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マルティン・ハイデガーとは?なぜ「死への存在」を論じたのか|生涯と思想をわかりやすく解説

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「存在とは何か」を問い続けた哲学者の歩みをたどり、「死への存在」を論じた理由と、思想の影響、歴史に残る問題までわかりやすく解説します。

5秒でわかる結論

マルティン・ハイデガーは、「存在とは何か」を問い、著書『存在と時間』で「死への存在」を論じたドイツの哲学者です。

噛み砕いて言うと

ハイデガーは、私たち人間がどのようにこの世界で生きているのかを調べながら、「存在する」とはどういうことなのかを考えたドイツの哲学者です。

例えば、私たちは明日も学校や仕事があると思って、予定を立てながら生活しています。でも、自分がいつまで生きられるのかは、誰にもわかりません。

ハイデガーは、人間は生きている今も、いつか訪れる自分自身の死という可能性と切り離されていないと考えました。

そして、そのような人間のあり方を、著書『存在と時間』の中で「死への存在」として論じました。

つまり、ハイデガーは人間の存在を深く研究し、その中で「死への存在」を重要な問題として考えた哲学者なのです。

この記事を読むとわかること

「死への存在」という言葉を調べていると、マルティン・ハイデガーという名前が出てきます。

でも、

「ハイデガーって、いったいどんな人なの?」

「どうして人間の『死』について考えたんだろう?」

「そもそも『死への存在』って、どういう意味なの?」

「この人は、死のことだけを研究していたのかな?」

そんな疑問を持ったことはありませんか。

この記事では、ハイデガーの生い立ちや学問の歩みをたどりながら、彼が何を明らかにしようとした哲学者なのか、そして、なぜ「死への存在」を論じたのかをわかりやすく説明します。

「死への存在」の基本的な意味はもちろん、その後の研究やナチ党との関わりについても紹介します。

読み終えるころには、なぜ「死への存在」を調べるとハイデガーの名前が出てくるのか、その理由と人物像がつながって理解できるはずです。

疑問が生まれた物語

「死への存在」を考えた人って?

学校の調べ学習の時間。

小学5年生の葵(あおい)と奏太(そうた)は、パソコンで哲学の言葉を調べていました。

「ねえ、奏太。『死への存在』っていう言葉を見つけたよ」

「死への存在? なんだか難しそうだね」

葵が説明を読み進めると、ある人物の名前が出てきました。

「マルティン・ハイデガー……。ドイツの哲学者なんだって」

「へえ。どうしてこの人は、人間の死について考えたんだろう?」

奏太は不思議そうに画面を見つめました。

「それに、ほかにはどんなことを研究していたのかな?」

「私も気になる。この人がどんな人生を送ったのか調べてみようよ」

二人は、ハイデガーの名前をノートに書き留めました。

マルティン・ハイデガーとは、いったいどんな人物だったのでしょうか。

そして、なぜ彼は「死への存在」を論じ、それが哲学において重要な考え方となったのでしょうか。

1 マルティン・ハイデガーとは?

マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger、1889年〈明治22年〉〜1976年〈昭和51年〉)は、20世紀のドイツで活動した哲学者です。

ドイツ南西部の町メスキルヒ(Meßkirch〈メスキルヒ〉)に生まれ、キリスト教のカトリック教会と深い関わりのある家庭で育ちました。

大学では初め、神や信仰について学ぶ「神学」を学び、その後、哲学の研究へ進みました。ドイツのフライブルク大学やマールブルク大学で哲学を教えながら、人や物が「存在する」とは、そもそもどういうことなのかを問い続けました。

代表作は、1927年(昭和2年)に発表した『存在と時間』(Sein und Zeit〈ザイン・ウント・ツァイト、ドイツ語で「存在と時間」〉)です。

この本では、「存在」の意味を明らかにするために、人間が周囲の人や物とどのように関わり、これからの可能性に向かって生きているのかを詳しく考えました。

そして、人間の存在を理解するには、今の生活だけでなく、これから起こりうることも考える必要があると論じました。その中で、誰にも代わってもらえない自分自身の死を、避けられない可能性として取り上げたのです。

「死への存在」を理解するうえでハイデガーが重要なのは、彼が「存在とは何か」という大きな問いを研究する中で、自分自身の死を、人間の存在に関わる重要な問題として位置づけたからです。

2 どのような環境で育ち、哲学を学んだのか?

