人が他人のためにしてやれることなんてタカが知れてるじゃない

漫画

ーーー藤原貴梨花 女優

自暴自棄的な発言をし事実とは違う思い込みをしてしまっている人物に対して、思い込みを捨てさせるために、事実を見せることを実現する。その事で新たな思いを生み出す事に成功出来たもの本当にその行動が正しかったのかが分からないで悩んでいるコンシェルジュ最上拝に言った藤原貴梨花の言葉です。

確かに貴梨花の言う通りに、他人にいくら尽くしてのあくまでも、自分の人間の力で出来ることなどはタカがしれているのかも知れません、ましてやそのようなちっぽけな力が更に他人に影響を与える事などはかなり低いのかも知れません。

一個人の発言や手助けが、他人の人生に大いに影響を与えることが出来るなどと考えるのは、うぬぼれにほかならないのかも知れません。

それでも、人は他人のために何かをしてあげられのではないか、自分に力が誰かの助けになるのではないかと日々考えてしまう人もいるのではないでしょうか?

この様に善の意識からではなくて、ここで力を貸さないのは不道徳なのでは、余裕があるのに手助けしないのは罪深いのではと考えも浮かんでしまうのではないでしょうか。

余裕があるから、自信がある状態だから、平和だから、時間があるから、他人のことを考えられるのかもしれません、自分が苦境に陥っていたならば、ましてや自分のことで精一杯ならばその様な他者にたいする思いやりは浮かばない事が現実です。

自分も、常に追われているような感覚で、何かに付けて言い訳を考えてしまい、今は忙しい、今は相手は手を借りたいと思っていないハズ、今はまだ手助けできるほど自分には力はない等と考えてしまって手助けを躊躇してしまっています。

そのくせ、ここで手助けしないと将来自分が困った時にしっぺがえしを食らうのではないか?イザという時に周囲に人がいなくなってしまうのではないか?手助けをしない奴だとレッテルを貼られ悪意を向けられるのではないか?等と不安も募ってしまい、その様不謹慎な考えから他者に対して手伝いが出来ないかと、他者の役に立つ事は出来ないかとの思考も浮かんでしまいます。

一人の力、一人の手助けなどタカが知れているという様な思考が片隅にでもあれば、もっと気楽に他者に対して自分に出来ることがあるか?手助けできることはないか?と問いかける事が出来るのかも知れませんね。

それが良い結果に繋がったとしても、例え悪い方向になったとしても。

手助けを願い出たという行動は自分の中では、賛辞されこそすれ批難されるいわれは、ないはずですから。

その結果が良い方向に繋がったとしても、自分の出来たことはタガが知れており、相手の力による功績が高かったのであり、自分が成功に導いたなどとおこがましいことであり。

結果が少しでも悪い方向になったとしても、自分力が及ぼす結果などタカがしれているのですから、手伝おうと手伝わなさそうと、その事に近い結果になってしまっていたと割り切ることも出来るハズなのですから。勿論悪意を持って手伝い、悪い方向に導くのは論外ですが。

結果や称賛を求めて手伝うのではなく、手伝った行為に人が喜んでくれれば嬉しいと感じられるようになれれば、もっと気軽に人助けが出来るようになるのではないかと気付かされた、心に響いた感銘を受けた言葉でした。

今回の場面は、コンシェルジュ最上拝の勤務しているクインシーホテル・トーキョーに、横領して逃走中の人物、君島が現れます。

逃走中にも関わらずにクインシーホテルに立ち寄ったのは、離婚して以来会うことが無くなってしまった娘に一目会いたい。君島は以前までフルート演者として演奏家を目指していたが挫折したのだが、娘は成長して今はフルート演奏家としてクインシーホテルで演奏していると聞いて、聴いてみたいと考えたからでした。

しかし、その願いは叶わずに逃走中の人物は刑事に見つかり捕まってしまいます。一目合いたいと願う犯人でしたが、刑事は今まで家族に迷惑をかけて上で、どの面下げて会うのだ!と一喝します。

すると、君島は諦めるために自分に言い聞かすためなのか、自暴自棄になったのかは定かではありませんが、娘のフルートの音色は察しがつく、幼い頃の実力や自分の子供だということを考慮すればそのようなものかわかる、と言います。勿論それほど上手いはずがないという意味で発言します。

その言葉に反応したのが、最上拝でありコンシェルジュがゆえです。

このまま君島が、娘の現実でのフルートの実力と、君島の想像の中での娘の実力に相違があったままでは、君島にとっても君島の娘にとっても良いことではないと考え、両方にとっての手助けをしようと行動します。

結果、君島が連行するために通るルートに細工をすることで、君島の娘が練習している場所を通り、連行せれるよう一同を誘導します。

練習中とは言え無事に?娘のフルートの演奏を聴けた君島は考えを改め、何年かかってでも、もう一度出直すと語ります。

娘の演奏は聴け君島は改心した様に描かれていますが、何故かその行為を望んだ最上は浮かない雰囲気です、その雰囲気の最上に対して貴梨花の言った言葉が

何よ 元気ないわね

人が他人のためにしてやれることなんてタカが知れているじゃない

後は本人の問題なんっだからあまり気にしないことよ

漫画 コンシェルジュ第2巻より引用

でした。

自分の出来る範囲で手助けをし、他者がその手助けの行為に喜んだのならば、手助けをした本人の行動はそこで良くも悪くも、そこで終わりだとケリを付けることが大切。

その後にその手助けをうけた事で、受けた側がどの様な行為にに至るかまでは、責任の範囲外と考えることも必要だということ、あまり考えすぎず切り替えて次の行動を起こすことが大切だということなのでしょうか。

人の力はそこまで万能ではないと貴梨花は言いたかったのでしょうか。

勿論、貴梨花程の有名人の影響力は半端ではないでしょうし、小さな手助けや言葉が、その人にとっては分水嶺になりえることもありますが。

しかし、最上は何故自分の考えたとおりに、一同を誘導せせることが出来、娘の演奏を聴く事ができ、君島も改心したような言葉を言うまでになったのに、どうして不安げな元気のなさそうな様子だったのでしょうか?

娘との回想の様子と現実の様子が違かった事なのか?君島が改心した様子に不安があったのか?娘と合わせられなかったことが気がかりなのか?君島に対してもっと手助けが出来たと考えていたのでしょうか?

皆様はどの様に思われますか?

貴梨花の格好の良い発言や、最上のやり取りを直接読みたい場合は

コンシェルジュ Concierge 原作 いしぜきひでゆき 漫画 藤栄道彦

BUNCHCOMICS 新潮社

第2巻 第8話 音色の絆

を是非読んでみて下さい。

皆様にはどのような、新しい響きがあるのか楽しみです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました