モモンガから迷いなくスイカを持ち去り、ちいかわとハチワレとは一緒に楽しむうさぎ。豪快すぎるスイカ割りに笑いながら、その行動や言葉の奥に見える、モモンガとの不思議な関係性と「言葉にしない友情」について考察します。
- 『ちいかわ』第370話「流れ・スイカ①」。
- 最初からすでに「普通のスイカ割りではない」と予告されている
- 川から流れてくるスイカと、それを見つめるモモンガ
- 誰も見ていなくてもかわいこぶるモモンガ
- そのモモンガを、上から無言で見ているうさぎ
- うさぎは「モモンガだからいい」と思っているのか
- 「盗るな(とるな)」ではなく「転がすな」と言うモモンガ
- モモンガがうさぎを苦手そうにする理由
- 奪ったスイカを一人で食べないうさぎ
- 「好き」という気持ちは言葉より行動に出ることがある
- 喜ぶちいかわとハチワレ、そして画面の端の「うさぎのお尻」
- ハチワレの「それじゃ丸太だね」が妙に冷静
- 自分から先に目隠しするうさぎ
- 「目隠しをする」という形式だけは妙に守る
- これはスイカ割りなのか、それとも3人の共同作業なのか
- スイカ割りの「正解」より、みんなで楽しむこと
- うさぎは「既成概念」を壊している
- モモンガとちいかわ・ハチワレで、うさぎの態度がまるで違う
- ちいかわとハチワレが、うさぎの奇行に慣れているのも面白い
- 今回は「うさぎ無双回」でありながら、3人の友情が見える回でもある
- コメント欄ではどのようなところが注目されていたのか
- この動画が教えてくれるかもしれないこと
『ちいかわ』第370話「流れ・スイカ①」。
今回の話は、スイカをめぐるとても短いエピソードなのですが、見れば見るほど、うさぎ、モモンガ、ちいかわ、ハチワレそれぞれの性格や関係性がぎゅっと詰まっているように感じました。
一見すると、「うさぎがモモンガからスイカを持っていき、ちいかわとハチワレと一緒に、とんでもない方法でスイカ割りをする」という、かなり勢いのあるギャグ回です。
けれども、その一つひとつの行動を見ていくと、単なる面白さだけではなく、「このキャラクターは相手をどう見ているのか」「誰と一緒に楽しみたいと思っているのか」「自分の常識と他人の常識が違ったとき、どう振る舞うのか」といったことまで考えられるように思いました。
最初からすでに「普通のスイカ割りではない」と予告されている
今回の冒頭では、ちいかわ、ハチワレ、うさぎがそれぞれ葉っぱで目隠しをしていて、その後ろには大きなスイカがあります。
まだ本編が始まる前なのに、この時点ですでに少しおかしい。
普通のスイカ割りなら、目隠しをすること自体は珍しくありません。
けれども、3人そろって葉っぱを顔に貼り付けている姿は、何とも言えないシュールさがあります。
そして本編を見ると、「なぜこんな状態になったのか」が分かるのですが、分かったところで普通にはならない。
むしろ事情を知ったほうが、
「どうしてそうなるの?」
と思ってしまいます。
この、理由が分かってもなお理解しきれない感じこそ、今回のうさぎらしさなのかもしれません。
川から流れてくるスイカと、それを見つめるモモンガ
話は、川からスイカが流れてくるところから始まります。
モモンガはそれを「じー」と言いながら見つめています。
ここで「流れスイカ」と表示されるのも、桃太郎の桃のようでもあり、何となく夏らしく、のどかな始まりです。
モモンガはそのスイカを拾い上げ、その後なぜか横たわりながら足でポンポンと叩き始めます。
私は最初、この場面を見て、
「これは本当にスイカを割ろうとしているのか、それとも、いつものようにかわいこぶるための動作なのか?」
と少し迷いました。
モモンガは、実際にスイカが割れないと涙目のような表情になります。
本当に割りたいのかもしれない。
けれど同時に、その「割れなくて困っている自分」まで含めて、かわいく見せようとしているようにも感じます。
ここがモモンガというキャラクターの面白いところなのだと思います。
モモンガは、ただ行動するだけではなく、「自分がどう見えるか」ということまで意識して行動しているように見えることがあります。
だから今回も、本当に困っている気持ちと、かわいく見られたい気持ちが、同時に存在しているのではないか。
私はそんなふうにも感じました。
誰も見ていなくてもかわいこぶるモモンガ
ここでさらに面白いと思ったのは、少なくとも最初の時点では、周囲に誰かがいるようには見えないことです。
それでもモモンガはモモンガらしく振る舞っています。
もし、かわいこぶることが「誰かに褒めてもらうためだけの行為」なのであれば、誰もいないところではやらなくてもいいはずです。
それなのに、モモンガは一人でもその振る舞いをしている。
そう考えると、モモンガにとって「かわいく振る舞う」ということは、もはや他人へのアピールだけではなく、本人の生き方そのものになっているのかもしれません。
かわいく見られるためにかわいこぶるのではなく、かわいこぶることそのものが自分らしさになっている。
そんな見方をすると、この何気ない場面にも少し違った面白さが生まれるように感じます。
そのモモンガを、上から無言で見ているうさぎ
そんなモモンガを、突然上から見つめるうさぎ。
この場面が私はかなり好きです。
うさぎは何かを言うわけでもなく、
「ふーん。スイカか」
とでも言いたそうな表情で見ています。
一方のモモンガは、うさぎに気づくと明らかに反応が変わります。
「げぇっ」「お前か」とでも言うような、露骨に嫌そうな反応です。
この反応を見るだけで、二人のこれまでの関係性が伝わってくるように思いました。
モモンガは他の相手に対しては、自分のかわいさや勢いで相手を巻き込む側になることが多い。
ところが、うさぎ相手にはそれが通用しない。
むしろうさぎが現れた瞬間に、モモンガのほうが警戒している。
私はこの関係がとても面白いと思います。
うさぎは「モモンガだからいい」と思っているのか
そして、うさぎはモモンガの反応などほとんど気にしません。
手を上下に動かし始めたので、
「何をするのだろう?」
と思って見ていると、そのままスイカを転がし、ものすごい勢いで持っていってしまいます。
かなり自然にやっています。
あまりにも堂々としているので一瞬忘れそうになりますが、よく考えると、これはかなり強引です。
モモンガが持っていたスイカなのですから、見方によっては完全に泥棒です。
それなのに、不思議と、
「うさぎならやりそう」
と思えてしまう。
さらに、
「相手がモモンガだから、うさぎもこれくらいやっていいと思っているのではないか」
と感じてしまうところがあります。
ここで私は、うさぎがモモンガを単純に「嫌い」なのかというと、少し違うようにも思いました。
嫌いだから攻撃しているというより、
モモンガのルールに付き合う気がない。
それに近い気がします。
モモンガがかわいこぶっても関係ない。
モモンガが怒っても関係ない。
そこにスイカがあって、自分が興味を持った。
だから転がす。
うさぎの中では、それで完結しているのかもしれません。
「盗るな(とるな)」ではなく「転がすな」と言うモモンガ

ここで個人的に特に気になったのが、モモンガの言葉です。
モモンガはうさぎを追いかけながら、
「転がすな」
と言っています。
でも、よく考えると少し変です。
自分のスイカを持っていかれているのなら、
「盗るな」
「返せ」
のほうが自然ではないでしょうか。
なのに、「転がすな」。
もちろん、これはその場の状況をそのまま口にしただけなのかもしれません。
けれど、私はここから少し想像を広げてしまいました。
もしかするとモモンガの中では、「取る」「奪う」という行為に対する感覚が、私たちとは少し違うのではないか。
普段から自分もかなり自由に振る舞い、人のものや人の好意を当然のように受け取ることがあります。
だからこそ、自分が奪われる側になったときでさえ、
「盗るな」
より先に、
「転がすな」
が出てくる。
もしそうだとしたら、たった一言の台詞から、モモンガの価値観まで見えてくるようで面白いです。
もちろん、これは私なりの考えです。
ただ、『ちいかわ』はこうした何気ない言葉の選び方から、キャラクターの性格を想像できるところが魅力なのだと思います。
モモンガがうさぎを苦手そうにする理由
そして、モモンガがなぜあれほど「げぇっ」という反応をするのか。
私は、うさぎがモモンガにとってかなり苦手な相手だからではないかと思いました。
モモンガは、相手を自分のテンポに巻き込むのが上手です。
かわいこぶる。
要求する。
怒る。
泣く。
そうやって、自分を中心に状況を動かしていく。
ところが、うさぎはそれを全部飛び越えてしまいます。
かわいこぶられても気にしない。
怒られても気にしない。
追いかけられても気にしない。
つまり、モモンガが普段使っている「相手を動かす方法」が、うさぎにはほとんど効いていないように見える。
だからモモンガからすると、うさぎは自分のペースを崩してくる相手なのかもしれません。
私はそこに、この二人の面白い力関係を感じます。
モモンガも自由なキャラクターですが、うさぎはさらにその外側にいる。
「自由な者同士」ではあるけれど、自由の種類が違う。
モモンガは周囲を巻き込む自由さ。
うさぎは周囲のルールそのものを気にしない自由さ。
だから二人がぶつかると、結果的にモモンガのほうが振り回される。
そんな関係なのかもしれません。
奪ったスイカを一人で食べないうさぎ
そして場面は変わり、うさぎはちいかわとハチワレのところへスイカを持っていきます。
ハチワレは「スイカ!」と驚き、ちいかわは嬉しそうに体を左右に振っています。
この二人が本当にかわいい。
しかし私は、それ以上に、
うさぎがスイカを一人で食べなかったこと
に注目しました。
うさぎなら、自分一人で食べてしまっても不思議ではありません。
食べ物に対してかなり積極的なキャラクターです。
それなのに、わざわざちいかわとハチワレのところへ持っていく。
ここに、うさぎの友情がすごく表れているように思いました。
うさぎは言葉で、
「一緒に食べよう」
とは言いません。
ただ持ってくる。
でも、その行動自体が、
「これ、一緒に楽しもうぜ」
というメッセージになっているように見えます。
私は、この言葉にしない友情がとても好きです。
「好き」という気持ちは言葉より行動に出ることがある
うさぎは、ちいかわやハチワレに対して、「大好き」と言ったり、「友達だから」と説明したりするキャラクターではありません。
それでも、おいしいものや面白いものを見つけると、二人のところへ持っていくことがあります。
そう考えると、
誰かを大切に思っている気持ちは、言葉よりも「その人を思い出す行動」に表れることがある
のではないでしょうか。
何か面白いものを見つけたとき、
「あの人にも見せたい」
と思う。
おいしいものを手に入れたとき、
「あの人と食べたい」
と思う。
うさぎにとって、ちいかわとハチワレは、そうやって自然に思い出す相手なのかもしれません。
そう考えると、スイカを転がして二人のところへやって来る姿が、ただのギャグではなく、少しだけ温かく見えてきます。
ただし、そのスイカがモモンガから持ってきたものだという問題は残りますが……。
喜ぶちいかわとハチワレ、そして画面の端の「うさぎのお尻」
スイカを見たちいかわは、体を左右に振って大喜び。
ハチワレも足をばたつかせながら、
「棒探してスイカ割りする」
と楽しそうです。
その二人だけでもかわいいのですが、その画面の端に、なぜかうさぎのお尻と尻尾が映っています。
しかもフリフリしている。
主役のように真ん中でアピールするのではなく、画面の端で妙な存在感を出している。
こういう細かな動きも、うさぎの魅力だと思います。
そして私は、この尻尾の動きからも、うさぎ自身がかなり楽しんでいるように感じました。
言葉にしなくても、体の動きで、
「楽しい」
「これから何かやるぞ」
