5秒でわかる結論
『死への存在』とは、いつ訪れるかわからない自分の死と、切り離せずに生きている人間のあり方を表す哲学の考え方です。
噛み砕いて言うと
私たちは、今度の休みに何をしようか、来月はどこへ行こうかと、これからの予定を考えながら暮らしています。
そのとき、これからも自分の毎日が続いていくことを、ごく自然に思い浮かべているのではないでしょうか。
けれども、人間の命には必ず終わりがあり、それがいつ訪れるのかは誰にもわかりません。
そして、自分の人生を、ほかの誰かに代わって生きてもらうこともできません。
ドイツの哲学者マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger、1889〜1976年)は、人間が生きることと、自分の死という避けられない可能性は、切り離して考えられないと捉えました。
ここで大切なのは、毎日死を怖がったり、死ぬことばかり考えたりするという意味ではないことです。
いつか自分も死ぬということを、ただの知識ではなく、自分自身に関わることとして受け止める。そのことが、自分はどう生きるのかを考えることにもつながるのです。
この記事を読むとわかること
昔の写真を見返して、「あれから、もうこんなに時間がたったのか」と驚いたことはありませんか。
あるいは、誰かが亡くなったという知らせを聞いて、「自分の人生にも、いつか終わりが来るんだな」と、ふと考えたことはないでしょうか。
普段はあまり考えないことなのに、そんな瞬間には、自分が生きている時間について不思議な気持ちになるかもしれません。
また、進路や仕事など、大切なことを決めるときに、「みんながそうしているから」と選んだあとで、「本当は自分はどうしたかったのだろう」と感じることもあるでしょう。
こうした疑問は、一見すると別々の問題に見えます。
しかし、ハイデガーの哲学では、人間がいつか死ぬということと、自分自身の生き方をどう引き受けるかということが、深く関係しています。
この記事では、次の疑問を一つずつ解き明かしていきます。
「死への存在」とは、どういう意味なのか? なぜ人間は、自分の死という可能性と切り離して生きることができないのか。
ハイデガーは、なぜ人間の死を重要な問題として考えたのか? 自分の死が誰にも代わってもらえないことは、人間の存在とどのように関係しているのか。
なぜ私たちは、自分の死を遠い未来の出来事として考えるのか? ハイデガーが考えた「ダス・マン」とは何か。世間一般の考え方と、自分自身の生き方にはどのような関係があるのか。
「死への存在」は、人生を大切にするという教えなのか? 死を恐れることや、後悔しない人生を送ろうとすることと、ハイデガーの哲学にはどのような違いがあるのか。
この記事の主役は、ハイデガーが『存在と時間』で論じた「死への存在」という哲学の考え方です。
自分の死がなぜ人間の存在を理解するうえで重要なのかを学びながら、死と向き合うことが、自分自身の生き方を考えることとどのようにつながるのかを、一緒に考えていきましょう。
疑問が生まれた物語
10年後の自分に手紙を書くなら
放課後の教室で、小学5年生の結菜(ゆな)と陸(りく)は、「10年後の自分へ」という手紙を書いていました。
「10年後かあ。わたし、どんな大人になっているんだろう」
結菜は、白い便せんを見つめながら考えています。
「ぼくは世界中を旅行していたいな。いろんな国に行って、見たことのない景色を見たい!」
陸は楽しそうに鉛筆を走らせました。
結菜も笑いながら、将来やってみたいことを書き始めます。
けれども、途中でふと手を止めました。
「ねえ、陸。10年後って、当たり前に来ると思っているけど、10年後の自分が必ずいるとは限らないんだよね」
「えっ? どういうこと?」
「だって、人間はいつか死ぬでしょう。でも、それがいつなのかは誰にもわからないよね」
陸は、書きかけの手紙に目を落としました。
「そうか……。ぼく、10年後も普通に生きていると思って書いていたよ」
少し考えてから、陸が尋ねました。
「でもさ、いつか死ぬってことは、誰でも知っているよね。それをわざわざ考えることに、何か意味があるのかな?」
「わたしも、それが気になる。自分がいつか死ぬって考えると、今の生き方も変わるのかな?」
二人は、その疑問について調べてみることにしました。
学校の図書室で哲学の入門書を開くと、そこにはドイツの哲学者ハイデガーが考えた「死への存在」という言葉が紹介されていました。
「死への存在……?」
陸はその言葉をゆっくり読みます。
「人間はいつか死ぬっていう意味なのかな?」
結菜は、もう一度その言葉を見つめました。
「でも、それだけなら、みんな知っているよね。どうして哲学者は、わざわざこんな言葉を使って考えたんだろう?」
「死への存在」とは、いったい何を意味するのでしょうか。
そして、自分の死を考えることは、今を生きている私たちと、どのように関係しているのでしょうか。
1 死への存在とは何か?
