ひとりで かんがえていました。

絵本

ーーーランラン 女の子 

言葉までの流れ

ランランが遠くの村に住んでいるおじいちゃんに、老眼鏡を持っていきます。その道中にウーペンせんという船に乗ります。その船が風で大きく揺れて老眼鏡が川に落ちてしまいます。皆が手伝ってくれ探しましたが、見つかりません。しかし不思議なことに老眼鏡がおじいちゃんの家に届いたのです。

心に響いたこと 考えたこと

川に落としてしまった老眼鏡。川の中に落ちてしまった老眼鏡を探すという作業は、非常に困難であり、見つかる可能性はほとんどありません。それでも、助けてくれる方がいることは、心強く、嬉しい気持ちになります。

自分にとって直接的な利益があるわけではありませんが、困っている方を見かけたなら、助けたり手伝ったりする心を持つことが、豊かな気持ちで生活を送る秘訣なのかもしれませんね。

結局のところ、老眼鏡は残念ながら見つけることができませんでした。ランランは悲しみに暮れ、その後も思い悩みます。しかし、たくさんの方々が老眼鏡の捜索に協力してくださったことに、ランランは感謝しています。だからこそ、おじいちゃんの家の前の階段に置かれていた老眼鏡をおじいちゃんに渡した後も、老眼鏡を届けてくれた方のことを考え続けていたのかもしれません。

老眼鏡が戻ってきたこと、無事におじいちゃんに渡せたことだけで終わりにするのではなく、届けてくださった方について思いを馳せているということは、届けてくださった方に感謝の気持ちを表したいと思っていたのかもしれません。

届いたという事実だけでなく、どのように届けられたのか、誰が届けてくださったのかということを考え続けることで、誰かの労力があったからこそ、今手元に老眼鏡があり、おじいちゃんを喜ばせることができたのだと考えられたのだと思いました。

届けてもらったという事にたいする、感謝の気持ち、ありがたいという気持ち、をきちんと持てる子なのだと感じられました。

今、手に入れている物があるのが当たり前だとは思わずに、そのものがあるのは、自分の手元に届くまでに見えていないたくさんの人達の労力があったからだと意識し、感謝する必要があると感じられた、心に響いた、感銘を受けた言葉でした。

もしかしたらランランは、どうやって老眼鏡を探し出せたのか、どうやっておじいちゃんの家が分かったのか、どうやってここまで運んだのか、という不思議な現象の答えに対して思いを馳せていたのかもしれませんが。

物語の流れ

遠くの村に住んでいる、おばあちゃんがランランを訪ねてきました、明日ランランをおばあちゃんの家に連れて行ってくれるためです。

ランランとおばあちゃんは、おじいさんに老眼鏡を買います。大事に老眼鏡をバックにしまうランラン。

港からフェーリーに乗り川を上り、次は小さなウーペンせんという屋根の付いた真っ黒な船に乗り換えます。屋根の下に潜り込むと外よりも少しひんやりしています。かぼちゃの種をおばあちゃんとランランで食べたり、魚に上げたりしながら、進んで行きます。ランランは船底で横になり老眼鏡を取り出し、ぼんやりと眺めます。

暫く進むと、急に暗くなり、雨がふり、風が強くなりました、その時にぐらっとウーペンせんが揺れて、ランランの手から老眼鏡が飛び出し川に落としてしまいました。

雨も風もおさまりますが、老眼鏡は見当たりません。船頭さんも編みを使って探してくれますが見つかりません。そこへ村人たちが通りかかります、話を聴いた村人たちは、一緒に老眼鏡を探してくれました。けれども、いくら探しても老眼鏡は見つかりませんでした。

日が暮れても見つからなかった老眼鏡、ランランとおばあちゃんは諦めて出発します。

村に着くとおじいちゃんが出迎えてくれます、ランランは老眼鏡を無くしたことを伝えます。けれどもおじいちゃんはランランが来てくれた事に感謝します、それでもランランは悔しくて泣き続けます。

夕ご飯を食べていると、音がしたのでランランが見に行くと、不思議なことに老眼鏡が置いてありました。

早速おじいちゃんに老眼鏡を渡して、喜んでもらえたランランでしたが、おじいちゃんおばあちゃんも眠った後も

ランランは ひとりで かんがえていました

だれが ろうがんきょうを とどけてくれたんだろう?

ウーペンせんとろうがんきょう より引用

と、しかし考えても答えは分かりませんでした。

この後のランランの様子や、物語を直接読みたい場合は

ウーペンせんとろうがんきょう 朱彦潼 福音館書店

こどものとも 2019年2月号 通巻755号

を是非読んでみて下さい。

皆様にはどの様な新しい響きがあるのか、楽しみです。

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