止まっているはずの絵が、なぜ動いて見えるのでしょうか。知覚心理学者・北岡明佳氏の代表作「蛇の回転」を入り口に、錯視が生まれる条件、研究の歴史、目や脳との関係、そして北岡氏が錯視研究で重要とされる理由を、初めて読む人にもわかりやすく解説します。

『北岡明佳』とは?なぜ止まった絵が動いて見える?錯視研究で重要な理由をわかりやすく解説
代表例
画面に映っているのは、動かない一枚の画像です。
動画でも、アニメーションでもありません。
それなのに、模様がゆっくり回転したり、流れたりしているように見えることがあります。
「本当は画像が動いているのでは?」
「自分の目がおかしいのだろうか?」
そう思って見直しても、やはり動いているように感じられます。

このような不思議な見え方を研究し、多くの錯視作品を発表してきた人物が、知覚心理学者の北岡明佳(きたおか・あきよし)氏です。
北岡氏は、ただ人を驚かせるために不思議な絵を作っているのではありません。
どのような明るさ、色、形、配置によって錯視が生まれるのかを調べ、私たちの視覚が世界をどのように捉えているのかを研究しています。
北岡氏について知ることは、一人の研究者の経歴を覚えることではありません。
「見る」とは何か。
目と脳は、限られた情報からどのように世界を理解しているのか。
錯視作品を入り口に、その大きな問いを考えることでもあります。
5秒でわかる結論
北岡明佳氏は、錯視を通して人間の見え方を研究してきた日本の知覚心理学者です。
代表作の一つである「蛇の回転」は、静止画であるにもかかわらず、複数の円が回転しているように見える作品です。北岡氏の公式ページでは、2003年(平成15年)9月2日の作品として公開されています。
北岡氏が錯視研究で重要なのは、単に有名な錯視作品を作ったからではありません。
錯視を見る楽しさと、視覚の仕組みを科学的に調べる研究を結びつけ、多くの人が知覚心理学へ関心を持つ入口を作ってきたからです。
「蛇の回転」は、その後の研究でも実験刺激として使われ、錯視が生じているときの脳活動や、視線の動き、瞬きとの関係などが調べられてきました。
小学生にもわかりやすく言うと
北岡明佳さんは、不思議な絵を使って「見る力」の秘密を調べている研究者です。

たとえば、止まっている模様が動いて見えたとします。
北岡さんは、「目が騙された」で終わりにはしません。
「色の順番を変えると、動き方は変わるのだろうか」
「明るさの差を小さくすると、動いて見えにくくなるのだろうか」
「見つめている場所を変えると、見え方も変わるのだろうか」
このように条件を少しずつ変え、見え方がどう変化するのかを調べます。
それは、絵を使って目と脳に質問しているようなものです。
北岡さんは「目を騙す絵を作る人」というより、不思議な見え方を手掛かりに、私たちの視覚を調べている人なのです。
1.まず知りたい、北岡明佳氏と錯視の関係
このようなことはありませんか
スマートフォンや本で錯視画像を見たとき、次のように感じたことはありませんか。
止まっているはずの円が回って見える。
視線を移すと、先ほど見ていた模様が動き始めたように感じる。
同じ色なのに、周囲の色によって明るさが違って見える。
同じ大きさの図形なのに、一方だけ大きく見える。
このような体験をすると、多くの人は疑問を抱きます。
本当に画像は止まっているのだろうか。
自分の目に問題があるのだろうか。
「脳が騙される」とは、どういう意味なのだろうか。
しかし、錯視が見えることは、それだけで目や脳の故障を意味するものではありません。
私たちの視覚は、目に入った情報をそのまま写しているわけではありません。
明るさ、色、輪郭、動き、奥行き、周囲との関係などを素早く整理し、「何がどこにあるのか」「何が起きているのか」を判断しています。
普段は、この働きによって人や物の形、位置、動きをすばやく理解できます。
ところが、特定の明るさや色、形が一定の順序で配置されると、実際には動いていない模様から動きが感じられることがあります。
北岡明佳氏は、このような錯視を研究してきた知覚心理学者です。
立命館大学の公式紹介によると、北岡氏は大学で生物学、大学院で心理学を学び、神経科学の研究所で脳の研究に携わった後、1995年(平成7年)頃から知覚心理学と錯視の研究を始めました。動物に見せる視覚刺激として錯視を利用できないかと考えたことが、研究を始めたきっかけの一つだったと説明しています。
けれども、錯視を研究した人物は北岡氏だけではありません。
錯視研究の歴史には、ミュラー=リヤー、ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ、エドガー・ルビン、ガエタノ・カニッツァなど、多くの重要人物が登場します。
それでは、なぜ現代の錯視について調べると、北岡明佳氏の名前や作品がたびたび紹介されるのでしょうか。
2.疑問が生まれた物語
ある日の夕方、紗季さんはスマートフォンで、色鮮やかな円が並んだ画像を見つけました。
黒、青、白、黄色のように見える色が、小さな模様となって円形に並んでいます。
しばらく見ていると、いくつかの円がゆっくりと回っているように感じられました。
「これは動画なのかな?」
紗季さんは、画面を指で押してみました。
けれども、再生ボタンはありません。
画面を止めても、画像は一枚の静止画のままです。
一つの円へ視線を移すと、今度は視線から外れた別の円が動いたように感じられます。
「止まっていると分かっているのに、どうして動いて見えるのだろう?」

紗季さんが画像について調べると、「蛇の回転」という作品名とともに、北岡明佳という研究者の名前が出てきました。
さらに調べると、北岡氏は心理学者でありながら、色や明るさ、形を組み合わせた錯視作品を数多く公開していることが分かりました。
紗季さんは、不思議に思いました。
心理学者は、人の性格や悩みだけを研究する人ではないのだろうか。
どうして心理学者が、動いて見える絵を作っているのだろう。
絵を作ることが、どのように科学の研究につながるのだろう。
紗季さんの中に、次々と疑問が生まれました。
北岡明佳氏は、どのような人物なのだろう。
なぜ錯視を研究するようになったのだろう。
「蛇の回転」は、どのような錯視をもとに作られたのだろう。
静止画が動いて見える仕組みは、すでに解明されているのだろうか。
北岡氏は、なぜ錯視研究で重要な人物といえるのだろう。
北岡氏について知ることは、一人の研究者の人生をたどることだけではありません。
一枚の静止画から、知覚心理学、神経科学、色彩、デザインへと広がる、視覚研究の世界を知ることでもあります。
まずは、北岡氏が錯視研究で重要とされる理由から見ていきましょう。
3.すぐにわかる結論
なぜ錯視を調べると北岡明佳氏が出てくるのか
北岡明佳氏が重要なのは、錯視を最初に発見した人物だからではありません。
錯視の研究は、北岡氏が研究を始めるよりもはるか以前から続いています。
また、静止画が動いて見える錯視そのものを、北岡氏が一人で最初に発見したわけでもありません。
「蛇の回転」は、フレーザーとウィルコックスによる先行研究などを背景とする、周辺ドリフト錯視(ペリフェラル・ドリフト・イリュージョン)の研究から発展した作品です。北岡氏と芦田宏直氏は、明暗の並び方を工夫した「最適化型フレーザー・ウィルコックス錯視」の特徴を報告しています。
北岡氏が錯視研究で重要といえる理由は、大きく三つあります。
一つ目は、錯視を誰もが体験できる形で示したことです。
北岡氏の作品は、専門的な知識がなくても、画像を見た瞬間に不思議さを体験できます。
止まっている画像が動いて見える。
同じ色が違って見える。
まっすぐな線が傾いて見える。
読者は理論を学ぶ前に、自分自身の見え方へ疑問を持つことができます。
北岡氏の公式サイトでは、運動、色、明るさ、形などに関する多数の錯視作品が公開されており、研究だけでなく、教育や科学への関心を広げる役割も果たしてきました。
二つ目は、錯視作品が視覚研究の実験材料になったことです。
「蛇の回転」は、印象的な作品として知られるだけでなく、静止画像から動きを感じるとき、視覚システムで何が起きているのかを調べる研究にも使われてきました。
後続研究では、模様を構成する明暗の関係が錯視の強さに重要であることや、錯視を見ているときに運動へ反応する視覚領域が活動すること、ごく小さな眼球運動や瞬きが動いて見えるきっかけになり得ることなどが報告されています。
ただし、これらの研究結果から「原因は一つだけ」と結論づけることはできません。
2025年(令和7年)にも新しい説明が提案されており、瞳孔の大きさの変化に伴う網膜上の明るさの変化が関係する可能性など、現在も研究が続いています。
三つ目は、心理学・生物学・神経科学・錯視デザインを結びつけたことです。
北岡氏は、生物学、心理学、神経科学を学び、それらの知識を背景に錯視研究へ進みました。
その研究では、不思議な見え方を作るだけでなく、
- どの条件で錯視が強くなるのか
- 見る位置や画像の構成で見え方がどう変わるのか
- 錯視が視覚処理について何を教えてくれるのか
という問いが扱われています。
北岡氏自身も、静止画が動いて見える錯視は、運動を検出する神経の仕組みを考える重要な手掛かりになると説明しています。

つまり、北岡明佳氏が錯視研究で重要なのは、有名な作品を作ったからだけではありません。
錯視を見る驚き、錯視を作る工夫、見え方を測る心理学実験、脳の働きを調べる神経科学を結びつけたからです。
「蛇の回転」は、視覚の仕組みに対する完成された答えではありません。
むしろ、私たちの目と脳へ向けられた問いです。
なぜ、止まっているものが動いて見えるのか。
なぜ、正解を知っても見え方が残るのか。
一枚の錯視から、視覚のどこまでを理解できるのか。
この問いを、多くの人が自分の目で体験できる形にしたこと。
そして、その驚きを心理学と神経科学の研究へつなげたこと。
そこに、北岡明佳氏が錯視研究において重要な人物である理由があります。
4.北岡明佳氏とは
生物学・心理学・神経科学を歩んだ錯視研究者
ここからは、北岡明佳氏がどのような学問を学び、どのような道を通って錯視研究へ進んだのかを詳しく見ていきます。
代表作「蛇の回転」の仕組みへ進む前に、まずは北岡氏の正式なプロフィールと、研究者としての歩みを確認しましょう。

正式な名前・生年月日・研究分野
正式な名前は、北岡明佳(きたおか・あきよし)です。
北岡氏本人が公開している略歴によると、1961年(昭和36年)8月19日、高知市生まれです。
2026年(令和8年)7月時点では、立命館大学総合心理学部の教授を務め、大学院人間科学研究科の心理学領域も担当しています。専門は知覚心理学です。
知覚心理学とは、人が色、形、明るさ、動き、奥行きなどを、どのように感じ取っているのかを研究する心理学の分野です。
私たちは、目に入った光を、そのまま写真のように見ているわけではありません。目や脳を含む視覚システムが、明るさや輪郭、色、動き、周囲との関係などを整理しながら、「何が、どこに、どのような状態で存在するのか」を判断しています。
北岡氏は、この「見る仕組み」を、錯視から研究してきました。
現在扱っているのは、静止画が動いて見える錯視だけではありません。形、傾き、色、明るさ、動き、視覚的補完など、幅広い視覚現象を実験心理学や神経生理学の方法で研究し、自ら錯視デザインも制作しています。
大学で最初に学んだのは生物学
現在は心理学者として知られる北岡氏ですが、大学で最初に専門として学んだのは心理学ではなく、生物学でした。
1980年(昭和55年)に筑波大学第二学群生物学類へ進み、1984年(昭和59年)に卒業しました。その後、筑波大学大学院博士課程心理学研究科へ進み、1991年(平成3年)に博士課程を修了し、教育学博士の学位を取得しています。
北岡氏は大学公式プロフィールで、学部では生物学を学ぶ理系の学生だった一方、高校生の頃から心理学に強く引かれていたと振り返っています。そのため、学部在学中から心理学の授業も受け、大学院へ進むときに専門を心理学へ移しました。
生物学を学んでいた頃には、大学近くの池で捕まえたザリガニを使い、神経活動を測定する電気生理学の実験にも取り組んでいたと本人が紹介しています。
後の錯視作品だけを見ると、色彩やデザインを専門に学んだ人物のように思えるかもしれません。
しかし、北岡氏の出発点にあったのは、生き物の体や神経を実験によって調べる生物学でした。その後、心理学と神経科学へ研究を広げたことが、人間の見え方を複数の方向から考える現在の研究背景になっています。
ただし、「生物学を学んだから現在の錯視作品が生まれた」と単純に断定することはできません。ここで確かにいえるのは、北岡氏が、生物学・心理学・神経科学という異なる分野を経験してきたということです。
高校生の頃から抱いていた「心を科学的に知る」という問い
北岡氏が心理学へ関心を持つようになった時期は、高校生の頃までさかのぼります。
ただし、「ある一枚の錯視を見たことがきっかけだった」というような、明確な一つの出来事が確認されているわけではありません。
本人も、最初のきっかけを現在になって特定することは難しいと説明しています。その一方で、高校生の頃から、心を科学的に理解したいという強い関心を持っていたことを明らかにしています。
ここでいう「心を科学的に知る」とは、想像や印象だけで人の心を説明することではありません。
条件をそろえて観察し、見え方や行動を測定し、同じような結果が繰り返し確認されるかを調べます。
たとえば、止まっている模様が動いて見えた場合には、
- 色や明るさの並びを変える
- 模様の大きさや形を変える
- 見る位置や距離を変える
- どちらの画像が強く動いて見えるかを比べる
- 目や脳の反応を測定する
といった方法によって、錯視が生じる条件を一つずつ確かめます。
北岡氏が高校生の頃から抱いていた問いは、やがて、人間の知覚を実験によって調べる研究へとつながっていきました。
大学院では動物心理学を研究
北岡氏は、大学院に入ってすぐ錯視を研究したわけではありません。
大学院在籍中に専攻していたのは動物心理学で、ラットやマウスの情動性と穴掘り行動を研究していました。
動物心理学では、動物の行動を詳しく観察し、条件を変えたときに反応がどう変化するかを調べます。人間の言葉による説明だけに頼らず、観察できる行動から心の働きを考える研究です。
一見すると、ネズミの穴掘り行動と錯視作品には直接の関係がないように思えます。
しかし、どちらにも共通しているのは、条件を整え、反応を測り、そこから知覚や行動の仕組みを考えるという実験心理学の姿勢です。
神経科学研究所で、サルの視覚と人の知覚を研究
大学院修了後の1991年(平成3年)、北岡氏は財団法人東京都神経科学総合研究所の主事研究員となりました。2001年(平成13年)まで約10年間勤務し、ニホンザルの大脳視覚皮質にある神経細胞の活動と、人間の知覚を研究しました。
大脳視覚皮質とは、目から送られてきた情報の処理に関わる大脳の領域です。
北岡氏は、サルの脳にある神経細胞が視覚刺激へどのように反応するのかを、電気生理学という方法で調べていました。電気生理学とは、神経細胞などが生み出す電気的な活動を測定する研究方法です。
ここで北岡氏は、
- 動物の行動を観察する動物心理学
- 神経細胞の活動を測る神経科学
- 人間がどのように見ているかを調べる知覚心理学
を経験することになりました。
本人は、経歴上は生物学と心理学の間を行き来してきたものの、自分自身は一貫して心理学者としての意識を持っていたと述べています。
北岡氏の研究は、脳だけを調べれば人間の見え方をすべて説明できる、という考え方ではありません。
見ている人の体験や判断を調べる心理学と、神経の活動を調べる生物学・神経科学の両方を通して、視覚を理解しようとする研究です。
1995年(平成7年)頃、錯視研究へ進む
北岡氏が知覚心理学と錯視の研究を始めたのは、東京都神経科学総合研究所に勤務していた1995年(平成7年)頃です。
そのきっかけの一つは、動物に見せる視覚刺激として錯視を利用できないかと考えたことでした。
視覚刺激とは、目を通して与えられる実験材料です。
異なる色、形、明るさ、模様などを人や動物へ提示し、それに対してどのような行動や神経反応が現れるかを調べます。
錯視を視覚刺激として利用すれば、実際の画像の状態と、観察者に生じる見え方の違いを手掛かりにできます。そこから、視覚システムが何を手掛かりとして形や動きを判断しているのかを探れる可能性があります。
つまり、北岡氏の錯視研究は、初めから芸術的な作品を作ることだけを目的として始まったわけではありません。
出発点にあったのは、
錯視を研究材料として使うことで、人や動物の視覚処理について何か分かるのではないか。
という科学的な問いでした。
立命館大学へ移り、錯視研究と作品発表を広げる
2001年(平成13年)、北岡氏は立命館大学文学部の助教授に就任しました。2006年(平成18年)に同学部教授となり、2016年(平成28年)からは総合心理学部教授を務めています。
立命館大学へ移った翌年の2002年(平成14年)5月10日には、ウェブサイト「北岡明佳の錯視のページ」を開設しました。
このウェブサイトでは、動き、色、明るさ、傾き、形などに関する多数の錯視作品や研究資料が公開されています。
北岡氏自身も、インターネット上で錯視作品を広く公開したことによって、錯視の認知度を高めることに貢献したと説明しています。
研究者が論文として成果を発表しても、専門知識を持たない人が読むことは簡単ではありません。
一方、錯視作品は、見るだけで現象を体験できます。
「本当に動いているのだろうか」
「同じ色なのに、なぜ違って見えるのだろう」
という驚きから、読者は自然に視覚研究へ関心を持つことができます。
北岡氏は、研究室の中で行う実験と、一般の人が楽しめる錯視作品を結びつけながら活動を広げてきました。
そして2003年(平成15年)、代表作の一つである「蛇の回転」を制作します。
ただし、「蛇の回転」は、偶然思いついた模様でも、動く錯視を北岡氏が最初に発見した作品でもありません。
それ以前から続いていた錯視研究を踏まえ、明るさの並び方や図形の配置を工夫して作られた作品です。その成り立ちと研究上の意味については、後の節で詳しく見ていきます。
研究を進めるなかで変化した考え方
北岡氏は、研究を始めた当初から、「錯視を調べれば視覚の仕組みが分かる」と無条件に考えていたわけではありません。
本人の説明によると、当初はその考えに慎重な立場でした。しかし、研究を続けるうちに、色の恒常性と色の錯視が深く関係していることや、静止画が動いて見える錯視が運動検出の仕組みを考える手掛かりになることから、錯視研究が視覚の理解に役立つという考えへ近づいていきました。
これは、科学者が最初に決めた考えを守り続ける人ではないことを示しています。
新しい観察や実験結果が得られれば、自分の仮説についても考え直します。
北岡氏は大学院生へのメッセージでも、先生の説明だけでなく、自分自身の信念についても疑い、学び続ける必要性を語っています。
錯視を見ると、私たちは「見えているのだから正しい」と考えたくなります。
しかし北岡氏の研究は、見え方を否定するのでも、無条件に信じるのでもなく、その見え方がどのような条件から生まれたのかを確かめようとします。
公開情報から分かる人物像
北岡明佳氏の歩みから見えてくるのは、一つの専門分野だけに閉じこもらず、複数の学問を結びつけながら、「私たちはどのように世界を見ているのか」という問いを追ってきた研究者の姿です。
大学では生物学、大学院では心理学を学び、研究所では神経科学に携わりました。その後、知覚心理学者として錯視を研究しながら、自ら多数の錯視作品を制作し、一般の人も体験できる形で公開してきました。
北岡氏にとって錯視は、単に人を驚かせる「目のトリック」ではありません。
錯視がどのような条件で生じるのかを調べることによって、普段は意識できない視覚処理の特徴を探る研究材料でもあります。
なお、今回確認した本人の略歴、立命館大学の公式プロフィール、研究者データベースには、幼少期の具体的な体験や家族構成などは掲載されていません。
そのため、本記事では「幼い頃から錯視が好きだった」「ある絵との出会いが研究者を志すきっかけになった」といった、根拠を確認できない物語は加えません。
確かに分かっているのは、北岡氏が高校生の頃から心理学に関心を持ち、生物学、心理学、神経科学を学んだ後、1995年(平成7年)頃から錯視研究へ進んだということです。
一枚の不思議な絵を見せて終わるのではなく、その絵がなぜ不思議に見えるのかを、実験と観察によって確かめる。
そこに、北岡明佳氏の研究者としての出発点と、現在まで続く姿勢を見ることができます。
次の節では、動物心理学と神経科学を経験した北岡氏が、錯視をどのように科学的な研究対象として捉えるようになったのかを、さらに詳しく見ていきます。
5.生物学・心理学・神経科学から錯視研究へ
第4節では、北岡明佳氏が、生物学、心理学、神経科学を学びながら、1995年(平成7年)頃に錯視研究へ進んだ歩みをたどりました。
ここでは、その経歴を年代順に繰り返すのではなく、北岡氏の研究上の問いが、どのように錯視へつながったのかを見ていきましょう。

