戦争・航海を変え、そこから世界全体に数え切れないほどの変化を生み出したと考えていました。

つまり彼にとって発明とは、単に便利な道具ではなく、新しい知識が人間の社会そのものを変える力を持つことを示す証拠でもあったのです。

そのためベーコンは、古い知識をすべて捨てようとしたのではありません。

過去から学びながら、それを最終回答にはせず、自然そのものへもう一度問い直す。

そこに彼の姿勢がありました。

「アリストテレスがこう言っているから」で終わるのではなく、

「では、実際の自然を調べたらどうなるのだろう?」

と先へ進む。

この問いが、ベーコンの新しい方法へつながっていきます。

第6章 ベーコン以前にも「帰納」はあった

ベーコンを帰納法の歴史で理解するとき、まず覚えておきたい正確な情報があります。

帰納的な考え方そのものは、フランシス・ベーコンよりはるか以前から論じられていました。

その代表的な人物が、先ほど登場したアリストテレスです。

アリストテレスは、

epagōgē(エパゴーゲー/一般に「帰納」と訳されるギリシャ語)

について論じています。

大まかには、個別の事柄から、より一般的・普遍的な理解へ進むことを意味します。

たとえば、個々の経験や観察から、より一般的な原理へ進んでいくという方向です。

アリストテレスの科学的知識の考え方でも、この「個別から一般へ進む」過程は、説明の出発点となる原理を理解するうえで重要な役割を持っていました。

ただし、古代の epagōgē が、現在私たちが「帰納法」と呼ぶものと完全に同じだった、と考える必要はありません。

アリストテレス自身がこの概念をどう考えていたのかについては、現在の研究でも細かな議論があります。

ここで重要なのは、

「個別から一般へ考える」という発想をベーコンが初めて生み出したわけではない

ということです。

では、なぜ約1900年後のベーコンが、帰納法の歴史でこれほど重要なのでしょうか。

答えは、

ベーコンが重要なのは、帰納を、人間の思い込みや権威だけに頼らず、実際の自然現象を観察し、当てはまる場合と当てはまらない場合を比べ、当てはまらない候補を一つずつ取り除きながら、新しい知識へ進む方法として作り直そうとしたことです。

ここから、ベーコンらしさが見えてきます。

第7章 ベーコンは何を変えようとしたのか?

ベーコンが変えようとした重要な点の一つは、

少数の事実を見ただけで、すぐに最も大きな結論へ飛ばないこと

でした。

ベーコンは、人間の思考は目の前のいくつかの事実から、

「つまり自然はこうなっている」

と、一気に大きな説明を作りたがると考えました。

そこで彼が求めたのは、もっと段階的な道です。

個別の観察

低い段階の一般的な理解

さらに観察や実験で確かめる

より広い理解

最後に、より一般的な原理へ進む

ベーコンは、このように段階を踏みながら、最終的には axiom(アクシオム/公理・一般的な原理や命題)と呼ばれる、自然の仕組みについてのより一般的な理解へ進もうとしました。

ベーコンは、感覚や個別的な事実から、いきなり最も一般的な原理へ飛ぶのではなく、低い段階、中間の段階を一つずつ通りながら上っていくべきだと考えました。

ベーコンは、この考え方を「アリ・クモ・ハチ」という有名なたとえでも説明しています。

アリは、外から物を集め、そのまま蓄えます。

ベーコンは、経験を集めるだけの人をアリになぞらえました。

クモは、自分の体から糸を出して巣を作ります。

ベーコンは、頭の中の理屈だけから大きな体系を作る人を、クモになぞらえました。

では、ベーコンが理想としたのは何でしょうか。

ハチです。

ハチは花から材料を集めますが、それをそのまま保存するのではなく、自分の中で加工して別のものへ変えます。

ベーコンにとっても、

経験を集めるだけでは足りない。
頭の中で考えるだけでも足りない。
自然を観察して得た事実をただ集めるだけではなく、それらを比べ、整理し、「そこから何が言えるのか」を理性を使って考える必要がある。

ということでした。

この「ハチ」のたとえは、ベーコンを単なる「観察をたくさんすればよいと考えた人」と理解しないために、とても重要です。

彼が欲しかったのは、大量の事実ではありません。

事実から、新しい知識を生み出すための方法そのものだったのです。

第8章 『ノヴム・オルガヌム』とは何だったのか?

ベーコンが、観察や実験をもとに自然を調べ、新しい知識へ進むための方法を本格的に示そうとした著作が、

Novum Organum(ノヴム・オルガヌム/「新しい道具」)

です。

1620年に刊行されたベーコンの大きな哲学的計画『大刷新』の中で、この『ノヴム・オルガヌム』は、新しい自然研究の方法を示す中心部分として置かれました。

なぜ「新しい道具」という名前なのでしょうか。

organon(オルガノン)は、もともとギリシャ語で「道具・手段」を意味する言葉です。

アリストテレスの論理学に関する著作群も、後世の人々によってまとめて、

Organon(オルガノン/「道具」)

と呼ばれるようになりました。

一方、ベーコンの著作名はラテン語です。

ギリシャ語の organon(オルガノン) に対応するラテン語が、

organum(オルガヌム/道具)

です。

そのため、

Novum Organum(ノヴム・オルガヌム)=「新しい道具」

という題名になります。

ベーコンはこの題名によって、従来の論理だけに頼るのではなく、自然を調べて新しい知識へ進むための新しい思考の道具・方法を示そうとしました。

つまり題名そのものが、

「自然を新しく調べるためには、思考にも新しい道具が必要だ」

というベーコンの姿勢を表しているのです。

『ノヴム・オルガヌム』だけが、ベーコンのすべての計画だったわけではありません。

彼が考えていたのは、

Instauratio Magna(インスタウラティオ・マグナ/「大刷新」「大再建」)

という、さらに大きな構想でした。

これは、人間が持っている知識を整理し、自然についての情報を集め、新しい研究方法を作り、そこから新しい哲学や実用的な成果へ進もうとする計画でした。

『ノヴム・オルガヌム』は、その壮大な計画のうち、

「では、自然から新しい知識を発見するために、頭をどのように使えばよいのか」

を扱う部分だったのです。

ベーコンは、その必要性を航海にもたとえています。

船乗りが遠い海へ出るために方位磁針を必要とするように、

人間がまだ知らない自然の奥へ進むためにも、

考える方向を支える方法が必要だ

と考えました。

人間の頭が役に立たないからではありません。

むしろ、

人間の頭は、自分では正しく考えているつもりでも、簡単に思い込みへ引っぱられる。だからこそベーコンは、観察や比較、排除といった方法によって思考を助ける「道具」が必要だと考えました。

そして、そもそも人間の思考をどのような思い込みが邪魔するのかを考えたものが、後に見る「イドラ」という考え方です。

第9章 ベーコンの帰納法は「たくさん見る」だけではない

『ノヴム・オルガヌム』で示されたベーコンの方法には、どんな特徴があったのでしょうか。

ここで一番覚えておきたいのは、

ベーコンは「当てはまる事例」だけでなく、「当てはまらない事例」を比較することを重視した

という点です。

たとえば、

Aでも起きた。

Bでも起きた。

Cでも起きた。

という事例を何百件集めても、

「なぜ起きたのか」

まで分かるとは限りません。

そこでベーコンは、似た条件なのに現象が起きない場合や、現象が強くなったり弱くなったりする場合も調べました。

これは現在、

eliminative induction(エリミナティブ・インダクション/排除による帰納・排除的帰納)

