怒りや憎しみを行動原理とする人間は得るものよりも失うものの方が多いのです

漫画

ーーー最上拝 コンシェルジュ 

バレーの山中選手に対して大森監督はかなり厳しい口調で指導します。しかし一向に闘志の見えない山中選手。厳しい指導は発奮を促している、期待を込めての発言であると大森監督が言いますが、素直な山中選手にとっては逆効果であり、反対に駄目という暗示にかかってしまっている状態でした。

人によっては悔しさをバネに、見返してやりたいという思いを糧に成長する人や行動する人がいますよね。

その事を真っ向から否定するかのような最上拝の発言に、少なからず驚きました。

最上は続けて、良い悪いではない、とも言っていますが、得るものよりも失うものの方が多い、との言葉からすれば、単純な引き算ならばマイナスとなってしまう。

失うものが多いとなれば、怒りからの発奮はあまり好ましくないことだと捉えられてしまいます。

実践できているかは別にして、自分が仕事や日常で、嫌なことや不愉快な事を他者から受けたとしたならば。

嫌な気持ちを味合わせた人物を見返してやろう、不愉快さを受けた場面と同じ様な場面が次にあったとしても、次回は自分に対して不条理な手段を取れないくらいに、隙がないように武装して行動できるように自分を高めたいと考え(考えたいとは思っているのですが…)ているのですが。

怒りがこみ上げてくるような対応を受けた事を、これからも理不尽な目に合い続けるそのような状況は嫌だからこそ、嫌なことを行わなくても良い選択肢が常にとれるような立場にまで自分が成長しないといけないと、自分に言い聞かせる材料として自分を動かす原動力にしてしまうと、それ以上になにあかを失うということなのでしょうか?

怒りに任せて、自分を高めるのではなく直情的に相手に食って掛かるのでは、そのばでは自分の気持を少しは納得させられることができても、結局は何も得るものはなく、余計に事を深刻化させてしまう、悪化させてしまう、失うことが多いということならば分かるのですが。

発奮させるやり方に、怒りや憎しみを使うのはデメリットが大きいといった最上の言葉の真相がまだつかみ取れません。

それとも、今回の選手と監督といった、個人間でのやり取りでの事を限定しているのでしょうか?

個人間で向けられた怒りや憎しみにたいして発奮することは、相手に憎しみを返すことであり、憎しみを使う仕返しをする事だという事なのでしょうか?

相手に憎しみをぶつけてしまっては、勝ち負けの二択になってしまい、たとえ勝ったとしてもその喜びは限定的で一時的であり、結果個人間での信頼も絆も芽生える可能性は低くなってしまうということなのでしょうか。

更には今まで良好な関係であったとしたならば、勝ったときの喜びと、失ってしまう良好な関係、この2つを比べたとしたら、失ったものは得たものよりも大きい、と言いたかったのでしょうか?

人との絆や結びつきよりも、勝負を勝ちを優先するのならば、怒りを持ち込んででも勝負に徹することで勝利することにより得られる事が多いと感じられる人もいる、ということを言っていたのでしょうか?

それとも「韓信の股くぐり」のように、大望を抱いているのならば怒りや屈辱は我慢し成就させることが望ましいという意味なのでしょうか?

なかなか難しく深く考えさせられた、心に響く感銘を受けた言葉でした。

皆様はどのように最上拝の言葉を汲み取るのでしょうか?

このような場面は、2大会ぶりにオリンピック出場を決めた女子バレーボールの壮行会がクインシーホテルの蒼天の間で行われるという状況で、そこに選手や監督が現れるところから始まります。

その時から大森監督は山中選手に対して厳しく当たっています。

テレビの放送での山中絵里菜選手の紹介でも大森監督の厳しい叱責場面がクローズアップされており、それでも一向に闘志の見えない山中選手は動きも冴えないと説明されています。

そんな場面を見て、クインシーホテルの従業員も大森監督は感じが悪いと受けとられています。

そのような背景の中、手伝いでクインシーホテルの従業員も壮行会に向かいます、そこで大森監督に話しかけたのは最上でした、

ニューヨークで会ったことの有る様子の二人は、久しぶりと挨拶し合います、そこで大森監督は最上の観察眼を信頼し、山中選手の様子を見てもらいたいと願いでます。

最上は山中選手との会話やホテル内での様子から不調の原因は大森監督だと伝えます。

山中選手は闘志は表に出さずに、素直な山中選手は人の言葉を信じやすく、監督の叱責も駄目だという暗示にかかってしまっているのではないかと話します。

そこで、大森監督は何くそと発奮してほしかったと言いますが

それは逆効果だという最上さらには

怒りや憎しみを行動原理とする人間は 得るものよりも失うものの方が多いのです

良い悪いではありません

要は その得られるものに

多くのものを失うほどの価値があるかどうかですが…

漫画 コンシェルジュ 第2巻より引用

と大森監督に伝えます。

中山選手にとっては、怒りや悲しみで動くことにより、今回得られるメダルという結果よりも、失ってしまう指導者との信頼関係が大切ということではないかと伝えています。

そのことに気がつく最上も流石ですが、その事を聴いて理解した大森監督、まいったよといいつつ考えを改める姿、またきちんと山中選手に頭をい下げ謝罪し本当の気持ちを吐露している姿が真摯な対応で人間的に交換が持てました。

素直に謝ること、過ちを認める事年を重ねるほど、立場が上になるほど難しくなってしまうのに、躊躇なく謝罪できるのは、大森監督の資質なのか、頭を下げても惜しくないほど山中選手が逸材なのか、最上拝の目利きの信頼性からくるものなのか、その全てなのかは分かりませんが、見習いたいです。

過ちては改むるに憚ること勿れ、ですね。

自分は小さなプライドが邪魔をしてなかなかできませんが…。

このようなやり取りを直接読みたい場合は、

コンシェルジュ Concierge 原作 いしぜきひでゆき 漫画 藤栄道彦

BUNCHCOMICS 新潮社

第2巻 第9話 失われた何かを取り戻せ!

を是非読んでみてください。

皆様にはどの様な新しい響きがあるのか楽しみです。

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