研究対象は変わっても、問いはつながっていた
北岡氏は、最初から錯視だけを研究していたわけではありません。
大学では生物学、大学院では動物心理学、その後は神経科学の研究所で、ニホンザルの視覚に関係する神経細胞や人間の知覚を研究しました。
扱う対象は、生き物の神経、動物の行動、人間の見え方へと変化しています。しかし、その奥には共通する問いがあります。
生き物は、外から受け取った情報をどのように処理しているのか。
観察できる行動や神経の反応から、心や知覚について何が分かるのか。
動物心理学では、条件を変えたときに動物の行動がどう変化するかを観察します。
神経科学では、図形や光を見せたとき、神経細胞がどのように反応するかを測ります。
知覚心理学では、人間に図形を見せ、「どちらが長く見えるか」「どちらへ動いて見えるか」などを答えてもらい、見え方を比較します。
研究方法は異なりますが、いずれも、直接見ることのできない心や知覚の働きを、観察と測定から考える点でつながっています。
北岡氏自身も、生物学と心理学の間を行き来する経歴を歩みながら、心の中では一貫して心理学者としての意識を持ってきたと説明しています。
動物に見せる視覚刺激として錯視を考えた
北岡氏が錯視研究を始めたきっかけの一つは、神経科学の研究所に勤務していた1995年(平成7年)頃、錯視を動物へ見せる視覚刺激として利用できないかと考えたことでした。
視覚刺激とは、目を通して提示する実験材料です。
線、色、明るさ、模様などを見せ、それに対して現れる行動や神経の反応を調べます。
錯視を刺激として利用する利点は、画像そのものの物理的な状態と、そこから生じる見え方の間に違いを作れることです。
たとえば、物理的には止まっている模様から動きが感じられる場合、模様の色、明るさ、形、配置を少しずつ変えることで、どの条件が動きの知覚に関係しているのかを調べられます。
ただし、動物を対象にした研究では慎重さが必要です。
動物は、人間のように「線が長く見えた」「円が動いて見えた」と言葉で報告できません。そのため、研究者は選択行動や視線などを手掛かりに知覚を推定します。
2024年(令和6年)に発表された幾何学的錯視研究のメタ分析では、人間以外の動物にも錯視と整合する反応が広く報告されている一方、動物の種類や実験方法によって結果が異なることも示されています。したがって、「動物も人間とまったく同じ体験をしている」と断定するのではなく、人間の錯視と整合する行動が報告されていると表現するのが適切です。
錯視を調べると、普通の視覚も分かるのか
錯視研究には、次のような考え方があります。
普段とは異なる見え方が生まれる条件を調べれば、普段の視覚がどのように働いているのかも理解できるのではないか。
しかし、北岡氏は研究を始めた当初から、この考えを無条件に受け入れていたわけではありません。
本人は、「錯視を研究することで視覚の仕組みが分かる」という立場に対して、当初は慎重だったと振り返っています。ところが研究を続けるうちに、錯視が通常の視覚処理を考える重要な手掛かりになるという側へ、考え方が次第に変化していきました。
その例として北岡氏が挙げているのが、色の恒常性です。
色の恒常性とは、照明の色や明るさが変わっても、物の色を比較的安定して感じ取る視覚の働きです。
白い紙は、昼間の光の下でも、夕方の赤みを帯びた光の下でも、多くの場合は白い紙として見えます。目へ届く光は変わっていても、視覚は周囲の色や照明の状態を利用して、物の色を推定しているからです。
ところが、この普段は役立つ働きが、特定の画像では、同じ物理的な色を異なる色として見せることがあります。
色の恒常性を示す図が、そのまま色の錯視の図にもなるという事実は、通常の知覚と錯視が無関係ではないことを示しています。
動きの錯視にも、同じ考え方を当てはめられます。
私たちの視覚には、明るさや位置の時間的な変化から動きを見つける働きがあります。特定の明暗配置を持つ静止画が動いて見えるなら、その現象は、視覚が何を手掛かりに動きを検出しているのかを考える材料になります。
北岡氏は、静止画が動いて見える錯視が、運動を検出するニューロンの受容野の構造を推定する手掛かりになり得ると説明しています。受容野とは、ある神経細胞の反応に影響を与える視野の範囲や刺激の特徴を指します。
もちろん、一枚の錯視だけで視覚の仕組みがすべて分かるわけではありません。
錯視から得られるのは、完成した答えではなく、仮説を立てるための手掛かりです。
画像の条件を変え、人の判断や目の動き、脳活動などを測り、別の説明でも同じ結果を説明できないかを確かめる必要があります。
北岡氏が、錯視研究に慎重な立場から、その科学的な価値をより強く認める立場へ変化していったことは、研究者が実験結果に学びながら、自分の考えも更新していく姿を示しています。
その研究の流れから生まれた代表的な作品の一つが、「蛇の回転」です。
6.『蛇の回転』はどのように生まれたのか
北岡明佳氏の代表作として知られる「蛇の回転」では、複数の円盤が、それぞれ異なる方向へ回転しているように見えます。
しかし、この作品は、北岡氏が何もないところから突然発見した現象ではありません。
その背景には、静止した明暗模様から動きが感じられる現象をめぐる、先行研究の積み重ねがあります。
「蛇の回転」の成り立ちを正確に理解するためには、次の三つを分けて考える必要があります。
- 静止画が動いて見える現象を報告した先行研究
- 北岡氏と蘆田宏氏が明らかにした、錯視を強める条件
- その条件を応用して制作された「蛇の回転」
1979年(昭和54年)に報告された動く錯視
1979年(昭和54年)、アレックス・フレーザーとキンバリー・ウィルコックスは、暗い部分から明るい部分へ変化する縞模様を繰り返し配置すると、静止図形から動きが感じられることを報告しました。
論文の題名は、
Perception of illusory movement(パーセプション・オブ・イルーサリー・ムーブメント/錯視的運動の知覚)
です。
放射状に並べた明暗模様を見ると、実際には止まっている円盤が回転するように感じられました。また、見える回転方向に個人差がある可能性も報告されました。
これは、「蛇の回転」よりも20年以上前の研究です。
したがって、北岡氏を「静止画が動いて見える現象を最初に発見した人物」と紹介するのは正確ではありません。
1999年(平成11年)、周辺ドリフト錯視として研究される
1999年(平成11年)、ジョスリン・フォーベールとアンドリュー・ハーバートは、暗い部分から明るい部分へ滑らかに変化する模様を円形に並べ、周辺視野で生じる運動錯視を詳しく調べました。
この現象は、
peripheral drift illusion(ペリフェラル・ドリフト・イリュージョン/周辺ドリフト錯視)
と呼ばれます。
周辺視野とは、直接見つめている中心から外れた範囲です。
研究では、図形を視野の周辺で見たときや、視線を別の場所へ移したとき、瞬きをしたときなどに、静止した模様から動きが感じられやすいことが報告されました。
ここで重要なのは、錯視が単に「目をじっと動かさずに見たときだけ起こる現象」ではないことです。
視線の移動や瞬きによって、網膜へ入る情報が短時間変化したとき、明暗の配置が動きの信号として処理される可能性が考えられました。
ただし、この研究だけで錯視の仕組みが完全に解明されたわけではありません。当時示されたのは、錯視が起きやすい観察条件と、その仕組みに関する有力な説明でした。
2003年(平成15年)、北岡氏らが錯視を強める条件を示す
2003年(平成15年)、北岡明佳氏と蘆田宏(あしだ・ひろし)氏は、周辺ドリフト錯視をより強く生じさせる画像上の条件を報告しました。
論文の題名は、
Phenomenal Characteristics of the Peripheral Drift Illusion(フェノメナル・キャラクタリスティクス・オブ・ザ・ペリフェラル・ドリフト・イリュージョン/周辺ドリフト錯視の現象的特徴)
です。
それまでの図形では、明るさが滑らかに変化する模様が主に使われていました。
北岡氏らは、明るさが滑らかにつながる模様よりも、異なる明るさを段階的に並べた模様のほうが、強い運動錯視を生じさせやすいことを示しました。
さらに、四つの異なる明るさを持つ領域の並び方が重要であり、局所的な動きは、黒から隣接する濃い灰色へ、または白から隣接する薄い灰色へ向かうように現れやすいと報告しました。
長く連続した輪郭よりも、短く分かれた輪郭や曲線的な縁を持つ図形のほうが、錯視が強くなることも示されています。
小学生にも分かるように表すなら、異なる明るさの小さな部品を、動きが生まれやすい順番で繰り返し並べた模様です。
その小さな部品を円に沿って配置すると、円盤全体が回転するように感じられます。
ただし、北岡氏らの2003年(平成15年)の報告が明らかにしたのは、主に錯視を強くする現象上・デザイン上の規則です。
論文でも、なぜその配置から動きが生じるのかについては、運動検出モデルを用いた説明を引き続き探っていると記されています。
つまり、
どのように並べると強く動いて見えるのか
を明らかにすることと、
目や脳のどの処理によって動きが生じるのか
を完全に解明することは、同じではありません。
原因がすべて分からない段階でも、現象が強くなる条件を正確に示すことは、次の実験や理論につながる重要な成果です。
研究上の規則を、作品へ発展させる
「蛇の回転」は、こうした周辺ドリフト錯視の研究と、北岡氏らが示した明暗配置の規則を応用して制作されました。
北岡氏の公式ページでは、2003年(平成15年)9月2日の作品として公開されています。ページでは、円形に巻かれた蛇のような模様が自然に回転して見える作品として紹介されています。
作品の色はとても鮮やかです。
そのため、色そのものが円盤を回転させているように感じるかもしれません。
しかし、重要なのは色の名前だけではありません。
模様を構成する部分同士の明るさの関係、並び順、輪郭の形が、錯視の方向や強さに関係しています。
また、すべての人が同じ強さで動きを感じるとは限りません。見る位置、画像の大きさ、表示環境、視線の動かし方などによって、見え方は変わる可能性があります。

三つの段階を分けると、北岡氏の功績が正確に見える
「蛇の回転」へ至る流れは、次の三段階に整理できます。
第一段階は、1979年(昭和54年)のフレーザーとウィルコックスによる、静止した明暗模様から動きを感じる現象の報告です。
第二段階は、1999年(平成11年)のフォーベールとハーバートによる、周辺視野、視線移動、瞬きなどに注目した周辺ドリフト錯視の研究です。
第三段階は、2003年(平成15年)の北岡氏と蘆田氏による、段階的な明暗配置や輪郭の工夫によって、錯視を強める条件の報告です。
そして、その研究成果を、多くの人が一目で体験できる作品へ発展させたものが「蛇の回転」です。
北岡氏の重要性は、過去の研究を置き換えたことにあるのではありません。
先行研究を受け継ぎ、錯視を強くする条件を整理し、それを科学的にも視覚的にも印象深い作品へ発展させたことにあります。
「蛇の回転」は、研究論文、心理学実験、錯視デザイン、後続する脳科学研究をつなぐ作品になったのです。
7.代表的な錯視作品から研究の広がりを見る
北岡明佳氏と聞くと、「蛇の回転」を思い浮かべる人が多いかもしれません。
しかし、北岡氏が研究し、制作してきた錯視は、静止画が回転して見えるものだけではありません。
立命館大学の研究者情報では、「錯視」「恒常性」「視覚的補完」などが研究上の重要なキーワードとして挙げられています。また、北岡氏は、運動、色、明るさ、形、傾き、立体視など、幅広い視覚現象を扱ってきました。

動きの錯視――「動く」には複数の種類がある
北岡氏の代表的な研究分野の一つが、静止画から動きを感じる錯視です。
「蛇の回転」では円盤が回って見えますが、別の作品では、中央の領域が横へずれたり、揺れたり、浮かんだりして見えることがあります。
その一例が「エンボスドリフト錯視」です。
この錯視では、凹凸の陰影のような模様を利用することで、内側の領域が動いているように感じられます。北岡氏の公式ページでは、2016年(平成28年)の作品として複数の作例が公開されています。
ただし、「蛇の回転」と「エンボスドリフト錯視」は、どちらも動いて見えるからといって、まったく同じ仕組みで生じると決めつけることはできません。
静止画が動いて見える現象には、明暗の配置、周辺視野、輪郭、眼球運動、画像の空間的な構造など、複数の要因が関係します。
北岡氏の作品群は、「動きの錯視」という一つの名称の中にも、さまざまな現象が含まれていることを示しています。
色と明るさの錯視――同じ数値でも、同じ色に見えるとは限らない
北岡氏は、色と明るさの錯視も数多く制作し、研究しています。
背景が変わると、同じ部分が違う色に見える。
同じ灰色が、一方では明るく、もう一方では暗く見える。
画像全体の配色によって、本来含まれていないように思える色が感じられる。
これらの現象は、色の見え方が、一つの部分だけで決まるのではなく、周囲との関係から作られていることを示します。北岡氏は、ムンカー錯視をはじめとする色の対比や同化を利用した多数の作例を公開しています。
色の錯視を正確に説明するには、次の三つを区別しなければなりません。
RGB(アールジービー)値は、画像データの中で赤・緑・青の成分をどの程度使うかを表す数値です。
画面から実際に出る光は、ディスプレイの種類、明るさ設定、色調整、周囲の照明などによって変わります。
人が知覚する色は、目へ届いた光だけでなく、背景、周囲の色、照明の推定、色の恒常性などの影響を受けます。
したがって、
画像上のRGB値が同じであること
目へ届く光が同じであること
同じ色に見えること
は、必ずしも同じ意味ではありません。
「同じ色が違って見える」と説明するときは、何が同じなのかを明確にすると、科学的により正確な文章になります。
傾きや形の錯視――測定結果と見え方がずれる
北岡氏の作品には、線の傾き、長さ、位置、形などが、測定結果とは異なって見える幾何学的錯視も数多くあります。
水平な線が傾いて見える。
平行線が広がったり狭まったりして見える。
直線で作られた図形が波打ったり、曲がったりして見える。
北岡氏は、ツェルナー錯視やカフェウォール錯視など、以前から知られている錯視を、新しい配色や構成へ応用した作品も公開しています。
ここでも、古典的な錯視そのものの発見者と、それを新しい作品へ発展させた研究者を区別する必要があります。
北岡氏は、すべての幾何学的錯視を発見した人物ではありません。
先行研究で知られていた原理を研究し、組み合わせ、新しいデザインとして見せることで、現象をより強く、分かりやすく体験できる形へ発展させてきました。
立体視と視覚的補完――見えていない部分まで一つの形にする
北岡氏の研究は、平面上の色や傾きだけに限られません。
奥行きや立体感を生み出す立体視、途中で隠れた形を一つの物体として捉える視覚的補完も研究対象です。
視覚的補完とは、物体の一部が隠れていたり、輪郭が途中で切れていたりしても、その奥に続くまとまりある形を知覚する現象です。
たとえば、円の中央部分が別の図形に隠れていても、私たちは左右に見える曲線を、別々の線ではなく、隠れた場所でつながる一つの円として捉えることがあります。
これは、脳が好きな形を自由に想像しているという意味ではありません。
輪郭の向き、線のつながり、周囲の配置、奥行きの手掛かりなどを利用し、まとまりのある物体として知覚しています。
錯視、恒常性、視覚的補完は、別々の現象のように見えます。
しかし、いずれも次の問いへつながっています。
視覚は、不完全で変化し続ける情報から、どのように安定した世界を作っているのか。
照明が変わっても、同じ物の色だと判断する。
一部が隠れていても、一つの物体として捉える。
静止画像の明暗配置から、動きを感じ取る。
これらはすべて、視覚が目へ入った情報をそのまま写すのではなく、複数の情報を整理しながら見え方を作っていることを示しています。
作品画像を掲載するときの注意
北岡氏の錯視作品はインターネット上で多数公開されていますが、公開されていることと、自由に転載できることは同じではありません。
公式サイトには、作品の商業的な無断利用に対する注意が示されています。「蛇の回転」についても、商業利用は無料ではなく、教育・研究利用とは条件が異なることが明記されています。
広告やアフィリエイトを掲載するブログは、商業利用と判断される可能性があります。
そのため、作品画像を掲載するときは、作者名や出典を書くだけで済ませず、公式の利用条件を確認し、必要な場合は権利者から許可を得る必要があります。
許可を得ずに掲載しない場合は、文章で現象を紹介し、公式作品ページへ案内する方法があります。また、古典的な錯視の原理を参考に、特定作品の複製にならない独自の図形を作る方法も考えられます。
北岡明佳氏は、「蛇の回転」という一つの有名作品だけを作った人物ではありません。
運動、色、明るさ、傾き、形、奥行き、視覚的補完という幅広い現象を、作品と実験の両面から研究してきました。
多様に見える研究の中心にあるのは、ただ一つです。
私たちは、目へ入った情報から、どのように「見える世界」を作っているのか。
北岡氏の錯視作品は、その問いを専門家だけのものにせず、誰もが自分の目で体験できる形にしたものなのです。
8.錯視を「作品」から「科学」にする方法
北岡明佳氏の錯視作品は、色や形が美しく、まずは作品として楽しむことができます。
しかし、不思議な画像を作っただけで、それがそのまま心理学研究になるわけではありません。
錯視を科学的に調べるためには、
何を変えると、見え方がどのように変わるのか。
という問いを立て、条件をそろえて比較する必要があります。
一つの条件だけを変えて比べる
たとえば、止まった模様が動いて見える錯視を調べるとします。
最初の画像とよく似た比較用の画像を作り、明るさの順番だけを変えます。動いて見える方向や強さが変化したなら、明るさの並びが錯視に関係している可能性があります。
さらに、
- 色の組み合わせ
- 明るい部分と暗い部分の差
- 模様を並べる順番
- 一つ一つの模様の大きさ
- 輪郭の長さや曲がり方
- 模様同士の間隔
- 画像を見る位置
- 中心視野と周辺視野
などを、一つずつ変えていきます。
一度に多くの条件を変えてしまうと、何が結果に影響したのか分からなくなります。そのため、調べたい条件以外は、できるだけ同じ状態に保ちます。
作品制作の途中で、「この並びでは強く動いて見える」「輪郭を長くすると弱くなる」といった規則が見つかれば、そこから実験で確かめられる仮説が生まれます。
北岡氏と蘆田宏氏による周辺ドリフト錯視の研究も、明るさの段階や並び方、輪郭の形を変えながら、錯視が強くなる条件を整理したものでした。
ただし、作者自身に強く見えたというだけでは、一般的な法則とはいえません。複数の参加者に見てもらい、同じ傾向が繰り返し確認されるかを調べる必要があります。
心理物理学で「見え方」を測る
人間の感覚や知覚と、光や音などの物理的な刺激との関係を測る研究分野を、psychophysics(サイコフィジックス/心理物理学)といいます。
見え方そのものを定規で直接測ることはできません。
そこで心理物理学では、参加者の判断や反応を記録し、主観的な見え方を比較できるデータにします。
「蛇の回転」のような錯視であれば、次のような調べ方があります。
二つの画像を見せて、どちらが強く動いて見えるかを選んでもらう。
動いて見える強さを、0から10までの数値で答えてもらう。
模様の明るさを少しずつ変え、動きが見え始める境界を測る。
錯視とは反対方向へ実際に動く画像を加え、止まって見える速さを探す。
最後の方法では、錯視による動きと反対方向の物理的な動きを加えます。両方が打ち消し合って止まって見えたとき、加えた動きの速さから、錯視の強さを推定できます。
このように、単に「動いて見えましたか」と尋ねるだけでなく、比較、数値評価、見え始める境界などを測ることで、個人的な体験を科学的な研究対象に近づけられます。
脳活動から調べる
錯視を見ているときの脳活動を調べる方法の一つが、functional magnetic resonance imaging(ファンクショナル・マグネティック・レゾナンス・イメージング/機能的磁気共鳴画像法、fMRI)です。
fMRIは、脳内の血流や血液中の酸素量に関連する信号の変化から、課題中に活動が変化した領域を調べます。
2008年(平成20年)には、北岡氏らの共同研究によって、「蛇の回転」を見ているときの脳活動がfMRIで調べられました。さらに2012年(平成24年)の研究では、同じ方向の運動刺激を続けて見たときに反応が変化する性質を利用し、V1(ブイワン)などの初期視覚野から、V3AやMT+を含む運動処理ネットワークが検討されました。
ただし、脳画像は「錯視が作られている場所」を直接写した写真ではありません。
ある領域の活動が変化しても、その領域だけが単独で錯視を作っているとは限らないからです。初期の画像処理、運動方向の検出、注意、判断など、複数の働きが関係している可能性があります。
目の動きから調べる
私たちは、一点をじっと見つめているつもりでも、目を完全に停止させているわけではありません。
視線の位置や眼球運動を測定する方法を、eye tracking(アイ・トラッキング/視線計測)といいます。
視線計測によって、
- 画像のどこを見ているか
- いつ視線を移動したか
- いつ瞬きをしたか
- 細かな眼球運動がいつ起きたか
- 錯視が強く見えた瞬間と対応しているか
などを調べられます。
「蛇の回転」は、視線を移した直後や瞬きの後に、動きが強く感じられることがあります。2012年(平成24年)の研究では、瞬きや微小な眼球運動の後に、錯視的な回転が強く報告されやすいことが示されました。
しかし、目が動いたことだけでは、回転方向まで説明できません。
同じように目を動かしても、明暗の並び方が異なる画像では、強い回転が見えない場合があります。画像の構造と眼球運動による時間的な変化を、合わせて考える必要があります。
計算モデルで説明を試す
錯視研究では、computational model(コンピュテーショナル・モデル/計算モデル)も使われます。
計算モデルとは、視覚の仕組みに関する仮説を、数式やコンピュータープログラムとして表したものです。
たとえば、
明るい部分と暗い部分では、視覚システム内で処理される速さが少し違うのではないか。
隣り合う明暗から生まれる信号が、特定方向の動きとして統合されるのではないか。
という仮説をプログラムに組み込み、錯視画像を入力します。
人が感じる方向と同じ運動信号が出るか、画像の並びを変えると出力も正しく変化するかを確かめます。
一つの画像で結果が一致しただけでは、説明として十分ではありません。別の錯視や、動いて見えない比較画像についても、正しく予測できる必要があります。
錯視作品は、芸術か科学かのどちらか一方に決める必要はありません。
人を引きつける表現であると同時に、色、明るさ、形、配置を操作できる画像は、科学実験の刺激にもなります。
作品から疑問が生まれ、疑問から仮説が作られ、測定と実験によって確かめられていく。
この過程によって、錯視は「見ると面白い作品」から、「視覚を調べる科学的な手掛かり」へと発展するのです。
9.『蛇の回転』の仕組みは、どこまで分かったのか
「蛇の回転」が動いて見える理由については、さまざまな研究が行われています。
しかし、
原因は眼球運動です。
この脳領域が錯視を作っています。
と、一つの結果だけで説明するのは正確ではありません。
ここでは、比較的確かに分かっていること、有力な説明、まだ分かっていないことを分けて見ていきましょう。
比較的確かに分かっていること
まず、画像ファイルそのものは静止しています。
それでも、模様を構成する明暗の順序を変えると、動いて見える方向や強さが変化します。
段階的な明暗配置、明るさを並べる順序、短く分断された輪郭、曲線的な縁などが、錯視の強さに影響することが報告されています。
また、「蛇の回転」は、直接見つめている円盤より、視線から少し外れた円盤のほうが動いて見えやすい傾向があります。視線を移した直後や瞬きをした後に、回転が強く感じられることもあります。
つまり、どのような静止画でも動いて見えるわけではありません。
画像に含まれる明暗の構造と、それを見る位置や時間的な変化が重要です。
ただし、錯視の強さには個人差があります。画像の大きさ、見る距離、表示環境、年齢などによっても、感じられる動きが変わる可能性があります。
動きが弱くしか見えない人や、ほとんど見えない人がいても、それだけで視覚に異常があるとはいえません。
脳活動から分かったこと
fMRIを用いた研究では、「蛇の回転」を見たとき、実際の運動にも関係する視覚領域を含むネットワークが活動することが示されています。
2012年(平成24年)の研究では、錯視によって知覚される運動方向に対応した反応が、初期視覚野から運動関連領域にかけて調べられました。これは、「動いているような気がする」という言葉だけの思い込みではなく、視覚の運動処理と結びついた現象であることを示す証拠の一つです。
ただし、
MT+が活動したから、MT+だけが錯視を作っている。
V1に反応があったから、錯視はV1だけで完成している。
とはいえません。
視覚情報は、複数の領域の間で相互に処理されます。fMRIで観察された活動が、錯視の最初の原因なのか、その後の処理なのかを区別することも簡単ではありません。
脳画像研究から分かるのは、錯視的な運動が、実際の運動知覚にも使われる視覚ネットワークと関係しているということです。
微小な眼球運動と瞬き
2012年(平成24年)の研究で注目されたのが、microsaccade(マイクロサッケード/微小な跳躍性眼球運動)です。
マイクロサッケードとは、一点を見つめている間にも起きる、小さく素早い眼球運動です。
研究では、マイクロサッケードや瞬きの後に、錯視的な回転が強く報告されやすいことが示されました。一方、回転が弱まる前には、マイクロサッケードの頻度が低下する傾向も報告されています。
この結果から、眼球運動や瞬きは、錯視的な動きを再び強めるきっかけの一つと考えられます。
しかし、それだけが唯一の原因ではありません。
眼球運動があっても、動きが生じやすい明暗配置がなければ、「蛇の回転」のような方向性のある回転は生まれにくいからです。
色は飾りだけなのか
「蛇の回転」では鮮やかな青や黄色が使われています。
運動錯視の基本には明暗の関係がありますが、色がまったく関係しないとは限りません。
2024年(令和6年)の研究では、対応する部分の輝度をそろえた条件でも、青と黄色を組み合わせた図形は、赤と緑の組み合わせや無彩色の図形より、強い運動が知覚されるという結果が報告されました。
この結果は、色が単なる装飾ではなく、錯視の強さへ影響する場合があることを示しています。
ただし、なぜ青と黄色の組み合わせで強くなるのか、その仕組みがすべて解明されたわけではありません。
瞳孔の変化に注目した新しい説明
2025年(令和7年)には、瞳孔の大きさの変化から周辺ドリフト錯視を説明する研究が発表されました。
瞳孔が拡大すると、網膜へ届く光の量も変化します。
研究者らは、視線移動などの後に起きる瞳孔の拡大が、明暗の勾配を持つ模様に時間的な明るさの変化を生み、それが錯視的な動きへつながる可能性を検討しました。
実験では、瞳孔が拡大した時間と、参加者が錯視的な運動を感じた時間との対応が調べられ、瞳孔変化を模した画像操作によっても運動印象が生じることが報告されました。
これは、周辺ドリフト錯視を説明する新しい有力な提案です。
ただし、この研究によって、すべての問題が解決したわけではありません。
明暗の並びから、なぜ一定の回転方向が決まるのか。
色の組み合わせによる違いを、どこまで説明できるのか。
瞳孔、網膜、眼球運動、大脳の運動処理が、どのようにつながっているのか。
こうした点には、さらに検討が必要です。

現在考えられる全体像
現在までの研究をまとめると、次のような流れが考えられます。
まず、画像には、動きの信号を生みやすい非対称な明暗配置があります。
そこへ視線移動、瞬き、マイクロサッケード、瞳孔の変化などが加わると、網膜上の刺激に時間的な変化が生まれます。
その変化を、網膜から初期視覚野、運動関連領域へ続く視覚システムが処理した結果、静止模様から一定方向の動きが知覚される可能性があります。
ただし、この全体像には、複数の研究結果をつないだ推定も含まれています。
どの処理が錯視に必ず必要なのか、どの処理が動きを強くする補助的な要因なのかは、完全には整理されていません。
「蛇の回転」は、明暗の順序、色、輪郭、周辺視野、眼球運動、瞬き、瞳孔、時間的な情報処理、脳内の運動検出などが関係する複雑な現象です。
現在の研究は重要な手掛かりを示していますが、すべてを一つの原因だけで説明できる段階ではありません。
分からない部分が残っていることは、科学の失敗ではありません。
一枚の錯視画像から新しい仮説が生まれ、異なる方法による検証が続いていること自体が、「蛇の回転」が科学的にも重要な作品である理由なのです。
10.北岡明佳氏は、なぜ心理学における重要人物なのか
ここまで、北岡明佳氏の経歴、錯視研究へ進んだ背景、「蛇の回転」の成り立ち、心理学や脳科学による研究を見てきました。
それでは改めて、北岡氏はなぜ錯視研究における重要人物といえるのでしょうか。
北岡氏は、錯視を最初に発見した人物ではありません。
静止画が動いて見える仕組みを、一人ですべて解明した人物でもありません。
北岡氏の重要性は、先行研究を受け継ぎながら、錯視を強く体験できる作品へ発展させ、研究、教育、デザイン、情報科学へつなげてきた点にあります。
錯視を誰もが体験できる形にした
心理学の論文には、実験条件、測定方法、統計解析などが詳しく書かれています。
正確な研究には欠かせませんが、専門知識のない人がすぐに理解するのは簡単ではありません。
一方、「蛇の回転」を見るために、難しい専門用語を覚える必要はありません。
画像を見た瞬間に、
止まっているのに、なぜ動くのだろう。
という疑問が生まれます。
北岡氏は、運動、色、明るさ、形、傾き、奥行きなどに関する多数の錯視作品を公開し、読者が自分自身の見え方から知覚心理学へ入れる入口を作ってきました。
公式サイト「北岡明佳の錯視のページ」では、作品だけでなく、錯視の分類、論文、講演資料、研究情報なども長年にわたって公開されています。北岡氏自身も、インターネットを通じて錯視の認知度を高めることに貢献したと説明しています。
作品を研究刺激へ発展させた
「蛇の回転」は、錯視作品として鑑賞されるだけでなく、科学研究で使われる実験刺激にもなりました。
心理物理学による錯視量の測定、fMRIによる脳活動の研究、視線計測による眼球運動の研究、瞳孔の測定、計算モデルや深層学習による研究など、異なる方法から検討されています。
錯視作品を作る。
どの条件で強くなるかを整理する。
人の見え方を測る。
目や脳の反応を調べる。
計算モデルで説明できるかを試す。
北岡氏の研究では、これらが一つの流れとしてつながっています。
異なる研究分野をつないだ
北岡氏は、生物学、動物心理学、神経科学、知覚心理学を学び、錯視を複数の方法から研究してきました。
2021年(令和3年)4月から2026年(令和8年)3月まで行われた科学研究費助成事業「AIの導入による総合的錯視研究の新展開」では、実験心理学、脳機能測定、数理的研究、生物学、AIなどを組み合わせた研究が進められました。
錯視には多くの種類があり、すべてを一つの理論や一つの脳領域だけで説明することはできません。
そのため、異なる専門を持つ研究者が、同じ現象を別の角度から調べることが重要です。
北岡氏は、錯視を中心に置くことで、心理学、神経科学、生物学、数理研究、情報科学、色彩研究が協力できる研究の広がりを作ってきました。
研究成果を「完成した答え」ではなく「問い」として示した
北岡氏の功績は、作品数や知名度だけではありません。
錯視を、
脳が間違えただけの現象
として終わらせず、
なぜ、この条件では、このような見え方が生まれるのか。
という科学的な問いへつなげてきた点にあります。
北岡氏自身も、研究を始めた当初は、「錯視を研究すれば視覚の仕組みが分かる」という考えに慎重だったと述べています。
その後、色の恒常性と色の錯視、運動検出と動く錯視などの関係を研究する中で、錯視が通常の視覚を理解する手掛かりになるという立場へ近づいていきました。
最初の考えを守るのではなく、研究結果に応じて自分の考えも更新する。
この姿勢も、北岡氏を人物として紹介するうえで重要です。
北岡明佳氏は、すべての錯視を発見した唯一の研究者ではありません。
より正確には、現代日本を代表する錯視研究者の一人であり、錯視研究と錯視デザインを結びつけ、その面白さと科学的価値を広く伝えてきた人物です。

錯視を見る人を驚かせる。
錯視が生じる条件を研究する。
作品を新しい実験へつなげる。
専門知識を一般の人へ伝える。
これらを一つの活動として結びつけてきたことに、北岡明佳氏の重要性があります。
11.教育・デザイン・AIへ広がる錯視研究
錯視研究の価値は、研究室や学術論文の中だけにあるわけではありません。
見るだけで現象を体験できるという特徴によって、教育、デザイン、出版、人工知能研究などへ広がっています。
子どもでも「研究する側」になれる
錯視は、子どもが心理学や脳科学へ関心を持つ入口として適しています。
最初から脳領域や統計の説明を理解していなくても、
同じ長さなのに、なぜ違って見えるのだろう。
止まっているのに、なぜ動いて見えるのだろう。
という体験から学習を始められるからです。
北岡氏は、大学での研究・教育に加え、錯視工作教室や子ども向けワークショップなどにも関わってきました。立命館大学の研究者データベースには、幼稚園、中学校、科学施設などで行われた錯視工作や体験活動が記録されています。
錯視を自分で作ると、完成した画像を見るだけでなく、
- 模様の間隔を変える
- 色や明るさの順番を変える
- 定規で長さを確認する
- 他の人と見え方を比べる
- 予想と結果を記録する
といった活動へ進めます。
錯視は、正解を当てて終わるクイズではありません。
自分の見え方を観察し、条件を変え、測って確かめるための科学教材になります。
デザインに利用するときは、目的と負担を考える
北岡氏の作品は、研究用の図形であると同時に、色や形の強い魅力を持っています。
ここでいう錯視デザインとは、単に画像を美しく飾ることではありません。
明るさ、色、輪郭、配置を意図的に組み合わせ、特定の見え方が生まれる条件を設計することです。
錯視の知識は、芸術、展示、映像、商品、広告などを考える手掛かりになります。北岡氏の公式プロフィールでも、錯視研究の社会的な展開として、化粧や毛髪、エンターテインメントなどへの応用可能性が挙げられています。
ただし、錯視を使えば必ず良いデザインになるわけではありません。
強く動いて見える模様は、人によって疲れや不快感を生じさせる場合があります。案内表示やグラフでは、錯視的な表現が情報を誤解させる可能性もあります。
利用するときは、
何を伝えるための表現なのか。
誤読や誤解を生まないか。
長時間見ても負担にならないか。
を考える必要があります。
錯視研究は、人を驚かせる技法だけでなく、見え方を変える条件を理解し、適切に使うための知識でもあります。
本で学びを深める
北岡氏は、初心者向けから専門的な内容まで、多数の錯視関連書籍を執筆しています。
初めて錯視の世界に入る人には、2007年(平成19年)刊行の『だまされる視覚 錯視の楽しみ方』があります。一般読者が錯視を体験しながら、基本的な考え方を学べる一冊です。
錯視の種類を体系的に学びたい人には、2010年(平成22年)刊行の『錯視入門』があります。幾何学的錯視、明るさ、色、運動、視覚的補完、立体視、顔の錯視まで幅広く扱い、研究文献も収録されています。
図を中心に仕組みを確かめたい人には、2019年(令和元年)刊行の『イラストレイテッド 錯視のしくみ』があります。色や錯視デザインを視覚的に学び、自分で図形を作るための参考にもなる構成です。
読み進めるときは、画像を眺めるだけでなく、
何が物理的に同じなのか。
何を変えると見え方が変わるのか。
説明はどこまで実験で確かめられているのか。
と問いながら読むと、楽しさが心理学の学びへつながります。
AIは「蛇の回転」を見ているのか
錯視研究は、artificial intelligence(アーティフィシャル・インテリジェンス/人工知能、AI〈エーアイ〉)にも広がっています。
2018年(平成30年)、渡辺英治氏、八杉公基氏、北岡明佳氏らの研究グループは、deep neural network(ディープ・ニューラル・ネットワーク/深層ニューラルネットワーク)へ「蛇の回転」を入力し、どのような運動予測が現れるかを調べました。
自然な動画を学習した予測型のモデルでは、静止した「蛇の回転」から、人間が感じる方向と対応する運動の出力が得られました。回転しないように作られた比較画像では、同じ出力は現れませんでした。
しかし、
AIも人間と同じように、蛇が回って見えた。
と表現するのは正確ではありません。
この研究で確認されたのは、計算モデルから、人間の錯視的運動と似た方向の出力が得られたことです。
AIが驚いたり、不思議だと感じたり、主観的に動きを体験したりしたことが確認されたわけではありません。
計算モデルは、人間と同じ心を持つ代用品ではなく、
このような処理を行うと、人間に似た出力や誤差が生じるか。
を調べるための道具です。
一種類の錯視に似た出力を示したからといって、人間の視覚全体を再現できたことにもなりません。
2026年(令和8年)3月まで行われた科研費研究でも、AIを取り入れた錯視研究が進められた一方、AIによって多数の錯視を統一的に説明するという課題には、なお検討すべき点が残されました。
AIが人間と似た反応を示せば、共通する計算方法を考える手掛かりになります。
異なる反応を示せば、人間の視覚に特有の働きを考える手掛かりになります。
どちらの結果も、「見るとは何か」という新しい問いにつながります。
北岡明佳氏の研究は、一枚の不思議な画像から始まり、心理学、神経科学、教育、デザイン、数理研究、AIへと広がってきました。
けれども、その中心にある問いは変わりません。
私たちは、目へ入った情報から、どのように「見える世界」を作っているのか。
錯視は、その答えを一度に教えてくれるものではありません。
見慣れた世界の中に、まだ説明しきれていない仕組みがあることを、誰もが体験できる形で示してくれるのです。
12.おまけコラム
『蛇の回転』が動いて見えないのはおかしい?
「蛇の回転」を見た人の中には、円盤が勢いよく回って見える人もいれば、少しだけ動いて見える人、ほとんど動きを感じない人もいます。
周りの人が「すごく動いて見える」と話しているのに、自分には静止画のままに見えると、
自分の見方が間違っているのだろうか。
目や脳に何か問題があるのだろうか。
と不安になるかもしれません。
しかし、錯視の感じ方には個人差があります。「蛇の回転」が弱く見える、または動いて見えないというだけで、直ちに視覚の異常を意味するわけではありません。
反対に、強く動いて見えるからといって、視力が優れている、脳の働きが特別によいという意味でもありません。
錯視は、能力を競うテストではないのです。
見る場所によって、動き方が変わる
「蛇の回転」は、直接見つめている円盤よりも、視線から少し外れた円盤のほうが動いて見えやすい傾向があります。
一つの円盤だけをじっと見つめると、その円盤の動きは弱まり、周囲にある別の円盤が回り始めたように感じることがあります。
また、別の場所へ視線を移した直後や、瞬きをした後に、止まっていた円盤が再び動き始めるように見える場合もあります。
これは、錯視の見え方が画像だけで決まるのではなく、どこを見ているか、いつ視線を動かしたかといった観察条件にも影響されることを示しています。
画面や周囲の環境でも変化する
同じ画像を見ていても、表示する環境が変われば、見え方も変わる可能性があります。
たとえば、
- 画像を大きく表示する
- 少し離れた場所から見る
- 画面の明るさを調整する
- 部屋の照明を変える
- 画像の中心ではなく、少し横を見る
- 一度別の場所を見てから、画像へ視線を戻す
といった方法で、動きが感じられやすくなることがあります。
ただし、無理に長時間見続ける必要はありません。目が疲れたり、不快に感じたりした場合は、画像から視線を外して休みましょう。
錯視は、我慢して見なければならないものではなく、自分の見え方を安全に観察するための材料です。
年齢によって見え方が異なることもある
「蛇の回転」を含む一部の運動錯視では、年齢によって感じられる動きの強さが異なる可能性も研究されています。
ただし、年齢だけで見え方が決まるわけではありません。
画像の大きさ、視線の位置、明暗の差、見る時間、表示環境なども関係します。さらに、同じ年代であっても、錯視の感じ方は一人ひとり異なります。
そのため、
子どもには見えるが、大人には見えない。
若い人ほど必ず強く見える。
と単純に決めつけることはできません。
科学では、一つの特徴だけで原因を決めるのではなく、複数の条件を分けて調べます。
正解を知っていることと、同じように見えることは別
「蛇の回転」が静止画であることは、画像ファイルを確認すれば分かります。
しかし、「止まっている」と理解しても、円盤は動いて見えることがあります。
これは、知識として正解を理解する働きと、明暗や動きを自動的に処理する視覚の働きが、必ずしも同じ結果を出すとは限らないためです。
反対に、仕組みを学んでも動いて見えない人がいることも、不思議ではありません。
同じ画像を見ても、全員が同じ強さ、同じ速さ、同じタイミングで動きを感じるとは限らないのです。
見え方の違いそのものが、研究の入口になる
錯視画像を見たとき、大切なのは、周りの人と同じように見えるかどうかではありません。
どこを見ると動いて見えたのか。
視線を移すと見え方は変わったか。
画像を大きくするとどうなったか。
他の人とはどこが違ったのか。
このように条件を比べることで、自分の体験が小さな観察記録になります。
家族や友人と試す場合も、「見えた人が正しい」「見えない人が間違っている」と決める必要はありません。

