『ちいかわ』第375話「パラレルワールド①」感想考察――何でもない日常が歪み始める、その最初の瞬間

感想

瓶笛で笑い合う、いつもの穏やかな時間。けれど、ひとつの虫刺されを境に日常は静かに歪み始めます。ハチワレの優しさ、ちいかわの生活力、そして最後に訪れる不穏な異変から、「パラレルワールド①」の入口を考察します。

『ちいかわ』第375話「パラレルワールド①」

今回の話を見終わって、私は「何か大変な事件が起きた」というよりも、今まで普通だった日常の中に、ほんの少しだけ異質なものが入り込み、そこから少しずつ世界が歪み始めたような印象を受けました。

しかも、その始まりはとても小さいのです。

ちいかわとハチワレが楽しく遊んでいる。

そこへ虫のようなものがやってくる。

ちいかわが刺される。

熱が出る。

ただそれだけと言えば、ただそれだけです。

しかしタイトルは「パラレルワールド①」。

このタイトルを知った状態で見ると、何気ない一つ一つの出来事が、これから起こることへの入口のように見えてきます。

今回は、そんな第375話を、実際に動画の中で起きていたことと、そこから私が感じたこと・考えたことを分けながら見ていきたいと思います。

最初の一枚絵から、すでに何かがおかしい

今回の最初の一枚絵に登場するのは、蜂のような姿をした生き物です。

黄色と黒を思わせる外見で、一見すると蜂のようにも見えます。

ところが、よく見ると普通の蜂とも違う。

特に気になるのが、口の先に針のようなものがあるように見えるところです。

ここで実際に分かることは、「虫のような正体不明の生き物が冒頭から提示されている」ということです。

ここからは私の考えですが、私はこの「蜂みたいなのに、蜂と言い切れない」という微妙な違和感そのものが、今回の話にとても合っていると思いました。

完全に知らないものなら、私たちは最初から警戒します。

しかし、知っているものに似ているのに、どこか違うもののほうが不気味です。

「分かりそうなのに分からない」。

その感覚が、これから始まるパラレルワールドという物語の入口として配置されているようにも感じます。

私たちが知っている世界によく似ている。

でも、何かが違う。

そう考えると、この虫の存在自体が、これから訪れる世界を小さく先取りしているようにも見えてきます。

瓶の音で遊ぶ、何でもない時間

その後、森の中ではちいかわとハチワレが瓶に息を吹き込み、音を鳴らして遊んでいます。

ハチワレは、フクロウになったような気分を楽しんでいるようで、ちいかわも一緒になって音を出しています。

二人とも実に楽しそうです。

特別な道具でもありません。

大きなイベントがあるわけでもありません。

ただ瓶に息を吹き込んで音を鳴らしているだけです。

でも私は、こういう場面こそ『ちいかわ』の大切な部分なのではないかと思っています。

何か高価なものがなくても、二人なら遊びを見つけられる。

その場にあるものを使って、ただ一緒に笑っている。

これだけで楽しい。

ある意味、とても豊かな時間です。

そして、これから不穏な物語に入っていくと考えると、この何でもない平和な時間が余計に愛おしく見えます。

私は今回、物語が始まる前にわざわざこうした平和な場面を置いていることに意味があるように感じました。

「壊れてほしくないもの」を先に私たちに見せているのではないでしょうか。

楽しい音から、突然「なんか虫!!」へ

そんな二人のところへ、冒頭に登場した虫のような生き物がやってきます。

そして、ちいかわの頭の上に乗ります。

ちいかわは驚き、ハチワレも「なんか虫!!」というように慌てて追い払おうとします。

ちいかわは手も足も激しくバタバタさせ、完全にパニック状態です。

この場面は単純に見ても、とてもコミカルです。

あまりにも必死な二人の動きがかわいい。

しかも、あれだけ慌てているのに、ちいかわが持っていた瓶を離していないように見えるのも面白いところです。

もちろん、これは単にアニメーション上の表現なのかもしれません。

ただ、少し深読みするなら、私は「ほんの数秒前まで楽しく遊んでいた時間」を、そのまま手に持ったまま異変に巻き込まれているようにも見えました。

楽しい時間と異変の間には、明確な境界線がない。

瓶を吹いて遊んでいた次の瞬間には、もう危険なものに刺されている。

人生の出来事も案外そうなのかもしれません。

「ここから大変なことが始まります」という合図が鳴るわけではなく、普通の日常の続きとして突然起こる。

その唐突さが、この短い場面の中に凝縮されているように感じます。

「刺された?」とすぐ心配するハチワレ

虫が飛び去ったあと、ハチワレはすぐにちいかわの状態を心配します。

ちいかわの頭は赤くなり、本人も泣いています。

するとハチワレは何かを思い出したように草むらへ入り、葉っぱを取ってきます。

そして、その葉っぱを頭に乗せると、かゆみが引くということをちいかわに教えます。

実際に動画の中で描かれているのは、ハチワレが自然の中から使える葉っぱを見つけ、それをちいかわのために持ってきたという行動です。

ここから私は、ハチワレの「生活する力」のようなものを感じました。

ハチワレは草むしり検定5級に合格しています。

だから植物について何らかの知識があるのかもしれません。

逆に、自然の中で生活してきた経験があるからこそ、草むしり検定にも強かったのかもしれません。

どちらが先なのかは分かりません。

しかし少なくとも、ハチワレには「この状況では、この自然のものが役に立つ」という知識があるように見えます。

しかも、その知識を自分のためではなく、すぐ友達のために使う。

ここがハチワレらしいところだと思います。

ハチワレの優しさは、「優しいことをしよう」と考えてから行動しているようには見えません。

困っているちいかわを見たら、自然に身体が動いている。

だからこそ、あの優しさには押しつけがましさがありません。

葉っぱを乗せたちいかわが柏餅のように見える

一方で、葉っぱを頭に乗せたちいかわの見た目は、どうしても柏餅のように見えてしまいます。

刺されて痛そうで、本人は泣いている。

本来なら心配するべき場面です。

それなのに、見た目はものすごくかわいい。

私は、この「深刻さとかわいさが同じ場面に普通に存在する」というところが、『ちいかわ』の面白さだと思っています。

怖い物語だからといって、急にすべてが暗くなるわけではない。

かわいいものは、かわいいままです。

しかし、かわいい姿のまま危険に巻き込まれていく。

だから余計に心配になる。

『ちいかわ』の不穏さは、「かわいさを消して怖くする」のではなく、「かわいさを残したまま怖くする」ところにあるのではないでしょうか。

「あとでキンカン塗ろッ」という言葉の安心感

その後、二人は森を歩いていきます。

ハチワレはちいかわに「あとでキンカン塗ろッ」と声をかけます。

ここも私は好きな場面です。

まず単純に、「この世界にもキンカンがあるんだ」と思ってしまいます。

体温計もある。

冷却シートもある。

ストローもある。

私たちが知っている日用品が普通に登場する。

『ちいかわ』の世界はファンタジーなのに、生活部分は妙に現実的です。

だから私は、あの世界を完全な異世界として見ることができません。

どこか私たちの生活と地続きに感じられるのです。

そして「あとでキンカン塗ろッ」というハチワレの言葉には、もう一つ重要なものを感じます。

この時点ではまだ、二人とも「虫に刺された」という日常の範囲で出来事を理解しているのではないでしょうか。

刺された。

かゆい。

葉っぱを乗せよう。

あとで薬を塗ろう。

対処法が分かっている世界です。

つまり、まだ世界は理解可能なのです。

しかし後半から、その「分かる世界」が少しずつ崩れていきます。

後半、ちいかわは一人で熱に向き合う

場面が変わると、ちいかわは自宅の布団の中にいます。

脇には体温計。

測定すると、表示は38.4度です。

少なくとも、ちいかわ自身はその数字を見て明らかに具合が悪いと判断しています。

「あーあ……」というような声を出すところも印象的です。

ちいかわは多くをしゃべりません。

だからこそ、一つの声の出し方や表情がとても重要になります。

今回の「あーあ」には、

「やっぱり熱が出ちゃった」

「嫌だなあ」

「しんどいなあ」

という複数の感情が全部入っているように私は感じました。

言葉が少ないからこそ、声や顔の表現をこちらが読み取ろうとする。

『ちいかわ』は、そうやって視聴者にキャラクターの気持ちを想像させる作品でもあるのだと思います。

38.4度という数字から見えてくる、ちいかわ族の身体

ここで少し気になったのが、38.4度という具体的な数字です。

人間にとっては明らかな発熱です。

そして、ちいかわ自身の反応を見る限り、ちいかわの世界でも38.4度は「具合が悪い体温」と認識されているようです。

もちろん、これだけでちいかわ族の平熱が人間と完全に同じだとは言えません。

ただ、人間とかなり近い身体感覚を持っている可能性は考えられます。

こういう細かな数字をあえて現実と共通させることで、私はちいかわの苦しさをより身近に感じました。

「架空の生き物が何かよく分からない病気になっている」ではなく、

「38.4度の熱がある」。

急に分かりやすくなります。

私たちにも経験がある数字だからです。

ファンタジーの世界なのに、苦しさだけは現実と同じ尺度で伝わってくる。

これも『ちいかわ』の世界を身近に感じさせる仕掛けの一つかもしれません。

ちいかわは、思っていた以上に自分のことを自分でできる

そして今回、私が特に印象に残ったのがここです。

ちいかわはつらそうにしながらも、布団から出ます。

冷却シートを用意します。

頭に貼ります。

水分も取ります。

さらに、枕元に飲み物を置いておきます。

そして最後にクマのぬいぐるみを抱えます。

一通り必要なことを済ませてから、もう一度布団に入るのです。

ちいかわというと、泣いたり、怖がったり、ハチワレやうさぎに助けられたりする場面が多いため、どうしても「守られる存在」という印象を持ちやすいと思います。

しかし今回を見ると、決して何もできないわけではありません。

むしろ、一人で生活しているからこそ、自分が体調を崩したときに何をしなければならないのか、きちんと分かっているように見えます。

38.4度ある。

だから冷やす。

水分を取る。

飲み物を手の届く場所へ置く。

休む。

「具合が悪い」と泣くだけではなく、やれることをやっている。

私はここに、ちいかわの強さを感じました。

強いというのは、怖がらないことでも、泣かないことでもないのかもしれません。

怖くても、つらくても、その中で自分にできることを一つずつやる。

それも十分に「強さ」なのだと思います。

ハチワレは自然、ちいかわは家――それぞれ違う生活の知恵

今回の前半と後半を続けて見ると、もう一つ面白い対比があるように思いました。

前半では、ハチワレが自然の中から葉っぱを見つけ、ちいかわを助けます。

後半では、ちいかわが家にある冷却シートや体温計、水などを使い、自分で体調を整えます。

私はここに、二人の「生活環境から身についた能力の違い」が見えるような気がしました。

ハチワレは外の環境や植物を利用する知識がある。

ちいかわは自分の家の中で生活するための道具や、日常的なセルフケアをよく分かっている。

どちらが優れているという話ではありません。

それぞれの暮らしの中で、それぞれ違う知恵を身につけている。

だから一緒にいると、お互いに足りないものを補える。

そう考えると、ちいかわとハチワレの友情は、単に性格が合うから成立しているだけではなく、「違うこと」そのものが二人の強さになっているようにも感じます。

過去の看病が、今度はちいかわ自身を助けている

そして冷却シート。

これは以前、シーサーが発熱したときのものを思わせます。

もし同じものが残っていたのだとしたら、私はそこにも『ちいかわ』らしい生活の連続性を感じます。

以前は誰かを看病するためにあったものが、今度は自分が具合を悪くしたときに役立つ。

物語の中で使った道具が、その回だけで消えてしまうのではなく、生活の中にちゃんと残っている。

そういう小さな描写があると、「このキャラクターたちはエピソードとエピソードの間にも生活しているんだ」と感じられます。

そして少し広く考えるなら、

誰かのために用意したもの。

誰かを助けた経験。

誰かを看病した記憶。

そうしたものが巡り巡って、今度は自分を助けることもある。

そんなふうにも私は感じました。

必要なものを全部そろえた最後に、クマのぬいぐるみを抱く

ちいかわは冷却シートを貼り、水分を用意します。

そして最後に、クマのぬいぐるみをギュッと抱きしめます。

ここが今回、私はとても好きでした。

冷却シートは身体のため。

水分も身体のため。

では、クマのぬいぐるみは何のためなのでしょう。

おそらく、身体を治すためのものではありません。

心のためなのだと思います。

ちいかわは「身体を治すために必要なもの」だけではなく、「一人で寝るときの不安を少し和らげてくれるもの」までちゃんと準備している。

私はそこがとても人間らしいと思いました。

しっかりしている人だって寂しい。

自分のことを自分でできる人だって、心細いものは心細い。

「自立していること」と「何かに安心を求めること」は矛盾しません。

むしろ、自分が何をすれば少し安心できるのかを知っていることも、一つの生活の知恵なのではないでしょうか。

冷却シート、水、そしてクマちゃん。

ちいかわにとっては、その全部が「今の自分に必要なもの」なのだと思います。

ふわふわの布団と不穏な世界

準備を終えたちいかわは、クマのぬいぐるみを抱きながら、ふわふわの布団へ潜り込みます。

枕元にはちゃんと飲み物があります。

ここまでは、「熱が出てしまったから今日は休もう」という、ごく普通の病気の場面です。

ところが、ここから急に雰囲気が変わります。

天井が歪み始めます。

ピンク色のようなモヤがかかっていきます。

ちいかわの目もどこかうつろになります。

苦しそうに「うー……」とうなりながら、その異変の中へ引き込まれていくように見えます。

そして音楽や音の雰囲気も、それまでとは違って不穏になります。

実際の映像から確実に分かるのは、「高熱を出したちいかわの視界の中で、天井や周囲が普通ではない見え方をし始めた」というところまでです。

それが単なる高熱による意識の混濁なのか。

夢なのか。

幻覚なのか。

それともタイトル通り、本当に別の世界への入口なのか。

この時点では断定できません。

だからこそ怖いのだと思います。

最初は「分かる異変」、最後は「分からない異変」へ

今回の話全体を振り返ると、とてもきれいに異変の種類が変化していることに気づきます。

最初は虫に刺される。

これは分かります。

葉っぱを乗せる。

キンカンを塗ろうとする。

これも分かります。

熱が出る。

体温計で測る。

冷却シートを貼る。

水分を取る。

ここまでも、全部私たちが知っている対処法です。

つまり、物語のほとんどは「原因と対処法が理解できる世界」で進んでいます。

ところが最後だけ違います。

天井が歪む。

ピンクのモヤが現れる。

世界がおかしく見える。

ここには、もう体温計も冷却シートもキンカンも答えを持っていません。

「どうすればいいのか分かる世界」から、「何が起きているのかさえ分からない世界」へ変わったのです。

私は、この境目こそが今回の「パラレルワールド①」の一番怖いところなのではないかと思っています。

音にも「日常から異常へ」という流れがある

もう一つ、今回を見ていて面白いと思ったのが「音」です。

最初、ちいかわとハチワレは瓶に息を吹き込み、自分たちで音を鳴らして遊んでいます。

これは楽しい音です。

後半になると、体温計が「ピピピ」と鳴ります。

これは身体の異常を知らせる音です。

そして最後には、不穏な音とともに世界が歪んでいきます。

最初は、自分たちが作り出した楽しい音。

次は、道具が教えてくれる警告の音。

最後は、正体の分からない世界から聞こえてくるような不穏な音。

これは意図された演出なのかは分かりません。

しかし私は、音の役割まで少しずつ変化しているように感じました。

楽しく音を鳴らしていた二人の日常が、いつの間にか「何かがおかしいことを知らせる音」に包まれていく。

そう考えると、冒頭の楽しい瓶笛の場面が、より一層切なく見えてきます。

世界そのものが歪むからこそ怖い

最後の場面では、ちいかわ自身の顔立ちはいつものシンプルな造形のままなのに、その周囲や天井のほうが歪んでいきます。

私はこれも面白いと思いました。

ちいかわ自身が突然怪物になるわけではありません。

ちいかわは、ちいかわのままです。

変わってしまったように見えるのは「世界の側」です。

自分は変わっていないつもりなのに、周りの世界のほうがおかしくなっていく。

これはかなり怖いことです。

しかも本人は高熱で弱っています。

自分で冷却シートも貼った。

水も飲んだ。

休む準備もした。

やるべきことは全部やった。

それなのに、それではどうにもならないものがやってくる。

私はここに、今回のパラレルワールド編の恐怖の始まりを感じました。

「ちゃんとやれば大丈夫」という日常のルールが、ここで初めて通用しなくなり始めるのです。

「かわいい」と「怖い」が同時に成立する回

今回を見て私が強く感じたのは、「かわいい」と「怖い」が交互に出てくるのではなく、最初から最後までずっと同居しているということです。

瓶笛で遊ぶ二人はかわいい。

虫に慌てる姿もかわいい。

葉っぱを頭に載せたちいかわもかわいい。

「あーあ……」と熱を嘆く姿もかわいい。

クマのぬいぐるみを抱く姿は、とても愛おしい。

でも、その全部の先に不穏なものが待っています。

だから、かわいい場面を見れば見るほど、

「このままでいてほしい」

という気持ちが強くなる。

そして「このままではいられない」とタイトルが先に教えてしまっている。

私は、この感情こそ『ちいかわ』の長編エピソード独特の魅力なのだと思います。

見たい。

でも見たくない。

続きが気になる。

でもこの平和な時間が終わってほしくない。

そんな矛盾した感情を同時に抱かせるくらい、私たちはすでにちいかわたちの日常そのものを好きになっているのだと思います。

コメント欄では、このようなことが多く書かれていました

今回の動画のコメント欄では、まず「ついにパラレルワールド編が始まってしまった」「待っていたけれど怖い」「楽しみなのに見たくない」といった、期待と恐怖が入り混じった反応が非常に多く見られました。

原作を知っている人からは、これから登場するハチワレの印象的な姿やセリフがアニメではどのように表現されるのか、特にハチワレ役の田中誠人さんが現在の声でどう演じるのかを楽しみにする声が多くありました。

一方で、映画をきっかけに『ちいかわ』を知った人たちが、原作既読者の不穏な反応を見て「何が始まるのだろう」と身構えている様子も見られました。

今回の本編そのものについては、葉っぱを頭に載せたちいかわが「柏餅みたいでかわいい」という感想、38度を超える熱があるにもかかわらず自分で冷却シートや水分を準備する姿を「偉い」と評価する声、クマのぬいぐるみを抱きしめる姿を愛おしく感じる声も多くありました。

また、以前シーサーが発熱した際の冷却シートが残っていたのではないかという過去のエピソードとのつながりに注目する意見、ハチワレが葉っぱの効能を知っていることを草むしり検定や普段の生活経験と結びつける意見、最後の映像や音からすでに不穏さを感じ取る意見などもありました。

さらに、映画から入った新しいファンと、この先を知っている原作ファンとの反応の温度差そのものを面白がる声や、テレビ番組側の出演者が最後の異変に警戒している様子を楽しみにしている人も見られました。

つまりコメント欄全体でも、「かわいい」「偉い」「優しい」という今回のちいかわたちへの愛情と、「とうとう始まってしまった」「怖い」「でも見たい」というこれからの物語への緊張感が、同時に存在していたように思います。

今回の動画が教えてくれるかもしれないこと

今回の第375話を見て、私が最後に一番強く感じたのは、「何でもない日常は、何でもないからこそ大切なのかもしれない」ということです。

瓶を吹いて友達と遊ぶ。

虫に刺された友達を心配する。

知っている葉っぱを取ってきてあげる。

あとで薬を塗ろうと声をかける。

熱が出たら体温を測る。

水を飲む。

冷却シートを貼る。

心細いから、大切なぬいぐるみを抱いて眠る。

どれも大きな出来事ではありません。

しかし、こうした小さな行動の一つ一つが、私たちの「普通の日常」を作っているのだと思います。

そして今回、その日常の中にほんの小さな虫が入り込んだところから、少しずつ世界がおかしくなっていきました。

だから私は、パラレルワールド編の恐ろしさは、単に怖い世界が出てくることだけではないと思っています。

その前に、私たちが失いたくないと思える日常を、これだけ丁寧に見せてくれている。

ちいかわとハチワレが一緒に笑っていること。

友達が自然に友達を心配すること。

自分がつらいとき、自分にできることを一つずつやること。

そして、それでも心細いときには、自分を安心させてくれるものを大切にすること。

そういう小さなことの価値を知っているからこそ、その日常が歪み始める瞬間が怖く感じられるのではないでしょうか。

同時に、今回のちいかわの姿を見ていると、「強さ」というものについても少し考えさせられます。

強いというのは、怖がらないことでも、泣かないことでもない。

つらいときに、自分が今できることを一つずつやってみること。

そして、自分一人では足りない部分を、友達の知恵や優しさ、あるいは大切なぬいぐるみのような存在に支えてもらうこと。

人は一人ですべてをできなくてもいいし、違う力を持った誰かと補い合うこともできる。

そして何より、いつもそこにある小さな平穏を「当たり前」と思わず、大切にすること。

今回の『ちいかわ』第375話「パラレルワールド①」は、これから大きく動き出す物語の入口であると同時に、そんな「何でもない日常の大切さ」と、「つらいときにも自分にできることを一つずつやっていくことの強さ」を、私たちに教えてくれるのかもしれません。

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