なあんだ やねのゆきが とけていたのか

絵本

ーーー北国の少女

少女は家の中にある窓から外を見て不思議に思います。晴れているはずなのに、雨が降っている?と。

その正体は、家の屋根に積もった雪が原因でした。

屋根の雪が溶け始め、水滴となり窓から景色と一緒に見ると雨が降っているように見えたのでした。

今までと変わらない様に見える日常も、同じ様に起きた朝も、変化しないように感じられた風景も確実に時は過ぎている、春に向かい気温は上がり、それに対して風景も自然も変化していく。

少しづつでも変化していっているのならば、目からの情報だけでは分かりづらく中々変化に気が付きづらいかも知れませんが、変わろうとして何かしらの行動を続けていけば、少しづつ、わずかな事かも知れませんが成長を変化は現れているのかもしれませんよね。

目に見えるほどの、実感出来るほどの、認識してもらえるほどの、分かりやすい成長を感じられるのはかなり先であり、かなり努力を続けなくてはいけないのかも知れませんが、ゆっくりと確実に現れるのかも知れませんよね、今回の少女が見つけられた雪解けの水滴のように。

自分は、なにかの成果が現れることを目標とし努力していく上で、その目標に到達するまでの結果はながければ長いほどに、今までと変わらない、昨日の自分と同じ、一週間前の自分と変わらない、一ヶ月前の自分と同等と感じ続けてしまい、自分が成長しようと行動している努力は無駄なのではないか?、そもそも方法が間違っているのではないか?、この目標に達成することは出来ないのではないか?と自分の中で葛藤が生まれてしまい、いつしか目標への情熱も、行動する意欲も無くなってしまう事が多々あります。

良きどけが水滴となり雫にるという目に見える変化が現れるまで待てない、すぐに雫を求めてしまう。簡単に雫になる事は、簡単に雪に戻ってしまう事だとしても、既に雫を持っている人に憧れ、雫にすがってしまう。

雫を得られるための努力が長ければ長いほどに、自分にとっては大切な雫になりうるのだろうと考えることは出来ても、手に入れられない、もどかしさと焦りから、言い訳を考え諦めてしまうそのような繰り返し。

それではいけない、例え雫として目に見えなくとも、水滴になっていなくとも、努力し行動しているということは、雪には何かしらの変化が起きていはず。

目には見えなくても、昨日とは変わらないように感じられても、少しずつ僅かな変化だろうとも、確実に着実にそしてそして努力を続けていけばいつかは水滴となり目に見えるようになるだと言い聞かせ考えて努力を継続して自分を高めていきたいと心に響いた、感銘を受けた場面でした。

雫を見上げた少女の顔が、沢山の水滴にそれぞれ映し出されている場面も印象的でした。

その水滴の一つ一つに映っている自分が、今まで積み重ねてきた自分なのではないか、今での積み重ねがついには目に映る水滴という形のなり現れたのではないかと、思えてきた場面でした。

そんな形になるまで続けることが必要だと感じさせられた話は、少女が家の窓から外を見た時に晴れているはずなのに雨が降っているように見えた所から始まります。

なあんだ やねのゆきが とけていたのか

絵本 はるになったら より引用

と少女は気づきました。

雨の正体が雫であり、晴れている事が分かった少女は外に行ってみようと考えます。

今までのような真冬での出で立ちではなく少しだけ軽装にした出で立ちで。

お母さんに挨拶し公園に向かう少女、公園への道では至る所で春が来る兆しを、変化の姿を想像します。

植物の変化、魚の変化、鳥の変化、大地の変化。

樹の変化はまだまだ先な様子、それでも樹の中には春がもう詰まってきているのかも知れない、少しづつ僅かだけれども。

その変化がいつかは、春の樹として開花しなければ目には見えないけれども。

春になるまで変化を続ければ良いだけだ。

そんな気持ちなれた少女の話を直接読みたい場合は

はるになったら 渡辺郁子

こどものとも年中向き 2022年3月号 通巻432号 福音館書店

を是非お子様と一緒に読んでみて下さい。

皆様にはどのような新しい響きがあるのかが楽しみです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました