言葉までの経緯
主人と自分(犬のシュシュ)の店を守り戦ったシュシュ。小童(ルフィ)はバギー一味猛獣使いのモージとライオンのリッチーの一泡吹かせた。
ここまで戦っている。
ならば自分の町、自分と仲間で一から作り上げた町、その町のさながら町長と言い切っている、港町の町長ブードルが、感化しないはずはありません。
海賊に追いやられ、新たな土地におれ達の町をつくろうと、ただの荒れ地、そこから全てを始めたブードルと仲間達。
今や立派な港町へと成長し、町民とそしてブードルの宝、【さながら宝】ともいえる存在となります。
そんな宝を、勝手に無法に壊されようとしている、占領されようとしている、そんな状況で、そのような状態のなかでも、戦っているシュシュと小童の決意と態度を目の当たりにして、
ブードルが言った言葉
酷さながらじゃ!! さながら酷じゃ!! シュシュや小童が ここまで 戦っておるというのに
町長のわしが なぜ指くわえて 我が町が潰されるのを みておらねばならんのじゃ
漫画 ONE PIECE 第2巻第14話 〝無謀っ!!〟 より引用
でした。
酷さながら、さながらという言葉自体を余り使う機会はありませんが、さながら酷じゃ、と二度も酷と言い募り、さらには倒置法のように、単語を入れ替えててまで、酷を表現しているさまが、辛さと悔しさと、憤りの気持ちが、理不尽に虐げられてしまっている気持ちが、響いてきました。
ちなみに、「さながら」を調べてみると【そっくりそのまま。まるで。非常によく似ているさま。 もとのまま。すべて。 全部。】という意味のようです。
すると
第2巻第12話 わしはこの町の長さながらの町長じゃ!!!
は、全部町長という意味で使っていたのでしょうか。
第2巻第14話 わしの宝さながら!!!
は、すべて宝という意味で使っていたのでしょうか、
こちらはスッキリする感じもありますが。
第2巻第12話 エサさながらをやりに来ただけさながらなんじゃ
全てはエサ、それが全てなんじゃ。なんですかね
ある意味、格好の良い全てはエサのため、そのためだけに来た、
そのためだけの行動を取っている。
と自分の今の行動を明文化できる、
言語化しハッキリと語っている、語ることのできる。
そんな人物は、尊敬に値すると言えそうです。
町長にとって、「さながら」とは、
調べた意味では当てはまらない、
それでは収まりきらないほどの意味を含めた、
町長の口癖であり、思い入れの言葉なのかもしれませんね。
もしくは、「さながら」(宛ら)ではないのかも知れません。
が、それでも町長の言葉からは強く確固たる決意を感じ取れました。
心に響いたこと
自身の宝、その宝を虐げられてしまった、それだけならば、ここまでの憤りは感じなかったかも知れません。
自分や町民が無事ならば、町は再建できる、無事であることが皆の願いであり、無事であることが喜びであり希望なのだから。
立て直すことはできても、人を蘇らせることはできないのだから(通常ならばとついてしまうのでしょうが)。
そのことを知っていても、それでも今回の状況の理不尽さを、飲み込むことができなかったのは、自分のことではなく、他者(犬)の行為に勇気と勇猛さを心意気を感じたからなのでしょう。
自身の意地ではなく、他者の想いを汲み取り、必要なものを大切なものが何なのかを改めて感じ取った、改めて自身にとって今必要な行動は、必要な気持ちは何なのかを、感じ取った瞬間、たまりにたまり抑え込もうとしていた気持ちが膨れ上がり、気持ちが溢れて口から発せられた言葉なのだと感じた、心に響いた言葉でした。
自分ではなく、他者の行動からも、自分の行動や気持ちを改めて考えさせられることの出来る人物、そのような存在に近づきたいと感じられました。
今やるべきこと、やらなくてはいけないことを理由をつけて、後回しや言い訳でやらないことに自分を動かすのではなく、動くことへの理由を見つたのならば、動くことが必要なのだと感じたなら、知ったならば動き出せる、そのような存在を町長の言葉から込みとった気がします。
皆様には今回の言葉はどのように感じられたのでしょうか。
少しでも新しい発見があれば幸いです。
今回の言葉を、直接読んでみたい場合は
をぜひ読んでみてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
漫画 ONE PIECE 尾田栄一郎 ジャンプ・コミックス 集英社
第2巻 第14話 〝無謀っ!!〟
を、是非読んでみて下さい。
皆様には、
どの様な新しい響きがあるのか、
楽しみです。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
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