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サルトルとはどんな人物?なぜ「実存は本質に先立つ」と考えた?生涯と思想を解説

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5秒でわかる結論

ジャン=ポール・サルトルは、人間の生き方や自由について考えたフランスの哲学者・作家です。

「実存は本質に先立つ」という考えを広く伝えた重要な人物です。

かみ砕いて言うと

例えば、学校で図書係になった子がいたとします。

「図書係だから、本が好きな子なんだね」と思われるかもしれません。

でも、その子は絵を描くことが好きかもしれませんし、運動が得意かもしれません。

これから新しいことに挑戦して、今まで知らなかった自分の一面を発見することだってあります。

「図書係」という一つの役割だけで、その子がどんな人なのか、すべてが決まるわけではありませんよね。

フランスの哲学者サルトルは、これよりもさらに大きな疑問を考えました。

「人間は、生まれたときから、どのように生きるかが決まっているのだろうか?」

サルトルは、人間には初めから決められた生き方があるわけではなく、生きる中で選び、行動しながら、自分のあり方を形づくっていくと考えました。

もちろん、何でも思いどおりにできるという意味ではありません。

では、サルトルはどのような人物で、なぜ人間について、このような考えを持つようになったのでしょうか。

その答えを知るために、サルトルの人生と、考えを深めていった歩みをたどってみましょう。

この記事を読むとわかること

「実存は本質に先立つ」という言葉を調べていると、ジャン=ポール・サルトルという名前が出てきます。

言葉の意味が少しわかってくると、今度はこんな疑問が生まれませんか。

「どうしてサルトルは、人間の生き方は最初から決まっていないと考えたんだろう?」

「人間の自由について考えたサルトル自身は、どんな時代を生き、どんな経験をしてきた人なんだろう?」

一つの言葉を知ると、その言葉を考えた人の人生まで気になってくることがありますよね。

この記事では、そんな疑問を出発点に、次のことを一つずつ紹介していきます。

サルトルとは、どのような人物だったの?
「実存は本質に先立つ」って、簡単に言うとどういう意味?
サルトルは何を学び、どのように自分の考えを深めたの?
戦争や当時の社会は、サルトルの人生や思想とどう関わっていたの?
なぜ今でもサルトルの考えが知られているの?

サルトルがどのような人生を歩み、何を考え続けたのかを知ることで、「実存は本質に先立つ」という言葉も、これまでとは少し違った角度から見えてくるかもしれません。

疑問が生まれた物語

何度も出てくる、知らない人の名前

放課後の図書室。

小学5年生の凛(りん)と大地(だいち)は、机を並べて本を読んでいました。

「ねえ、大地。今日の発表、また緊張して声が小さくなっちゃった」

凛は少し残念そうに話しました。

「私って、昔から人前で話すのが苦手なんだよね。これからもずっと、このままなのかな」

大地は少し考えてから答えました。

「でも、この前は授業で自分から質問していたよね。苦手なことがあるからって、これからもずっと同じとは限らないんじゃない?」

「そうなのかな……」

そんな話をしていた二人は、哲学の入門書に書かれていた不思議な言葉に目を留めました。

「実存は本質に先立つ」

「じつぞん……ほんしつ……? なんだか難しそう」

凛が首をかしげると、大地は説明のページを開きました。

「人間は、最初から生き方が全部決まっているわけじゃない、っていう考えみたいだよ」

「へえ。さっきの話とも、少し関係があるのかな?」

二人が続きを読んでいくと、同じ人物の名前が何度も出てきました。

ジャン=ポール・サルトル

「ねえ、このサルトルって、どんな人なんだろう?」

「確かに。どうしてこの人は、人間の生き方について、こんなことを考えたんだろうね」

凛はもう一度、その名前を見つめました。

「どんな人生を送った人なのか知ったら、この言葉の意味も、もっとわかるかもしれないね」

「じゃあ、まずはサルトルがどんな人だったのか、調べてみようよ!」

二人はページをめくりながら、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルという人物について調べ始めました。

1 『ジャン=ポール・サルトル』とはどんな人物?

ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)は、「実存は本質に先立つ」という考えを、自分の哲学の重要な主張として説明し、広く伝えたフランスの哲学者・小説家・劇作家です。

哲学者として人間の存在や自由について研究するだけでなく、小説では物語を描き、劇作家として舞台で演じられる劇の台本も書きました。

サルトルは、1905年(明治38年)6月21日に、フランスの首都パリ(Paris)で生まれ、1980年(昭和55年)4月15日に同じパリで亡くなりました。

フルネームは、ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre)です。一般には「ジャン=ポール・サルトル」の名前で知られています。

本に親しんだ少年から、哲学を教える先生へ

サルトルは、まだ1歳の頃に父親を亡くしました。

その後、母親とともに母方の祖父母の家で暮らし、幼い頃から多くの本に親しんで育ちました。

成長すると、1924年(大正13年)に、フランスの首都パリにあるエコール・ノルマル・シュペリウール(École normale supérieure)という学校に入学しました。

この学校の名前は、日本語で「高等師範学校」と訳されます。もともとは教師を育てるためにつくられた学校で、フランスにはほかにも高等師範学校があるため、サルトルが通った学校は「パリ高等師範学校」とも呼ばれています。

この学校は、哲学や文学などを専門的に学ぶことができ、教師や研究者を多く送り出してきた、フランスの高等教育機関です。

ここでサルトルが学んだ哲学とは、例えば「人間は何者なのか」「自由とはどういうことなのか」といった、すぐには答えが出ない問題について、理由を確かめながら考える学問です。

その後、サルトルは1931年(昭和6年)から、フランスの高校にあたる学校で哲学を教えながら、自分自身の研究や執筆も続けていきました。

教室では生徒に哲学を教え、作家としては小説や劇を書き、哲学者としては人間の存在や自由を研究する。

サルトルは、一つの仕事だけではなく、さまざまな方法で人間について考え、その考えを人々に伝えようとした人物だったのです。

なぜ「実存は本質に先立つ」にとって重要なの?

では、なぜ「実存は本質に先立つ」という言葉を調べると、サルトルの名前が出てくるのでしょうか。

それは、サルトルがこの考えを、自分の実存主義哲学を説明するうえで中心となる主張として取り上げ、著作や講演を通して広く伝えたからです。

実存主義(じつぞんしゅぎ)とは、一人ひとりの人間が現実に生きることや、自分の選択、自由、責任などを重要な問題として考える哲学の流れです。

サルトルは、特に「人間には、初めから決められた生き方があるのだろうか」という問題を深く考えました。

その研究をまとめた代表的な著作の一つが、1943年(昭和18年)に出版された『存在と無』(そんざいとむ、原題:L’Être et le Néant)です。

この本では、人間が自分自身や周りの世界をどのように意識するのか、また、人間の存在と自由にはどのような関係があるのかを、詳しく考察しました。

そして1945年(昭和20年)、サルトルはパリで、実存主義についての講演を行いました。

講演とは、多くの人の前で、ある問題について自分の考えや研究内容を話して伝えることです。

サルトルはこの講演で、「実存は本質に先立つ」という言葉を用い、人間には生まれる前から決められた生き方や目的があるわけではなく、生きていく中で自分のあり方を形づくっていくのだと説明しました。

それまで専門的な哲学書で論じてきた考えを、一般の人々にも伝えようとしたこの講演は、サルトルと実存主義が広く知られる重要なきっかけになりました。

ただし、サルトルが実存主義を一人で始めたわけではありません。

サルトル以前にも、人間の存在や生き方について深く考えた哲学者たちがいました。

サルトルは、そうした人々の思想も学びながら、自分自身の考えを発展させていったのです。

つまり、サルトルは「実存は本質に先立つ」という考えを、長年の研究をもとに自分の哲学として深め、本や講演を通して広く伝えた重要な人物です。

だからこそ、この言葉を理解するには、サルトルがどのような人生を歩み、どのように考えを深めていったのかを知ることが大切なのです。

2 『実存は本質に先立つ』とは?

「実存は本質に先立つ」とは、人間には生まれる前から決められた生き方や目的があるのではなく、生きる中での選択や行動を通して、自分のあり方を形づくっていくというサルトルの考えです。

この言葉の「実存(じつぞん)」とは、ここでは、私たち一人ひとりが現実に生きていることです。

「本質(ほんしつ)」とは、あるものが何であるかを決める性質や目的のことです。

「先立つ(さきだつ)」は、ほかのものより先にあるという意味です。

サルトルが問題にしたのは、「人間とは何者で、何のために生きるのか」という答えが、生まれる前から決まっているのかということでした。

サルトルは、人間をつくり、その生き方まであらかじめ決める神がいるとは考えませんでした。

ここでいう神とは、世界や人間をつくったと考えられる存在です。

これは、神が存在しないことを科学的に証明したという話ではなく、サルトルが人間のあり方を考える際の哲学的な立場です。

では、なぜサルトルは、人間の生き方は初めから決まっていないと考えたのでしょうか。

サルトルは講演で、紙を切るためのナイフのような道具を例に説明しました。

道具は、作る人が「何に使うのか」を先に考えてから作ります。

一方、サルトルは、人間には、その生き方や目的をあらかじめ決めておく神という作り手はいないと考えました。

そのため、人間は道具のように最初から目的を決められているのではなく、生きる中で自分のあり方を形づくっていくと論じたのです。

例えば、友達と意見が合わなくなったとき、話し合うか、しばらく距離を置くか、何もしないか。

選んだ行動は、その後の自分のあり方や友達との関係に関わってきます。

これは考え方を身近に理解するための記事上の例であり、相手の気持ちや結果まで自由に決められるという意味ではありません。

大切なのは、自分では変えられない条件があっても、その中でどのように生きるかという問題に向き合い、選択していくということです。

つまり、サルトルは、人間には初めから決まった本質があるのではなく、生きながら自分のあり方を形づくると考えたのです。

「実存は本質に先立つ」という言葉について、さらに詳しく知りたい方は、

関連記事
「実存は本質に先立つとは?意味と具体例をわかりやすく解説|サルトルの自由と責任」
もご覧ください。

言葉の意味や身近な具体例に加え、サルトルが考えた自由と責任との関係についても、順番に説明しています。

3 サルトルは何を学んだ?

サルトルは、ほかの哲学者の考えを学び、人々と意見を交わしながら、人間の意識や存在について自分自身の哲学を深めていきました。

特に重要だったのが、ボーヴォワールとの交流、フッサールの現象学、そしてハイデガーの存在についての研究です。

ボーヴォワールとの交流

1929年(昭和4年)、サルトルは哲学の教師になるための資格試験の準備をしていたとき、シモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir)と出会いました。

ボーヴォワールは、1908年(明治41年)に生まれ、1986年(昭和61年)に亡くなったフランスの哲学者・作家です。

人間の自由や、女性が社会の中でどのように生きているのかといった問題を研究した人物です。

二人は親しい関係になり、哲学について長年にわたって意見を交わしました。

しかし、ボーヴォワールはサルトルの考えにただ従っていたわけではありません。

それぞれが自分の考えを持ち、ときには相手の意見を問い直しながら、研究を続けていました。

サルトルにとってボーヴォワールは、人生をともにする大切な存在であると同時に、哲学について考えを深め合う相手でもあったのです。

フッサールから学んだこと

サルトルが研究を進めるうえで、大きな影響を受けたのが、エトムント・フッサール(Edmund Husserl)です。

フッサールは、1859年(安政6年)に生まれ、1938年(昭和13年)に亡くなった、ドイツで活動した哲学者です。

「現象学(げんしょうがく、ドイツ語:Phänomenologie)」という哲学の方法を発展させました。

現象学とは、私たちが物事を見たり、思い出したり、考えたりするとき、その経験がどのように成り立っているのかを丁寧に調べる哲学の方法です。

例えば、机の上にあるリンゴを見ているとき、私たちは目の前のリンゴを意識しています。

一方、昨日食べたリンゴを思い出しているときは、目の前にリンゴがなくても、その出来事を意識しています。

フッサールは、このように、私たちの意識が何かに向かって働いていることを重視しました。

この特徴を哲学では「志向性(しこうせい)」と呼びます。

ここでいう志向性とは、何かを目標にして頑張ることではなく、見る、思い出す、想像するなどの意識の働きには、それぞれ意識している対象があるという意味です。

これは、考え方を理解するための記事上の例であり、科学実験の結果を紹介したものではありません。

サルトルは、こうした現象学の考え方に強い関心を持ち、1933年(昭和8年)から1934年(昭和9年)にかけて、ドイツのベルリンで研究しました。

そして、フッサールの考えをそのまま受け入れるのではなく、人間の意識について自分なりに考えを発展させていきました。

ハイデガーから学んだこと

サルトルの哲学にもう一人、大きな影響を与えたのが、マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger)です。

ハイデガーは、1889年(明治22年)に生まれ、1976年(昭和51年)に亡くなったドイツの哲学者です。

1927年(昭和2年)に出版した『存在と時間』(そんざいとじかん、原題:Sein und Zeit)という本で、私たち人間が存在するとは、そもそもどういうことなのかを問い直しました。

