5秒でわかる結論
哲学で「超人」を考えるとき、ニーチェが重要なのは、ニーチェ自身が『ツァラトゥストラはこう語った』の中で「超人」を重要な人間像として語ったからです。
つまり、哲学における「超人」を知るには、まずニーチェが何を考えていた人物なのかを知ることが大切です。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844〜1900年)は、「今まで正しいとされてきた価値を問い直し、人はどう生きるのか」を考えた19世紀のドイツの哲学者です。
代表例
「超人 哲学」と調べると、ニーチェの名前が出てきます。
それはなぜでしょうか。
ニーチェ自身が、『ツァラトゥストラはこう語った』で「超人」を重要な人間像として語ったからです。
『ツァラトゥストラはこう語った』(ツァラトゥストラはこうかたった)は、ニーチェが1883年から1885年にかけて発表した哲学的・文学的な著作です。
そこでÜbermensch(ユーバーメンシュ、日本語では一般に「超人」)が、今の人間を完成したものとせず、その先を考えるための人間像として語られます。
だから「超人」を知ろうとすると、
「そもそも、ニーチェってどんな人だったの?」
という疑問につながるのです。
1.こんなことを考えたことはありませんか?
「みんなが正しいと言っているけれど、本当にそうなのかな?」
「今まで信じていたものを信じられなくなったら、どうすればいいんだろう?」
そんな疑問を考えたことはないでしょうか。
ニーチェも、ヨーロッパで長く受け入れられてきた道徳や宗教の価値を、そのまま当然とは考えませんでした。
「なぜ、それを正しいと思うのか」まで問い直した哲学者だったのです。
ここから、ニーチェという人物を見ていきましょう。
2.疑問が生まれた物語
中学2年生のユウは、「超人」という言葉を調べていました。
すると、何度も同じ名前が出てきます。
フリードリヒ・ニーチェ。
ユウは不思議に思いました。
「超人を調べているのに、どうしてこの人が何度も出てくるんだろう?」
調べてみると、ニーチェは大学で研究をしていた人物で、その後『ツァラトゥストラはこう語った』の中で超人を語ったことがわかりました。
そこで、次の疑問が生まれます。
「ニーチェは、どんな人生を歩んだ人だったんだろう?」
ここからが、今回の記事の本題です。
3.小学生にもわかりやすく言うと、ニーチェってどんな人?
ニーチェは、
「今まで大切だと言われてきたことを、そのまま信じるだけでいいのかな?」
と考えた哲学者です。
そして、
「今までの答えが信じられなくなったら、人はこれからどう生きればいいのだろう?」
ということも考えました。
その中でニーチェが語ったのが、「超人」です。
だから、哲学の「超人」を調べると、ニーチェの名前が出てきます。
ニーチェは、「超人」という考えを知るために、とても大切な哲学者なのです。
では、そんなニーチェは、どんな人生を送った人だったのでしょうか。
ここから、もう少し詳しく見ていきましょう。
4.まず知っておきたいニーチェの基本プロフィール
ここからは、もう少し詳しく見ていきましょう。
名前
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
1844年(天保15年)10月15日に生まれ、1900年(明治33年)8月25日に亡くなりました。
19世紀に活動した、ドイツの哲学者・古典文献学者として知られています。
どこで生まれたの?
ニーチェは、当時のプロイセン王国にあったRöcken(レッケン)で生まれました。
現在のドイツにあたる地域です。
父親は、ルター派の牧師でした。ニーチェの父がルター派の牧師だったことは、スタンフォード哲学百科事典でも確認できます。
ルター派とは、16世紀のドイツで宗教改革を進めたマルティン・ルター(1483〜1546年)の考えを受け継いで成立した、キリスト教のプロテスタントの一派です。
プロテスタントとは、16世紀の宗教改革をきっかけに、ローマ・カトリック教会から分かれて成立していったキリスト教の教派をまとめた呼び方です。
ルター派では、人が救われるのは、自分の行いによって救いを勝ち取るからではなく、神の恵みを信仰によって受けるからだという考えを特に大切にします。
つまりニーチェは、子どものころからキリスト教が身近にある家庭で育ったということです。
この家庭環境は、のちにニーチェがキリスト教や道徳について何を考えたのかを見るときにも、知っておきたい背景の一つです。
最初から哲学者だったの?
大学での専門や仕事を見ると、ニーチェは最初から哲学者として出発したわけではありません。
ニーチェは大学で、はじめは神学と古典文献学を学び、その後、古典文献学を専門にしていきました。
神学とは、神とは何か、信仰とは何か、聖書や宗教の教えをどう理解するのかを、文献や歴史、考え方を手がかりに学ぶ学問です。
つまり、ただ「神を信じるための勉強」という意味ではありません。
キリスト教の教えや聖書について、
「どのように理解されてきたのか」
「どんな考え方があるのか」
「神や人間について、何が語られているのか」
を学び、考えていく学問です。
古典文献学とは、古代ギリシャやローマなどに残された古い文章を、言葉の意味や写本、当時の歴史的背景などを調べながら、できるだけ正確に読み解く学問です。
つまり、ただ昔の本を読むのではありません。
残された文章を比べながら、文章がどのように伝わってきたのか、言葉が当時どのような意味で使われていたのかを確かめ、できるだけ正確に読み解く学問です。
ニーチェは1869年(明治2年)、24歳でスイスのバーゼル大学の古典文献学の教授職に就きました。
つまり、学者としてのニーチェは、まず古典文献学者として出発したのです。
ただし、哲学に関心がなかったわけではありません。
学生時代のニーチェに大きな影響を与えた哲学者の一人が、アルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer、1788年〔天明8年〕〜1860年〔万延元年〕)です。
ショーペンハウアーは19世紀ドイツの哲学者で、人間がなぜ欲し続け、苦しむのか、そして芸術にはその苦しみとどのような関係があるのかなどを考えました。
ニーチェが1865年(慶応元年)、ライプツィヒで読んだのが、ショーペンハウアーの代表作、
ライプツィヒは、現在のドイツ東部にある都市です。
ニーチェはこの時期、ライプツィヒ大学で古典文献学を学んでいました。
そのライプツィヒで読んだのが、ショーペンハウアーの代表作、
『Die Welt als Wille und Vorstellung(ディー・ヴェルト・アルス・ヴィレ・ウント・フォアシュテルング、日本語では一般に『意志と表象としての世界』)』です。
ニーチェは古書店でこの本を手に取り、強い衝撃を受けたことを、後に振り返っています。
では、どんな本なのでしょうか。
この本でショーペンハウアーは、世界を大きく「表象」と「意志」という二つの面から考えました。
ここでいう表象とは、簡単に言えば、私たちが見たり聞いたり考えたりすることで、私たちの前に現れている世界のことです。
一方の意志とは、ふつうの「私はこれをやろう」という意思だけを意味しません。
ショーペンハウアーは、生命や世界の奥には、何かを求め続け、動き続けようとする、目的を持たない根本的な力があると考え、それを「意志」と呼びました。
この考えでは、人間は何かを求めます。
手に入れても、また別のものが欲しくなります。
そのためショーペンハウアーは、求め続けることと苦しみが深く結びついていると考えました。
しかし、それだけではありません。
音楽や悲劇などの芸術に向き合っているときには、いつも何かを欲しがる状態から一時的に離れることができる、とも考えました。
若いニーチェが強くひきつけられたのも、こうした人間の苦しみ、世界のあり方、そして芸術が人間にとって持つ意味までを、一つの哲学として考えようとするところでした。
ニーチェは後に、この本について、自分自身や世界を映し出す鏡を見たような強い衝撃を受けたと振り返っています。また『反時代的考察』の「教育者としてのショーペンハウアー」では、ショーペンハウアーを、自分のために書いてくれたかのように感じたと述べています。
ただし、ここは誤解しないように注意が必要です。
ショーペンハウアーの一冊を読んで、ニーチェが初めて哲学に興味を持った、と確認できるわけではありません。
ニーチェにはすでに哲学への関心がありました。
より正確には、
ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』との出会いによって、ニーチェの哲学への関心がさらに強まり、その後の考え方にも大きな影響を受けた
と理解するのが適切です。
そしてニーチェは、ショーペンハウアーの考えを一生そのまま信じ続けたわけでもありません。
若いころには強く影響を受けましたが、のちにはその考えの一部を批判し、自分自身の哲学を作っていきます。
ですから、正確に言うと、
「最初から哲学を職業にしていたわけではない。しかし、古典文献学を研究しながら哲学にも関心を持ち、ショーペンハウアーとの出会いによって、その関心をさらに深めていった」
というのが、若いころのニーチェに近い姿です。
何を考えた哲学者なの?
ニーチェは、特にヨーロッパで長く受け入れられてきた道徳やキリスト教、そのほかの価値観を問い直しました。
ここでいう「問い直す」とは、
「気に入らないから反対する」
ということではありません。
「その価値は、なぜ正しいとされているのか」「どのように生まれたのか」「その価値は人間に何をもたらすのか」を調べ、考え直すことです。
ニーチェは、科学的な実験で道徳を調べたわけではありません。道徳や価値がどのように生まれ、変化してきたのかを、歴史や言葉、人間の心理について考えながら検討しました。詳しい方法は、後の章で実際の著作とともに見ていきます。
「超人」とは、どんな関係があるの?
ニーチェと「超人」の関係は、とても直接的です。
先ほど紹介した『ツァラトゥストラはこう語った』で、ニーチェはÜbermensch(ユーバーメンシュ、「超人」)を実際に語っています。
作品の中では、
「人間は、今のままで完成した存在ではない」
という考えと結びつけながら、超人が示されます。
つまり超人は、あとから誰かがニーチェに結びつけた言葉ではありません。
ニーチェ自身が、人間はこれからどのようなあり方を目指せるのかを考える中で語った人間像の一つです。
そのため、哲学における「超人」を知ろうとすると、ニーチェの考えを避けて通ることはできません。
ただし、ここで一つ注意が必要です。
ニーチェが考えたことのすべてを、「超人」という一つの言葉だけで説明できるわけではありません。
研究上も、「超人」がニーチェ哲学全体でどこまで中心的な位置を持つのかについては、解釈が分かれています。
それでも、『ツァラトゥストラはこう語った』で超人が重要な人間像として語られていることは確かです。
だからこそ、
「ニーチェは何を問題だと考え、なぜ今の人間をそのまま完成したものとは考えなかったのか」
を知ることが、超人を理解する手がかりになります。
ただ、その人生をたどる前に、一つ確認しておきたいことがあります。
ここまで何度も出てきた、
「超人」とは、そもそもどのような人間像なのでしょうか。
ニーチェの人生と思想の変化を見る前に、まずは「超人」という言葉の基本的な意味を、ここで一度整理しておきましょう。
5.ここで確認|ニーチェが語った「超人」とは?
ここで一度、
「そもそも、ニーチェが語った『超人』って何なの?」
という疑問に答えておきましょう。
Übermensch(ユーバーメンシュ、日本語では一般に「超人」)は、空を飛んだり、特別な力を持ったりするヒーローのことではありません。
先ほど紹介した『ツァラトゥストラはこう語った』で、ニーチェは人間について、今のままで完成した存在ではなく、「乗り越えられるべきもの」として語ります。
つまりニーチェは、
「今の人間のあり方を、そのまま最終地点だと考えてよいのか」
という問題を投げかけたのです。
では、「乗り越える」とは何でしょうか。
単に、
「もっと強くなる」
「もっと頭がよくなる」
「ほかの人より上に立つ」
という意味ではありません。
『ツァラトゥストラはこう語った』では、自分自身を乗り越えていくことが大切な主題として繰り返し現れます。専門的な研究でも、この作品は「自己克服」という問題と深く結びつけて読まれています。
さらにニーチェの哲学全体では、
「これまで正しいと思ってきた価値を、そのまま受け入れてよいのか」
という問いと、
「では、そのあと何を大切にして生きるのか」
という問いが重要になります。
研究上では、超人について、自分自身を乗り越えていくこと、既存の価値にただ従うのではなく新しい価値を生み出すこと、生を肯定することなどとの関係から理解する解釈があります。
ただし、ここは大切です。
ニーチェ本人が、「超人とは、この条件を満たした人のことである」と辞書のような一つの定義を残したわけではありません。
また、「超人」がニーチェ哲学全体でどこまで中心的な考えなのかについても、研究者の間で解釈が分かれています。『ツァラトゥストラはこう語った』では重要な人間像ですが、その後の著作ではこの言葉はほとんど使われなくなります。
そのため、ここまでの原典と研究上の解釈をもとに、このブログでまず押さえておきたい意味をまとめると、
超人とは、今の人間を完成したものと考えず、それまでの自分や受け継いだ価値を乗り越えながら、その先の人間のあり方を考えるために、ニーチェが『ツァラトゥストラはこう語った』で提示した人間像
と理解すると、まずはつかみやすいでしょう。
これは、ニーチェ本人が残した一文の「公式な定義」ではありません。
『ツァラトゥストラはこう語った』の記述と、研究上の解釈をもとに、超人の基本的な意味を理解しやすく整理した説明です。
では、ニーチェはどうして、このような「今の人間を乗り越える」という問題を考えるところまで進んだのでしょうか。
ここからは、ニーチェの人生と著作の変化をたどりながら、その背景を見ていきましょう。
6.ニーチェは、どんな人生を歩んだのか
第4章では、ニーチェが牧師の家庭に生まれ、古典文献学者として研究者の道を歩み始めたこと、そしてショーペンハウアーから大きな影響を受けたことまで見てきました。
ここでは同じ説明を繰り返さず、
その後、ニーチェの考えがどのように変わっていったのか
に注目してみましょう。
大切なのは、人生の出来事と哲学を、簡単に原因と結果で結びつけないことです。
実際に起きた出来事と、その時期に書かれた著作を一緒に見ることで、ニーチェの変化をたどっていきます。
27歳――『悲劇の誕生』で、学問の枠からはみ出し始める
1872年(明治5年)、27歳のニーチェは、最初の本を発表しました。
**『Die Geburt der Tragödie(ディー・ゲブルト・デア・トラゲーディー、日本語では一般に『悲劇の誕生』)』**です。
これは古代ギリシャの悲劇を手がかりに、
人間は苦しみのある世界を、どのように受け止めて生きることができるのか
を芸術や文化との関係から考えた本です。
ここには、第4章で紹介したショーペンハウアーの影響も強く表れています。
しかし、この本は古典文献学の研究者から厳しい批判も受けました。
当時の研究者から見ると、歴史的な証拠の扱いが十分ではなく、古代ギリシャについての研究から芸術や現代文化についての大きな主張へ進みすぎている、と受け取られたためです。
つまりこのころから、
古い文章を研究するニーチェだけでなく、「人間や文化はどうあるべきなのか」を考えるニーチェが、はっきり姿を見せ始めます。
ワーグナーに「新しい文化」の可能性を見る
若いニーチェに大きな影響を与えたもう一人の人物が、
**Richard Wagner(リヒャルト・ワーグナー、1813年〔文化10年〕〜1883年〔明治16年〕)**です。
ワーグナーは19世紀ドイツの作曲家・劇作家で、音楽だけではなく、物語や舞台などを一つに結びつけた大規模な芸術を目指した人物です。
ニーチェは1868年(明治元年)にワーグナーと知り合いました。
二人には、先ほど紹介したショーペンハウアーの哲学に強くひかれていたという共通点もありました。
当時のニーチェは、ワーグナーの音楽を単に「すばらしい音楽」と考えていたわけではありません。
芸術には、人々の生き方や文化そのものを変える力があるのではないか。
その可能性を、ワーグナーに見ていました。
先ほど紹介した『悲劇の誕生』にも、その期待が表れています。
ところが、二人の関係はずっと続いたわけではありません。
尊敬していたワーグナーから離れていく
ニーチェは、しだいにワーグナーの芸術や文化への考え方から距離を取るようになります。
ここで、
「ある一つの出来事が原因で二人が決裂した」
と考えるのは正確ではありません。
ニーチェ自身の考えが変化する中で、ワーグナーとの違いも少しずつ大きくなっていきました。研究上も、ニーチェが初期のワーグナー的な理想そのものを捨てたのか、それともワーグナー本人がその理想から外れたと感じたのかについては、簡単には決められません。
1878年(明治11年)、ニーチェは、
『Menschliches, Allzumenschliches(メンシュリヒェス・アルツーメンシュリヒェス、日本では一般に『人間的、あまりに人間的な』)』
を発表します。
これは宗教・道徳・芸術・文化・人間の心理などを、短い文章を積み重ねながら検討した本です。
この著作は、ニーチェの文章の書き方や哲学が大きく変化した転機として位置づけられています。
ここで見えてくるのは、
ニーチェは、強く尊敬した人物の考えであっても、そのまま一生信じ続けたわけではなかった
ということです。
影響を受ける。
そこから学ぶ。
それでも、もう一度問い直す。
この変化は、ニーチェという人物を理解するうえで大切です。
大学を離れ、移動しながら書く生活へ
ニーチェは以前から、激しい頭痛、目の不調、吐き気などに悩まされていました。
症状が悪化したため、1879年(明治12年)、34歳でバーゼル大学を退職します。
その後は、体調に合う気候を求めて各地を移動しながら生活しました。
冬にはNice(ニース、現在のフランス南東部にある地中海沿岸の都市)、夏にはSils Maria(シルス・マリア、スイスの山あいにある村)などで過ごしています。
大学という決まった場所を離れても、ニーチェは書くことをやめませんでした。
1881年(明治14年)には**『曙光』(しょこう)**を発表します。
これは、私たちが当然だと思っている道徳的な判断について、その背景にある人間の心理や成り立ちを考えた本です。
1882年(明治15年)には、**『悦ばしき知識』(よろこばしきちしき)**を発表します。
ここでも宗教、道徳、知識、人生をどう受け止めるのかといった問題が、さらに深く考えられていきます。
大学教授ではなくなったあとも、哲学者としてのニーチェの思考は止まらなかったのです。
そして『ツァラトゥストラはこう語った』へ
その流れの中で、1883年(明治16年)から1885年(明治18年)にかけて書かれたのが、先ほど紹介した**『ツァラトゥストラはこう語った』**です。
ここで注目したいのは、超人の意味そのものではありません。
第4章ですでに見たように、「超人」はこの作品の中で語られています。
ここで新しく見えてくるのは、
その作品を書くまでに、ニーチェ自身の考えが大きく変化していたことです。
若いころには、ショーペンハウアーから強い影響を受けました。
ワーグナーにも、新しい文化を生み出す力を期待しました。
しかしその後、二人から受け取った考えをそのまま守り続けるのではなく、自分自身で問い直していきます。
さらに大学を離れたあとも、宗教・道徳・価値について考え続けました。
ただし、
「ワーグナーと離れたから超人を考えた」
「病気になったから超人を考えた」
と、一つの出来事から思想の原因を決めることはできません。
人生をたどることで見えてくるのは、超人が生まれた一つの原因ではありません。
ニーチェが、他人から受け取った答えを何度も問い直しながら、「人間はこれからどう生きるのか」という自分自身の問題へ進んでいった過程です。
そして、その先に『ツァラトゥストラはこう語った』がありました。
『ツァラトゥストラ』のあと
ニーチェはその後も、道徳や宗教、価値についての著作を書き続けます。
しかし1889年(明治22年)、イタリア北部のTorino(トリノ)で深刻な心身の崩壊を起こし、それ以降はまとまった哲学的著作を書くことができなくなりました。
この崩壊の医学的な原因については複数の説があり、現在も一つに確定していません。
1900年(明治33年)、ニーチェは55歳で亡くなりました。
こうして人生全体を見ると、
ニーチェの哲学は、一つの考えを最初から最後まで繰り返したものではなく、影響を受け、考え直し、書き方まで変えながら進んでいった
ことが見えてきます。
7.なぜニーチェは「超人」を考えるうえで重要なの?
ここまで人生をたどったことで、記事の最初よりも一歩深いことが見えてきます。
ニーチェが重要なのは、「超人」という言葉を使ったからだけではありません。
ニーチェは、宗教や道徳など、それまで人々の生き方を支えてきた価値を問い直しました。
しかし、
「今までの価値は、そのまま絶対だとは言えない」
と考えるだけでは、問題は終わりません。
むしろ、そのあとに新しい問いが生まれます。
これまで頼りにしてきた答えが揺らいだとき、人間は何を目指して生きるのか。
これが重要です。
ニーチェの「超人」は、ただ「強い人」を説明するために突然出てきた言葉ではありません。
これまでの価値を問い直したあと、人間はどのような存在になっていけるのかを考える中で語られた人間像です。
だからこそ、超人という言葉だけを辞書のように調べても、十分には理解できません。
ニーチェが、
「何を問題だと考えていたのか」
「それまでの価値のどこを問い直したのか」
「そのあと、どのような問題が残ったのか」
まで見ることで、超人がなぜ語られたのかが見えやすくなります。
ただし、ここでも注意が必要です。
「超人がニーチェ哲学のすべてである」という意味ではありません。
超人がニーチェ思想全体でどこまで中心的な位置を持つのかについては、研究上も解釈があります。
それでも、『ツァラトゥストラはこう語った』で超人が重要な人間像として語られていることは確かです。
つまり、
ニーチェを知ることで、「超人とは何者なのか」だけではなく、「なぜそのような人間像を考える必要があったのか」まで見えてくる。
ここに、哲学における「超人」を考えるとき、ニーチェが重要である理由があります。
8.人生をたどると見えてくる「ニーチェという人」の3つの特徴
ここまでの経歴と著作の変化から、ニーチェという人物について三つの特徴が見えてきます。
これは性格を推測したものではありません。
確認できる経歴と著作の変化から整理したものです。
影響を受けても、そのまま従い続けない
ショーペンハウアーにも、ワーグナーにも、ニーチェは強く影響を受けました。
しかし後には、その考えの一部を批判します。
学ぶことと、問い直すことを両立させた人物だったと見ることができます。
考える内容だけでなく、書き方まで変えた
古典文献学者として始まったニーチェは、やがて道徳、宗教、芸術、人間の心理へと問いを広げました。
文章も、学術的な本だけではありません。
短い文章を積み重ねたり、『ツァラトゥストラはこう語った』では物語や比喩を使ったりします。
問いが変わるにつれて、その問いを表す方法まで変えていったのです。
自分自身の過去まで問い直した
1886年(明治19年)、ニーチェは先ほど紹介した『悲劇の誕生』の新版に、
「自己批判の試み」
という序文を加えました。
若いころの自分の著作を、後の立場から見直したのです。
ニーチェにとって問い直す対象は、
他人の考えだけではありません。
自分が以前に考えたことまで、もう一度考え直す対象になりました。
9.ニーチェについて誤解しやすいこと
ニーチェ自身が「超人」だったわけではない
ニーチェが超人を語ったからといって、
ニーチェが自分自身を「超人」と名乗った、という意味ではありません。
『ツァラトゥストラはこう語った』では、ツァラトゥストラという登場人物を通して超人が語られています。
作者であるニーチェと、作品の中で語られる超人を、そのまま同じものとして扱うことはできません。
「強い人が弱い人を支配すればいい」という意味だけではない
「超人」という日本語だけを見ると、
「人より強い人」
「人の上に立つ人」
と考えたくなるかもしれません。
しかし、それだけでは十分ではありません。
『ツァラトゥストラはこう語った』では、自分自身を乗り越えていくことも重要な問題として語られています。
ただし反対に、
「ニーチェは、ただ前向きに自己成長しようと言っただけ」
と理解するのも正確ではありません。
ニーチェの著作には、人間の平等や階層について現代の読者が問題を感じる箇所もあり、その意味については研究上さまざまな議論があります。
超人については、一つの短い言葉だけで決めつけず、原典の文脈まで見ることが大切です。
「ニーチェ=ナチズム」と単純に考えない
ニーチェについて調べると、ナチズムとの関係が出てくることがあります。
ナチズムとは、20世紀のドイツでナチ党を中心に展開された、独裁や人種主義などを含む政治思想・運動です。
ニーチェが著述できなくなった後、妹の**Elisabeth Förster-Nietzsche(エリーザベト・フェルスター=ニーチェ、1846年〔弘化3年〕〜1935年〔昭和10年〕)**が、兄の原稿や著作の管理に大きく関わりました。
エリーザベト自身には強い反ユダヤ主義的な立場があり、彼女の編集が後世のニーチェ像を歪めた部分があることは、研究上確認されています。
反ユダヤ主義とは、ユダヤ人を集団として差別したり敵視したりする考えや運動のことです。
また20世紀には、ニーチェの思想がナチズムやファシズムによって利用されました。