一人ひとりの答えを記録し、見る距離や画像の大きさを変えて比べれば、それだけで心理学実験の考え方に近づきます。
同じ画像を見ても、全員が同じように感じるとは限りません。
その違いは、誰かの見え方が正しく、誰かの見え方が間違っているという意味ではありません。
なぜ、自分と他の人では見え方が違うのだろう。
その疑問を持ち、条件を変えて確かめるところから、心理学の研究は始まります。
北岡明佳氏の錯視作品は、完成した答えを一方的に教えるものではありません。
作品を見た一人ひとりに、「あなたには、どう見えましたか」と問いかけています。
錯視を見た読者は、作品を眺める観察者であると同時に、自分の見え方を調べる小さな研究者にもなれるのです。
13.まとめ・考察
錯視が教えてくれる「見ること」と「確かめること」
北岡明佳氏は、現代日本を代表する錯視研究者の一人です。
大学では生物学、大学院では心理学を学び、その後は神経科学の研究所で、動物の脳と人間の知覚を研究しました。そして1995年(平成7年)頃から、錯視を視覚研究の手掛かりとして本格的に扱うようになります。
北岡氏の代表作「蛇の回転」は、動かない一枚の画像であるにもかかわらず、複数の円盤が回転しているように見える作品です。
しかし、北岡氏が重要なのは、有名な錯視作品を作ったからだけではありません。
先行研究を受け継ぎながら、錯視が強く生じる色、明るさ、形、配置などの条件を研究し、その成果を多くの人が自分の目で体験できる作品へ発展させました。
さらに、その作品は心理物理学、脳機能画像、視線計測、計算モデル、人工知能など、さまざまな方法による研究へつながっています。
北岡氏の活動は、
錯視を見ること
錯視を作ること
錯視を測ること
錯視から視覚の仕組みを考えること
を、一つの流れとして結びつけたものだといえるでしょう。
錯視は、目や脳の失敗だけを示しているのではない
錯視を見ると、私たちはつい「目が騙された」「脳が間違えた」と考えます。
けれども、錯視は単なる失敗ではありません。
私たちの視覚は、目へ入った情報をそのまま写しているわけではなく、明るさ、色、輪郭、動き、奥行き、周囲との関係などを素早く整理しながら、見える世界を作っています。
その働きがあるからこそ、私たちは一部が隠れた物体を一つの形として理解し、照明が変わっても同じ物の色を比較的安定して判断し、人や乗り物の動きを素早く見つけられます。
ところが、特定の条件では、その普段は役立っている働きによって、物理的な状態とは異なる見え方が生まれます。
錯視は、視覚の欠点だけを見せているのではありません。
むしろ、普段は意識することのできない「見る仕組み」が、目に見える形で表面へ現れた現象だと考えられます。
錯視は、脳がついた嘘というよりも、限られた情報から世界を理解しようとして提出した、視覚の「仮答案」なのかもしれません。
正解を知ることと、見え方が変わることは別
「蛇の回転」が静止画であると理解しても、円盤は動いて見えることがあります。
明暗の錯視でも、二つの部分が同じ値であると知っているのに、片方が明るく見えることがあります。
これは、知識として理解する働きと、明るさや動きを自動的に処理する視覚の働きが、必ずしも同じ答えを出すとは限らないからです。
だからといって、知識が役に立たないわけではありません。
動いて見えたままでも、画像ファイルを調べれば静止画であることを確認できます。
長さが違って見えたままでも、定規を使えば実際の長さを測れます。
色が異なって見えたままでも、背景や照明をそろえて比較できます。
ここから分かるのは、
見え方をすぐに変えられないことと、正確に判断できないことは同じではない
ということです。
私たちは、自分の感覚を否定する必要はありません。
同時に、見えた印象だけを最終的な答えにする必要もありません。
感じたことを大切にしながら、正確さが必要な場面では条件をそろえ、比較し、測って確かめることができます。
日常にも、見え方の違いは隠れている
次のような経験をしたことはないでしょうか。
店で見た服の色が、家へ持ち帰ると少し違って見えた。
スマートフォンで見た商品の色が、実物では明るすぎたり暗すぎたりした。
同じ部屋なのに、壁紙や照明を変えると広さまで変わったように感じた。
グラフを見たとき、大きな差があるように思えたものの、目盛りを確認すると差はわずかだった。
写真を編集しているとき、背景を変えただけなのに、人物の顔色まで変化したように感じた。
こうした経験のすべてを錯視と呼べるわけではありません。
しかし、私たちの見え方が、対象そのものだけでなく、照明、背景、周囲との比較、表示環境などにも左右されることを示す例です。
たとえば、服や家具の色を選ぶときに、明るさの異なる場所でも確認してみる。
グラフを見るときに、棒の長さだけでなく、縦軸の始まりや目盛りを確かめる。
写真やウェブサイトを作るときに、色だけでなく背景との関係を考える。
このように錯視の知識を意識すると、日常の「見た感じ」を、少し違った角度から観察できるようになります。
見え方の違いは、間違いではなく研究の材料になる
同じ「蛇の回転」を見ても、強く回って見える人、少しだけ動いて見える人、ほとんど動きを感じない人がいます。
この違いを見て、
誰の見え方が正しいのか。
と考えたくなるかもしれません。
しかし、心理学にとって大切なのは、全員を同じ答えにそろえることではありません。
なぜ違いが生まれたのかを調べることです。
見る位置が違ったのか。
画面の大きさや明るさが違ったのか。
視線を動かす回数が違ったのか。
年齢や個人差が関係しているのか。
結果が異なったとき、それを失敗として捨てるのではなく、条件を確認し、新しい問いへ変えていく。
そこに科学的な考え方があります。
錯視は、「自分の目は信用できない」と不安になるための現象ではありません。
自分と他の人では、同じ世界が少し違って見えることがあると知り、その違いを丁寧に調べるための入口です。