ハイデガーが重視したのは、人間は周りの世界と切り離されて存在しているのではなく、世界の中でさまざまなものや人と関わりながら生きているということです。

例えば、学校にいる私たちは、友達と話し、机や教科書を使い、授業を受けながら生活しています。

人間がどのような存在なのかを考えるには、こうした日々の関わりも無視できません。

これは、ハイデガーの考えを理解しやすくするための記事上の例です。

サルトルはハイデガーの著作を読み、人間の存在についての考えを学びました。

ただし、二人の哲学が同じだったわけではありません。

サルトルは、ハイデガーの研究から影響を受けながらも、人間の意識や自由について、自分自身の立場から考えを深めていきました。

学んだことを、自分の哲学へ

サルトルは、こうした交流や学びを重ねる一方で、自分自身の研究も進めていました。

例えば、1936年(昭和11年)には『想像力』(そうぞうりょく、原題:L’Imagination)という本を発表しました。

この本では、人間が目の前にないものを頭の中で思い浮かべる「想像」という働きについて、それまでの哲学や心理学の考え方を検討しています。

サルトルは、人間の意識がどのように働くのかを研究しながら、やがて人間の存在や自由についても、より深く考えていきました。

ただし、特定の人物との出会いだけで、サルトルの哲学が完成したわけではありません。

つまり、サルトルは、ボーヴォワールとの交流や、フッサールとハイデガーの哲学から学んだことを、自分自身の研究と結びつけながら、独自の思想を発展させていったのです。

4 サルトルの思想が広まるまで

サルトルの哲学が広く知られるようになった大きなきっかけは、長年の研究を本にまとめ、さらに1945年(昭和20年)の講演で、その考えを一般の人々にも伝えたことでした。

そこには、第二次世界大戦という時代の出来事も関わっていました。

戦争の中で続けた研究

1939年(昭和14年)、第二次世界大戦が始まりました。

第二次世界大戦とは、ヨーロッパを中心に始まり、アジアなど世界の多くの地域に広がった、1939年(昭和14年)から1945年(昭和20年)までの大きな戦争です。

サルトルもフランス軍に呼ばれ、天気の変化を調べて軍に伝える気象観測(きしょうかんそく)の仕事を担当しました。

しかし、1940年(昭和15年)、ドイツ軍に捕らえられ、捕虜(ほりょ)になりました。

捕虜とは、戦争中に相手側の軍隊に捕らえられた人のことです。

サルトルは翌1941年(昭和16年)に解放され、その後も哲学の研究や執筆を続けました。

ただし、戦争を経験したことだけで、サルトルの哲学が生まれたわけではありません。

前の節で紹介したように、サルトルは戦争が始まる前から、人間の意識について研究を重ねていました。

そして1943年(昭和18年)、それまでの研究をさらに発展させた哲学書『存在と無』を出版しました。

この本では、人間が世界や自分自身をどのように意識するのか、そして人間が自由であるとはどういうことなのかを、詳しく論じています。

しかし、『存在と無』は専門的な哲学書です。初めて哲学に触れる人が、簡単に読み通せるような本ではありませんでした。

そんなサルトルの考えが、さらに多くの人に知られるきっかけとなったのが、戦争が終わった後の講演でした。

1945年の講演が注目された理由

1945年(昭和20年)、第二次世界大戦が終わりました。

戦争によって多くの人が命を失い、フランスでも、それまでの暮らしや社会が大きな影響を受けていました。

このころ、サルトルの実存主義は注目される一方で、さまざまな批判も受けていました。

例えば、「実存主義は、何をしても無駄だと考えて、行動することをあきらめさせるのではないか」という批判です。

また、神が決めた生き方や道徳を前提としないことから、「それでは何をしても自由だという考えになってしまうのではないか」と心配する人々もいました。

サルトルは、こうした批判に答えるため、1945年(昭和20年)10月、パリで実存主義についての公開講演を行いました。

公開講演とは、専門家だけでなく、一般の人々も話を聞ける場で、自分の考えを説明することです。

サルトルは、この講演で「実存は本質に先立つ」という主張を取り上げ、実存主義は行動をあきらめるための考えではなく、人間が選び、行動し、その責任を引き受けることを重視する哲学なのだと説明しました。

講演には大勢の人が集まり、会場に入りきれない人が出るほどの注目を集めました。

そして翌1946年(昭和21年)、講演の内容は『実存主義とは何か』(じつぞんしゅぎとはなにか、原題:L’existentialisme est un humanisme)として出版されました。

フランス語の原題は、おおまかに「レグジスタンシアリスム・エ・タン・ユマニスム」と読み、「実存主義はヒューマニズムである」という意味です。

ヒューマニズムにはいろいろな意味がありますが、ここでサルトルが伝えようとしたのは、単に「人にやさしくしよう」ということではありません。

人間は、置かれた状況の中で自分がどう行動するかを選び、その選択に責任を持ちながら生きる存在だということを大切にしていたのです。

なお、この本の当初の出版は、サルトル本人の同意を得ずに行われたと記録されています。

それでも、講演の内容が本として読まれるようになったことで、専門的な哲学書に触れたことのない人々にも、サルトルの考えが広く知られていきました。

つまり、サルトルは、長年の研究を『存在と無』で詳しく論じ、戦後の講演で批判や疑問に答えることで、自分の哲学を多くの人に伝えました。この講演と翌年の出版が、サルトルの思想を広く知らせる重要なきっかけになったのです。

5 サルトルは何を考え続けた?