という気分が伝わってくる。
うさぎは、台詞が少ないからこそ、体の動き一つひとつが感情表現になっているように思います。
ハチワレの「それじゃ丸太だね」が妙に冷静
ハチワレが「棒探してスイカ割りする」と言ったあと、うさぎが用意しているのは、どう見ても棒というには大きすぎる木です。
それを見たハチワレは、
「それじゃ……丸太だね」
と冷静に分析します。
ここも私は好きです。
「そんな大きいのダメだよ!」
ではない。
まず正確に、
「これは棒ではなく丸太だ」
と確認する。
ハチワレらしい反応に見えます。
ハチワレは、うさぎの行動を完全に否定するというより、
「それってこういうこと?」
と理解しようとしてくれるキャラクターです。
だからこそ、うさぎと一緒に遊べるのかもしれません。
普通なら止めるところを、ハチワレは一度受け止める。
この「受け止める力」が、3人の関係を成り立たせているようにも思えます。
自分から先に目隠しするうさぎ
そして、うさぎは何の説明もせず、自分の目に葉っぱをつけます。
この姿がとてもシュールです。
ハチワレも、
「目隠し」
と確認します。
おそらくここで、
「なるほど、スイカ割りだから目隠しなんだ」
と理解したのでしょう。
ところが、次の瞬間さらにおかしなことが起きます。
うさぎは、自分がすでに目隠しをしているにもかかわらず、ちいかわとハチワレの目にも正確に葉っぱを貼り付けます。
見えていないはずなのに。
なぜできるのでしょうか。
ここは真面目に考えれば考えるほど面白いです。
うさぎには本当に何かが見えているのか。
感覚だけで位置が分かるのか。
あるいは、そんな細かいことを気にしてはいけないのか。
私は、
「うさぎならできる」
で納得してしまうところまで含めて面白いと思います。
うさぎは、ときどき常識的な能力の範囲を少しだけ超えているように見える。
でも、作品の中では誰もそこを大問題にはしない。
この「何となく成立してしまう不思議さ」も、『ちいかわ』の世界らしいと思います。
「目隠しをする」という形式だけは妙に守る
さらに考えてみると、今回のうさぎは非常に自由なのに、なぜか「スイカ割りだから目隠しする」という形式だけは守っています。
ここが不思議です。
棒は丸太でいい。
一人ずつやらなくてもいい。
スイカに向かって振り下ろさなくてもいい。
木に押し付けてもいい。
でも、
目隠しだけはする。
しかも3人全員。
私はここに、うさぎ独特の「ルールの理解の仕方」を感じました。
ルールをそのまま守るのではなく、自分が面白いと思った部分だけを抽出して使う。
「スイカ割り=目隠し」
という記号だけ残し、あとは全部自由に作り変える。
だから結果として、
「知っているスイカ割りの要素はあるのに、知っているスイカ割りではない」
という不思議な遊びになるのです。
これはスイカ割りなのか、それとも3人の共同作業なのか

そして3人は丸太を持ちます。
普通のスイカ割りなら、一人が棒を持ってスイカを叩くはずです。
しかし今回は、3人で一つの大きな木を持ち、スイカを押していきます。
ハチワレは、
「これで合ってるの?」
というように不安そうです。
その疑問はもっともです。
私たちが知っているスイカ割りとは、完全に違います。
ただ、ここで別の見方もできるように思いました。
普通のスイカ割りでは、一人ずつ順番に挑戦します。
もし一人目が割ってしまえば、残りの人はスイカを割る体験ができません。
でも、うさぎの方法なら3人全員が同時に参加できます。
3人で持つ。
3人で進む。
3人で割る。
もしかするとこれは、普通のスイカ割りよりも、ある意味では「3人で遊ぶこと」に向いている方法なのかもしれません。
もちろん、うさぎがそこまで考えていたのかは分かりません。
でも結果として、誰か一人だけが主役になるのではなく、3人全員が一緒に参加する遊びになっています。
私はそこに、うさぎらしい友情を感じました。
スイカ割りの「正解」より、みんなで楽しむこと
