ーーー最上拝 コンシェルジュ
その時の状況
悲劇的な事故を起こされたと感じた国民が、その悲劇は二度と起こさせない。自国は正義の国だと主張した時に使った、正義という言葉について考えを言った言葉です。
感じ取ったこと
私は、正義という言葉の使い所を、未だに定まっていないのだなと改めて感じさせられました。
正義とは、それぞれ個人が団体が主張するものであり、そのぞれの中では良いと定めたもの。
自分の中にある自分なりの考えの中でだけでの言葉、なのではないか漠然と考えていました。
自分が考えている、この様にすれば物事は良くなると感じている事柄、その行動に対する事へのっ免罪符となるべく言葉が正義なのではないかと感じてもいます。
自分が信じている、信じたいと願っている事柄に対して。取り組むための、取り組ませるための主軸なり得やすいために使われる、発せられる言葉ではないかと感じています。
自分にとっては正しいと感じられることこそが大切であり、その正しいことと感じられることに対して、対立する考えを断罪するための免罪符となり得る言葉が、正義なのではないかと漠然と感じていました。正義がこちら側にあるのだから、その相手側は不義であり、その過ちを正すための行為をしているこちら側は間違っていない、その過ちを正すための行為ならば許される、ということを自分にも周囲にも認めさせるために使うのではないかと感じます。
争いごとはどちら側も自己が正しいと考えており、どちらも相手側が悪いと考えているから起こっているのであり、どちらかが正しいのではなく、どちらも正自分こそが義を主張しているから起こるだとさえ感じていました。
片方側の一方的な攻撃や、立場があまりにも違うために奪い合いさえ起きないことは、争いとも表せられない事も、正義の名のもとに一方を断罪していることもままありますが、ここでも正義という言葉を使い自己正当化を訴えているだけのように感じてしまいます。
私は今回改めて考えたことは、正義とは自分の中だけで通じる理屈、自分とその考えを共通とするものだけに通じる言葉なのではないかと考えました。
正義という言葉は、今の自分が今の状況がいかに正当性があるのかを訴えたいと考えた時に、使う言葉なのではないかと考えました。
しかし、最上拝は正義という言葉に対して、自分の中にきちんとした厳格な意味を落とし込んでいました、その意味を説明した言葉は心に響く、感銘を受けた言葉でした。
使われた場面
クインシーホテル・トーキョーのコンセルジュである最上拝ですが休暇をとり、ニューヨークのグランドゼロの場所を訪れてます。
そこでニューヨクでホテルのゼレラルマネージャーをしているモルガンさんと出会います、その場所を最上は墓参りだというような事を示唆しています。
最上の家族は、三年前に起こった惨劇の犠牲者となってしまった様子です。
過去の状況から今を労るモルガンさんに対して、時間が止まったままの気がすると語る最上。
過去の事を考え、人と死に別れる事を考え、あの時はどうしてあんな事を、あの時はああすれば良かった、いい夫だったのか?、など後悔の念を吐露します。
その言葉に同調すべくモルガンさんも、自分も同じだと自分も良い夫ではないと揶揄を込めつつ、そんな事では定年後は一人だとワイフに脅されている、と話します。
その流れで正義の国だ、と話しますがその言葉に対して最上が言った言葉が
正義とは 自分が正しいと信じ 取った行動…
その行動が 引き起こした結果には全て自分が責任を取る
ということなのですから
コンシェルジュ 第2巻より引用
と言いました。
その後
続けて、復行動により犠牲になった人々に責任をとったのかとも言葉にしています。
正義の名のもとに行った行動だけではなく、その行動の結果によって生み出された事柄までにも思いを巡らせること、その結果にまでも責任を取る、そこまでが正義という言葉なのだと伝えています。
そこまでの覚悟も責任感もない状態で軽々しく使って良い言葉ではない、と訴えているのかもしれないと感じました。
このような言葉に対する考えを持っている最上の言葉を、直接読みたい場合は
コンシェルジュ 原作 いしぜきひでゆき 漫画 藤栄道彦 BUNCHCOMICS 新潮社
第2巻 第11話 最上の過去
を是非読んでみて下さい。
皆様には、どの様な新しい響きがあるのかが楽しみです。
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