しかし、
「だからニーチェ本人がナチズムを教えた」
とするのは正確ではありません。
一方で、
「すべて妹のせいで、ニーチェ本人には問題のある記述がまったくなかった」
とするのも正確ではありません。
ニーチェは当時の反ユダヤ主義運動を批判していましたが、ユダヤ教、人種、階層などをめぐる彼自身の記述をどのように評価するかについては、現在も研究上の議論があります。
本人の文章と、後世による政治的な利用を分けて考える必要があります。
10.おまけコラム|哲学者ニーチェは、実は音楽も作っていた
ここまで、哲学者としてのニーチェを見てきました。
最後に少しだけ、別の角度から見てみましょう。
実はニーチェは、文章を書くだけでなく、自分で音楽も作っていました。
これは「哲学者だから、きっと音楽も好きだっただろう」という推測ではありません。
ニーチェの楽譜そのものが、現在も残っています。
Klassik Stiftung Weimar(クラシック・シュティフトゥング・ヴァイマル)は、ドイツのヴァイマルで文学・芸術に関する歴史資料を保存・研究している文化財団です。
そのGoethe- und Schiller-Archiv(ゲーテ・シラー文書館)には、ニーチェが残した楽譜の原稿が保存されています。
公式資料では、ニーチェが残した作曲作品は70曲を超えるとされています。学生時代には友人と演奏するためのピアノ曲を作り、ピアノ舞曲、ソナタ、歌曲、合唱曲なども書いていました。(klassik-stiftung.de)
もちろん、
「ニーチェは哲学者ではなく、本当は作曲家だった」
という意味ではありません。
学者としては古典文献学から出発し、のちに哲学者として大きな影響を残した人物です。
それでも、音楽は若いころだけの一時的な趣味ではありませんでした。
ニーチェの人生を通して音楽は重要なものであり、実際に作曲を続けた時期もありました。文書館には、1861〜1862年ごろに作られた交響詩の草稿なども残っています。(klassik-stiftung.de)
このことを知ると、
「なぜ若いニーチェはワーグナーの芸術にあれほどひかれたのだろう?」
という疑問も、少し身近に感じられます。
ただし、
ニーチェ自身が音楽を作っていたことだけを理由に、ワーグナーへの思想的な影響まで説明することはできません。
音楽への強い関心は、ニーチェという人物を知るための一つの背景です。
哲学書を書いた人物にも、
音楽を弾き、
曲を作り、
芸術について考えていた時間がありました。
そう考えると、「哲学者ニーチェ」という少し遠い人物が、少しだけ人間らしく見えてくるのではないでしょうか。
11.さらに学びたい人へ|ニーチェをもっと知るための本
ここまで読んで、
「もう少し知りたい」「実際の本にも進んでみたい」
と思った人のために、次に読みやすい本を紹介します。
まずは14歳前後から読んでみたい人へ
『14歳からの哲学入門 「今」を生きるためのテキスト』 飲茶 著
哲学をほとんど読んだことがなく、「ニーチェだけでなく、そもそも哲学ってどう考えるの?」というところから知りたい人向けです。
本の特徴
ニーチェ、デカルト、カント、キルケゴール、サルトルなどの哲学を、14歳ごろに抱きやすい疑問と結びつけながら紹介する入門書です。
おすすめ理由
「超人という言葉だけを覚える」のではなく、
なぜ今までの常識を疑うのか。そこから哲学はどう始まるのか。
というところから考えられます。
ニーチェを一冊で広く知りたい人へ
『ニーチェ入門』 竹田青嗣 著
今回の記事を読んで、ニーチェの生涯だけでなく、「超人」「永遠回帰」「ニヒリズム」「力への意志」などをまとめて知りたくなった人向けです。
本の特徴
ニーチェの生涯、ショーペンハウアーやワーグナーとの関係、『悲劇の誕生』、キリスト教批判、ニヒリズム、超人、永遠回帰、力への意志などを一冊で扱っています。
おすすめ理由
ニーチェのさまざまな考えが、どのようにつながっているのかを見渡すことができます。
ただし、これはニーチェ本人の原典ではなく、竹田青嗣による解釈を含む入門書です。
そのため、「これが唯一のニーチェ解釈だ」と考えるのではなく、原典や別の研究書と比べながら読むと、さらに理解が深まります。
原典で「超人」を確かめたい中級者へ
『ツァラトゥストラはこう言った 上・下』 フリードリヒ・ニーチェ 著 氷上英廣 訳
解説書だけではなく、「ニーチェ本人は、実際にどのように超人を語っているのだろう?」と原典まで確かめたくなった人向けです。
本の特徴
今回の記事で何度も登場した『ツァラトゥストラはこう語った』そのものを、日本語訳で読むことができます。物語や比喩を使った独特の文章で語られます。
おすすめ理由
解説者ではなく、ニーチェ本人の文章を確かめられることです。
ニーチェは、「超人とは○○です」と教科書のように順番に説明してくれるわけではありません。物語や比喩の中から、自分で意味を考えながら読む必要があります。
迷ったら、どれを選べばいい?