と呼ばれることがあります。

eliminate(エリミネイト)は、「候補から取り除く」という意味です。

つまり、

「これが正解だろう」

という候補をすぐ選ぶのではなく、

「この可能性は違う」「これも違う」と比較しながら候補を減らしていく

方法です。

ベーコン自身も、単純に事例を数えるだけの帰納を不十分だと考え、exclusion(エクスクルージョン/排除・除外)を重要な方法として位置づけました。

そのため、調べた事例を大きく三つの「表」に整理します。

存在する場合。

調べたい現象が現れている事例です。

存在しない場合。

似た条件なのに、その現象が現れていない事例です。

程度が変化する場合。

現象が強くなったり弱くなったりするとき、ほかに何が一緒に変化しているかを比べます。

それぞれ、

table of presence(テーブル・オブ・プレゼンス/存在表)

table of absence(テーブル・オブ・アブセンス/不在表)

table of degrees(テーブル・オブ・ディグリーズ/程度表・比較表)

と呼ばれます。

この「表」は、単なる一覧表を作ることが目的ではありません。

自分が最初に思いついた説明に都合のよい事例だけを集めないための仕組みなのです。

そしてベーコンは、観察だけでなく実験も重視しました。

彼にとって実験とは、ただ珍しい現象を眺めるものではありません。

「この条件を変えたら、結果はどう変わるのか」という問いを自然へ投げかけ、その答えを観察するための方法でした。

最新の研究では、ベーコンの自然研究は単なる事実収集ではなく、実験によって事実を確かめたり、考えている説明を試したりする役割も持っていたことが重視されています。

つまりベーコンの方法を短くまとめるなら、

観察する。
比較する。
当てはまらない場合も見る。
可能性を排除する。
残った考えを、さらに観察や実験で確かめる。

という流れです。

帰納法の歴史でベーコンが重要なのは、

「経験をたくさん集めよう」と言ったからだけではありません。

人間が早すぎる結論へ飛びつかないように、観察・比較・排除・実験を組み合わせた新しい知識の探し方を作ろうとした人物だったからです。

では、この方法を実際の問題に使うと、どのようになるのでしょうか。

ベーコンは『ノヴム・オルガヌム』の中で、その具体例として「熱」を取り上げました。

次の章では、

「熱がある場合」

「熱がない場合」

「熱の強さが変わる場合」

をベーコンがどう比較し、何を候補から取り除こうとしたのかをたどります。

ここまでの方法が、実際の思考の中でどう働くのかを見ていきましょう。

第10章 「熱」を調べる――ベーコンの考え方を具体例で見る

ベーコンの「熱」の研究で一番重要なのは、正しい答えを一度で当てたことではなく、比較と排除によって答えの候補を少しずつ絞ろうとしたことです。

『ノヴム・オルガヌム』第2巻で、ベーコンは「熱とは何か」を具体例として取り上げました。

ここでベーコンが熱を調べたのは、熱についての研究だけを完成させるためではありません。

それまで説明してきた、

観察した事例を集める。
違いを比べる。
当てはまらない候補を取り除く。
そこから、少しずつ一般的な理解へ進む。

という自分の方法を、実際の自然現象に使うと、どのように新しい答えへ近づいていけるのか。

その進め方を具体的に示す代表例として、「熱」が取り上げられたのです。

ベーコンが探そうとしたのは、

form(フォーム/形相・その現象を成り立たせている根本的な性質)

です。

ここでいう「形相」は、見た目の形という意味ではありません。

また、現代科学でいう「原因」や「自然法則」と、そのまま同じ意味でもありません。

簡単にいえば、ベーコンは、

「熱という現象が起こるところには、いったい何が共通しているのだろう?」

と考えたのです。

そのために使われたのが、前章で紹介した三つの表でした。

熱がある場合を見る。

熱がない場合を見る。

そして、熱が強くなったり弱くなったりする場合を見る。

たとえばベーコンは、太陽の光、炎、温められた液体、摩擦など、熱が現れているさまざまな事例を集めました。

しかし、似ているように見える事例でも、本当に同じ条件がそろっているとは限りません。

そこで、熱が現れない場合も比べます。

たとえばベーコンは、当時の観察として、

太陽の光には熱が感じられる。

一方で、月の光には同じような熱が感じられない。

という違いに注目しました。

もし、

「光そのものが熱の根本的な性質である」

のなら、光があるところには熱もあるはずです。

ところが、月の光ではそうならない。

そこでベーコンは、

「光そのものだけでは、熱を説明できない」

と考え、候補から外していきます。

これが、

exclusion(エクスクルージョン/排除・除外)

です。

ベーコンの帰納では、自分の考えに合う例だけを集めるのではなく、その考えでは説明できない例を探し、候補を減らしていくことが重要でした。

さらにベーコンは、熱が強くなったり弱くなったりするとき、ほかに何が変化しているのかにも注目します。

炎は動いている。

液体は熱せられると動きが大きくなる。

物をこすり合わせると熱が生じることがある。

こうしたさまざまな事例を比べていった結果、ベーコンは最初の暫定的な結論として、

「熱は、ある種の運動である」

と考えました。

さらに詳しくは、物体の小さな部分に起こる、外へ広がろうとしながら抑えられているような運動だと説明しています。

ただし、ここで研究が終わったわけではありません。

ベーコンは、この段階で得られた答えを、

First Vintage(ファースト・ヴィンテージ/最初の収穫・最初の暫定的な結論)

と呼びました。

「最初の収穫」という名前が示しているように、これは、

「これで完全に分かった」

という最終回答ではありません。

そこまでの観察や比較から得られた、最初の答えです。

一度答えを出したあとも、新しい観察や実験を行い、その答えが本当に当てはまるのかをさらに確かめていく必要があります。

つまりベーコンの方法では、

観察する

比べる

候補を排除する

暫定的な答えを出す

さらに自然へ確かめに戻る

という流れが続いていくのです。

ここには、現代から見ると興味深いところがあります。

現在の物理学でも、温度や物質内部の運動には深い関係があります。

そのため、

「ベーコンは昔から、熱と運動の関係に気づいていたのか」

と思うかもしれません。

しかし、ここは注意が必要です。

ベーコンの「熱は運動である」という考えと、現代の熱力学や分子運動論は同じ理論ではありません。

現代物理学では、

temperature(テンペラチャー/温度)

internal energy(インターナル・エナジー/内部エネルギー)

heat(ヒート/熱)

などを区別して考えます。

現代物理学では、「熱そのものが粒子の運動である」と単純には考えません。

物質をつくる粒子の運動は、物体の温度や内部エネルギーと深く関係しています。

一方でとは、簡単にいえば、温度差によって、ある物体から別の物体へ移動するエネルギーのことです。

たとえば、熱いコーヒーに冷たいスプーンを入れると、エネルギーは温度の高いコーヒーから、温度の低いスプーンへ移っていきます。

このような、温度差によるエネルギーの移動を、現代の熱力学では「熱」として扱います。

そのため、ベーコンの「熱はある種の運動である」という考えは、物質内部の運動に注目した点では興味深いものの、現在の熱力学や分子運動論とそのまま同じ考えではありません。

ベーコンの時代には、原子や分子についての現在の理論も、熱力学という体系もありませんでした。

そのため、

「ベーコンは現代の分子運動論を400年前に発見していた」

と考えるのは正確ではありません。

また、ベーコンのあとに「熱とは何か」という問題がすぐに解決したわけでもありません。

その後も多くの研究者が、熱を物質の運動として考えたり、逆に目に見えない物質のようなものとして考えたりしながら、長い時間をかけて研究を続けました。

そして実験、測定、数学、理論が積み重なり、現在の熱力学や分子運動論へと発展していきます。

つまり、ベーコンの「熱」の研究から覚えておきたいのは、

「熱の正体を完全に発見したこと」ではありません。

もっと重要なのは、

まだ答えが分からない自然現象に対して、どのように調べ、どのように答えへ近づいていくのか

という探究の進め方です。

当てはまる例だけを見るのではなく、当てはまらない例も見る。

似ているものを比べる。

違っているものも比べる。

説明できない候補を減らす。

そして、一度出した答えも最終回答だと思わず、新しい観察や実験によってもう一度確かめる。

答えを先に決めず、事実によって自分の答えを変えられるようにしておく。

熱についての「答え」以上に、この答えへの進み方こそが、ベーコンがこの例を通して示そうとしたものだったのです。

そして、ここでもう一つ問題が残ります。

どれだけ丁寧な方法を作っても、それを使うのは人間です。

そしてベーコンは、自然そのものだけでなく、それを観察する人間の側にも問題があると考えていました。

人間は、自分では正しく考えているつもりでも、思い込みや経験、言葉、これまで学んできた考え方に引っぱられ、自然をありのままに捉えられないことがあります。

ベーコンは、こうした人間の理解を邪魔するものを、

idola(イドラ/幻影・虚像)

と呼びました。

次の章では、この「人間の頭の中にある思い込み」について、ベーコンがどのように考えたのかを見ていきます。

第11章 人間の思い込みも知識を邪魔する――「イドラ」

ベーコンは、自然を正しく調べる方法を考えるだけでなく、その自然を観察する人間自身が、どのような思い込みによって判断を誤るのかも考えました。

この考えを知るうえで、帰納法と同じくらい重要なのがイドラです。

idola(イドラ/像・幻影・虚像)とは、人間の理解をゆがめ、自然を正しく理解することを邪魔するものを表すベーコンの言葉です。

最初に覚えておきたいのは、

ベーコンは「人間は頭を使えば自然に正解できる」とは考えていなかった

ということです。

むしろ、人間の知性には最初から間違いやすい傾向があり、そのまま自由に考えさせると誤った結論へ進むことがあると考えました。『ノヴム・オルガヌム』では、その障害を四種類に整理しています。

種族のイドラ――人間という存在そのものから生まれるゆがみ

Idols of the Tribe(アイドルズ・オブ・ザ・トライブ/種族のイドラ)

です。

人間は世界そのものを完全に映す鏡ではなく、自分たちの感覚や考え方を通して世界を見ています。

そのため、実際以上に規則性を見つけたくなったり、自分が期待しているものを重く見たりすることがあります。

ベーコンは、人間の知性を、対象をそのまま映すのではなく、自分自身の性質も混ぜてしまう「ゆがんだ鏡」にたとえました。

洞窟のイドラ――一人ひとりの経験から生まれるゆがみ

Idols of the Cave(アイドルズ・オブ・ザ・ケイヴ/洞窟のイドラ)

です。

育った環境、教育、読んできた本、性格、尊敬する人物などによって、同じ世界でも見え方が変わります。

自分が得意な分野ですべてを説明したくなる。

自分が成功した方法だから高く評価する。

ベーコンは、一人ひとりが自分だけの「洞窟」から世界を見ているようなものだと考えました。

市場のイドラ――言葉から生まれる混乱

Idols of the Market(アイドルズ・オブ・ザ・マーケット/市場のイドラ)

です。

人が集まって言葉を交わす「市場」から名付けられています。

曖昧な言葉を使っているうちに、その意味がはっきりしているように感じてしまう。

名前が付いているだけで、実際にもその通りのものが存在すると思ってしまう。

ベーコンは、私たちが言葉を支配しているつもりでも、言葉のほうが私たちの考え方を動かしてしまうことがあると警戒しました。

劇場のイドラ――完成された理論を信じすぎること

Idols of the Theatre(アイドルズ・オブ・ザ・シアター/劇場のイドラ)

です。

受け継がれてきた哲学体系や理論は、舞台劇のように美しくまとまった一つの世界を作ることがあります。

しかし、

「きれいに説明できること」と、「実際の自然がその通りであること」は同じではありません。

ベーコンが「劇場」と呼んだ理由はここにあります。

現代の心理学には、

cognitive bias(コグニティブ・バイアス/認知バイアス)

という、人間の判断に生じる一定の偏りを研究する概念があります。

イドラと似て見える部分はあります。

ただし、イドラと現代心理学の認知バイアスは同じ理論ではありません。

イドラは17世紀のベーコンが、自然哲学と知識の方法を考える中で作った分類です。

四つを並べると、ベーコンが警戒していたものがよく見えてきます。

人間そのもの。

個人の経験。

言葉。

受け継いだ理論。

知識を邪魔するものは、自然の外側ではなく、私たち自身の中にもある。

だからベーコンにとって新しい方法とは、自然を調べる手順であると同時に、自分の思考を野放しにしないための道具でもあったのです。

第12章 「知識は力なり」は、本当にベーコンの言葉?

フランシス・ベーコンについて調べると、

Knowledge is power(ナレッジ・イズ・パワー/知識は力なり)

という有名な言葉をよく見かけます。

この言葉は、ベーコンの考えを短く表す言葉として広く知られています。

では、本当にベーコン本人がこの言葉を残したのでしょうか。

正確にいうと、少し注意が必要です。

「知識と力は深く結びついている」という考えは、ベーコン思想の重要な部分です。

しかし、現在よく知られている

“Knowledge is power.”

という短い英語の表現を、そのままベーコン本人が英語で残した言葉として受け取るのは慎重にしたほうがよいでしょう。

ベーコン自身は、1597年に出版されたラテン語の著作、

Meditationes Sacrae(メディタティオネス・サクラエ/『聖なる瞑想』)

の中で、

“Nam et ipsa scientia potestas est.”(ナム・エト・イプサ・スキエンティア・ポテスタス・エスト)

と記しています。

おおよその意味は、「知識そのものも力である」です。

つまり、現在有名な「知識は力なり」という言葉が、ベーコンの思想とまったく無関係な後世の言葉というわけではありません。

ただし、現在広まっている短い英語表現と、ベーコン本人が残したラテン語の文章は区別して理解するのがより正確です。

さらに注意したいのは、このラテン語の文章が、もともとは神の知識や力について論じる宗教的な文脈の中に置かれていたことです。

そのため、現在よく使われる「知識を持てば力を得られる」という意味だけを、そのまま当時の文章に当てはめることはできません。

一方で、ベーコンが人間の知識と、人間が何かを実現する力も強く結びつけて考えていたことは、別の著作からも分かります。

1620年の『ノヴム・オルガヌム』では、

人間の知識と人間の力は、一つに重なる

という考えを示しています。

なぜなら、自然の原因や仕組みを知らなければ、それを利用して望む結果を生み出すことも難しいからです。

反対に、自然がどのような仕組みで動いているのかを知ることができれば、それまで人間にはできなかったことを実現できる可能性が広がります。

ベーコンにとって知識は、ただ、

「たくさん知っている」

と誇るためのものではありませんでした。

彼が求めていたのは、自然についてより確かな知識を得て、そこから新しい発見や技術を生み、人間の生活をよりよくすることにつながる知識でした。

ですから、「知識は力なり」をベーコンらしく理解するなら、

「たくさん知識を覚えれば偉くなれる」

という意味ではありません。

むしろ、

「自然の仕組みをより深く知ることによって、人間はそれまでできなかったことを実現できるようになる」

という考えに近いのです。

これは、政治や法律という現実の世界を生きたベーコンの人物像とも重なります。

彼にとって知識は、書斎の中だけで完結するものではありませんでした。

知ることは、できることを増やしていく。

この「知識」と「力」の結びつきは、後の時代にベーコンがどのように評価されていったのかを考えるうえでも、重要な手がかりになっていきます。

第13章 ベーコンは「科学の父」なのか?

結論から言えば、

フランシス・ベーコンは近代の自然研究が形作られていく歴史で非常に重要な人物ですが、「科学の父」という呼び名を、一人で現代科学を作ったという意味に受け取るのは適切ではありません。

「帰納法の父」「経験論の父」「科学的方法の父」といった呼び方もありますが、いずれも後世から見た評価を分かりやすく表した言葉です。

ベーコンの時代には、現在「科学」と呼ぶ研究の多くは、

natural philosophy(ナチュラル・フィロソフィー/自然哲学)

という枠組みで行われていました。

ここでいう自然哲学とは、現在のような「哲学」という一つの分野だけを指す言葉ではありません。

天体はなぜ動くのか。物体はなぜ落ちるのか。熱や光とは何なのか。動植物はどのように生きているのか。

このように、自然界の仕組みや変化について広く調べ、説明しようとする学問が「自然哲学」と呼ばれていました。

現在なら物理学・天文学・生物学などに分かれて研究される問題の多くも、当時はこの大きな枠組みの中で考えられていたのです。

その中でベーコンが大きな影響を残したのは、

観察や実験を重視し、新しい知識を組織的に生み出し、その成果を人間の役に立てようとする大きな構想

でした。

その影響がよく分かるのが、ベーコンの死後です。

1660年に活動を始めたRoyal Society(ロイヤル・ソサエティ/王立協会)は、自然についての観察や実験を共同で行う重要な研究組織となりました。

1664年の王立協会の記録には、自然現象や実験の情報を集める際、ベーコンが自然史の作り方について書いた指針を参考にするよう勧めた記録が残っています。

さらに1667年に出版された王立協会の歴史書の扉絵には、初代会長や国王チャールズ2世と並んでベーコンの姿が描かれています。

ベーコンが王立協会を直接設立したという意味ではありません。

むしろこれは、死後の17世紀に、自然研究を新しくする思想的な先駆者としてベーコンがどれほど高く評価されていたかを示す象徴的な資料です。

18世紀の啓蒙思想(けいもうしそう)の時代にも、ベーコンは「実験哲学の父」として高く評価されました。

ここでいう啓蒙思想とは、理性や経験、観察を重んじながら、社会や知識をよりよくしていこうとした18世紀ヨーロッパの大きな思想の流れです。

また、実験哲学(experimental philosophy/エクスペリメンタル・フィロソフィー)とは、自然について考えるときに、権威ある本や理屈だけに頼るのではなく、観察や実験を通して確かめようとする研究の姿勢を指します。

そのためベーコンが「実験哲学の父」と呼ばれたのは、彼が実験そのものを発明したという意味ではなく、観察や実験を重視する自然研究の方向性を強く打ち出した先駆者として、後世から高く評価されたという意味です。

一方で、近代科学は一人の人物から始まったものではありません。

天文学、数学、医学、力学、実験技術、測定器具など、さまざまな研究の流れが組み合わされながら発展していきました。

だからベーコンを理解するときには、

「科学を一人で発明した人物」ではなく、「自然研究の目的・方法・組織のあり方そのものを大きく作り直そうとした重要人物」

と捉えるほうが、歴史的な実像に近づきます。

実際、現在の研究でも、ベーコンの重要性は新しい方法だけでなく、実験、自然史、知識の実用性、研究者の協力まで含む大きな計画にあったと評価されています。

では、そのベーコンの方法は、400年後の科学でもそのまま使われているのでしょうか。

第14章 ベーコンの方法は現代科学そのものなのか?

まず結論から言うと、

現代科学は、ベーコンが『ノヴム・オルガヌム』で示した方法を、そのまま一つの決まった手順として使っているわけではありません。

現在の科学では、研究する対象や問いによって、さまざまな方法が組み合わされています。

たとえば、

hypothesis(ハイポセシス/仮説)

とは、「もしかすると、こういう仕組みなのではないか」と考える、まだ確かめる途中の説明のことです。

仮説を立てたら、

「もしこの説明が正しければ、このような結果が起こるはずだ」

と予測することがあります。

その予測を、前提から論理的に導くときに使われるのが、

deduction(ディダクション/演繹[えんえき])

です。

演繹とは、ある前提が正しいとしたとき、そこからどのような結論が導かれるのかを考える方法です。

また、

model(モデル/模型・モデル)

とは、複雑な現象のすべてをそのまま再現するのではなく、重要な部分を取り出して、理解したり予測したりしやすい形に表したものです。

そして、

statistics(スタティスティクス/統計学)

とは、集めたデータを整理し、見えている違いや傾向がどの程度確かなものなのかを数量的に調べるための学問や方法です。

現代の科学では、観察・実験・帰納・演繹・仮説・モデル・統計など、さまざまな方法を組み合わせながら、得られた結果を確かめ、研究を進めていきます。

そのため、科学全体を「この一つの手順だけで進むもの」と考えるのは難しいのです。

たとえば、新しい薬に効果があるか確かめる場合があります。

代表的な方法の一つが、

randomized controlled trial(ランダマイズド・コントロールド・トライアル/無作為化比較試験)

です。

参加者を無作為に複数のグループへ分け、一方には調べたい治療を行い、もう一方には比較対象となる治療などを行います。

目的は、

「薬を飲んだ人が良くなった」

という事例を集めるだけではなく、年齢や体調など、薬以外の違いが結果へ与える影響をできるだけ減らして比較することです。

その結果を統計的に分析し、別の研究でも同じ傾向が確認されるかを検討します。

ここでは、

観察。

仮説。

比較。

実験。

予測。

統計。

といった複数の考え方が一緒に使われています。

これは、ベーコンの三つの表をそのまま現代化したものではありません。

実際、ベーコンの具体的な方法については、後世から、

「観察した事例を集め、表に整理し、比較と排除を重ねてから結論へ進むという手順を、実際の科学研究にそのまま当てはめるには、少し決まりが細かく、柔軟性に欠ける」

という批判も受けました。

科学研究では、観察から始める場合もあれば、先に仮説を立てたり、数学的なモデルから予測したりする場合もあります。

そのため、ベーコンの方法を、すべての科学研究にそのまま当てはめられる一つの固定された手順として考えることはできません。

現在のスタンフォード哲学百科事典でも、歴史上の科学研究の中から、ベーコンの方法がそのまま実践された説得力のある例を見つけるのは難しいと指摘されています。

それでも、ベーコンの重要性が消えるわけではありません。

彼が現代科学の完成した手順を発明したから重要なのではなく、「人間の思いつきだけに任せず、方法によって自分の考えを確かめながら、まだ知らないことを発見しよう」としたから重要なのです。

