アオアシ完結まで読んだからこそ感じた、デミアン戦への違和感と準優勝という結末への本音。そして、そのモヤモヤの先に見えてきた福田監督の狙いとアシトの未来。作品への敬意を込めて、最終回を深く考察します。
――デミアンの扱いと準優勝にモヤモヤした私が考えたこと
はじめに
ついに『アオアシ』が完結しました。
長い連載を追い続けてきた読者として、まずは一言。
本当に素晴らしい作品をありがとうございました。
サッカー漫画でありながら、ただ試合の勝ち負けを描くだけではない。
戦術。
認知。
組織。
成長。
そして「学び続けること」。
アオアシは、多くのスポーツ漫画とは少し違う場所を目指した作品だったように思います。
だからこそ、最終回を読んだあと、私は感動と同時に少し複雑な気持ちも抱きました。
特に感じたのが、
「デミアンの扱いは少しあっさりしすぎではなかったか」
そして、
「バルセロナに勝ったのに、なぜ準優勝で終わったのだろう」
ということです。
今回は、一人の読者として感じたことを整理しながら、『アオアシ』という作品が最後に何を描こうとしたのかを考えてみたいと思います。
正直に言うと、私はデミアンにもっと期待していた
デミアンは作中を通して特別な存在として描かれていました。
圧倒的な才能。
世界最高峰のユース選手。
プロ選手でさえ止められないと評価される存在。
そして福田監督が強く意識し続けていた人物。
読者の多くは、自然とデミアンを「ラスボス」のような存在として見ていたと思います。
だからこそ、試合終盤でエスペリオンが流れを引き寄せたとき、少し違和感が残りました。
もちろん、エスペリオンが成長したことは理解できます。
しかし個人的には、
「デミアンを攻略した」
というより、
「試合の流れが変わった」
ように感じたのです。
もしこれが典型的なスポーツ漫画なら、
ラスボスとの直接対決。
最後の駆け引き。
天才を超えた瞬間。
そうしたカタルシスが用意されていたかもしれません。
だから私は、
デミアンというキャラクターをもっと見たかった。
もっと苦しめられたかった。
もっと超えてほしかった。
そんな気持ちが少し残りました。
それでも作者は、デミアンを倒す物語を描きたかったわけではないのかもしれない
しかし、読み返してみると気づくことがあります。
アオアシは途中から、
「天才を倒す物語」
ではなくなっていたのではないか。
ということです。
アシトが成長するにつれて、作品のテーマも変化していきました。
個人の才能。
必殺技。
ライバルとの勝負。
そうしたものよりも、
サッカーを理解すること。
仲間を理解すること。
組織として機能すること。
そうした方向へ重心が移っていったように感じます。
そう考えると、デミアンは単なるラスボスではありません。
彼は「個人能力の極致」を象徴する存在だったのかもしれません。
そしてアシトは、「組織知の極致」を目指していた。
だから作者は、
「デミアンを倒した」
ではなく、
「デミアンがいる世界に到達した」
という描き方を選んだのではないでしょうか。
なぜ優勝ではなく準優勝だったのか
私が最も考えさせられたのはここです。
正直に言えば、私は優勝すると思っていました。
バルセロナを倒した。
あれほどの試合を描いた。
だから最後は頂点へ行くものだと思っていたのです。
(または、けが人が出ることや疲労がたまり、次戦からは苦戦すという流れがあるのか?とは思いましたが、決勝戦までは、勝ち抜きました、そのへんも、もやっとしてしまいました)
しかし結果は準優勝でした。
最初は驚きました。
でも時間が経つにつれて、
「作者は最初から優勝を描きたかったわけではなかったのかもしれない」
と思うようになりました。
もし優勝していたら。
もしアシトが世界一になっていたら。
もし全ての夢が叶っていたら。
そこで物語は終わってしまいます。
しかしアオアシの最後は違いました。
アシトは完成していません。
夢も途中です。
人生も途中です。
サッカー人生もまだ始まったばかりです。
だから準優勝だった。
これは敗北ではなく、
「ここから先も続いていく人生」
を描くための結果だったのかもしれません。
アオアシが最後に描いたもの
私は、アオアシはサッカー漫画として完結したというより、
成長物語として完結した作品だったと思っています。
プロになること。
世界で活躍すること。
優勝すること。
それらはもちろん大切です。
でも作者が最後まで描こうとしたのは、
学び続ける人間の姿だったのではないでしょうか。
アシトは最初、
ボールしか自分のゴールしか、見えていないかのような、選手でした。
(実際は自身の得点をみんなのゴールだと言っていたり、チームメイトに感謝いている内容も描かれていました)
しかし少しずつ視野を広げ、
仲間を見て、
チームを見て、
サッカー全体を見るようになりました。
そして最後には、
世界そのものを見ようとしていました。
これはサッカーの成長だけではありません。
人間としての成長でもあります。
まとめ
私は今でも、
デミアンをもっと見たかったと思っています。
準優勝ではなく優勝する結末も見てみたかったと思っています。
だから読者としての小さな物足りなさは確かにあります。
けれど、それでも私はこの終わり方を否定できません。
なぜなら作者は、
「夢を叶えた物語」
ではなく、
「夢を追い続けられる人間になった物語」
を描いたのだと思うからです。
アオアシは、サッカー漫画でありながら、
人生の学び方を教えてくれる作品でした。
そして最終回は、
ゴールではなく、新しいスタートラインを描いた物語だったのかもしれません。
だから私は、少しの寂しさと大きな感謝を込めて、こう思います。
アシトの物語は終わったのではない。
私たちが見えなくなっただけで、きっとこれからも続いていくのだと。



コメント