「死への存在」とは、人間が、生きている今も、自分の死という避けられない可能性と関わりながら存在していることを表す哲学の考え方です。
この言葉は、ドイツ語の Sein zum Tode(ザイン・ツム・トーデ、「死に向かう存在」という意味に近い言葉)から来ています。
日本語では「死への存在」のほかに、「死に臨む存在」などとも訳されます。
ここでいう「存在」とは、ただ物がそこにあるという意味ではありません。
私たち人間が、何かを考えたり、行動したり、これからどう生きるかを選んだりしながら、この世界で生きていることに関係しています。
では、「死への存在」の「死」は、どのように関わってくるのでしょうか。
例えば、私たちは新しいことを学んだり、将来やってみたいことを考えたりします。
それは、自分がこれからも生きて、何かをできると思っているからです。
しかし、死を迎えれば、それまでのように新しいことを学んだり、自分で何かを選んだりして生き続けることはできなくなります。
ハイデガーは、死を単に命が終わる出来事としてだけでなく、自分がこれから生きて何かをすること、そのものができなくなる可能性としても考えました。
ここでいう「可能性」とは、死ぬか死なないかがわからないという意味ではありません。死は誰にも避けられず、いつ訪れるかもわかりません。
そして大切なのは、死が訪れるその瞬間だけでなく、まだ生きている今も、私たちはその可能性と切り離されていないということです。
だからこそ、「死への存在」は、死が近づいた人や、死について考えている人だけを指す言葉ではありません。
また、「死に向かう」という表現も、死ぬことを目標にしたり、早く死のうとしたりする意味ではありません。
つまり、「死への存在」とは、いつか死ぬという知識だけではなく、自分の死という可能性が、今を生きている自分にも関わっているという、人間のあり方を表す言葉です。
さらにハイデガーは、自分の死を、ただ「誰もがいつか死ぬ」という一般的な話として済ませるのではなく、誰にも代わってもらえない自分自身の可能性として引き受けることを重要視しました。
自分の死をそのように引き受けることは、周囲の人々の考えにただ従うのではなく、自分がどう生きるかを、自分自身の問題として引き受ける可能性を開くと考えたのです。
ただし、死を意識すれば必ず望みどおりの人生を送れるという意味ではありません。この関係については、後の章で詳しく説明します。
次の章では、この考えを論じたマルティン・ハイデガーが、どのような人物だったのかを紹介します。
2 マルティン・ハイデガーとは?どのような人物だったのか
マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger)は、「存在するとはどういうことなのか」という根本的な問いに取り組んだ、20世紀のドイツの哲学者です。
1889年(明治22年)9月26日、現在のドイツ南西部にあるメスキルヒという小さな町に生まれ、1976年(昭和51年)5月26日、ドイツのフライブルクで亡くなりました。
ハイデガーは、キリスト教の一つであるカトリックの信仰が身近にある家庭で育ちました。
父親は、木のたるを作る職人であると同時に、地元の教会で礼拝の準備や建物の世話などをする仕事にも携わっていました。
ハイデガーも若いころは、教会で宗教的な仕事をする道を考えていました。
1909年(明治42年)、ドイツ南西部のフライブルク大学に入り、神学(しんがく)などを学び始めます。
神学とは、神や信仰、宗教の教えについて研究する学問です。
その後、ハイデガーは哲学や数学、自然科学などへも学びを広げ、1913年(大正2年)には哲学の研究で博士号を取得しました。博士号とは、大学が専門的な研究成果を認めて授けるものです。
では、ハイデガーは哲学で何を知ろうとしたのでしょうか。
彼が中心的な問題として考えたのは、私たちが普段当たり前のように使っている「存在する」「ある」ということが、そもそも何を意味しているのかという問いでした。
このような問題を考える哲学の分野を、存在論(そんざいろん)といいます。
存在論は、単に何が存在しているのかを調べるだけではありません。
例えば、「教室に机がある」という事実を確認することと、そもそも机や人間が「存在する」とはどういうことなのかを考えることは、違う問いです。
ハイデガーは、こうした「存在する」ということ自体の意味を問い直そうとしました。
その研究で重要になったのが、現象学(げんしょうがく)という哲学の方法です。
現象学とは、私たちが物事を実際にどのように経験し、どのようなものとして理解しているのかを、丁寧に調べる哲学の方法です。
身近な例として、鉛筆を考えてみましょう。
鉛筆の長さや重さを調べることもできますが、普段の私たちは、鉛筆を文字や絵を書くための道具として使っています。
このように、物事が私たちの日常生活の中でどのような意味を持ち、どのように関わっているのかを考えることも、ハイデガーの研究を理解する手がかりになります。
これは説明のための例であり、ハイデガー本人がこの鉛筆の例を使ったという意味ではありません。
ハイデガーは、現象学を発展させた哲学者エトムント・フッサール(Edmund Husserl、1859〜1938年)のもとでも研究しました。
フッサールは、ドイツで活躍し、物事が私たちの経験にどのように現れるのかを研究した人物です。ハイデガーは1919年(大正8年)から、フライブルク大学でフッサールの助手として働きました。
その後、1923年(大正12年)にはドイツ中部のマールブルク大学で哲学を教えるようになります。
そして1927年(昭和2年)、代表作『存在と時間』(Sein und Zeit〈ザイン・ウント・ツァイト〉、「存在と時間」という意味)を発表しました。
『存在と時間』は、人間が日常生活の中でどのように生き、時間とどのように関わっているのかを詳しく考えることで、「存在する」ということの意味を明らかにしようとした哲学書です。
今回の記事で紹介する「死への存在」も、この本の中で論じられています。
翌1928年(昭和3年)、ハイデガーはフライブルク大学に戻り、哲学の教授として研究と教育を続けました。
ただし、彼の生涯には、哲学上の業績とは別に、見過ごすことのできない歴史的な問題もあります。
1933年(昭和8年)、ハイデガーはナチ党に入党し、フライブルク大学の総長になりました。
ナチ党とは、当時のドイツで独裁政治を進め、ユダヤ人をはじめとする人々への差別や迫害を行った政党です。
ハイデガーは総長として、大学をナチ党の方針に沿わせる動きに関わりました。
1934年(昭和9年)には総長を辞任しましたが、ナチ党には1945年(昭和20年)の政権崩壊まで所属していました。
こうした政治的な関わりは歴史的な事実であり、彼の哲学とどのような関係があるのかについても、現在まで研究や議論が続いています。
ハイデガーは、人間が日常生活で何を経験し、どのように生きているのかを手がかりに、「存在するとは何か」を問い直した哲学者です。
そして、その研究の中で、人間の存在を理解するには、自分の死という避けられない可能性についても考える必要があると論じました。
では、なぜ人間の存在を理解するために、死を考える必要があったのでしょうか。
次の章では、『存在と時間』でハイデガーがどのように考えを進めたのかをたどりながら、その理由を詳しく説明します。

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