スタンフォード監獄実験とは?「立場が人を変える」は本当?結果・問題点・批判までわかりやすく解説

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「立場が人を変える」は、どこまで本当なのでしょうか。1971年(昭和46年)のスタンフォード監獄実験を、実験内容・結果・問題点・後年の批判までたどりながら、「人」と「状況」の複雑な関係をやさしく読み解きます。

「前はこんな人じゃなかったのに」――立場が変わると、人まで変わるのでしょうか?

代表例

こんなこと、ありませんか?

いつもは気さくだった人が、店長やリーダーになった途端、少し偉そうになった。

「あれ? 前はこんな人じゃなかったのに……」

そんな経験はありませんか?

人は「立場」や「役割」を与えられると、本当に変わってしまうのでしょうか。

この疑問を考えるとき、心理学でよく取り上げられるのがスタンフォード監獄実験です。

5秒でわかる結論

スタンフォード監獄実験とは、1971年(昭和46年)に、若い男性を「看守役」と「囚人役」に分け、模擬刑務所で行動の変化を調べた研究です。

一部で強圧的な行動や強いストレス反応が起こり、予定より早い6日で終了しました。

ただし、現在では

『看守という役割だけが原因で、人が残酷になった』とは言い切れないと考えられています。

研究者からの働きかけや、その場のルール、集団の雰囲気など、ほかの要因も影響した可能性が指摘されているためです。

小学生にもわかるようにいうと?

たとえば、

「今日からあなたが班長です」

と言われたら、

「みんなをまとめなくちゃ」

と、昨日より少し強い言い方をするかもしれません。

人は、自分に与えられた立場や周りの雰囲気によって、行動が変わることがあります。

でも、

班長になった人が全員いじわるになるわけではありません。

スタンフォード監獄実験も同じです。

「立場には人を変える力があるのか?」

を考えるうえで有名な研究ですが、実際には役割だけでなく、周囲からの期待や集団、ルール、本人の性格なども関係した可能性があります。

1.今回の現象とは?

「立場が変わると、人まで変わる」のはなぜ?

身の回りを思い返すと、

「立場が変わったら、態度まで変わったように見える」

場面は意外とあります。

たとえば――。

「店長になったら、急に注意が厳しくなった」

「先輩になった途端、後輩には強い口調になった」

「リーダーを任されたら、それまでより命令することが増えた」

反対に、

「上司や先生の前では、本当は反対なのに何も言えなくなった」

ということもあります。

では、どうしてなのでしょうか。

今回の疑問はこれです

「立場が人を変えるのは、どうして?」

さらに踏み込むと、

「権力を持つと、人は本当に残酷になるの?」

という疑問につながります。

この問いを世界的に有名にしたのが、1971年(昭和46年)にアメリカのスタンフォード大学で行われたスタンフォード監獄実験でした。

ただし、この記事で大切にしたいのは、

「権力を持った人は怖い」

と単純に結論づけることではありません。

人はなぜ、その場所や立場に合わせて行動してしまうのか。

その仕組みを一緒に考えていきます。

この記事を読むとわかること

この記事では、

  • スタンフォード監獄実験とは何だったのか
  • なぜ6日で終了したのか
  • 「役割が人を残酷にする」は本当なのか
  • 後になって何が問題視されたのか
  • 私たちの日常とどうつながるのか

を、最初はやさしく、読み進めるほど詳しく解説します。

2.疑問が浮かんだ物語

「先輩って、こんな人だったっけ?」

中学生のユウタには、仲のよい一つ年上の先輩がいました。

去年までは、

「失敗したって大丈夫だよ」

と笑ってくれる、やさしい先輩でした。

ところが新学期。

その先輩が部活のまとめ役になると、少しずつ様子が変わります。

「一年生、もっと声を出して!」

「先輩に言われたら、まず返事!」

以前よりも、ずっと厳しい口調です。

ユウタは不思議に思いました。

「去年は“怖い先輩にはなりたくない”って言っていたのに……」

「人って、偉くなると変わるのかな?」

「それとも、“先輩だから厳しくしなきゃ”と思っているだけ?」

肩書きが一つ変わっただけなのに、同じ人が少し違って見える。

なんだか不思議です。

もし、もっと大きな権力を与えられたら、人はどうなってしまうのでしょうか。

心理学には、この疑問をかなり極端な形で調べようとした研究があります。

その答えを探しに、スタンフォード監獄実験を見てみましょう。

3.すぐに分かる結論

「立場が人を変える」は本当?

お答えします

人は、与えられた役割や置かれた状況から影響を受けることがあります。

しかし、

「権力を与えられれば、誰でも残酷になる」と証明されたわけではありません。

スタンフォード監獄実験では、若い男性たちを「看守役」と「囚人役」に分け、大学内につくった模擬刑務所で生活させました。

すると、一部の看守役では強圧的な行動が見られ、囚人役には強いストレス反応などが報告されました。

実験は本来2週間の予定でしたが、6日で終了しました。

そのため長い間、

「普通の人でも、役割や権力によって残酷になりうる」ことを示した研究として有名になります。

ところが後になって、当時の資料や記録が詳しく調べられると、

「看守役は、本当に何の影響も受けず自然に変わったのか?」

「研究者から期待された行動をしていた可能性はないのか?」

「なぜ看守役全員が同じように振る舞わなかったのか?」

といった疑問が出てきました。

つまり、

「役割だけが人を変えた」と考えるには単純すぎるのです。

噛み砕いていうなら

人は、

「自分は今どんな立場なのか」

「周りから何を期待されているのか」

「この場所では何が普通なのか」

によって、行動が変わることがあります。

しかし、それだけですべてが決まるわけではありません。

本人の性格や考え方、集団の雰囲気、ルール、リーダーの影響など、いろいろなものが関係します。

ですから、ユウタの先輩についても、

「先輩になったから性格が悪くなった」

と簡単に決めつけることはできません。

もしかすると、

「先輩らしくしなければ」

という気持ちや、部活の雰囲気、先生からの期待などが重なっているのかもしれません。

人を見るとき、その人だけを見るのではなく、その人が置かれている場所や立場も見てみる。

これが、この研究から考えられる大切な視点の一つです。

では実際に、スタンフォード監獄実験ではどんな人が集められ、どんな「刑務所」がつくられ、なぜわずか6日で終わることになったのでしょうか。

ここから先は一区切りです。

次の章から、1971年(昭和46年)の実験記録をたどりながら、「有名な監獄実験では本当は何が起きていたのか」を、もう一段深く見ていきましょう。

4.スタンフォード監獄実験とは?

ここからは、スタンフォード監獄実験について、いったん最初から詳しく見ていきましょう。

まず覚えておきたいのは、

スタンフォード監獄実験は、模擬刑務所の中で「役割」「呼び名」「周囲からの期待」「その場のルール」などが、人の行動とどのように関係するのかを調べようとした社会心理学の研究です。

1971年(昭和46年)8月、アメリカのスタンフォード大学で行われました。大学の心理学棟の地下につくられた模擬刑務所に若い男性を入れ、「囚人役」と「看守役」に分けて、その行動や人間関係の変化を観察しました。

一般には、

Stanford Prison Experiment(スタンフォード・プリズン・エクスペリメント)

と呼ばれます。

「Stanford(スタンフォード)」は大学名、「Prison(プリズン)」は刑務所・監獄、「Experiment(エクスペリメント)」は実験という意味です。

頭文字を取ってSPE(エス・ピー・イー)と表記されることもあります。

ただし、1973年(昭和48年)に発表された主要な研究報告の題名は、

Interpersonal Dynamics in a Simulated Prison(インターパーソナル・ダイナミクス・イン・ア・シミュレイテッド・プリズン)

です。

直訳すると、

「模擬刑務所における対人関係の力学」

という意味になります。

つまり「スタンフォード監獄実験」は、この研究を広く指す名前として定着した呼び方だと考えるとわかりやすいでしょう。

研究を中心となって進めた人物が、フィリップ・G・ジンバルドーです。

Philip G. Zimbardo(フィリップ・ジー・ジンバルドー)は、当時スタンフォード大学で研究していた社会心理学者です。

社会心理学とは、
「人は周囲の人や集団、社会的な状況からどのような影響を受け、また他者や社会をどのように理解し、判断し、行動するのか」
を研究する心理学の分野です。

たとえば、同調、服従、偏見、人間関係、集団行動、社会的な判断なども社会心理学の重要な研究テーマです。

研究にはジンバルドーだけでなく、クレイグ・ヘイニー、カーティス・バンクス、デイヴィッド・ジャッフェなども関わりました。ジャッフェは模擬刑務所のwarden(ウォーデン/刑務所長・管理責任者)役を担当し、ジンバルドー自身もsuperintendent(スーパーインテンデント/施設全体を統括する責任者)という立場に入りました。

この「研究者自身も刑務所の運営役を持っていた」という点は、後にこの研究を考え直すうえで、とても重要になります。

その話は、もう少し後で詳しく見ていきます。

では、研究者たちは何を知りたかったのでしょうか。

この研究の目的を、

「看守にしたら、人は悪人になるのか?」

だけで理解すると、少し狭すぎます。

研究側の公式資料では、模擬刑務所の中で、

norms(ノームズ/規範)

がどのように作られ、

roles(ロールズ/役割)

labels(レイベルズ/呼び名・ラベル)

social expectations(ソーシャル・エクスペクテーションズ/周囲から期待される振る舞い)

などが行動にどのように関係するのかを調べることが目的として説明されています。

「規範」とは、

「この場所では、こうするのが普通だ」

と集団の中で共有されていくルールや雰囲気のことです。

たとえば同じ人でも、

学校では「生徒」、

部活動では「先輩」、

アルバイト先では「店員」

という違う立場を持っています。

そして、その場所ごとに求められる行動も変わります。

研究者たちは、こうした作用が極端な上下関係を持つ刑務所のような環境では、どのように現れるのかを調べようとしました。

研究費は、U.S. Office of Naval Research(ユーエス・オフィス・オブ・ネイヴァル・リサーチ/アメリカ海軍研究局)の助成から出ていました。公式資料では、反社会的行動を研究するための助成だったと説明されています。

さらに1973年(昭和48年)の研究チームの報告では、アメリカ海軍・海兵隊が、海軍の刑務施設などで起こる対人対立や不安の条件を理解し、訓練や施設運営の改善に役立てることにも関心を持っていたことが説明されています。

つまり、研究資金の提供だけではなく、刑務所のような閉鎖的な環境で人間関係や対立がどのように生まれるのかを理解し、その知見を実務に生かすことも期待されていたと考えられます。

一方で、今回確認できる資料から、戦闘行動や尋問・拷問技術などを研究することがSPEの目的だったとまでは確認できません。

正確には、人間の攻撃行動や刑務所内の対立を研究し、その知見を海軍・海兵隊の施設運営や訓練にも役立てることが期待されていた研究と理解するのが適切でしょう。

実は、この研究の前には、その発想につながる「小さな監獄実験」のような学生プロジェクトがありました。

ジンバルドーが後年、スタンフォード大学のインタビューで語ったところでは、1971年(昭和46年)、彼が担当していた社会心理学の授業で、学生たちが自主研究の一環として、大学寮トヨン・ホールの地下に簡単な模擬刑務所を作りました。

学生たちは看守役と囚人役に分かれ、3日間・2泊ほど模擬刑務所で過ごしました。

ただし、これは後のスタンフォード監獄実験のように研究条件を整えた正式な実験ではありません。

看守役と囚人役も無作為に割り当てられたわけではなく、どのような基準で役割を決めたのかは、現在確認できる資料からは明確ではありません。

そのため、「看守向きの性格の人を看守役にした」「おとなしい人を囚人役にした」とまでは確認できません。

ところがプロジェクト終了後、役を演じていただけとは思えないほど強い感情的な反応が学生たちに現れたと、ジンバルドーは後年振り返っています。

そこで、

「これは、その人自身の性格によるものなのか。それとも、役割や状況が人の行動に影響したのだろうか」

という疑問が生まれました。

しかし、この学生プロジェクトでは参加者の特徴を十分にそろえたり、役割を無作為に決めたり、行動を体系的に観察したりする研究設計にはなっていませんでした。

そこで今度は、参加者を事前に調べ、看守役と囚人役を無作為に割り当て、行動をより体系的に観察してみようという発想へつながっていきます。

この学生プロジェクトで生まれた疑問が、後のスタンフォード監獄実験へと発展していったのです。

この経緯を知ると、スタンフォード監獄実験が、単に「看守と囚人を演じさせてみた研究」ではなく、「人の行動は、その人自身の特徴と役割や状況のどちらから、どのような影響を受けるのか」という疑問から発展していったことが見えてきます。

では、どんな人を実験に参加させたのでしょうか。

研究チームは新聞に、

「刑務所生活の心理学研究」

への参加者を募集する広告を出しました。

報酬は1日15ドルです。

75人を超える応募があり、研究チームは質問票や面接などを用いて参加希望者を調べました。

その中から、研究開始時点で重大な医学的問題や心理的問題、犯罪歴などが確認されず、研究者側が比較的安定していると判断した男子学生24人が選ばれました。

ここでは、

「一般の人を代表する24人が選ばれた」とまで考えないことが大切です。

正確には、

「新聞広告を見て刑務所研究への参加を希望した男性の中から、研究者側の基準で選ばれた学生たち」

です。

この違いは小さく見えるかもしれません。

しかし後年、

「そもそも刑務所研究に自分から応募する人には、何らかの特徴があるのではないか」

という疑問も研究されるようになります。

その問題については、後の章で詳しく取り上げます。

選ばれた24人は、研究者の判断で、

「あなたは怖そうだから看守」

「あなたはおとなしいから囚人」

と振り分けられたわけではありません。

役割には、

random assignment(ランダム・アサインメント/無作為割り当て)が使われました。

これは、研究者が参加者を見て役割を決めるのではなく、偶然によってグループや役割を決める研究方法です。

無作為に決める方法には、くじ引きや乱数などさまざまな方法がありますが、スタンフォード監獄実験では、その方法としてコイン投げが使われました。

公式資料では、24人を看守役12人、囚人役12人に割り当て、それぞれ9人の主要な参加者と3人の予備要員を用意したと説明されています。

無作為に決める目的は、

「研究者が性格を見て役を選んだから結果が変わった」

という影響をできるだけ減らすことです。

ただし人数が少ないため、無作為割り当てをしたからといって、二つの集団があらゆる性格や特徴について完全に同じになるわけではありません。

研究で確認できるのは、
役割そのものは、研究者が参加者の性格を見て意図的に決めたものではなかった
という点です。

では、実際には何人がこの研究の対象になったのでしょうか。

応募者の中から、健康状態や心理面などを調べたうえで、24人が研究参加者の候補として選ばれました。

公式資料では、看守役12人、囚人役12人に分けられ、それぞれ9人の主要メンバーと3人の交代要員が用意されたと説明されています。

ただし、1973年(昭和48年)の研究報告では、実際に実験に参加した被験者は21人と記載されています。

そのため、「24人」は選抜・割り当ての段階で確保された人数、「21人」は研究報告上、実際に実験へ参加した人数として区別すると理解しやすいでしょう。

なお、この2つの数字だけから、「24人のうち特定の3人がまったく参加しなかった」とまで断定することはできません。

大切なのは、「24人」と「21人」は単純な食い違いではなく、人数を数えている段階や定義が異なる可能性があると考えることです。

この人数の違いだけで、スタンフォード監獄実験の結論や評価が大きく変わるわけではありません。
ただし、資料を正確に読むためには、「選ばれた人数」と「研究報告上の参加人数」を分けて理解しておくことが大切です。

そして大学の地下には、「刑務所だ」と感じさせる環境が作られました。

場所は、スタンフォード大学の心理学棟ジョーダン・ホールの地下でした。

研究室などとして使われていた場所を改造し、3人ずつ入る小さな房、看守のスペース、独房として使う場所などを設け、模擬刑務所を作りました。スタンフォード大学には現在も、この実験に関する写真・音声・映像・文書などがアーカイブとして保存されています。

囚人役には番号が与えられました。

普段の服ではなく番号入りの服を着せ、頭にはストッキング状の帽子をかぶり、片足には鎖がつけられました。

看守役には制服、警棒、そして目元が相手から見えにくいmirrored sunglasses(ミラード・サングラス/鏡面サングラス)が用意されました。

看守役は基本的に3人一組、8時間交代で勤務しました。

囚人役は昼も夜も模擬刑務所内で生活しました。

通常は、3人の看守役が9人の囚人役を管理する形です。

こうした仕掛けには、

「あなたは普段の大学生ではなく、今は囚人・看守という立場にいる」

と感じやすい環境を作る狙いがありました。

ただし、服装や番号、サングラスなど一つ一つについて、

「これが原因で残酷な行動が生まれた」と、この研究だけから因果関係が確定したわけではありません。

研究からまず確認できるのは、研究者が役割と刑務所らしい状況を強く感じさせる環境を意図的に作ったということです。

囚人役は、単に大学へ来て「今日から囚人です」と言われたわけでもありませんでした。

地元のパロアルト警察の協力を得て、囚人役になった参加者は自宅などで模擬的に逮捕されました。

手錠をかけられ、権利を告げられ、パトカーで警察署へ運ばれ、指紋採取などの手続きを受けています。

その後、大学につくられた模擬刑務所へ移されました。

なぜ、ここまで現実に近づけたのでしょうか。

研究者側は、

参加者に単なる「演技」ではなく、自由を制限される刑務所の状況を現実味のある形で経験させ、その中で行動がどう変わるかを観察しようとした

からです。ジンバルドーの後年の説明でも、現実の刑務所に近い感覚を作ることを重視していたことが語られています。

では、研究者は何を測ったのでしょうか。

この研究では、

「残酷さを測る機械」

のような装置が使われたわけではありません。

研究者たちは、参加者同士の行動を観察し、映像や音声を記録し、質問票、自己報告、面接など複数の資料を集めました。当時の映像・音声・文書の一部は、現在もスタンフォード大学のアーカイブに保存されています。

つまり、

「役割を与える前と後で機械の数値が○%変化した」という種類の実験ではありません。

人々が何を言い、どのように振る舞い、互いの関係がどのように変化していくのかを、複数の記録から調べる研究でした。

この点は、後から実験の科学的な信頼性を考えるときにも重要になります。

そして実験中には、囚人役による反抗、看守側による統制の強化、一部の看守役による強圧的な行動、一部の囚人役の強い情緒的反応などが報告されました。

本来は2週間を予定していた研究でしたが、参加者の反応や実験内の状況が深刻になったことなどから、最終的には6日間で終了しました。

では、この6日間で実際に何が起き、なぜ予定より早く終了することになったのでしょうか。
次に、実験の中で起きた出来事を順番に見ていきましょう。

それは次の章で、一人ひとりの行動を追いながら見ていきます。

この段階で、まず覚えておきたいことがあります。

研究で観察された出来事と、その原因についての説明は分けて考える必要があります。

たとえば、

「一部の看守役で強圧的な行動が観察された」

というのは、研究記録についての説明です。

そこから、

「なぜ、その行動が起きたのか」

を考えるのは、もう一段先の問題です。

役割。

周囲からの期待。

刑務所のルール。

研究者からの働きかけ。

集団の雰囲気。

本人の個人差。

さまざまな可能性を一つずつ調べなければなりません。

スタンフォード監獄実験から直接確認できる事実と、「なぜそうなったのか」という解釈を区別すること。

これが、この有名な研究を正確に理解するための大切な入り口です。

そして、この視点を持って実験の6日間を追ってみると、

「普通の人が看守になったら悪人になった」

という短い説明だけでは見えてこなかったものが、少しずつ浮かび上がってきます。

囚人役の学生たちは、何を感じたのでしょうか。

看守役は、最初から強圧的だったのでしょうか。

同じ看守役でも、なぜ行動に違いが生まれたのでしょうか。

そして研究者であるジンバルドー自身は、この模擬刑務所の中でどのような立場になっていったのでしょうか。

次の章では、「実験」という大きな名前の後ろにいた一人ひとりへ目を向けながら、6日間に何が起きたのかを詳しく追っていきます。

5.なぜこれほど有名になった?

6日間に起きた人と状況の変化

前の章では、スタンフォード監獄実験がどのように計画され、「囚人役」と「看守役」がどのように作られたのかを見てきました。

ここから注目したいのは、同じ模擬刑務所の中にいた人たちが、6日間をまったく同じように経験したわけではないということです。

一部の看守役では統制が強まり、一部の囚人役には強い情緒的反応が報告されました。

その一方で、比較的穏やかな看守役もいれば、抵抗を続ける囚人役もいました。

この「人による違い」を覚えておくことが、スタンフォード監獄実験を正確に理解する第一歩です。研究チーム自身も、看守役の行動には大きな個人差があったと後に説明しています。

まず、この6日間を動かしていた重要な人物を知っておきましょう。

研究全体の責任者は、社会心理学者のフィリップ・G・ジンバルドー(Philip G. Zimbardo/フィリップ・ジー・ジンバルドー)です。

ジンバルドーは研究者であると同時に、模擬刑務所ではPrison Superintendent(プリズン・スーパーインテンデント/刑務所全体を統括する責任者)という立場にも入りました。

研究チームには大学院生のクレイグ・ヘイニー(Craig Haney/クレイグ・ヘイニー)W・カーティス・バンクス(W. Curtis Banks/カーティス・バンクス)が参加し、1973年(昭和48年)にはジンバルドーとともに研究報告を発表しています。

さらに重要なのが、当時スタンフォード大学の学生だったデイヴィッド・ジャッフェ(David Jaffe/デイヴィッド・ジャッフェ)です。

ジャッフェはWarden(ウォーデン/刑務所長・現場の管理責任者)を担当しました。

また、実際の服役経験を持つカルロ・プレスコット(Carlo Prescott/カルロ・プレスコット)も、prison consultant(プリズン・コンサルタント/刑務所生活について助言する協力者)として研究に関わりました。

つまり、この模擬刑務所には、囚人役と看守役だけでなく、「刑務所を管理する役割」を持った研究者や協力者も存在していたのです。
この点は後に、「参加者の行動に研究者側の期待や働きかけが影響していなかったのか」を考えるうえで、重要な問題になっていきます。

状況が大きく動いたのは、実験2日目でした。

囚人役の参加者たちは、ベッドを使って房の扉をふさぐなど、看守役に反抗しました。

これに対して看守側は統制を強め、反抗の中心となった囚人を隔離したり、囚人同士の扱いに差をつけたりする方法を使うようになります。

大切なのは、

看守役になった瞬間に全員が強圧的になったのではなく、対立や統制が強まる過程の中で、一部の看守役の行動が厳しくなっていった

ということです。

また、看守役の行動が完全に参加者任せだったわけでもありません。

ジャッフェが一人の看守役に対して、もっと積極的に関わり、厳しい看守として行動するよう求めた録音が残っています。

ジンバルドーも、この働きかけがあったこと自体は認めています。一方で研究側は、身体的暴力は禁止しており、虐待を具体的に命令したわけではないと説明しています。

この研究者側からの働きかけが結果にどこまで影響したのかは、後年の重要な論点になりました。

ここでは、まず「そうした働きかけもあった」と覚えておきましょう。

囚人役にも、強い反応が報告されました。

その代表的な例が、囚人番号8612と呼ばれた参加者です。

研究側の記録では、実験開始からおよそ36時間以内に、泣く、怒る、混乱するといった強い情緒的反応を示し、最終的に実験から離れたとされています。

ただし、ここは慎重に理解する必要があります。

後年、囚人番号8612本人は当時の反応について、実験から出るために演技や誇張をしたという趣旨の説明もしています。

これに対してジンバルドー側は、当時の記録などを根拠として、実際に強い苦痛があったと反論しています。

ただし、強い反応が報告されたのは8612だけではありません。1973年(昭和48年)の研究報告では、複数の囚人役について、泣く、怒る、強い不安を示すなどの情緒的反応が記録され、実験終了前に離脱した参加者がいたとされています。

