錯視はなぜ起こる?ヘルムホルツから現代まで、研究の歴史と見る仕組みをわかりやすく解説

学ぶ

同じ長さなのに違って見える。描かれていない輪郭まで見える。そんな錯視の不思議を、ヘルムホルツから現代の心理学・神経科学まで、重要人物と研究の流れをたどりながらわかりやすく解説します。

『錯視研究の歴史』とは?ヘルムホルツから現代まで重要人物と心理学の発展をわかりやすく解説

代表例

この不思議な見え方を研究したのは誰?

錯視と聞くと、どのような図を思い浮かべるでしょうか。

たとえば、同じ長さの線が違って見える「ミュラー・リヤー錯視」、壺と向かい合う二人の顔が入れ替わって見える「ルビンの図」、描かれていない白い三角形が見える「カニッツァの三角形」、静止画像なのに模様が動いて感じられる「運動錯視」などがあります。

これらは、すべて同じ種類の現象ではありません。

ミュラー・リヤー錯視は、長さの判断に関係する幾何学的錯視です。ルビンの図は、同じ画像の中で「図」と「地」が入れ替わる多義的知覚の例です。カニッツァの三角形は、物理的に描かれていない場所にも輪郭が感じられる錯視的輪郭の代表例です。

英語では、visual illusion(ヴィジュアル・イリュージョン)やoptical illusion(オプティカル・イリュージョン)という表現が、分野や文脈に応じて使われます。

では、これらの見え方は、誰が、何のために研究したのでしょうか。

昔の研究者は、脳の画像を見る装置もない時代に、何を手がかりに「見る仕組み」を調べたのでしょうか。

そして、なぜ研究者たちは、100年以上にわたって錯視を研究し続けているのでしょうか。

これらの図には、それぞれの時代を生きた研究者たちの異なる問いが隠されています。

錯視研究の歴史をたどることは、不思議な図の名前を覚えることではありません。

人間が「見る」という働きを、どのように科学の問題として捉え、調べ、考え直してきたのかをたどることなのです。

5秒でわかる結論

錯視研究は、一人の人物から始まったものではありません。

19世紀にヘルムホルツが、視覚を「目に届いた情報から外の世界を推定する働き」として考え、その後、心理学者たちは見え方を測り、比べ、実験するようになりました。

現在では、心理学、神経科学、脳画像、脳波、眼球運動、計算モデルなどを組み合わせて研究されています。

つまり、錯視研究の歴史とは、

「なぜ間違って見えるのか」だけでなく、「人はどのように世界を見ているのか」を探ってきた歴史

なのです。

小学生にもわかるように言うと

昔の研究者たちは、不思議な見え方を、ただの「目のまちがい」として終わらせませんでした。

「どうして同じ長さなのに違って見えるのだろう」

「どうして線がない場所にも形が見えるのだろう」

そう考えて、図を描き、長さを測り、見え方を比べました。

その結果、錯視は、目が悪いから起こるものではなく、私たちが普段から世界を見るために使っている仕組みと関係していることが分かってきました。

私たちは、目に入った情報を一つずつ時間をかけて考えているわけではありません。周りの形や明るさ、物の並び方、これまでの経験などを使って、目の前に何があるのかを素早く判断しています。

錯視は、その「見る力」がどのように働いているのかを教えてくれる、科学の手がかりなのです。

1.錯視研究の歴史へ入るための物語

このようなことはありませんか?

錯視の画像を見て、「面白い」「不思議だ」と感じたことはあっても、その図がいつ、誰によって研究されたのかまでは、考えたことがないかもしれません。

たとえば、次のような疑問はないでしょうか。

  • ミュラー・リヤーやルビンは、錯視の名前なのか、人の名前なのか
  • 錯視を最初に発見した人物はいるのか
  • 昔の研究者は、見え方をどのように測ったのか
  • ヘルムホルツが、なぜ心理学史に登場するのか
  • 脳活動を直接測れなかった時代に、視覚の何を調べたのか
  • 現代では、錯視の仕組みがすべて解明されているのか

現在では、錯視の画像を本やインターネットで簡単に見ることができます。

しかし、歴史上の錯視図は、単に人を驚かせるためだけに使われてきたわけではありません。

研究者たちは、一枚の図を使って、人間が長さ、形、色、明るさ、動き、奥行き、背景などを、どのように判断しているのかを調べてきました。

単純に見える図が、「見る」という複雑な働きを研究する実験材料になったのです。

この記事を読むと分かること

この記事では、次の内容を時代と人物をたどりながら紹介します。

  • 錯視は、誰か一人が発見・発明したものではないこと
  • ヘルムホルツが重要とされる理由
  • 見え方を測る心理学が成立した過程
  • ミュラー=リヤー、ヴェルトハイマー、ルビン、カニッツァらの功績
  • 心理学と神経科学が、視覚研究をどのように受け継いだのか
  • 現代でも、すべての錯視を一つの理論では説明できないこと

この記事は、「最初の発見者」を一人だけ決めるための記事ではありません。

それぞれの研究者が、前の時代からどのような疑問を受け取り、何を明らかにし、次の時代へどのような問いを残したのかをたどる記事です。

錯視研究は、異なる時代と分野の研究者たちが、「人はどのように見るのか」という問いを受け渡してきた長い歴史なのです。

2.疑問が生まれた物語

「錯視を発明した人は誰?」

中学生の航平さんは、授業で「科学の歴史」について発表することになりました。

課題は、科学に関係する一つのテーマを選び、その研究がどのように発展したのかを調べることです。

航平さんが学校の図書館を歩いていると、「目と脳の不思議」と書かれた少し古い本が目に入りました。

本を開くと、矢印のような形が付いた二本の線が載っています。

どう見ても、片方の線のほうが長く感じられます。

ところが、説明にはこう書かれていました。

二本の直線部分は、同じ長さです。

航平さんは、線の端に指を置いて比べました。

それでも、片方が長く見えます。

図の下には、「ミュラー・リヤー錯視」と書かれていました。

「ミュラー・リヤーって、錯視の種類の名前なのかな」

調べてみると、フランツ・カール・ミュラー=リヤーという人物が、1889年(明治22年)にこの錯視を報告したことが分かりました。

航平さんは考えます。

「それなら、この人が錯視を発見したのかな?」

ところが、本を読み進めると、次々に別の名前が現れました。

ヘルムホルツは、視覚には経験に基づく推定が関係すると考えました。

フェヒナーは、刺激と感覚の関係を測ろうとしました。

ヴェルトハイマーは、人は部分をばらばらに見るのではなく、全体のまとまりとして知覚すると考えました。

ルビンは、何が主役の「図」となり、何が背景の「地」となるのかを研究しました。

カニッツァは、描かれていない場所にも輪郭が見える現象を研究しました。

グレゴリーは、知覚を外の世界について作られる仮説として考えました。

航平さんには、それぞれの研究者が、違うことを話しているように見えました。

「同じ錯視の歴史なのに、どうして物理学者や医師、心理学者まで出てくるのだろう」

航平さんは、図書館の先生に尋ねました。

「結局、錯視を始めたのは誰なんですか?」

先生は、すぐには人物名を答えませんでした。

机の上に数冊の本を並べ、こう言いました。

「一人の発明ではなく、長いリレーだったと考えると分かりやすいかもしれないね」

「リレー?」

航平さんの中に、新しい疑問が生まれます。

錯視には、本当に最初の発見者がいないのでしょうか。

昔の研究者は、脳を直接見ることができないのに、何を手がかりに視覚を考えたのでしょうか。

現代の神経科学は、昔の理論を否定したのでしょうか。それとも、受け継ぎながら作り変えてきたのでしょうか。

「錯視を発明した一人の人物」を探すために始めた調べ学習は、いつの間にか、

人間は「見る」という働きを、どのように理解してきたのか

を探す学習へ変わり始めていました。

3.すぐにわかる結論

錯視研究は「見ること」をめぐる知識のリレー

お答えします。

航平さんの疑問に、ここで一度、短く答えておきましょう。

錯視は、ヘルムホルツやミュラー=リヤーが生み出した現象ではありません。

しかし、19世紀以降、研究者たちは錯視を、単なる失敗や見間違いとして片づけるのではなく、視覚の働きを調べるための実験材料として使うようになりました。

最初に、光学や生理学が、目に光が入る仕組みや神経の働きを調べました。

次に、ヘルムホルツが、視覚には過去の経験などに基づく無意識的な推定が含まれると考えました。

この考えは、unconscious inference(アンコンシャス・インファレンス)、日本語では「無意識的推論」と呼ばれます。

ただし、似た考え方はヘルムホルツ以前にもあり、彼一人を錯視研究の創始者とすることはできません。ヘルムホルツが重要なのは、光学、生理学、経験による知覚を結びつけ、後の知覚心理学に大きな土台を残した点です。

1860年(万延元年)には、グスタフ・フェヒナーが『精神物理学綱要』を刊行しました。

フェヒナーは、物理的な刺激と人が感じる感覚との関係を数量的に調べ、psychophysics(サイコフィジックス)、日本語で「精神物理学」と呼ばれる研究の発展に大きな影響を与えました。

1879年(明治12年)には、ヴィルヘルム・ヴントがライプツィヒ大学に実験心理学の研究拠点を設けました。これは、心理学が独立した実験科学として発展する重要な節目とされています。

その後、ツェルナーやミュラー=リヤーらは、線の角度や長さが周囲の図形によって違って見える現象を、繰り返し調べられる図として示しました。

20世紀初頭には、Gestalt psychology(ゲシュタルト・サイコロジー)、日本語で「ゲシュタルト心理学」が、知覚を部分の単純な足し算ではなく、全体のまとまりとして捉えました。

さらに、ルビンは図と地の関係を、カニッツァは描かれていない輪郭が見える現象を研究しました。

20世紀中頃以降は、ヒューベルとウィーセルらの研究によって、視覚情報を神経細胞の活動から調べる道も広がりました。二人は視覚系の情報処理に関する研究で、1981年(昭和56年)にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

現在では、心理学実験、脳波、脳画像、眼球運動、計算モデルなど、複数の方法が組み合わされています。

ただし、現代科学が、すべての錯視に共通する一つの原因を発見したわけではありません。

長さ、色、明るさ、動き、奥行き、輪郭など、錯視の種類によって関係する仕組みは異なります。

過去の理論がすべて否定されたわけでも、昔の説明がそのまま完全な正解として残っているわけでもありません。

新しい研究者は、過去の考えを受け取り、実験で確かめ、修正し、新しい問いを次の時代へ渡してきました。

だからこそ、錯視研究の歴史は、一人の天才による発見の物語ではありません。

それは、異なる時代と分野の研究者たちが、

「人はどのように世界を見ているのか」

という問いを受け渡してきた、長い知識のリレーなのです。

それでは、この知識のリレーは、どのような時代に、どの人物によって受け渡されてきたのでしょうか。

人物でたどる錯視研究の歴史

ここからは、錯視研究の流れを、時代ごとの人物と研究成果を通して詳しく見ていきます。

ここまでは、錯視研究が一人の発明ではなく、「見るとは何か」という問いを受け渡してきた知識のリレーであることを確認しました。

そのリレーがどこから始まり、誰によって、どのように心理学へつながったのかをたどります。

4.錯視研究の始まりを考える前に

錯視は誰かが発明したのか

錯視には、電球や電話のような一人の発明者はいません。

物理的な状態と実際の見え方が一致しない現象は、心理学という学問が成立する前から、人間の視覚の中に存在していたからです。

ただし、ここでは二つのことを分けて考える必要があります。

不思議な見え方が昔から知られていたことと、それを科学的な実験によって調べることは同じではありません。

科学的な錯視研究では、図形や明るさなどの条件をそろえ、どの条件で、どの程度見え方が変化するのかを繰り返し測定します。

このような研究が可能になるまでには、目の光学、距離知覚、両眼視、感覚神経についての知識が必要でした。

錯視研究の前史を作った代表的な人物を、四人に絞って見てみましょう。

ヨハネス・ケプラー――網膜に像ができる仕組みを示す

ヨハネス・ケプラーは、1571年(元亀2年)に生まれ、1630年(寛永7年)に亡くなったドイツの天文学者・数学者です。

惑星運動の法則で知られていますが、視覚研究にも重要な功績を残しました。

ケプラーは1604年(慶長9年)の光学研究で、外界から来た光が眼球内で屈折し、網膜上に像を結ぶことを説明しました。

この研究によって、眼球を光学的に考える道が開かれました。一方でケプラー自身も、網膜像ができた後、どのように知覚が成立するのかは、光学とは別の問題として残ることを認識していました。

つまり、

目の中にどのような像ができるかが分かっても、なぜ私たちに「意味のある世界」が見えるのかは分からない

という問題が残ったのです。

ジョージ・バークリー――距離は経験から学ばれるのか

ジョージ・バークリーは、1685年(貞享2年)に生まれ、1753年(宝暦3年)に亡くなったアイルランドの哲学者・聖職者です。

1709年(宝永6年)に発表した『視覚新論』では、距離や奥行きが、目に直接与えられる性質なのかを考察しました。

バークリーは、距離知覚には、見かけの大きさ、目や身体の動き、触覚などとの経験的な結びつきが関係すると論じました。現代の知覚心理学と完全に同じ理論ではありませんが、「見ることには学習や経験が関係する」という考えを明確に示した点が重要です。

後にヘルムホルツが発展させる「視覚は経験を使って世界を判断する」という考えには、このような先行する議論がありました。

チャールズ・ホイートストン――二枚の平面図から立体が見える

チャールズ・ホイートストンは、1802年(享和2年)に生まれ、1875年(明治8年)に亡くなったイギリスの物理学者・発明家です。

1838年(天保9年)、ホイートストンはstereoscope(ステレオスコープ)と呼ばれる装置を発表しました。

左右の目に少し異なる平面図を見せると、実際には奥行きのない二枚の図から、一つの立体的な形が見えます。左右の目に映る像の違いは、binocular disparity(バイノキュラー・ディスパリティ)、日本語では「両眼視差」と呼ばれます。

この実験が示したのは、立体感が外界から完成した形で目へ入ってくるのではないということです。

視覚システムが左右の異なる情報をまとめることで、奥行きのある見え方が成立します。

これは錯視そのものの発見ではありませんが、刺激を人工的に操作することで、知覚がどのように作られるのかを調べられることを示しました。

ヨハネス・ペーター・ミュラー――感覚は刺激だけでは決まらない

ヨハネス・ペーター・ミュラーは、1801年(享和元年)に生まれ、1858年(安政5年)に亡くなったドイツの生理学者です。

ミュラーが体系化した重要な考えの一つが、doctrine of specific nerve energies(ドクトリン・オブ・スペシフィック・ナーヴ・エナジーズ)、日本語では「特殊神経エネルギー説」です。

この考えでは、私たちが経験する感覚の種類は、外から加えられた刺激の性質だけではなく、どの感覚器官や神経経路が活動したかによって決まるとされます。

たとえば、目を閉じて眼球の周辺を軽く圧迫すると、外から光が入っていないのに、光のようなものを感じる場合があります。

これは、機械的な圧力であっても、視覚に関係する器官や経路が刺激されれば、視覚的な感覚が生じ得ることを示す例です。

ミュラーの理論は、現在の神経科学とそのまま一致するわけではありません。それでも、

私たちは外界そのものを直接経験するのではなく、感覚器官と神経の働きを通して世界を経験している

という問題を、生理学の研究へ導いた点で重要でした。

ケプラーは、網膜像ができる仕組みを示しました。

バークリーは、距離知覚と経験の関係を論じました。

ホイートストンは、二つの平面像から立体感を生み出しました。

ミュラーは、感覚と神経経路の関係を考えました。

それでも、中心的な疑問は残ります。

網膜に像ができ、神経が活動した後、なぜ私たちには一つの安定した世界が見えるのでしょうか。

この問題に、光学、生理学、物理学、心理学を結びつけながら向き合った人物が、ヘルマン・フォン・ヘルムホルツでした。

5.ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ

目に届く情報から、なぜ世界が見えるのか

19世紀のドイツでは、物理学や生理学が急速に発展し、生物や感覚の働きも、観察だけでなく実験と測定によって説明しようとする動きが強まっていました。

しかし、心理学はまだ現在のような独立した学問ではありません。

知覚や心の問題は、哲学、医学、生理学、物理学の境界で研究されていました。

その時代を代表する研究者の一人が、ヘルマン・ルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・ヘルムホルツです。

ヘルムホルツは1821年(文政4年)8月31日にプロイセン王国のポツダムで生まれ、1894年(明治27年)9月8日にベルリン近郊で亡くなりました。73年の生涯でした。

1883年(明治16年)に貴族へ叙せられるまでは、「フォン」の付かないヘルマン・ヘルムホルツという名前でした。

医学から視覚研究へ

ヘルムホルツは医学を学び、ヨハネス・ミュラーのもとで生理学研究に触れました。

その後、視覚、聴覚、神経、筋肉、音響学、熱力学、電磁気学など、非常に広い分野で研究を行います。

彼の研究姿勢には、

生き物の働きも、可能な限り実験と自然法則によって説明する

という特徴がありました。

1850年(嘉永3年)には、生きている人の眼球内部を観察するための検眼鏡を発表しました。さらに、1856年(安政3年)から1867年(慶応3年)にかけて『生理光学提要』を刊行し、眼球の光学、色覚、眼球運動、両眼視、奥行き、空間知覚などを体系的に扱いました。

ヘルムホルツは、目を完全なカメラのようなものだとは考えていませんでした。

眼球の光学にはさまざまな不完全さがあり、網膜へ届く情報だけから、外界の状態を一つに決められない場合もあります。

たとえば、小さな網膜像は、

  • 小さな物体が近くにある
  • 大きな物体が遠くにある

という、どちらの状況からも生じる可能性があります。

それにもかかわらず、私たちは通常、目の前の物体の大きさや距離をすばやく判断できます。

無意識的推論とは何か

この問題を考える中心となったのが、unconscious inference(アンコンシャス・インファレンス)、日本語では「無意識的推論」と呼ばれる考えです。

ここでいう推論は、頭の中で意識的に計算したり、言葉を使って考えたりすることではありません。

ヘルムホルツは、視覚が感覚情報と過去の経験を使い、外界の原因を自覚なしに推定すると考えました。

私たちは光そのものを見ているのではなく、その光が「どのような物体や状況から生じたのか」を判断した結果として、物の形、大きさ、距離などを経験しているという考えです。

ヘルムホルツは、二つの目に届く異なる情報が一つの空間として知覚されることなどを、学習された無意識的な調整によって説明しようとしました。

なぜ錯視研究に重要なのか

日常の環境では、視覚による推定は多くの場合、役に立ちます。

影、重なり、遠近法、周囲の明るさなどの手がかりを使うことで、不完全な情報から周囲の状態を素早く判断できるからです。

ところが、錯視図形では、普段の環境で役立つ手がかりが特殊な形で配置されています。

そのため、視覚が自動的に行う推定と、図形の物理的な状態との間にずれが生じることがあります。

この立場では、錯視は単なる故障ではありません。

普段は役立っている視覚の処理方法が、特殊な条件の中で表面に現れた現象

として考えられます。

ヘルムホルツの発想は、後に登場する「知覚は外界についての仮説である」という考えや、現代の確率的な知覚研究へつながる歴史的な土台の一つになりました。

ただし、現代のBayesian inference(ベイジアン・インファレンス/ベイズ的推論)やpredictive processing(プレディクティブ・プロセシング/予測処理)は、ヘルムホルツの理論と完全に同じものではありません。

現代の理論は、確率、神経回路、予測誤差、計算モデルなどを用いて構成されています。

そのため、ヘルムホルツは「現代の予測処理を完成させた人物」ではなく、

現代の知覚理論につながる重要な問いを残した人物

と表現するのが正確です。

ヘルムホルツだけですべてを説明できるわけではない

現在では、錯視に次のような処理が関係すると考えられています。

網膜における明暗や色の処理、線端や輪郭の処理、複数の視覚領域の相互作用、注意、眼球運動、経験、図形全体の文脈などです。

錯視の種類によって関係する仕組みは異なるため、すべてを「経験に基づく推論の間違い」だけで説明することはできません。

また、ヘルムホルツと同時代の研究者の間でも、空間知覚が経験によって学ばれるのか、生まれつきの神経的な仕組みに基づくのかをめぐる議論がありました。

それでも、ヘルムホルツが重要であることは変わりません。

目に入る刺激、感覚器官、神経、経験、知覚される世界を、一つの科学的な問題として結びつけたからです。

しかし、「視覚が世界を推定している」と考えるだけでは、その理論が正しいかどうかを判断できません。

次に必要になったのは、見え方を実際に測る方法でした。

6.フェヒナー、ヴント、ツェルナー

見え方を測る科学へ

知覚は本人にしか直接経験できません。

「こちらの線が長く見える」「この光のほうが明るく感じる」という答えは、個人的な感想にも見えます。

そこで19世紀の研究者たちは、物理的な刺激を少しずつ変え、人の判断を記録し、主観的な見え方を数量として扱おうとしました。

グスタフ・フェヒナー――刺激と感覚の関係を測る

グスタフ・テオドール・フェヒナーは、1801年(享和元年)に生まれ、1887年(明治20年)に亡くなったドイツの物理学者・哲学者です。

1860年(万延元年)、フェヒナーは『精神物理学綱要』を刊行しました。

ここで体系化されたpsychophysics(サイコフィジックス)、日本語で「精神物理学」は、測定された物理的刺激と、報告された感覚との関係を実験的に調べる研究です。

たとえば、

  • 光をどの程度強くすると、明るさの違いに気づくのか
  • 二本の線にどの程度の差があると、長さの違いを判断できるのか
  • どの長さに調整すると、二本が同じ長さに見えるのか