サルトルは、人間の自由についての考えを広く伝えた後も、社会の仕組みや歴史が、一人ひとりの生き方とどのように関わっているのかを考え続けました。

また、哲学書だけでなく、小説や演劇、雑誌への執筆、社会問題についての発言を通して、自分が生きる時代の問題にも向き合いました。

文章を通して社会に関わる

1945年(昭和20年)10月、サルトルは、前の節で紹介した公開講演と同じころ、ボーヴォワールらとともに『レ・タン・モデルヌ』(Les Temps modernes、フランス語で「現代」という意味)という雑誌を創刊しました。

この雑誌では、文学や哲学だけでなく、政治や社会の問題についても取り上げました。

サルトルは、作家には物語を書くことだけでなく、社会で起きている問題に目を向け、文章を通して人々に考えるきっかけを与える役割もあると考えていました。

その姿勢は、サルトルが書いた劇にも表れています。

1948年(昭和23年)には、『汚れた手』(よごれたて、原題:Les Mains sales)という劇が初めて上演されました。

この作品では、政治に関わる登場人物たちが、自分の信じる理想と、現実の中で取るべき行動との間で悩み、対立する姿が描かれています。

政治とは、国や社会の決まりをつくったり、人々の暮らしに関わる問題について方針を決めたりすることです。

サルトルは、こうした政治の世界でも、人が何を選び、どう行動するのかという問題を物語にしました。

ただし、劇の登場人物が話したことのすべてが、サルトル本人の意見というわけではありません。

実際、この作品は政治的な立場によって受け止め方が分かれ、議論も生みました。

サルトルは、哲学の問題を本の中だけで考えるのではなく、物語や社会への発言を通して、人々に問いかけ続けたのです。

一人の自由と社会の関係へ

サルトルは、研究を続ける中で、一人ひとりの選択だけでなく、社会の仕組みが人間の行動に与える影響についても考えるようになりました。

例えば、町の公園をきれいにしたいと思った人がいるとします。

一人で掃除をする場合と、近所の人たちが協力する場合では、できることが変わります。

また、お金や道具が足りなかったり、町の決まりが関わったりすることもあります。

これは、サルトルの研究を身近に理解するための記事上の例です。

人間の行動を考えるときには、一人の気持ちや選択だけでなく、ほかの人々との関係や社会の条件にも目を向ける必要があります。

サルトルは、こうした問題を、実際の社会に関わりながら考えていきました。

例えば1950年代には、北アフリカにあるアルジェリアの独立をめぐる問題について、積極的に発言しました。

当時のアルジェリアは、フランスの植民地支配を受けていました。

植民地支配とは、ある国が別の地域を支配し、その地域の政治や暮らしに大きな力を及ぼすことです。

アルジェリアでは、その支配から離れ、自分たちの国の政治を自分たちで決められるようにするため、独立を求める動きが広がっていました。

サルトルは、フランスによる植民地支配に反対し、アルジェリアの独立を支持しました。

このように、サルトルは人間の自由を哲学の問題として考えるだけでなく、現実の社会で起きている問題についても、自分の立場を示していたのです。

そして1960年(昭和35年)、『弁証法的理性批判』(べんしょうほうてきりせいひはん、原題:Critique de la raison dialectique)という哲学書の第1巻を出版しました。

この本では、人間の行動が互いに影響し合い、集団や社会の仕組み、歴史とどのように関わっているのかを詳しく考えています。

題名にある「弁証法的理性」とは、ここでは、人々の行動や対立、協力によって社会が変化していくことを、そのつながりから筋道立てて理解しようとする考え方を指します。

また、「批判」とは、単に悪いところを責めることではなく、その考え方がどのように成り立つのかを詳しく検討するという意味です。

サルトルは、それまでの実存主義に加え、マルクス主義という、働き方や富の分け方など、社会の仕組みと歴史の関係を重視する思想についても研究を深めていました。

そして、一人ひとりの自由と、社会や歴史が人間に与える影響を、どのように結びつけて理解できるのかを考えようとしたのです。

これは、サルトルが以前の自由についての考えを、すべて捨てたという意味ではありません。

人間を理解するために、一人ひとりの選択だけでなく、その人が生きる社会や歴史にも目を向けようとしたのです。

ただし、サルトルの政治的な発言や判断が、すべての人に受け入れられたわけではありません。賛成する人もいれば、批判する人もおり、後世の研究でもさまざまな議論が続いています。

それでも、サルトルの考えが今も知られているのは、人間の自由や責任についての問いを、哲学書だけでなく、小説や劇などを通して広く伝え、その後の哲学や文学にも影響を与えたからです。

サルトルの考えをそのまま正しいと受け入れるためだけでなく、その考えについて改めて考え、議論するためにも、現在まで読み継がれています。

つまり、サルトルは、人間の自由を考えるだけにとどまらず、文学や社会への発言を通して時代の問題に向き合い、人間と社会の関係を問い続けた哲学者だったのです。

サルトルの人生や思想を、さらに詳しく知りたい方へ

ここまで読んで、サルトルの考えを本人の言葉から確かめたい方や、その人生をもう少し詳しく知りたい方は、記事の後半にある

「さらに学びたい人へ」

もご覧ください。

初めての方にも手に取りやすい入門書から、サルトル本人の著作まで、目的に合わせて3冊ご紹介しています。

6 まとめ・考察

ジャン=ポール・サルトルは、人間の存在や自由について考え、その思想を深めながら、社会や歴史の問題にも向き合い続けた哲学者でした。

サルトルは、ほかの哲学者の研究から学び、ボーヴォワールとの交流などを通して考えを深め、自分自身の哲学を発展させていきました。

そして『存在と無』で人間の存在や自由について詳しく論じ、1945年の講演では「実存は本質に先立つ」という考えを広く伝えました。

その後も、文学や社会への発言を通して、人間が生きることと、社会の仕組みとの関係を考え続けました。

こうして人生をたどってみると、サルトルは一つの有名な言葉を残しただけではなく、学び、研究し、時代の問題に向き合いながら、思想を発展させてきた人物だったことがわかります。

私自身の考察

ここからは、サルトルの人生と思想を知って、私自身が考えたことです。

私は、自分の考えを持つことと、その考えを問い直すことは、どちらも大切なのではないかと思いました。

例えば、何年か前に自分が書いた作文や日記を読み返して、「あの頃はこんなふうに考えていたんだ」と驚いたことはありませんか。

以前は大切だと思っていたことが、今は少し違って見える。反対に、昔から変わらず大切にしていることに気づく場合もあるでしょう。

そうした変化に気づいたとき、私は、ただ「昔と今では考えが違う」で終わらせるのではなく、「どうして考えが変わったのだろう」と振り返ることにも意味があると思います。

また、人の考えを理解する場合も同じかもしれません。

ある人の意見に賛成できなくても、その人が何を学び、どのような時代を生き、何を問題として考えていたのかを知ることで、なぜその意見を持つようになったのかを、より深く理解できることがあります。

もちろん、相手の考えが生まれた背景を理解することと、その考えを正しいと認めることは別です。

サルトル自身の社会的・政治的な判断についても、評価や批判が分かれています。

だからこそ、私は、人物の言葉だけでなく、その言葉が生まれた背景や、その後の行動にも目を向けることが大切なのではないかと感じました。

あなたにも、昔と今で考え方が変わったことはありませんか。

もしあるなら、その間に何を経験し、誰と出会い、何を学んだのかを振り返ってみると、思いがけない発見があるかもしれません。

今回サルトルの人生をたどって私が感じたのは、一つの言葉だけで人を理解したつもりにならず、その人が何を問い、どのように考え続けてきたのかにも目を向けることの大切さです。

おまけコラム

木の根っこから哲学が始まる?

サルトルには、『嘔吐』(おうと、原題:La Nausée〈ラ・ノゼ、フランス語で「吐き気」の意味〉)という、少し驚くような題名の小説があります。

1938年(昭和13年)に発表された作品です。

実は、この小説には、主人公が公園の木の根を見つめて、物が存在していることの不思議さに気づくという、印象的な場面があります。

主人公は、アントワーヌ・ロカンタン(Antoine Roquentin)という、サルトルが物語の中でつくり出した架空の人物です。

あるとき、ロカンタンは公園でマロニエという木の根を見つめます。

マロニエは、ヨーロッパの街路樹などにも使われる木です。

普段なら、木の根を見ても「木の根があるな」と思うだけかもしれません。

ところがロカンタンは、その根がただそこに存在していることを、とても不思議で、気味の悪いものとして感じるのです。

サルトルはこの場面を通して、私たちが当たり前だと思っている物も、必ず存在しなければならない理由があるわけではないという問題を描いています。

哲学では、これを「存在の偶然性(ぐうぜんせい)」という問題として考えることがあります。

少し難しいですが、普段何も考えずに見ている物について、「そもそも、どうしてここにあるんだろう?」と考えてみると、いつもとは違った不思議さを感じるかもしれません。

これは小説を身近に感じてもらうための記事上の例であり、ロカンタンが経験した強い不安や吐き気と同じものではありません。

ちなみに、この小説にはもう一つ面白い話があります。

出版前には『メランコリア』(Melancholia、気持ちが沈むような状態を表す言葉)という題名が付けられていました。

しかし、出版されるときには『嘔吐』という題名になったのです。

同じ物語でも、題名が違うだけで、受ける印象がずいぶん変わりますよね。

サルトルは、難しい哲学書を書く一方で、このような不思議な物語を通しても、人間や世界についての問いを描いていたのです。

普段見慣れた一本の木の根からも、哲学の大きな疑問につながる。そんな意外な発見ができるのも、サルトルの小説の面白さなのかもしれません。

さらに学びたい人へ

サルトルの人生や「実存は本質に先立つ」という考えについて、もっと知りたくなった方へ。

初めて哲学に触れる方から、さらに深く学びたい方まで、読み進めやすさや内容の違いを考えて3冊をご紹介します。

初めてサルトルを学ぶ人へ
『90分でわかるサルトル』 著者: ポール・ストラザーン 訳者: 浅見昇吾

難しい哲学書を読む前に、サルトルの人生や考えを短い本から知りたい方におすすめです。
本の特徴
サルトルの生涯や作品、思想の背景を、約160ページにまとめた入門書です。難しい哲学の考えだけでなく、サルトルがどのような人生を歩んだのかにも触れています。
おすすめ理由
今回の記事でサルトルに興味を持ち、「まずは一冊読んでみたい」と感じた方に向いています。人物の人生を入り口に、哲学への理解を少しずつ広げられる一冊です。

サルトル本人の考えを深く知りたい人へ
『実存主義とは何か』増補新装版 著者: ジャン=ポール・サルトル 訳者: 伊吹武彦・海老坂武・石崎晴己

入門書から一歩進み、サルトル自身が何を語ったのかを直接確かめたい方におすすめです。
本の特徴
1945年の講演と討論を中心に、実存主義への批判にサルトルがどのように答えたのかを読むことができます。初期の文章も収録されています。
おすすめ理由
今回の記事で紹介した「実存は本質に先立つ」という考えを、サルトル本人の言葉から学べることが魅力です。少し難しい部分もありますが、解説書だけではわからなかった考え方や言葉の意味を、さらに深く確かめたい方におすすめです。

サルトルの人生と思想を広く知りたい人へ
『サルトル』(新装版 人と思想34) 著者: 村上嘉隆

サルトルの人生と哲学を、人物の歩みと結びつけながら、さらに詳しく知りたい方におすすめです。
本の特徴
サルトルの生涯、ボーヴォワールとの関係、実存主義の考え方、後年の思想の変化までを、約200ページで紹介しています。前半ではサルトルという人物を、後半では彼が考えた哲学を中心に説明しています。
おすすめ理由
今回の記事で紹介した「サルトルはどのような人物で、なぜそのような考えを持つようになったのか」という疑問を、さらに深く学べる一冊です。一つの有名な言葉だけでなく、サルトルの人生と思想のつながりを理解したい方におすすめです。

本を通して、もう一歩先のサルトルへ

哲学の本は、最初からすべて理解する必要はありません。

気になった言葉や人物について、少しずつ調べたり、違う本を読んでみたりすることで、新しい発見が生まれることもあります。

今回紹介した3冊が、サルトルという人物をさらに知り、哲学を学ぶ楽しさを広げるきっかけになれば嬉しいです。

疑問が解決した物語

知らなかった名前が、少し身近に

放課後の図書室。

凛(りん)と大地(だいち)は、サルトルについて調べていた本を読み終えました。

「ねえ、大地。サルトルって、最初から難しい哲学を全部わかっていた人だと思っていたけど、そうじゃなかったんだね」

凛が言うと、大地もうなずきました。

「うん。ほかの哲学者から学んだり、ボーヴォワールと意見を交わしたりしながら、自分の考えを深めていったんだよね」

「それに、戦争の時代も生きて、考えたことを本や講演で伝えたんだよね」

「だから、『実存は本質に先立つ』を調べると、サルトルの名前が出てくるんだね」

凛は、机の上に置いていた授業の発表メモを見つめました。

「私もさ、『人前で話すのが苦手』って、それだけで自分がどんな人なのか決めていたのかもしれない」

「でも、苦手なことがあるのは本当だよね?」

「うん。次の発表でも、きっと緊張すると思う」

凛は少し考えてから続けました。

「だけど、まずは発表の最初の一文を、家で声に出して練習してみようかな。うまくできなくても、それで私の全部が決まるわけじゃないもんね」

大地は笑顔でうなずきました。

「それ、いいと思う!」

もちろん、サルトルの哲学が、発表で緊張しなくなる方法を教えてくれるわけではありません。

それでも凛は、サルトルの人生や考えを知ることで、今の自分だけを見て、これからの自分まで決めつけなくてもいいのではないかと思ったのです。

「ねえ、大地。ほかの哲学者も、こんなふうにいろいろ学んで、自分の考えを深めていったのかな?」

「きっと、それぞれ違う人生があったんだろうね。今度は別の人についても調べてみようよ!」

二人は顔を見合わせ、楽しそうに笑いました。

あなたにも、自分のことを「こういう人間だから」と決めつけている部分はありませんか。

もしあるなら、すぐに変わろうとしなくても、そのように思う理由を振り返り、今できることを一つ考えてみるのもよいかもしれません。

凛が発表の練習を始めようと思ったように、小さな行動から、新しい問いや発見が生まれることもあるのではないでしょうか。

文章の締めとして

最初は、難しい哲学の本に出てくる、知らない人の名前だったジャン=ポール・サルトル。

けれども、その人生をたどってみると、私たちと同じように人と出会い、学び、悩みながら、自分の考えを深めてきた一人の人間の姿が見えてきます。

今度、どこかの本で「実存は本質に先立つ」という言葉に出会ったとき、その言葉の意味だけでなく、サルトルが歩んだ人生も少し思い浮かぶかもしれません。

そして、また知らない哲学者の名前に出会ったら、「この人は、どんなことを考えていたのだろう」と、その人の人生をのぞいてみるのも面白そうですね。

一つの言葉から一人の人物へ。一人の人物から、また新しい問いへ。

そんな小さな好奇心を、これからも大切にしていきたいと思います。

補足注意

この記事は、筆者が個人で確認できる範囲の資料をもとに、ジャン=ポール・サルトルの生涯と思想をわかりやすくまとめたものです。

サルトルの思想や行動にはさまざまな解釈や評価があり、ここで紹介した内容がすべてではありません。今後の研究や新たな資料の発見によって、理解や評価が変わる可能性もあります。

🧭 本記事のスタンス

この記事は、サルトルについて「これが唯一の正解」と伝えるためではなく、その人生や思想に興味を持ち、自分でも学び、考えてみるための入り口として書いています。

一つの見方だけで判断せず、異なる立場からの考えにも目を向けながら、サルトルという人物への理解を深めるきっかけになれば嬉しいです。

「実存は本質に先立つ」――その言葉の先にサルトルの人生があり、その人生の奥に新たな問いがあることに興味が湧いたなら、ぜひ本人の著作や資料もひもとき、言葉の先へ、思想の奥へと、学びをさらに深めてみてください。

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました。

サルトルの生涯は、一つの言葉の意味を知るだけでなく、その言葉を深め、伝えてきた人の歩みに目を向けることで、哲学を学ぶ楽しさがさらに広がっていくことを教えてくれているのかもしれません。

参考資料・さらに調べたい方へ

サルトルの生涯や思想について、さらに詳しく知りたい方のために、関連する著作や、公的機関・大学などが公開している資料をご紹介します。

以下は、今回の記事で扱った内容を確かめたり、さらに深く調べたりする際の手がかりとなるものです。筆者がすべての原典や研究資料を通読し、その内容を網羅的に検証したという意味ではありません。

■ サルトル本人の著作

  • 『存在と無』(L’Être et le Néant、1943年)
    人間の意識や存在、自由について、サルトルが詳しく論じた哲学書です。
  • 『実存主義とは何か』(原題:L’existentialisme est un humanisme、「実存主義はヒューマニズムである」、1946年)
    1945年の講演をもとに、「実存は本質に先立つ」という考えや、自由と責任の関係を説明した著作です。

■ 公的機関・大学などの公開資料

  • フランス国立図書館(Bibliothèque nationale de France)「サルトルに関する展示資料・年譜」
    サルトルの生涯、主な著作、戦争中の経験、社会活動などを調べる手がかりになります。フランス語の資料です。
  • スタンフォード哲学百科事典(Stanford Encyclopedia of Philosophy)「ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)」
    サルトルの哲学の特徴、影響を受けた思想、後年の研究や社会活動について、専門的な解説を読むことができます。英語の資料です。

サルトルの思想には、現在もさまざまな研究や解釈があります。一つの説明だけで結論を出さず、異なる資料も確かめながら、理解を深めていただければと思います。

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