絵本

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つちって せんを かいたり けしたり あなを ほったり、 やまを つくったりもできる。

トマトの苗を育てたたいのに、土がなかったために、様々な場所で土を探す女の子、その途中で、土の用途に気がついた時の言葉です。
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このせん なんだろう?

一つの場面が私の心に深く響きました。タイトルと作者の間に引かれた灰色の線。最初はただの線に見えましたが、次のページを開くと、その正体は鉛筆で引かれた線だと分かりました。さらに、次のページでは薄暗い場所の写真と透明な線が登場し、水鉄砲による水の発射でできた線のように見えました。 この経験から、線が単なる描画ツールではなく、思考の幅を広げる存在であることに気付きました。線は書かれるだけでなく、表示される存在でもあり、区分けにも使われるのです。私は「線」という言葉に固執し、他の使われ方や存在に気付くことができなくなっていました。
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なんじゅうねんも まひにち やすまずに はたらひてくれたからね

くしゃみをしたことで、口から入れ歯が飛び出してしまいます。その事で入れ歯になったことを嘆くのではなく、ずっと働いてくれたと、歯に感謝している言葉だと、感じました。
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しばらくの あいだ ふたりの ろうじんは わらいころげていたが

二人の老人は、たとえ囲碁の勝負が邪魔されても、お互いに笑い合い、楽しめる関係になっているのだと感じられた言葉でした。
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よし それじゃあ、ほいくえんを プールにしちゃえ

とても暑い日にプールに入りたい、けれどもプールは修理中。ならばどうするか、別の場所にプールを作っちゃえという、諦めるという思考ではなく楽しもうという思考からうまれた言葉ですね。
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きょうのぶんの アイロンがけを どんどん かってに やりはじめます。

毎日毎日アイロンがけをして、何十年と使い込んだアイロン。そのアイロンが突然自分で動き出しアイロンがけを始めます。大切に使ってきたがゆえに仕事を手伝ってもらえるようになった喜びと、必要以上の行動を起こされてしまったことの困惑の始まりです。
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くろまめは ねが しっかり はっているので 

おばあちゃんは黒豆を育てていますが、夏の終りに台風が来て黒豆が斜めに倒れてしまいます。けれども、おばあちゃんは慌てませんでした、それは黒豆のことを理解していたからです。
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まどのむこうの

切り取られた枠の中から見られる果物、一部分しか見られない。だからこそ細かい部分を観察できる、意識できるそんな事を感じられた言葉でした。
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うごいた おやまは、おとうさん

お姉さんと弟が発見したおやま。そのおやまの、さまざまな難所を越えて頂上へ到達します。頂上からの帰り道に発見した洞穴を覗くと、突然のくしゃみで飛ばされてしまいます、その時の場面の言葉です。
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こんどは みんなで てわけして

大きな荷物も、大量の荷物も一度に運べるモリダクサンですが、苦手な事もあります。その時はチョビットさんに手伝ってもらい、一緒に働くことで円滑に働けると感じた場面です。