錯視が教えてくれる、もう一つの大切なこと
私たちは、自分に見えている世界を、誰にとっても同じ現実だと思いやすいものです。
しかし、同じ画像を見ても、感じられる動きの強さは異なります。
同じ言葉を聞いても、受け取り方は異なります。
同じ出来事を経験しても、注目する部分や意味づけは人によって変わります。
錯視研究から、人間関係や社会の問題を直接説明することはできません。
それでも、「自分にそう見えた」という体験と、「誰にとってもそうである」という事実は同じではない、という慎重さを学ぶことはできます。
これは、錯視研究から得られる、少しユニークでありながら大切な教訓ではないでしょうか。
自分の見え方を否定しない。
他の人の見え方も、すぐに間違いだと決めつけない。
必要なときには、同じ条件を作り、測定し、根拠を確かめる。
北岡明佳氏の錯視作品は、見ることの不思議だけでなく、物事を確かめる姿勢についても考えさせてくれます。
北岡氏は、錯視を完成した答えとして示したのではありません。
一枚の画像を通して、私たちへ問いを投げかけています。
なぜ、このように見えるのでしょうか。
条件を変えると、見え方はどう変化するでしょうか。
あなたと他の人では、同じように見えるでしょうか。
あなたなら、錯視から学んだ「比べる・測る・確かめる」という考え方を、日常のどの場面で活かしますか。
そして次に、不思議な見え方と出会ったとき、その驚きを「騙された」の一言で終わらせず、どの条件を変えて確かめてみたいと思いますか。
14.疑問が解決した物語
記事を最後まで読み終えた紗季さんは、もう一度、スマートフォンに表示した「蛇の回転」を見つめました。
画面に並ぶ色鮮やかな円盤は、やはりゆっくりと回っているように見えます。
けれども、最初に見たときとは、少しだけ受け止め方が変わっていました。
「動いて見えるけれど、画像そのものが動いているわけではないんだ」
紗季さんは、画像を指で長押しし、静止画のファイルであることを改めて確認しました。
画面を止めたからといって、回転して見える感覚が消えるわけではありません。
それでも、今度は不安になりませんでした。
止まっていると理解することと、止まって見えることは、必ずしも同じではないと学んだからです。
紗季さんは、一つの円盤をじっと見つめてみました。
すると、見つめている円盤の動きは少し弱くなり、視線から外れた周囲の円盤が動いているように感じられます。
別の場所へ視線を移すと、今まで見ていた円盤が再び回り始めたように見えました。
一度瞬きをすると、動きが少し強く感じられることもあります。
「見る場所や、目を動かすタイミングでも変わるんだ」
紗季さんは、気づいたことをノートへ書き始めました。
画像は静止している。
円盤を直接見るより、少し外して見たほうが動きを感じやすい。
視線を移した後や瞬きの後に、動きが強く感じられることがある。
ただし、いつも同じ強さで見えるわけではない。
次に、画面の明るさを少し下げたり、画像の大きさを変えたりしてみました。
見え方には変化がありましたが、どの条件でも同じ結果になるわけではありません。
紗季さんは、そこで大切なことに気づきました。
一度試して感じたことだけで、すべての人に当てはまる答えを決めることはできません。
見る人、見る場所、画像の大きさ、表示環境などによって、錯視の感じ方は変わる可能性があります。
「私にはこう見えた。でも、ほかの人にも同じように見えるとは限らないんだ」
紗季さんは家族にも画像を見せてみました。
勢いよく回って見えるという人もいれば、少ししか動かないという人もいます。
ほとんど動いて見えないという人もいました。
以前の紗季さんなら、「どの見え方が正しいのだろう」と考えたかもしれません。
けれども今は、その違いそのものが研究の入口になると分かります。
誰かが間違っていると決めるのではなく、見る位置、距離、画面の明るさなどの条件をそろえ、それでも違いが残るかを比べる。
それが、見え方を科学的に調べる考え方です。
紗季さんが最初に抱いた疑問も、一つずつ整理されていきました。
北岡明佳氏は、生物学、心理学、神経科学を学び、錯視を通して人間の知覚を研究してきた人物です。
「蛇の回転」は、北岡氏が動く錯視を世界で初めて発見した作品ではありません。
先行する周辺ドリフト錯視
peripheral drift illusion(ペリフェラル・ドリフト・イリュージョン)
の研究を受け継ぎ、明るさの並び方や輪郭の形など、錯視を強める条件を研究し、その知見を印象的な作品へ発展させたものです。
そして、絵を作ることが心理学研究につながる理由も分かりました。
色、明るさ、形、配置などの条件を一つずつ変え、見え方の変化を測れば、視覚がどの情報を手掛かりにしているのかを調べられます。
錯視作品は、人を驚かせるだけの絵ではなく、実験で使える視覚刺激にもなり得るのです。
ただし、「蛇の回転」が動いて見える理由について、すべてが一つの答えに決まったわけではありません。
明暗の並び、周辺視野、視線の移動、微小な眼球運動、瞬き、瞳孔の変化、脳内の運動処理など、複数の要因が研究されています。
現在の研究は重要な手掛かりを示していますが、すべてを一つの原因だけで説明できる段階ではありません。
紗季さんは、それを知って少し意外に感じました。
記事を読み終えれば、すべての答えが決まると思っていたからです。
しかし、分からない部分が残っていることは、科学が役に立たないという意味ではありません。
何が分かっていて、何がまだ分かっていないのかを分けることも、科学の大切な役割です。
「分からないから終わりじゃなくて、分からないことが次の研究の始まりになるんだ」
そう考えると、目の前の錯視が、先ほどよりも少し違って見えました。
単に目を騙す不思議な画像ではありません。
過去の研究者が見つけた現象を受け継ぎ、条件を変え、測定し、作品にし、さらに別の研究者が脳や目、計算モデルを使って調べていく。
一枚の画像の中に、長い研究のつながりが隠れていたのです。
紗季さんは、ノートの最後にこう書きました。
見えたことを、すぐに否定しない。
けれども、見えたことだけで事実を決めない。
条件を変え、比べ、必要なら測って確かめる。
自分と違う見え方も、すぐに間違いだと決めつけない。
分からないことが残ったら、次の問いにする。

スマートフォンの画面では、円盤がまだ静かに回り続けているように見えます。
紗季さんは、その見え方を無理に止めようとはしませんでした。
動いて見えるという自分の体験も、画像が静止しているという確認結果も、どちらも大切な情報だからです。
「次に不思議な見え方を見つけたら、今度はどの条件を変えてみようかな」
紗季さんは画面を閉じながら、少し楽しそうに考えました。
錯視について学ぶ前、紗季さんは、正しい答えを知ることだけが疑問の解決だと思っていました。
けれども今は、答えを知った後に新しい問いを持てることも、学ぶことの一部だと感じています。
北岡明佳氏の錯視作品は、「目は信用できない」と教えているのではありません。
私たちが、限られた情報から世界を理解するために、目と脳をどのように働かせているのかを示しています。
そして同時に、見えた印象を大切にしながら、必要なときには比較し、測定し、確かめることの重要性も教えてくれます。
次にあなたが、不思議な見え方と出会ったとき、どのように確かめますか。
そして、「どうしてそう見えるのだろう」という疑問から、どのような新しい実験を考えてみたいですか。
15.文章の締めとして

止まっているはずの絵が動いて見える。
その小さな驚きから始まった今回の物語は、北岡明佳氏という一人の研究者を通して、心理学、神経科学、色彩、デザイン、そして人工知能へと広がっていきました。
けれども、最後に残るのは、難しい専門用語や研究結果だけではありません。
私たちは毎日、当たり前のように目を開き、目の前の世界を見ています。
そこに人がいること。
物が動いていること。
同じ物が、今日も同じ物として見えること。
普段は意識しませんが、その一つひとつの見え方の背後では、目と脳を含む視覚システムが、限られた情報を使いながら、絶えず世界を組み立てています。
錯視と出会うと、その普段は見えない働きが、ほんの少しだけ表面へ現れます。
「見えているのだから間違いない」と思っていた世界が、実は、光や色、形、周囲との関係から作られた知覚でもあると気づかされます。
だからといって、自分の目を疑い続ける必要はありません。
動いて見えたなら、その体験を大切にする。
正確さが必要なら、条件をそろえ、測り、確かめる。
自分とは違う見え方をする人がいたなら、すぐに間違いだと決めつけず、なぜ違うのかを考えてみる。
そのように、感じたことと確かめたことの両方を大切にできれば、私たちは世界を少しだけ丁寧に見ることができるのではないでしょうか。
北岡明佳氏の錯視作品は、答えを一方的に教えるものではありません。
作品の前に立つ一人ひとりへ、
「あなたには、どう見えますか」
「なぜ、そのように見えるのでしょうか」
と、静かに問いかけています。
その問いにすぐ答えられなくても、問題はありません。
不思議だと感じたこと。
もう一度見直したこと。
条件を変えて確かめようと思ったこと。
その一つひとつが、学びの始まりだからです。
次に錯視と出会ったときは、ただ「騙された」と笑って終わるのではなく、その見え方の奥に、どのような仕組みが隠れているのかを少しだけ想像してみてください。
そこには、私たちがまだ知らない「見ること」の世界が広がっているかもしれません。

補足注意
本記事は、執筆時点で確認できた公式情報、などをもとに、作者が個人で調べられる範囲でまとめたものです。
錯視や視覚の仕組みには、研究者によって異なる説明や考え方があり、本記事で紹介した内容が唯一の答えではありません。また、現在も十分に解明されていない問題が残されています。
今後、研究が進むことで、これまで有力とされてきた説明が見直されたり、新しい仕組みや事実が明らかになったりする可能性があります。
そのため、本記事の内容は、錯視研究における最終的な結論ではなく、現時点で確認できる知見をもとにした学びの入口としてお読みください。
🧭 本記事のスタンス
この記事は、「これが唯一の正解です」と答えを決めるためのものではありません。
北岡明佳氏の人物像や錯視研究を知り、読者自身が「もっと調べてみたい」「別の説明にも触れてみたい」と、興味を広げるための入口として書かれています。
錯視や視覚の仕組みについては、一つの説だけでなく、心理学、神経科学、生物学、数理研究、情報科学など、さまざまな分野から研究が続けられています。現在有力とされる説明も、今後の研究や新たな発見によって、より詳しくなったり、見直されたりする可能性があります。
本記事で紹介した内容を最終的な答えとせず、公式資料や書籍、学術論文にも触れながら、それぞれの立場から示される視点も大切にしてください。
このブログで「見えた」不思議を入口に、さらに深い文献へ目を向け、まだ「見えていない」知の奥へ――見方を広げ、学びを深めてみてください。
最後まで読んでいただき、
本当にありがとうございました。
錯視は、見えているものだけで世界を決めつけず、不思議に思い、比べ、確かめようとする心の大切さを教えてくれているのかもしれません。


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