などを測定します。

錯視についても、単に「違って見える」と記録するだけでなく、実際の長さと、同じに見えるよう調整した長さとの差から、錯視の大きさを数値化できます。

フェヒナーは、心の中の経験を直接取り出したわけではありません。

刺激条件と人の判断の関係を測ることで、主観的な感覚を科学的に研究する方法を整えたのです。

ヴィルヘルム・ヴント――心理学を継続的な実験研究へ

ヴィルヘルム・マクシミリアン・ヴントは、1832年(天保3年)に生まれ、1920年(大正9年)に亡くなったドイツの生理学者・心理学者です。

1879年(明治12年)、ヴントはライプツィヒ大学に実験心理学の研究拠点を設けました。この施設は、大学に置かれた最初期の本格的な心理学研究機関として、各国の研究者を集めました。

ただし、心理学実験が1879年に突然始まったわけではありません。

フェヒナー、ヘルムホルツ、ミュラーらも、それ以前から感覚や知覚に関する実験を行っていました。

ヴントの重要性は、心理学の問題を、

  • 専用の研究設備
  • 統制された刺激
  • 訓練された実験者
  • 繰り返し可能な手続き

によって、継続的に研究する制度を整えたことにあります。

哲学的に「心とは何か」を考えるだけでなく、実験条件をそろえて反応を測る心理学が、独立した研究分野として形を整えていきました。

ヨハン・カール・フリードリヒ・ツェルナー――平行線が傾いて見える

ヨハン・カール・フリードリヒ・ツェルナーは、1834年(天保5年)に生まれ、1882年(明治15年)に亡くなったドイツの天文学者・天体物理学者です。1872年(明治5年)には、ライプツィヒで物理天文学の教授となりました。

ツェルナー錯視では、複数の平行な長い線に、方向の異なる短い斜線を交差させます。

長い線は実際には平行ですが、短い斜線の配置によって、互いに近づいたり離れたりしているように見えます。

ツェルナーはこの図形を1860年(万延元年)に学術誌で報告しました。

この図が重要なのは、線そのものが傾いていなくても、周囲の線の方向によって、傾きの判断が組織的に変化することを示した点です。

研究者は、斜線の角度や間隔を変え、錯視がどの条件で強くなるのかを調べられるようになりました。

この時代に起きた変化は、次の一文にまとめられます。

「私はこのように見えた」という記録から、「どの条件で、どの程度ずれて見えるのか」を測る研究へ変化した。

錯視図は、同じ刺激を繰り返し提示できます。

線の長さ、角度、間隔、提示時間などを変えれば、見え方がどのように変化するかを比較できます。

こうして錯視は、人を驚かせる図であるだけでなく、視覚理論を検討するための実験道具になっていきました。

その代表的な例が、同じ長さの線が違って見えるミュラー・リヤー錯視です。

7.ミュラー=リヤーと幾何学的錯視

同じ長さが違って見える

二本の同じ長さの直線に、向きの異なる斜線を付けます。

中央の直線部分は同じ長さですが、斜線が外側へ広がるか、内側へ閉じるかによって、一方が長く見えます。

この図形を1889年(明治22年)に報告した人物が、フランツ・カール・ミュラー=リヤーです。

ミュラー=リヤーはどのような人物だったのか

ミュラー=リヤーは、1857年(安政4年)2月5日にドイツのバーデン=バーデンで生まれ、1916年(大正5年)10月29日にミュンヘンで亡くなりました。59年の生涯でした。

本名はフランツ・クサーヴァー・ヘルマン・ミュラーで、心理学だけでなく、医学や社会学にも関わった人物です。

現在では有名な錯視によって知られていますが、ミュラー=リヤーは錯視だけを専門に研究した人物ではありません。

その後は社会や文化の発展に関する著作も発表しており、人間の心と社会を広い視点から理解しようとした研究者でした。

なぜ、この単純な図が重要なのか

ミュラー・リヤー錯視の中央線は変化していません。

変化したのは、線の両端に付けられた要素だけです。

それにもかかわらず、中央線の長さが違って見えます。

この現象は、

ある部分の見え方が、その部分だけで決まるのではなく、周囲の配置や図形全体から影響を受ける

ことを示しています。

さらに、この図は非常に単純なので、条件を細かく変えられます。

斜線の角度や長さ、中央線との距離、図の大きさ、提示時間などを操作し、錯視の強さがどう変化するのかを比較できます。

そのため、ミュラー・リヤー錯視は、特定の説明が正しいかを検討する「視覚理論の試験問題」として、130年以上にわたって研究されてきました。

なぜ違って見えるのか

ミュラー・リヤー錯視には、複数の説明が提案されています。

代表的なものの一つが、奥行きと大きさの恒常性による説明です。

私たちは、遠くの物体の網膜像が小さくても、物体そのものが小さくなったとは感じにくい傾向を持っています。

この働きはsize constancy(サイズ・コンスタンシー)、日本語では「大きさの恒常性」と呼ばれます。

斜線の向きが、部屋の内側や建物の角のような奥行きの手がかりとして解釈され、大きさを補正する働きが平面図へ誤って適用されるという説明です。

しかし、奥行きを感じさせにくい変形図でも錯視が生じるため、この説明だけではすべての条件を説明できません。

別の説明では、中央線と図形全体の広がりが、完全には切り離されずに判断されると考えます。

図形全体が外側へ広がって見えると、その一部である中央線も長く感じられます。

また、斜線が中央線の端に加わることで、線の終端位置の処理がずれ、長さの知覚へ影響するという説明もあります。

現在では、奥行き、図形全体の広がり、線端や輪郭の処理、周囲との比較など、複数の要因が条件に応じて関係すると考えるのが妥当です。

文化や生活環境だけで説明できるのか

20世紀には、直線や直角の多い建築環境に慣れた人ほど、ミュラー・リヤー錯視を強く経験するという「大工仕事的世界」の仮説が注目されました。

文化や生活環境の異なる集団間で、測定結果に違いが報告された研究もあります。

しかし、2025年(令和7年)に発表された再検討では、ミュラー・リヤー錯視が複数の動物種でも観察されること、直線や矢羽根を使わない変形でも生じることなどから、この錯視を西洋的な建築環境への経験だけで説明する考えには強い疑問が示されました。

これは、文化が知覚へまったく影響しないという意味ではありません。

年齢、経験、教育、課題の理解、実験方法などによって、錯視の測定値が変化する可能性はあります。

ただし、

「直角の建物を見て育ったから、この錯視が生まれた」

と単純に結論づけることはできない、ということです。

正解を知っても錯視が残る理由

ミュラー・リヤー錯視は、二本の線が同じ長さだと知っても、違って見えることがあります。

定規で測れば、物理的な長さは確認できます。

それでも図へ目を戻すと、見え方が完全には変わりません。

これは、

「同じ長さだと理解すること」と「同じ長さに見えること」は、必ずしも一致しない

ことを示します。

長さを判断する視覚処理の一部は、本人の知識や意思とは別に、自動的に働くためです。

ただし、この錯視だけから、心や脳の構造全体を説明できるわけではありません。

知識と知覚がどのように関係し、どの程度独立しているのかを考えるための、重要な材料の一つだということです。

ミュラー・リヤー錯視については、現在も唯一の説明が確定しているわけではありません。

しかし、答えが一つに決まっていないからこそ、この単純な図は長く研究されてきました。

中央線と斜線だけの図形の中には、

  • 部分と全体
  • 物理的刺激と知覚
  • 知識と見え方
  • 経験と神経処理

という、知覚心理学の重要な問題が含まれています。

では、人間は本当に、線や角度を一つずつ別々に見ているのでしょうか。

それとも、最初から図形全体を一つのまとまりとして見ているのでしょうか。

この問題を正面から取り上げ、20世紀の心理学に大きな流れを作ったのが、ゲシュタルト心理学でした。

8.ヴェルトハイマーとゲシュタルト心理学

部分を足しても「全体」にはならない

ミュラー・リヤー錯視では、中央の線そのものは変化していません。それでも、両端の斜線や図形全体の配置によって、線の長さが違って見えます。

この現象は、私たちが線や角度を一つずつ完全に切り離して見ているわけではないことを示しています。

それでは、人は細かな感覚を受け取った後、それらを足し合わせて全体を見ているのでしょうか。

それとも、初めから要素同士の関係や、全体のまとまりを捉えているのでしょうか。

この問題を20世紀初頭の心理学で大きく発展させたのが、Gestalt psychology(ゲシュタルト・サイコロジー)、日本語で「ゲシュタルト心理学」と呼ばれる考え方です。

マックス・ヴェルトハイマーと仮現運動

マックス・ヴェルトハイマーは、1880年(明治13年)4月15日に、当時のオーストリア=ハンガリー帝国領プラハで生まれました。

大学では初め法律を学びましたが、その後、哲学と心理学へ進みます。1933年(昭和8年)にナチス政権が成立するとドイツを離れ、アメリカのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチで研究と教育を続けました。1943年(昭和18年)10月12日に、63歳で亡くなっています。

ヴェルトハイマーの名を心理学史に残したのは、実際には移動していない刺激から、動きが知覚される現象の研究でした。

離れた位置にある二つの光を、適切な時間間隔で交互に点灯させます。

物理的には、一つ目の光が消え、別の場所で二つ目の光が点くだけです。二つの光の間を移動する物体はありません。

ところが、条件を調整すると、一つの光が移動したように見えたり、二つの位置の間に「動きそのもの」が感じられたりします。

ヴェルトハイマーは1912年(明治45年/大正元年)、このような仮現運動についての研究を発表しました。この論文は、ゲシュタルト心理学の重要な出発点とされています。

この研究に関係する現象の一つが、phi phenomenon(ファイ・フェノメノン)、日本語では「ファイ現象」です。

ただし、ファイ現象と、物体が一つの場所から別の場所へ移動したように見えるbeta movement(ベータ・ムーブメント)は、厳密には区別されます。

そのため、映画やアニメーションの動きを、すべて単純に「ファイ現象」と説明するのは正確ではありません。ヴェルトハイマーが重視したのは、物理的な刺激には存在しないまとまった動きが、知覚経験として成立することでした。

なぜ、この研究が重要だったのか

二つの静止した光を物理的に足し合わせても、移動する物体は生まれません。

それでも私たちには、動きが見えます。

この事実から、ゲシュタルト心理学者たちは、知覚される全体の性質を、個々の刺激の単純な足し算だけでは説明できないと考えました。

よく「全体は部分の総和以上である」と表現されますが、より丁寧にいうと、

全体には、部分を別々に調べただけでは分からない、関係や構造としての性質がある

という考えです。

一つの音を順番に並べただけでは「旋律」の性質を十分に説明できないように、点や線を個別に調べるだけでは、形や動きとして経験される全体を説明できません。

コフカとケーラーが広げた研究

ゲシュタルト心理学は、ヴェルトハイマー一人だけによって作られたものではありません。

クルト・コフカは、1886年(明治19年)にベルリンで生まれ、1941年(昭和16年)に亡くなった心理学者です。発達や学習にもゲシュタルトの考えを広げ、1935年(昭和10年)の『ゲシュタルト心理学の原理』などを通じて、英語圏へ理論を伝える重要な役割を果たしました。

ヴォルフガング・ケーラーは、1887年(明治20年)1月21日に、現在のエストニア・タリンにあたるレヴァルで生まれ、1967年(昭和42年)6月11日に亡くなりました。

知覚研究に加えて、チンパンジーの問題解決を研究し、道具と目的の関係をまとまりとして捉えて解決するinsight(インサイト)、日本語で「洞察」の研究でも知られています。

三人に共通していたのは、心や知覚を細かな要素へ分けるだけでは、実際に経験されるまとまりを説明できないという考えでした。

知覚はどのようにまとまりを作るのか

ヴェルトハイマーは1923年(大正12年)、図形がどのようなまとまりとして知覚されるかを論じた研究を発表しました。

その後の研究も含め、代表的な知覚的まとまりには、次のような傾向があります。

近くにある要素を同じ集まりとして見やすいproximity(プロキシミティ/近接)。

形や色が似ている要素をまとめて見やすいsimilarity(シミラリティ/類同)。

滑らかにつながる線を一続きとして見やすいgood continuation(グッド・コンティニュエーション/良い連続)。

同じ方向へ動くものを同じ集まりとして見やすいcommon fate(コモン・フェイト/共通運命)。

一部が欠けていても、閉じた形として捉えやすいclosure(クロージャー/閉合)です。

ただし、これらはどの場面でも必ず同じ結果を生む絶対的な法則ではありません。複数の手がかりが競合すれば、見え方も変化します。

重要なのは、視覚が点や線を無関係な情報として受け取るのではなく、配置や関係に応じて、一つのまとまりへ組織化しているということです。

錯視研究の問いは、ここで一段深くなりました。

なぜ線の長さが違って見えるのか。

という問いから、

なぜ複数の要素が、一つの形や動きとしてまとまって見えるのか。

という問いへ広がったのです。

なお、ここで扱っているゲシュタルト心理学は、後に成立した心理療法の「ゲシュタルト療法」と同じものではありません。

では、私たちが全体を一つのまとまりとして見るとき、どの部分が一つの対象となり、どの部分が背景になるのでしょうか。

この問題を体系的に研究したのが、デンマークの心理学者エドガー・ルビンでした。

9.エドガー・ルビンと「図と地」

壺か、二人の顔か

中央の白い部分を見ると、一つの壺や杯が見えます。

ところが、左右の黒い部分へ注意を向けると、向かい合う二人の顔が現れます。

画像の線や色は変化していません。

変化したのは、どの領域を一つの対象として見て、どの領域を背景として見たかです。

この有名な図は、一般に「ルビンの壺」と呼ばれています。

ただし、ルビンの壺は、長さや角度が物理的な測定値と違って見える幾何学的錯視とは性質が異なります。

より正確には、一つの刺激から複数の見え方が成立する、錯視に関連したambiguous perception(アンビギュアス・パーセプション/多義的知覚)の代表例です。

エドガー・ルビンはどのような人物だったのか

エドガー・ヨン・ルビンは、1886年(明治19年)9月6日にデンマークのコペンハーゲンで生まれ、1951年(昭和26年)5月3日に64歳で亡くなった心理学者です。

ルビンは1915年(大正4年)の博士論文で、視野が「図」と「地」に分かれて経験される問題を体系的に扱いました。

現在「ルビンの壺」と呼ばれている図は、この図と地の研究を象徴する刺激として広く知られています。

図と地とは何か

一枚の画像を見るとき、すべての領域が同じ性質を持って見えるわけではありません。

形を持つ一つの対象として前に現れる領域は、figure(フィギュア/図)と呼ばれます。

その図の後ろへ広がるように感じられる領域は、ground(グラウンド/地)と呼ばれます。

図として選ばれた領域には、典型的に次のような特徴があります。

  • 一つの形を持つ対象として感じられる
  • 背景より手前にあるように見える
  • 境界線が、その図の輪郭として知覚される

ルビンの壺で中央の白い部分が図になると、境界線は壺の輪郭になります。

左右の黒い部分が図になると、同じ境界線が二人の横顔を作ります。

物理的には一つしかない境界線が、どちらの領域に属する輪郭として処理されるかによって、見える対象が変わるのです。

現代の視覚研究では、この問題はborder ownership(ボーダー・オーナーシップ/境界所有)とも関係づけて調べられています。

霊長類の視覚野には、境界のどちら側が物体に属しているかに応じて反応が変わる神経細胞が報告されており、図と地の分離は、単なる言葉上の解釈ではなく、視覚情報処理の重要な問題と考えられています。

壺と顔は同時に見えるのか

ルビンの図には、壺と二人の顔の両方が含まれています。

しかし、多くの場合、両方が同じ強さで安定して見え続けるわけではありません。

壺が図になると顔は背景へ退き、顔が図になると壺は背景へ退きます。

一つの刺激について、二つの比較的安定した見え方が交替する現象は、bistable perception(バイステイブル・パーセプション/両安定知覚)と呼ばれます。

ここで重要なのは、外から入る刺激が同じでも、知覚される対象が変わり得るということです。

ルビン以前の錯視研究では、

図形の長さや角度が、なぜ実際と違って見えるのか。

という問いが中心でした。

ルビンの研究によって、

同じ刺激から、なぜ異なる対象が選ばれて見えるのか。

という新しい問いが明確になりました。

「見る」とは、画像のすべてを同じように受け取ることではありません。

視覚は、ある領域を対象として選び、別の領域を背景として組織化しています。

それでは、全体の配置によって、物理的には描かれていない形まで見えることはあるのでしょうか。

この問いを印象的な図形によって示したのが、イタリアの心理学者ガエタノ・カニッツァでした。

10.ガエタノ・カニッツァ

描かれていない三角形が見える

円の一部を切り取ったような三つの黒い図形を、欠けた部分が中央を向くように並べます。

さらに、角のような三本の線を適切な位置に置くと、中央に白い三角形が浮かび上がって見えます。

しかし、その三角形を囲む線は、実際には描かれていません。

中央の白い部分と周囲の白い背景にも、物理的な明るさの差はありません。

それでも、白い三角形が黒い図形の手前に重なっているように感じられます。

これが「カニッツァの三角形」です。

ガエタノ・カニッツァはどのような人物だったのか

ガエタノ・カニッツァは、1913年(大正2年)8月18日に、当時オーストリア=ハンガリー帝国に属していたトリエステで生まれました。

心理学者であると同時に、絵画や造形にも取り組んだ人物です。1938年(昭和13年)に心理学の研究で学位を取得し、知覚される形や表面を、実際の見え方に即して研究しました。1993年(平成5年)3月13日に79歳で亡くなっています。

カニッツァは1955年(昭和30年)の研究で、物理的な明暗の境界がない場所にも、輪郭や表面が知覚される現象を扱いました。

このような輪郭は、subjective contour(サブジェクティブ・コンター/主観的輪郭)またはillusory contour(イリュージョリー・コンター/錯視的輪郭)と呼ばれます。

1979年(昭和54年)には、主要な研究をまとめた『Organization in Vision(オーガニゼーション・イン・ヴィジョン)』を刊行し、ゲシュタルト心理学の知覚研究を国際的に広めました。

「脳が線を描き足す」だけではない

カニッツァの三角形は、「脳が足りない線を想像している」と説明されることがあります。

しかし、私たちが知覚しているのは輪郭だけではありません。

中央には、一枚の白い表面があるように感じられます。

その表面は黒い図形より手前にあり、黒い円の一部を覆っているようにも見えます。

視覚は、円の欠けた方向、角の向き、線が滑らかにつながる可能性、物体同士の重なりなどを、ばらばらに処理しているだけではありません。

それらを一つの場面として組織化した結果、

白い三角形が手前にあり、黒い図形の一部を隠している

という見え方が成立します。

見える補完と、隠れた部分の補完

知覚的な補完には、性質の異なるものがあります。

カニッツァの三角形のように、存在しない輪郭や表面が、実際に見える性質を伴って現れるものはmodal completion(モーダル・コンプリーション/モーダル補完)と呼ばれます。

一方、塀の後ろに猫の頭と尻尾だけが見えている場合、私たちは塀の後ろにも猫の胴体が続いていると感じます。

しかし、塀の表面に猫の胴体の輪郭が見えているわけではありません。

このように、隠れた部分の存在は知覚されても、その輪郭自体は見えない補完は、amodal completion(アモーダル・コンプリーション/アモーダル補完)と呼ばれます。

錯視的輪郭は脳のどこで処理されるのか

現在では、錯視的輪郭が、脳の一つの場所だけで完成すると考えられているわけではありません。

人や動物を対象とした研究では、一次視覚野や二次視覚野などの比較的初期の視覚領域と、形や物体を扱う高次の視覚領域の双方が関係することが示されています。

経頭蓋磁気刺激を使った研究では、高次の外側後頭領域とV1・V2の双方が知覚的補完に必要であり、高次領域から初期視覚領域へ戻るfeedback processing(フィードバック・プロセシング/フィードバック処理)が関係する可能性が示されました。

また、動物研究でも、高次視覚領域から一次視覚野へ向かう信号が、錯視的輪郭に対する神経活動を調整することが報告されています。

したがって、

初期視覚野だけが輪郭を作る

あるいは、

高次の脳領域が想像で線を描き足す

という一方向だけの説明は十分ではありません。

局所的な線や角度を扱う処理と、図形全体や物体の重なりを扱う処理が、recurrent processing(リカレント・プロセシング/再帰的処理)によって相互に影響し、一つの見え方が作られると考えられています。

カニッツァの三角形が示したのは、視覚が目に入った線を受け取るだけではなく、限られた情報から、物体や表面の構造を組み立てているということです。

では、視覚が見えない部分まで補い、一つの場面を組み立てているなら、知覚は外界について作られる「仮説」なのでしょうか。

この考えを錯視研究と結びつけた代表的な研究者が、リチャード・グレゴリーです。

11.リチャード・グレゴリー

知覚は世界についての仮説

人の顔をかたどった仮面を、裏側から見た場面を想像してみてください。

仮面の裏側は、中央が奥へへこんでいます。

ところが、実際にはへこんでいる顔が、普通の顔のように手前へ突き出して見えることがあります。

これはhollow-face illusion(ホロー・フェイス・イリュージョン)、日本語では「中空顔錯視」と呼ばれます。

「人の顔は普通、外側へ膨らんでいる」という強い知識が、奥行きや陰影の解釈へ影響していると考えられる例です。

このような錯視を、経験や知識、仮説という観点から研究したのが、イギリスの心理学者リチャード・グレゴリーです。

リチャード・グレゴリーはどのような人物だったのか

リチャード・ラングトン・グレゴリーは、1923年(大正12年)7月24日に生まれ、2010年(平成22年)5月17日に86歳で亡くなりました。

錯視や視覚、人工知能、科学史などを幅広く研究するとともに、科学を一般の読者へ伝える活動にも力を注ぎました。

1966年(昭和41年)の『Eye and Brain(アイ・アンド・ブレイン)』などを通して、見ることは目に入った情報を受動的に写す働きではなく、情報を解釈する働きであるという考えを広く紹介しました。

知覚仮説とは何か

グレゴリーは、知覚をperceptual hypothesis(パーセプチュアル・ハイポセシス/知覚仮説)として考えました。

目に届く感覚情報だけでは、外界の状態を一つに決められない場合があります。

同じ網膜像が、異なる大きさ、距離、形、照明条件から生じる可能性があるからです。

そこで視覚は、感覚情報と過去の知識を組み合わせ、

目の前に何が存在する可能性が高いか

という仮説を作るとグレゴリーは考えました。

1980年(昭和55年)の論文「Perceptions as hypotheses(パーセプションズ・アズ・ハイポセシーズ)」では、錯視を、知覚が使う仮説や処理方法を調べる重要な手がかりとして位置づけています。

ただし、知覚仮説は、本人が意識的に考えて選んでいる仮説ではありません。

「顔は膨らんでいるはずだ」と言葉で考えた結果、中空顔錯視が起こるわけではありません。

通常は自覚されないまま、感覚情報が素早く解釈されます。

ヘルムホルツからグレゴリーへ

グレゴリーの知覚仮説は、第5章で紹介したヘルムホルツの「無意識的推論」と深く関係しています。

ヘルムホルツは、視覚が感覚情報と経験を使い、外界の原因を無意識に推定すると考えました。

グレゴリーは、その問題意識を引き継ぎ、知覚を、限られた証拠から外界についての仮説を作る働きとして説明しました。

しかし、ヘルムホルツの理論が、そのままグレゴリーや現代の理論へ受け継がれたわけではありません。

時代ごとに、実験方法、神経科学の知識、計算理論が加わり、考え方は修正されています。

ボトムアップ処理とトップダウン処理

目に入った刺激の特徴から処理が進む方向は、bottom-up processing(ボトムアップ・プロセシング/ボトムアップ処理)と呼ばれます。

線、色、明暗、向き、動きなど、刺激に含まれる情報を出発点とする処理です。

一方、過去の経験、知識、期待、注意などが、刺激の解釈へ影響する方向は、top-down processing(トップダウン・プロセシング/トップダウン処理)と呼ばれます。

グレゴリーは、特にトップダウン処理の重要性を強調しました。

しかし、すべての錯視を知識や期待だけで説明できるわけではありません。

ミュラー・リヤー錯視のように、正解を知っても見え方が残る現象があります。また、網膜や初期視覚野における処理が大きく関係する錯視もあります。

現在では、ボトムアップ処理とトップダウン処理を完全に分離するのではなく、複数の視覚領域の間で情報が行き来しながら知覚が成立すると考える必要があります。

知覚は必ず推論によって作られるのか

グレゴリーの立場とは異なる考えもあります。

アメリカの心理学者ジェームズ・J・ギブソンは、ecological approach(エコロジカル・アプローチ/生態学的アプローチ)を発展させました。

ギブソンは、外界から届く情報は本質的に不足しており、脳が知識で補わなければ知覚できないという考えに疑問を示しました。

観察者が環境の中を動くと、光の変化には、表面、奥行き、移動方向などを知るための豊かな構造が現れます。

知覚は、環境に含まれる情報を大きな推論によって作り直すことではなく、行動する観察者が直接取り出す働きだと考えました。

この立場はdirect perception(ダイレクト・パーセプション/直接知覚)と呼ばれます。

直接知覚は、「光が神経処理を受けず、そのまま意識になる」という意味ではありません。

知覚の成立に必要な情報は環境の中にあり、不足した刺激を心の中で大きく補う推論を、常に仮定する必要はないという立場です。

グレゴリーとギブソンのどちらか一方が、すべての知覚を完全に説明したわけではありません。

曖昧な静止画像では、経験や知識による解釈が大きな役割を持つ場合があります。

一方、現実の環境を歩き、視点を動かしながら見る場面では、環境から得られる情報がはるかに豊かになります。

どの現象を、どの条件で説明するのかによって、必要となる理論も異なります。

現代のベイズ的知覚と予測処理

ヘルムホルツの無意識的推論やグレゴリーの知覚仮説は、現代のBayesian perception(ベイジアン・パーセプション/ベイズ的知覚)やpredictive processing(プレディクティブ・プロセシング/予測処理)の歴史的な先駆けとして紹介されることがあります。

ベイズ的知覚では、現在の感覚情報と、過去の経験などから得られる事前の可能性を組み合わせ、外界の状態を確率的に推定すると考えます。

予測処理では、脳が感覚入力についての予測を作り、実際の入力との差である予測誤差を利用して、知覚や内部モデルを更新するという枠組みが論じられます。

ただし、予測処理によって、すべての錯視が統一的に説明できると確定したわけではありません。ミュラー・リヤー錯視など、単純な予測誤差の最小化だけでは説明が難しい現象も指摘されています。

科学の歴史は、「古い理論が間違い、新しい理論が正解になった」という単純な階段ではありません。

異なる理論が、同じ現象を別の角度から説明し、実験によって長所と限界を確かめ合ってきた歴史です。

ヘルムホルツとグレゴリーは、知覚を推論や仮説として考えました。

それでは、仮説や推論に関係する働きを、実際の神経細胞の活動として調べることはできるのでしょうか。

この問いを追うため、錯視研究は心理学から視覚神経科学へ、さらに新しい段階へ進んでいきます。

12.ヒューベルとウィーセル

視覚を神経細胞から調べる

ヘルムホルツやグレゴリーは、視覚を「推定」や「仮説」という考え方から説明しました。

しかし、その働きは脳の中で、どのように実現しているのでしょうか。

20世紀になると、研究者たちは、本人が報告する見え方だけでなく、視覚刺激を見せたときの神経細胞の活動を直接記録するようになりました。その研究の基盤を築いた代表的な人物が、デイヴィッド・ヒューベルとトルステン・ウィーセルです。

ただし、二人は錯視そのものを専門に研究した人物ではありません。重要なのは、視覚情報が大脳皮質でどのように処理されるのかを、神経細胞の反応から明らかにしたことです。

二人はどのような研究者だったのか

デイヴィッド・ハンター・ヒューベルは、1926年(大正15年)2月27日にカナダのウィンザーで生まれ、2013年(平成25年)9月22日に87歳で亡くなった神経生理学者です。

トルステン・ニルス・ウィーセルは、1924年(大正13年)6月3日にスウェーデンのウプサラで生まれました。医学を学んだ後、アメリカへ渡り、視覚神経科学の研究を進めました。二人は1958年(昭和33年)にジョンズ・ホプキンス大学で共同研究を始め、その後も長期間にわたって視覚野を研究しました。

神経細胞が受け持つ「受容野」

視覚系の神経細胞には、それぞれ、刺激を与えると活動が変化する視野の範囲があります。

この範囲は、receptive field(リセプティブ・フィールド/受容野)と呼ばれます。

ある神経細胞は、視野の中央付近に刺激が現れると反応しますが、別の場所に同じ刺激を出しても、ほとんど反応しないことがあります。

つまり、視覚野の一つひとつの神経細胞は、目に映る景色のすべてへ同じように反応しているわけではありません。視野の位置や、刺激の形、向きなどに応じて異なる役割を持っています。

ヒューベルとウィーセルは1959年(昭和34年)の研究で、ネコの一次視覚野にある神経細胞の受容野を詳しく調べました。

線の向きを区別する神経細胞

二人は、一次視覚野の多くの神経細胞が、単純な光の点よりも、細長い線や明暗の境界へ強く反応することを示しました。

さらに、好んで反応する線の向きは、神経細胞によって異なります。

縦向きの線へ強く反応する細胞もあれば、斜めや横向きの線へ強く反応する細胞もあります。

この性質は、orientation selectivity(オリエンテーション・セレクティビティ/方位選択性)と呼ばれます。

ここでいう「方位」は、線が縦・横・斜めのどちらを向いているかを表します。動く方向に反応する「運動方向選択性」とは区別されます。

二人は、神経細胞の反応の特徴から、simple cell(シンプル・セル/単純型細胞)やcomplex cell(コンプレックス・セル/複雑型細胞)などを区別しました。後の研究によって分類や処理の仕組みはさらに検討されていますが、視覚野の細胞が刺激の特徴へ選択的に反応するという発見は、視覚神経科学の重要な基盤になりました。

左右の目から届く情報

ヒューベルとウィーセルは、左右の目から届いた情報が、視覚野でどのように扱われるかも調べました。

視覚野には、片方の目からの入力へ強く反応する細胞もあれば、左右両方の目から情報を受け取る細胞もあります。

左右どちらの目からの入力が優勢かという性質は、ocular dominance(オキュラー・ドミナンス/眼優位性)と呼ばれます。

二人の研究は、両眼視や立体視が、左右の画像を単純に重ね合わせるだけではなく、大脳皮質の組織化された神経回路によって支えられていることを理解する基礎となりました。

幼い時期の視覚経験と脳の発達

二人は、視覚野の発達に経験がどのような影響を与えるかも研究しました。

発達初期の動物で、一方の目から正常な模様や輪郭の情報が入らない状態を作ると、その目からの情報を受け取る神経細胞の反応が弱まり、反対側の目の入力が優勢になります。

この結果は、視覚野の正常な発達には、光が入ることだけでなく、形や輪郭を含む適切な視覚経験が重要であることを示しました。

発達の特定の時期に経験の影響を受けやすい性質は、sensitive period(センシティブ・ピリオド/感受性期)やcritical period(クリティカル・ピリオド/臨界期)という問題につながりました。また、経験によって神経回路が変化するplasticity(プラスティシティ/可塑性)の研究にも、大きな影響を与えました。

ヒューベルとウィーセルは、「視覚系における情報処理に関する発見」によって、1981年(昭和56年)のノーベル生理学・医学賞の半分を共同受賞しました。残りの半分は、大脳半球の機能分化を研究したロジャー・スペリーへ授与されています。

錯視研究とどうつながるのか

錯視には、線、輪郭、傾き、色、明るさ、動き、奥行きなどの処理が関係します。

ヒューベルとウィーセルの研究によって、これらの視覚的特徴が、大脳皮質の神経細胞によって選択的に扱われることが分かってきました。

たとえば、ツェルナー錯視では、周囲の斜線が線の傾きの判断へ影響します。ミュラー・リヤー錯視では、線端や角度、図形全体の配置が長さの判断へ関係します。

こうした現象を考えるうえで、線の向きや輪郭が初期視覚野でどのように表現されるかは重要です。

ただし、錯視を起こす一つの「錯視中枢」が脳内にあるわけではありません。

ある錯視では網膜に近い明暗処理が重要になり、別の錯視では一次視覚野、高次視覚野、注意、記憶、経験、文脈などが関係します。

二人の研究は、錯視の原因を一つに決めたのではありません。

視覚が、複数の特徴を扱う神経細胞と回路によって成り立っていることを示し、錯視を脳活動から調べる道を開いたのです。

13.現代の錯視研究

見る・測る・脳を調べる

現代の錯視研究では、特定の人物の理論だけでなく、複数の研究者と方法を組み合わせて、見え方の仕組みを調べます。

一つの装置ですべてが分かるわけではありません。それぞれの方法には、得意なことと限界があります。

見え方を数値にする心理物理学

psychophysics(サイコフィジックス/精神物理学)では、刺激の長さ、明るさ、角度、提示時間などを少しずつ変え、人の判断がどのように変化するかを測ります。

