ーーー絹守一馬 若頭
通常ではないルールが追加されているダーツ勝負をしている絹守一馬。
その異常なルールに対戦者が苦労している中、躊躇もせずにルールに対して対処していく方法が相手に異常に映っている時に伝えている状況です。
これは実力であり自分の技を持ってすれば、なんてことのない行為なのだと。
上手くいっている、その方法を実践できないのは、実力がなく違う角度から同じような結果を得ようとするから、どうして出来ないのかと悩むのであり結局、他者と同じことを実践する為に必要な事は、自分の持っている力でり、技であり、経験であ、何かではないと言っているのではないかと感じられました。
他人が行っている所作が、格好良く見えたり。
他人が持っている力を技を使うことによって得られた結果を、その他人と同じ力も技も無いのに同じよな結果を欲しがったり。
成功している人に手っ取り早く近づきたい、そのような状況になる為のスキルも経験不足しているにも関わらずに、すぐにでも同じ状況になりたいと願う時にでも。
ひとは、何かにすがってしまう。
自分の実力を伸ばすでも、新しい技を習得するでも、地道に経験を積むでもなく、何かがあるはずだ、近道が、簡単な再現方法がどこかに、自分にでも簡単に安全に確実にできる“何か”が必ずあると、信じて疑わない、その何かを見つけようと時間を使ってしまう。
その“何か”が見つけられないと、自分も含めて人は成功している人はどうしてそんなことができるのか?と感じてしまうのではないでしょうか。
結局は自分の出来ることしか、自分ではなし得ないのでと考えて行動をしなければ挑まなければいけない安易な方法を探すことに時間と労力を使うのではなく、自分の方法を確立させる事が必要。
それでも他者と同じ方法で同じ結果が欲しいのならば、その方法で結果が得られるため手段が身につくように力を磨かないといけない、そうしないのならば“何か”に対して無駄な怯えを感じることになってしまう、怯え続けてしまうのではないか、と考えさせられた心に響いた感銘を受けた言葉でした。
このような思考に至るにことになった絹守の言葉が発せられた状況ですが。
タッグマッチ方式で賭けダーツが行われている会場にいる四人。
その四人は絹守本人と相方の烏丸徨。
そして対戦相手の二人組、山田ロミオと時盾実。
この二人の通り名は写し身と呼ばれており、自分達は二人で一つだと考えており、全ての経験を共有したいと考え、感情も痛みも同じ様に経験することを義務として、お互いに課しているほどです。
そして今回のダーツ勝負の特別ルールは、得た得点が一定以上を超えてしまうとその超えた分に対する痛みが利き手に返ってきてしまう節制があるルールです。
あまりにも多くの節制を受け利き手に受けて負傷してしまえば、当然ですが手は自由に動かなくなってしまい、高得点を獲ることは難しくなってしまいます。
またもう一つのルールとして、懺悔の口という機械があり、自分達の得た得点と引き換えに新しいダーツの矢を得られる、という機械があります。
しかしこちらの機械を使用する際にも、賭けの対象としてとして痛みを要求されます。
その機械に使用するために使った自分達の得点の量と、機械から受ける利き手への痛みの確率は、反比例していきます。
なので、その機械をもしも使用するのならば対戦相手の二人組がそうであったように、痛みを受ける確率を下げるために自分の得点を多く使用するのが無難です。
例え賭けた得点が多くその結果として、機械を使用する為に使った得点と、機械を使用した後で得られた得点の結果が思わしくない(得られた得点が賭けた得点を上回らない)と不満がでようとも、痛みを避ける、負傷を避けるためにはそのような戦略を行うしかないと誰しも考えていたハズです。
絹守を除いては。
絹守は得点を一切減らさずにその機械を使用し続けました、つまりは機械を使用する際には必ず手に負傷を受けていたのです。
しかし絹守は自身の能力を最大限に使用し、機械による痛みを受け続けても平然とダーツを続けていました。
普通なら何度も利き手に機械による痛みを受け続ければダーツをすることなど不可能であり、痛みにより戦意喪失も考えられるのでしょうが、そのような素振りを全く見せない絹守に、対戦相手は愕然とします。
どうしてそんなことができるのだと!
しかし絹守にとってみれば自分の力を単に使っているだけであり、
逆に烏丸や対戦相手がダーツを百発百中であることが信じられないと語ります、その上で言った言葉が
素人ほど実力以外の“何か”にすがりたがりますが 結局は経験こそがすべてに勝る
君達は“ダーツ”のわたしは“苦痛”の熟練者というだけの話です
漫画 エンバンメイズ第3巻より引用
と話します。
更には追い打ちとばかりに、麻酔のない歯医者にかかったことはないでしょうと言います。さも絹守本人は歯の治療時にある痛みを麻酔なしでも受ける事が可能であるとでも言うように。
自分の実力を高めれば、出来ることが増える、応用する場も増えるということを教えれもらったような気持ちです。
ダーツの実力は素人レベルの絹守が、達人クラスの面々の中でもダーツ勝負が成立出来ていたように秀で力があれば応用できるのだと感じられました。
また逆に自分には求める結果を達成できるための実力が無いのに、早急に結果だけを求めるために、安易に“何か”を見つけようとしてはいけない、という釘をさされた気持ちでもありました。
“何か”にすがるのではなく、経験を能力を積まなければいけませんね。
このような絹守の言葉を直接読みたい方は
エンバンメイズ ENBAN MAZE 田中一行 good!AFTERNOON KC 講談社
第3巻 ROUND14 写身〜twins〜<4>
を是非読んでみて下さい。
皆様にはどのような新しい響きがあるのか楽しみです。
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