観察した事実を集めるだけで終わらない。

理屈だけにも頼らない。

自分が信じたい説明だけを残さない。

新しい結果が出れば、もう一度考え直す。

その具体的な方法は、400年のあいだに大きく変わってきました。

しかし、

「人間は、どうすれば自分の思い込みを超えて、まだ知らない自然について知ることができるのか」

というベーコンの問いは、形を変えながら現在の科学にもつながっています。

そして、ベーコンの死後も、その問いが終わったわけではありませんでした。

経験とは何なのか。

観察したことから、まだ観察していないことをどこまで推論できるのか。

原因は、どうすれば見つけられるのか。

ベーコンが投げかけたこうした問いは、後の哲学者や自然研究者たちによって、さまざまな形で考え直され、ときには批判されながら、さらに別の方向へ発展していくことになります。

第15章 ベーコンの後に何が起きた?

ここまでフランシス・ベーコンを追ってきましたが、ベーコンが帰納や経験について最後の答えを出したわけではありません。

むしろ彼が強く押し出した、

「経験や観察から、どうすれば新しい知識へ進めるのか」

という問いは、その後の自然研究者や哲学者によって、さまざまな方向へ発展していきました。

ロバート・ボイル――観察と実験を、実際の研究へ

ロバート・ボイル(Robert Boyle/1627~1691)は、17世紀イングランドを代表する自然哲学者です。

ボイルはベーコンの著作から強い影響を受け、まず観察や実験による事実を集め、そこから自然の原理を探ろうとしました。現在の研究でも、ボイルの自然研究には明確なBaconian approach(ベイコニアン・アプローチ/ベーコン的な研究方法)があったと評価されています。

有名なのが空気を調べる実験です。

ボイルたちは空気を閉じ込め、水銀などを使って圧縮し、空気の体積が小さくなるとき、どれほどの圧力が必要になるのかを測定しました。

1661年の王立協会の記録にも、「圧縮される空気の長さ」「圧縮に必要な水銀の重さ」「仮説から予想される値」を比較した表が残っています。

ただ現象を見るのではなく、

条件を変え、測り、予想と結果を比べる。

ベーコンが構想した実験的な自然研究が、次の世代ではより具体的な研究文化へ育っていったことが分かります。

ジョン・ロック――自然だけでなく、「知る人間」へ

ジョン・ロック(John Locke/1632~1704)は、近代のempiricism(エンピリシズム/経験論)を代表する哲学者の一人です。

経験論とは、知識を考えるうえで感覚や経験を重要な出発点とする考え方です。

ロックはボイルとも交流し、観察や実験を重視する当時の知的環境に深く関わっていました。

しかし、ロックが大きく問うたのは、

「人間の理解には、そもそも何ができ、どこに限界があるのか」

という問題でした。

ロックは、この問いに対して一つの答えを出そうとしました。

それは、

「人間は多くのことを知ることができる。しかし、あらゆることを確実に知ることができるわけではない」

というものです。

ロックは、私たちの知識の材料は経験から得られると考えました。

しかし、自然の奥にある仕組みまで、いつでも完全な確実さをもって知ることができるとは考えませんでした。

確実に知ることができるものもあれば、証拠をもとに「おそらくそうだ」と判断するしかないものもあります。

だからこそロックは、「何を知っているのか」だけでなく、「どこから先は確実には分からないのか」を知ることも、人間の理解にとって大切だと考えたのです。

代表作『人間知性論』では、人間が何を正当に知ることができ、何については知識の限界を認める必要があるのかを調べようとしています。SEPも、ロックの計画がベーコン的な自然研究の文化と関係していたことを指摘しています。

ベーコンが「どう自然を調べるか」を問い直した先で、今度は「その自然を知ろうとしている人間の心とは何か」という問題が大きくなっていったのです。

デイヴィッド・ヒューム――「でも、なぜ未来も同じだと思えるの?」

さらに18世紀には、デイヴィッド・ヒューム(David Hume/1711~1776)が、経験から知識を得ることそのものへ鋭い問いを向けました。

これまで何度も同じことが起こった。

だから、次も同じことが起こるだろう。

私たちは日常的にそう考えます。

しかしヒュームは、

「過去にそうだったことから、なぜ未来もそうだと言えるのか」

という根本的な問題を提起しました。

ヒュームは、この問題に、

「過去にそうだったのだから、未来もそうなると理性によって確実に証明できる」

という答えを出したわけではありません。

むしろ彼は、過去の経験から未来を予測することを、理性だけで完全に正当化することはできないと考えました。

それでも私たちは、過去に何度も同じ出来事を経験すると、次も同じことが起こるだろうと自然に期待します。

ヒュームは、その働きを、

custom or habit(カスタム・オア・ハビット/習慣・慣れ)

によって説明しました。

つまりヒュームは、

「未来も同じになることの正しさ」を証明したのではなく、「なぜ私たちの心に『きっと次も同じだろう』という期待が生まれるのか」を説明した

のです。

そして、「経験から未来をどこまで正当化して予測できるのか」という問題は、その後の哲学でも考え続けられる大きな問題になりました。

これが後に、

problem of induction(プロブレム・オブ・インダクション/帰納の問題)

と呼ばれる問題につながります。ヒュームによるこの問題の古典的な議論は、1739年の『人間本性論』、1748年の『人間知性研究』にあります。

ベーコンが、

「どうすれば、よりよく帰納できるのか」

を考えたのに対して、

ヒュームはさらに、

「そもそも帰納によって未来へ進むことを、何が正当化しているのか」

と問いを深くしたのです。

ジョン・スチュアート・ミル――原因をどう見つけるか

19世紀には、ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill/1806~1873)が、帰納や因果関係について体系的に論じました。

ミルは、ある現象の原因を探るときに、複数の事例をどのように比べればよいのかを整理しました。

現在では、一般に次の5つが「ミルの方法」として知られています。

一致法(Method of Agreement/メソッド・オブ・アグリーメント)

差異法(Method of Difference/メソッド・オブ・ディファレンス)

一致差異併用法(Joint Method of Agreement and Difference/ジョイント・メソッド・オブ・アグリーメント・アンド・ディファレンス)

剰余法(Method of Residues/メソッド・オブ・レジデューズ)

共変法(Method of Concomitant Variations/メソッド・オブ・コンコミタント・ヴァリエーションズ)

たとえば一致法では、

「ある現象が起こった複数の事例に、共通して存在する条件は何か」

を比べます。

一方、差異法では、

「ある条件があると現象が起こり、その条件がないと現象が起こらないなら、その違いは何か」

を比べます。

つまりミルは、単に一つの実験手順を考えたのではありません。

ある現象の原因を探るために、「何が共通しているのか」「何が違っているのか」「何が一緒に変化しているのか」など、事例を比較する考え方を整理したのです。

ただし、現実の出来事では多くの条件が複雑に関係しています。

そのため、こうした方法を使えば一度の比較だけで原因が必ず確定する、というわけではありません。

ミルの方法は、原因を考えるための重要な手がかりを与える方法として理解するのがよいでしょう。

ただしミル自身も、背景条件が複雑に関係するため、こうした方法から得られる因果判断には慎重さが必要だと考えていました。

この4人は、ベーコンの考えをそのまま受け継いだ一本の「後継者の列」ではありません。

それぞれが違う問題に取り組みました。

それでも、

実験する。
経験とは何かを考える。
帰納そのものを問い直す。
原因を見つける方法を整理する。

という形で、ベーコンが大きく押し出した「経験からどう知識へ進むか」という問題は、その後も姿を変えながら続いていきました。

ベーコンは、帰納について最後の答えを書いた人物ではなく、その後も長く続く大きな問いを前へ進めた人物だったのです。

第16章 ベーコンを現代の日常に置き換えると?

