ーーーかみなり
イタズラをしすぎた、かみなりは、おしょうさんの知恵によって捕まってしまいます。その時にイタズラをこれからはしない事と謝罪とともに、おへそを盗む理由を伝え、許しを請いました。
イタズラをしすぎて他者に迷惑をかけすぎてしまうのは許されない行為ですが。
自分が生きるため、自分の仕事をするため、その仕事が他者のために、他者にとっても必要な行為のために行わなくてはいけない行動だったとしたら。
どの様な対応をするのが正しいのでしょうか?
人間も生きるために、他の生物の命をいただいている、この行為は他の生物からすれば迷惑な行為なのでしょう。
それでも人間という生物の生命を保つため、生きるため、子孫を残すためには、人間側からすれば必要な事でありで、行わなければいけない行為ともいえますよね。
(霞を食べて生きていける仙人のような生物に進化?できれば必要ないのかもしません、または化学が発達し人間が必要なエネルギーを無から作り出せれば、あるいは他の生物をいただくという行為は、必要のない行為になるのかもしれませんが。)
弱肉強食と言い切って、命を頂く行為を完全に正当化できるわけでもないでしょうし、ましてやこの言葉自体も人間側には天敵がいない強者の立場であるからこそ使えるのかもしれません。
そして生命維持や子孫繁栄に必要な行為ならば許されるのか?という点から考察しても、たとえば人間側は蚊のメスが産卵に必要なための行為である吸血を、人間側からすれば迷惑な行為として様々な方法をよういて、吸血されるのをしりぞけようとしますよね。
産卵のために命がけで栄養を補給しようと人間に吸血しようと向かってくる蚊、そして吸血を避けようとする人間。
ここでも、自分側にとって必要な行為が、他者側にとっては迷惑な行為、その様な場合がでてしまった場合、どの様な対応をする事がお互いにとって必要なのか?考える必要がでますね。勿論そこまで考えるまでもなく人間側にとって迷惑な行為を単純に避けようとしているのが当たり前となっていますが。
それでも、自分の行為が他者にどの様な影響を与えてしまうのか?そのような事を考える事が必要なのではないかと改めて気付かされた心に響いた、感銘を受けた言葉でした。
ましてや今回の、かみなりの大好物のおへそを食べたいという行為は、人間側からすれば、おへそを盗まれるという行為は、はた迷惑ではありますが、かみなりの行為は、雨を降らすには必要な行為であり、人間側にとっても雨が降ることで恩恵を受ける事は事実であり、雨は生命維持にも関わってくることでもありますよね。
おへそを食べられてしまう、という行為は迷惑であり止めさせたいが、おへそを食べるという行為が、人間側にとっても必要な行為に繋がっていくとしたら。難しい問題ですよね。
どこまで迷惑と感じている行為を受け入れ、その代償として、どこまで恩恵を受けられるのかを天秤にかけて、より有意義な結果が迎えられるように行動していく必要がありますよね。
今回おしょうさんが取ったように、代替案を提示してお互いにとって良い方法が見つかれば良いのでしょうが。
そこまでの知恵をはたらかせるには柔軟な発想を提案できるためには、漫然と日々を過ごしのではなく他者の思考も推し量りながら行動していけば、可能なのでしょうか。是非学びたいです。
このようにおしょうさんに懲らしめられ、イタズラはもうしないと言ったかみなりですが、住んでいる所は高い山の上の黒い雲の上でした。
ひうちいし と たいこ を使用して雨を降らし稲妻を落とし、家から人たちを追い出し、その後でおへそを盗んだり、その家に有る商売道具を壊すなどをしイタズラを行います。
かみなりはそのようなイタズラを続けますが、おしょうさんが五重塔のとうのてっぺんにつけた槍に引っかかて、捕まります。
そして助けを乞うかみなりに、おしょうさんはイタズラの理由を問いただします。
するとかみなりは
もう、けっして いたずらは いたしません。
でも、おへそは、わたしの だいこうぶつです。
おへそを たべないと、あめを ふらすことが できません
絵本 こどものとも年中向き へそもち より引用
と答えます。
その理由を聴いたおしょうさん、かみなりがおへそを食べる行為を必要な事と判断します。
そしておしょうさんは『へそもち』を考案します。
へそもちをかみなりに食べさせる事は、かみなりにとっても人間にとっても、良い折衷案となったようで、かみなりは雲の上に戻っていきました。
かみなりにとって、おへそを食べるという行為は、人間にとって迷惑な行為では有るけれども、その代償に雨の恵みを得られるという利点もあり、人間側もかみなりがおへそを食べることを全否定することもできない状態。
そのよう状況でもお互いにとっての、大切な事、本質部分を汲み取り、代替案を提案できるおしょうさんの知恵と柔軟な発想力を見習いたいです。
また、自分側にとって迷惑な行為を即座に否定するのではなく、相手側が何故そのような行為をしているのかを思案する、直接訊ける事ができる臨機応変な対応が少しでもできるようになりたい、と感じられた場面でした。
かみなりとおしょうさんのやり取りを直接読みたい場合は
へそもち さく 渡辺茂男 え 赤羽末吉
こどものとも年中向き 2019年1月号通 巻394号 福音館書店
を是非読んでみてください、子供にも大人にも新しい発見があると思います。
皆様にはどの様な新しい響きがあるのか楽しみです。
コメント