フィリップ・ジンバルドーとは?スタンフォード監獄実験で知られる心理学者の生涯・研究と批判をわかりやすく解説

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スタンフォード監獄実験で知られるフィリップ・ジンバルドー。その生い立ちから、内気・説得・時間的展望・英雄性の研究、代表研究への批判までをたどり、一人の社会心理学者の全体像をわかりやすく紹介します。

「スタンフォード監獄実験」の名前の先にいた、一人の心理学者をたどる

代表例

スタンフォード監獄実験について調べていると、

Philip Zimbardo(フィリップ・ジンバルドー)

という名前を見かけることがあります。

「この人は、どんな心理学者なんだろう?」

「なぜ監獄実験に関わったの?」

「ほかには、どんな研究をしていたの?」

実験の名前や内容は知っていても、その研究で知られる心理学者本人については、意外と知らないという人もいるのではないでしょうか。

今回の主役は、スタンフォード監獄実験そのものではありません。

その代表研究で広く知られる、アメリカの社会心理学者フィリップ・ジンバルドーという人物です。

5秒でわかる結論

Philip George Zimbardo(フィリップ・ジョージ・ジンバルドー)は、人の行動と、その人を取り囲む社会的な状況や環境との関係を幅広く研究したアメリカの社会心理学者です。

1933年(昭和8年)3月23日にニューヨーク市で生まれ、1968年(昭和43年)からスタンフォード大学で研究・教育に携わりました。

彼の代表的な研究として最も広く知られているのが、1971年(昭和46年)のStanford Prison Experiment(スタンフォード・プリズン・エクスペリメント/スタンフォード監獄実験)です。

しかし、ジンバルドーの研究は監獄実験だけではありません。

内気、説得、態度変容、時間の捉え方、利他的な行動や思いやりなど、50年以上にわたり幅広い人間行動を研究しました。

まず覚えておきたいのは、

フィリップ・ジンバルドーは、スタンフォード監獄実験だけの研究者ではなく、人間の行動と社会的な状況との関係を幅広く考えた心理学者だった

ということです。

小学生にもわかるようにいうと?

フィリップ・ジンバルドーは、

「人は、周りの人や場所、立場などから、どんな影響を受けるんだろう?」

という問題を考えた心理学者です。

たとえば、家ではよく話すのに、学校では静かになる人がいます。

一人ではできないことでも、仲間と一緒ならできることがあります。

反対に、周りの雰囲気に合わせて、いつもとは少し違う行動をすることもあります。

ジンバルドーは、このような人の行動と、その人を取り囲む状況との関係に関心を持って研究を続けました。スタンフォード大学も、彼の研究を、社会的な状況が人の行動をどのように形づくるのかという問題と結びつけて紹介しています。

その研究の中で特に有名になったものが、スタンフォード監獄実験です。

ただ、ジンバルドーという人物を知るなら、

「監獄実験で有名な人」からもう一歩進んで、「人が周囲の状況とどう関わりながら行動するのかを研究した心理学者」

として見ていくと、よりわかりやすくなります。

1.なぜフィリップ・ジンバルドーは今も語られるの?

スタンフォード監獄実験について調べていると、フィリップ・ジンバルドーという名前が出てきます。

でも、ここで少し不思議に思いませんか?

「なぜ、この心理学者の名前は監獄実験とこれほど強く結びついているのでしょうか?」

さらに調べてみると、疑問は増えていきます。

監獄実験で知られているのに、内気についても研究している。

人が過去・現在・未来をどう捉えるかという「時間的展望」も研究している。

さらに後年には、人が周囲に流されず、他者を助ける行動についても考えるようになっています。

一見すると、まったく違うテーマに見えます。

では、

「フィリップ・ジンバルドーは、結局何を知ろうとしていた心理学者なのでしょうか?」

という新しい疑問が生まれます。

そして、もう一つ大切な疑問があります。

彼を有名にしたスタンフォード監獄実験は、後年、研究方法や結果の解釈についてさまざまな批判や再検討が行われました。

そこで、

「有名な研究を行った人物としてだけ見ればよいのか。それとも、その後の研究や批判まで含めて人物像を考える必要があるのか?」

という問題も出てきます。

今回の記事で考えていきたいのは、まさにここです。

フィリップ・ジンバルドーとは、どんな人生を歩み、何を研究し、なぜスタンフォード監獄実験と深く結びついて語られる心理学者になったのでしょうか?

この記事では、監獄実験そのものだけを詳しく説明するのではなく、

「その研究の背景にいたフィリップ・ジンバルドーという人物そのもの」

に焦点を当てていきます。

この記事を読むとわかること

  • フィリップ・ジンバルドーはどんな人物だったのか
  • どのような歩みを経て心理学者になったのか
  • なぜスタンフォード監獄実験と深く結びついているのか
  • 監獄実験以外には何を研究したのか
  • 研究人生の中で関心はどのように広がったのか
  • 彼の研究は現在どのように評価・批判されているのか

「監獄実験で見かける名前」から、「一人の心理学者は何を考え続けたのか」へ。

その疑問を、ここから追いかけていきましょう。

2.疑問が浮かんだ物語

「監獄実験はわかった。でも、この人は誰なんだろう?」

高校生のアオイは、心理学について調べていました。

検索していたのは、

「スタンフォード監獄実験」

です。

記事を読んでいくと、看守役、囚人役、模擬刑務所といった説明の中に、一人の心理学者の名前が登場しました。

Philip Zimbardo(フィリップ・ジンバルドー)

「この研究を率いた心理学者なんだ」

そこまではわかりました。

でも、アオイは名前そのものが気になりました。

「この人って、そもそもどんな心理学者なんだろう?」

心理学者になる前はどんな人だったのでしょうか。

監獄実験以外には、何を研究していたのでしょうか。

そこで今度は「フィリップ・ジンバルドー」という名前を調べてみました。

すると、意外な研究が出てきます。

人前で緊張したり、自分を表現しにくくなったりするshyness(シャイネス/内気)

人が過去・現在・未来をどのように捉えるかというtime perspective(タイム・パースペクティブ/時間的展望)

さらに後年には、困っている人を助けたり、不正に抵抗したりするようなheroism(ヒロイズム/英雄的行動)にも関心を広げました。

「監獄と、内気と、時間と、人を助ける行動……?」

一見すると、ずいぶん違う研究に見えます。

だからこそ、アオイはますます気になりました。

「フィリップ・ジンバルドーは、何を考えながら人間を研究してきた心理学者なんだろう?」

今回の記事では、スタンフォード監獄実験を入口にして生まれた、この人物への疑問を追いかけていきます。

3.すぐにわかる結論

フィリップ・ジンバルドーは、どんな心理学者だったの?

お答えします。

Philip George Zimbardo(フィリップ・ジョージ・ジンバルドー)は、1933年(昭和8年)3月23日にアメリカ・ニューヨーク市で生まれた社会心理学者です。

イェール大学で1959年(昭和34年)に社会心理学の博士号を取得し、1968年(昭和43年)からスタンフォード大学で研究・教育に携わりました。

2002年(平成14年)にはAmerican Psychological Association(アメリカン・サイコロジカル・アソシエーション/アメリカ心理学会・APA)の会長を務め、2003年(平成15年)にスタンフォード大学を退職しました。

彼の代表的な研究として最も広く知られているのが、1971年(昭和46年)のスタンフォード監獄実験です。

しかし、ジンバルドーの研究人生は、それだけではありません。

50年以上にわたり、内気、説得、態度変容、時間的展望、利他的行動や思いやりなど、幅広い人間行動を研究しました。

後年には、人が社会的な圧力に流される問題だけでなく、そのような状況の中でも、どうすれば人は他者を助けたり必要な行動を取ったりできるのかという問題へも関心を広げました。これは後のHeroic Imagination Project(ヒロイック・イマジネーション・プロジェクト/英雄的想像力プロジェクト)にもつながっています。

一方、彼を最も有名にしたスタンフォード監獄実験は、後年、研究方法や研究者から参加者への働きかけ、結果の解釈などについて重要な批判を受けました。ジンバルドーと共同研究者のクレイグ・ヘイニーは、そうした批判に対する反論も発表しています。したがって、現在この研究を考えるときには、有名な結論だけでなく、後年の検証や異なる見方も含めて理解する必要があります。

こうした生涯を短くまとめるなら、

フィリップ・ジンバルドーは、人間の行動を本人だけでなく、その人を取り囲む社会的な状況との関係からも考え、幅広いテーマを研究した社会心理学者です。そして、その代表研究自体も後世の検証と議論の対象となりました。

2024年(令和6年)10月14日、ジンバルドーはサンフランシスコの自宅で亡くなりました。91歳でした。

では、この人物はどのような環境で育ち、どのように心理学者になったのでしょうか。

なぜ、人と社会的な状況との関係へ関心を深めていったのでしょうか。

ここからはスタンフォード監獄実験の説明からいったん離れ、1933年(昭和8年)のニューヨークから、フィリップ・ジンバルドーという一人の人物の生い立ちと、心理学者としての歩みを詳しく見ていきましょう。

4.フィリップ・ジンバルドーとは?

一人の心理学者として改めて紹介

ここまでは、「スタンフォード監獄実験について調べていると名前が出てくる心理学者」という入口から、フィリップ・ジンバルドーを見てきました。

ここからは監獄実験そのものから少し離れて、Philip George Zimbardo(フィリップ・ジョージ・ジンバルドー)という一人の心理学者を、改めて最初から見ていきましょう。

どのような人生を歩み、何を研究し、心理学を通して人間の何を知ろうとしていたのでしょうか。

まずは、人物を知るための基本情報から整理してみます。

項目内容
正式名称Philip George Zimbardo(フィリップ・ジョージ・ジンバルドー)
生年月日1933年(昭和8年)3月23日
出生地アメリカ・ニューヨーク市
没年月日2024年(令和6年)10月14日
享年91歳
専門分野social psychology(ソーシャル・サイコロジー/社会心理学)
主な所属Stanford University(スタンフォード・ユニバーシティ/スタンフォード大学)
学位Yale University(イェール・ユニバーシティ/イェール大学)で1955年に実験心理学の修士号、1959年に社会心理学の博士号を取得
主な研究テーマ社会的状況と行動、説得、態度変容、認知的不協和、内気、時間的展望、利他的行動、思いやりなど
代表的な研究1971年(昭和46年)のStanford Prison Experiment(スタンフォード・プリズン・エクスペリメント/スタンフォード監獄実験)
主な役職2002年(平成14年)American Psychological Association(アメリカン・サイコロジカル・アソシエーション/アメリカ心理学会・APA)会長

ジンバルドーは1933年3月23日にニューヨーク市で生まれました。イェール大学大学院で1955年に実験心理学の修士号、1959年に社会心理学の博士号を取得した後、ニューヨーク大学やコロンビア大学などで教え、1968年(昭和43年)にスタンフォード大学の心理学部へ移りました。2003年(平成15年)に同大学を退職した後も教育活動を続け、2024年10月14日にサンフランシスコの自宅で亡くなりました。91歳でした。

まず知っておきたいのは、ジンバルドーが「社会心理学」を専門とした心理学者だったということです。

social psychology(ソーシャル・サイコロジー/社会心理学)とは、人の考え方や感情、行動が、ほかの人や集団、社会的・物理的な環境とどのように関係しているのかを研究する心理学の分野です。

アメリカ心理学会(APA)も、社会心理学を、人がほかの人々や社会的・物理的環境からどのように影響を受け、また周囲にどのような影響を与えるのかを研究する分野として説明しています。

つまり、社会心理学は、「その人はどんな性格なのか」だけを見るのではなく、「その人が誰と一緒にいて、どんな集団や状況の中に置かれているのか」まで含めて、人の心や行動を考える心理学です。

たとえば、

「周囲の人たちが同じ意見だったら、自分の判断にも影響するのだろうか」

「立場や役割が変わると、人の行動にも変化が起こるのだろうか」

「人は、どのような説得を受けると考えを変えるのだろうか」

「困っている人を助けるときと、助けずに通り過ぎるときでは何が違うのだろうか」

といった問いも、社会心理学につながっています。

そして、ジンバルドーの長い研究人生を理解するうえで大切な視点の一つが、「人の行動を、その人自身だけでなく、その人を取り囲む状況との関係から考える」という視点です。

スタンフォード大学も、ジンバルドーの研究を広く振り返り、社会的な環境や状況が人間の行動にどのように影響するのかを探究してきた心理学者として紹介しています。

ただし、これはジンバルドーの50年以上にわたる研究を、一つの考えだけですべて説明できるという意味ではありません。

研究歴を見ていくと、扱ったテーマは非常に幅広いものでした。

たとえば、persuasion(パースウェイジョン/説得)attitude change(アティテュード・チェンジ/態度変容)では、人から受ける情報や働きかけが考え方や態度の変化とどう関係するのかを研究しました。

cognitive dissonance(コグニティブ・ディソナンス/認知的不協和)とは、自分の考え・信念・行動などの間に食い違いが生じたときに感じる心理的な緊張や不快感と、それを小さくしようとする心理過程を説明する概念です。

この考え方は社会心理学者Leon Festinger(レオン・フェスティンガー)が提唱したもので、ジンバルドーも大学院時代から認知的不協和や態度変容に関する研究に取り組みました。

そのほかにも、催眠、カルトや強い社会的影響、疎外、shyness(シャイネス/内気)time perspective(タイム・パースペクティブ/時間的展望)、利他的行動、思いやりなどを扱いました。スタンフォード大学も、これらを彼の50年以上にわたる研究テーマとして挙げています。

監獄。

内気。

説得。

時間の捉え方。

人を助ける行動。

一見すると、かなり離れた研究テーマに見えるかもしれません。

しかし研究人生全体をたどっていくと、「人は周囲の人々や社会的な状況とどのように関わりながら、考え、感じ、行動するのか」という問題への関心が、さまざまな形で現れてきます。これは、ジンバルドーの幅広い研究歴を理解するための重要な見方の一つです。

その研究人生の中で、最も広く知られることになった研究が、1971年のスタンフォード監獄実験です。

この研究では、若い男性の参加者を看守役と囚人役に分け、スタンフォード大学心理学部の地下に作った模擬刑務所で、刑務所生活の心理的経験や社会的役割と行動の関係などを調べようとしました。役割はコイントスによって割り当てられ、当初は2週間を予定していましたが、実験は6日で終了しています。ジンバルドー自身が模擬刑務所のsuperintendent(スーパリンテンダント/施設責任者)を兼ねたことなど、研究方法や研究者の関与については後年重要な批判や再検討も行われました。

ここで覚えておきたいのは、スタンフォード監獄実験はジンバルドーを代表する有名な研究ですが、それだけで彼の研究人生全体を説明することはできないということです。

実際にスタンフォード大学がまとめた彼の研究歴を見ると、監獄実験の後には内気を研究し、さらに時間的展望、利他的行動や思いやりなどへも関心を広げています。晩年には、人が社会的な圧力の中でも他者を助けたり、必要な場面で行動したりするheroism(ヒロイズム/英雄的行動)にも力を注ぎました。

つまり、ジンバルドーを理解するには「監獄実験で有名になった心理学者」という入口から、さらにその先へ進む必要があります。

彼は何十年にもわたり、人間の行動をさまざまな角度から研究しました。

さらに、研究者としてだけでなく、心理学を学生や一般の人々へ伝える教育者としても活動しました。

大規模な心理学入門講義を担当し、長年にわたり心理学の教科書を執筆したほか、Discovering Psychology(ディスカバリング・サイコロジー/「心理学を発見する」という意味)という心理学教育の映像シリーズでは、共同制作者・司会者として心理学を広く紹介しました。2002年にはアメリカ心理学会の会長を務めています。

このように見ていくと、フィリップ・ジンバルドーについてまず押さえておきたい人物像が見えてきます。

フィリップ・ジンバルドーは、スタンフォード監獄実験で広く知られる一方、人間の行動と社会的な状況との関係を中心に、内気、説得、態度変容、時間的展望、利他的行動など幅広い問題を研究し、心理学を社会へ伝えることにも力を注いだアメリカの社会心理学者です。

では、後にこれほど幅広い人間行動を研究することになるジンバルドーは、どのような環境で育ったのでしょうか。

次は、1933年(昭和8年)のニューヨークに生まれたフィリップ・ジンバルドーの生い立ちから、一人の心理学者が形づくられていく過程を見ていきましょう。

5.どんな少年時代を過ごした?

ニューヨーク・ブロンクスでの生い立ち

フィリップ・ジンバルドーは、1933年(昭和8年)3月23日にニューヨーク市で生まれ、ブロンクスで育ちました。

スタンフォード大学によると、ジンバルドーは経済的に厳しい家庭で育った4人きょうだいの長男でした。シチリア島にルーツをもつSicilian American(シシリアン・アメリカン/シチリア系アメリカ人)の家庭に生まれ、家族の中で初めて大学へ進む道を選んだ人物でもあります。

本人は後年、ブロンクスでの貧しい暮らしや周囲の環境が、自分の物事の見方に影響したと振り返っています。ジンバルドー自身の公式資料でも、少年時代に身近な暴力を目にした経験などが、後に人間の攻撃性や状況の影響を考える背景の一つになったと説明されています。

ここで大切なのは、生い立ちをその後の研究と単純な原因・結果で結びつけないことです。

確認できるのは、ジンバルドー自身が少年時代の環境を、後の人間観や問題意識と結びつけて振り返っていたことです。

「ブロンクスで育ったから、後にスタンフォード監獄実験を行った」とまで言えるわけではありません。

人物の生涯を知るときには、実際に経験したことと、本人が後からその経験にどのような意味を見いだしたのかを分けて考えることも重要です。

そして高校時代には、後に心理学史に名前を残すもう一人の人物と同級生になっています。

その人物が、Stanley Milgram(スタンリー・ミルグラム)です。

ミルグラムは後に、権威をもつ人物から指示されたとき、人はどのように反応し、どこまで従うのかを調べたobedience research(オビーディエンス・リサーチ/服従研究)で知られる社会心理学者です。

1960年代初めにイェール大学で行った有名な研究では、参加者は「学習に関する実験」だと説明され、別の人物が問題を間違えるたびに、より強い電気ショックを与えるよう実験者から指示されました。実際には相手に電気は流れていませんでしたが、参加者には本物のショックだと思わせる仕組みになっていました。1963年に報告された代表的な条件では、40人中26人、つまり65%が、実験者から促されながら最大表示の450ボルトまで進みました。

この結果から確認されたのは、少なくともその実験条件では、相手を傷つけていると考えながらも、権威ある実験者からの指示に従い続ける参加者が多くいたということです。したがって、「人は必ず権威に従う」と証明した研究ではなく、権威や状況が人の判断や行動に強く関係しうることを示した研究として理解するのが適切です。

ジンバルドーとミルグラムはJames Monroe High School(ジェームズ・モンロー・ハイスクール/ジェームズ・モンロー高校)の同級生で、その後も長く友情を続けました。

後に、一方は「社会的な状況や役割」、もう一方は「権威への服従」と深く関係する研究で知られることになります。

同じ高校に通った二人が、それぞれ社会心理学の重要人物になったことは興味深い偶然です。ただし、同級生だったこと自体が二人の後の研究を生み出したと考える根拠があるわけではありません。

ジンバルドーの出発点にあったのは、ニューヨークのブロンクスで育ち、家族で初めて大学へ進んだ一人の青年でした。

では、その青年はどのように心理学の世界へ入り、研究者になっていったのでしょうか。

6.どのように心理学者になった?

大学からイェール大学、そしてスタンフォードへ

ジンバルドーは、最初から「監獄」や「権力」を研究していた心理学者ではありません。

心理学者としての形成過程を見ると、動物の行動研究や子どもの不安、催眠、人間の態度変容など、さまざまな研究経験を重ねながら、社会の中で生きる人間の行動へ研究を広げていったことがわかります。

高校卒業後、ジンバルドーはBrooklyn College(ブルックリン・カレッジ/ブルックリン大学)へ進み、1954年(昭和29年)に学士号を取得しました。

特徴的なのは、psychology(サイコロジー/心理学)sociology(ソシオロジー/社会学)anthropology(アンソロポロジー/人類学)の3分野を専攻していたことです。

心理学は、人の心や行動を研究します。

社会学は、人と集団、社会、制度などの関係を考える学問です。

人類学は、人間や文化、社会のあり方を幅広く研究します。

後の研究から振り返ると興味深い学歴ですが、3分野を学んだことだけから、その後の研究テーマが決まったと考える必要はありません。

ブルックリン大学を卒業すると、Yale University(イェール・ユニバーシティ/イェール大学)の大学院へ進みます。

スタンフォード大学の記録によると、1955年(昭和30年)にexperimental psychology(エクスペリメンタル・サイコロジー/実験心理学)の修士号、1959年(昭和34年)にsocial psychology(ソーシャル・サイコロジー/社会心理学)の博士号を取得しました。

実験心理学とは、条件を計画的に設定・比較し、観察や測定によって心や行動の仕組みを調べる研究方法を重視する心理学です。

社会心理学については先ほど見たように、人と周囲の人々・集団・社会的状況との関係から、心や行動を考える心理学です。

ジンバルドーの初期の研究歴を見ると、ラットの探索行動などを扱った動物研究にも取り組んでいました。本人の公式経歴でも、研究対象が「ラットを扱う研究室」から人間行動へ移っていったことが紹介されています。実際、1950年代にはラットの探索行動、動機づけ、行動などに関する論文を発表しています。

さらにイェール大学では、Children’s Test Anxiety Research Project(チルドレンズ・テスト・アンザイエティ・リサーチ・プロジェクト/子どものテスト不安研究プロジェクト)の共同責任者も務めました。

test anxiety(テスト・アンザイエティ/テスト不安)とは、試験や評価を受ける場面で生じる強い心配や緊張などを指します。この研究活動では、子どものテスト不安と、発話や知能・学力テストでの成績などとの関係が調べられ、その成果は後に複数の論文として発表されています。

つまり、この時点ですでに研究対象は「監獄」とはまったく異なります。

若いジンバルドーは、さまざまな方法を学びながら、人の心理状態や置かれた条件が行動とどのように関係するのかを研究するようになっていったのです。

博士号取得後は、1960年(昭和35年)からNew York University(ニューヨーク・ユニバーシティ/ニューヨーク大学)で教え、1967年から1968年にはColumbia University(コロンビア・ユニバーシティ/コロンビア大学)でも職を務めました。

そして1968年(昭和43年)、カリフォルニアへ移り、Stanford University(スタンフォード・ユニバーシティ/スタンフォード大学)の心理学部教授となります。

このころまでには、研究の中心もattitude change(アティテュード・チェンジ/態度変容)――人の意見や態度が変化する過程――や、cognitive dissonance(コグニティブ・ディソナンス/認知的不協和)――考えや行動の間に生じる食い違いと、それを小さくしようとする心理過程――など、人間が他者や状況から影響を受けながら考えや行動を変えていく問題へ広がっていました。

では、ジンバルドーはこうした研究を通して、人間について具体的に何を知ろうとしていたのでしょうか。

7.ジンバルドーは何を知ろうとしたのか?

「人」だけでなく「状況」を見る

第4章では、ジンバルドーの研究人生に「人の行動を、その人を取り囲む社会的な状況との関係から考える」という大きな関心があったことを紹介しました。

ここでは、その考えが実際の研究でどのように表れていたのかを見てみましょう。

若いころのジンバルドーが取り組んだ重要なテーマの一つが、「人の意見や態度は、どのような条件で変化するのか」という問題でした。

その背景にあった考えの一つが、cognitive dissonance(コグニティブ・ディソナンス/認知的不協和)です。

認知的不協和とは、自分が持っている考え・信念・行動などの間に矛盾や食い違いを感じたときに生じる心理的な緊張と、それを小さくしようとする心理過程を説明する概念です。

この理論を提唱したのが、アメリカの社会心理学者Leon Festinger(レオン・フェスティンガー)です。
フェスティンガーは、人が周囲の人と自分を比べるsocial comparison(ソーシャル・コンパリソン/社会的比較)や、考えと行動の食い違いをどのように処理するのかを研究した、20世紀の社会心理学を代表する研究者の一人です。 とくに1957年にまとめた認知的不協和理論は、その後の態度変容や意思決定の研究に大きな影響を与えました。

ジンバルドーは大学院時代にこの理論を研究へ取り入れ、博士論文をもとに1960年(昭和35年)、

Involvement and Communication Discrepancy as Determinants of Opinion Conformity(インヴォルヴメント・アンド・コミュニケーション・ディスクレパンシー・アズ・ディターミナンツ・オブ・オピニオン・コンフォーミティ)という論文を発表しました。

日本語で内容を表すなら、「その問題への関わりの強さと、相手との意見のズレが、意見の同調にどう関係するのか」を調べた研究です。

かなり噛み砕くと、「自分にとって重要なことについて、自分とは違う意見を聞いたとき、その意見にどのくらい心が動くのか」を調べた研究だと考えるとわかりやすいでしょう。

この研究で注目したのは、大きく二つでした。

一つは、その問題が本人にとってどの程度重要なのかという「関与の程度」

もう一つは、本人の意見と、相手から示された意見がどの程度離れているのかという「意見のズレ」です。

研究では、参加者のもともとの意見に対して、相手から示される意見とのズレや、その問題への関与の程度を条件として変え、その後に自分の意見がどの方向へ、どのくらい変化したのかを測りました。

そして、条件ごとの意見の変化量を比較することで、「関与の強さ」や「意見のズレ」が態度変容とどのように関係しているのかを分析しました。

その研究条件では、問題への関与や、自分と相手の意見のズレが大きくなるにつれて、相手の意見の方向への変化も大きくなる結果が報告されました。

ジンバルドーはこれを認知的不協和の考え方から、意見の食い違いによって生じる心理的な緊張が大きくなり、その緊張を小さくする一つの方法として、自分の意見を相手側へ動かした可能性があると考えました。

ただし、これは「相手の意見が自分とかけ離れているほど、いつでも説得されやすくなる」という意味ではありません。意見のズレが大きすぎる場合には、相手の主張を受け入れるのではなく、むしろ拒否することで心理的な食い違いを処理する可能性も考えられます。

もちろん、一つの研究から「人はこうすれば必ず説得される」と結論づけることはできません。

ここで重要なのは、ジンバルドーがすでに若いころから、人の意見を本人の性格だけで説明するのではなく、「何を提示されたのか」「本人にとってどれほど重要だったのか」といった条件を変え、その後の変化を測定していたことです。

さらに1960年代、ジンバルドーが強い関心を向けたテーマの一つが、deindividuation(ディインディヴィジュエーション/没個人化)でした。

没個人化とは、集団の中に入り、匿名性が高まったり「自分一人が見られている」という感覚が弱まったりすることで、個人としての自己意識や責任感が弱くなり、普段なら抑えている行動が起こりやすくなると考える心理学上の概念です。 ジンバルドーは当時、anonymity(アノニミティ/匿名性)や集団の中にいることなどが、人の自己意識や行動にどのような変化をもたらすのかに注目しました。

かなり噛み砕いていうと、「自分が誰なのか分かりにくく、集団の中に埋もれているような状況では、一人でいるときとは違った行動をとりやすくなるのではないか」という問題です。

ジンバルドーは1969年のNebraska Symposium on Motivation(ネブラスカ・シンポジウム・オン・モチベーション/動機づけに関するネブラスカ・シンポジウム)でこの問題を論じ、その内容は1970年に、
The Human Choice: Individuation, Reason, and Order versus Deindividuation, Impulse, and Chaos(ザ・ヒューマン・チョイス:インディヴィジュエーション、リーズン・アンド・オーダー・ヴァーサス・ディインディヴィジュエーション、インパルス・アンド・ケイオス/「人間の選択――個人性・理性・秩序と、没個人化・衝動・混乱」
として刊行されました。

ただし、「匿名になったり集団に入ったりすれば、人は自動的に理性を失って悪い行動をする」という意味ではありません。 後の研究では、古典的な没個人化理論だけでは集団行動を十分に説明できないことが指摘され、匿名性によって個人性が失われるというよりも、その場で共有されている集団の規範や「自分はこの集団の一員だ」という意識が行動に影響する場合があるという考え方も重視されるようになりました。1998年のメタ分析でも、古典的な没個人化理論を単純に支持する結果ではないとされています。

ジンバルドーの当時の理論では、匿名性が高まったり、集団の中で個人として特定されにくくなったりする状況では、自分自身を一人の個人として意識する感覚や、行動を抑える働きが弱まり、普段なら抑えている行動が表れやすくなる可能性が考えられました。

ただし、これは現在の心理学でもそのまま受け入れられている最終的な説明ではありません。

後の研究では、匿名性や集団の中にいることだけで、人が反社会的になるとは考えられていません。1998年のTom Postmes(トム・ポストメス)とRussell Spears(ラッセル・スピアーズ)によるメタ分析――複数の研究結果を統合して全体的な傾向を調べる方法――や、その後の研究では、匿名性などの条件によって、むしろその場で重要になっている集団の規範に沿った行動が強まる場合があることが示されています。

つまり、現在の視点から見ると、

「匿名になると悪い行動をする」と単純に考えるのではなく、「どのような集団に属していると感じ、そこで何が普通・正しい行動とされているのか」まで考える必要があります。

こうして初期の研究をたどると、後にスタンフォード監獄実験で突然「状況」に目を向けたわけではなかったことがわかります。

人の意見が変わる条件、集団の中で個人の行動が変化する条件――ジンバルドーは、監獄実験より前から「人と、その人を取り囲む条件との関係」を実験や研究によって調べていました。

そして1971年(昭和46年)、この問題意識と深く関係する研究として、彼の名前を世界的に知られるものにした実験が行われます。

Stanford Prison Experiment(スタンフォード・プリズン・エクスペリメント/スタンフォード監獄実験)です。

8.なぜスタンフォード監獄実験で有名になったのか?

フィリップ・ジンバルドーの研究人生の中で、最も広く知られることになった研究が、1971年(昭和46年)のStanford Prison Experiment(スタンフォード・プリズン・エクスペリメント/スタンフォード監獄実験)です。

この研究は、刑務所を模した環境の中で、社会的な役割や規則、周囲からの期待などが、人の経験や行動とどのように関係するのかを調べようとした研究でした。 ジンバルドー本人の公式資料でも、norms(ノームズ/規範)、roles(ロールズ/役割)、labels(レイベルズ/人に与えられる呼び名や位置づけ)、social expectations(ソーシャル・エクスペクテーションズ/社会的期待)などへの関心が研究目的として説明されています。

ジンバルドーは、Craig Haney(クレイグ・ヘイニー)、W. Curtis Banks(W・カーティス・バンクス)、David Jaffe(デイヴィッド・ジャッフェ)らと研究を進め、スタンフォード大学心理学部の地下にmock prison(モック・プリズン/模擬刑務所)を作りました。

選抜された若い男性参加者は、コイントスによってguard(ガード/看守役)prisoner(プリズナー/囚人役)に割り当てられました。実際の刑務所に近い感覚を作るため、囚人役には番号や専用の服装などが用いられ、看守役にも制服などが用意されました。

研究では、単に「誰が残酷になったか」を見るのではなく、参加者同士の行動の観察、映像記録、質問紙、自己報告、面接などを組み合わせ、模擬刑務所で何が起こるのかを記録しました。 1973年の研究報告では、こうした複数の方法から参加者の行動や心理的反応が検討されています。

当初は2週間続ける予定でしたが、一部の看守役では強い支配的行動が見られ、囚人役にも強いストレス反応が記録され、研究は6日で終了しました。

では、ジンバルドーたちは、この研究から何がわかったと考えたのでしょうか。

1973年に発表された研究報告では、模擬刑務所という環境の中で、看守役と囚人役に大きく異なる心理や行動が現れたとされています。囚人役では、受け身になる、依存的になる、気分が落ち込む、無力感を示すといった反応が報告され、強い感情的反応から途中で実験を離れた参加者もいました。一方、看守役では、社会的な力や地位、集団への一体感が強まり、一部では攻撃的で相手を人として尊重しないような行動が強くなったと研究者たちは報告しました。

そして当時のジンバルドーたちは、これらの結果から、人の行動は本人の性格だけで決まるのではなく、置かれた環境や与えられた立場、権力関係、規則などの「状況」からも大きな影響を受ける可能性があると考えました。

ただし、現在この研究を理解するうえでは、もう一つ重要な点があります。

スタンフォード監獄実験だけから、「看守という役割を与えれば誰でも残酷になる」と結論づけることはできません。

ジンバルドー自身が研究責任者であると同時に、模擬刑務所の*superintendent(スーパリンテンダント/施設責任者)を兼ねていました。つまり、研究を外から観察するだけでなく、模擬刑務所を運営する立場にも入っていたのです。後年には、看守役への研究者側の働きかけ、データの集め方、参加者が研究目的をどのように理解していたのかなどについても本格的な再検討が行われました。

そのため、ジンバルドーの人物紹介として押さえておきたいのは、スタンフォード監獄実験は、彼が「人と社会的状況の関係」を考えるうえで代表的な研究となった一方、その研究方法や解釈そのものも後世の心理学で大きな議論の対象になったということです。

そして興味深いことに、ジンバルドーの研究は「監獄」で終わりませんでした。

次に本格的に向き合ったのは、鉄格子のある刑務所ではなく、人が自分自身の行動を制限してしまう「内気」という問題でした。

9.監獄実験のあとに研究した「内気」

心の中にも“牢獄”がある?

1972年(昭和47年)から、ジンバルドーはshyness(シャイネス/内気)について体系的な研究を始めました。

shyness(シャイネス/内気)とは、人と関わる場面などで緊張や不安、気まずさを感じ、自分から話したり行動したりすることをためらいやすくなる状態や傾向を指します。

刑務所という社会的な環境を扱った監獄実験と、人との関わりで生じる内気の研究は、一見するとずいぶん離れたテーマに思えます。

ところが、ジンバルドー本人は、二つの間に一つのつながりを見いだしていました。

外から自由を制限する「看守」と、制限を受け入れる「囚人」という関係を、人の心の中にも起こりうる比喩として考えたのです。 自分で厳しい決まりを作り、その決まりによって自分自身の行動を抑えてしまう――ジンバルドーは、内気の一部をそのような「心理的な牢獄」にたとえて考えました。

これは、内気そのものが刑務所と同じだという意味ではありません。

大切なのは、ジンバルドーが「人の行動を制限するもの」という問いを、社会制度だけでなく、本人の考え方や対人関係の問題へも広げていったことです。

1972年から研究チームは、成人や子どもの内気について、大規模な質問調査、実験研究、異なる文化を比較する研究などを行いました。

調べようとしたのは、

「どのような人が内気を感じるのか」

「どんな場面で強く表れやすいのか」

「人間関係や生活にどのような影響があるのか」

といった問題です。つまり、一つの実験だけで結論を出すのではなく、複数の方法から内気の原因・関連要因・結果を調べようとしました。

1975年(昭和50年)には、Paul Pilkonis(ポール・ピルコニス)、Robert Norwood(ロバート・ノーウッド)と、

The Silent Prison of Shyness(ザ・サイレント・プリズン・オブ・シャイネス/「内気という静かな牢獄」

を発表しました。

このタイトルは、ジンバルドーが監獄実験をそのまま繰り返したという意味ではなく、「自分自身で行動の自由を狭めてしまうことがある」という内気への見方を表したものです。

さらに同じ1975年には、Stanford Shyness Clinic(スタンフォード・シャイネス・クリニック/スタンフォード内気クリニック)を始めました。

ここが、ジンバルドーの人物像を考えるうえで面白いところです。

内気について調べるだけでなく、その研究を実際の支援へつなげようとしたのです。

クリニックは研究と支援の両方を行う場所となり、スタンフォード大学の学生や職員、その後は地域の人々も対象として、内気を和らげるためのさまざまな方法が試されました。

1977年(昭和52年)には、

Shyness: What It Is, What to Do About It(シャイネス:ホワット・イット・イズ、ホワット・トゥ・ドゥ・アバウト・イット/「内気とは何か、そしてどう向き合えばよいのか」

を出版しました。

この本が意味を持つのは、単に「内気について本を書いた」からではありません。

研究で得た知識を、実際に困っている人への支援へつなげ、さらに一般の人にも届けようとしたという、ジンバルドーの研究者・教育者としての姿勢が表れているからです。本人も後年、内気の研究を研究から応用へつなげた仕事として高く評価していました。

監獄という社会的な環境から、内気という個人の内側の制限へ。

ジンバルドーの研究対象は、ここからさらに広がっていきます。

10.説得の研究はどこへ広がった?

カルト集団と社会的影響への関心

本章では「カルト」という言葉を、特定の指導者や思想への強い服従や同調を求め、メンバーの考え方や行動に強い影響を及ぼすことのある集団という意味で用います。

ジンバルドーが関心を向けたのは、こうした集団を含め、人が他者や集団、組織から強い影響を受けると、考えや行動がどのように変化するのかという問題でした。

ジンバルドーは、監獄実験よりも前からpersuasion(パースウェイジョン/説得)attitude change(アティテュード・チェンジ/態度変容)を研究していました。

ここでいう説得とは、情報や理由を示して相手の考えや態度に働きかけること、態度変容とは、その結果などによって人の考えや態度が変化していくことを指します。

そして後年、ジンバルドーはその関心を、集団や組織から受ける、より強い社会的影響へと広げていきました。

大学院時代には、心理学者Carl Hovland(カール・ホヴランド)が率いたYale Attitude Change Program(イェール・アティテュード・チェンジ・プログラム/イェール大学の態度変容研究プログラム)で訓練を受けています。

ホヴランドは、説得する人、伝える内容、受け手の特徴などが、人の態度変化とどのように関係するのかを実験的に研究した社会心理学者です。

この経験は、ジンバルドーが「人の考えや行動は、他者からの働きかけによってどのように変化するのか」という問題へ長く関心を持つ一つの基盤になりました。

その後、ジンバルドーはこの問題をさらに広げ、mind control(マインド・コントロール)という言葉も用いるようになります。

ここでいうマインド・コントロールは、相手の心を魔法のように自由自在に操る技術という意味ではありません。

ジンバルドー自身は、個人・集団・組織などからの説得や圧力、働きかけによって、要求を受け入れて従うこと(応諾[おうだく])や同調が起こったり、信念・態度・価値観などが変化したりする、さまざまな社会的影響を広く捉える言葉として用いていました。

この関心を深めるきっかけの一つとなったのが、1978年(昭和53年)のPeoples Temple(ピープルズ・テンプル/人民寺院)をめぐる出来事です。

人民寺院はJim Jones(ジム・ジョーンズ)が率いた宗教集団で、南米ガイアナのJonestown(ジョーンズタウン)で1978年に多数の死者が出る事件が起こりました。

ジンバルドーの公式資料によると、彼はこの事件を逃れた人民寺院の複数のメンバーと直接関わりました。その経験から、人が集団へ勧誘され、その集団を自分にとって重要な「私たち」と感じ、集団の考え方を受け入れていく過程、そして強い社会的影響へどのように抵抗できるのかに強い関心を持つようになりました。

ここでも、ジンバルドーが見ようとしていたのは「その人の性格」だけではありません。

誰から働きかけを受けているのか。
どのような集団に所属しているのか。
何がその集団の中で普通・正しいこととされているのか。
そして、そこから離れたり異議を唱えたりすることは、どれほど難しいのか。

こうした社会的な条件も含めて、人の考えや行動が変化する過程を理解しようとしました。

1983年(昭和58年)にはRobert Vallone(ロバート・ヴァローン)と、

Persuasion, Coercion, Indoctrination, and Mind Control: Readings(パースウェイジョン、コアーション、インドクトリネーション、アンド・マインド・コントロール/「説得・強制・教化・マインド・コントロールに関する論文集」

を編集しています。

この題名に並んでいる言葉には、それぞれ違いがあります。

persuasion(説得)は、情報や理由を示して相手の考えや態度へ働きかけること。

coercion(コアーション/強制)は、圧力や脅威などによって選択の自由を狭めながら行動を求めること。

indoctrination(インドクトリネーション/教化)は、特定の信念や価値観を継続的・体系的に受け入れさせようとする働きかけです。

こうした違いに目を向けると、ジンバルドーが「人の考えが変わる」という現象を一つの原因だけで説明するのではなく、さまざまな形の社会的影響として考えようとしていたことが見えてきます。

監獄実験では、役割や制度的な環境。

内気の研究では、自分自身に課す心理的な制限。

説得やカルトへの関心では、他者・集団・組織から受ける影響。

研究対象は違っていても、ジンバルドーは「人は何から影響を受けて考え、行動するのか」という問題を、異なる角度から追い続けていました。

そして、その関心は次に、周囲の状況だけではなく、私たち自身が「過去・現在・未来」をどのように捉えているのかという新しいテーマへ向かいます。

time perspective(タイム・パースペクティブ/時間的展望)です。

11.「時間の見方」まで研究した

時間的展望とは?

ジンバルドーの研究は、周囲の人や集団から受ける影響だけにとどまりませんでした。

研究人生の後半には、「人が自分の過去・現在・未来をどのように捉えているのか」という問題にも関心を広げます。

これが、time perspective(タイム・パースペクティブ/時間的展望)です。

時間的展望とは、時間の長さを正確に感じ取れるかという「時間感覚」のことではありません。

自分の経験を、過去・現在・未来という時間の枠組みの中でどのように整理し、意味づけ、それが現在の判断や行動とどう関係しているのかを考える心理学的な概念です。ジンバルドーの公式研究資料でも、個人の経験が過去・現在・未来という心理的な「時間帯」に分けられ、それぞれへの偏りが行動と関係しうるという考え方が示されています。

たとえば、

「昔の嫌な経験を何度も思い出してしまう」

「将来よりも、今を楽しむことを大切にする」

「将来の目標のためなら、今の楽しみを少し我慢できる」

といった違いも、時間的展望という視点から考えることができます。

では、目に見えない「時間の捉え方」を、心理学ではどうやって調べるのでしょうか。

1999年(平成11年)、ジンバルドーはJohn N. Boyd(ジョン・N・ボイド)と、

Putting Time in Perspective: A Valid, Reliable Individual-Differences Metric(プッティング・タイム・イン・パースペクティブ:ア・ヴァリッド、リライアブル・インディヴィジュアル・ディファレンシズ・メトリック/「時間的展望を捉える――個人差を測るための妥当性・信頼性を検討した尺度」

という研究を発表しました。

そこでまとめられたのが、Zimbardo Time Perspective Inventory(ジンバルドー・タイム・パースペクティブ・インベントリー/ジンバルドー時間的展望尺度、ZTPI)です。

ZTPIは、時間に関する複数の文章について「自分にどの程度当てはまるか」を本人に回答してもらうself-report questionnaire(セルフ・リポート・クエスチョネア/自己報告式質問紙)です。原版は56項目からなり、回答のまとまりを統計的に分析することで、時間的展望の個人差を調べます。

1999年の研究では、主に次の5つの側面が整理されました。

Past-Negative(パスト・ネガティブ/過去否定的)
過去を後悔や不快な経験と結びつけて捉えやすい傾向。

Past-Positive(パスト・ポジティブ/過去肯定的)
過去を温かい思い出や大切な経験として捉えやすい傾向。

Present-Hedonistic(プレゼント・ヘドニスティック/現在快楽的)
将来の結果より、現在の楽しさや刺激を重視しやすい傾向。

Present-Fatalistic(プレゼント・フェイタリスティック/現在運命論的)
自分の行動によって将来を変えることは難しいと感じやすい傾向。

Future(フューチャー/未来志向)
将来の目標や結果を考えながら、計画的に行動しやすい傾向です。

ここで大切なのは、ZTPIは人を「5種類の性格」に分けるための検査ではないということです。

一人の人の中にも複数の時間的展望があり、それぞれの傾向の強さをプロフィールとして捉えます。ジンバルドーは後の研究で、特定の時間だけに固定されるのではなく、状況や必要性に応じて過去・現在・未来への視点を柔軟に使うことにも注目しました。

2008年(平成20年)にはボイドと、

The Time Paradox(ザ・タイム・パラドックス/「時間の逆説」

を出版し、こうした時間的展望の研究を一般の読者にも紹介しました。単なる時間管理術ではなく、過去・現在・未来の捉え方と、人の判断や生き方との関係を考える本です。

ここまでの研究人生を振り返ると、ジンバルドーの関心が外側の「状況」だけではなかったことが見えてきます。

監獄実験では社会的な環境。

内気では自分自身に課す心理的な制限。

時間的展望では、自分の経験をどのような時間の枠組みから見ているのか。

「人は何に影響されながら判断し、行動するのか」という問いが、さらに広い方向へ展開していったのです。

そして2000年代になると、その問いは再び「人と状況」という大きな問題へ戻ってきます。

今度は、人が有害な行動へ向かう条件と、そこから反対に「助ける側」へ進む可能性についてでした。

12.「悪」を研究した心理学者が、なぜ「英雄」を研究するようになったのか?

2007年(平成19年)、ジンバルドーは代表的な著書の一つ、

The Lucifer Effect: Understanding How Good People Turn Evil(ザ・ルシファー・エフェクト:アンダースタンディング・ハウ・グッド・ピープル・ターン・イーヴル/「ルシファー・エフェクト――善良な人が悪へ向かう過程を理解する」

を出版しました。

この本でジンバルドーは、人の有害な行動を本人の性格だけで説明するのではなく、person(パーソン/個人)、situation(シチュエーション/状況)、system(システム/制度や組織的な仕組み)といった複数の水準から考えようとしました。

スタンフォード監獄実験だけを扱った本ではなく、ジンバルドーが長年考えてきた「人と状況」の問題を、より広い社会的・制度的な視点から論じた著書と見ることができます。

ここで言葉の意味を正確に整理しておきましょう。
Lucifer Effect(ルシファー・エフェクト/ルシファー効果)は、スタンフォード監獄実験で正式に発見・確立された心理現象の名称ではありません。

ここでいうLucifer Effect(ルシファー効果)とは、もともと善良だと考えられる普通の人でも、強い権力関係や集団からの圧力、周囲の規範、制度や組織の仕組みなどの影響を受けることで、他者を傷つけるような行動へ向かうことがあるという問題を表すために、ジンバルドーが後年の著書で用いた名称・枠組みです。

「ルシファー」という名称は、善なる存在が悪へ転じるというイメージを比喩的に表したものです。つまり、「悪いことをする人は、最初から悪い人だった」とだけ考えるのではなく、その人を取り囲んでいた状況や制度にも目を向けようという考え方です。

また、スタンフォード監獄実験自体には後年、研究方法や結果の解釈について重要な批判が出ています。そのため、著書で提示された考え方と、監獄実験によって科学的に確認できる範囲は分けて考える必要があります。

そして、ここからジンバルドーの研究人生は興味深い方向へ進みます。

「人はなぜ悪い状況に流されるのか」だけでなく、「その状況に抵抗し、誰かを助けることはできるのか」という問いへ目を向けたのです。

実は、この関心は『ルシファー・エフェクト』出版後に突然始まったわけではありません。

2006年(平成18年)、ジンバルドーは心理学者Zeno Franco(ゼノ・フランコ)と、

The Banality of Heroism(ザ・バナリティ・オブ・ヒロイズム/「英雄性の日常性」

という論考を発表しています。

ここでいうbanality(バナリティ/日常性・ありふれていること)には、英雄を特別な能力を持った一部の人物だけとして見るのではなく、普通の人にも、状況によっては他者のために行動する可能性があるのではないかという発想が込められています。

2007年の『ルシファー・エフェクト』も、最後の章でこうした「日常的な英雄性」へ視点を広げました。ジンバルドーの公式略歴では、この章が晩年のeveryday heroism(エブリデイ・ヒロイズム/日常的な英雄性)への活動につながったと説明されています。

つまり、研究人生の後半に起きたのは、

「悪の研究をやめて英雄の研究に変えた」という単純な転換ではありません。

むしろ、

「社会的な状況が人を望ましくない方向へ動かすことがあるなら、その影響に気づき、抵抗し、より良い行動へ進む条件も考えられるのではないか」

と、同じ「人と状況」の問いを反対側から考えるようになった、と捉える方が正確です。

そして、この考えを研究だけでなく教育活動へつなげるために始まったのが、ジンバルドー晩年の代表的な活動でした。

13.晩年に目を向けた「普通の人の英雄性」

Heroic Imagination Project

晩年のジンバルドーは、「普通の人が、必要な場面でより良い行動を選ぶためには何ができるのか」という問題を、研究だけでなく教育へつなげようとしました。

その代表が、

Heroic Imagination Project(ヒロイック・イマジネーション・プロジェクト/英雄的想像力プロジェクト、HIP)

です。

Heroic Imagination Projectとは、普通の人が社会的な圧力や傍観に流されず、必要な場面で他者を助けたり不正に抵抗したりできるよう、そのための考え方や行動を学ぶ研究・教育プロジェクトです。

ジンバルドーが設立した非営利の研究・教育組織で、2010年(平成22年)から学校や企業などでtraining(トレーニング/訓練)やworkshop(ワークショップ/参加型学習)を行ってきました。

heroic imagination(ヒロイック・イマジネーション/英雄的想像力)という考え方で重視されるのは、英雄を特別な人物として眺めることではありません。

自分がいじめ、差別、不正、緊急事態などに出会ったとき、

「自分ならどう行動できるだろう?」

と考え、行動を妨げる心理的な力について学び、必要な場面で動けるよう準備することです。

HIPは、心理学研究、教育的な介入、社会活動を組み合わせながら、heroic behavior(ヒロイック・ビヘイビア/英雄的行動)を促す方法を考えることを目的に掲げています。

