5秒でわかる結論
物自体とは、人間の知り方から切り離して考えた物事そのものです。カントは、そのあり方を私たちは知ることができないと考えました。
小学生にもわかりやすく言うと
学校の教室にある机を思い浮かべてみてください。
私たちは机の色を見たり、手で触れたり、長さを測ったりして、机についていろいろなことを知ることができます。
でも、ここで一つ不思議な疑問があります。
もし、人間が見たり、感じたり、考えたりする仕組みを使わなかったら、机そのものがどうあるのかを知ることはできるのでしょうか。
カントという哲学者は、それはできないと考えました。
ただし、これは机について調べても何もわからない、という意味ではありません。
私たちは机について多くのことを知ることができます。その一方で、人間の知り方から切り離した「物事そのもの」については、知ることに限界があると考えたのです。
この記事を読むとわかること
きれいな夕焼けを見つけて、写真を撮ったことはありませんか。
ところが、あとから写真を見てみると、「あれ? 実際に見た色と少し違うな」と感じることがあります。
カメラの設定や光の受け取り方によって、写真の色が変わることがあるからです。
では、私たち人間が物事を見るときにも、何か決まった仕組みが関係しているのでしょうか。
ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、こうした人間の「知る」という働きそのものについて、深く考えました。
この記事では、次の三つをわかりやすく紹介します。
- 物自体と現象とは、どのような意味なのか。
- カントは、なぜ物自体について考えたのか。
- 私たちは世界について、どこまで知ることができるのか。
普段は当たり前だと思っている「見ること」や「知ること」について、一緒に考えてみましょう。
疑問が生まれた物語
月のことを全部知ることはできるの?
学校からの帰り道。
結衣と航は、夕方の空に白く浮かぶ月を見つけました。
「見て、もう月が出てるよ」
結衣が空を指さすと、航も顔を上げました。
「月って、あんなに小さく見えるのに、本当はすごく大きいんだよね」
「うん。図鑑で見たけど、月には大きな穴みたいな場所もたくさんあるんだって」
二人は、しばらく空を見上げていました。
すると航が、不思議そうにつぶやきました。
「ねえ、月のことって、もっと詳しく調べていけば、いつか全部わかるようになるのかな?」
結衣は少し考えました。
「どうだろう。でも、この前、図書室でちょっと不思議な言葉を見たよ」
「どんな言葉?」
「『物自体(ものじたい)』っていう言葉。人間が物事を知ることと関係があるみたいなんだけど、よくわからなかったんだ」
「物自体? 物そのものってこと?」
「私もそう思ったけど、何だかもっと難しい意味がありそうだったよ」
航は、もう一度月を見上げました。
「人間が物事を知ることと、どう関係しているんだろう?」
「明日、図書室で調べてみない?」
二人は、物自体という不思議な言葉について、もう少し詳しく知りたくなりました。
1 物自体とは?
カントが考えた「物事そのもの」
物自体(ものじたい)とは、人間が物事を見たり、理解したりする仕組みから切り離して考えた、物事そのもののことです。
ドイツ語では Ding an sich(ディング・アン・ジヒ、「物それ自体」)といいます。
この考えを哲学の重要な問題として取り上げたのが、ドイツの哲学者イマヌエル・カント(Immanuel Kant)です。
カントは、1781年(天明元年)に出版した『純粋理性批判』(じゅんすいりせいひはん)という本で、人間は何を確かな知識として知ることができ、どこから先は知ることができないのかを考えました。
そのなかで重要になるのが、「現象」と「物自体」の違いです。
冒頭の物語に登場した月を思い出してみましょう。
私たちは月がいつ、空のどこに見えるのかを観察したり、その動きを調べたりできます。
このように、私たちが経験できるものとして現れた物事を、カントは現象(げんしょう)と呼びました。
現象とは、ただ目に見える姿という意味ではありません。実際に観察したり、調べたりして知ることのできる物事も含まれます。
では、なぜカントは、現象とは別に「物自体」という言葉を使ったのでしょうか。
それは、人間が物事を知るときには、必ず人間自身の物の受け取り方や理解のしかたが関わっていると考えたからです。
たとえば、私たちは月を空のある場所に見つけ、時間とともに位置が変わっていくものとしてとらえます。そして、観察したことをもとに月について理解していきます。
カントは、このように人間が物事を経験し、理解する仕組みがあることを重視しました。
しかし、私たちが何かを知ろうとすれば、その仕組みを使わずに知ることはできません。
そのためカントは、私たちは現象について知ることはできても、人間の知り方から切り離した物自体が、それ自体としてどうあるのかを知ることはできないと考えたのです。
ただし、物自体は、月の裏側のように、まだ調べていない場所を指す言葉ではありません。
また、現象が偽物だという意味でもありません。
現象は私たちが経験を通して知ることのできる物事であり、物自体は、その経験のしかたから切り離して考えた物事そのものです。
この違いを考えることは、人間が何を確かな知識として知ることができるのか、その範囲を明らかにすることにつながります。
では、カントはなぜ、そこまで人間の「知る」という働きに注目したのでしょうか。
その背景には、人間が経験によって確かめられることと、考えることはできても知識として確かめられないことを、きちんと区別したいという問題がありました。
次の章では、カントがどのような人物で、なぜこの問題に取り組んだのかを詳しく見ていきましょう。

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