哲学そのものが初めてなら→『14歳からの哲学入門』
ニーチェ全体を一冊で知りたいなら→『ニーチェ入門』
ニーチェ本人の「超人」を確かめたいなら→『ツァラトゥストラはこう言った』
という選び方がわかりやすいでしょう。
大切なのは、最初から難しい本を全部理解しようとすることではありません。
「この本では、ニーチェがどんな問題を考えているのだろう?」
という一つの問いを持って読むことです。
13.まとめ・考察
ニーチェを知ったあと、私たちは何を考えられるのか
ここまで、
「なぜ哲学における超人を考えるとき、ニーチェが重要なのか」
という問いから、ニーチェの人生や思想の変化をたどってきました。
ニーチェは、最初からすべての答えを持っていた人物ではありません。
人から大きな影響を受け、
そこから学び、
やがて、その考えまで問い直していきました。
そして『ツァラトゥストラはこう語った』では、人間を今のままで完成した存在とは考えず、その先のあり方を考える中で「超人」を語りました。
ここからは、この記事で見てきたことを、私たちの日常に引き寄せた考察です。
ニーチェ本人が、これから挙げる日常の例について直接語ったという意味ではありません。
「影響を受けること」と「自分で考えること」は反対ではない
この記事を通して見えてきたことの一つは、
誰かから影響を受けることと、自分で考えることは、必ずしも反対ではない
ということです。
私たちは、何もないところから自分の考えを作るわけではありません。
家族。
先生。
友人。
本。
インターネット。
自分より先に生きた人たち。
いろいろなところから、「こうするのが正しい」「こう生きるのが幸せだ」という考えを受け取っています。
問題は、影響を受けることそのものではありません。
受け取った答えを、自分でもう一度確かめることができるか。
そこが大切なのではないでしょうか。
これは、今回の記事から私が考えた一つの見方です。
自由とは、誰からも影響を受けないことではなく、
自分が何から影響を受けているのかを知ったうえで、それをもう一度、自分で選び直せること
とも考えられます。
こんな経験はありませんか?
たとえば、
「いい学校へ行った方がいい」
「安定した仕事を選んだ方がいい」
「みんなと同じようにしておいた方が安心だ」
と言われて、
自分でも「そういうものなんだ」と思っていたとします。
ところが、ある日、
「自分は、本当にこれを望んでいるのかな?」
と疑問を持つ。
そんな経験はないでしょうか。
ここで大切なのは、
「今まで教えられたことは全部間違っていた」
と反対することではありません。
まず、
「自分は、なぜこれを正しいと思っているのだろう?」
と確かめてみることです。
誰から聞いたのか。
どんな理由で納得したのか。
その考えによって、自分は何を得られるのか。
反対に、何か見えなくなっているものはないか。
そこまで考えて初めて、
「それでも私は、この考えを大切にしたい」
という答えになることもあります。
反対に、
「今の自分には、もう合わないかもしれない」
と気づくこともあるでしょう。
問い直すことは、必ず捨てることではありません。
考え直したうえで、もう一度同じものを選ぶことも、自分で考えた一つの答えです。
「超人」を知ると、問いの向きが少し変わる
「超人」という言葉を見ると、
「どうすれば普通の人よりすごくなれるの?」
と考えてしまうかもしれません。
しかし、今回見てきたニーチェの問題を踏まえると、少し違う問いが見えてきます。
「ほかの人より上に行けるか」ではなく、
「今の自分や、受け取ってきた価値をそのまま完成だと思ってよいのか」
という問いです。
ここから見ると、超人は単なる「勝者」の名前ではなくなります。
それまでの答えが揺らいだあと、人間はどのようなあり方へ進めるのかを考えるための問い
として見えてきます。
ただし、これは超人についての唯一の定義という意味ではありません。
『ツァラトゥストラはこう語った』の記述と研究上の解釈を踏まえ、この記事全体を通して見えてきた一つの理解です。
あなたなら、何を問い直しますか?
では最後に、一つだけ考えてみてください。
あなたが今、「これは当たり前だ」と思っていることの中に、誰かから受け取った答えはありませんか?
もし見つかったとしても、すぐに否定する必要はありません。
まず、
「なぜ自分はこれを正しいと思っているのだろう?」
と考えてみてください。
そして次に、
「誰にも期待されていなかったとしても、自分はもう一度これを選ぶだろうか?」
と考えてみる。
もし「それでも選びたい」と思えるなら、その考えは以前よりも自分自身の答えに近づいているかもしれません。
もし「わからない」と思ったなら、それも失敗ではありません。
「わからない」と気づいたところから、自分で考えることが始まります。
ニーチェを知ることのおもしろさは、「ニーチェの答えをそのまま信じること」だけにあるのではありません。
ニーチェが問い続けた人物だったことを知ることで、
今度は私たち自身が、「自分はなぜ、これを正しいと思っているのだろう」と問い返せるようになること。
そこにも、哲学を読む意味の一つがあるのではないでしょうか。
14.疑問が解決した物語
第2章で、「超人」を調べていた中学2年生のユウは、何度も出てくるニーチェの名前を見て、
「どうして『超人』を調べると、この人が出てくるんだろう?」
と疑問に思っていました。
そして、
「ニーチェは、どんな人生を歩んだ人だったんだろう?」
という新しい疑問も持ちました。
記事を最後まで読んだユウは、最初に考えていた「超人」のイメージが少し変わっていました。
「超人って、ものすごく強い人とか、ほかの人よりすごい人って意味じゃなかったんだ」
ニーチェ自身が『ツァラトゥストラはこう語った』で「超人」を語ったこと。
そして、今の人間をそのまま完成したものと考えず、その先の人間のあり方を考える中で「超人」が語られたこと。
そのため、哲学の「超人」を知ろうとすると、ニーチェを避けて通ることができない。
ユウは、最初の疑問への答えをようやくつかみました。
「だから『超人』を調べると、ニーチェが出てきたんだ」
さらに、ニーチェの人生を知ったことで、もう一つ印象に残ったことがありました。
ニーチェは、ショーペンハウアーやワーグナーから大きな影響を受けました。
しかし、尊敬した相手の考えを、そのままずっと信じ続けたわけではありません。
学びながら、
考え、
自分でもう一度問い直していきました。
ユウは、少し前の自分を思い出しました。
進路について家族から、
「できるだけ安定した道を選んだ方がいいよ」
と言われたことがありました。
ユウ自身も、
「たぶん、それが正しいんだろう」
と思っていました。
でも、今回の記事を読んだあと、少し考え方を変えてみることにしました。
「反対する必要はない。でも、どうしてそれがいいと思うのかは、自分でも考えてみよう」
そして紙に、
「なぜ安定した方がいいと思うのか」
「自分は何を大切にしたいのか」
「家族の考えで納得できるところはどこか」
「自分では違うと思うところはあるか」
と書き出してみました。
すぐに答えが出たわけではありません。
それでもユウは、
「誰かの答えをそのまま信じること」と「何でも反対すること」の間に、自分で確かめて考えるという道もある
ことに気づきました。
これは、ニーチェ本人が「進路についてこう考えなさい」と述べたという意味ではありません。
ここでのユウの行動は、この記事で学んだ内容を日常へ引き寄せた、架空の例です。
それでもユウにとって、「超人」という言葉は、もう最初に思っていたものとは違って見えていました。
「誰かに勝つ人のことじゃなくて、今までの答えをそのまま完成だと思わず、その先を考えるための言葉なんだな」
もちろん、これだけで「超人」のすべてを説明できるわけではありません。
けれど、
なぜニーチェが超人を考えるうえで重要なのか。
その問いについて、ユウは自分なりの答えを持てるようになりました。
そして最後に、自分へもう一つ問いかけました。
「自分が今『当たり前』だと思っているものの中で、もう一度考えてみたいことは何だろう?」
あなたなら、何を思い浮かべるでしょうか。
ここでの答えは、
「今まで教えられたものを全部捨てる」
ことではありません。
一つの考え方としては、
まず、なぜ自分がそれを正しいと思っているのかを確かめる。
そのうえで、
納得できるなら自分で選び直し、疑問が残るならさらに考えてみる。
それで十分です。
哲学は、すぐに正解を出すためだけのものではありません。
自分がすでに持っている答えを、もう一度自分の問いとして考え直せるようになること。
ユウにとって、ニーチェを知ったことで得た一番大きな変化は、そこにありました。
15.文章の締めとして
ニーチェの人生をたどってみると、
哲学者というのは、最初から答えを知っている人ではないのだと感じます。
誰かの考えに強くひかれることもある。
信じていたものに疑問を持つこともある。
それまでの道を離れなければならないこともある。
そして、そのたびに、
「では、自分はどう考えるのか」
と、もう一度問い直していく。
ニーチェの「超人」という言葉も、答えだけを覚えるより、
そこにたどり着くまで、ニーチェが何を問い続けたのか
を知ることで、少し違って見えてくるのではないでしょうか。
私たちも、今信じていることを、これからずっと同じように考え続けるとは限りません。
でも、それは必ずしも悪いことではありません。
考えが変わることも、
迷うことも、
一度立ち止まることも、
自分で考え続けているからこそ起こることがあります。
だからこそ、哲学は遠い昔の哲学者の答えを覚えるためだけのものではなく、
自分がこれから何を大切にして生きていくのかを、自分自身に問い返すためのもの
でもあるのだと思います。
補足注意
この記事では、ニーチェ本人の著作や、信頼できる研究資料をできる限り確認しながら、「超人」とニーチェの関係をわかりやすく整理しました。
ただし、ニーチェの思想にはさまざまな解釈があり、この記事で紹介した理解だけが唯一の答えというわけではありません。
また、この記事は筆者が確認できる資料の範囲でまとめたものであり、今後の研究や資料の検討によって、新しい解釈や理解が加わる可能性もあります。
哲学には、一つの文章を違う立場から読み直すことで、別の見え方が生まれることがあります。
🧭 本記事のスタンス
この記事を「これが正解だから覚えるための文章」ではなく、「もっと知りたい」「自分でも確かめてみたい」と思うための入り口
として読んでいただければと思います。
ぜひ、ほかの研究や解釈、そしてニーチェ本人の著作にも触れながら、あなた自身の問いを深めてみてください。
ニーチェを知ることは、ニーチェの答えを知ることではなく、自分の「なぜ」を知ることなのかもしれません――「超人」を知り、「超人」を問い、その問いによって今までの自分を少しずつ超えていく。答えを追うほど問いは深まり、問いが深まるほど見える世界も変わっていく。その先にこそ、ニーチェが残した「超える」という言葉の余韻が、あなた自身の問いとして響き続けるのかもしれません。
最後まで読んでいただき、
本当にありがとうございました。
ニーチェという人物と「超人」という問いは、誰かから受け取った答えをそのまま持ち続けるのではなく、自分で問い直しながら生き方を選び直していくことの大切さを教えてくれているのかもしれません。

コメント