レオン・フェスティンガーとは?認知的不協和・社会的比較で知られる心理学者の生涯と研究

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認知的不協和・社会的比較から視覚研究、晩年の考古学・宗教史まで――『レオン・フェスティンガー』の研究人生をたどります。

「認知的不協和を提唱した人」だけでは見えてこない、『レオン・フェスティンガー』の研究と人生をたどります。

代表例

「認知的不協和って何だろう?」

そう思って調べていると、

レオン・フェスティンガー(Leon Festinger/レオン・フェスティンガー)

という名前が出てきた。

さらに調べてみると、

「社会的比較」

「1ドルと20ドルの実験」

「予言を信じた人々の研究」

など、別の話にも同じ名前が登場します。

すると、こんな疑問が浮かんできます。

「レオン・フェスティンガーって、いったい何をした心理学者なの?」

認知的不協和で有名な人物ですが、実はそれだけを研究していた心理学者ではありません。

人はなぜ他人と自分を比べるのか。

自分の考えと行動が食い違ったとき、なぜ心が落ち着かなくなるのか。

人は周囲の人や集団から、どのような影響を受けるのか。

フェスティンガーは、こうした「人は社会の中で、どのように考え、判断し、考えを変えるのか」という問題を研究した心理学者です。

この記事では、

「認知的不協和を提唱した人」という一言だけでは見えてこない、レオン・フェスティンガーという人物

に焦点を当てて見ていきます。

5秒でわかる結論

レオン・フェスティンガーは、1919年(大正8年)にアメリカで生まれ、1989年(平成元年)に亡くなった社会心理学者です。

1954年(昭和29年)に社会的比較過程の理論を発表し、1957年(昭和32年)には認知的不協和理論を体系的に提示しました。

「人が他者と自分を比べたり、自分の中の食い違いに反応したりする心の仕組みを研究し、社会心理学に大きな影響を与えた研究者の一人です。」

という問題を研究し、20世紀の社会心理学に大きな影響を与えた研究者の一人です。

小学生にもわかりやすく言うと?

かみ砕いて言うと、

レオン・フェスティンガーは、

「人の心は、どうしてこんなふうに動くんだろう?」

という疑問を研究した心理学者です。

たとえば、

「今日は宿題をしてから遊ぼう」

と思っていたのに、先にゲームをしてしまった。

すると、

「やろうと思っていたことと、やったことが違うな……」

と、なんとなくモヤモヤすることがあります。

フェスティンガーは、こうした自分の中にある考えや行動などがうまくかみ合わないときに生まれる不快な状態と、それを小さくしようとする心の働きを研究し、認知的不協和という理論としてまとめました。

ほかにも、

「自分はよくできているのかな?」

と思ったときに、友達や周りの人と比べたくなるような、社会的比較についても重要な研究をしています。

つまりフェスティンガーは、

「人は、自分の中に食い違いが生まれたときにどうするのか」

「人は、どうしてほかの人と比べながら自分を考えることがあるのか」

といった、私たちにも身近な心の不思議を研究した心理学者なのです。

1.「どうしてこんな気持ちになるの?」身近な心の不思議から始めてみよう

こんな経験はありませんか?

テストで80点を取って、

「けっこうできたかも」

と思っていたのに、

友達が95点だったと知った途端、

「80点って、そんなによくないのかな……」

と感じてしまった。

ずっと迷って買った商品なのに、

あとから別の商品を見て、

「こっちのほうがよかったかな」

と少し不安になった。

すると急に、

「でも、私が買ったほうがデザインはいいし」

と、自分が選んだ商品の良いところを探したくなった。

「今日は帰ったら勉強しよう」

と決めていたのに、

気づけば動画を見て一時間。

「やってしまった……」

と思ったあと、

「今日は疲れていたし、少しくらい休んでもいいよね」

と考えると、少し気持ちが楽になった。

周りのみんなが同じ意見を言っていると、

さっきまで自信があった自分の考えまで、

「もしかして、私のほうが間違っているのかな?」

と気になってしまう。

こうして並べてみると、人の心には不思議なところがあります。

自分のことなのに、ほかの人と比べると評価が変わる。

自分で決めたことなのに、あとから「これでよかった」と思いたくなる。

やろうと思っていたことができなかったあと、理由を考えると少し落ち着くことがある。

どうして人の心は、こんなふうに動くのでしょうか?

今回の疑問を一言にすると、

「人はどうして他人と自分を比べたり、自分の中の食い違いを何とかしたくなったりするの?――レオン・フェスティンガーとは?」

です。

こうした身近な「なぜ?」をたどって心理学を調べていくと、

レオン・フェスティンガー

という心理学者の名前に出会います。

この記事では、

「フェスティンガーは何をした心理学者なのか」

「なぜ認知的不協和を調べると、この人物の名前が出てくるのか」

「認知的不協和以外に、どんな研究を残したのか」

を、まずは分かりやすいところから見ていきます。

難しい心理学者の名前を覚えることが目的ではありません。

私たちの日常にある「どうして?」と、フェスティンガーが研究した心理学がどうつながっているのか。

そこが分かるようになると、レオン・フェスティンガーという人物も、ぐっと身近に感じられるはずです。

2.疑問が浮かんだ物語

「えっ、この二つを研究したのって同じ人なの?」

高校生のユウトさんは、学校でクラス発表をしました。

終わった直後は、

「けっこううまくできたかも」

と満足していました。

ところが次に発表した友達が、先生からたくさん褒められているのを見ます。

すると、

「自分の発表って、本当によかったのかな……」

と急に気になってきました。

家に帰ったユウトさんは、

「どうして、ほかの人を見ると、自分の出来が気になってくるんだろう?」

と調べてみます。

そこで出てきたのが、

social comparison(ソーシャル・コンパリソン/社会的比較)

という言葉。

そして、その説明の中に、

レオン・フェスティンガー

という心理学者の名前がありました。

「人が自分とほかの人を比べることについて研究した人なんだ」

その日は、それで終わりました。

ところが数日後。

ユウトさんは友達との待ち合わせに遅れてしまいます。

普段は、

「約束の時間は守りたい」

と思っているのに、その日は家を出るのが遅くなってしまいました。

「悪かったな……」

と思ったあと、

「でも、今日は朝から忙しかったし」

「少しくらいなら仕方ないよね」

という考えが浮かんできます。

そこで、また疑問に思いました。

「どうして、自分が大切だと思っていることと違う行動をしたあと、理由を考えると少し気持ちが楽になるんだろう?」

調べてみると、

cognitive dissonance(コグニティブ・ディソナンス/認知的不協和)

という言葉が出てきます。

そして、そこにも――

レオン・フェスティンガー。

ユウトさんは不思議になりました。

「人と自分を比べる話にも出てきたよね?」

「今度は、自分の中の食い違いについての話?」

「この人、いったい何を研究していたんだろう?」

一つ一つの心理学用語への疑問が、

いつの間にか、

「レオン・フェスティンガーとは、どんな人物なのか?」

という新しい疑問に変わっていました。

では、その答えを一度すっきり整理してみましょう。

3.すぐにわかる結論

お答えします。

レオン・フェスティンガーは、人が自分の意見や能力をどのように評価するのか、そして自分がもつ認知の間に食い違いが生じたときに、どのような心理的変化が起こるのかなどを研究した、アメリカの社会心理学者です。

1919年(大正8年)にニューヨーク・ブルックリンで生まれ、大学院では心理学者

クルト・レヴィン(Kurt Lewin)

のもとで学びました。

その後、社会心理学の研究を進め、

1954年(昭和29年)には、

A Theory of Social Comparison Processes(ア・セオリー・オブ・ソーシャル・コンパリソン・プロセシズ/社会的比較過程の理論)

を発表します。

簡単に言えば、人が自分の意見や能力を評価するとき、とくに客観的な手がかりが得にくい場合などに、ほかの人との比較が重要になることがあるという問題を扱った理論です。

さらに1957年(昭和32年)には、

A Theory of Cognitive Dissonance(ア・セオリー・オブ・コグニティブ・ディソナンス/認知的不協和の理論)

を刊行しました。

認知的不協和については、ここでは、

「自分がもつ認知の間に食い違いがあることで不快な状態が生じ、その不協和を小さくする方向へ人が動機づけられる」

という考え方だと覚えておけば十分です。

つまりフェスティンガーは、

「認知的不協和を考えた人」だけではありません。

人は、自分の意見や能力をどうやって評価するのか。

なぜ、ほかの人が自分を判断する手がかりになることがあるのか。

そして、自分の中に食い違いが生まれたとき、人はそれにどう反応するのか。

フェスティンガーは、こうした人が自分をどう評価し、自分の中に生じた食い違いにどう反応するのかという問題を追究した研究者でした。

ここまで分かれば、

「認知的不協和を調べると、なぜレオン・フェスティンガーという名前が出てくるの?」

という最初の疑問には、もう答えられます。

でも、もう一つ疑問が残ります。

そんなフェスティンガーは、どのようにして社会心理学者になり、これらの研究へたどり着いたのでしょうか。

有名な理論の名前だけでは見えてこない、

レオン・フェスティンガーという人物そのもの

が気になってきたなら、ここから先で、その人生と研究を一緒にたどっていきましょう。

4.レオン・フェスティンガーとはどんな人物?