たとえば、ミュラー・リヤー錯視では、一方の線を少しずつ長くしたり短くしたりして、二本が同じ長さに見える位置を調べます。

物理的に同じ長さかどうかだけではなく、どの程度の差を付けると知覚上のずれが打ち消されるのかを測ることで、錯視の強さを数値化できます。

この方法は、錯視の条件差、年齢差、個人差、文化差などを研究する基本となります。

脳活動を測定する場合でも、まず「何が、どの程度見えていたのか」を行動として確かめることが欠かせません。

視線を調べる眼球運動計測

eye tracking(アイ・トラッキング/眼球運動計測)では、観察者が画像のどこを見たのか、どの順番で見たのか、どこへ視線を留めたのかを記録します。

錯視の中には、視線を移動した直後や、まばたきの後に見え方が強くなるものがあります。一方で、視線を固定しても残る錯視もあります。

そのため眼球運動を測れば、錯視が視線の動きだけで説明できるのか、それとも視線を固定した後も続く視覚処理があるのかを検討できます。

ただし、目が向いている場所と、注意が向いている場所は必ずしも一致しません。眼球運動計測は、人の考えを直接読み取る方法ではなく、視覚行動を調べる手がかりです。

処理の時間を調べるEEGとERP

EEG(イーイージー)は、electroencephalography(エレクトロエンセファログラフィー/脳波記録法)の略称です。

頭皮に付けた電極を使い、脳の電気活動に伴う電位変化を記録します。

ERP(イーアールピー)は、event-related potential(イベント・リレーテッド・ポテンシャル/事象関連電位)の略称です。

錯視図を提示した時刻を基準にして脳波を繰り返し記録し、平均することで、刺激や判断に関係した反応を取り出します。

EEGやERPは、脳活動の変化をミリ秒単位で追いやすいことが強みです。錯視に関係する違いが、刺激を見た直後から現れるのか、それとも注意や判断に近い段階で現れるのかを調べられます。

一方、頭皮上の電位から、脳内の活動場所を細かく特定することには限界があります。

関係する脳領域を調べるfMRI

fMRI(エフエムアールアイ)は、functional magnetic resonance imaging(ファンクショナル・マグネティック・レゾナンス・イメージング/機能的磁気共鳴画像法)の略称です。

fMRIは、神経細胞の発火を直接撮影する方法ではありません。神経活動に伴って生じる血流や血液中の酸素化の変化を測定し、活動と関係する脳領域を推定します。

たとえば、同じ刺激を見ている間に、ルビンの壺が「壺」から「顔」へ切り替わったとき、どの脳領域やネットワークの活動が変化するのかを比較できます。

fMRIは、脳内の位置を比較的詳しく調べられる一方、急速な神経活動の時間変化を追う点ではEEGやERPに及びません。

脳領域の役割を確かめるTMS

EEGやfMRIで活動が見つかっても、その領域が錯視の成立に必要なのか、錯視が生じた結果として活動したのかは、それだけでは判断できません。

TMS(ティーエムエス)は、transcranial magnetic stimulation(トランスクラニアル・マグネティック・スティミュレーション/経頭蓋磁気刺激)の略称です。

頭部の外側から磁気刺激を与え、大脳皮質の神経活動へ一時的な影響を及ぼします。

刺激する場所やタイミングによって錯視の見え方が変化すれば、その領域が知覚の成立に関係している可能性を、より因果的に検討できます。

ただし、刺激の影響は脳内の一点だけに完全に限定されるわけではありません。刺激の位置、強さ、個人差、領域間のつながりを考慮する必要があります。

複数の方法を組み合わせる理由

心理物理学は、「何がどの程度見えたか」を測ります。

眼球運動計測は、「どこをどの順番で見たか」を調べます。

EEGやERPは、「いつ処理が変化したか」を追います。

fMRIは、「どの脳領域やネットワークが関係したか」を調べます。

TMSは、「その領域が知覚へ必要か」を検討する手がかりになります。

どの方法にも限界があるため、現代の錯視研究では、複数の方法から得られた結果を照らし合わせます。

理論を計算モデルで確かめる

現代では、bottom-up processing(ボトムアップ・プロセシング/ボトムアップ処理)、top-down processing(トップダウン・プロセシング/トップダウン処理)、recurrent processing(リカレント・プロセシング/再帰的処理)、ベイズ的推論、予測処理などが、錯視の説明に使われています。

さらに、自然の画像に含まれる輪郭、明暗、色、動きの統計的な特徴を分析し、視覚システムが環境の規則へどのように適応しているかを調べる研究もあります。

computational model(コンピュテーショナル・モデル/計算モデル)を使えば、ある仕組みを仮定したとき、実際の錯視と似た結果が生じるかを確かめられます。

ただし、コンピューターが人間と似た答えを出しても、人間と完全に同じ仕組みで処理していると証明されたわけではありません。

予測処理も有力な枠組みの一つですが、すべての錯視を一つの説明で解決できると確定した理論ではありません。

現代日本の研究者・北岡明佳

北岡明佳氏は、知覚心理学を専門とし、幾何学的錯視、色や明るさの錯視、静止画が動いて見える運動錯視などを研究してきました。

立命館大学の公式紹介では、錯視の実験心理学的研究に加えて、錯視のデザインと公開にも取り組んでいることが紹介されています。

インターネットを通じて多数の錯視作品を公開し、研究と教育、一般の人が体験できる視覚表現を結びつけてきた点に、現代の錯視研究史上の特徴があります。

【関連記事:『北岡明佳』とは?なぜ静止画が動いて見える?「蛇の回転」と錯視研究をわかりやすく解説】

14.現在、錯視についてどこまで分かっているのか

錯視は長く研究されてきましたが、すべての錯視を説明する一つの答えが見つかったわけではありません。

ここでは、比較的確かにいえることと、まだ決着していないことを分けて整理します。

比較的確かにいえること

第一に、知覚は網膜像の単純な写しではありません。

視覚情報は、網膜から脳へ送られる途中と、大脳皮質の複数の領域で処理されます。さらに、高次の視覚領域から初期視覚領域へ戻る処理もあります。

第二に、周囲の文脈や図形全体の配置が、部分の見え方へ影響します。

ミュラー・リヤー錯視では、中央線の見え方が両端の斜線によって変化します。ルビンの図では、同じ境界線が壺にも顔にもなります。カニッツァの三角形では、周囲の配置によって描かれていない輪郭が見えます。

第三に、錯視の種類によって関係する仕組みは異なります。

長さ、明るさ、色、動き、奥行き、図と地、錯視的輪郭を、すべて一つの原因だけで説明することはできません。

第四に、正解を知っても消えにくい錯視があります。

「同じ長さだと理解すること」と「同じ長さに見えること」が一致しない場合があるのは、知識による判断と、自動的に働く視覚処理が完全には同じではないためです。

第五に、錯視には個人差があります。

ただし、一つの錯視で大きな効果を感じる人が、すべての錯視を強く感じるとは限りません。同じ錯視についての測定値は比較的安定していても、異なる錯視同士の関連は弱い場合があり、錯視ごとに異なる要因が関係している可能性があります。

そして、錯視は通常の視覚を調べるための重要な研究手段です。

錯視が起きる条件と起きない条件を比べれば、普段は意識できない視覚処理を調べられます。

まだ決着していないこと

ミュラー・リヤー錯視には、奥行き、大きさの恒常性、線端の処理、図形全体の広がり、比較過程など、多くの説明があります。

しかし、すべての変形図形と実験条件を、単独で説明できる理論は確定していません。

文化、生活環境、学習、発達、加齢が錯視へ与える影響についても、研究結果を単純化できません。

集団間の違いが見つかった場合でも、文化だけでなく、教育、年齢、課題への慣れ、測定方法などを考慮する必要があります。

人間以外の動物にも、幾何学的錯視と一致するような選択行動が報告されています。

ただし、動物の行動が人間と似ていることと、人間と同じ主観的な見え方を経験していることは同じではありません。

人工知能(AI/エーアイ)の画像認識モデルも、図形の文脈や模様によって判断を変えることがあります。

これを「AIが錯視にかかった」と表現する場合がありますが、基本的には人間との機能的な類似を示す比喩です。AIが人間と同じ主観的な見え方を経験していることを意味しません。

ベイズ的知覚や予測処理が、視覚の統一理論になり得るかについても議論が続いています。

幅広い現象を説明できる理論は魅力的ですが、説明できる範囲が広すぎると、どのような実験結果によって理論が否定されるのかが不明確になる可能性があります。

現代科学が明らかにしたのは、

「錯視の原因はこれ一つだ」という答えではありません。

むしろ分かってきたのは、

私たちが「見る」と呼んでいる働きが、想像以上に多くの処理から成り立っているということです。

15.年表で振り返る錯視研究の知識リレー

ここまで紹介してきた研究の流れを、年表で振り返ってみましょう。

時期人物・出来事研究史上の役割
1604年(慶長9年)ヨハネス・ケプラー眼球内で光が屈折し、網膜上に像が結ばれる仕組みを光学的に説明する
1709年(宝永6年)ジョージ・バークリー距離知覚と経験・学習の関係を論じる
1830年代ヨハネス・ペーター・ミュラー感覚の種類と感覚器官・神経経路の関係を体系化する
1838年(天保9年)チャールズ・ホイートストンステレオスコープを発表し、両眼視差から立体感が生じることを研究する
1850年代〜1860年代ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ眼球の光学、生理学、経験を結びつけ、無意識的推論を論じる
1860年(万延元年)グスタフ・フェヒナー『精神物理学綱要』を刊行し、刺激と感覚の関係を測る精神物理学を体系化する
1860年(万延元年)ヨハン・ツェルナー周囲の斜線によって平行線が傾いて見える錯視を報告する
1879年(明治12年)ヴィルヘルム・ヴントライプツィヒ大学で心理学の継続的な実験研究体制を整える
1889年(明治22年)フランツ・カール・ミュラー=リヤー同じ長さの線が、端の形によって違って見える錯視を報告する
1912年(明治45年/大正元年)マックス・ヴェルトハイマー仮現運動を研究し、ゲシュタルト心理学の重要な出発点を作る
1915年(大正4年)エドガー・ルビン図と地の関係を体系的に研究する
1955年(昭和30年)ガエタノ・カニッツァ物理的に存在しない輪郭や表面が見える現象を研究する
1959年(昭和34年)以降デイヴィッド・ヒューベル、トルステン・ウィーセル視覚野の受容野、方位選択性、両眼視、視覚発達を神経細胞の活動から研究する
1960年代〜1980年代リチャード・グレゴリー知覚を外界についての仮説として捉え、錯視を知覚の仕組みを調べる手がかりとして論じる
20世紀後半〜現代多数の研究者心理物理学、眼球運動、EEG、fMRI、TMS、計算モデルを組み合わせる
21世紀北岡明佳氏を含む現代の研究者運動・色・明るさの錯視、個人差、動物、AIなどへ研究対象を広げる