その対象には、bullying(ブリング/いじめ)、discrimination(ディスクリミネーション/差別)、negative conformity(ネガティブ・コンフォーミティ/望ましくない方向への同調)などが含まれます。ジンバルドーの公式略歴でも、HIPは傍観やいじめ、否定的な同調などに抵抗し、肯定的な社会行動を促す教育活動として説明されています。

ここで大切なのは、HIPは「講習を受ければ誰でも英雄になれる」と証明するための一つの実験ではないということです。

正しくは、心理学の研究知見を利用しながら、人が社会的な圧力や行動を妨げる心理的要因に気づき、必要なときに行動するための知識や技能を育てようとする研究・教育上の取り組みです。HIP自身も、教育活動だけでなく、英雄性についての基礎研究・応用研究を支援することを目的にしています。

ジンバルドーは、英雄的行動そのものについても研究を続けました。

2011年(平成23年)には、Franco、Kathy Blau(キャシー・ブラウ)と、

Heroism: A Conceptual Analysis and Differentiation Between Heroic Action and Altruism

(ヒロイズム:ア・コンセプチュアル・アナリシス・アンド・ディファレンシエーション・ビトウィーン・ヒロイック・アクション・アンド・アルトルイズム/「英雄性――英雄的行動と利他的行動を概念的に整理し、その違いを考える研究」

を発表しています。

この研究の意味は、「人を助ければすべて英雄」と一括りにするのではなく、heroism(英雄的行動)とaltruism(アルトルイズム/利他的行動)を区別し、英雄性とは何かを心理学的に整理しようとしたことにあります。

ここまでジンバルドーの研究人生をたどると、大きな流れが見えてきます。

若いころには、人はどのように説得され、周囲から影響を受けるのか。

監獄実験では、役割や制度的な環境の中で、人の行動はどう変化するのか。

そして晩年には、社会的な影響を理解することで、望ましくない流れに抵抗し、他者のために行動する可能性を高められるのか。

研究テーマは変化しても、「人と、その人を取り囲む状況との関係を考える」という問いは、最後まで形を変えながら続いていました。

そしてジンバルドーは、こうした心理学を研究室の中だけに置こうとした人物でもありませんでした。

心理学を学生や一般の人々へ伝える教育者としての活動も、彼の人物像を理解するうえで欠かせないもう一つの側面です。

14.研究者だけではなかった

「心理学を社会へ伝える人」としてのジンバルドー

ここまで、フィリップ・ジンバルドーが何を研究してきたのかを見てきました。

しかし、彼の人物像を理解するには、もう一つ重要な側面があります。

ジンバルドーは、心理学を研究するだけでなく、その知識を学生や一般の人々へ伝えることにも長く力を注いだ心理学者でした。

イェール大学は、ジンバルドーについて、研究者だけでなく心理学のpublic face(パブリック・フェイス/一般社会に向けた「心理学の顔」となる存在)になった人物として紹介しています。

本人が大切にしていた考えをよく表す言葉が、

giving psychology away(ギヴィング・サイコロジー・アウェイ/心理学を広く社会へ届けること)

です。

これは心理学の研究成果を専門家だけのものにせず、日常生活の中で役立つ知識として、多くの人に伝えていこうとする姿勢を表しています。本人の公式サイトでも、この考え方が教育や社会発信を支えた理念として紹介されています。

その代表的な仕事の一つが、心理学入門書

Psychology and Life(サイコロジー・アンド・ライフ/「心理学と生活」

です。

ジンバルドーは長年にわたり、この教科書の複数の版の執筆に携わりました。

この本が重要なのは、心理学用語を覚えるためだけの本ではなく、心理学の研究と、私たちの日常生活や社会で起こる出来事とのつながりを学生に伝える教材として長く使われたことです。APAも、彼の代表的な著書・教科書の一つとして『Psychology and Life』を挙げています。

さらに、文字だけではなく映像でも心理学を伝えました。

その代表が、

Discovering Psychology(ディスカバリング・サイコロジー/「心理学を発見する」

という心理学教育の映像シリーズです。

ジンバルドーは、このシリーズで脚本・科学的助言・ナレーションなどに携わり、画面にも登場しました。心理学の研究方法、学習、記憶、発達、社会心理学などを映像で紹介する全26プログラムのシリーズで、1989年に制作され、2001年には更新版も作られました。世界各地で翻訳・利用されています。

こうした活動を見ると、ジンバルドーが目指した教育の特徴が見えてきます。

研究結果を「知って終わり」にするのではなく、「自分や社会を見るための心理学」として理解してもらおうとしたのです。

実際、彼は専門的な研究を続けながら、スタンフォード大学では心理学入門の大規模講義にも長く力を注ぎました。APAも2003年、ジンバルドーが自身のキャリアにおいて心理学教育を非常に重視していたことを紹介しています。

また、2002年(平成14年)にはAmerican Psychological Association(アメリカン・サイコロジカル・アソシエーション/アメリカ心理学会・APA)の会長を務めました。

2012年(平成24年)には、

Gold Medal Award for Life Achievement in the Science of Psychology(ゴールド・メダル・アワード・フォー・ライフ・アチーブメント・イン・ザ・サイエンス・オブ・サイコロジー/心理科学への生涯功績をたたえる金メダル賞

を受賞しています。

もちろん、役職や受賞歴が、一つひとつの研究の正しさを保証するわけではありません。

ここでわかるのは、ジンバルドーが研究・教育・執筆・映像制作・社会活動を通して、心理学を専門家の外へ伝える仕事にも長く取り組んだ人物だったということです。

「スタンフォード監獄実験を行った研究者」という一面だけでは、ジンバルドーの人物像はまだ完成しません。

心理学を研究する人であると同時に、心理学を多くの人へ届けようとした教育者でもあった。

これも、フィリップ・ジンバルドーを知るうえで欠かせない一面です。

15.フィリップ・ジンバルドーをどう評価すればいい?

功績と批判の両方を見る

フィリップ・ジンバルドーについて最後まで理解するためには、功績だけでなく、彼の研究に向けられた批判にも目を向ける必要があります。

現在の視点から大切なのは、「影響力の大きかった心理学者であること」と「代表研究には重大な方法論上・解釈上の議論があること」を、どちらも事実として分けて考えることです。

ここまで見てきたように、ジンバルドーは説得、態度変容、没個人化、内気、時間的展望、英雄的行動など幅広いテーマを研究しました。

心理学教育にも長く関わり、APA会長を務めるなど、研究・教育・社会発信の複数の分野で活動しました。

一方、最も有名なスタンフォード監獄実験については、後年、その科学的な解釈をめぐって重要な再検討が進みました。

2019年(令和元年)、フランスの研究者Thibault Le Texier(ティボー・ル・テクシエ)は、

Debunking the Stanford Prison Experiment(ディバンキング・ザ・スタンフォード・プリズン・エクスペリメント/「スタンフォード監獄実験の通説を再検討する」

という論文を発表しました。

ル・テクシエは、SPEに残されたアーカイブ資料を調査し、さらに15人の元参加者へのインタビューも利用して、実験の科学的妥当性を検討しました。そして、研究者から看守役への働きかけや、研究結果のまとめ方などについて重要な問題を指摘しています。

同じ2019年には、社会心理学者S. Alexander Haslam(S・アレクサンダー・ハスラム)、Stephen Reicher(スティーヴン・ライヒャー)、Jay Van Bavel(ジェイ・ヴァン・バヴェル)が、

Rethinking the Nature of Cruelty: The Role of Identity Leadership in the Stanford Prison Experiment(リシンキング・ザ・ネイチャー・オブ・クルエルティ/「残酷さを捉え直す――スタンフォード監獄実験におけるアイデンティティ・リーダーシップの役割」

を発表しました。

彼らが注目したのは、単に「看守という役割を与えられたから残酷になった」という説明ではありません。

social identity(ソーシャル・アイデンティティ/社会的アイデンティティ)――「自分はこの集団の一員だ」という感覚――や、

identity leadership(アイデンティティ・リーダーシップ/集団の『私たちらしさ』を形づくり、共有させるリーダーシップ)

などを重視しました。

つまり、役割を与えられただけで人が自動的に同じ行動を取るのではなく、その集団をどう捉え、どのような価値観や目標を共有するようになったのかも考える必要があるという見方です。

ただし、この議論にもジンバルドー側からの応答があります。

2020年(令和2年)、ジンバルドーとCraig Haney(クレイグ・ヘイニー)は、Le TexierやHaslamらの批判に対するコメントを発表しました。

二人は一部の批判に反論し、SPEには、強い権力差をもつ制度的な環境が人間行動に及ぼしうる影響を考える研究として、なお意味があるという立場を示しました。

したがって、ここでの結論は「どちらか一方を信じればよい」ではありません。

SPEについては、実際に記録された出来事、ジンバルドーらが行った解釈、後年の資料から示された問題点、そして異なる理論による再解釈を分けて考えることが大切です。

同じことは、ジンバルドーという人物の評価にもいえます。

代表研究への批判が、その人物の50年以上にわたるすべての研究を同じように否定するわけではありません。一方、長年の功績や受賞歴が、代表研究に対する批判をなくすわけでもありません。

何を研究したのか。

どのような方法で調べたのか。

その結果から、どこまで言えるのか。

後の研究者は、何を支持し、何を修正し、何を批判したのか。

フィリップ・ジンバルドーを理解するには、人物を「正しかった人」「間違っていた人」と一言で評価するのではなく、研究ごとの根拠と限界を分けて見ることが大切です。

その姿勢こそ、ジンバルドーという心理学者を知るだけでなく、心理学そのものを学ぶときにも役立つ見方なのではないでしょうか。

16.おまけコラム

監獄実験だけでは見えない、ジンバルドーの8つの横顔

ここまで、ジンバルドーの研究人生を中心に見てきました。

最後に少し視点を変えて、これまでの研究テーマとは違う角度から、フィリップ・ジンバルドーという人物が見えてくる8つのエピソードを紹介します。

① 学生たちから「Uncle Phil」と呼ばれることもあった

Uncle Phil(アンクル・フィル/「フィルおじさん」)という親しみを込めた呼び方です。

本人の公式サイトでは、心理学を親しみやすく伝えようとする姿勢から、世界各地の学生たちにこう呼ばれることもあったと紹介されています。

② アメリカの「ドッキリ番組」を心理学教材にした

ジンバルドーは、アメリカの隠しカメラ番組Candid Camera(キャンディッド・カメラ/「ありのままの姿を映すカメラ」という意味)の制作者Allen Funt(アレン・ファント)とも協力しました。

番組で撮影された、人が思いがけない状況に置かれたときの反応を使い、社会心理学の考え方を学ぶ映像教材を制作しています。

何気ないテレビ映像からも「人と状況」を考えようとしたところに、ジンバルドーらしい教育スタイルが表れています。

③ 1965年にはニューヨーク・ハーレムで教育活動を行った

ニューヨーク大学で教えていた1965年(昭和40年)には、Harlem(ハーレム)で、

A Head Start–Black Pride(ア・ヘッド・スタート―ブラック・プライド)

という夏季プログラムを立ち上げ、ニューヨーク大学やニューヨーク市立大学の学生たちと運営しました。研究室だけでなく、地域社会での教育活動にも関わっていた経歴の一つです。

④ コロンビア大学では「人種関係」を扱う教授職にも就いていた

1967年から1968年にはColumbia University(コロンビア・ユニバーシティ/コロンビア大学)で、

Klingenstein Professor of Race Relations(クリンゲンスタイン・プロフェッサー・オブ・レース・リレーションズ/人種関係を扱う教授職)

を務めました。

スタンフォード大学へ移る直前にも、個人の心理だけではなく、社会集団や人間関係に関わる領域で教育・研究に携わっていたことがわかります。

⑤ 実は「催眠」の研究にも長く関わっていた

1969年(昭和44年)から1980年(昭和55年)までは、心理学者Ernest Hilgard(アーネスト・ヒルガード)と、

Stanford Hypnosis Research Lab(スタンフォード・ヒプノーシス・リサーチ・ラボ/スタンフォード催眠研究室)

の共同責任者を務めました。

hypnosis(ヒプノーシス/催眠)も、ジンバルドーの研究歴に含まれるテーマの一つです。「監獄実験の研究者」というイメージだけでは見えにくい研究活動です。

催眠研究では、催眠による暗示が時間の感じ方や身体反応にどのような変化をもたらすのか、また人による「催眠への反応しやすさ」がどの程度安定しているのかなどが研究されました。ジンバルドーらの研究では、催眠によって時間の知覚が変化しうることや、催眠への反応しやすさには長期間にわたる比較的高い安定性があることなどが報告されています。

⑥ スタンフォード退職後も心理学を教え続けた

2003年(平成15年)にスタンフォード大学を退職してprofessor emeritus(プロフェッサー・エメリタス/名誉教授)となった後も、教育活動は終わりませんでした。

公式経歴では、2007年から2014年までPalo Alto University(パロアルト・ユニバーシティ/パロアルト大学)でも教授を務めています。

⑦ 90歳を超えてから「シェイクスピアと心理学」の本を出版した

2024年(令和6年)、Robert L. Johnson(ロバート・L・ジョンソン)との共著で、

Psychology According to Shakespeare(サイコロジー・アコーディング・トゥ・シェイクスピア/「シェイクスピアから見る心理学」

を出版しました。

Shakespeare(シェイクスピア)の作品に描かれた人物や人間関係を手がかりに、人間心理を考える本です。

監獄実験から半世紀以上たった最晩年まで、別の角度から人間を理解しようとする執筆活動を続けていたことがわかります。

⑧ 本人の資料や語りは、現在も研究できる形で残されている

ジンバルドーに関する資料は、

Philip G. Zimbardo Papers(フィリップ・G・ジンバルドー・ペーパーズ/フィリップ・G・ジンバルドー文書)

としてStanford University Libraries(スタンフォード大学図書館)に保存されています。

さらに、oral history(オーラル・ヒストリー/本人の経験や人生についての語りを記録した口述史)も研究者が利用できます。

これは、ジンバルドーを研究するときに重要な意味を持ちます。

有名なエピソードや後世のイメージだけではなく、当時の資料や本人の記録へ戻り、「実際には何が残されているのか」を確かめることができるからです。

こうして少し違った角度から見てみると、フィリップ・ジンバルドーには「スタンフォード監獄実験の研究者」という一言には収まらない姿が見えてきます。

研究者であり、教師であり、心理学を映像で伝える発信者であり、地域で教育活動を行い、90歳を超えても人間について書き続けた人物でした。

一つの有名な研究から名前を知り、その人物が生涯を通して何をしてきたのかまで視野を広げてみる。

そこまで見て初めて、「フィリップ・ジンバルドーとはどんな心理学者だったのか」という問いへの答えが、少しずつ立体的に見えてくるのです。

17.まとめ・考察

フィリップ・ジンバルドーは、何を問い続けた心理学者だったのか?

ここまで、フィリップ・ジンバルドーの生い立ちから、態度変容、スタンフォード監獄実験、内気、時間的展望、英雄的行動、そして心理学を社会へ伝える活動まで見てきました。

研究テーマだけを並べると、ずいぶん違うことを研究した心理学者に見えるかもしれません。

しかし、その研究人生全体を眺めると、一つの大きな問題意識が何度も姿を変えて現れます。

フィリップ・ジンバルドーは、「その人はどんな人なのか」だけでなく、「その人はどんな状況の中にいるのか」という視点から、人間の行動を長く考えた社会心理学者でした。

スタンフォード大学も、ジンバルドーの研究人生を、社会的な状況や環境が人間の行動をどのように形づくるのかという問題への関心と結びつけて振り返っています。

若いころには、人の意見や態度がどのような条件で変化するのか。

スタンフォード監獄実験では、役割や権力差をもつ環境の中で、人がどのように行動するのか。

その後は、内気によって自分の行動が制限される問題や、過去・現在・未来をどう捉えるかという時間的展望へ。

そして晩年には、社会的な圧力に流される側だけでなく、その圧力に抵抗し、他者のために行動するheroism(ヒロイズム/英雄的行動)へと関心を広げていきました。ジンバルドー自身の英雄性研究でも、社会的圧力に抵抗して肯定的な社会行動を取る人々への関心が明確に示されています。

ただし、ここでいう「人と状況」というつながりは、ジンバルドーが生涯、一つの理論だけを一直線に研究していたという意味ではありません。

これは、異なる時期の研究や活動を振り返ったときに見えてくる、共通した問題意識の一つとしての考察です。

そして、この記事を通してもう一つ見えてくる大切なことがあります。

「状況を見ること」は、「本人の責任をなくすこと」と同じではありません。

誰かが望ましくない行動をしたとき、

「もともと性格が悪い人だった」

だけで説明すれば、その人を取り囲んでいた集団、役割、権力関係、ルール、周囲からの期待などを見落とすかもしれません。

反対に、

「状況のせいだから仕方がない」

だけで考えれば、その人自身の判断や選択を見落としてしまいます。

人を理解するときには、「その人自身」と「その人を取り囲む状況」の両方を見る。

これは、ジンバルドーのすべての主張を受け入れるという意味ではありません。

実際、彼を最も有名にしたスタンフォード監獄実験については、研究方法や研究者の関与、結果の解釈をめぐって現在も重要な批判があります。だからこそ、「役割を与えれば誰でも残酷になる」といった単純な教訓ではなく、何が実際に観察され、どのような条件があり、そこからどこまで言えるのかを分けて考えることが大切です。

ここからは、この記事全体を踏まえた一つの考察です。

ジンバルドーの研究人生で興味深いのは、「人は状況から影響を受ける」という問いだけで終わらなかったことではないでしょうか。

晩年のHeroic Imagination Project(ヒロイック・イマジネーション・プロジェクト/英雄的想像力プロジェクト)では、いじめや差別、望ましくない社会的圧力などに直面したとき、普通の人が傍観するだけでなく行動できるようになることを目指した教育活動へ進みました。

言い換えるなら、

「状況は人に何をするのか?」という問いから、「状況の中で、人は何を選べるのか?」という問いへ。

ジンバルドーの研究人生には、そんな方向の広がりを見ることもできます。

ここには、私たちの日常にもつながる考え方があります。

たとえば、

「本当は反対だったのに、会議では周りに合わせて黙ってしまった」

「友人と一緒にいると、普段なら言わないようなことを言ってしまった」

「立場が変わってから、自分でも以前より厳しい言い方が増えた気がする」

「SNSでは、対面なら使わないような強い言葉を書いてしまった」

そんな経験はないでしょうか。

もちろん、これらがすべて同じ心理現象だという意味ではありません。

しかし、自分の行動を振り返るときに、

「私はそういう性格だから」だけで終わらせず、「あのとき、自分の周りには何があったのだろう?」と考えてみる

ことには意味があります。

誰がいたのか。

何を期待されていたのか。

その場では、何が「普通」になっていたのか。

断ったり反対したりすることには、どんな負担があったのか。

そして、自分にはほかにどんな選択肢があったのか。

そう考えると、単なる「性格の問題」では見えなかったものが見えてくることがあります。

さらにもう一歩、考えてみましょう。

私たちにとっての「自由」とは、何からも影響を受けないことなのでしょうか。

人は、家族、友人、学校、職場、文化、集団、過去の経験、未来への期待など、さまざまなものと関わりながら生きています。

そう考えると、完全に「何からも影響されない人」になることよりも、

「自分はいま、何から影響を受けているのか」に気づき、そのうえで自分の行動を考え直せることも、自由の一つの形なのかもしれません。

これは、スタンフォード監獄実験によって証明された科学的結論ではありません。

フィリップ・ジンバルドーの長い研究人生を振り返ったうえで、この記事から導いた一つの考察です。

心理学は、人に簡単なラベルを貼るためだけの学問ではありません。

むしろ、

「なぜ、この人はこうしたのだろう?」

という疑問に対して、性格だけではない別の見方を増やしてくれる学問でもあります。

フィリップ・ジンバルドーという心理学者を知ることも、その一つの入口になります。

誰かの行動を見て不思議に思ったとき。

そして、自分自身の行動に「あれ?」と思ったとき。

一度だけ、問いを増やしてみてください。

「その人は、そのとき、どんな状況の中にいたのだろう?」

そして自分自身には、

「私はいま、何に影響されているのだろう。そして、その中で何を選びたいのだろう?」

と。

フィリップ・ジンバルドーの研究人生は、人を見る視点を「その人自身」から「その人と状況の関係」へ少し広げてみることの面白さを、私たちに考えさせる一つの材料なのかもしれません。

18.疑問が解決した物語

「監獄実験の人」だけではなかった

高校生のアオイは、もう一度、最初に開いていたページへ戻っていました。

検索していた言葉は、

「スタンフォード監獄実験」

です。

看守役。

囚人役。

模擬刑務所。

そして、その説明の中にあった名前。

Philip Zimbardo(フィリップ・ジンバルドー)

最初に見たとき、アオイにとってジンバルドーは、

「スタンフォード監獄実験を行った心理学者」

というだけの人物でした。

けれど、今は少し違って見えます。

「監獄実験だけを研究していた人じゃなかったんだ」

アオイは、ここまで調べたことを思い返しました。

ニューヨークのブロンクスで育ち、心理学だけでなく社会学や人類学も学んだこと。

大学院では、人の意見や態度がどのような条件で変わるのかを研究していたこと。

そして1971年(昭和46年)、人の行動と社会的な状況との関係を考える研究の一つとして、スタンフォード監獄実験に取り組んだこと。

その後には、shyness(シャイネス/内気)について研究し、人が自分自身の行動を制限してしまう問題にも目を向けました。

さらに、time perspective(タイム・パースペクティブ/時間的展望)では、人が過去・現在・未来をどのように捉えているかを研究しました。

そして晩年には、heroism(ヒロイズム/英雄的行動)へ関心を広げ、社会的な圧力に流されるだけでなく、その中で誰かを助けたり、不正に抵抗したりする可能性についても考えるようになりました。

「監獄と、内気と、時間と、人を助ける行動……」

第2章で感じた不思議さを、アオイはもう一度思い出しました。

でも今度は、それらが完全にばらばらには見えませんでした。

「この人はずっと、“人は何に影響されながら行動するんだろう”って考えていたのかもしれない」

もちろん、ジンバルドーのすべての研究が一つの理論から一直線につながっているわけではありません。

スタンフォード監獄実験についても、研究方法や研究者の関わり方、結果の解釈について、後になって重要な批判や再検討が行われています。

アオイが理解したのは、

「ジンバルドーの説明が全部正しかった」

ということではありませんでした。

むしろ、

「有名な心理学者について調べるときも、その人の有名な研究だけで人物全体を決めつけない方がいい」

ということでした。

有名な実験がある。

でも、その前にも研究がある。

その後にも研究がある。

本人の考えも変化し、後の研究者から批判された部分もある。

別の方向へ発展した研究もある。

「心理学者って、完成した答えを持っている人じゃないのかも」

アオイはそう思いました。

「人間について問い続けて、その答えもまた後から調べ直されていく人なんだ」

そして、ふと学校での出来事を思い出しました。

クラスに、少し厳しくなった委員長がいました。

以前なら、

「委員長になって偉そうになった」

と思っていたかもしれません。

でも今は、少しだけ考えることが増えました。

「本人の性格だけじゃなくて、委員長として何を求められているんだろう」

「先生やクラスのみんなから、どんな期待を受けているんだろう」

「本人も、“委員長ならこうしなきゃ”って思っているのかな」

もちろん、状況を考えたからといって、相手の行動を何でも許す必要はありません。

それでも、

「あの人はそういう人だから」と決めつける前に、「その人の周りでは何が起きているのだろう」と考えてみる。

アオイにとって、それが今回の心理学から持ち帰れる一つの考え方になりました。

そして、自分自身についても同じでした。

「私は、人のことばかりじゃなくて、自分が何に影響されているのかも考えられるかもしれない」

友達がみんな同じ意見のとき。

先生から役割を任されたとき。

SNSで周囲が強い言葉を使っているとき。

失敗した過去ばかりを思い出しているとき。

「私は今、何に影響されているんだろう?」

そう問いかけるだけでも、すぐに答えは出なくても、自分の行動を少し違う角度から見ることができます。

アオイは、最初に見つけた名前をもう一度読みました。

Philip Zimbardo(フィリップ・ジンバルドー)

今度は、その名前が「監獄実験の研究者」という一言だけには見えませんでした。

人の意見が変わること。

状況によって行動が変化すること。

自分自身を制限してしまうこと。

時間の捉え方が行動と関係すること。

そして、周囲の圧力の中でも、人がより良い行動を選べる可能性。

フィリップ・ジンバルドーは、さまざまな研究を通して「人は何に影響され、どのように行動するのか」を考え続けた社会心理学者だった。

それが、アオイが最後にたどり着いた答えでした。

そして、もう一つ。

心理学を学ぶことは、人に簡単な答えをつけることではなく、「ほかの見方はないだろうか」と問いを増やすことでもある。

アオイは、そんなことも少しわかった気がしました。

もしあなたが誰かを見て、

「どうして、この人はこんな行動をするんだろう?」

と思ったとき。

あるいは自分自身に、

「どうして私は、あのときあんなことをしたんだろう?」

と思ったとき。

性格だけで答えを決める前に、一度こう考えてみてください。

「そのとき、その人の周りには何があったのだろう?」

そして、自分自身には、

「私は今、何に影響されているのだろう。その中で、どんな行動を選びたいのだろう?」

と問いかけてみる。

それが、フィリップ・ジンバルドーという心理学者を知ったあとに、日常へ持ち帰ることのできる一つの視点なのかもしれません。

19.文章の締めとして

フィリップ・ジンバルドーという名前を最初に知ったとき、多くの人が思い浮かべるのは、やはり「スタンフォード監獄実験」ではないでしょうか。

けれど、その名前の先までたどってみると、見えてくる景色は少し変わります。

ニューヨークのブロンクスで育った一人の青年が心理学を学び、人の態度や行動について研究し、やがて「人は周囲の状況からどのような影響を受けるのか」という問題へ向き合っていく。

そして、その関心は監獄実験だけにとどまりませんでした。

内気について考え、時間の捉え方について研究し、人が集団や社会から受ける影響を見つめ、晩年には、社会的な圧力の中でも誰かを助けたり、不正に抵抗したりする人間の可能性へと視線を広げていきました。

もちろん、ジンバルドーの研究人生を一本のきれいな物語としてまとめることはできません。

研究には評価された部分があり、批判された部分があります。

とりわけスタンフォード監獄実験については、後年の資料や研究によって、その方法や解釈を慎重に見直す必要があることもわかってきました。

だからこそ、人物について学ぶことは、

「この人は正しかった」

「この人は間違っていた」

と一言で決めることではないのだと思います。

その人が何を問い、どのような方法で確かめようとし、そこから何を考え、さらに後の人々がそれをどう検証してきたのか。

そこまでたどって初めて、一人の心理学者の姿が少しずつ立体的に見えてきます。

そして、ジンバルドーについて知ることは、いつの間にか私たち自身について考えることにもつながっていきます。

家では話せるのに、学校では話せない。

一人なら反対できるのに、集団の中では言えなくなる。

役割を任されると、以前とは少し違う自分になる。

過去の経験に引っぱられることもあれば、未来を考えることで今の行動を変えることもある。

私たちは、いつでも同じ自分として生きているようでいて、周囲との関係の中で少しずつ違う自分を見せながら生きています。

それは、「本当の自分」と「偽物の自分」があるということではないのかもしれません。

人は、誰かとの関係や場所、役割、時間、社会の中で生きている。

だからこそ、人について考えるときには、その人だけを見るのではなく、その人を取り囲んでいる世界にも目を向けてみる。

そんな視点を持つことで、誰かに対する見方も、自分自身に対する見方も、ほんの少し変わることがあります。

心理学を学ぶ面白さは、簡単な答えを手に入れることだけではありません。

これまで「その人の性格だから」と思っていたことに、

「ほかの理由もあるのではないか?」

という新しい問いを加えられること。

そして、その問いによって、今まで見えていなかった人間の複雑さに気づけること。

そこにも、心理学を学ぶ価値があるのではないでしょうか。

フィリップ・ジンバルドーという一人の心理学者を知ることが、人間について考える新しい入口になれば幸いです。

補足注意

本記事では、公開されている研究論文、大学や研究機関の資料、本人の記録、後年の検証や議論などを、著者が個人で確認できる範囲で調べたうえで、フィリップ・ジンバルドーの人物像と研究についてまとめています。

ただし、心理学の研究や人物評価は、一つの見方だけで完結するものではありません。研究者によって解釈が異なる場合があり、新たな資料や研究の蓄積によって、これまでの理解が修正・更新されることもあります。

🧭 本記事のスタンス

この記事は、「これがフィリップ・ジンバルドーについての唯一の正しい答えです」と断定するためのものではありません。

彼がどのような人物で、何を研究し、どのような影響を心理学に与え、またどのような批判や再検討を受けてきたのかを知ることで、読者自身がさらに興味を持ち、文献や一次資料へ進んでいくための一つの入口となることを目指しています。

一つの有名な研究や一つの評価だけで人物像を決めるのではなく、異なる研究・批判・解釈を含め、さまざまな立場からの視点も大切にしながら考えてみてください。

人を知れば、状況が見える。状況が見えれば、問いが深まる。問いが深まれば、人の見え方も変わってくる――この記事で芽生えた「なぜ?」を手がかりに、次は文献や一次資料へ。ジンバルドーが問い続けた「人と状況」をたどりながら、知るほどに問い、問うほどに知る――そんな心理学の学びを、さらに深く広げてみてください。

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました。

フィリップ・ジンバルドーの研究人生は、人を理解しようとするとき、その人自身だけでなく、その人を取り囲む状況にも目を向けることの大切さを教えてくれているのかもしれません。

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