一方で、8612のように後年の本人の証言と研究者側の解釈が食い違っている例もあるため、これらすべてをそのまま「本当に精神的に崩壊した」と断定するのは適切ではありません。

したがって、ここで覚えておきたい正確な情報は、

研究者側の記録では、一部の囚人役に強い情緒的反応が報告され、実験の途中で離脱した参加者もいた。ただし、その反応をどこまで実際の心理的苦痛として解釈できるかについては、後年に異なる証言や見解がある

ということです。

囚人番号416の抵抗――ハンガーストライキと「毛布の選択」

しかし、囚人役の反応はそれだけではありませんでした。

強い情緒的反応を示して途中で離脱した人がいた一方で、自分から別の方法で状況に抵抗しようとした囚人役もいました。

その一人が、途中から交代要員として参加した囚人番号416です。

416は、食事を拒否する hunger strike(ハンガー・ストライキ/食事を拒否することで意思を示す抗議行動)を始めました。

まず、この出来事について、研究側の記録から確認できる事実を順番に見てみましょう。

研究側の記録では、416は囚人役全体を助けるために代表して抵抗したのではなく、自分を実験から解放してもらうための抗議として食事を拒否したと説明されています。

つまり、最初の構図は、

「ここから出たい416」と「食事を取らせ、統制しようとする看守役」

という、416個人と看守役との対立でした。

416が食事を拒み続けると、看守役は彼を独房へ入れました。

ところが、ここから416だけの問題ではなくなっていきます。

他の囚人役まで、416の処遇に関係する選択へ巻き込まれたのです。

看守役は他の囚人役に、

「自分たちの毛布を手放せば416を独房から出す。毛布を残すなら416を独房に残す」

という選択を与えました。

一見すると、不思議な条件です。

416は自分を実験から出してもらうために食事を拒否していたのであり、他の囚人役には、自分たちの毛布を失ってまで416を助ける直接的な利益はありません。

しかも、研究側の後年の説明では、この時点で416は他の囚人役から「仲間のために戦っている人物」というより、むしろ問題を増やす人物のように見られるようになっており、中心的な看守役がその状況を利用したとされています。

そして、多くの囚人役は、自分たちの毛布を残す方を選びました。

ただし、ここは少し注意が必要です。

資料では「全員が毛布を残した」ではなく、「多くの囚人役が毛布を残す方を選んだ」とされています。

そのため、資料の表現だけを見れば、416を独房から出すために毛布を手放す側を選んだ囚人役もいた可能性があります。

ただし、今回確認できる資料からは、それが何人だったのか、誰だったのかまでは特定できません。

また、「実際に自分の毛布を差し出し、そのまま毛布なしで過ごした人がいた」とまで断定することも避けた方がよいでしょう。

最終的には研究スタッフが介入し、416は独房から戻されました。

ここまでが、研究側の資料から確認できる一連の出来事です。

では、この少し不思議な「毛布の選択」には、どのような意味があったのでしょうか。

ここから先は、確認された事実そのものではなく、この出来事から考えられる一つの解釈です。

この毛布の選択は、

「416を助けてもらうために、他の囚人役へ何かメリットを与える」

ものではありません。

むしろ、

「416を助けたいなら、あなたたち自身も代償を払わなければならない」

という条件をつけたものだったと考えると、意味が見えやすくなります。

もともとは、

416 対 看守役

という問題でした。

ところが、

「416を出すなら、自分たちの毛布を失う」

という条件が加わることで、他の囚人役にも、

「416を助けるために、自分たちも不利益を受け入れるのか」

という問題が生まれます。

すると、

「416が抵抗しているのは416自身の問題だ」

という見方だけではなく、

「416のために、なぜ自分たちまで不利益を受けなければならないのか」

という感情が生まれる可能性があります。

つまり、もともとは416と看守役との対立だったものが、他の囚人役にとっても自分自身の利益や不利益に関係する問題へ変わったのです。

その結果、この選択は、416と他の囚人役が一つにまとまることを難しくし、416を集団の中で孤立させる方向に働いた可能性があります。

ただし、

「看守役は最初から囚人同士を分断しようと計算して、この選択を作った」とまでは確認できません。

ここで大切なのは、看守役の心の中を推測して断定することではありません。

確認できるのは、416への否定的な見方が生まれていた状況で、416を独房から出すことと、他の囚人役自身が毛布を失うことが結びつけられたという点です。

その条件が結果として、416と他の囚人役との利害をずらし、集団としてまとまりにくくする方向へ働いた可能性がある、と考えることができます。

身近なたとえで考えると、少しわかりやすくなります。

学校で、一人の生徒Aが先生に反抗したとします。

そこで先生が、

「Aを許してほしいなら、クラス全員の休み時間をなくします。休み時間を残したいなら、Aだけ罰を受けてもらいます」

と言ったらどうでしょうか。

クラスメートの中には、

「Aが自分で反抗したのに、なぜ自分たちまで休み時間を失わなければならないんだ」

と感じる人もいるでしょう。

すると、もともとは

「Aと先生の問題」

だったものが、

「Aを助けるために、自分たちも不利益を受け入れるのか」

というクラス全体の問題に変わります。

そしてAへの同情だけではなく、

「Aのせいで、自分たちまで巻き込まれる」

という感情が生まれる可能性もあります。

416と毛布の出来事も、このように「一人の問題に、他の人たち自身の不利益が結びつけられる」という構造に近いと考えると理解しやすくなります。

もちろん、これは出来事の構造をわかりやすくするためのたとえであり、学校の例とスタンフォード監獄実験がまったく同じ状況だったという意味ではありません。

そして、この416の出来事からは、もう一つ大切なことが見えてきます。

囚人役が全員、同じように無力になったわけではありません。

416のように、食事を拒否するという方法で抵抗する人もいました。

看守役の指示に従う人もいました。

416を助けるために、自分たちが不利益を受け入れることまでは選ばなかった人も多くいました。

一方で、資料が「全員」ではなく「多く」と表現していることから、それとは異なる選択をした囚人役もいた可能性があります。

つまり、同じ囚人役という立場に置かれていても、人の反応や判断は一つではなかったのです。

だから、この場面を、

「416は勇敢な人だった」

「毛布を残した囚人役は冷たい人だった」

「看守役は最初からすべてを計算していた」

と、それぞれの性格だけで説明してしまうのも適切ではありません。

大切なのは、その人がどんな立場に置かれ、どんな状況にいて、誰からどんな選択肢を与えられ、その選択にはどんな利益や不利益があったのかまで見ることです。

416の出来事は、スタンフォード監獄実験を単純に

「囚人役は無力になり、看守役は支配的になった」

という物語だけで理解できないことも示しています。

同じ状況の中でも抵抗する人がいて、従う人がいて、さらに他者を助けることと自分自身の不利益との間で判断を求められる人もいたのです。

この場面から考えられるのは、

人の行動を理解するときには、その人の性格だけでなく、「どのような状況が作られ、誰がどんな選択肢を用意し、その中で何を選ぶことを求められていたのか」まで見る必要がある

ということなのです。

看守役についても同じです。

研究チームの後年の整理では、規則を厳しく運用するものの比較的公平だった看守役、囚人役に比較的親切だった看守役、敵対的・屈辱的な行動を強めた看守役がいたとされています。

つまり、研究から確認できる重要な点は、

「看守」という同じ役割を与えられても、全員が同じ行動を取ったわけではない

ということです。

ここには、とても大切な疑問が残ります。

同じ制服を着て、同じ権限を持ち、同じ模擬刑務所にいたのに、

なぜ強圧的になった人と、そうならなかった人がいたのでしょうか。

この疑問は、次の章で考えていきます。

そして5日目、実験の流れを変える人物が現れます。

クリスティーナ・マスラック(Christina Maslach)です。

マスラックは当時、スタンフォード大学で社会心理学の博士号を取得したばかりの心理学者でした。

後にはカリフォルニア大学バークレー校の教授となり、仕事による心身の消耗を意味するburnout(バーンアウト/燃え尽き)研究の代表的な研究者として知られるようになります。

マスラックは参加者へのインタビューを手伝うために模擬刑務所を訪れました。

そこで、頭を覆われ、足をつながれた囚人役たちが移動させられている姿を見て、その扱いを強く問題視しました。

彼女はジンバルドーに異議を伝え、その指摘は研究を終了する重要な契機になったと、スタンフォード監獄実験側の資料とバークレー大学の回顧記事の双方で説明されています。

ここで興味深いのは、

外から入ってきたマスラックには強い違和感があった状況を、中で研究を続けていたジンバルドーは日常の一部として受け止めるようになっていた

という点です。

ジンバルドー自身も後年、研究データを冷静に見る研究者である以上に、刑務所を運営する責任者として状況へ入り込んでしまったことを研究上の問題として認めています。

そして、本来は2週間を予定していた研究は、6日間で終了しました。

スタンフォード監獄実験が広く知られるようになった背景には、短期間に起きた印象的な出来事に加え、本来2週間を予定していた研究がわずか6日間で終了したという異例の展開があります。さらに、「役割や状況は人をどこまで変えるのか」という人々の関心を引きやすいテーマと結びつけて紹介され、書籍や映像などで繰り返し取り上げられてきたことも、その知名度を高めた要因の一つと考えられます。

さらにジンバルドーの回想では、実験直後にアメリカの刑務所をめぐる重大事件が相次ぎ、刑務所制度への社会的関心が高まるなかで、彼自身も報道や議会で研究について説明する機会を持ちました。

しかし、この6日間を理解するときに最も大切なのは、印象の強さではありません。

強圧的な行動をした人もいれば、そうしなかった人もいた。抵抗した人もいれば、従った人もいた。そして研究者側からの働きかけも存在した。

これらを同時に見る必要があります。

では、人々の行動はなぜ変わったように見えたのでしょうか。

ここから、一段深い心理学へ進んでみましょう。

6.なぜ人は変わったように見えたのか?