丸太を押した先には大木があり、スイカはそこに押し付けられる形で無事に割れます。
そしてハチワレは、
「これってスイカ割り?」
というような疑問を口にします。
ちいかわも、
「うーん……」
と悩んでいるような表情。
おそらく二人とも、
「一応割れたけど、これは本当にスイカ割りなのかな」
と思っているのでしょう。
ところが、うさぎはそんなことを気にしている様子がありません。
割れたスイカを淡々と食べ始めます。
この姿がまた、とてもかわいい。
そして私はここに、今回のうさぎの考え方が凝縮されているように感じました。
割れた。
食べられる。
みんなで遊べた。
なら、それでいい。
うさぎにとって重要なのは、「スイカ割りの正式なやり方に合っていたか」ではないのかもしれません。
目的が達成され、楽しければいい。
この潔さが、うさぎというキャラクターの魅力なのだと思います。
うさぎは「既成概念」を壊している
今回の話を見ていると、うさぎはスイカだけではなく、「スイカ割りとはこうするもの」という私たちの既成概念まで壊しているように見えます。
棒ではなく丸太。
一人ではなく3人。
叩くのではなく押す。
しかも木にぶつけて割る。
普通なら、
「それは違う」
となります。
でも、結果を見るとスイカは確かに割れています。
ここから私は、
目的と方法は必ずしも一つではない
ということまで考えてしまいました。
もちろん、現実で危険なやり方をするという意味ではありません。
ただ、私たちは何かをするとき、
「これはこうやるもの」
という思い込みを持つことがあります。
うさぎには、その思い込みがほとんどない。
だから、ときどきとんでもない答えにたどり着く。
それが笑いになる一方で、発想の自由さにも見えるのです。
モモンガとちいかわ・ハチワレで、うさぎの態度がまるで違う
今回、特に印象に残ったのは、うさぎのモモンガに対する態度と、ちいかわ・ハチワレに対する態度の差です。
モモンガには、
説明しない。
許可を取らない。
スイカを持っていく。
追われても気にしない。
一方で、ちいかわとハチワレには、
スイカを持っていく。
遊びに誘う。
3人分の目隠しを用意する。
3人で一緒に割る。
そして3人で食べる。
この差を見ると、うさぎが誰を大切に思っているのかが、言葉以上によく分かる気がします。
説明を詳しくしないと言うのは同じですが。
人の本当の気持ちは、「好き」と言うことより、
誰に何を分けるのか。
誰と一緒に楽しもうとするのか。
誰のところへ自然と向かうのか。
そういう行動に現れることがあるのかもしれません。
うさぎはほとんど説明しないからこそ、その行動がより強く気持ちを語っているように感じます。
ちいかわとハチワレが、うさぎの奇行に慣れているのも面白い
もう一つ感じたのは、ちいかわとハチワレが、うさぎの行動を完全には理解していなくても、結局一緒についていくことです。
ハチワレは、
「それじゃ丸太だね」
「これで合ってるの?」
と、ところどころ疑問を口にします。
ちいかわも少し戸惑っているように見えます。
それでも二人とも、うさぎから離れません。
目隠しをされる。
丸太を持たされる。
そのまま3人で進む。
これは、ある意味では信頼なのかもしれません。
「何を考えているか分からないけれど、うさぎならまあ……」
という信頼。
完全に理解し合っているから友達なのではなく、
分からない部分があっても一緒にいられる。
それも友情の一つの形なのではないかと思いました。
今回は「うさぎ無双回」でありながら、3人の友情が見える回でもある
今回だけを見ると、とにかくうさぎが強い。
モモンガをものともせずスイカを持っていく。
追跡を振り切る。
巨大な木を用意する。
自分が目隠ししたあとでも二人を正確に目隠しする。
そして独自の方法でスイカを割り、そのまま食べる。
まさに「うさぎ無双」と言いたくなる回です。
でも、その派手な行動の奥には、
「スイカを見つけたから、ちいかわとハチワレのところへ持っていく」