ベーコンの『ノヴム・オルガヌム』は、400年以上前の自然研究のために書かれました。

ですから、現代の生活で三つの表を作り、ベーコンの手順をそのまま再現する必要はありません。

それでも、「最初に思いついた答えに飛びつかない」という姿勢は、現在でも使えます。

日常に置き換えるなら、まず三つの問いだけ覚えてみてください。

「反対の例はないだろうか?」

新しい勉強法で点数が上がった。

SNSで同じ意見を何件も見た。

仕事で新しい方法を試したら売上が上がった。

そこで、

「やっぱりこれが正しい」

とすぐ決める前に、

「逆に、うまくいかなかった場合はないだろうか?」

と探してみます。

これは、自分の考えに合う例だけでなく、反対の例にも目を向けるということです。

「条件が違ったら、結果も変わらないだろうか?」

同じ方法でも、人、時間、場所、季節などが違えば、結果が変わるかもしれません。

「自分にはうまくいった」

という事実と、

「誰にでもうまくいく」

という結論は同じではありません。

「ほかの原因では説明できないだろうか?」

売上が上がったのは広告の変更だけが理由でしょうか。

季節。

価格。

競合。

偶然。

ほかの要因も考えられます。

ベーコン的な姿勢で大切なのは、

自分の答えを正しいと証明するためだけに事実を見るのではなく、事実によって自分の答えを変えられるようにしておくこと

です。

人間関係でも同じです。

一度約束を破ったから、その人は「信用できない人」。

一度助けてくれたから、その人は「絶対に信用できる人」。

人間は一つの出来事だけでは説明できません。

そこで、

「実際に起きたこと」と「自分がそこから考えたこと」を、一度分けてみる。

それだけでも、思い込みに少し距離を置くことができます。

ベーコンが現在まで残したものは、400年前の具体的な手順だけではありません。

自分の最初の答えよりも、これから見つかる事実を大切にする。

その姿勢こそ、現代の日常にも持ち帰れるベーコンの考え方の一つでしょう。

第17章 おまけコラム

あなたならベーコンに何を聞く?

ここまで、ベーコンがどのように自然を調べ、人間の思い込みを警戒し、新しい知識へ進もうとしたのかを見てきました。

では今度は、ベーコンの答えを学ぶだけでなく、その考えをもう一度ベーコン本人へ問い返してみましょう。

もしフランシス・ベーコンが目の前に座っていたら、あなたは何を聞いてみたいでしょうか。

まず一つ目は、

「観察を増やし続ければ、いつか真理へたどり着けるのでしょうか?」

です。

ベーコンは、事実を慎重に集め、比較し、少しずつ一般的な理解へ進もうとしました。

では、100回観察すれば十分なのでしょうか。

1000回なら、もう間違いないのでしょうか。

おそらくベーコンなら、

「観察の数を増やすだけでは十分ではない」

と答えるでしょう。

ベーコンが重視したのは、自分の考えに合う事例をたくさん集めることだけではありませんでした。

当てはまらない事例も見る。

条件の違いを比べる。

考えられる候補を排除する。

実験によってさらに確かめる。

そして、低い段階の理解から、少しずつより一般的な理解へ進んでいく。

つまり大切なのは、

「どれだけ多く見たか」だけではなく、「どのような方法で見て、比べ、考えたか」

だったのです。

しかも、熱の研究で見たように、ベーコンは最初に得られた答えを First Vintage(ファースト・ヴィンテージ/最初の収穫) と呼びました。

最初の答えは、そこで終わる答えではありません。

さらに自然へ問い返すための、途中の答えです。

そう考えると、ベーコンにとって探究とは、

「何回観察すれば終わりなのか」を決めることよりも、答えを新しい事実によって確かめ続けられる状態にしておくこと

だったと考えられます。

そしてこの問いは、後にヒュームが深く考える「帰納の問題」にもつながっていきます。

二つ目は、

「人間は、自分のイドラから完全に自由になれるのでしょうか?」

です。

これについても、ベーコンの答えは単純ではありません。

彼は、イドラを知り、人間の理解をできるだけそこから解放する必要があると考えました。

しかし同時に、イドラは人間の心に深く入り込んでいて、一度気づいたからといって、それで二度と影響を受けなくなるわけではないとも考えていました。

だから必要なのは、

「私はもう思い込みから自由だ」

と思うことではありません。

むしろ、

「自分の考えは、また思い込みに引っぱられるかもしれない」

と警戒しながら、観察・比較・実験といった方法によって、自分の判断を確かめ続けることです。

ベーコンなら、

「イドラがあると知るだけでは足りない。だからこそ、人間の知性を助ける方法が必要なのだ」

と答えるかもしれません。

つまり大切なのは、

「偏りのない完璧な人間になること」ではなく、「自分にも偏りがある可能性を忘れず、事実によって考えを修正できるようにしておくこと」

だと読むことができます。

そして三つ目。

「イドラを論じたベーコン自身は、自分の時代の思い込みから自由だったのでしょうか?」

これは、ベーコン本人がそのまま答えを残している問いではありません。

しかし、ベーコン自身のイドラの考えを使うなら、とても興味深い答えが見えてきます。

ベーコンは、

種族のイドラは、人間という存在そのものから生まれる

と考えました。

さらに、

洞窟のイドラは、一人ひとりの教育、経験、性格、読んできた本、尊敬する人物などから生まれる

と考えました。

だとすれば、フランシス・ベーコン本人だけが、その影響の外にいたと考える理由はありません。

イドラについて考えたベーコン自身も、イドラを持ちうる一人の人間だった。

これは、ベーコンの思想から自然に導ける考えです。

彼も17世紀の社会に生き、その時代の政治、宗教、学問、社会の常識の中で考えていました。

現代から見れば、ベーコンの考えにも、その時代だからこそ生まれた前提や限界があります。

すると、ベーコンに向けたはずの問いが、今度は私たち自身へ戻ってきます。

「いま自分が『当たり前』だと思っていることの中に、未来の人から見ればイドラに見えるものはないだろうか?」

もしかすると、

「昔の人には思い込みがあった。でも現代の私たちは違う」

と考えた瞬間にも、新しいイドラが入り込んでいるのかもしれません。

昔の哲学者を学ぶ面白さは、その人の答えを覚えることだけではありません。

その人物が残した考え方を使って、その人物自身を問い直し、最後には自分自身まで問い直してみることにもあります。

フランシス・ベーコンを知ったあとに、一つの答えだけではなく、新しい疑問が一つ残ったなら。

それもまた、この人物から受け取ったものの一つなのかもしれません。

第18章 まとめ・考察

フランシス・ベーコンという人物から、何を受け取れるのか

ここまで、フランシス・ベーコンという一人の人物を追ってきました。

1561年に生まれ、法律と政治の世界を歩き、大法官という高い地位にまで上った人物。

その一方で、人間の知識そのものを新しく作り直そうと考え、観察、実験、比較、帰納、そして「イドラ」と呼ばれる人間の思い込みの問題に取り組んだ人物でもありました。

ベーコンについて一つだけ覚えるなら、

「人間は、自分がすでに知っていると思っていることに満足せず、自然そのものへ問い直しながら、新しい知識を作ろうとした人物」

と捉えると、その思想と人生を結びつけて理解しやすいでしょう。

ベーコンの面白さは、完成された答えを一つ残したことだけにあるのではありません。

むしろ、

「人間は、どうすれば自分の思い込みを超えて、まだ知らないことを知ることができるのか」

という問題を、大きな課題として残したところにあります。

彼が考えた具体的な方法のすべてが、そのまま現代科学で使われているわけではありません。

熱についての理解も、現在の物理学とは異なります。

それでも、

当てはまる事例だけを見ない。

反対の事例も見る。

別の原因を考える。

自分が使っている言葉や、信じている理論そのものも疑ってみる。

そして、新しい事実が現れたなら考え直す。

この「自分の答えよりも、これから見つかる事実を優先する姿勢」は、400年以上たった現在でも考える価値があります。

ここから少し、ベーコンを現代の日常へ連れてきてみましょう。

こんな経験はないでしょうか。

新しい勉強法を試したら、一度だけ成績が上がった。

「この方法は自分に合っている」と思ったものの、よく考えると、いつもより勉強時間そのものが長かったかもしれない。

仕事で新しい方法を取り入れたら、うまくいった。

けれど同じ時期に、季節や価格、周囲の状況も変わっていたかもしれない。

SNSで似た意見を何度も見て、

「みんなそう思っているんだ」

と感じた。

ところが少し検索方法を変えると、まったく違う意見もたくさん見つかった。

そんなとき、

「ベーコンなら、ここで何を比べるだろう?」

と一度考えてみるだけでも、見えている世界が少し変わるかもしれません。

そして、もっと身近なのは人間関係です。

一度冷たい態度を取られた。

「この人は自分のことが嫌いなのだろう。」

そう思ったあとで、

「疲れていただけかもしれない」

「別のことで悩んでいたのかもしれない」

「ほかの日はどうだっただろう」

と考えてみる。

これは、何でも疑って決断できなくなることとは違います。

一つの出来事から作った自分の説明を、世界そのものだと決めつけないこと。

そこには、ベーコンから学べる姿勢があるように思えます。

さらに考えてみると、ベーコンの「イドラ」は少し不思議な考え方でもあります。

私たちは普通、

「もっと知識を増やせば、賢くなれる」

と考えます。

しかしベーコンの思想には、それとは少し違う方向があります。

新しいことを知るためには、ときには「自分はすでに分かっている」という感覚のほうを疑わなければならない。

知識を増やすだけでなく、

「自分の見方にも限界がある」

と知ること。

これは、一見すると知識とは反対方向へ進んでいるようで、実は知識へ近づくために必要な態度なのかもしれません。

そして、ここにはベーコン本人について考えたくなる面白さもあります。

イドラを論じたベーコン自身も、一人の人間でした。

政治の世界で成功を求め、最高位近くまで上り、そして失脚も経験しました。

17世紀という時代の中で生き、その時代特有の考え方から完全に自由だったわけでもありません。

だからベーコンという人物は、

「思い込みから完全に自由になった賢人」

として見るより、

「人間は思い込みから自由になれないかもしれないからこそ、それを少しでも乗り越える方法を探した人」

として見るほうが、ずっと人間らしく感じられます。

もしかすると、ベーコンの思想から受け取れる大切なものは、

「正しい答えを持つこと」

そのものではないのかもしれません。

自分の答えを、いつでももう一度調べられる形にしておくこと。

昨日まで正しいと思っていた考えでも、新しい事実が現れたなら見直す。

自分が尊敬している人の考えでも、自然や事実と合わないなら問い直す。

そして、自分自身の考えでさえ例外にしない。

それは少し勇気のいる態度です。

自分の考えが間違っている可能性を認めることになるからです。

しかし同時に、

「間違っていたなら、もっとよい考えへ進める」

という可能性を残すことでもあります。

帰納法について調べていて、偶然フランシス・ベーコンという名前に出会った。

最初は「帰納法のところに出てくる昔の哲学者」だったかもしれません。

しかし、その人生や思想までたどってみると、

政治家として現実世界を生きながら、

人間の思考の弱さを考え、

自然へ問いかける新しい方法を探し、

知識を人間の生活へ役立てようとした人物の姿が見えてきます。

「知る」とは、すでにある答えを覚えることだけではなく、まだ知らないものへ向かって問い続けることでもある。

フランシス・ベーコンという人物は、そのことを考えるための一つの入口を残してくれたのではないでしょうか。

最後に、あなた自身へ問いを残してみます。

あなたが今、「これは間違いない」と思っていることには、どんな根拠がありますか?

その考えと反対の事例を、一度でも探してみたことはあるでしょうか?

もし明日、新しい事実が見つかったら、その考えを変えることができるでしょうか?

そして、もう一つ。

もしベーコンが現代のあなたの生活を見たなら、「もっとよく観察してみよう」と言いそうなのは、どんなことでしょうか?

答えがすぐに見つからなくても構いません。

ベーコンという人物を知ったあとに、

「では、自分は本当に何を知っているのだろう?」

という新しい問いが一つ生まれたなら。

そこから、また次の哲学が始まるのかもしれません。

第19章 疑問が解決した物語

「帰納法の人」だけではなかった

あの日、ユウは帰納法について調べている途中で、何度も同じ名前を見つけました。

フランシス・ベーコン。

最初は、

「帰納法で有名な昔の哲学者なんだな。」

それくらいにしか思っていませんでした。

けれど、ここまで調べてきた今では、同じ名前を見ても感じ方が少し違います。

政治家。

法律家。

国会議員。

大法官。

著述家。

そして、人間がどうすれば新しい知識へ近づけるのかを考え続けた哲学者。

以前は、これらがばらばらの肩書きに見えていました。

でも今のユウには、少しずつ一つにつながって見えます。

「ベーコンは、帰納法だけを考えていた人じゃなかったんだ。」

政治や法律という現実の世界で生きながら、

人間の考え方には思い込みが入りやすいことを考え、

昔からある答えをそのまま受け入れるのではなく、

自然を観察し、比較し、実験しながら、新しい知識を生み出す方法を探そうとした。

そして、その知識を人間の生活に役立てようとしていた。

ユウが最初に感じた、

「政治家なのに、どうしてそこまで“知ること”を考えていたんだろう?」

という疑問にも、少し答えが見えてきました。

ベーコンにとって「知ること」は、政治とはまったく別の、書斎の中だけの問題ではなかったのかもしれません。

人間がよりよく判断し、よりよく行動し、まだできないことをできるようにするために、知識そのものを前へ進めたかった。

だからこそ、観察する方法も、人間の思い込みも、言葉の使い方も、知識の役立て方も、一つの大きな問題として考えていた。

ユウは、ようやく最初の疑問がつながったように感じました。

その日の夜。

ユウは勉強机の前で、翌日の小テストに向けて復習をしていました。

少し前なら、

「この勉強法で一度点数が上がったから、やっぱりこの方法が一番いい。」

と考えていたかもしれません。

けれど今度は、少しだけ立ち止まりました。

「本当に、この方法だけが理由かな?」

前より長く勉強していたこと。

問題との相性が良かったこと。

睡眠時間が違っていたこと。

ほかの可能性も考えてみます。

そして、

「じゃあ、次も同じ方法を試してみよう。でも、結果が違ったら、そのときは考え直そう。」

そう決めました。

前のユウは、自分の答えを確かめるために事実を見ようとしていました。

今のユウは、事実を見たあとで、自分の答えを変えてもいいと思えるようになっていました。

それは、大きな変化ではないかもしれません。

明日から急に、すべての思い込みがなくなるわけでもありません。

ユウ自身も、

「イドラを知ったからって、自分の思い込みが全部なくなるわけじゃないよな。」

と分かっています。

でも、

「自分にも思い込みがあるかもしれない。」

と考えられるようになった。

それだけでも、以前とは少し違います。

SNSで同じ意見ばかり見たときには、

「反対の意見も見てみよう。」

仕事や勉強で何かがうまくいったときには、

「ほかの理由はなかったかな。」

誰かについて一度嫌な印象を持ったときには、

「その一回だけで、その人全部を決めていないかな。」

そんなふうに、一度だけ立ち止まって考えてみる。

ベーコンの三つの表を毎回作る必要はありません。

けれど、

「反対の例は?」

「条件が違ったら?」

「ほかの原因は?」

という問いなら、日常の中でも使えそうです。

ユウは、最初にベーコンについて調べた画面をもう一度開きました。

そこには、以前と同じ名前が表示されています。

フランシス・ベーコン。

でも、もう「帰納法のところに出てくる人」だけには見えません。

成功した政治家であり、

失脚した政治家でもあり、

人間の思考の弱さを考え、

自然を調べる方法を作ろうとし、

知識を人間の生活へ結びつけようとした人物。

そして、完成した答えを残したというより、

「人間はどうすれば、もっとよく知ることができるのか」

という大きな問いを、後の時代へ渡した人物。

ユウは画面を閉じながら、少しだけ笑いました。

「帰納法を調べていたのに、最後は“自分がどう考えているか”まで気になってきたな。」

でも、それでいいのかもしれません。

昔の哲学者を知るということは、

その人の名前や功績を覚えることだけではありません。

その人が持っていた問いを、自分の生活の中でもう一度考えてみること。

そこまでできたとき、その人物は「昔の偉人」ではなく、今の自分にも関係する存在になります。

今回、ユウが得た教訓を一つにまとめるなら、

「自分の最初の答えよりも、これから見つかる事実を大切にすること。」

それでした。

では、あなたならどうでしょうか。

ベーコンについて知った今、

「自分が当然だと思っていることの中で、もう一度観察してみたいことは何ですか?」

そして、

もし新しい事実が見つかったら、自分の考えを変える余地を残せているでしょうか。

第20章 文章の締めとして

フランシス・ベーコンについて調べ始めたとき、最初に目に入るのは「帰納法」という言葉かもしれません。

けれど、その人物の人生をたどっていくと、見えてくるものは一つの考え方だけではありませんでした。

政治の世界で高い地位まで上り、失敗や失脚も経験したこと。

昔から受け継がれてきた知識を学びながら、それだけを最終的な答えにはしなかったこと。

人間の考えには思い込みが入り込むと考え、それでも少しでも確かな知識へ近づく方法を探し続けたこと。

そして、知識をただ持つだけではなく、人間の生活へ役立てようとしたこと。

それらを知っていくと、ベーコンは「正しい答えをすべて知っていた偉人」というよりも、まだ分からないことを前にして、どうすれば少しでも前へ進めるのかを考え続けた一人の人間だったように感じられます。

私たちは、日常の中で何度も答えを出します。

「きっとこうだ。」

「あの人はこういう人だ。」

「この方法が正しい。」

「みんなそう思っている。」

その答えが必要なこともあります。

いつまでも迷い続けるわけにはいきません。

けれど、答えを持つことと、その答えを二度と疑わないことは同じではありません。

一度答えを出しても、新しい事実が見つかったなら、もう一度考えてみる。

その小さな余白が残っているだけで、世界の見え方は少し変わるのかもしれません。

400年以上前に生きたベーコンの考えを、そのまま現代へ持ってくる必要はありません。

彼の方法にも、時代による限界がありました。

それでも、

「自分が見たいものだけを見ていないだろうか。」

「まだ確かめていないことまで、分かったつもりになっていないだろうか。」

「反対の事実が見つかったら、自分は考え直せるだろうか。」

そんな問いを、ときどき自分自身へ向けてみることはできます。

もしかすると、昔の哲学者を学ぶ意味は、その人と同じ答えを持つことではないのかもしれません。

その人が残した問いによって、自分が今まで気づかなかった問いを持てるようになること。

そこに、哲学を読む面白さの一つがあるように思います。

帰納法について調べていて出会った一人の人物。

その人物を知ろうとした先で、自分自身の「知り方」や「考え方」まで少し気になってくる。

もしこの記事を読み終えた今、そんな小さな変化が残っていたなら、フランシス・ベーコンという人物との出会いは、ただ昔の知識を一つ増やしただけではなかったのかもしれません。

補足注意

この記事は、フランシス・ベーコンの人物像や思想、帰納法との関係について、公開されている文献や信頼できる資料をもとに、筆者が個人で確認できる範囲で整理したものです。

ベーコンの思想や歴史的な評価には、研究者によって異なる解釈や見方があります。また、歴史研究は新しい史料の発見や研究の進展によって、これまでの理解が修正されたり、より詳しく分かるようになったりすることがあります。

そのため、本記事の内容を「ベーコンについての唯一の答え」とするのではなく、一つの理解の入り口として受け取ってください。

🧭 本記事のスタンス

この記事は、

「フランシス・ベーコンとは、結局どんな人物だったのだろう?」

という疑問から、自分でもさらに調べ、考えていくための入口として書いています。

哲学や歴史には、一つの言葉だけでは捉えきれない人物や問題があります。

ベーコンについても、帰納法、政治、科学史、経験論、宗教、社会思想など、見る角度によって違った姿が見えてきます。

一つの説明だけで人物を決めつけず、異なる資料や立場にも目を向けながら、自分なりの問いを深めてみてください。

それもまた、今回見てきたベーコンの「まず確かめ、比べ、考える」という姿勢につながっているのかもしれません。

この記事でベーコンに興味がわいたなら、ここで「知った」で終わらせず、さらに深い文献や資料へ進み、見て、比べて、確かめて、知識をもっと深めてみてください。

ベーコンが「知るための新しい道具」を探したように、あなた自身も新しい資料を手に取り、ひとつの答えから、もうひとつの問いへ。

知識を集めるだけでなく、知識で問いを深める――その先にこそ、まだ知らないベーコンと、まだ知らない自分の考えが待っているのかもしれません。

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました。

フランシス・ベーコンという人物は、知ることとは答えを持つことだけではなく、新しい事実に出会ったとき、もう一度問い直せる余地を残しておくことの大切さを教えてくれているのかもしれません。

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