心理学から考えてみる

ここで最初に覚えておきたい結論があります。

スタンフォード監獄実験で起きた行動を、一つの心理だけで説明することはできません。

役割。

権力関係。

周囲からの期待。

集団の雰囲気。

研究者からの働きかけ。

そして一人ひとりの違い。

複数の要素を分けて考える必要があります。

まず考えられるのが「社会的役割」と「集団の規範」です。

social role(ソーシャル・ロール/社会的役割)とは、「その立場の人なら、こう振る舞うだろう」と周囲から期待される行動のことです。

norm(ノーム/規範)は、「この集団では、こうするのが普通だ」と共有される考え方やルールを指します。

ジンバルドーたちは、こうした役割・規範・呼び名・周囲からの期待など、個人を取り囲むsituational forces(シチュエーショナル・フォーシズ/状況の力)を重視しました。

ただし、社会的役割は、人を自動的に同じ行動へ変えるスイッチではありません。

実際、同じ看守役でも行動には違いがありました。

大切なのは、

「役割があった」

だけではなく、

「その役割には、どんな行動が期待されていたのか」

まで考えることです。

次に重要なのが「権力関係」です。

模擬刑務所では、看守役には囚人役の生活を管理する権限が与えられ、囚人役は移動や日常生活の自由を大きく制限されました。

つまり、最初から対等な関係ではありませんでした。

こうした状態は、

asymmetry of power(アシンメトリー・オブ・パワー/権力の非対称性)

と表現できます。

一方が大きな権限を持ち、もう一方には少ない選択肢しかない状態です。

スタンフォード監獄実験で観察された行動は、強い権限差を持つ人工的な環境の中で起きたという条件を忘れないことが大切です。

ジンバルドーが以前から研究していた考え方に「没個人化」もあります。

英語では、

deindividuation(ディインディヴィジュエーション/没個人化)

といいます。

没個人化とは、集団の中にいることや匿名性などによって、「自分は一人の個人である」という意識や、自分の行動を自分自身のものとして強く意識する感覚が弱まりやすくなる状態を表す言葉です。

古典的な心理学では、こうした状態になると、普段よりも自制が弱まり、その場の雰囲気や集団の影響を受けた行動を取りやすくなるのではないかと考えられてきました。

スタンフォード監獄実験でも、囚人役を番号で呼び、看守役には目元が見えにくいミラーサングラスを着用させるなど、個人の特徴を目立ちにくくする仕掛けがありました。

しかし後の研究では、匿名性そのものが反社会的行動を生み出すという単純な説明では不十分で、その場の集団規範が重要だという結果が示されています。1998年(平成10年)のメタ分析でも、古典的な没個人化理論だけでは研究結果を十分説明できないと論じられました。

ですから、

「匿名になると悪くなる」ではなく、「匿名的な状況で、どの集団の価値観やルールが強くなるのか」まで見る

ことが大切です。

そして、スタンフォード監獄実験を現在考えるうえで特に重要なのが、

demand characteristics(デマンド・キャラクタリスティクス/要求特性)

です。

これは、

参加者が「研究者は自分に、こう振る舞ってほしいのだろう」と実験の意図を推測し、それに合わせて行動する可能性

を意味します。

スタンフォード監獄実験では、研究スタッフから少なくとも一部の看守役へ、より積極的で厳しい看守として関わることを求めた記録があります。

2019年(令和元年)、心理学者ジャレッド・バーテルズ(Jared Bartels/ジャレッド・バーテルズ)は、SPEの看守向け説明に似た情報を参加者へ示す研究を行いました。

その結果、その説明を受けた参加者は、比較条件よりも、看守や研究者が敵対的・抑圧的に振る舞うことを強く予想しました。

この研究は1971年のSPEそのものを再現したものではありません。

しかし、

「研究者から示された期待が、参加者の考える“看守らしさ”に影響した可能性」

を考える重要な材料になっています。

さらに後年、別の説明として重視されたのが、

social identity(ソーシャル・アイデンティティ/社会的アイデンティティ)

です。

これは、

「自分は、この集団の一員だ」

という感覚が、自分の考え方や行動の一部になることを指します。

2019年(令和元年)、心理学者のアレクサンダー・ハスラム(Alexander Haslam/アレクサンダー・ハスラム)スティーヴン・ライチャー(Stephen Reicher/スティーヴン・ライチャー)、ジェイ・ヴァン・バヴェル(Jay Van Bavel/ジェイ・ヴァン・バヴェル)は、SPEのアーカイブ資料を再検討しました。

彼らは、看守役という肩書きだけで行動を説明するより、研究者側が「私たちは何を目的とする集団なのか」という意味づけを与えたことが重要だった可能性を論じています。

この考え方は、
identity leadership(アイデンティティ・リーダーシップ/集団の「私たちらしさ」を形づくり、共有し、行動につなげていくリーダーシップ)
という観点から説明されています。

アイデンティティ・リーダーシップとは、リーダーが「私たちはどんな集団なのか」「私たちは何を大切にし、どう行動する集団なのか」という共通の意識を形づくり、その集団の一員としての行動を促していく考え方です。

つまり、

「あなたは看守です」

という肩書きだけではなく、

「看守として、私たちは何をする集団なのか」

という意味づけが、行動に関わった可能性があるのです。

したがって、看守役になっただけで自動的に行動が決まったのではなく、看守という集団をどう理解し、その集団の目的や行動をどう共有したのかも重要だった可能性があります。

そして最後に忘れてはいけないのが、個人差です。
同じ状況に置かれても、すべての人が同じように考え、同じように行動するわけではありません。

同じ場所。
同じ制服。
同じ看守役。

それでも、参加者は同じ行動を取りませんでした。

厳しく振る舞う人もいれば、比較的穏やかに接する人もいました。

だからこそ、人の行動を考えるときは、
「性格か環境か」のどちらか一方だけで説明しないことが大切です。

人は、その人自身の特徴を持ちながら、同時に周囲の状況や集団、役割からも影響を受けています。

本人の考え方。

役割。

権力関係。

集団の規範。

周囲からの期待。

リーダーの働きかけ。

それに従うか、抵抗するかという個人差。

人の行動は、こうした要素が重なって生まれると考える方が、この研究の記録にも後年の研究にも合っています。

これは私たちの日常でも同じ視点として役立ちます。

たとえば、管理職になった人が以前より厳しくなったとき、

「あの人は偉くなって性格が悪くなった」

だけで終わらせるのではなく、

「会社はその人に何を求めているのだろう?」

「厳しい管理を評価する制度になっていないだろうか?」

「周囲の上司も同じ行動をしていないだろうか?」

と、その人を取り囲む状況まで見てみます。

もちろん、状況を理解することと、本人の行動の責任をなくすことは別です。

人を見るときは、「その人自身」と「その人を取り囲む状況」の両方を見る。

これが、スタンフォード監獄実験を「怖い心理実験」という一言で終わらせないための、大切な考え方です。

そして、ここでさらに不思議な疑問が残ります。

囚人役や看守役だけではなく、なぜ研究者であるジンバルドー自身まで、模擬刑務所の運営へ深く入り込んでいったのでしょうか。

この実験の怖さは、「役割を持てば誰でも悪人になる」ということではなく、自分が今どんな状況に影響されているのかを、自分自身では見抜きにくいところにもあります。

次の章では、この「怖さ」を感情的な物語だけにせず、実際の記録と研究の限界を分けながら、さらに深く考えていきます。

7.この実験の本当に怖いところ

「誰でも悪人になる」という話ではない

ここまでスタンフォード監獄実験を見てくると、

「普通の人でも、権力を持てば残酷になってしまうのだろうか」

と感じるかもしれません。

しかし、この研究からまず覚えておきたいのは、もっと慎重な内容です。

人は置かれた状況や役割、周囲からの期待、権力関係などから影響を受ける可能性があります。しかし、同じ状況に置かれた人が全員同じ行動を取ったわけではありません。

実際、看守役には強圧的になった人だけでなく、比較的穏やかな人もいました。ジンバルドー自身も、看守役の行動には大きな個人差があったと説明しています。

だからこそ、この実験の怖さを、

「看守役になれば誰でも悪人になる」

と考える必要はありません。

むしろ考えさせられるのは、

自分では「自分の考えで行動している」と思っていても、その判断が周囲の環境からどれほど影響を受けているのか、自分では気づきにくい場合がある

ということです。

学校には「学校ではこうするもの」。

会社には「この会社ではこれが普通」。

部活動には「先輩ならこう振る舞うもの」。

それぞれの場所には、知らないうちに共有されていく「当たり前」があります。

もちろん、こうしたルールや役割のすべてが悪いわけではありません。

問題を考えたいのは、

その場所で続いていることを「いつものこと」と受け入れるうちに、それが本当に適切なのかを問い直しにくくなる可能性

です。

スタンフォード監獄実験では、この問題を考えるうえで非常に印象的な出来事がありました。

研究責任者のフィリップ・G・ジンバルドーは、研究者であると同時に、模擬刑務所を統括する責任者も務めていました。

後年、ジンバルドー自身は、

研究の進行を独立した立場から監視する科学的観察者がいなかったことを、この研究の大きな欠点だった

と振り返っています。

さらに、自分の注意がデータ収集だけでなく、食事、看守の交代、保護者への対応、仮釈放の審査など、模擬刑務所を運営する仕事へ向かっていったとも説明しています。

ここで大切なのは、

「ジンバルドー自身も役割に変えられた。だから役割の力は証明された」

と結論づけることではありません。

研究者自身が実験を運営する役割へ深く関わっていたことで、研究を外側から冷静に監視する仕組みが弱くなっていた

という研究方法上の問題として考える必要があります。

そして、その状況を外から見て強く疑問視したのが、前の章でも登場した心理学者クリスティーナ・マスラックでした。

マスラックは実験5日目に模擬刑務所を訪れ、囚人役への扱いを見て強い違和感を抱き、ジンバルドーへ異議を伝えました。本人の後年の回想では、外から新しく入ったからこそ、それまで徐々に出来上がっていた状況を違う目で見ることができたと考えています。ジンバルドーとの議論は、研究終了を決める重要な契機になりました。

この出来事は、

「外から見る視点」の大切さ

を考えさせます。

同じ場所に長くいる人には当たり前になっていることでも、新しく入った人には、

「なぜ、こんなことをしているの?」

と見えることがあります。

会社でも、学校でも、家庭でも、

「昔からそうだから」

「みんなやっているから」

という理由だけで続いていることがあります。

そんなときに、

「これは本当に必要なのだろうか?」

と問い直せる人がいることには意味があります。

ただし、スタンフォード監獄実験だけから「人は環境に慣れると必ず異常に気づけなくなる」と証明されたわけではありません。

ここから考えられるのは、もっと控えめで、それでも重要なことです。

人を理解するときには、その人の性格だけでなく、その人が長く置かれている環境や、その場所で当たり前になっているルールにも目を向ける必要があります。

そして、

「自分だけは絶対に流されない」と思うより、「自分はいま何に影響されているのだろう」と問い続ける。

それが、この実験から考えられる一つの大切な教訓ではないでしょうか。

しかし、ここでさらに大きな疑問が生まれます。

そもそも、

この6日間に起きた出来事から、「役割や状況が人を変えた」とどこまで科学的に言えるのでしょうか。

ここからは、スタンフォード監獄実験そのものを、もう一度「研究」として見直してみましょう。

8.この実験はどこまで信用できる?

後からわかった重要な問題

最初に結論からお伝えします。

スタンフォード監獄実験では、一部の看守役による強圧的な行動や、一部の囚人役の強い反応などが記録されています。しかし、それらの原因を「看守・囚人という役割そのもの」に特定することには、大きな難しさがあります。

研究者から参加者への働きかけ、研究者自身の運営への関与、参加者の個人差や集め方など、複数の要因が同時に存在していたからです。

この問題を大きく問い直した研究の一つが、2019年(令和元年)に研究者ティボー・ル・テクシエ(Thibault Le Texier/ティボー・ル・テクシエ)が発表した論文です。

題名は、

Debunking the Stanford Prison Experiment(ディバンキング・ザ・スタンフォード・プリズン・エクスペリメント)

です。

「Debunking(ディバンキング)」には、広く信じられている説明を証拠から検証し、その問題点や誤りを明らかにするという意味があります。

ル・テクシエは、スタンフォード大学などに残された実験資料を詳しく調査し、実験参加者15人へのインタビューも行いました。その結果をもとに、SPEの科学的妥当性へ強い疑問を提示しています。

特に重要なのが、看守役に対する研究者側からの働きかけです。

実験前、看守役には身体的暴力を使わないことが伝えられていました。

その一方でジンバルドーは、囚人役に無力感などを感じさせ、看守側が状況を統制するという趣旨の説明もしていました。

さらに実験中、現場責任者だったデイヴィッド・ジャッフェが、一人の看守役に対して、もっと積極的に参加し、tough guard(タフ・ガード/厳しく毅然とした看守)として振る舞うよう促した録音が残っています。

したがって、研究から正確に理解しておきたいのは、

看守役が研究者からまったく影響を受けず、完全に自由な状態から自然に行動を作り上げたわけではない

ということです。

一方で、ジンバルドー側は、

身体的暴力や具体的な虐待行為を命令したわけではなく、模擬刑務所の秩序を保つ看守として積極的に参加するよう求めたのだ

と反論しています。ジンバルドーの説明では、身体的暴力は禁止されていました。

つまり正確には、

「研究者がすべての残酷な行動を命令した」

とも、

「研究者は何もせず、役割だけで自然に残酷になった」

とも言い切れません。

研究者が示した「看守らしさ」への期待が、参加者の行動にどの程度影響したのかを切り分けることが難しい研究だった

と理解するのが適切です。

これは前章で紹介したdemand characteristics(デマンド・キャラクタリスティクス/要求特性)を考えるうえでも重要です。

参加者が、

「研究者は、看守役にこうしてほしいのだろう」

と感じていたとすれば、その期待自体が行動へ影響した可能性があります。

だからこそ、SPEで観察された強圧的な行動を、

「看守という役割だけが生み出した」とは特定できないのです。

もう一つ重要なのが、参加者によって行動が違っていたことです。

同じ看守役でも、強圧的な行動を強めた人もいれば、比較的穏やかに振る舞った人もいました。

この事実から少なくとも確認できるのは、

「看守」という同じ役割を与えられても、全員が一律に同じ行動を取ったわけではない

ということです。

そして、この「個人差」が何を意味するのかについても、注意して考える必要があります。

一つの見方では、同じ看守役でも行動が大きく異なったことは、「役割を与えられただけで、人が自動的に同じ方向へ変化する」とは説明しにくい材料になります。

一方、ジンバルドーは、この個人差を別の批判への反論にも使っています。

後年の批判では、研究者側が看守役に「もっと厳しく振る舞うこと」を期待したため、参加者がその期待に合わせて行動したのではないか、という問題が指摘されました。

これに対してジンバルドーは、同じ看守役の中にも比較的穏やかな人がいたことを挙げ、研究者側が全員に残酷な行動を強制していたわけではなく、強圧的な行動を取った参加者には、それぞれ自ら行動を選んだ部分もあったと主張しています。

ただし、この反論から、

「だから看守という役割そのものが人を残酷にした」と結論づけることはできません。

むしろ重要なのは、

同じ役割、同じ模擬刑務所の中にいても、参加者の行動には大きな違いがあった

という事実です。

その違いを理解するためには、役割だけではなく、研究者側からの働きかけ、集団の雰囲気、他の看守との関係、そして参加者自身の判断や個人差など、複数の要因を考える必要があります。

参加者の集め方についても、後に別の疑問が生まれました。

2007年(平成19年)、心理学者のトーマス・カーナハン(Thomas Carnahan)とサム・マクファーランド(Sam McFarland)は、「刑務所生活」という言葉を含む研究広告そのものが、特定の性格傾向を持つ人を引きつける可能性はないかを調べました。

研究では、SPEで使われたものに近い「刑務所生活についての心理学研究」という募集広告と、「刑務所生活」という表現だけを除いた「心理学研究」の広告を用意し、それぞれを見て自分から応募してきた学生を比較しました。

応募者には、心理学研究で使われる質問尺度に答えてもらい、攻撃性、権威主義、マキャヴェリアニズム、ナルシシズム、社会的支配傾向、共感性、利他性などを測定しました。

その結果、「刑務所生活」の広告に応募したグループでは、平均すると、攻撃性・権威主義・マキャヴェリアニズム・ナルシシズム・社会的支配傾向が高く、共感性や利他性が低い傾向が確認されました。

ここで大切なのは、
この研究は1971年(昭和46年)のSPE参加者本人を調べたものではない
ということです。

調査されたのは、SPEから30年以上後に募集された別の大学生たちです。

そのため、この結果から、

「SPEの参加者も、もともと攻撃性が高かった」

と結論づけることはできません。

研究者自身も、後年の応募者に見られた傾向が、1971年(昭和46年)のSPE応募者にも同じように存在していたかどうかについては、推測が残るとしています。

この研究からより慎重に言えるのは、

「刑務所生活の研究に参加したい」と自分から応募する段階で、一般的な心理学研究へ応募する人とは、もともとの性格傾向が異なる人が集まる可能性がある

ということです。

こうした問題は、self-selection(セルフ・セレクション/自己選択)という考え方と関係します。

つまり、研究を見るときには、

「その状況が人をどう変えたのか」だけでなく、「そもそも、どのような人がその状況へ自分から参加したのか」

という視点も必要になるのです。

囚人番号8612についても、現在は慎重な説明が必要です。

当時の研究記録では、8612が実験開始から早い段階で泣く、怒る、混乱するといった強い反応を示し、実験から離れたことが報告されています。

一方、本人は後年、実験から出るために反応を演じたという趣旨の発言もしています。

これに対してジンバルドーは、本人が別の時期には実験を非常につらい経験として語っていたことなどを挙げ、単純な「すべて演技だった」という解釈へ反論しています。

したがって、現在確認できる範囲で最も慎重な表現は、

8612が強い反応を示して研究から離れた記録はあるものの、その反応をどこまで実際の強い心理的苦痛として理解すべきかについて、後年の本人の説明と研究側の説明には食い違いが残っている

というものです。

わからない部分を無理に一つの「真相」に決めないことも、正確な情報を伝えるためには大切です。

ここまで読むと、

「では、スタンフォード監獄実験には価値がなかったのでしょうか?」という疑問も出てきます。

この点についても、現在まで意見は分かれています。

ル・テクシエは2019年(令和元年)、アーカイブ資料と参加者への聞き取りから、SPEの科学的な価値に強い疑問を示しました。

一方、ジンバルドーとクレイグ・ヘイニーは2020年(令和2年)、同じく『American Psychologist(アメリカン・サイコロジスト/アメリカ心理学会APAの学術誌)』で批判へ反論しました。

二人は批判的な議論そのものは歓迎しながらも、大きな権力差を持つ非人間的な環境が、人間の心理や行動へ有害な影響を与える可能性を考えるという問題意識には、今も意味があると主張しています。

そのため、スタンフォード監獄実験を現在学ぶなら、

「役割だけで普通の人が残酷になることを証明した実験」として覚えるより、一部で強い行動変化が記録された一方、その原因の特定や研究方法には大きな限界があり、現在も解釈が議論されている研究

として理解するのが適切です。

そして、ここには心理学そのものの面白さがあります。

昔から有名な研究であっても、新しい資料を調べる。

別の研究を行う。

過去の説明を問い直す。

反論があれば、その根拠も確かめる。

科学とは、一度出た答えを守り続けるものではなく、証拠に合わせて理解を更新していく営みでもあります。

では、別の研究者が「看守」と「囚人」という似た環境を作ったら、同じような結果になったのでしょうか。

次の章では、

BBC Prison Study(ビー・ビー・シー・プリズン・スタディ/BBC監獄研究)

を取り上げながら、

「スタンフォード監獄実験は再現されなかった」

というよく聞く説明が、どこまで正しいのかを確かめていきます。

9.「再現できなかった」は本当?

BBC Prison Studyから見えてきた別の答え

スタンフォード監獄実験について調べると、

「後に同じ実験をしたけれど、再現できなかった」

という説明を目にすることがあります。

ここで最初に、正確な結論を確認しておきましょう。

スタンフォード監獄実験と似た「看守と囚人」「権力の差」を扱った後の研究では、SPEの有名な展開とは異なる結果が得られました。ただし、まったく同じ条件で行った直接的な再現実験ではありません。

その重要な研究が、

BBC Prison Study(ビー・ビー・シー・プリズン・スタディ/BBC監獄研究)

です。

研究を行ったのは、社会心理学者のスティーヴン・ライチャー(Stephen Reicher/スティーヴン・ライチャー)S・アレクサンダー・ハスラム(S. Alexander Haslam/アレクサンダー・ハスラム)です。

研究そのものは2001年(平成13年)に行われ、その様子が2002年(平成14年)にイギリスのBBCで放送されました。

そして2006年(平成18年)、研究結果が査読付き学術誌『British Journal of Social Psychology(ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・ソーシャル・サイコロジー/英国社会心理学誌)』に発表されました。

論文の題名は、

Rethinking the Psychology of Tyranny: The BBC Prison Study(リシンキング・ザ・サイコロジー・オブ・ティラニー:ザ・ビー・ビー・シー・プリズン・スタディ)

です。

「Rethinking(リシンキング)」は「考え直す」、

「Tyranny(ティラニー)」は「専制・圧政」という意味です。

題名を噛み砕けば、

「人はなぜ圧政に加わったり、逆に抵抗したりするのか。その心理をもう一度考え直そう」

という研究です。

研究者たちが調べたかったのは、

「看守になれば残酷になるのか」

ということだけではありませんでした。

大きな権力差のある集団を作ったとき、人はいつ不平等を受け入れ、いつその集団を仲間だと感じ、いつ権力へ抵抗するのか

を調べようとしました。

BBC Prison Studyの公式資料も、研究目的を「人々が不平等を受け入れる場合と、それに挑戦する場合を調べること」と説明しています。

研究には15人の男性が参加し、看守側と囚人側の集団へ割り当てられました。

研究期間は8日間でした。

そして、この研究では行動を観察するだけではありませんでした。

参加者には毎日質問票へ回答してもらい、集団への一体感や心理状態などを測定しました。

さらに、唾液を採取してcortisol(コルチゾール)も測定しています。

コルチゾールは体のストレス反応に関わるホルモンで、唾液中の濃度は生理的なストレス反応を知る指標の一つとして利用できます。つまり研究者たちは、「本人がどう感じたか」という回答だけでなく、身体の反応も合わせて調べようとしたのです。

また、研究は独立した5人の倫理委員会によって継続的に監視され、必要であれば研究を止められる仕組みも設けられていました。

ここも、1971年(昭和46年)のSPEとは重要な違いです。

では、何が起こったのでしょうか。

BBC Prison Studyでは、看守側が「自分たちは一つの看守集団だ」という共通意識を十分に作ることができず、まとまって権力を行使することが難しくなっていきました。

一方、囚人側では時間とともに、

「自分たちは同じ立場にいる仲間だ」

という意識が強まり、やがて看守側へ集団として対抗するようになりました。

ただし、ここで大切なのは、BBC Prison Studyは現実の刑務所をそのまま再現した研究ではないということです。

現実の受刑者は、犯罪によって刑事司法制度のもとで収容されており、希望すれば看守になれるわけではありません。

一方、この研究の参加者は本当の受刑者ではなく、研究の中で看守役と囚人役に分けられた人たちでした。

研究の目的も、

「本物の刑務所で囚人がどう行動するか」というより、

「地位や権力の異なる集団の中で、人はいつ不平等を受け入れ、いつ仲間として団結し、いつ抵抗するのか」

を調べることにありました。

そのため、研究には現実の刑務所にはない仕掛けもありました。

最初、囚人役には看守役へ移れる可能性が用意されていました。

この段階では、

「自分だけ不利な囚人側から抜け出せるかもしれない」

という個人的な逃げ道があります。

しかし途中から、その可能性がなくなりました。

すると、

「自分だけ抜け出す」のではなく、「自分たちは同じ囚人側にいる」

という共通意識を持ちやすくなります。

ただし、逃げ道をなくせば自動的に反抗する、という意味ではありません。

BBC Prison Studyでは、それに加えて、

「今の仕組みは絶対ではなく、変えられるかもしれない」

と考えられる条件も重要だとされました。

こうした中で囚人側のまとまりが強まり、看守側へ対抗するようになったのです。

最終的には看守側の体制が崩れ、参加者たちは看守と囚人の区別をなくした、より平等な共同体を作ろうとしました。

ただし、その共同体も安定し続けたわけではなく、後には一部の参加者から、より強い秩序を求める動きも現れました。

この結果を理解するうえで重要なのが、

social identification(ソーシャル・アイデンティフィケーション/集団への同一化)

です。

簡単にいうと、

「自分は、この人たちと同じ仲間だ」「この集団は自分にとっての“私たち”だ」

と感じることです。

「あなたは看守です」

と役割を与えられることと、

「自分は看守集団の一員だ」

と本人が感じ、その集団の考え方を共有することは同じではありません。

ライチャーとハスラムが知りたかったのは、単に「看守役や囚人役を与えれば、人はその役割どおりに行動するのか」ということではありませんでした。

むしろ、

「人はどのような条件で、その集団を『自分たち』として受け入れ、その集団の一員として協力したり、権力を使ったり、反対に権力へ抵抗したりするようになるのか」

を調べようとしたのです。

つまり、

「あなたは看守です」と役割を与えられることと、「自分は看守集団の一員だ」と本人が感じることは同じではない

という考え方です。

BBC Prison Studyでは、この「私たち」という集団への意識が、どのような条件で強くなり、それが人の行動や集団の力にどう影響するのかが重要な研究テーマになっていました。

そして、ここがSPEと比較するときの注意点です。

BBC Prison Studyは、SPEをそのまま再現した研究ではありません。

研究目的や実験上の仕掛け、研究者の介入、安全管理などに違いがあります。

したがって、

「SPEを完全に再現したら失敗した」ではなく、

「看守役と囚人役という似た権力関係を、異なる条件で調べたところ、SPEの単純な『役割だけで人は変わる』という説明とは異なる結果も得られた」

と理解するのが適切です。

つまりBBC Prison Studyが示した重要な視点は、

人の行動を見るときには、「どんな役割を与えられたか」だけでなく、「自分を誰と同じ仲間だと感じたのか」「今の状況を変えられると思ったのか」まで見る必要がある

ということなのです。

10.スタンフォード監獄実験について覚えておきたい8つの正しい理解

ここまでかなり深く、スタンフォード監獄実験を見てきました。

情報が多くなってきたので、ここで一度、

この記事から持ち帰ってほしい正しい理解

を整理しておきましょう。

1.看守役の行動には、大きな個人差がありました。

一部では強圧的・屈辱的な行動が見られましたが、比較的穏やかな看守役もいました。

研究側自身も、看守役全員が同じように行動したとは説明していません。

2.看守役は、研究者から完全に独立して行動していたわけではありません。

研究側は身体的暴力を禁止していました。

その一方で、看守として積極的に秩序を維持し、囚人役を統制することを求めていました。

さらに、一人の看守に対してデイヴィッド・ジャッフェが、より積極的でtough guard(タフ・ガード/厳しく毅然とした看守)になるよう促した録音も残っています。

大切なのは、研究者からの期待も実験環境の一部だったということです。

3.SPEだけから「役割だけが人を残酷にした」と原因を特定することはできません。

役割だけでなく、研究者からの働きかけ、権力関係、集団の規範、参加者の個人差など、複数の要因を考える必要があります。

後年のアーカイブ研究でも、この研究から単純な因果関係を導くことには大きな疑問が示されています。

4.匿名性や没個人化は、考えられる要素の一つです。

囚人を番号で扱うこと、同じ服を着せること、看守がミラーサングラスを着けることなどは、研究環境を作る重要な仕掛けでした。

しかしSPEでは、匿名性だけを単独で取り出して比較したわけではありません。

そのため、「匿名性が強圧的な行動を生んだ唯一の原因」と、この研究だけから結論づけることはできません。

5.囚人役の反応も、一人ひとり違いました。

一部には途中で実験を離れるほど強い情緒的・身体的反応が報告されました。

一方で、抗議や抵抗を続けた参加者もいました。

囚人役全員が同じ心理状態になったわけではないことも忘れないようにしましょう。

6.BBC Prison Studyは、SPEを完全に同じ条件で再現した研究ではありません。

正しくは、権力差のある集団という似た問題を別の方法で研究し、SPEの単純な役割説明とは異なる結果を示した重要な比較材料です。

「再現できなかった」という一言だけでは、二つの研究の違いが見えなくなってしまいます。

7.「ルシファー・エフェクト」は、SPEで起きた現象だけにつけられた正式名称ではありません。

The Lucifer Effect(ザ・ルシファー・エフェクト)は、ジンバルドーが2007年(平成19年)に出版した著書の題名であり、その中で展開した、より広い考え方です。

副題は、

Understanding How Good People Turn Evil(アンダースタンディング・ハウ・グッド・ピープル・ターン・イーヴル)

で、「善良な人がどのように悪い行為へ向かうのかを理解する」という意味です。

ジンバルドーはSPEだけでなく、Situation(シチュエーション/状況)System(システム/制度・仕組み)が人間行動に及ぼす影響を広く論じています。

8.SPEは「結論が完全に確定した研究」でも、「何も学べない研究」でもありません。

研究中に起きた出来事については多くの記録が残っています。

一方で、

「なぜ、その行動が起きたのか」

という因果関係を特定する研究としては、大きな限界や論争があります。

だから現在この研究を学ぶときには、

「役割を与えると誰でも残酷になる」と覚えるのではなく、人の行動には本人の特徴と、その人を取り囲む状況・集団・権力関係・周囲からの期待などが複雑に関係する可能性がある

と理解することが大切です。

そしてもう一つ。

スタンフォード監獄実験には、研究結果とは別に、

「人を対象とした研究は、どこまで許されるのか」

という重大な問いも残されています。

参加者へ強いストレスが生じた研究を、現在の心理学ではどのように考えるのでしょうか。

そしてジンバルドーが後に語った「ルシファー・エフェクト」は、この研究からどのように広がっていったのでしょうか。

次の章では、少し視点を変えながら、スタンフォード監獄実験が残したものをさらに掘り下げていきましょう。

11.おまけコラム

「ルシファー・エフェクト」とネットで変わる自分

ここまでスタンフォード監獄実験について詳しく見てきました。

最後に少し肩の力を抜いて、この研究から広がる身近な心理学の話をしてみましょう。

まず知っておきたいのが、

The Lucifer Effect(ザ・ルシファー・エフェクト)

です。

これは、スタンフォード監獄実験で起きた現象につけられた正式な心理学用語ではありません。

フィリップ・G・ジンバルドーが2007年(平成19年)に出版した著書の題名であり、人の悪い行動を本人の性格だけではなく、その人を取り囲む「状況」や「制度」からも考えようとする、より広い議論です。

本の正式な題名は、

The Lucifer Effect: Understanding How Good People Turn Evil(ザ・ルシファー・エフェクト:アンダースタンディング・ハウ・グッド・ピープル・ターン・イーヴル)

です。

副題をわかりやすく訳すと、

「善良な人が、どのように悪い行為をするようになるのかを理解する」

という意味になります。

ジンバルドーがこの本で強調したのは、人が問題行動を起こしたとき、

「あの人は性格が悪いからだ」

と個人だけを見るのではなく、

Situation(シチュエーション/その人が置かれている状況)

と、

System(システム/その状況を作り、維持している制度や仕組み)

にも目を向けることでした。

たとえば、ある職場で部下に強く当たる上司がいたとします。

もちろん、その人自身の判断や責任はあります。

しかし同時に、

「数字を出すためなら部下を強く追い込んでも評価される会社なのか」

「上司自身も、さらに上の上司から強い圧力を受けているのか」

「周囲も同じ行動を当たり前だと思っているのか」

と考えてみると、個人の性格だけでは見えなかったものが出てきます。

これが、ルシファー・エフェクトという考え方から得られる重要な視点の一つです。

ただし、ここまでの記事で見てきたように、スタンフォード監獄実験そのものには研究方法や解釈について大きな議論があります。

そのため、

「SPEによって、状況が善人を悪人に変えることが証明された」

と理解するのではなく、

「有害な行動を考えるとき、個人だけでなく状況や制度まで見るという問題提起を、ジンバルドーがさらに広げていった」

と捉える方が正確です。

では、ここで少し身近な場面を考えてみましょう。

SNSを見ていて、

「この人、直接会っても同じことを言うのかな?」

と思った経験はないでしょうか。

顔も名前もよくわからない相手に、かなり強い言葉を書く。

逆に、現実の友人には話せない悩みを、ネットでは知らない人に打ち明けられる。

どうしてこんなことが起きるのでしょうか。

ここで登場するのが、

online disinhibition effect(オンライン・ディスインヒビション・エフェクト/オンライン脱抑制効果)

です。

心理学者のジョン・スーラー(John Suler/ジョン・スーラー)は2004年(平成16年)の論文 The Online Disinhibition Effect で、オンラインでは対面しているときよりも、自分の気持ちや行動を強く表に出す場合があることを整理しました。

「disinhibition(ディスインヒビション)」は「脱抑制」。

少し難しい言葉ですが、

「普段なら働いている心のブレーキが弱くなること」

と考えるとわかりやすいでしょう。

たとえば目の前に友達がいれば、

「これを言ったら傷つくかな」

と相手の表情を見ながら言葉を選べます。

しかしネットでは、相手の顔が見えないことがあります。

自分の本名や顔も知られていないかもしれません。

メッセージを書いても、その瞬間に相手の反応を見る必要がないこともあります。

スーラーは、こうした匿名性、姿が見えないこと、時間差のあるやり取り、権威を感じにくいことなど、複数の条件が組み合わさってオンライン脱抑制が生じると考えました。人格などの個人差も、その強さに関係するとしています。

ここで重要なのは、

オンライン脱抑制効果は「ネットにいると人は攻撃的になる」という意味ではない

ことです。

心のブレーキが弱くなることで、

「実は最近、学校に行くのがつらい」

「誰にも言えなかったけれど相談したい」

と、普段なら話せなかったことを打ち明けられる場合もあります。

このような方向は、

benign disinhibition(ベナイン・ディスインヒビション/良性の脱抑制)

と呼ばれます。

「benign(ベナイン)」は「良性の・害の少ない」という意味です。

一方で、

暴言を書く。

相手を必要以上に攻撃する。

憎しみをぶつける。

といった方向へ表れる場合は、

toxic disinhibition(トキシック・ディスインヒビション/有害な脱抑制)

と呼ばれます。

「toxic(トキシック)」は「有害な」という意味です。

スーラーの議論では、オンラインで抑制が弱くなることには、このような良い方向と有害な方向の両方があります。

つまり、

「匿名になるから悪い人になる」のではなく、オンライン特有の環境によって普段は抑えている行動や感情が表に出やすくなり、それが良い方向にも悪い方向にも現れることがある

ということです。

ここまで読むと、

「それならスタンフォード監獄実験と同じ心理なの?」

と思うかもしれません。

スタンフォード監獄実験、ルシファー・エフェクト、オンライン脱抑制効果は、それぞれ別のものです。

スタンフォード監獄実験は、1971年(昭和46年)に模擬刑務所を作り、看守役と囚人役に分けられた参加者の行動や人間関係を観察した研究です。

ルシファー・エフェクトは、スタンフォード監獄実験そのものにつけられた正式な心理現象の名前ではありません。

フィリップ・ジンバルドーが後年、著書の中で展開した、人の行動を本人の性格だけでなく、状況や制度・システムまで含めて広く考える議論です。

一方、online disinhibition effect(オンライン・ディスインヒビション・エフェクト/オンライン脱抑制効果)は、心理学者ジョン・スーラーが2004年(平成16年)に論じた別の心理学的概念です。

これは、インターネット上では、なぜ対面しているときとは違う自己表現や行動が生まれやすくなるのかを考えるものです。

つまり、

スタンフォード監獄実験 → ルシファー・エフェクト → オンライン脱抑制効果

というように、一つの理論が順番に発展して生まれたわけではありません。

研究の対象も、提唱した人物も、意味も異なります。

それでも、この三つを並べてみると、ある共通した問いが見えてきます。

「その人の行動を、その人の性格だけで説明してよいのでしょうか?」

学校にいる自分。

家族といる自分。

仕事をしている自分。

友達といる自分。

そして、SNSにいる自分。

同じ一人の人間でも、場所や相手が変われば、話し方や行動が少し変わることがあります。

心理学のおもしろさは、

「あの人は、そういう性格だから」

だけで終わらず、

「その行動が生まれたとき、周りにはどんな状況があったのだろう?」

と、もう一歩奥まで考えられるところにあります。

たとえば、次にSNSで誰かの強い言葉を見かけたとき。

あるいは、自分自身がいつもより強い言葉を書きそうになったとき。

少しだけ、

「今の自分は、この場所からどんな影響を受けているのだろう?」

と考えてみてください。

オンライン脱抑制効果が教えてくれるのは、

「匿名だから人は悪くなる」という単純な話ではありません。

匿名性、相手の姿が見えないこと、時間差のあるやり取り、その場の雰囲気、そして本人自身の特徴など、いくつもの条件が重なることで、普段とは違う自己表現が生まれることがあります。

そして、その変化は攻撃的な方向だけではありません。

普段は人に言えない悩みを打ち明けたり、本音を話しやすくなったりするなど、良い方向に働くこともあります。

スタンフォード監獄実験とオンライン脱抑制効果は、同じ心理現象ではありません。

けれども、そこには共通して考えられる大切な視点があります

人の行動を理解するとき、「その人はどんな人なのか」だけでなく、「その人はいま、どんな状況の中にいるのか」まで見てみること。

心理学を知るということは、専門用語をたくさん覚えることだけではありません。

いつもの学校。

いつもの職場。

いつものSNS。

そこで起きていることを、

「なぜ、この場面ではこんな行動が生まれるのだろう?」

と、少し違う角度から考えられるようになることでもあります。

そう考えてみると、スタンフォード監獄実験は、50年以上前に行われた一つの研究というだけではなく、私たちが毎日の人間関係や自分自身の行動を考えるための問いにもつながっているのです。

――ここからは、少しだけ心理学の応用編へ進みましょう。

ここまで、スタンフォード監獄実験を出発点に、ルシファー・エフェクトやオンライン脱抑制効果へと視野を広げてきました。

そして記事の中には、

「役割」
「同調」
「服従」
「没個人化」
「脱抑制」

など、似ているようで少しずつ意味の違う心理学の言葉も登場しました。

言葉の違いがわかると、「立場が人を変えた」で終わらず、「何が、どのようにその人の行動へ影響したのか」を、より正確に自分の言葉で考えられるようになります。

ここまで学んだ心理学の語彙を少し整理しながら、日常で見かける「人が変わったように見える瞬間」を、さらに別の角度から見ていきましょう。

12.似ているようで同じではない

知っておくと心理学がもっと面白くなる言葉

まず、今回の記事と特に混同しやすいのが、

「社会的役割」「同調」「服従」

です。

social role(ソーシャル・ロール/社会的役割)は、

「先生ならこうする」「上司ならこうする」「先輩ならこう振る舞う」

といった、その立場の人に期待される行動のことです。

一方、

conformity(コンフォーミティ/同調)

は、周囲の人や集団の考え方・行動・規範に合わせて、自分の判断や行動が変化することを指します。

たとえば、誰からも命令されていないのに、

「みんなが立ったから、自分も立とう」

「全員が賛成しているから、自分も反対と言いにくい」

となるのは、同調を考える場面です。心理学では、集団から受ける社会的影響を考える重要なテーマとして研究されています。

これに対して、

obedience(オビーディエンス/服従)

は一般に、権威を持つ人物からの直接的な命令や指示に従うことを指します。

つまり、

「周りのみんながやっているから自分もやる」

と、

「上司からやれと言われたからやる」

は、似ているようで心理学的には同じではありません。

スタンフォード監獄実験も、この区別を考えると、

「命令への服従だけを調べた実験」ではなく、役割、集団、権力差、研究者からの期待などが複雑に重なった研究

だったことが、より見えやすくなります。

もう一つ、特に間違えやすいのが、

「没個人化」「オンライン脱抑制効果」

です。

deindividuation(ディインディヴィジュエーション/没個人化)は、集団の中や個人を特定しにくい状況などで、「一人の自分」としての意識や行動のあり方が変化することを扱う考え方です。

しかし、現在の研究では、

没個人化した状態だからといって、自動的に攻撃的になるとは考えません。

SIDE model(サイド・モデル)と呼ばれるSocial Identity Model of Deindividuation Effects(ソーシャル・アイデンティティ・モデル・オブ・ディインディヴィジュエーション・エフェクツ/没個人化効果の社会的アイデンティティモデル)では、個人が目立ちにくくなることで、逆に「自分はこの集団の一員だ」という意識や、その集団の規範が強く行動へ表れる場合があると考えます。

もしその集団が、

「困っている人を助けよう」

という集団なら、匿名でも助ける行動が強まる可能性があります。

反対に、

「相手を攻撃しても構わない」

という雰囲気が強ければ、有害な行動につながる可能性があります。

つまり、

「匿名=悪くなる」ではなく、「その環境でどの集団・どのルールが重要になっているか」まで見る必要がある

ということです。

一方、第11章で登場した

online disinhibition effect(オンライン・ディスインヒビション・エフェクト/オンライン脱抑制効果)

は、オンライン環境で普段より自己表現の抑制が弱くなる現象を説明する概念です。

ジョン・スーラーは、匿名性だけではなく、姿が見えないこと、時間差のあるコミュニケーション、権威を感じにくいことなど、複数の条件が関係すると整理しました。

したがって、

没個人化とオンライン脱抑制効果には重なる部分がありますが、同じ言葉ではありません。

さらに、集団の中で起こる現象として知っておくと便利なのが、

diffusion of responsibility(ディフュージョン・オブ・レスポンシビリティ/責任の分散)

です。

これは、多くの人が同じ場面にいると、

「自分がやらなくても、誰かがやるだろう」

と、一人ひとりが感じる責任が小さくなる現象を指します。集団場面での行動を理解するために研究されてきた概念です。

没個人化と似て見えるかもしれませんが、

没個人化は「個人としての自分や集団との関係」、責任の分散は「自分がどれくらい責任を負っていると感じるか」

という違いがあります。

では、こうした言葉には「反対語」があるのでしょうか。

ここは少し面白いところです。

たとえば、

disinhibition(ディスインヒビション/脱抑制)

に対して、

inhibition(インヒビション/抑制)

という対になる言葉はあります。

「心のブレーキが弱まる」のが脱抑制なら、「行動や感情を抑える働き」が抑制です。

ところが心理学では、何でもきれいな反対語になるわけではありません。

たとえば「同調」の反対を単純に「独立」と考えたくなりますが、アッシュの同調研究を検討した研究者たちは、independence(インディペンデンス/独立性)とconformity(コンフォーミティ/同調)は、単純な一つの心理の表裏ではないと指摘しています。

同調は、周囲の人や集団から影響を受け、自分の判断や行動を集団の方向へ近づけることです。

一方、独立は、周囲に合わせるか反対するかではなく、周囲の意見だけに左右されず、自分が得た情報や考えをもとに判断することです。

さらに、集団が「A」と言っているから、あえて「B」を選ぶような行動は、独立とは別に anticonformity(アンチコンフォーミティ/反同調) と考えることができます。

つまり、

「みんながAだから、私もA」=同調

「みんながAだから、私はあえてB」=反同調

「みんなが何と言っているかとは別に、自分で考えてB」=独立

です。

このように心理学では、「みんなと違う行動をした」という結果だけでなく、「なぜその行動を選んだのか」まで考えることが大切なのです。

誰かと違う答えを選んだからといって、必ず「周りの影響を受けていない」とは限らないからです。

ここまで言葉を分けてみると、心理学の見方が少し変わってきます。

「上司になって人が変わった」

という一つの出来事でも、

役割への期待なのか。

周囲への同調なのか。

権威への服従なのか。

集団への同一化なのか。

その場で責任が分散しているのか。

あるいは、それらがいくつも重なっているのか。

心理学の言葉は、人へレッテルを貼るためではなく、「何が起きているのか」を細かく分けて考えるための道具です。

「あの人は、そういう人だから」

という一言で終わらせず、

「この行動には、どんな人と状況の組み合わせがあるのだろう?」

と考えられるようになる。

そこまで来れば、スタンフォード監獄実験について知識を覚えただけでなく、心理学を日常を見るための言葉として使い始めたことになります。

13.まとめ・考察

人を変えるのは「性格」?それとも「状況」?

ここまで、スタンフォード監獄実験をさまざまな角度から見てきました。

1971年(昭和46年)、大学の地下につくられた模擬刑務所。

「看守役」と「囚人役」に分けられた若い男性たち。

一部の看守役で強まった統制。

一部の囚人役に報告された強い反応。

予定より早い6日間での終了。

そして後になって明らかになった、研究者から看守役への働きかけや、研究方法・解釈をめぐるさまざまな議論。

ここまで読んできたからこそ、この記事の結論は、

「立場を与えると、人は悪くなる」

という一言では終わりません。

人は状況に影響される。しかし、人間は役割に自動的に支配される操り人形だ、とこの実験が証明したわけではありません。

これが、この記事で最も大切にしたい結論です。

同じ看守役でも、行動には違いがありました。

同じ囚人役でも、反応は違いました。

そして、人々の行動を考えるときには、役割だけでなく、権力関係、周囲からの期待、集団の規範、研究者からの働きかけ、本人の考え方や個人差など、いくつもの要素を見る必要がありました。

つまり、人間の行動は、

「その人がどんな人なのか」だけでも、「その人がどんな場所にいるのか」だけでも、きれいには説明できない

ということです。

人と状況は、互いに関係しながら行動を作っています。

こんな経験はないでしょうか。

後輩だったころには、

「自分が先輩になっても絶対に偉そうにはしない」

と思っていたのに、自分が先輩になったら、

「先輩なんだから、ちゃんと注意しないと」

と思うようになった。

普段なら反対することでも、会議で全員が賛成していると、

「自分だけ違うことを言わなくてもいいか」

と考えてしまった。

SNSでは、直接会っているときより少し強い言葉を書きそうになった。

反対に、顔が見えない相手だからこそ、普段は話せない悩みを打ち明けられた。

どれも、それだけでスタンフォード監獄実験と同じ現象だということではありません。

しかし、

「いつもの自分」と「その場にいる自分」は、本当にまったく同じだろうか?

と考えるきっかけにはなります。

ここで、少し実験のようなことをしてみても面白いかもしれません。

特別な道具はいりません。

一日の中で、自分の話し方や考え方が変わった瞬間に、

「なぜ今、自分はこうしたんだろう?」

と考えてみるだけです。

家族の前。

友達の前。

上司の前。

後輩の前。

SNSの中。

同じ自分なのに、相手や場所によって少しずつ振る舞いが違うことに気づくかもしれません。

そこで、

「自分は本当はこんな人間なんだ」

と決めつける必要はありません。

むしろ、

「この場面では、何が自分の行動を後押ししているのだろう?」

と考えてみます。

役割でしょうか。

周囲の目でしょうか。

その場のルールでしょうか。

みんなに合わせたい気持ちでしょうか。

誰かからの命令でしょうか。

それとも、自分自身が大切にしている考えでしょうか。

第12章までで学んだ心理学の言葉が、ここで初めて「知識」から「自分を見る道具」に変わります。

ここまで考えると、スタンフォード監獄実験から得られる教訓は、

「状況は怖い」

ということだけではないように思えます。

むしろ、もう少し希望のある見方もできます。

自分が状況から影響を受けている可能性に気づければ、その影響について考え直すこともできます。

「みんながやっているけれど、本当にこれでいいのかな」

「この役職だからといって、こんな話し方をする必要はあるのかな」

「上から言われたことだけれど、自分はどう考えているのかな」

「このSNSの雰囲気に、自分まで引っ張られていないかな」

そんなふうに、一度立ち止まって考える余地が生まれます。

ここに、人間を単なる「状況の操り人形」と考えない理由があります。

状況から影響を受けることと、状況によってすべてが決められることは同じではありません。

人は影響を受けながらも、考えることができます。

違和感を持つことができます。

反対することもできます。

周囲の人へ声をかけることもできます。

そして、ときには自分たちを取り囲むルールそのものを変えることもできます。

私は、この研究を考えるうえで特に興味深いのは、ここだと思います。

本当の「自由」とは、周囲から一切影響を受けないことではなく、自分が何から影響を受けているのかを考え、そのうえで自分の行動を選び直せることなのかもしれません。

私たちは、社会の外では生きられません。

役割も持ちます。

集団にも所属します。

誰かから期待されます。

ときには権威に従います。

そして、周囲の空気を読みます。

それらを完全になくすことが自由なのではなく、

「いま自分に働いている力は何だろう?」と見つめられること

に、人間らしい自由の一部があるのではないでしょうか。

これはスタンフォード監獄実験そのものが証明した結論ではありません。

ここまで研究の事実と限界を見てきたうえで、そこから私たちの日常へ広げて考えられる一つの考察です。

そして、もう一つ忘れたくないことがあります。

状況を見ることは、

「環境のせいだから仕方がない」

と人の責任を消してしまうことではありません。

むしろ逆です。

人だけを責めるのでもなく、環境だけを責めるのでもなく、「人と状況の両方を見る」こと。

厳しい上司がいたなら、その人自身の行動を考える。

同時に、その行動を評価している会社の仕組みも見る。

集団の中で誰かが傷つけられていたなら、実際に傷つけた人の責任を見る。

同時に、周囲が止めにくかった雰囲気やルールも考える。

この見方ができると、

「悪い人を探して終わり」

ではなく、

「同じことを繰り返さないためには、何を変えればよいのか」

という次の問いへ進むことができます。

これは、スタンフォード監獄実験を単なる「人間の怖さ」の話で終わらせないためにも大切な視点です。

この記事の最初では、

「前はこんな人じゃなかったのに……」

という、ごく身近な疑問から始まりました。

ここまで読んだ今なら、その言葉のあとに、もう一つ質問を加えられるかもしれません。

「あの人は変わってしまった」

だけではなく、

「あの人の周りでは、何が変わったのだろう?」

と。

役職が変わったのでしょうか。

周囲から求められることが変わったのでしょうか。

権限が増えたのでしょうか。

集団の中で「こうするのが普通」というルールができたのでしょうか。

もちろん、その人自身の考え方が変化した可能性もあります。

だからこそ、答えを一つに決めつけないことが大切です。

「人は状況に影響される。しかし、人間は役割に自動的に支配される操り人形だ、とこの実験が証明したわけではない。」

この一文を覚えておくだけでも、スタンフォード監獄実験の有名な物語を、かなり正確に捉えられるようになります。

そして、ここまで心理学を学んだあなたに、最後に一つだけ問いを残します。

誰かについて考える前に。

そして、ときには自分自身について考えるときに。

「では、自分はいま何に影響されているのだろう?」

この問いを持てることこそ、今回の心理学を日常で活かす、一番身近な方法なのかもしれません。

では最後に、記事の最初に登場したユウタの疑問へ戻ってみましょう。

「あんなに優しかった先輩は、本当に“人が変わってしまった”のでしょうか?」

ここまで知った心理学を持って、もう一度あの場面を見てみます。

14.疑問が解決した物語

「先輩が変わった」だけではなかった

「先輩って、こんな人だったっけ?」

あの日から、ユウタはずっと考えていました。

去年までは、

「失敗したって大丈夫だよ」

と笑ってくれていた先輩。

それなのに、部活のまとめ役になってからは、

「一年生、もっと声を出して!」

「先輩に言われたら、まず返事!」

と、ずいぶん厳しくなりました。

最初のユウタは、

「やっぱり、人って偉くなると変わっちゃうのかな」

と思っていました。

けれども、ここまで心理学について知った今なら、少し違う見方もできます。

人は立場や周囲の期待から影響を受けることがあります。けれども、役割を与えられたからといって、誰もが自動的に同じ人間へ変わるわけではありません。

ユウタは、ある日の練習後、先輩に思い切って声をかけてみました。

「先輩、まとめ役になってから……大変ですか?」

先輩は一瞬、不思議そうな顔をしました。

「なんだよ、急に」

「なんとなく。最近、前よりずっと厳しいから」

ユウタは少し迷ってから続けました。

「去年、先輩、“怖い先輩にはなりたくない”って言ってたじゃないですか」

先輩はしばらく黙っていました。

そして、小さく笑いました。

「……言ったな、それ」

少し間を置いてから、先輩は話し始めました。

「まとめ役になってからさ、顧問には“ちゃんと下をまとめろ”って言われるし、上級生からも“お前が甘いと一年生まで緩くなるぞ”って言われてて」

「そうだったんですか」

「俺も、まとめ役なんだから厳しくしなきゃって思ってた。前の先輩もそうだったし」

ユウタは、その言葉を聞いて少しだけ腑に落ちました。

先輩の性格が、ある日突然まったく別のものになったわけではなかったのかもしれません。

「まとめ役」。

「上級生」。

「後輩を指導する人」。

そんな新しい立場と、

「厳しくしなければならない」

という周囲からの期待が重なって、先輩自身も少しずつ「先輩らしい振る舞い」を作っていたのかもしれません。

でも、だからといって、

「立場のせいだから仕方がない」

で終わるわけでもありません。

ユウタは少し考えてから言いました。

「でも先輩、この前、一年生の子が結構へこんでましたよ」

「……マジで?」

「はい。声出せって言われたことより、みんなの前で怒られたのがきつかったみたいです」

先輩はすぐには答えませんでした。

やがて、

「そっか……」

とだけ言いました。

その日の帰り道、先輩はいつもより静かでした。

そして次の練習。

一年生がまた同じミスをしました。

ユウタは少し離れたところから、その様子を見ていました。

先輩が一年生を呼びます。

ユウタは、

「また怒るのかな」

と思いました。

けれども先輩は、みんなの前ではなく、その一年生を少し横へ呼んで言いました。

「ここだけ直そう。分からなかったら聞いて」

そして最後に、

「さっきのプレーはよかったぞ」

と付け加えました。

ほんの小さな変化でした。

先輩が急に去年と同じ人へ戻ったわけではありません。

まとめ役である以上、注意しなければならない場面もあります。

厳しく言う必要があると本人が判断することもあるでしょう。

でも、

「まとめ役だから厳しくするしかない」以外のやり方も選べる。

先輩自身が、それに気づき始めたようにユウタには見えました。

ユウタもまた、一つ大切なことに気づきました。

最初は、

「あの人は変わった」

と思っていました。

けれども今なら、そのあとにもう一つ質問できます。

「あの人の周りでは、何が変わったんだろう?」

立場が変わった。

責任が増えた。

周囲から求められることが変わった。

「先輩とはこういうものだ」という部活の雰囲気があった。

そうした状況も、その人の行動に影響しているかもしれません。

だからといって、本人の責任がなくなるわけではありません。

状況から影響を受けていることに気づいたうえで、自分はどう行動するのかを選び直すことができます。

先輩が少し言い方を変えたように。

ユウタが「先輩は嫌な人になった」と決めつけず、話しかけてみたように。

人を見るとき、

「この人はこういう人だ」

と性格だけで決めつける前に、

「いま、この人はどんな立場にいて、周りから何を求められているのだろう?」

と考えてみる。

そして、自分自身についても、

「自分はいま、この役割や周囲の空気に引っ張られていないだろうか?」

と、ときどき振り返ってみる。

それが、スタンフォード監獄実験についてここまで学んできた知識を、日常の中で使う一つの方法なのかもしれません。

あの日、ユウタが抱いた、

「人って、偉くなると変わるのかな?」

という疑問。

今のユウタなら、こう答えるでしょう。

「立場が変われば、人の行動も変わることはある。でも、立場だけですべてが決まるわけじゃない。その人自身と、その人を取り囲む状況の両方を見ないと、本当のところはわからないんだ。」

では、あなたの周りにいる、

「前とは少し変わったように見える人」。

その人自身だけではなく、その人の周りでは、何が変わったのでしょうか。

15.文章の締めとして

スタンフォード監獄実験は、長いあいだ「立場が人を変える」「普通の人でも残酷になりうる」という印象的な物語として語られてきました。

けれども、ここまで詳しく見てくると、そこにあったのはもっと複雑な人間の姿でした。

強圧的になった人もいれば、そうならなかった人もいた。

抵抗した人もいれば、従った人もいた。

研究者自身も状況の中に深く関わり、後年には研究方法そのものが問い直されました。

だからこそ、この実験は「人間は怖い」という一言で終わらせるよりも、を理解するときには、性格だけでなく、その人が置かれている場所や立場、周囲からの期待、集団の雰囲気まで見てみる必要があることを考えさせる研究なのだと思います。

そして、それは他人を見るときだけの話ではありません。

私たち自身も、家庭では家族の一人として、学校では生徒や先輩として、職場では部下や上司として、インターネットでは顔の見えにくい誰かとして、それぞれ違う状況の中で生きています。

そのすべてが「本当の自分ではない」ということでもなければ、どれか一つだけが「本当の自分」ということでもないのでしょう。

いろいろな状況から影響を受けながら、それでもときどき自分の行動を見つめ直し、

「これは本当に自分が望んでいる行動だろうか」

「周りがそうしているから、自分もそうしているだけではないだろうか」

と考えてみる。

心理学を知ることの価値は、誰かの行動へ簡単な名前をつけることではなく、人間を少しだけ丁寧に見るための視点を増やすことにあるのかもしれません。

注意補足

本記事では、公開されている研究論文や資料、後年の検証・議論などを、著者が個人で確認できる範囲で調べたうえで、スタンフォード監獄実験についてまとめています。

ただし、心理学の研究は一つの解釈だけで完結するものではありません。同じ研究結果でも研究者によって解釈が異なることがあり、新しい資料や研究によって、これまでの理解が見直されることもあります。

🧭 本記事のスタンス

この記事は、「これが唯一の正しい答えです」と断定するためのものではありません。

スタンフォード監獄実験について知り、その研究で確認されたこと、研究方法上の限界、後年に示された異なる解釈などを踏まえながら、「人と状況はどのように関係しているのだろう?」と考えるための一つの入口として読んでいただければ幸いです。

研究者によって異なる見方や批判があることも含め、さまざまな立場からの視点を大切にしながら考えてみてください。

立場を知れば、見方が変わる。見方が変われば、読み方が変わる。読み方が変われば、人の見え方まで変わってくる――この記事で芽生えた「なぜ?」を入口に、次は文献や一次資料へ。役割を読み、状況を読み、そして自分自身も読み直しながら、心理学の学びをさらに深めてみてください。

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました。

スタンフォード監獄実験は、私たちが人を理解しようとするとき、その人だけを見るのではなく、その人を取り囲む状況にも目を向けることの大切さを教えてくれているのかもしれません。

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