という、とても素朴な行動があります。
私はそこが今回の話で一番好きです。
うさぎの優しさは、分かりやすい優しさではありません。
「どうぞ」と渡すわけでもない。
「一緒に食べよう」と言うわけでもない。
ただ、気づいたら二人のところへ持ってきて、気づいたら一緒に遊んでいる。
だからこそ、うさぎの友情は作られたものではなく、本人にとって当たり前のものに見えるのです。
コメント欄ではどのようなところが注目されていたのか
今回のコメント欄では、特にうさぎとモモンガの関係性についての意見が多く見られました。
「モモンガの天敵がうさぎ」「モモンガが自分のペースに持ち込めない相手」「モモンガには容赦がない」といった内容が目立ち、モモンガがうさぎを見た瞬間に露骨に嫌そうな反応をするところも、多くの人が面白がっていました。
また、「今回は珍しくモモンガが特に悪いことをしていないのにスイカを取られている」という指摘や、「返せではなく転がすなと言っているのが面白い」という意見も多くありました。
一方で、うさぎが奪ったスイカを独り占めせず、すぐにちいかわとハチワレのところへ持っていったことについては、「仲間思い」「美味しいものを2人と共有するのがかわいい」「ちいかわとハチワレが好きなのが分かる」といった意見が数多く見られました。
そのほか、自分で先に目隠ししたにもかかわらず二人にも正確に葉っぱを付けるうさぎの謎の能力、丸太を使った「破城槌」「除夜の鐘」のような豪快なスイカ割り、スイカを見て踊るちいかわ、画面端で尻尾を振るうさぎなど、ほんの一瞬の表情や動きまで多くの人が細かく見て楽しんでいることも印象的でした。
この動画が教えてくれるかもしれないこと
今回の「流れ・スイカ①」は、表面的にはとにかく自由で、めちゃくちゃで、笑える話です。
モモンガからスイカを持っていき、丸太を持ってきて、全員で目隠しをし、そのまま木に向かってスイカを押しつぶす。
普通のスイカ割りとはまるで違います。
でも、そのめちゃくちゃさの奥を見てみると、私はいくつか大切なものが見えてくるように感じました。
一つは、人の気持ちは言葉だけではなく、行動に表れることがあるということです。
うさぎは、ちいかわやハチワレに「大切だ」とは言いません。
でも、楽しいものを見つければ二人のところへ持っていく。
一緒に食べる。
一緒に遊ぶ。
その行動そのものが、二人を仲間として大切にしていることを表しているように思います。
もう一つは、「正しい方法」だけが楽しい方法とは限らないということです。
ハチワレは「これで合ってるの?」と疑問に思います。
確かに、一般的なスイカ割りとして考えれば合っていないかもしれません。
それでも、3人は一緒にスイカを割り、一緒に食べることができました。
結果として、とても楽しそうです。
もちろん現実では安全やルールを守ることは大切です。
それでも、何かを楽しむときには、「普通はこうする」という思い込みから少し離れてみることで、自分たちなりの楽しみ方が見つかることもあるのかもしれません。
そして何より私は今回、
楽しいことを見つけたときに、「一人で楽しもう」ではなく、「あの人と一緒に楽しみたい」と思えること自体が、友情なのではないか
と感じました。
スイカを見つけたうさぎが、その先で自然にちいかわとハチワレのところへ向かったように。
「この人にも見せたい」
「この人と食べたい」
「この人と一緒にやりたい」
そうやって誰かの顔が自然に浮かぶことは、その相手を大切に思っている証拠なのかもしれません。
笑ってしまうほど自由なうさぎの行動の中に、実はとても素朴で温かい友情が隠れている。
今回の動画は、誰かを大切に思う気持ちは、大げさな言葉ではなく、「楽しいものを一緒に分けたい」と思う何気ない行動の中にこそ表れることがある――そんなことを教えてくれているのかもしれません。


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