うごいた おやまは、おとうさん

絵本

ーーー姉弟  

言葉の使われた背景

子供二人が、「おやま」を発見して登ってみようと試みます。様々な難所を乗り越えて、休憩したり、泳いでみたり、崖を登ったりします。ついにてっぺんまで到着して、帰り道に洞穴を覗くと、くしゃみが!おこり、山が動いた!と思ったら、その山は、お父さんでした。

感じたこと

果敢に冒険に望んだ二人の子供、はっきりとは提示されてはいませんが、お姉さんと、弟の姉弟だと感じました。

二人で仲良く歩いていると発見した、「おやま」。

その「おやま」はお父さんですが、姉弟は「おやま」見立てて冒険ごっこを楽しそうに始めます。

最後のページを見ると、夢中で冒険を続けた姉弟が、大好きなお父さんに抱きつく微笑ましい絵がが描かれています。

寝ぼけ眼になっているお父さんに抱きつき、お姉さんも弟もとっても良い笑顔です。家族関係が良好なのでしょうね。

お父さんと子供達の関係が良好でなければ、こんなにも良い表情は見られないのでしょう。

ましてや、寝ている状態の人に無闇に近づけるのは、この人ならば近づきたいという親近感、この人ならば無闇には怒らないと感じられる安心感、この人と一緒にいたいと思える信頼感があるからなのだと感じられます。

寝ているお父さんを、山に見立てて冒険をする、そんな遊びを思いつくような柔軟で自由な発想を持地続けられる家庭環境も大切ですよね。

子供の発想力を、大人の理解に合わせて縮めるのではなく、豊かな発想をいくらでも引き出せるようににするには、いつでも子供と一緒の目線で楽しめる、子供と一緒に夢中になって遊ぶ、子供と同じ話題で話し合える事が必要なのでしょうか、もしもそうならば、そのような時間を大切にしたいと感じます。

私はついつい、子供の言うことだからとか、子供の考えは通用しないとか、大人側が勝手に作ってしまった常識の枠で決めつけて話しをてしまったり、世間一般というくくりで話をしてしまったりして、しまいます。

それでは貴重な子供の今という時点での考え、子供の視線での思考という、今の時間が失われてしまうのかもしれませんね。

更には私自身、忙しかったり疲れていたりといった自分に対する言い訳で、子供への対応が雑になってしまったり、億劫になってしまうことが多々あります。

その度に後になってから、もっと時間を取って付き合えばよかった、もっと沢山話を聴きたかった、もっとこちらから行動して、子供の違う反応を見たかった、等といつも後悔をしてしまいます。

本当は今すぐにやらなくてもいいことを優先したいために、疲労困憊というわけでもないのに子供と真剣に対応するほどは元気ではないから後で、と言い訳をしてしまっています。

子供が私を無条件で慕ってくれている時間は、そんなには無いのだと理解はしているはずなのに。

私もこの絵本の最後や裏表紙に描かれている、子供達とお父さんの様子、こんなにも素敵な表情をずっと見せてもらえるような関係になりたいです。

子供がこんなにも気兼ねなく近寄ってもらえるような人物であり続けたい、と感じさせられた心に響いた、感銘を受けた場面でした。

物語の流れ

仲良く手を繋ぎ歩いていた姉弟、目の前に「おやま」を発見します。

二人はこの「おやま」果敢に登ってみようとします。

つるつるいしから登り始め、もじょもじょのさかをよじ登り、はげちょろいわで一休み。

膝はたしかにハゲなのかもしれませんね。私の子供も不思議そうに見ています。面白い表現だなあと感心させられます。

坂を滑り、落とし穴を避けて、いけを泳ぎ、橋を渡り、その先の行き止まりで辺りを見回します。

行き止まりを折り返して一息つくと、次はチクチクの崖かゴツゴツの場所二通りの道を選んで登ることになります。

更に続く壁や岩を登り切ると、お山の頂上です。

帰り道で見つけた2つの洞穴を覗くと、ハーックション!

くしゃみとともに

うごいた おやまは、 おとうさん

絵本 おとうさんやま より引用

でした。

二人の子供の大冒険や仲良し家族の様子を直接読みたい場合は

おとうさんやま 川本ゆう子 福音館書店

こどもととも年中向き 2019年6月号 通巻399号

を是非読んでみて下さい。

皆様にはどの様な新しい響きがあるのか楽しみです。

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