ーーー(元)少年 絵本 おおきな木
言葉までの流れ
おおきな木と少年はお互いがお互いを大好きでした。少年が小さい頃は一緒に遊びます。少年は成長して欲しい物が増えていきます。おおきな木は身を削りながら、願いを叶えていきます。木は最後には切り株になってしまいます。少年が老人になって現れて、切り株になった木の前で言った言葉です。
少年は多くのものを手に入れたが、最終的には心の満足が大切であることを学び、静かな場所を求めるようになった。
心に響いいたこと
大きな木から沢山のものをもらった少年。少年はもらった物で願いを叶えてきたのですが、時が経ち老人になった彼は、再びその木の前に現れました。彼が求めたものは、ただひとつ、静かな場所だけでした。
少年は言いました。「それでいいんだ。」と
この言葉は、少年が沢山の物をもらったけれども、結局は物ではなく、心の満足が大切だということを示しているのでしょうか。少年は足るを知ることの重要性に気づいたということでしょうか?
もしくは、少年は大きな木から無償で沢山の物をもらい、その事により一時は願いがかなったものの、自分の実力や努力で、それらを手に入れなかったので、結局はそれらを失ってしまったことで、虚しさを感じたのでしょうか。少年は『悪銭身につかず』だったのでしょか、幸せでないことにきがついたのでしょうか?
それとも、人生の晩年になって少年は、幼かった頃の楽しかった思い出を思い出し、大きな木から沢山のものを奪ったことを後悔し、大きな木さえいれば、それだけで幸せだったという気持ちを伝えにきたのかもしれません。『青い鳥は近くに居た』彼にとって大切なものは、大きな木であり、実は身近にあったということなのでしょうか?
または、願いが叶っても一時的な満足感しかもたらさず、次々と欲望が生まれることの繰り返しに疲れ果て、真の幸福は心の安定であり、野心ではなく、静かな存在や場所にあることに気づいたため、彼はこの場所に戻ってきたのでしょうか?
もしくは、人は腰を下ろして休む場所があれば、それで安心でき満足できる、ということを伝えたかったのかもしれません。たとえそれが『起きて半畳寝て一畳』であっても、心の安らぎが得られるということなのでしょうか?。
それとも、切り株という一見役に立たないものでも、少年が腰を下ろすには最適な場所であることを通じて、どんな物でも活用する方法があるということを示しているのでしょうか。見方次第で、使い方次第で、人によって物の価値は異なるということ、を伝えたかったのでしょうか?
または、楽しいのは無邪気な子供の頃だけである、欲しいという欲望には限りがない。それに従って生きると自分自身や他者も不幸になるということを教えているのでしょうか?
それでも最後には、何もいらないと気づくことができた少年は、大きな木と共に幸せになれたという場面であって欲しい、と感じられた、心に響いいた、感銘を受けた言葉でした。
少年が物を欲しがる態度が傍若無人であり、大きな木は少年の願いを叶え続けた結果、最後には切り株になってしまったけれども、最終的に少年が帰ってきたことから、尽くせば報われるという教訓、ではないと願いたいです、がこの物語からは、様々な考えが浮かび上がりました。
考えたこと
言葉から最初に思い浮かんだのは、物質的な豊かさや欲望の追求だけでは本当の幸福や満足感を得ることはできないということなのか、でした。少年は沢山の物を手に入れたものの、結局は心の満足が欠けていたため、静かな場所を求めるようになったという解釈からでした。
また、この物語は謙虚さの重要性も教えているように思えます。少年は大きな木から無償で物をもらい続けましたが、それが当たり前のようになったため、最後には物を失ってしまったのではないでしょうか?自分自身や周りの状況から与えられたものや、手助けしてくれた人や行為に対して、感謝し、お礼を伝える姿勢が、重要だということを示唆しているようにも感じ取れました。
さらに、物語の結末からは、自然や身の回りのささやかな喜びに、目を向けることの大切さも伺えます。少年は最後になって、大きな木そのものが、少年にとっての幸せや喜びであることに気づいたのではないでしょうか。
このことは、私たちが日常の中で見逃しがちな小さな喜びや平凡な幸せに目を向けられれば、心は豊かになれるのだと促しているように感じられました。
総じて、この物語は私たちに物質的なものだけでなく、心の満足や謙虚さ、自然や身の回りの喜びへの感謝の重要性を教えてくれたのではないかと、考えさせられました。
欲張っても、無心でもいけない、ままならず難しいですね。
物語の流れ
大きな木は少年が大好きで、少年も大きな木が大好きです。
少年は大きな木と、毎日、沢山遊び、沢山楽しみます、大きな木は幸せでした。
時間が流れ、少年が成長していくと、段々と大きな木と過ごす時間は減ってきます。
少年は大きくなって、欲しい物が芽生えます。自身の身を使って、大きな木は少年の希望を叶えようとします。大きな木は幸せです。
少年は大きな木からのプレゼントをもらうと、去ってゆきますが、また欲しい物があると大きな木のところへやって来ます、その度に大きな木は身を削り、少年の希望を叶えようとします。
そしてついには、大きな木は、切り株になってしまいます。
長い時間が流れ、切り株になった大きな木のところに、老人になった(元)少年がまた戻ってきます。
なにもあげられないという、大きな木に対して少年は
こしをおろしてやすめる、しずかなばしょがあればそれでいいんだ。
すいぶんつかれてしまった。
絵本 おおきな木 より引用
と言いました。
疲れて帰ってきたのは、大好きな木のところ、そこが少年の求める居場所だったのかも知れませんね。
この場面に興味を持ったならば
おおきな木 シェル・シルヴァスタイン 訳 村上春樹 あすなろ書房
を是非読んでみて下さい。
皆様には、どの様な新しい響きがあるのか、楽しみです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
コメント