ケプラーからホイートストンまでの研究は、網膜像、距離、両眼視を考えるための準備となりました。

フェヒナーとヴントは、見え方を測定し、心理学を継続的に実験する体制を整えました。ツェルナーやミュラー=リヤーは、単純な図形を繰り返し調べられる研究対象として提示しました。

ヴェルトハイマー、ルビン、カニッツァは、研究の問いを「部分のずれ」から、「全体のまとまり」「図と地」「存在しない輪郭」へ広げました。

ヒューベルとウィーセル以降、研究者は、こうした知覚の働きを神経細胞や脳活動から調べるようになりました。グレゴリーは、錯視を知覚仮説の仕組みを探る手がかりとして位置づけました。

錯視研究の歴史とは、一人の研究者が正解を見つけて終わった歴史ではありません。

一つの時代に残された疑問を、次の時代の研究者が新しい方法で調べ直し、さらに新しい問いを残してきた歴史なのです。

16.おまけコラム

錯視研究者たちは、錯視だけを研究していたわけではない

ここまでの歴史を振り返ると、ヘルムホルツ、ケーラー、カニッツァ、グレゴリーなど、多くの研究者が登場しました。

現在では、それぞれの名前が特定の理論や錯視と結びついています。

しかし、実際の研究者たちは、一つの錯視だけを見つめて生涯を送ったわけではありません。

音楽、動物の知能、芸術、科学教育など、まったく別の分野へ足を踏み入れた人物もいました。

その意外な横顔を知ると、錯視研究が心理学だけの狭い分野ではなく、人間、動物、芸術、自然科学をつなぐ研究だったことが見えてきます。

ヘルムホルツは、目だけでなく「音楽を聴く耳」も研究した

ヘルムホルツは、検眼鏡や無意識的推論による視覚研究で知られています。

しかし、彼が詳しく調べたのは視覚だけではありません。

1863年(文久3年)には、音の物理的性質、耳の仕組み、音楽理論を結びつけた『音感覚論』を刊行しました。

ヘルムホルツは、音がどのような振動から作られているのか、耳が複雑な音をどのように聞き分けるのか、なぜ二つの音が心地よく響いたり、不協和に感じられたりするのかを、物理学、生理学、解剖学から研究しました。

一見すると、「物を見ること」と「音楽を聴くこと」は別の研究に思えます。

しかし、ヘルムホルツにとっては、どちらも同じ大きな問いにつながっていました。

外から届く物理的な刺激は、感覚器官と神経を通ることで、どのような経験へ変わるのか。

光の波が色や形として感じられ、空気の振動が高さや音色として感じられる。

ヘルムホルツは、見ることと聞くことの両方を研究することで、物理世界と人間の感覚を結びつけようとしたのです。

ケーラーは、図形のまとまりからチンパンジーの問題解決へ進んだ

ゲシュタルト心理学の中心人物であるヴォルフガング・ケーラーは、知覚のまとまりだけでなく、動物が問題をどのように解決するのかも研究しました。

ケーラーはカナリア諸島のテネリフェ島で、チンパンジーが手の届かない食べ物を取る様子を観察しました。

食べ物へ手が届かないとき、棒を使って引き寄せたり、箱を積み重ねて高い場所へ登ったりする行動が見られました。

ケーラーは、その行動を、偶然の試行錯誤を繰り返した結果だけではなく、物、道具、目的の関係を全体として捉えた問題解決だと考えました。

このような解決は、insight(インサイト/洞察)と呼ばれ、動物心理学や学習心理学へ大きな影響を与えました。

もちろん、チンパンジーの行動がすべて人間と同じ思考によるものだと証明されたわけではありません。

それでも、ケーラーの研究は、「動物は刺激に機械的に反応するだけなのか」という当時の考えに、新しい問いを投げかけました。

ゲシュタルト心理学が重視した「全体の関係」は、図形を見る場面だけの問題ではなかったのです。

複数の道具と目的の関係を捉える問題解決にも、同じ考え方が広げられました。

カニッツァは、心理学者であると同時に芸術家だった

描かれていない三角形を見せたガエタノ・カニッツァは、実験心理学者であると同時に、絵画作品を制作する芸術家でもありました。

カニッツァの作品には、輪郭、対称性、凹凸、重なり、表面のまとまりなど、彼が科学者として研究していた問題と重なる視覚的な特徴が現れています。

科学的な図と芸術作品は目的の異なるものでしたが、どちらにも、

いくつかの形を配置すると、なぜ予想しなかった全体が現れるのか

という関心が感じられます。

カニッツァは自身の絵画をヴェネツィア・ビエンナーレにも出品しました。現在、トリエステ大学では、科学者と芸術家という二つの顔を紹介する常設展示が設けられ、錯視図と芸術作品を含む30点以上が紹介されています。

カニッツァの三角形が今も人の目を引くのは、科学的に重要だからだけではないでしょう。

黒い円と線を少し配置しただけで、そこにない白い三角形が現れる。

研究刺激として条件を操作しやすい一方、見る人の感覚へ直感的に訴える造形としても完成されています。

錯視研究と芸術は同じものではありません。

しかし、どちらも、物理的に置かれた線や色から、見る人の中にどのような形が生まれるのかを問いかけています。

グレゴリーは、研究成果を博物館や科学教育へつなげた

リチャード・グレゴリーは、知覚仮説や錯視研究を学術論文の中だけに閉じ込めませんでした。

1972年(昭和47年)には、知覚研究を扱う学術誌『Perception(パーセプション)』の創刊に関わり、心理学だけでなく、芸術や哲学も含む幅広い知覚研究の発表を支えました。

さらに、1978年(昭和53年)には、イギリスのブリストルに体験型科学施設「Exploratory(エクスプロラトリー)」を設立しました。

展示物を遠くから眺めるだけでなく、来館者が実際に触り、動かし、試すことで科学を理解する施設です。イギリスにおける初期の体験型科学センターの一つとして位置づけられています。

錯視は、説明を読むだけよりも、実際に体験した方が強く印象に残ります。

二本の線が同じ長さだと測って確認しても、まだ違って見える。

白い三角形が描かれていないと知っても、輪郭が浮かんで見える。

グレゴリーは、この「自分の目で確かめたときに生まれる驚き」を、研究だけでなく科学教育にも生かしました。

錯視は、人に知識を一方的に教えるだけの材料ではありません。

見る人自身に、

自分が見ている世界は、どのように作られているのだろう。

と考えさせる、参加型の科学教材にもなるのです。

異なる分野へ進んだからこそ、見えてきたもの

ヘルムホルツは、視覚から音響学と音楽へ進みました。

ケーラーは、図形のまとまりから動物の問題解決へ研究を広げました。

カニッツァは、知覚心理学と芸術の両方で、形が生まれる瞬間を追究しました。

グレゴリーは、研究室で得た知識を学術誌や体験型科学施設へつなげました。

これらは、本来の研究から外れた単なる寄り道ではありません。

異なる分野へ進んだからこそ、「見ること」が感覚だけの問題ではなく、音楽、行動、芸術、思考、教育などにもつながっていることが明らかになりました。

錯視研究の歴史を作ったのは、不思議な図を発見した人々だけではありません。

一つの現象を見て、そこから別の分野へ問いを広げた人々でもあったのです。

17.まとめ・考察

錯視の歴史は「見ること」を疑い続けた歴史

錯視研究には、「この人物がすべてを始めた」といえる一人の発明者はいません。

光が眼球の中でどのように像を結ぶのかを考えた研究者がいました。距離や奥行きには経験が関係すると論じた哲学者もいました。感覚を数値として測ろうとした研究者、単純な線や図形から見え方のずれを発見した研究者、知覚を神経細胞の活動から調べた研究者もいました。

それぞれの人物が、前の時代に残された疑問を受け取り、新しい方法で調べ、次の時代へ別の疑問を渡してきたのです。

ヘルムホルツは、見ることを、目に入った情報の単純な受け取りではなく、経験などを手がかりに外界を推定する働きとして捉えました。

フェヒナーの精神物理学やヴントの実験心理学は、「どのように見えたか」という主観的な経験を、刺激条件や判断結果との関係から測定する道を開きました。

ツェルナーやミュラー=リヤーらが示した幾何学的錯視は、同じ条件を繰り返し作り、見え方のずれを比較できる実験刺激となりました。

ゲシュタルト心理学は、知覚を部分の単純な足し算としてではなく、配置や関係を持つ全体として考えました。

ルビンは、同じ境界線が壺の輪郭にも人の顔にもなり得ることを通して、何が対象となり、何が背景となるのかを問い直しました。

カニッツァは、物理的には描かれていない輪郭や表面まで見える現象を示し、視覚が限られた情報から形や物体を組織化していることを明らかにしました。

グレゴリーは、知覚を外界についての仮説として捉え、錯視を、その仮説がどのように作られるのかを知る手がかりとしました。

さらに、ヒューベルとウィーセルをはじめとする神経科学の研究によって、輪郭、向き、両眼からの情報、視覚経験などが、大脳皮質の神経回路と関係していることが調べられるようになりました。

そして現代では、心理物理学、眼球運動計測、脳波、機能的磁気共鳴画像法、経頭蓋磁気刺激、計算モデルなどを組み合わせ、錯視が起こる時間、場所、条件、個人差まで研究されています。

しかし、ここまで研究が進んでも、すべての錯視を説明する一つの理論が完成したわけではありません。

長さの錯視と色の錯視では、関係する仕組みが異なります。静止画が動いて見える現象と、壺と二人の顔が入れ替わって見える現象も、同じ原因だけでは説明できません。

現代科学が明らかにしたのは、「錯視の原因はこれ一つだ」という単純な答えではありません。

むしろ分かってきたのは、私たちが日常的に行っている「見る」という働きが、想像以上に多くの処理から成り立っているということです。

錯視は、視覚の失敗なのでしょうか

錯視を見ると、「目がだまされた」「脳が間違えた」と表現したくなるかもしれません。

確かに、物理的な測定結果と知覚が一致しないという意味では、錯視にはずれがあります。

しかし、そのずれを、単純な故障として扱うだけでは、錯視研究の本当の面白さを見失ってしまいます。

私たちの目へ届く情報は、いつも完全ではありません。

物体の一部は別の物体に隠れ、明るさは照明によって変化し、遠くの物体は網膜上で小さくなります。それでも私たちは、日常生活の中で、物体の形や大きさ、距離を比較的安定して判断できます。