ハイデガーが哲学を専門に研究するまでには、カトリック教会に支えられた学校生活と、司祭を目指す学びから進路を変えた経験がありました。

父親は地元の教会で礼拝の準備などを担当し、木の樽を作る職人でもありました。カトリックとは、キリスト教の大きな伝統の一つです。

1903年(明治36年)、ハイデガーは教会から学費などの援助を受け、故郷を離れてコンスタンツ(Konstanz、ドイツ南西部の都市)にある、大学進学に備える学校へ進みました。

1906年(明治39年)にはフライブルクの学校へ移ります。このころには、すでに哲学の本にも関心を持っていました。

当時、彼が目指していたのは、教会で礼拝を導き、人々の信仰を支える司祭(しさい)になることでした。

1909年(明治42年)、フライブルク大学に進み、神や宗教の教えを研究する神学を学び始めます。

しかし、健康上の問題も関わっていたとされ、1911年(明治44年)には司祭を目指すための学びをやめました。

その後も大学で学び続け、哲学に加えて、数学や自然科学にも取り組みました。自然科学とは、自然のしくみを観察や実験などを通して調べる学問です。

1913年(大正2年)、ハイデガーは、日本語で『心理主義における判断論』と訳せる論文によって、哲学の博士号を取得しました。博士号とは、専門的な研究の成果が大学に認められて授与される学位です。

心理主義(しんりしゅぎ)とは、論理的な判断の正しさを、人間の心の働きから説明しようとする考え方です。

ハイデガーは、人が実際にどのように判断するかということと、その判断が論理的に正しいかどうかは、どのような関係にあるのかを研究しました。

つまり、ハイデガーの哲学への道は、突然始まったものではありません。高校時代からの哲学への関心と、神学・数学・自然科学などの学びを経て、専門的な研究へと進んでいったのです。

3 どの哲学者から影響を受けたのか?

ハイデガーが「存在とは何か」という問題を考えるうえで、特に重要だったのが、アリストテレス、フランツ・ブレンターノ、エトムント・フッサールという3人の哲学者です。

まず、アリストテレス(Aristoteles、紀元前384〜322年)は、古代ギリシャで活動し、人や物の存在について深く研究した哲学者です。

アリストテレスは、「存在する」ということには、さまざまな意味があると論じました。

例えば、「目の前にりんごがある」ということと、「そのりんごは赤い」ということでは、りんごという物そのものと、その物が持つ特徴について説明しています。

これは理解を助けるための記事上の例ですが、アリストテレスは、このような違いも含めて、物事が「ある」とはどういうことなのかを考えました。

その考えを研究したのが、ドイツの哲学者フランツ・ブレンターノ(Franz Brentano、1838〜1917年)です。

ブレンターノは1862年(文久2年)、日本語に訳すと『アリストテレスにおける「存在するもの」のさまざまな意味について』という題名の研究書を発表しました。

1907年(明治40年)、高校生だったハイデガーは、この本を贈られます。

ハイデガー自身、後年、この本が「存在」の意味を考えるうえで重要な手がかりになったと振り返っています。

そして、もう一人、ハイデガーの研究方法に大きな影響を与えたのが、エトムント・フッサール(Edmund Husserl、1859〜1938年)です。

フッサールは、現在のチェコにあたる地域で生まれ、ドイツで活動した哲学者です。ブレンターノから哲学を学んだ経験もあり、「現象学(げんしょうがく)」という哲学の研究方法を確立しました。

現象学(ドイツ語:Phänomenologie〈フェノメノロギー〉)とは、私たちが物事をどのように経験しているのか、その経験のあり方を丁寧に調べる哲学の方法です。

例えば、目の前にある花を見ることと、その花を後から思い出すことでは、同じ花についてでも経験の仕方が異なります。現象学では、こうした経験がどのように成り立っているのかも考えます。

ハイデガーは、フッサールの著書『論理学研究』(Logische Untersuchungen〈ロギッシェ・ウンターズーフンゲン〉、1900〜1901年刊)を、1909年(明治42年)に大学で神学を学び始めたころから読んでいました。

この本は、正しい判断や考え方の根拠、私たちが物事を理解する経験などを哲学的に研究した著作です。

その後、ハイデガーはフッサールと同じフライブルク大学で活動し、1919年(大正8年)には、研究や授業を手伝う助手になりました。

ただし、ハイデガーは先人の考えをそのまま受け継いだわけではありません。現象学の方法も自分なりに考え直し、私たち人間が日常生活の中でどのように存在しているのかを研究していきました。

つまり、ハイデガーは、アリストテレスやブレンターノから「存在」に関する問いを学び、フッサールから現象学を学びながら、それらを自分自身で問い直すことで、独自の哲学を発展させていったのです。

4 なぜ「存在とは何か」を問い続けたのか?

ハイデガーが「存在とは何か」を問い直したのは、私たちは人や物が「ある」ことを普段から理解しているのに、そもそも「存在する」とはどういうことなのか、その意味は十分に明らかになっていないと考えたからです。

例えば、公園に一本の木があるとします。

その木の種類や高さ、どのように育つのかを調べれば、木について多くのことがわかります。

しかし、それは「どんな木なのか」を知ることです。

ハイデガーが問い直そうとしたのは、木や人などが「ある」とは、そもそもどういうことなのか、という問題でした。

哲学では、木や人、机など、存在しているそれぞれのものを「存在者(そんざいしゃ)」と呼びます。

それに対して、ハイデガーが問う「存在(Sein〈ザイン、ドイツ語で「あること」〉)」は、そうしたものが「ある」とはどういうことなのか、その意味に関わります。

つまり、存在する「もの」を調べることと、「存在すること」の意味を明らかにすることは、同じではないのです。

ただし、「存在」が木や人とは別に、どこかに隠れている特別な物だという意味ではありません。

古代ギリシャの哲学者たちも、存在について考えていました。

しかしハイデガーは、長い哲学の歴史の中で、存在の意味を根本から問い直すことが十分に行われなくなったと考えました。これは、過去の哲学に対するハイデガー自身の見方です。

そこで彼は、存在の意味を明らかにするために、まず人間に注目しました。

なぜなら、人間は周囲のものを理解し、それらと関わりながら生活するだけでなく、自分自身がどのように存在しているのかを考えることもできるからです。

ハイデガーは、そのような人間のあり方を詳しく調べることが、存在の意味を問い直すための重要な出発点になると考えたのです。

つまり、ハイデガーは、何が存在するかを調べるだけでなく、私たちが当たり前のように受け止めている「存在する」ということの意味を、根本から明らかにしようとした哲学者なのです。

5 『存在と時間』では何を明らかにしようとしたのか?

ハイデガーが『存在と時間』で目指したのは、人間がどのように存在しているのかを詳しく調べ、時間との関係を手がかりに、「存在する」とはどういう意味なのかを明らかにすることでした。

では、なぜ人間から調べ始めたのでしょうか。

それは、人間が周囲の物事を理解するだけでなく、自分自身がどのように存在しているのかを考えることもできるからです。

ハイデガーは、このような人間を「現存在(げんそんざい)」と呼びました。

ドイツ語ではDasein(ダーザイン、「そこにあること・存在」)といいます。

これは、単に人間の体がそこにあるという意味ではありません。自分自身の存在が自分にとって問題になり、周囲の人や物と関わりながら生きている私たちのあり方を示す言葉です。

例えば、友達と工作をするとき、はさみは単に目の前にある物ではなく、紙を切るための道具として役立ちます。

また、以前に覚えた作り方を生かし、これから作ろうとする形を思い浮かべながら、今、手を動かすこともあります。

これは理解を助けるための記事上の例ですが、人間が周囲の世界と関わり、過去の経験や未来の可能性とも結びつきながら活動していることがわかります。

ハイデガーは、こうした人間のあり方をさらに深く考えました。

私たちは、すでに置かれている状況の中で、これからの可能性に向かいながら、今の世界に関わっています。

ハイデガーは、この過去・現在・未来が切り離せない人間の存在のあり方を、「時間性(じかんせい)」という考え方で説明しました。

ドイツ語ではZeitlichkeit(ツァイトリヒカイト)といい、単に時計で測る時間ではなく、人間の存在そのものに関わる時間のあり方を意味します。

つまり、『存在と時間』は、人間が周囲の世界と関わり、時間と切り離せずに存在していることを調べ、その時間的なあり方を手がかりに、「存在」の意味を明らかにしようとした哲学書なのです。

そして、人間の存在をさらに詳しく考える中で、ハイデガーは「死への存在」という問題も論じました。

6 哲学における「死への存在」とは?

「死への存在」とは、人間が生きている今も、自分自身の死という避けられない可能性と切り離されずに存在している、そのあり方を表すハイデガーの哲学の考え方です。

ドイツ語では Sein zum Tode(ザイン・ツム・トーデ、「死へ向かう存在」という意味に近い言葉)といい、『存在と時間』で論じられました。

ここで大切なのは、ハイデガーが死を、単に命が終わる瞬間や、将来起こる出来事としてだけ考えたのではないことです。

私たちは生きている間、何かを学んだり、人と関わったり、これから何をするのかを選んだりできます。

しかし、死を迎えれば、そのように生きながら何かをすること自体ができなくなります。

ハイデガーは、死を、人間がこれから生きて何かをできるという可能性そのものが、不可能になる可能性として論じました。

また、学校の係や家の仕事なら、誰かに代わってもらえることがあります。

けれども、自分自身が死ぬということを、ほかの誰かに代わって経験してもらうことはできません。

誰かが亡くなったことを知り、その人を悲しむことはできても、その人の死を自分自身の死として経験するわけではないのです。

さらに、人間に死が訪れることは避けられませんが、それがいつなのかはわかりません。

だからこそハイデガーは、死を命が終わる瞬間だけの問題ではなく、まだ生きている今の自分自身にも関わる可能性として考えました。

ただし、これは死を望むことや、いつも死を怖がること、死ぬ時期を予想することを勧める考えではありません。

また、「後悔しないように毎日を大切に生きよう」という人生の教訓そのものでもありません。

つまり、「死への存在」とは、死をただ将来起こる出来事として考えるのではなく、自分自身の死という可能性が、生きている今の人間の存在にも関わっていることを表す哲学的な考え方なのです。

ここでは、ハイデガーという人物の研究の中で、「死への存在」がどのような考え方なのかを紹介しました。

「死への存在」という言葉そのものを、身近な例からもう少し詳しく理解したい方は、別の記事で、その意味や「死への先駆」との関係についても解説しています。

「死への存在」とは?意味と「自分の死」が生き方に関わる理由を詳しく読む

7 なぜハイデガーは「死への存在」を重要だと考えたのか?

ハイデガーが「死への存在」を重要だと考えたのは、人間の存在を全体として理解するには、これからの可能性だけでなく、その可能性には終わりがあることも考える必要があったからです。

私たち人間は、今の姿だけで決まる存在ではありません。

例えば、今は勉強している人も、これから何を学び、どのように生きていくかという可能性を持っています。

これは理解を助けるための記事上の例ですが、人間には、生きている限り、まだ実現していない未来の可能性があります。

では、そのような人間の存在を、どうすれば全体として理解できるのでしょうか。

ここに、ハイデガーが考えた難しい問題があります。

人間は生きている間、まだこれからの可能性を持っています。しかし、実際に死を迎えれば、本人はもう生きておらず、自分の存在の終わりを後から振り返ることもできません。

そこでハイデガーは、実際に死ぬことを待つのではなく、まだ生きている今、自分自身の死を可能性として理解することに注目しました。

ここでいう「全体として理解する」とは、その人の一生の出来事をすべて知ることではありません。

これからの可能性に向かって生きることと、いつかその可能性が終わることを切り離さずに、人間の存在のあり方を捉えるという意味です。

ハイデガーは、自分の死という可能性に先立って向き合うことを「死への先駆(せんく)」として論じました。

ドイツ語では Vorlaufen(フォーアラウフェン、「先に走る」という意味を持つ言葉)といい、死ぬ時期を予測したり、死の瞬間を思い描き続けたりすることではありません。

自分の死を、まだ起きていない可能性として理解し、その可能性から目をそらさずにいることです。

ハイデガーは、このように死を先駆して理解することが、周囲の人々の考えに任せきりにせず、自分自身の存在を自分のものとして引き受ける可能性にもつながると論じました。

ただし、これは他人を無視して生きることでも、死について考えれば必ず正しい人生の選択ができるという意味でもありません。

つまり、ハイデガーにとって「死への存在」は、限りある未来に向かって生きる人間のあり方を全体として理解し、自分自身の存在を引き受ける可能性を考えるための、重要な哲学的問題だったのです。

ここまで読んで、ハイデガーの考えを本でも確かめてみたいと思った方へ。

この記事の後半では、哲学を初めて学ぶ方から、ハイデガー本人の著作を詳しく読みたい方まで、理解の深さに合わせた4冊を紹介しています。

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8 『存在と時間』の後は何を研究したのか?

『存在と時間』の発表後も、ハイデガーは「存在とは何か」という問いを持ち続け、芸術・言葉・技術・歴史などを通して、研究をさらに発展させていきました。

1928年(昭和3年)には、フライブルク大学で、かつて学んだフッサールの後任として教授になりました。

1930年代には、人間のあり方を調べるだけでなく、物事が私たちにどのように現れ、理解されるのかという問題にも、いっそう注目するようになります。

例えば、芸術については、絵画や詩などの作品が、単に美しさや楽しさを与えるだけでなく、それまで気づかなかった世界の意味を明らかにする働きを持つと考えました。

また、言葉についても、考えを人に伝えるための道具というだけでなく、私たちが世界や物事を理解することに深く関わるものとして研究しました。

さらに、1953年(昭和28年)に講演し、1954年(昭和29年)に公刊した『技術への問い』(Die Frage nach der Technik〈ディー・フラーゲ・ナハ・デア・テヒニク、ドイツ語で「技術についての問い」〉)では、現代の技術と人間の物事の捉え方について考えました。

この文章でハイデガーが取り上げた例の一つが、ヨーロッパを流れるライン川です。

水力発電所によって電気を作るとき、川は電気を生み出すために利用できる水の力として捉えられます。

ハイデガーが問題にしたのは、単に発電所の仕組みや便利さではありません。

現代の技術が、自然や物事を、必要なときに利用できる資源として捉えるよう私たちに求めることに注目したのです。

このような研究の視点の変化は、「転回(てんかい)」と呼ばれます。

ドイツ語では Kehre(ケーレ、「向きを変えること」)といいます。

ただし、これは以前の哲学をすべて捨てたという意味ではありません。何がどの程度変化したのかについては、研究者の間でも解釈が分かれています。

つまり、ハイデガーは『存在と時間』の後も、「存在とは何か」という問いを持ち続け、人間のあり方だけでなく、芸術・言葉・技術などを通して、物事がどのように私たちに現れ、理解されるのかを考え続けた哲学者なのです。

9 ナチ党との関わりにはどんな問題があったのか?

ハイデガーには、ユダヤ人などへの差別や迫害を進めたナチ党に自ら入り、大学の責任者としてその政治を支持し、協力したという重大な問題があります。

ナチ党(正式名称「国家社会主義ドイツ労働者党」)は、ドイツの政治家アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler、1889年〈明治22年〉〜1945年〈昭和20年〉)が率いた政党です。

1933年(昭和8年)、ヒトラーはドイツの首相となり、国民の自由を奪い、反対する人々を力で押さえつける独裁政治を進めました。

ナチ党は、ユダヤ人などを差別し、仕事や学ぶ機会を奪うなどの迫害を行いました。

ユダヤ人とは、ユダヤ教という宗教や、共通の歴史・文化につながりを持つ人々です。ナチ党は、本人が何を信じているかにかかわらず、家族の出身などを理由にユダヤ人と決めつけ、差別しました。

その後、ナチス政権とその協力者は、約600万人のユダヤ人を組織的に殺害しました。

では、ハイデガーはこの政党とどのように関わったのでしょうか。

1933年(昭和8年)4月、ハイデガーはフライブルク大学の総長(大学の運営をまとめる責任者)となり、翌5月には自らナチ党へ入党しました。

そして、ナチ党の政治を支持する演説を行い、大学の運営も、その方針に合わせようとしました。

具体的には、1933年11月、大学総長として、ユダヤ人の学生などを大学からの経済的な援助の対象から外す方針を示しています。

これは、学生の学ぶ意欲や努力ではなく、家族の出身などを理由に、学び続けるための支援を受けにくくする差別的な行動でした。

1934年(昭和9年)4月、ハイデガーは大学総長を辞任しました。

しかし、総長を辞めたことは、ナチ党を離れたことを意味しません。彼は1945年(昭和20年)にナチス政権が崩壊するまで、党員であり続けました。

さらに、2014年(平成26年)から出版され始めた『黒いノート』(Schwarze Hefte〈シュヴァルツェ・ヘフテ、ドイツ語で「黒いノート類」〉)によって、新たな問題が明らかになりました。

これは、ハイデガーが1930年代以降、自分の哲学的な考えや社会について書き留めた、一連のノートです。

その中には、ユダヤ人について事実に基づかない決めつけや偏見を示す記述がありました。

このようなユダヤ人への偏見や差別を「反ユダヤ主義(はんユダヤしゅぎ)」といいます。

こうした考えが、ハイデガーの哲学のどの部分に、どの程度関係しているのかについては、現在も研究者の間で議論されています。

しかし、哲学との関係について解釈が分かれていても、彼がナチ党を支持し、差別的な方針に協力した事実や、偏見を含む文章を残した事実が変わるわけではありません。

つまり、ハイデガーという人物を正しく理解するには、哲学の研究で残した業績だけでなく、差別や迫害を進めた政治を支持したことと、その歴史的な責任についても知る必要があるのです。

10 後世の哲学にどのような影響を与えたのか?

ハイデガーの哲学は、人間を周囲の世界から切り離さずに考える視点などを通して、後の哲学者たちの研究に大きな影響を与えました。

その代表的な人物の一人が、ドイツの哲学者ハンス=ゲオルク・ガダマー(Hans-Georg Gadamer、1900年〈明治33年〉〜2002年〈平成14年〉)です。

ガダマーはハイデガーから哲学を学び、人間が物事をどのように理解するのかという問題を、さらに研究しました。

1960年(昭和35年)には『真理と方法(しんりとほうほう)』という著書を発表し、「解釈学(かいしゃくがく)」と呼ばれる哲学を発展させました。

解釈学とは、文章や歴史上の出来事などについて、人間がその意味をどのように理解するのかを研究する学問です。

例えば、昔の人が書いた手紙を読むとき、当時の暮らしを知らなければ、書かれている言葉の意味を十分に理解できないかもしれません。

しかし、その時代の生活や考え方を学ぶことで、同じ手紙から新しい意味がわかることがあります。

これは理解を助けるための記事上の例です。

ガダマーは、私たちが物事を理解するとき、それまでの知識や物の見方、歴史的な背景が関わっていることを重要視しました。

また、フランスの哲学者で作家のジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre、1905年〈明治38年〉〜1980年〈昭和55年〉)も、ハイデガーの研究から影響を受けました。

サルトルは1943年(昭和18年)の著書『存在と無(そんざいとむ)』で、人間の自由や、周囲の人々との関係などを詳しく考えました。

そして、人間がどのような状況で生き、何を選び、どう行動するのかを重視する「実存主義(じつぞんしゅぎ)」の哲学を発展させました。

ただし、サルトルがハイデガーの考えをすべて受け継いだわけではありません。

ハイデガー自身も、人間の自由を重視したサルトルの実存主義と、自分が進めてきた「存在」の意味を問う哲学には違いがあると指摘しました。

このように、ハイデガーの考えは、後の哲学者たちにそのまま受け継がれたのではなく、それぞれの問題意識に合わせて発展し、時には批判されてきたのです。

また、哲学に大きな影響を与えたという事実は、前の章で紹介したナチ党への協力を正当化するものではありません。

つまり、ハイデガーは、後の哲学者たちが人間の存在や理解のあり方を考え直すための重要な手がかりを残し、その思想が受け継がれると同時に、問い直され続けている哲学者なのです。

11 まとめ・考察

ハイデガーの生涯と哲学を知って、私が最も考えさせられたのは、人間の存在について深く考えることと、現実の生活で正しい判断ができることは、必ずしも同じではないということです。

ハイデガーは「存在とは何か」を問い続け、多くの哲学者に影響を与えました。

しかし、その一方で、ナチ党を支持し、差別的な政策に協力したという重大な事実もあります。

私は、この二つを知ったとき、哲学を深く学ぶことには大きな意味があっても、それだけで人が正しく行動できるとは限らないのだと感じました。

そして、「死への存在」について学んだことで、もう一つ考えたことがあります。

それは、自分自身の生き方について考えるとき、その選択がほかの人に何をもたらすのかも忘れてはいけないのではないかということです。

これは、ハイデガー本人が「死への存在」から導いた教えではありません。彼の哲学と生涯を知った、私自身の考察です。

例えば、尊敬している人の本を読んで、「なるほど、こんな考え方があるんだ」と感心した経験はないでしょうか。

その人の言葉が心に響くと、ほかの発言まで正しいように感じてしまうことがあるかもしれません。

でも、本当にそうでしょうか。

私は、どんなに尊敬している人の言葉でも、「なぜそう言えるのだろう」「その考えによって、不当に扱われる人はいないだろうか」と確かめることが大切だと思います。

これは、その人の考えを最初から否定するという意味ではありません。

納得できる部分には理由を見つけ、問題がある部分には、なぜ問題なのかを考えるということです。

では、ハイデガーのように優れた研究を残しながら、重大な問題のある行動もした人物を、私たちはどう受け止めればよいのでしょうか。

私なら、哲学の価値を考えることと、その人が行ったことの責任を問うことを、どちらも大切にしたいと思います。

研究で残した成果が、差別への協力を正当化することはありません。一方で、彼の思想を学ぶときには、何が論じられ、どこに問題があるのかを、根拠を確かめながら考えることができます。

そして、ここからは私自身への問いでもあります。

「私はどう生きたいのか」

その問いだけでなく、

「私の選択は、ほかの人に何をもたらすのだろうか」

この二つを一緒に考えられる人でありたいと思いました。

つまり、ハイデガーの生涯と哲学を通して私が学んだのは、優れた思想に触れて考えを深めることの大切さと、どれほど立派に聞こえる考えであっても、その根拠や現実の行動を自分自身で確かめることの大切さなのです。

おまけコラム

山小屋とスキーウェア、哲学者ハイデガーの意外な一面

哲学者と聞くと、たくさんの本に囲まれた部屋で、難しいことを考え続けている姿を想像するかもしれません。

ところが、ハイデガーには、少し意外な一面がありました。

彼が研究や執筆のために好んで利用した場所の一つは、大学の立派な研究室ではなく、山の中にある小さな小屋だったのです。

1922年(大正11年)、ドイツ南西部のシュヴァルツヴァルト(Schwarzwald、ドイツ語で「黒い森」)という山地に、小さな山小屋が建てられました。

場所は、トートナウベルク(Todtnauberg、ドイツ南西部にある山あいの村)の近くです。

ハイデガーは、その小屋を die Hütte(ディー・ヒュッテ、「その小屋」)と呼んでいました。

小屋には、台所を兼ねた居間、寝室、仕事をする部屋の三つがありました。

しかも、水道はなく、少なくとも最初の約10年間は電気も通っていなかったとされています。

現在の便利な生活を思い浮かべると、少し驚いてしまいますね。

それでもハイデガーは、この小屋を何度も訪れ、哲学の研究や著作の執筆に取り組みました。

そして、もう一つ面白い話があります。

実は、ハイデガーはスキーにも親しんでいました。

1929年(昭和4年)、スイスの山あいにあるダボス(Davos)で開かれた哲学者たちの集まりでは、スキーウェアを着たまま講演したこともあったと、哲学の専門事典に紹介されています。

難しい哲学を語る大学教授が、スキーウェア姿で人々の前に立っていたなんて、少し意外ではないでしょうか。

もちろん、山小屋で過ごしたことやスキーが好きだったことだけで、彼の哲学が生まれた理由を説明できるわけではありません。

しかし、こうした記録を知ると、難しい本の中に登場する哲学者にも、研究をする場所や、楽しみにしていた活動があったことが見えてきます。

つまり、ハイデガーは難しい哲学の研究に取り組む一方で、山の小屋で執筆し、スキーにも親しんでいた人物だったのです。

哲学者の名前だけでなく、その人がどのような場所で日々を過ごしていたのかを知るのも、人物を学ぶ楽しさの一つかもしれません。

さらに学びたい人へ

ハイデガーの生涯や「死への存在」について知ると、「人間はどのように生きているのか」「存在するとはどういうことなのか」といった疑問も、さらに深めたくなるかもしれません。

ここでは、小学生から大人まで、それぞれの理解度や関心に合わせて学べる4冊を紹介します。

小学生・哲学を初めて学ぶ人へ
『10歳の哲学 キミの人生につながる21の問い』 著者 齋藤孝

小学生や、哲学に初めて触れる人。
本の特徴
「自分とは何か」「死とは何か」など、身近な21の疑問を通して哲学を学べます。
おすすめ理由
ハイデガーの専門的な解説書ではありませんが、人間や死について自分で考える楽しさを知る、最初の一冊としておすすめです。

ハイデガーの哲学を一冊で学びたい人へ(全体におすすめ)
『ハイデガー入門』 著者 竹田青嗣

ハイデガーの考え方を、初めて一冊の本で詳しく学びたい人。
本の特徴
『存在と時間』から後期の哲学、ナチ党への関与まで、ハイデガーの思想を幅広く解説しています。
おすすめ理由
今回の記事で知った生涯と哲学のつながりを、さらに深く理解できる一冊です。小学生には難しい部分もありますが、大人の初学者が次に読む本としておすすめです。

『存在と時間』を詳しく学びたい人へ(中級者向け)
『ハイデガー哲学入門──『存在と時間』を読む』 著者 仲正昌樹

現存在、死への存在、時間の関係を、さらに深く理解したい人。
本の特徴『存在と時間』の重要な部分を読み解きながら、ハイデガーが何を問題にしたのかを説明します。
おすすめ理由
今回の記事を読んで生まれた疑問を、原典に近づきながら考え直せる一冊です。

ハイデガーの人生と思想全体を深く知りたい人へ
『ハイデガーの思想』 著者 木田元

ハイデガーの研究の歩みや、ナチ党との関係まで広く学びたい人。
本の特徴
思想の形成から『存在と時間』、後期の研究、ナチズムとの関わりまで扱います。
おすすめ理由
一つの哲学用語だけでなく、ハイデガーという人物の研究と歴史的な問題を、より深く理解する助けになります。

まず哲学に親しみたい人は①、ハイデガーの考え方を一冊で幅広く学びたい人は②、『存在と時間』を詳しく読みたい人は③、人物の生涯と思想をさらに深く知りたい人は④がおすすめです。

疑問が解決した物語

「死への存在」を考えた理由がわかった日

学校の調べ学習の時間。

葵(あおい)と奏太(そうた)は、ハイデガーについて調べたことを、ノートにまとめていました。

「ねえ、奏太。最初は、どうしてこの人が『死への存在』を考えたのか、不思議だったよね」

「うん。でも、死のことだけを研究していたわけじゃなかったんだね」

奏太はノートを見ながら続けました。

「ハイデガーは、『存在する』ってどういうことなのかを知りたかったんだ」

「そう。それで、人間がどんなふうに生きているのかを調べる中で、死についても考えたんだよね」

葵は、少し考えてから言いました。

「人間には、これからできることがたくさんある。でも、その可能性がいつまでも続くわけじゃないんだね」

「うん。だから、死を迎える前の、生きている人間のあり方を考えることが大切だったんだ」

二人は、調べ始めたときの疑問が、少しずつつながっていくのを感じました。

「それに、ハイデガーって、芸術や言葉、技術についても研究していたんだね」

「そうなんだよね。でも、ナチ党を支持して、差別的な政策に協力したこともあったんだ」

奏太は、ノートに書いた文章を見つめました。

「哲学についてすごい研究をした人だからって、その人の行動が全部正しかったわけじゃないんだね」

「うん。私は、いいと思った考えは学びたい。でも、その人が何をしたのかも、ちゃんと知っておきたいな」

葵はノートの最後に、二つの言葉を書きました。

「何を考えた人なのか」

「実際に何をした人なのか」

「これから誰かの考えを調べるときも、この両方を確かめてみようよ」

「いいね。自分で理由を調べて、考えるようにしたいな」

二人は、最初に書き留めた「マルティン・ハイデガー」という名前を、もう一度見つめました。

難しそうだったその名前が、今は少し身近に感じられました。

ハイデガーが「死への存在」を論じたのは、人間が限りある未来へ向かって生きる、その存在のあり方を理解するためだったのです。

そして二人は、一つの考えにたどり着きました。

優れた考えから学ぶことと、その人の行動が正しかったかを確かめること。その両方を忘れずにいたい。

では、あなたなら、尊敬する人の言葉に出会ったとき、どのように受け止めますか。

一つの考え方は、その言葉がなぜ正しいと言えるのかを調べるとともに、その人の実際の行動や、ほかの人に与えた影響にも目を向けることです。

そうすることで、誰かの考えをただ信じるのではなく、自分自身の理解を少しずつ深めていけるのではないでしょうか。

文章の締めとして

「死への存在」という、少し難しそうな言葉。

その意味を調べていくと、一人の哲学者が何を考え、どのような人生を歩んできたのかが見えてきました。

そこには、長い年月をかけて問い続けた哲学もあれば、目をそらしてはいけない過ちもありました。

一人の人物を知るということは、その人の立派なところだけでなく、間違いや、簡単には答えを出せない問題にも目を向けることなのかもしれません。

そして、何気なく出会った一つの言葉から、こんなにも多くのことを知ることができるのだと思うと、学ぶことが少し面白く感じられませんか。

この記事が、知らなかった言葉や人物に出会ったとき、「もう少し調べてみようかな」と思える小さなきっかけになれば、とても嬉しく思います。

補足注意

本記事は、筆者が個人で確認できる範囲の著作や研究資料などをもとに、ハイデガーの生涯と思想を整理したものです。

哲学上の考え方には研究者によって解釈が分かれる部分もあり、ここで紹介した説明がすべてではありません。

また、今後、新たな資料の発見や研究の進展によって、解釈や評価が見直される可能性もあります。

ただし、資料で確認されている歴史的事実と、解釈が分かれる問題は区別して紹介しています。

🧭 本記事のスタンス

この記事は、ハイデガーの思想について「これが唯一の正解」と決めつけるものではなく、読者が一人の哲学者に興味を持ち、自分自身で調べ、考えるための入り口として書いています。

本人が残した考え、研究者による解釈、筆者自身の考察を区別しながら、さまざまな立場からの見方にも目を向けていただければ幸いです。

一つの答えだけで終わらず、新しい疑問や発見へとつながるきっかけになれば嬉しく思います。

『存在と時間』に出会った今こそ、あなた自身の時間をかけて原典や研究書をひもとき、ハイデガーが問い続けた「存在」を、ただ「知る」から、自分で「問う」へと、さらに深く探究してみてはいかがでしょうか。

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました。

ハイデガーの生涯は、一人の人物を知ることの奥深さと、どんなに優れた考えに出会っても、そこで考えることを終わらせず、自分自身の問いを持ち続けることの大切さを教えてくれているのかもしれません。

参考資料・さらに調べたい方へ

ハイデガーの生涯や哲学について、さらに詳しく調べたい方のために、関連する著作や、大学・研究機関・博物館などが公開している資料を紹介します。

以下は、記事の内容について確認したいときや、さらに調べたいときの手がかりとなる資料です。筆者がすべての原典や研究資料を通読し、その内容を網羅的に検証したという意味ではありません。

マルティン・ハイデガー『存在と時間』Sein und Zeit、1927年(昭和2年)、Max Niemeyer Verlag。「存在とは何か」という問い、現存在、時間性、「死への存在」について、ハイデガー自身の考えを詳しく調べるための原典です。

マルティン・ハイデガー「技術への問い」Die Frage nach der Technik、1954年(昭和29年)刊行の論文集『Vorträge und Aufsätze』に収録。現代技術と、人間が自然や物事をどのように捉えるのかという問題について確認できる原典です。

スタンフォード哲学百科事典「Martin Heidegger」著者:Mark Wrathall。Stanford Encyclopedia of Philosophy、2025年(令和7年)公開。ハイデガーの哲学、『存在と時間』、後期の思想、ナチズムとの関係、後世への影響などを幅広く解説した学術資料です。

インターネット哲学百科事典「Martin Heidegger (1889–1976)」著者:W. J. Korab-Karpowicz。Internet Encyclopedia of Philosophy。ハイデガーの生涯、現象学、現存在、時間性、存在の研究などについて、さらに詳しく調べられます。

ドイツ歴史博物館「Martin Heidegger 1889–1976」LeMO(Lebendiges Museum Online)、ドイツ歴史博物館による人物年譜。生い立ち、大学での研究、著作の発表、ナチ党との関わりなど、ハイデガーの生涯の主な出来事を年代順に確認できます。

トーマス・シーハン「Heidegger and the Nazis」著者:Thomas Sheehan。The New York Review of Books、1988年(昭和63年)6月16日号。ハイデガーとナチ党との関係や、1933年(昭和8年)に大学で示された差別的な学生支援方針などについて詳しく調べられます。

米国ホロコースト記念博物館「ホロコーストについて」Holocaust Encyclopedia(ホロコースト百科事典)、米国ホロコースト記念博物館。日本語版あり。ナチス政権によるユダヤ人への差別や迫害、約600万人が殺害された歴史的背景について、公的な資料から確認できます。

アダム・シャー『Heidegger’s Hut』著者:Adam Sharr。MIT Press、2006年(平成18年)。ハイデガーが利用した山小屋についての研究書です。出版社の公開紹介ページでも、小屋の場所、造り、研究や執筆との関係などを確認できます。

インターネット哲学百科事典「Ernst Cassirer (1874–1945)」著者:Anthony K. Jensen。Internet Encyclopedia of Philosophy。1929年(昭和4年)のダボスでの哲学者たちの集まりや、ハイデガーがスキーウェア姿で講演したという逸話について確認できます。

これらの資料には、専門的な内容や、日本語以外で書かれたものも含まれています。

一つの資料だけで判断するのではなく、異なる資料や研究者の見方を比べながら読み進めることで、ハイデガーという人物と、その哲学への理解をさらに深めることができます。

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