ふたりのかたになにかがふれました。

絵本

仲良し兄妹に触れた何か

仲良し兄妹けんちゃんくみちゃん“けっけさん”がどのような存在なのかを想像しているうちに、二人の身体に何かが触れたという不思議な経験を味わえた瞬間です。

この何かの感覚、感触は結局は何だったのでしょうか?それまで二人が沢山想像していた内のひとつなのでしょうか?それとも二人の様子を見に来たパパの手による感覚だったのでしょうか?

それとも“けっけさん”

子供二人の想像力は豊かであり、様々な事を思い浮かべてはとても楽しんでいます。(兄の方は妹を驚かせようとしている感じもありますが…)

自分の分からない事に対して今までの経験や、今までの知識から想像していく、そしてその過程を楽しんでいる。

自分の知らない事を悩んだり、不安になってしまうのではなく、知らないことを逆手に取って楽しんでいる。

知らないからこそ想像は無限に広がっていく、限りなく自分の中で創りだせる、創り出しても良いいくらでも楽しんでいい、そこから今までにはなかった様々な事が発見されていく目覚めていくのだろうと、改めて感じさせられました。

二人の想像力はついに頭に思い浮かべるだけではなく、感覚として実際に身体に触れたと認識出来るまでになる(脳の伝達による感覚だったのか、実際にはパパだったのかは分かりませんが)、そこまで想像力を豊かにできた、想像力を夢中で掻き立てられるまでに楽しめる。

そんな二人にたいしての表現が、心に響いた感銘を受けた場面でした。

子供の頃は自分もこんなにも夢中になれていたのではないか、想像に限界を作らないであれこれ思考していたのではないか?

今の自分は、すぐに想像することををやめてしまう、最初から限界を作ってしまう、諦める言い訳を用意してから思考するようになってしまってはいないか、考えてみる必要があるのかもしれませんね、自分のためだけではなく、子供に限界を押し付けないためにも。

そのような無邪気な、けんちゃんとくみちゃんは、夜になっても二人の家からは賑やかな声が聞こえてきます、そんな二人を眠らせるために、ママは騒いでいると“けっけさん”がくるよと二人に言い眠らせようとします。

ママに言われた二人は2階の部屋へ行き、二人で並んで布団に入りますが“けっけさん”の正体が気になって仕方がありません。

くみちゃんは、前におばあちゃんが言った言葉から“けっけさん”についての想像をします、その想像に対してけんちゃんは、“けっけさん”はおばけじゃない?かと妹を驚かせる意味も込めて想像します。

そのように始まった想像もどんどんと豊かになっていき、様々な発想が生まれていきます。

そのように想像を巡らすけんちゃんとくみちゃんに、背後からもしくは頭上からその何かの影が迫ります、二人はその何かに気づかずに楽しく話し続けますが、影はスーッとちかづき

そして、トンッと ふたりの かたに なにかが ふれました。

まっくらけーのけっけさん より引用

二人はそれはそれは驚き、布団に潜り込みます。

すると、更には声も聞こえてきました。

けれどもその声はパパで、けんちゃんとくみちゃんの様子を見に来たのでした。

結局、肩に触れたのは、何だったんでしょうか?想像力が生み出した錯覚?パパの手の感触?それとも“けっけさん”どのよう結果だったとしても、中が良い兄妹が読み取ることができ、想像力はいろんな可能性を秘めているなと感じられた絵本でした。

皆さんは、“けっけさん”の正体や二人の方に触れた存在は何だったと思いますか?より深く考察したい、お子様と読んでみたいと思ってくれた場合は

まっくらけーのけっけさん 文 土田佳代子 絵 垂石眞子

こどものとも年中向き 2021年11月号第428号 福音館書店

を是非読んでみて下さい。

皆様とお子様にはどのような新しい響きがあるのか楽しみです。

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