最初から社会心理学者だったわけではなかった

ここからは、レオン・フェスティンガーという人物そのものを、もう少し詳しく見ていきましょう。

Leon Festinger(レオン・フェスティンガー)は、
1919年(大正8年)5月8日にアメリカ・ニューヨーク州ブルックリンで生まれ、
1989年(平成元年)2月11日に亡くなった心理学者です。
特に社会心理学で大きな業績を残した研究者として知られています。

社会心理学とは、人がほかの人や集団、社会との関わりの中で、どのように考え、感じ、行動するのかを研究する心理学の分野です。

たとえば、
「周りの人の意見に影響されるのはなぜ?」「人はどうして他人と自分を比べるの?」
といった、人と人との関わりの中で生まれる心の動きを研究します。

フェスティンガーは、こうした社会心理学の分野で、後に「社会的比較」「認知的不協和」につながる重要な研究を残しました。

父は刺繍製造業を営んでいたアレックス・フェスティンガー、母はサラ・ソロモン・フェスティンガーでした。

後に「認知的不協和」で世界的に知られる人物になりますが、その研究人生をたどってみると、最初から

「認知的不協和を研究しよう」

「社会心理学者になろう」

と決めて進んでいたわけではありません。

フェスティンガーはニューヨークのBoys’ High School(ボーイズ・ハイスクール)を経て、

City College of New York(シティ・カレッジ・オブ・ニューヨーク)

で心理学を学びました。

1939年(昭和14年)に心理学の学士号を取得すると、その後、

University of Iowa(ユニバーシティ・オブ・アイオワ/アイオワ大学)

の大学院へ進み、1942年(昭和17年)に博士号を取得します。

そこでフェスティンガーが学んだ相手が、

Kurt Lewin(クルト・レヴィン)

です。

レヴィンは、ゲシュタルト心理学の影響を受け、

field theory(フィールド・セオリー/場の理論)

を発展させた心理学者です。

噛み砕いて言えば、人間の行動をその人だけの問題として見るのではなく、その人を取り巻く心理的・社会的な環境との関係から考えようとした研究者です。

さらにレヴィンは、

group dynamics(グループ・ダイナミクス/集団力学)

と呼ばれる、人が集団の中でどのように影響し合うのかを研究する分野を推進しました。

後のフェスティンガーの研究を考えると、

「なるほど。だからフェスティンガーも最初から社会心理学に興味を持ったのか」

と思うかもしれません。

ところが、ここが面白いところです。

若いころのフェスティンガーは、まだ社会心理学そのものに強い関心を持っていたわけではありませんでした。

アイオワ大学時代、レヴィンの関心は次第に社会心理学や集団力学へ向かっていましたが、フェスティンガー自身は、意思決定や人がどのくらい高い目標を設定するのかといった問題、さらに数学や統計的方法などにも強い関心を持っていました。

その研究の中には、

nonparametric tests(ノンパラメトリック・テスト/ノンパラメトリック検定)

に関するものもあります。

これは簡単に言えば、データについて特定の分布を強く仮定せずに分析する統計的方法です。

つまり若いころのフェスティンガーは、

「人と人との関係だけを研究していた心理学者」ではなく、意思決定や統計的方法などにも取り組んでいた研究者

だったのです。

その後、フェスティンガーはアイオワ大学で約2年間、

research associate(リサーチ・アソシエイト/研究員)

として働きました。

そして第二次世界大戦中には、

University of Rochester(ユニバーシティ・オブ・ロチェスター/ロチェスター大学)

で、航空機パイロットの選抜や訓練に関わる委員会の

senior statistician(シニア・スタティスティシャン/上級統計担当者)

として働きます。

現在、「フェスティンガー」と聞くと認知的不協和や社会心理学を思い浮かべる人が多いでしょう。

しかし、この時期の彼は、まだそうした研究で有名になった人物ではありません。

統計を使いながら、人間の行動や能力をどう調べるのかを考えていた若い研究者だったのです。

そして、1945年(昭和20年)に大きな転機が訪れます。

フェスティンガーは再びレヴィンの研究グループに加わり、

Massachusetts Institute of Technology(マサチューセッツ・インスティテュート・オブ・テクノロジー/マサチューセッツ工科大学、MIT)

に新しく設けられた、

Research Center for Group Dynamics(リサーチ・センター・フォー・グループ・ダイナミクス/集団力学研究センター)

で、

assistant professor(アシスタント・プロフェッサー/大学教員の職位)

として研究を始めました。

そして、フェスティンガーの関心が本格的に社会心理学へ向かっていったのが、このMIT時代です。

ここから彼は、

「人と人との関係は、どのように生まれるのか」

「集団の中で意見が違ったら、人はどうするのか」

「周りの人の考えは、自分の考えにどのような影響を与えるのか」

といった、社会の中で起こる人間の心の動きへ研究の対象を広げていきます。

その後も、フェスティンガーは研究の場を移していきました。

1948年(昭和23年)には、集団力学研究センターとともに

University of Michigan(ユニバーシティ・オブ・ミシガン/ミシガン大学)

へ。

1951年(昭和26年)には、

University of Minnesota(ユニバーシティ・オブ・ミネソタ/ミネソタ大学)

へ。

1955年(昭和30年)には、

Stanford University(スタンフォード・ユニバーシティ/スタンフォード大学)

へ。

そして1968年(昭和43年)には、ニューヨークの

New School for Social Research(ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ)

へ移り、研究を続けました。

こうして経歴だけを見ると、

「いくつもの大学を移った心理学者」

に見えるかもしれません。

けれど、その研究人生をたどっていくと、もう少し面白い姿が見えてきます。

フェスティンガーは、一つの有名な理論だけを生涯繰り返した研究者ではありませんでした。

統計や意思決定などを研究していた若い研究者が、MITで人と人とのつながりに目を向ける。

そこから、集団の中で人の考えがどのように影響し合うのかを考える。

そして、

「人は、自分の意見や能力をどうやって評価するのだろう?」

という問いへ進み、

やがて、

「自分の中に食い違いが生まれたとき、人はなぜそれを小さくしようとするのだろう?」

という問いへ向かっていきます。

後に「社会的比較」や「認知的不協和」として知られる研究も、突然どこからか現れたわけではありません。

フェスティンガーが、それまでの研究で生まれた「なぜ?」を次の研究へつなげていった結果として形になっていったもの

と考えると、彼の研究人生が少し見えやすくなります。

では、もともとは社会心理学に強い関心を持っていなかったフェスティンガーが、

なぜ「人と人との関係」を本格的に研究するようになったのでしょうか。

実は、その転機の一つには、

大学の学生住宅について調べる、一見すると大きな心理学理論とは関係なさそうな調査

がありました。

そこでフェスティンガーたちは、人が誰と親しくなるのか、そして人間関係と考え方の間にはどのような関係があるのかという、興味深い問題に出会います。

次の章では、

「学生住宅を調べていた研究が、なぜ社会心理学の重要な研究へつながっていったのか」

を、フェスティンガーの研究人生をたどりながら見ていきましょう。

5.きっかけは「住宅調査」だった?

フェスティンガーが社会心理学へ向かった転機

フェスティンガーが社会心理学へ本格的に関心を向けるようになったMIT時代。

その後の研究につながる重要なきっかけの一つは、意外にも、結婚している学生とその家族が暮らすための学生住宅についての調査でした。

フェスティンガーは、MITの建築・都市計画部門から依頼された、学生住宅への満足度を調べる研究を担当していました。

調査では、

「住宅についてどう思っていますか?」

といった意見だけでなく、

「ここでは、普段どの人とよく交流していますか?」

というような、人間関係についての質問も行われました。

こうした質問は、

sociometric questionnaire(ソシオメトリック・クエスチョネア/人と人との社会的なつながりを調べる質問票)

と呼ばれるものです。

フェスティンガーたちが住宅への態度と人間関係を合わせて調べると、興味深い傾向が見えてきました。

社会的につながりの近い学生同士では、住宅についての考え方も似ている傾向がありました。

一方、住宅について周囲と異なる考えを持つ学生は、人間関係の中で孤立している傾向も見られました。

ただし、ここで大切なのは、

この調査だけでは、「なぜそうなったのか」までは分からなかった

ということです。

人間関係が近くなったから考え方が似たのでしょうか。

もともと考え方が似ていたから親しくなったのでしょうか。

それとも、別の何かが両方に影響していたのでしょうか。

調査で確認できたのは、二つの間に関係があるというところまででした。

こうした関係を、

correlation(コリレーション/相関)

といいます。

相関とは、「一方が変化すると、もう一方にも一定の変化が見られる」というように、二つの事柄の間に関連が見られることです。
ただし、相関があるからといって、一方がもう一方の原因だとまでは判断できません。

相関が見つかっても、それだけで原因と結果の方向までは決められません。

フェスティンガーたちも、住宅調査の結果だけでは因果関係やその仕組みを判断できないと考えました。

そこでフェスティンガーは、この「分からない」を次の研究へ持っていきました。

人と人が親しくなること。

集団のまとまり。

周囲と違う意見を持つこと。

人から人へ考えが伝わること。

こうした目には見えにくい人間関係の力を、今度は条件を整えた実験の中で調べようとしたのです。

そのため研究者たちは、集団のまとまりや人間関係などの条件を変え、誰が誰へ働きかけるのか、誰の意見が受け入れられるのかといった変化を測る方法を工夫していきました。

フェスティンガーの弟子であり共同研究者でもあったスタンレー・シャクターは、後年、この住宅調査から生まれた疑問が実験室での研究へ発展していった流れを、体系的な実験社会心理学の重要な転機として振り返っています。

ここに、フェスティンガーという研究者の面白さが見えてきます。

身近な出来事の中に「なぜ?」を見つけ、その疑問を実際に調べられる問題へ変えていく。

住宅についての調査から始まった問いは、やがて、

「人は、自分の考えや能力が正しいのかを、どうやって確かめているのだろう?」

という、さらに大きな問題へ広がっていきます。

その問いを理論として大きく発展させたのが、次に見る社会的比較でした。

6.「自分は正しい?」「自分はどのくらい?」

社会的比較理論

1954年(昭和29年)、フェスティンガーは、

A Theory of Social Comparison Processes(ア・セオリー・オブ・ソーシャル・コンパリソン・プロセシズ/社会的比較過程の理論)

という論文を、学術誌『Human Relations(ヒューマン・リレーションズ/人間関係)』に発表しました。

この論文でフェスティンガーが考えた中心的な問題は、

「人は、自分の意見や能力がどの程度なのかを、どうやって確かめているのだろう?」

という疑問です。

これが、social comparison(ソーシャル・コンパリソン/社会的比較)という考え方につながります。

フェスティンガーは、人には自分の意見や能力を評価しようとする傾向があり、とくに客観的・非社会的な手がかりが十分に得られない場合には、ほかの人との比較が判断の手がかりになると考えました。

たとえば、100メートルを15秒で走ったとします。

「15秒」という記録そのものは分かります。

しかし、

「自分は速いほうなのだろうか?」

という問いには、15秒という数字だけでは答えにくいことがあります。

そんなとき、

「同じ年齢くらいの人は何秒なんだろう?」

「同じくらい運動している人と比べるとどうなんだろう?」

と、ほかの人の記録が気になるかもしれません。

他者との比較によって、自分の能力がどのあたりにあるのかを判断する手がかりが得られるからです。

意見についても似たことがあります。

自分では、

「この考えで合っていると思う」

と思っていても、はっきりした正解を確かめにくい問題では、

「ほかの人はどう考えているんだろう?」

と周囲の意見が気になることがあります。

社会的比較理論が扱ったのは、このように、他者が自分自身を評価するための手がかりになることがあるという問題です。

さらにフェスティンガーは、比較する相手についても考えました。

原論文では、意見や能力が自分とかけ離れている人よりも、自分と比較的近い人との比較が起こりやすいという考えが示されています。

たとえば、中学生が自分の50メートル走の速さを知りたいとき、世界記録保持者だけを比較相手にするよりも、同じ年齢や似た条件の人の記録を見るほうが、自分の位置を判断する材料になりやすいでしょう。

ここまでを整理すると、社会的比較理論でフェスティンガーが考えた中心的な問題は、とてもシンプルです。

「自分の意見や能力がどのくらいなのか分かりにくいとき、人はほかの人を手がかりにすることがある。」

100メートル走の記録をほかの人と比べるように、私たちは他者との比較を通して、自分の位置を確かめることがあります。

社会的比較理論は、こうした「他者を手がかりに自分を評価する心の働き」を考えた理論です。

この社会的比較理論は、レオン・フェスティンガーという人物を知るうえでも重要な研究です。

現在、フェスティンガーは「認知的不協和」で特によく知られていますが、その少し前の1954年(昭和29年)には、

「人は、自分の意見や能力をどのように評価するのだろう?」

という問いから、社会的比較理論を発表していました。

ここで整理しておくと、社会的比較と認知的不協和は、それぞれ異なる問題を扱う別々の理論です。

社会的比較では、主に、

「自分の意見や能力をどのように評価するのか」

が問題になります。

一方、後にフェスティンガーが体系化する認知的不協和では、

「自分がもつ認知の間に食い違いが生じたとき、人はそれにどう反応するのか」

が中心的な問題になります。

つまりフェスティンガーは、「人と比べること」と「認知の食い違い」を同じ現象として研究したのではなく、それぞれ異なる問いとして研究していたのです。

フェスティンガーが「人は自分の意見や能力をどう評価するのか」という問題を研究する一方で、やがて「強く信じていることと現実が食い違ったら、人はどう反応するのか」という別の問題にも関心を広げていった流れが見えてきます。

そして、その新しい問いを考えるうえでフェスティンガーたちが注目したのが、

大きな災害が起こるという予言を強く信じていた人々

でした。

もし、心の底から信じていた予言が外れたら――。

人は、そのとき何を考え、どう行動するのでしょうか。

次の章では、フェスティンガーたちが実際の集団に入り込んで調べた研究を見ていきます。

7.予言が外れたら、人は信じるのをやめる?

『When Prophecy Fails』

1956年(昭和31年)、フェスティンガーは、

Henry W. Riecken(ヘンリー・ダブリュー・リーケン)

と、

Stanley Schachter(スタンレー・シャクター)

との共著で、

When Prophecy Fails(ウェン・プロフェシー・フェイルズ/予言が外れるとき)

という本を出版しました。

この本で重要なのは、奇妙な予言そのものではありません。

フェスティンガーたちが知りたかったのは、

「強く信じていることが現実によって否定されたとき、人はその信念をどうするのだろう?」

という、人間の心についての問題でした。

研究チームが注目したのは、大きな災害が起こるという予言を信じていた小さな集団です。

そして、

予言が外れる前と、外れたあとで、人々の考えや行動がどう変化するのか

を調べようとしました。

ここで使われたのが、

participant observation(パーティシパント・オブザベーション/参与観察)

という方法です。

参与観察とは、研究者が対象となる集団や活動の中に入り、その場で起きている会話や行動、人間関係などを観察する研究方法です。

この研究でも、研究チームの観察者が集団の内部へ入り込み、重要な出来事の前後で何が起こるのかを記録しました。

つまり、

研究者が実験室で状況を作ったのではなく、現実に存在する集団の中で起きる変化を観察しようとした研究

だったのです。

1956年(昭和31年)の『When Prophecy Fails』では、予言された出来事が起こらなかったあとも、一部の強く関与していた人々が信念をすぐには捨てず、外部へ自分たちの考えを伝えようとするようになったと報告されました。

フェスティンガーたちは、この事例から、

「強い信念を持ち、その信念のために大きく行動してきた人が、仲間からの支えを得られる状況では、信念と現実が食い違っても、すぐに信念を捨てるとは限らない」

と考えました。

そして、その食い違いを小さくする方法の一つとして、信念を支える新しい説明を加えたり、ほかの人にも自分たちの考えを信じてもらおうとしたりする可能性に注目したのです。

ただし、現在この研究について覚えておきたいのは、1956年の著書に描かれた出来事そのものが再検討されていることです。

2025年(令和7年)11月4日にオンラインで初めて公開され、2026年(令和8年)に『Journal of the History of the Behavioral Sciences(ジャーナル・オブ・ザ・ヒストリー・オブ・ザ・ビヘイビオラル・サイエンシズ/行動科学史ジャーナル)』へ掲載された、Thomas Kelly(トーマス・ケリー)の

Debunking “When Prophecy Fails”(ディバンキング・ウェン・プロフェシー・フェイルズ/『予言が外れるとき』の再検証)

という論文は、アーカイブ資料をもとに、従来の説明へ強い異論を提示しました。

ケリーは、1956年の著書で描かれたように集団が予言失敗後に信念を強め、布教を活発化したという説明について再検討し、集団の実際の反応や、研究者自身の介入が観察対象へ与えた影響を考える必要があると論じています。

そのため、現在この研究を紹介するときに大切なのは、

『When Prophecy Fails』を「認知的不協和を証明した決定的な研究」として扱うのではなく、フェスティンガーたちが信念と現実の食い違いを現実の集団で調べようとした、歴史的に重要でありながら現在も再検討されている研究として理解することです。

そして、この再検討だけで認知的不協和理論全体の成否が決まるわけでもありません。

フェスティンガーは、この一つの観察研究だけで認知的不協和を論じたのではなく、その後、さまざまな状況を対象に理論を発展させ、実験による検討も進めていきました。米国科学アカデミーの伝記にも、強制的承諾、不十分な報酬など多様な問題について認知的不協和の予測を検討したことが記録されています。

ここで少し、フェスティンガーという人物へ目を戻してみましょう。

学生住宅を調べていたときには、

「人と人との関係と、考え方にはどんなつながりがあるのだろう?」

と考えました。

社会的比較では、

「人は、自分の意見や能力をどう確かめるのだろう?」

という問いへ進みました。

そして今度は、

「自分が信じていることと現実が食い違ったら、人はどうするのだろう?」

という問題へ向かっています。

こうして研究の流れをたどると、

フェスティンガーが一つの答えを見つけて終わる研究者ではなく、一つの疑問から次の「なぜ?」を見つけ、その問いをさらに深くしていった研究者だったことが見えてきます。

そして1957年(昭和32年)。

それまで追い続けてきた「食い違い」という問題を、フェスティンガーは一つの大きな心理学理論としてまとめます。

それが、

A Theory of Cognitive Dissonance(ア・セオリー・オブ・コグニティブ・ディソナンス/認知的不協和の理論)

でした。

次の章では、

なぜフェスティンガーは「認知的不協和」という理論へたどり着いたのでしょうか。

認知的不協和の用語をもう一度詳しく覚えるだけではなく、

一人の研究者が、それまで抱えてきた疑問をどのように一つの理論へまとめていったのか

という人物紹介の視点から、その背景を追っていきましょう。

8.1957年、『認知的不協和』という大きな理論へ

人と人とのつながりや、集団の中での意見の違い。
「人は自分の意見や能力をどう確かめるのか」を考えた社会的比較。
そして、強く信じていたことと現実が食い違ったとき、人はどう反応するのかという問題。

こうしたさまざまな問いを追ってきたフェスティンガーは、1957年(昭和32年)、それまでの研究をさらに一段深い問題へ進めます。

その年に刊行したのが、

A Theory of Cognitive Dissonance(ア・セオリー・オブ・コグニティブ・ディソナンス/認知的不協和の理論)

です。

この本は、フェスティンガーの代表的な著作となり、彼の名前が現在まで広く知られる大きな理由の一つになりました。1957年版は、アメリカのRow, Peterson(ロウ・ピーターソン)から刊行されています。

認知的不協和について、ここでは人物紹介に必要なところだけ押さえておきましょう。

cognition(コグニション/認知)とは、この理論では、自分が何を信じているのか、何を知っているのか、自分が何をしたのかについての認識などを含む言葉です。

たとえば、

「私は本当はXだと思っている」

という認知がある一方で、

「私は人にはXではないと言った」

という認知がある。

この二つが本人にとって心理的にうまくかみ合わない関係にある場合、それを

dissonance(ディソナンス/不協和)

と考えます。

フェスティンガーの理論では、不協和は心理的に居心地の悪い状態となり、その食い違いを小さくする方向へ人を動機づけると考えられました。1959年(昭和34年)のフェスティンガーとカールスミスの論文でも、「本当はXと思っているのに、Xではないと発言した」という認知の食い違いを例に、この考え方が説明されています。

しかし、人物紹介としてもっと大切なのは、

フェスティンガーが突然、1957年に認知的不協和を思いついたわけではない

ということです。

それまで彼は、

「人の考えは周囲の人とどう関係するのか」

「人は自分の意見や能力をどう評価するのか」

「集団の中に食い違いがあったら、どのような力が働くのか」

といった問題を追い続けていました。

弟子で共同研究者でもあったスタンレー・シャクターは、後年の伝記で、認知的不協和理論を、それ以前の「信念や能力をどう評価するのか」という研究を、さらに基本的な認知の水準へ進めたものとして説明しています。

つまりフェスティンガーの研究は、

周囲の人との関係を見るところから、

自分自身の認知同士の関係を見るところへ、

少しずつ問いを深めていったのです。

認知的不協和理論は、フェスティンガーがそれまで考えてきた「人は自分の考えをどう確かめるのか」「人と意見が違ったとき何が起こるのか」といった問いを、さらに「自分自身の認知同士が食い違ったらどうなるのか」という問題へ深めた理論でした。

でも、理論を考えただけでは終わりません。

「もしこの考え方が正しいなら、実験ではどんな結果が出るだろう?」

フェスティンガーは、そこから実際に確かめられる予測を作りました。

その代表例が、現在まで語り継がれている、

「1ドルと20ドル」の実験

です。

9.「1ドルと20ドル」の実験

フェスティンガーは何を確かめたかったの?

1959年(昭和34年)、フェスティンガーと、

James M. Carlsmith(ジェームズ・エム・カールスミス)

は、

Cognitive Consequences of Forced Compliance(コグニティブ・コンシクエンシズ・オブ・フォースト・コンプライアンス/自分の本来の態度とは異なる行動を求められたときに生じる認知的な結果)

という論文を発表しました。

ここでいう、

forced compliance(フォースト・コンプライアンス)

は、力ずくで何かをさせるという意味ではなく、この研究では、報酬など外からの働きかけによって、自分の本来の態度とは異なる発言や行動をする状況を考えるための言葉です。

二人が確かめたかったのは、

「本当はそう思っていないことを自分で言ったあと、本人自身の評価まで変わることがあるのか?」

という問題でした。

認知的不協和理論から、フェスティンガーたちは少し意外な予測を立てました。

この実験で問題になる食い違いは、

「本当は作業を退屈だと思っている」

という認知と、

「自分はほかの人に『作業は面白かった』と言った」

という、自分の行動についての認知です。

ただし、同じ行動をしても、その行動を説明できる外側の理由がどのくらいあるかによって、不協和の大きさは変わるとフェスティンガーたちは考えました。

大きな報酬を受け取れば、

「本当は退屈だったけれど、お金をもらったから『面白かった』と言った」

と、自分の行動を説明しやすくなります。

一方、報酬が小さければ、その外側の理由は相対的に弱くなります。

そこでフェスティンガーたちは、行動を説明する外的な理由が小さい条件ほど不協和が大きくなり、それを小さくするために、本人自身の作業への評価が変化しやすいのではないかと考えました。

反対にいうと、行動させるための外的な圧力や報酬が大きくなるほど、その後に本人自身の態度が変化する程度は小さくなるだろう、という予測です。

つまりフェスティンガーたちは、大きな報酬が自分の発言を説明する理由になるため、不協和は比較的小さくなると考えました。

一方、少ない報酬では、その発言を外側の理由だけでは説明しにくいため、

「本当は退屈だった」という認知と、「自分は面白かったと言った」という行動についての認知との不協和が、より大きくなりやすい

と考えました。

そして、その不協和を小さくする一つの方法として、

「実は、あの作業はそれほど退屈ではなかったのかもしれない」

と、本人自身の作業への評価が変化する可能性があると予測したのです。

言い換えると、外から行動を説明できる理由が小さい条件ほど、その後の態度変化が大きくなるだろう、という予測でした。

ここで大切なのは、「不協和が大きくなること」と「態度が変わること」は同じではないという点です。
認知的不協和は、認知同士の食い違いから生じる心理的な状態です。一方、態度を変えることは、その不協和を小さくするために起こりうる反応の一つです。
不協和が生じると、それを小さくする方向へ動機づけられますが、その方法が必ず態度変化になるとは限りません。

では、どうやって確かめたのでしょうか。

参加したのは、スタンフォード大学で心理学入門の授業を受けていた男子学生71人でした。

まず全員が、約1時間にわたって、とても単調な作業を行いました。

最初の30分は、12個の糸巻きをトレーへ並べ、取り出し、また並べる作業を繰り返します。

次の30分は、板に並んだ48本の四角いペグを、1本ずつ4分の1回転させ続けました。

研究者がわざわざこのような作業を用意したのは、参加者が「面白かった」と自然には感じにくい、比較的共通した経験を作るためです。原論文にも、単調な作業によって参加者がある程度否定的な評価を持つ状況を作ることが目的だったと記されています。

作業が終わると、1ドル条件20ドル条件統制条件、と3つの役割に条件が分かれます。

1ドル条件では、研究者側が用意した次の参加者役(聞き役)の女子学生に、

「この実験は面白かった」

「楽しかった」

という趣旨のことを伝えるよう頼まれ、その役への報酬として1ドルを受け取りました。

20ドル条件も同じことをしますが、報酬は20ドルです。

一方、

control condition(コントロール・コンディション/統制条件)

では、比較の基準とするため、「面白かった」と伝える役を行いませんでした。

そのあと、作業を行った参加者自身が実験をどう感じたのかを調べます。

ここにも工夫がありました。

その後、参加者自身が実験をどう感じたのかを、別の面接者が質問しました。

ここにも重要な工夫があります。

interviewer(インタビュアー/面接者)には、その参加者が1ドル条件・20ドル条件・統制条件のどれにいたのかを知らせていませんでした。

参加者本人は、自分が受け取った報酬について当然わかっています。ここで条件を知らされていなかったのは、評価を聞く面接者のほうです。

面接者が実験条件を知ることで、質問の仕方や反応が無意識に変わる可能性を小さくするための工夫でした。

71人のうち、実験の目的を疑った人や、依頼された役を引き受けなかった人など11人のデータは主要な分析から外されました。

そのため最終的には、

統制条件 20人
1ドル条件 20人
20ドル条件 20人

の計60人が分析されました。

そして、

「作業はどのくらい面白かったですか?」

という質問に、−5から+5までで答えてもらった平均値は、

統制条件 −0.45

20ドル条件 −0.05

1ドル条件 +1.35

でした。

その後の評価では、1ドル条件の参加者が、20ドル条件や統制条件の参加者よりも、先ほど行った単調な作業をより肯定的に評価しました。

原論文では、1ドル条件と統制条件、1ドル条件と20ドル条件の差について統計的な検討も行われ、いずれもこの研究で設定された基準のもとで差が報告されています。

フェスティンガーたちは、この結果を認知的不協和理論から考えました。

20ドル条件では、

「20ドルもらったから、面白いと言った」

という比較的大きな外側の理由があります。

一方、1ドル条件では、その理由は20ドル条件より小さい。

そこで、

「本当は退屈だった」

という認知と、

「自分は面白かったと人に言った」

という認知の食い違いを小さくする一つの方法として、

「あの作業は、思っていたほど退屈ではなかったのかもしれない」

と、本人自身の評価が変化した可能性があると解釈したのです。

そして、この研究で興味深いのは、フェスティンガーたちが自分たちに都合のよい説明だけで終わらなかったことです。

もしかすると、

「1ドル条件の人たちが、20ドル条件より一生懸命『楽しかった』と説明したため、自分自身まで説得された」

だけかもしれません。

そこで研究者たちは、参加者と女子学生との会話を、

tape recorder(テープ・レコーダー/録音機)

で記録していました。

その録音を文字に起こし、参加条件を知らない2人の評価者が、発言の内容、説得力、話していた時間など5つの観点から評価しました。

その結果、1ドル条件の参加者のほうが、より熱心に説明したり、より説得的に話していたとは確認されませんでした。 原論文では、むしろ5項目すべてで20ドル条件の平均がわずかに高かったと報告されています。

ここに、フェスティンガーという研究者の一つの特徴が見えてきます。

理論から予測を作り、条件を変えて比較し、さらに別の説明ができないかまで調べる。

「1ドルと20ドル」の実験が興味深いのは、「少ない報酬のほうが態度が変わった」という意外な結果だけではありません。

目に見えない「認知の食い違い」という考えを、実験で比較できる形へ変えようとしたところにも、フェスティンガーの研究者としての姿が表れています。

ただし、この実験から、

「報酬が少なければ、いつでも人の考えが変わる」と一般化することはできません。

研究から確認できるのは、この特定の実験条件で、1ドル・20ドル・統制の三つの条件の間に課題評価の違いが見られたということです。

そしてフェスティンガーは、この一つの実験で研究を終えませんでした。

認知的不協和という理論から、さらにさまざまな問いを生み出していきます。

しかし、彼の研究人生には、このあともう一つ意外な展開が待っています。

これほど有名な理論を生み出したフェスティンガーは、やがて認知的不協和そのものから離れ、まったく違う研究対象へ向かっていくのです。

なぜ、成功した研究をそのまま続けなかったのでしょうか。

そこには、フェスティンガーがどんな研究者だったのかを知る、大きな手がかりがあります。

10.一つの実験で終わらせない

フェスティンガーの研究の進め方

「1ドルと20ドル」の実験は、認知的不協和を扱った研究の中でも特に有名です。

しかし、フェスティンガーという人物を知るうえで大切なのは、一つの実験で理論を完成したものとして扱わず、「別の条件ではどうなるのか?」と次の研究へ進んでいったことです。

認知的不協和理論では、どのようなときに認知の食い違いが生じ、その大きさや、不協和を小さくする反応がどのような条件によって変わるのかを考えることができます。

たとえば、

「自分の考えとは違う行動をしたとき、どのような不協和が生じるのか?」

「その行動を説明できる報酬が大きい場合と小さい場合では、不協和やその後の態度変化にどのような違いが現れるのか?」

「二つの選択肢から一つを自分で選んだあとには、どのような不協和が生じるのか?」

といった問題です。

フェスティンガーは、こうした問いをさまざまな状況へ広げ、理論から予測されることが実際の研究でどこまで確かめられるのかを検討していきました。

1961年(昭和36年)には、

The Psychological Effects of Insufficient Rewards(ザ・サイコロジカル・エフェクツ・オブ・インサフィシェント・リウォーズ/不十分な報酬の心理的効果)

という論文を『American Psychologist(アメリカン・サイコロジスト)』に発表しました。

ここでいうinsufficient reward(インサフィシェント・リウォード/不十分な報酬)とは、行動を起こさせることはできても、その行動を外側の理由だけで十分に説明しにくい程度の報酬を考えるための言葉です。

フェスティンガーはこの論文で、不十分な報酬が生む心理的な結果を認知的不協和理論から整理し、それまでに行われた複数の研究を取り上げています。

翌1962年(昭和37年)には、心理学者の

Douglas H. Lawrence(ダグラス・エイチ・ローレンス)

と、

Deterrents and Reinforcement: The Psychology of Insufficient Reward(ディタレンツ・アンド・リインフォースメント――ザ・サイコロジー・オブ・インサフィシェント・リウォード/抑止と強化――不十分な報酬の心理学)

を刊行しました。これはStanford University Press(スタンフォード・ユニバーシティ・プレス/スタンフォード大学出版局)から出版された実在する研究書です。

ここで重要なのは、単純に、

「報酬が多ければ多いほど、人の心も大きく変わる」と考えたわけではないことです。

フェスティンガーが注目したのは、自分がした行動を外側の理由でどの程度説明できるのかによって、その後の心理的な変化が違ってくる可能性でした。

「1ドルと20ドル」の研究も、その代表例でした。

大きな報酬があれば、

「報酬があったから、そうした」

と説明しやすい。

一方、外的な理由が小さければ、自分の行動とそれまでの態度との食い違いを別の方法で小さくする必要が生じやすい。

報酬そのものではなく、報酬がその人にとって行動をどの程度説明できる理由になるのか。

フェスティンガーは、そうした条件の違いまで理論の対象にしていったのです。

さらに1964年(昭和39年)には、

Conflict, Decision and Dissonance(コンフリクト・ディシジョン・アンド・ディソナンス/葛藤・意思決定・不協和)

が刊行されました。

この本では、フェスティンガーを中心に複数の研究者による研究がまとめられ、人が何かを決める前と、実際に一つを選んだあとでは、考え方や評価、情報への向き合い方にどのような変化が起こるのかといった問題が扱われています。

たとえば、二つの魅力的な選択肢から一つを選んだとします。

選んだほうにも欠点があり、選ばなかったほうにも魅力があります。

すると、選択したあとにも、

「こちらを選んだけれど、選ばなかったほうにも良いところがあった」

「自分が選んだほうにも、気になる欠点がある」

という、自分の決定と完全には一致しない認知が残ることがあります。

こうした状況では、自分で一つを選んだからこそ、その決定と、それに合わない認知との間に不協和が生じることがあると考えられます。

そして重要なのは、単に「選択後にも不協和が生じる」ということだけではありません。

認知的不協和の研究では、その不協和を小さくする方向として、

選んだものを以前より魅力的に評価したり、選ばなかったものを以前より魅力的でないと評価したりするような変化が起こることがある

と考えられ、こうした決定後の評価変化が研究されてきました。

つまり、

「こちらを選んだけれど、あちらにも良いところがあった」

という食い違いに対して、

「やっぱり自分が選んだほうが良かった」

と思える方向へ、選択肢への見方が変化することがある、ということです。

このように、認知的不協和の研究で重要なのは、

「食い違いがあれば、必ず態度が変わる」という単純な法則ではありません。

どの認知が食い違っているのか。

その行動を説明できる外側の理由がどのくらいあるのか。

何かを選ぶ前なのか、それともすでに自分で決定したあとなのか。

そうした条件の違いによって、不協和の大きさや、不協和を小さくしようとするときに起こる心理的な変化も異なりうるのです。

だからこそフェスティンガーは、一つの実験だけで終わらず、

「この理論が正しいなら、条件を変えたら何が起こるだろう?」

と、さらに次の研究へ進んでいきました。

理論を考える。

そこから予測を作る。

条件を変えて調べる。

結果が出れば、別の説明ができないかも考える。

そして、また次の「なぜ?」へ進む。

理論と実験を行き来しながら、一つの疑問を次の研究へつなげていくことが、フェスティンガーの研究の大きな特徴でした。

ところが、ここから彼の研究人生には意外な変化が訪れます。

認知的不協和という大きな研究成果を残したフェスティンガーは、そのテーマだけを生涯研究し続ける道を選びませんでした。

次に彼が強く関心を向けたのは、人が社会の中で考えを変える問題ではなく――私たちが「目」で世界を見る仕組みだったのです。

11.認知的不協和を研究し続けなかった?

次に向かったのは「目」の研究

1963年(昭和38年)ごろ、スタンフォード大学にいたフェスティンガーは、研究対象を大きく変えました。

次に強く関心を持ったのが、

visual system(ヴィジュアル・システム/視覚系)

や、

perception(パーセプション/知覚)

です。

知覚とは、目や耳などから入ってきた情報を受け取り、私たちが「こう見える」「こう聞こえる」と経験する心の働きです。

認知的不協和で大きな成果を残した心理学者が、なぜ突然「目」を研究し始めたのでしょうか。

シャクターによれば、フェスティンガーは同じ問題を繰り返すことを好まず、新しい問題や解くべき謎に強く引かれる研究者でした。

研究対象を変えたこと自体が、フェスティンガーという人物の特徴だったのです。

では、「目」の何を調べたのでしょうか。

フェスティンガーたちが関心を持った問題の一つが、

「私たちが見ている世界と、自分の目や体を動かすための情報は、どのように関係しているのだろう?」

という疑問でした。

ここで登場するのが、

afference(アフェレンス/感覚器官などから中枢神経系へ入ってくる情報)

と、

efference(エファレンス/中枢神経系から筋肉などへ向かう運動に関わる情報)

という言葉です。

1967年(昭和42年)、フェスティンガーらは、

Efference and the Conscious Experience of Perception(エファレンス・アンド・ザ・コンシャス・エクスペリエンス・オブ・パーセプション/運動に関わる情報と意識的な知覚経験)

という研究を発表しました。

この研究では、プリズムを使った眼鏡などによって、まっすぐな線が曲がって見えるような状況を作り、見ることと体を動かすことの関係を変化させました。

この研究では、方法を少しずつ変えた4つの実験が行われました。

4つの実験で比べられたのは、大きく分けて次のような二つの条件です。

一つは、プリズムを使った眼鏡によって見えている位置をずらし、そのずれた見え方に合わせて「どの方向へ手を動かせばよいか」を新しく覚える必要がある条件です。

たとえば、実際にはまっすぐ手を動かしているのに、眼鏡の影響で少し違う方向に見えるとします。すると参加者は、「こう見えるときは、実際にはこちらへ手を動かせばよい」という新しい目と手の関係に慣れなければなりません。

もう一つは、同じように見え方をずらした状態で手を動かしますが、そのずれに合わせた新しい動かし方を覚える必要はない条件です。

つまり、どちらも似たような「見る」「手を動かす」という経験をしますが、違うのは、ずれた見え方に合わせて、目と手の新しい組み合わせを学ぶ必要があるかどうかでした。

4つの実験では、実験を重ねるごとに方法を少しずつ変え、「ほかの理由でこの結果が出たのではないか」という可能性を減らしながら、本当に目と手の新しい関係を学ぶことが見え方の変化に関係するのかを確かめていきました。

その結果、ずれた見え方に合わせて新しい手の動かし方を学んだ人では、線の「まっすぐ・曲がっている」という見え方そのものにも変化が見られました。

プリズムを通すと、実際にはまっすぐな線が曲がって見えます。ところが練習を重ねたあとには、以前ほど線を大きく曲げなくても「まっすぐに見える」と判断する方向へ変化しました。

つまり、変わった見え方に合わせて体の動かし方を学ぶことで、体の動きだけでなく、目の前の線をどう感じるかという知覚にも変化が起こる可能性が示されたのです。

ただし変化そのものは大きなものではなく、フェスティンガーたちも、この研究だけで理論が決定的に証明されたとはしていません。4つの実験を通して、私たちの「見え方」には、目から入る情報だけでなく、体や目を動かすための情報も関係している可能性があると考えました。

研究者たちは、この結果を、目から入ってくる情報だけでなく、運動に関わる情報も意識的な知覚に関係する可能性を考える材料としました。

ここで大切なのは、

「認知的不協和と視覚には、実は同じ仕組みがあった」

と無理につなげることではありません。

フェスティンガーは本当に研究分野そのものを変えたのです。

社会の中で人の考えがどう変わるのかを研究していた人物が、

今度は、

「人間は、そもそも世界をどう見ているのだろう?」

という別の問題へ向かいました。

その後も眼球運動や視覚について研究を続け、1974年(昭和49年)には眼球運動によって生じる知覚上の錯覚、1976年(昭和51年)には動く対象を目でなめらかに追うときの視覚について、共同研究者たちと論文を発表しています。

ところが、フェスティンガーは、この研究分野にもずっと留まりませんでした。

やがて彼は、

もっと大きな「人間とは何か」という問題そのものへ目を向けるようになります。

12.実験室を閉じて

晩年に向かった「人間とは何か?」

1978年から1979年(昭和53~54年)ごろ、フェスティンガーは研究室を閉じ、長く続けてきた実験心理学から離れました。

研究そのものをやめたわけではありません。

むしろ、

より大きな人間の問題を考えたい

という方向へ、もう一度研究対象を変えたのです。

1983年(昭和58年)の著作でフェスティンガー自身が振り返ったところによれば、視覚研究は次第に、人間の目がどのように動くのかという、ますます細かな技術的問題へ狭まっていったと感じるようになっていました。

また、40年以上心理学の研究に関わる中で、人間について新しく分かったことはあっても、進歩の速さや、心理学が取り組んできた問題そのものについて満足していたわけではありませんでした。

そこで彼は、細かな実験上の問題から離れ、

「人間という存在そのものについて、もっと大きな問いを考えられないだろうか」

という方向へ進んでいきます。

そこで向かったのが、

archaeology(アーキオロジー/考古学)

でした。

考古学とは、昔の人々が残した住居跡や道具などを調べ、過去の人間や社会について研究する学問です。

フェスティンガーはフランスやイスラエルの専門家たちと発掘現場を訪れ、出土した

artifact(アーティファクト/遺物)

から、

「昔の人々は、どのような社会を作っていたのだろう?」

と考えるようになりました。

たとえば、ある遺跡では矢じりの出来栄えに大きなばらつきがある。

ところが別の遺跡では、どの矢じりも似たように高い技術で作られている。

なぜでしょうか。

フェスティンガーは、こうした違いを手がかりに、

division of labor(ディヴィジョン・オブ・レイバー/分業)

――つまり、人によって担当する仕事を分け、特定の仕事を得意な人が専門的に行う仕組み――が、昔の社会でどのように発達していったのかを考察しました。

そのほかにも、遺物を手がかりに、宗教に関わる技術や、人類史における遊び・ゲームの役割について考えています。

こうした考察をまとめて1983年(昭和58年)に出版したのが、

The Human Legacy(ザ・ヒューマン・レガシー/「人類が受け継いできたもの」といった意味)

です。

ここで興味深いのは、

「社会心理学者が、今度は考古学者になった」

という珍しさだけではありません。

心理学で長年考えてきた「人間はなぜこうするのか?」という問いを、何千年も前の人間社会にまで広げたところにも、フェスティンガーらしさがあります。

このことを伝えているのが、Stanley Schachter(スタンレー・シャクター)です。シャクターはフェスティンガーの教え子であり、のちに『When Prophecy Fails(予言がはずれるとき)』を一緒に書いた共同研究者でもありました。

シャクターによると、『The Human Legacy』を発表したフェスティンガーは、心理学者の仲間から、

「それは心理学とどう関係するのか」

と尋ねられることがよくあったそうです。

ただし、フェスティンガー自身にとっては、心理学を捨ててまったく別のことを始めたつもりではなかったようです。

彼が知りたかったのは、異なる時代や異なる資料から見たとき、「人間という生き物には、どのような特徴があるのか」という、もっと大きな問題でした。

実験室で現代の人間を調べるだけではなく、何千年も前に残された道具や社会の変化からも、

「人間はなぜこんな社会を作ったのだろう?」

「なぜ分業が生まれたのだろう?」

「なぜ新しい技術を受け入れる社会と、受け入れにくい社会があるのだろう?」

と問い続けたのです。

研究する対象は心理学の実験室から大きく離れても、「人間とはどんな存在なのかを知りたい」という問いは、フェスティンガーの中でつながっていたと考えられます。

そしてフェスティンガーの好奇心は、さらに、

history of religion(ヒストリー・オブ・リリジョン/宗教史)

へ向かいました。

中世史やビザンツ史を研究する専門家たちと交流しながら、東方教会と西方・ローマ教会の違いに注目し、その違いが、それぞれの地域における物質的な技術の発達や受け入れ方とどのように関係した可能性があるのかを研究していました。

しかし、この宗教史についての研究を完成した著作として出版する前に、フェスティンガーは1989年(平成元年)2月11日に亡くなりました。

こうして研究人生を並べてみると、

社会心理学。

社会的比較。

認知的不協和。

視覚と眼球運動。

考古学。

そして宗教史。

研究対象は驚くほど変わっています。

けれど、その奥には一つの共通した姿勢が見えてきます。

「まだ分からないことに出会ったら、『なぜ?』と問い、その答えを調べる方法を考える。」

そして一つの問題が見えてきたら、そこで満足するのではなく、また次の問題へ進む。

レオン・フェスティンガーは、

「認知的不協和を提唱した心理学者」であると同時に、生涯を通して新しい問いを探し続けた研究者

だったのです。

では、そのフェスティンガーは、最終的に心理学へ何を残したのでしょうか。

次の章では、

「レオン・フェスティンガーは、なぜ心理学史で重要な人物なのか」

という、この人物紹介の中心となる問いへ戻ってみましょう。

13.なぜレオン・フェスティンガーは心理学で重要なの?

ここまで、レオン・フェスティンガーの研究人生をたどってきました。

では最後に、

「フェスティンガーは、なぜ心理学史で重要な人物なのか?」

という問いに戻ってみましょう。

大切なのは、「認知的不協和」という有名な理論を一つ残したから、という理由だけではありません。

フェスティンガーは、人と人とのつながり、集団の中での意見の違い、自分の意見や能力の評価、そして自分の中に生じる認知の食い違いなど、日常生活にも現れる複雑な問題を、

「どうすれば心理学として調べられるだろう?」

と考え続けた研究者でした。

MIT時代には、人間関係や集団の中でのコミュニケーションを、条件を変えながら実験で調べる方法を発展させました。

1954年(昭和29年)には社会的比較理論を発表し、1957年(昭和32年)には認知的不協和理論を体系的に示します。

さらに、その理論から予測を作り、「1ドルと20ドル」の研究をはじめ、さまざまな条件で実際に確かめようとしました。

米国科学アカデミーの伝記では、MITでの住宅調査から生まれた疑問が実験研究へ発展していった流れについて、体系的な実験社会心理学の重要な転機と考える研究者もいるほどだったと振り返られています。

身近で複雑な人間の問題を、理論を作り、比較し、実験によって調べられる問題へ変えていったこと。

そこに、フェスティンガーが社会心理学へ残した大きな意味があります。

その研究は高く評価されました。

1959年(昭和34年)には、American Psychological Association(アメリカン・サイコロジカル・アソシエーション/アメリカ心理学会、APA)から科学的貢献をたたえる賞を受け、同じ年にはAmerican Academy of Arts and Sciences(アメリカン・アカデミー・オブ・アーツ・アンド・サイエンシズ/アメリカ芸術科学アカデミー)の会員にも選ばれました。

さらに1972年(昭和47年)には、National Academy of Sciences(ナショナル・アカデミー・オブ・サイエンシズ/米国科学アカデミー)の会員に選ばれています。

ただし、心理学史に残る研究者を知るときには、

「有名だから、すべての研究がそのまま正しい」と考えるのではなく、

その後の研究によって何が支持され、何が修正され、何が再検討されているのかを見ることも大切です。

認知的不協和は1957年(昭和32年)の発表で研究が終わった理論ではなく、その後も多くの研究が積み重ねられてきました。APAの現在の解説でも、フェスティンガーによる1957年の理論を出発点として認知的不協和が説明されています。

また、第7章で見た『When Prophecy Fails(ウェン・プロフェシー・フェイルズ/予言が外れるとき)』については、2025年(令和7年)11月4日にオンライン公開され、2026年(令和8年)に掲載されたThomas Kelly(トーマス・ケリー)の研究が、当時の集団の反応や研究者の関与、1956年(昭和31年)の著書での描写について重要な異論を提示しています。

科学では、有名な研究であっても、後から新しい資料や研究方法によって確かめ直されます。

それもまた、心理学を理解するうえで大切なことです。

そして、フェスティンガー本人の研究人生も、一つの答えにとどまるものではありませんでした。

社会心理学から認知的不協和へ。

そこから視覚研究へ。

さらに人類の歴史や宗教史へ。

研究対象は大きく変わっていきました。

しかし、その歩みを通して見えてくるものがあります。

「人はなぜそうするのだろう?」という疑問を、実際に調べられる問いへ変える。

そして答えが少し見えてきたら、そこからまた次の「なぜ?」へ進む。

レオン・フェスティンガーを知ることは、

「認知的不協和を提唱した心理学者」という名前を覚えることだけではありません。

一人の研究者が、人間についての疑問をどう見つけ、どう確かめ、そして次の未知の問題へ進んでいったのかを知ることでもあります。

「分かったら終わり」ではなく、「分かったところから、次の『なぜ?』へ」。

フェスティンガーの研究人生は、そんな心理学のおもしろさを伝えてくれる一つの例なのです。

14.おまけコラム

心理学者の名前が「中世の教会法」の本に残っている?

最後に、フェスティンガーについて少し変わった余談を紹介しましょう。

レオン・フェスティンガーといえば、

「社会心理学」

「社会的比較」

「認知的不協和」

といった言葉を思い浮かべる人が多いでしょう。

ところが、彼の名前は心理学とはかなり離れて見える、中世の教皇制・公会議・教会法を扱った専門書にも残されています。

第12章で見たように、晩年のフェスティンガーはhistory of religion(ヒストリー・オブ・リリジョン/宗教史)へ関心を広げ、中世史やビザンツ史を研究する専門家たちとも交流していました。

特に関心を持っていたのが、東方教会と西方・ローマ教会の違いや、それらの違いが技術の発達や受け入れ方とどのような関係を持っていた可能性があるのか、という問題でした。

フェスティンガーはこの研究を完成した本として出版する前に、1989年(平成元年)に亡くなります。

ところが翌1990年(平成2年)。

中世の教会史や、

canon law(キャノン・ロー/教会法)

――教会の組織や聖職者、信徒の生活などについて定める教会の法体系――を研究していた歴史学者Robert Somerville(ロバート・サマヴィル)が、

Papacy, Councils and Canon Law in the 11th–12th Centuries(ペイパシー・カウンシルズ・アンド・キャノン・ロー・イン・ジ・イレヴンス・トゥ・トゥウェルフス・センチュリーズ/11〜12世紀の教皇制・公会議・教会法)

という専門書を出版しました。

そしてこの本は、レオン・フェスティンガーの思い出に捧げられています。

フェスティンガーの伝記を書いたスタンレー・シャクターも、教会法の専門家が、自分とは専門分野の異なる社会心理学者へ本を捧げたことを、非常に珍しい出来事として紹介しています。

考えてみれば、不思議な話です。

1919年(大正8年)にニューヨーク・ブルックリンで生まれた一人の心理学者。

若いころは統計や意思決定を研究し、

その後は人間関係や社会的比較を研究し、

認知的不協和を提唱し、

次には人間の「見え方」を調べ、

晩年には考古学や宗教史へ進んだ。

そして死後には、中世の教会法を扱った専門書にまで、その名前が残ったのです。

このエピソードから直接、

「フェスティンガーは中世史にも大きな理論を残した」

と考えることはできません。

大切なのは、専門外の分野へ進んだ晩年のフェスティンガーが、その分野の専門家たちとも真剣に知的交流をしていたことが伝記資料から確認できるという点です。米国科学アカデミーの伝記では、彼が中世・ビザンツ教会史の研究者たちにも強い印象を残したと記されています。

認知的不協和の教科書から始まった名前が、中世教会史の本にまでたどり着く。

レオン・フェスティンガーという研究者の好奇心が、心理学という一つの分野だけには収まらなかったことを感じさせる、ちょっと面白い余談です。

15.まとめ・考察

フェスティンガーを知ると、日常の「モヤモヤ」が少し面白くなる

ここまでレオン・フェスティンガーという人物をたどってみると、認知的不協和や社会的比較という心理学用語だけでは見えてこなかった、一人の研究者の姿が見えてきます。

私が特に興味深いと思うのは、フェスティンガーが「人間はいつも合理的に考えている」という前提から出発したのではなく、人の心に現れる少し不思議なズレそのものを研究の対象にしたことです。

人と比べると、自分への評価が変わる。

自分で選んだものなのに、選んだあとで急に不安になる。

自分が大切だと思っていることと違う行動をしたあと、その行動を説明できる理由を探したくなることがある。

心理学のおもしろさは、こうした出来事を、

「人間って変だな」

で終わらせず、

「では、どんな条件で、どのような心の変化が起きるのだろう?」

という、調べられる問いに変えられるところにあるのではないでしょうか。

フェスティンガー自身も、学生住宅で見つかった人間関係の不思議から社会心理学の実験へ進み、社会的比較、認知的不協和へと問いを深め、その後は視覚、考古学、宗教史へまで研究対象を広げました。米国科学アカデミーの伝記からも、一つの問題の小さな変形を繰り返すより、新しい問題へ向かっていった研究者だったことが分かります。

そして、ここには日常生活にも持ち帰れる見方があります。

たとえば、時間をかけて選んだスマートフォンや服を買ったあと、

「本当にこれでよかったのかな?」

と急に別の商品が気になったことはないでしょうか。

そのあと、

「でも、こっちのほうが使いやすいし」

「この色が一番好きだったし」

と、自分の選択の良いところが次々と目に入ってくることもあるかもしれません。

あるいは、

「今日は早く寝よう」

と決めていたのに、夜遅くまで動画を見てしまった。

そんなとき、

「今日は疲れていたから仕方ない」

「明日からちゃんとすればいい」

と考えると、少し気持ちが落ち着くこともあるでしょう。

もちろん、こうした日常の出来事がすべて認知的不協和によって起きていると決めつけることはできません。

しかし、

「今、自分はなぜこの理由を考えたのだろう?」

と一度立ち止まってみることはできます。

心理学を知る意味は、自分やほかの人へすぐに心理学用語のラベルを貼ることではなく、普段なら見過ごしてしまう心の動きに、もう一つの見方を持てるようになることなのかもしれません。

そして、フェスティンガーの研究人生を見ていると、もう一つ面白いことに気づきます。

認知的不協和では、人は自分の中に生じた食い違いを小さくしようとすることがあると考えます。

ところが研究者としてのフェスティンガーは、分からないことや、うまく説明できないことに出会ったとき、その「ズレ」をすぐに消してしまうのではなく、むしろ研究の出発点にしました。

これは少し不思議な対比です。

日常では、

「なんとなくモヤモヤする」

という感覚は、早くなくしたいものかもしれません。

でも学問では、

「なぜモヤモヤするのだろう?」

という違和感が、新しい発見の入口になることがあります。

そう考えると、心理学を学ぶことは「心の答えをたくさん覚えること」だけではありません。

分からないことを、すぐに分かったつもりにしないこと。

そして、

「どうしてだろう?」を少し楽しめるようになること。

それも、心理学から得られる大切な姿勢ではないでしょうか。

次に、自分の考えと行動が少し食い違ったとき。

ほかの人と比べて、急に自分への評価が変わったとき。

自分の選択を正当化したくなったように感じたとき。

すぐに、

「これは認知的不協和だ!」

と決める必要はありません。

その代わり、

「今の自分の心では、何が起きているんだろう?」

と考えてみてください。

そこから生まれた小さな「なぜ?」は、フェスティンガーが研究を始めたときと同じように、心理学をもっと面白くする入口になるかもしれません。

あなたなら、日常のどんな「モヤモヤ」を心理学の問いに変えてみたいですか?

16.さらに学びたい人へ

おすすめ書籍紹介

レオン・フェスティンガーについて知ると、

「社会心理学をもう少し知りたい」

「認知的不協和を本人の本で読んでみたい」

「『予言がはずれるとき』を実際に読んでみたい」

と思う人もいるでしょう。

ここでは、おすすめ書籍を紹介します。

小学生・親子で心理学を楽しみたいなら
『ふしぎなこころの世界』/森口佑介

この本のおもしろいところは、

「どうして友達のテストの点数を見たくなるの?」

「どうして、やらなければいけないことを後回しにしてしまうの?」

といった、子ども自身から集めた身近な「なぜ?」を心理学から考えていることです。

フェスティンガーだけを扱った本ではありません。

しかし、

「身近な心の不思議から心理学へ入る」

という意味では、この記事ととても相性のよい本です。

初めて社会心理学を学ぶなら・全体として一番おすすめ
『眠れなくなるほど面白い 図解 社会心理学』/亀田達也

「フェスティンガーだけではなく、社会心理学全体をもう少し知りたい」という人におすすめです。

社会心理学では、人は周囲からどのような影響を受けるのか、集団の中でなぜ行動が変わるのか、といった問題を扱います。

そのため、

「フェスティンガーが研究していた社会心理学って、ほかにはどんなことを調べるの?」

という疑問を持った人が、次の一歩へ進むのに向いています。

中級者向け――フェスティンガーたちの研究を実際に読んでみるなら
『予言がはずれるとき 新装版』

第7章で紹介した、
When Prophecy Fails(ウェン・プロフェシー・フェイルズ/予言が外れるとき)
の日本語版です。

この本の魅力は、認知的不協和の説明だけを読むのではなく、フェスティンガーたちが実際の集団へ入り、何を観察し、そこからどのような解釈を行ったのかを追えることです。

ただし、第7章で見たように、この研究については2025年(令和7年)後半以降、当時の観察や研究者の関与について新しい再検討も行われています。

そのため現在読むなら、

「有名な研究の答えを読む本」ではなく、「心理学史に大きな影響を与えた研究が、どのように行われ、後世からどう検討されるのかを考える本」

として読むと、さらに面白くなるでしょう。

この記事で出てきた、

「認知とは何か」

「不協和とは何か」

「不協和が生まれたとき、なぜそれを減らそうとするのか」

といった部分を探しながら読むだけでも、ネット上の短い説明とは違う、理論本来の姿が見えてきます。

やさしい本から始めて、社会心理学全体を知り、それから原典へ。

心理学は、難しい専門書から始める必要はありません。

大切なのは、

「これ、どうしてなんだろう?」

と思った疑問を、一つずつ深くしていくことです。

それは、学生住宅の小さな疑問から研究を広げていったフェスティンガーの歩みとも、どこか似ています。

この記事を読み終えたあとも、ぜひ次の「なぜ?」を探してみてください。

17.疑問が解決した物語

「この人が研究したかったこと、少し分かったかも」

以前、

「この人、いったい何を研究していたんだろう?」

と疑問に思った高校生のユウトさん。

社会的比較について調べても、認知的不協和について調べても、そこには同じ名前――

レオン・フェスティンガー

が出てきました。

最初のユウトさんには、この二つがどうつながっているのか、そしてフェスティンガーがどんな心理学者なのか、まだよく分かっていませんでした。

しかし、フェスティンガーの研究人生をたどった今では、少し違って見えています。

ある日、ユウトさんは、また学校で発表をすることになりました。

発表を終えたとき、

「今回は前よりうまくできたかも」

と思いました。

ところが、次に発表した友達は説明がとても分かりやすく、先生からも褒められています。

以前なら、

「やっぱり自分の発表はダメだったのかな……」

と、自分の評価まで一気に下げていたかもしれません。

でも今回は、少し考えました。

「今、ぼくは友達を見て、自分の発表を評価し直そうとしているんだな」

フェスティンガーが考えたsocial comparison(ソーシャル・コンパリソン/社会的比較)を思い出したのです。

もちろん、

「人と比べたから悪い」

ということではありません。

ほかの人を見ることで、自分では気づかなかったことが分かる場合もあります。

そこでユウトさんは、

「友達は話す順番が分かりやすかったな」

「でも、自分は図を使ったところはうまくできた」

と、比べることを「自分を悪く評価する材料」にするのではなく、自分をより正確に振り返る手がかりとして考えてみることにしました。

そして、もう一つ思い出した出来事があります。

友達との待ち合わせに遅れてしまった日のことです。

「約束の時間は守りたい」

と思っていたのに、実際には遅れてしまった。

そのあと、

「朝から忙しかったから仕方ない」

という理由を考えると、少し気持ちが楽になりました。

以前のユウトさんは、

「どうして理由を考えると楽になるんだろう?」

と不思議に思っただけでした。

でも今なら、

「自分が大切だと思っていることと、自分が実際にしたことがうまくかみ合っていなかったんだ」

と考えることができます。

そこで、cognitive dissonance(コグニティブ・ディソナンス/認知的不協和)という考え方が出てきた理由も、以前より分かるようになりました。

ただしユウトさんは、

「認知的不協和だから、言い訳をするんだ」

と決めつけることもしませんでした。

認知的不協和は、単なる「言い訳」の名前ではありません。

自分がもつ認知の間に食い違いが生じたときに不快な状態が生まれ、それを小さくする方向へ動機づけられる、という考え方です。

その不快さを小さくする方法は、理由を考えることだけではありません。

「遅れてしまったのは事実だから、まず謝ろう」

「次は10分早く家を出よう」

と、自分の行動を変えることも一つの対応です。

ユウトさんは、その日のことを思い出しながら、

「理由を考えて楽になるだけじゃなくて、次にどうするかまで考えられたらいいんだな」

と思いました。

そして、最初に抱いたもう一つの疑問にも答えが見えてきました。

「レオン・フェスティンガーって、結局どんな心理学者だったんだろう?」

社会的比較だけを研究した人でもありません。

認知的不協和だけを研究し続けた人でもありません。

人と人とのつながりを調べ、社会的比較を考え、認知的不協和を体系化し、その後は視覚、さらに人類の歴史や宗教史へまで研究を広げていった。

ユウトさんには、フェスティンガーが、

「人はなぜこんなふうに考えたり、行動したりするのだろう?」という疑問を見つけると、それを実際に調べられる問いへ変え、答えが見えてきても次の『なぜ?』へ進んでいった研究者

のように思えてきました。

最初は、

「社会的比較と認知的不協和を研究した同じ人」

というだけだった名前。

でも今では、

「一つの有名な理論だけでは説明できない、疑問を追い続けた心理学者」

として見えるようになっています。

そしてユウトさんは、心理学の言葉を覚えること以上に、大切なことにも気づきました。

自分が誰かと比べたとき。

自分の考えと行動が食い違ったとき。

すぐに自分や相手へ心理学用語を当てはめるのではなく、

「今、なぜ自分はこう感じたんだろう?」

と考えてみる。

分からなければ、もう少し調べてみる。

その小さな「なぜ?」から、新しい見方が生まれるかもしれません。

あなたなら、今日自分の心に起きた出来事の中から、どんな「なぜ?」を見つけますか?

18.文章の締めとして

レオン・フェスティンガーという一人の心理学者をたどっていくと、最初は難しく見えた心理学の言葉も、少しずつ私たちの日常につながって見えてきます。

誰かと自分を比べてしまうこと。

自分の考えと行動がうまく合わず、心の中に引っかかりを感じること。

「どうして自分は、こんなふうに考えたんだろう?」

と、不思議に思うこと。

普段ならそのまま通り過ぎてしまうような小さな心の動きにも、立ち止まって見てみると、たくさんの「なぜ?」が隠れています。

フェスティンガーもまた、そうした疑問を見つけては、調べ、考え、答えが見えてくれば、さらに次の疑問へ進んでいった研究者でした。

だからこそ、この記事を読み終えたあとに残しておきたいのは、心理学者の名前や理論の名前だけではありません。

明日、誰かと話しているとき。

何かを選んだとき。

自分の気持ちが少し揺れたとき。

そんな何気ない瞬間に、

「どうしてだろう?」

と一度だけ考えてみてください。

その小さな疑問が、今まで気づかなかった自分の心や、人の心を見る入口になるかもしれません。

補足注意

この記事は、公開されている研究論文・書籍・伝記資料などをもとに、個人で確認できる範囲の情報を整理し、できるだけ正確かつ分かりやすく紹介したものです。

心理学には、一つの現象について複数の理論や解釈が存在することがあります。また、過去の有名な研究についても、新しい資料の発見や研究方法の発展によって、評価や理解が見直されることがあります。

そのため、この記事で紹介した内容が、レオン・フェスティンガーや認知的不協和、社会的比較についての唯一の答えというわけではありません。

今後の研究によって、新しい知見が加わったり、これまでの説明が修正されたりする可能性もあります。

🧭 本記事のスタンス

この記事は、「これが唯一の正解」と決めるためではなく、心理学のおもしろさに触れ、読者自身がさらに調べ、考えてみるための入り口として書いています。

一つの説明だけで終わらせず、異なる研究や立場からの見方にも目を向けながら、ぜひ自分自身の「なぜ?」を深めてみてください。

このブログでフェスティンガーに興味が湧いたなら、ここで「分かった」と調和して終わらず、あえて次の“不協和”を探して、文献や資料のその先へ。

比べて、確かめて、また「なぜ?」と問いかける。――その小さな“不協和”こそが、フェスティンガーが追い続けた心の謎を、あなた自身の「もっと知りたい」という学びへ変えてくれるのかもしれません。

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました。

レオン・フェスティンガーの研究人生は、心の中に生まれた小さな「なぜ?」を大切にすることが、人間をもっと深く知るための第一歩になることを教えてくれているのかもしれません。

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