視覚は、限られた情報を受け取りながら、周囲の配置、過去の経験、物体同士の関係などを利用して、一つの意味ある世界を作り上げています。

普段はその働きがあまりに自然で速いため、私たちは「世界をそのまま見ている」と感じます。

錯視は、その自動的な働きを、目に見える形で表面へ出してくれます。

その意味で錯視は、目や脳の欠点というよりも、

視覚が普段どのような規則を使って世界を理解しているのかを知らせる、小さな実験窓

と考えることができます。

私たちは、世界そのものを見ているのでしょうか

錯視研究の歴史が投げかける最も深い問いは、「なぜこの線が長く見えるのか」だけではありません。

私たちが普段「現実」と呼んでいるものを、どのように経験しているのかという問いです。

もちろん、錯視が起こるからといって、「外の世界は存在しない」「すべては心が作った幻である」という結論にはなりません。

私たちは外界から届く光を受け取り、その情報をもとに知覚しています。

しかし、外界の状態と、私たちが経験する見え方は、完全に同じものではありません。

見ることは、世界をそのまま写すことではなく、世界から届いた情報を使って、行動できる形へ整理することだと考えられます。

ここに、錯視研究の少しユニークな教訓があります。

人間は「正確なカメラ」ではありません。

けれども、正確なカメラではないからこそ、不完全な情報から素早く意味を見つけ、隠れた物体を補い、変化する環境の中を行動できます。

錯視は、見る力が弱いことを示すだけではありません。

見る力が、測定器とは異なる目的のために発達してきたことを示しているのかもしれません。

このような体験はありませんか

遠くから人影を見て、知り合いだと思って近づいたら、まったく別の人だった。

暗い部屋に掛けてある服が、一瞬だけ人の姿に見えた。

スマートフォンで写真を見たときには自然な色だと思ったのに、別の画面で見ると印象が変わった。

文章の一部を読み飛ばしていたのに、意味が自然につながっていると思い込んでいた。

このような経験も、目に入った情報を一つずつ完全に調べるのではなく、周囲の状況や過去の経験を使って、素早く意味を組み立てていることと関係しています。

もちろん、これらをすべて正式な錯視と呼べるわけではありません。

それでも、私たちが「見たもの」と「実際にそこにあったもの」が、いつも完全に一致するとは限らないことを身近に感じさせる体験です。

錯視を意識して生活してみると、日常の見え方が少し変わるかもしれません。

広告の文字が実際より大きく目立って見えるのは、周囲の余白や色の影響かもしれません。

部屋が広く感じられるのは、壁の色、照明、鏡、家具の配置が関係しているかもしれません。

写真の料理がおいしそうに見えるのも、色、明るさ、影、背景との対比が影響している可能性があります。

このように考えると、錯視研究は実験室の中だけにあるものではありません。

デザイン、建築、交通表示、映像、教育、商品展示など、日常生活のさまざまな場面に関係しています。

ただし、錯視の知識を使えば、人の判断を自由に操れるという意味ではありません。人の知覚や判断には、視覚以外にも知識、感情、目的、文化、個人差など、多くの要因が関係します。

大切なのは、見え方には条件があり、自分の最初の印象が、外界の唯一の正しい姿とは限らないと知ることです。

錯視研究から得られる、もう一つの考察

錯視を知ることは、自分の目を疑って何も信じられなくなることではありません。

むしろ、自分の知覚がどのような条件で作られているのかを考え、必要なときには測定や別の視点によって確かめる姿勢につながります。

二本の線が違って見えても、定規で測れば同じ長さだと確認できます。

一つの図が壺に見えても、見方を変えれば二人の顔が現れます。

最初の見え方だけに固執せず、別の見方があり得ると考えることは、錯視を見るときだけでなく、日常の判断にも通じる姿勢ではないでしょうか。

もちろん、人間関係や社会問題を、視覚的錯視とまったく同じ仕組みで説明することはできません。

それでも、

自分にはこう見えているが、別の条件や立場からは違って見える可能性がある

と考える習慣は、慎重に物事を見るための一つの手がかりになります。

錯視研究は、正しい答えを知って終わる学問ではありません。

なぜそのように見えたのかを問い、自分の見え方を作っている条件を探る学問です。

では、あなたが普段「そのまま見えている」と感じているものの中には、周囲の状況や過去の経験によって作られた見え方が、どのくらい含まれているでしょうか。

また、錯視について知った今、広告、写真、建物、絵画、映像などの見え方は、以前と同じでしょうか。

錯視研究の歴史は、人間の目の不完全さを証明するための歴史ではありません。

私たちが、限られた情報から、どのように一つの世界を見つけ出しているのかを探る歴史です。

ヘルムホルツから現代まで、多くの研究者が見つめてきたのは、不思議な図形だけではありません。

その図形を見ている、私たち自身だったのです。

18.疑問が解決した物語

錯視を発明した一人の人物はいなかった

調べ学習を始めてから数日後、航平さんの机の上には、図書館から借りた本と、人物の名前を書いたノートが並んでいました。

最初に探していたのは、「錯視を発明した一人の人物」です。

ところが、調べれば調べるほど、答えは一人の名前から遠ざかっていきました。

ケプラーは、光が眼球の中でどのように像を作るのかを調べました。

バークリーは、距離や奥行きの知覚には経験が関係すると考えました。

ヘルムホルツは、視覚が目に届いた情報から外界を無意識に推定すると論じました。

フェヒナーやヴントは、人の感覚や反応を実験によって測る方法を整えました。

ミュラー=リヤーは、同じ長さの線が違って見える図を、繰り返し調べられる研究対象として示しました。

ヴェルトハイマーたちは、知覚を部分の足し算ではなく、全体のまとまりとして考えました。

ルビンは、同じ画像でも、何を「図」として見るかによって対象が変わることを示しました。

カニッツァは、描かれていない輪郭や表面まで見える現象を研究しました。

グレゴリーは、知覚を外の世界について作られる仮説として捉えました。

さらに、ヒューベルとウィーセル以降の研究者たちは、見る働きを神経細胞や脳活動から調べる道を広げました。

航平さんは、最初に見つけたミュラー・リヤー錯視を、もう一度ノートの中央に描きました。

二本の直線部分は、同じ長さです。

定規で測れば、答えはすぐに分かります。

それでも、見た瞬間には片方が長く感じられます。

以前の航平さんなら、「目がだまされた」とだけ考えていたかもしれません。

しかし、今は少し違って見えました。

「この図は、目が悪いことを証明する図じゃないんだ」

航平さんは、ノートにそう書きました。

錯視は、人間の視覚が、周囲の形や配置、過去の経験などを使い、限られた情報から世界を素早く理解していることを示す手がかりです。

特別な図形の中では、その普段の処理によって、物理的な測定結果とは異なる見え方が生じることがあります。

錯視は単なる失敗ではなく、「見る仕組み」が表面に現れた現象なのです。

やがて、発表の日が来ました。

教室の前に立った航平さんは、最初の画面にミュラー・リヤー錯視を映しました。

「この二本の線は、どちらが長く見えますか?」

教室のあちこちから、「下の線」「右の線」と声が上がりました。

航平さんが、二本の直線部分は同じ長さだと説明すると、何人かが驚いた顔をしました。

そこで航平さんは、最初に抱いた疑問を紹介しました。

「僕は、この錯視を発明した人を調べようと思いました」

少し間を置いてから、続きを話します。

「でも、錯視を発明した一人の人物は見つかりませんでした。その代わりに、見る仕組みを少しずつ明らかにしてきた、たくさんの研究者が見つかりました」

航平さんは、黒板に一本の長い矢印を描きました。

光学から生理学へ。

生理学から実験心理学へ。

部分の測定から、全体のまとまりの研究へ。

そして、心理学から神経科学や計算科学へ。

一つの時代に残された疑問を、次の時代の研究者が受け取り、新しい方法で調べ直してきました。

図書館の先生が話していた「長いリレー」の意味を、航平さんはようやく理解しました。

錯視研究の歴史には、はっきりとした一人の出発者はいません。

しかし、それぞれの研究者が渡した問いと答えがつながり、現在の研究へ続いています。

発表の最後に、航平さんはこう話しました。

「錯視の歴史を調べて、僕は、自分に見えたものが間違いだと思う必要はないと分かりました。でも、最初に見えたものだけが、唯一の答えだと思わないことも大切です」

違って見える二本の線は、定規で測れば同じ長さだと確認できます。

壺に見える図も、見方を変えれば二人の顔が現れます。

最初の印象を否定するのではなく、別の見方や確かめ方があるかもしれないと考える。

それが、錯視研究の歴史から航平さんが学んだことでした。

発表が終わった後、図書館の先生が尋ねました。

「結局、錯視を始めたのは誰だった?」

航平さんは、少し考えてから答えました。

「一人ではありませんでした。みんなが前の人の疑問を受け取って、少しずつ研究を進めたんです」

先生はうなずきました。

航平さんは、もう一度ミュラー・リヤー錯視を見ました。

図の見え方は、最初の日とほとんど変わっていません。

しかし、その図に対する航平さんの考え方は、大きく変わっていました。

不思議な図の向こう側に、何百年にもわたって「見るとは何か」を問い続けた人々の姿が見えるようになったのです。

あなたが普段見ているものにも、周囲の状況や経験によって作られた見え方が含まれているかもしれません。

最初に見えたものを大切にしながら、別の角度から見たり、測ったり、誰かの見方を聞いたりすると、どのような新しい世界が見えてくるでしょうか。

19.文章の締めとして

錯視の図を見たとき、私たちは「自分の目は間違えた」と思うことがあります。

けれども、その不思議な見え方の背景には、限られた情報から世界を理解しようとする、人間の視覚の巧みな働きがあります。

そして、その仕組みを知ろうとしてきた研究者たちの歴史には、一つの疑問を次の時代へ渡しながら、少しずつ答えへ近づいてきた長い物語がありました。

この記事を読み終えた後、いつもの景色や身近な画像が、これまでとは少し違って見えることがあるかもしれません。

そのときは、目に見えたものをすぐに正しい、あるいは間違いと決めるのではなく、「なぜ自分にはこう見えたのだろう」と、ほんの少し立ち止まってみてください。

補足注意

本記事は、筆者が公開されている研究資料や信頼できる情報源をもとに、個人で確認できる範囲でまとめたものです。

錯視や知覚については、研究者や理論によって異なる見方があり、本記事で紹介した説明が唯一の正解というわけではありません。また、現在も解明されていない問題が多く、今後の研究によって、これまでの考え方が修正されたり、新しい仕組みが発見されたりする可能性があります。

🧭 本記事のスタンス

この記事が結論を覚えるためだけのものではなく、錯視や人間の「見る仕組み」に興味を持ち、ご自身でさらに調べるための入り口となれば幸いです。さまざまな立場や研究からの視点も、ぜひ大切にしてください。

ここで見えた不思議を入り口に、文献をひもとき、資料をたどり、「見える」を知るほど見えてくる「まだ見えない答え」を、あなた自身の目で見つけてみてください。

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました。

錯視研究の歴史は、世界の見え方には一つの答えだけではなく、問い続けることで初めて見えてくるものがあることを教えてくれているのかもしれません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました