ーーーもちやさん
ネズミのおまわりさんに、モチが盗まれたと電話したもちやさん。さっそくモチ屋に到着し、ドロボウの逃げた方角を教えてもらったおまわりさんでしたが。
モチ屋さんが指し示した位置は、ちっちゃな穴でした。電話もできる間柄であること、絵本のイラストではモチ屋さんは人の形で描かれていること、その事からネズミのおまわりさんの大きさも、モチを盗んで逃亡中のドロボウの大きさも人間と同じ大きさで、物語が繰り広げられるのだろうと想像していた矢先に、モチ屋さんが指し示した指の先にある穴の大きさをみて驚きました。
小さい!
同時に、モチ屋さんの指と穴の大きさの対比に驚きます。
またモチ屋さんの指し示した穴と、ネズミのおまわりさんの大きさのが同じ位に描かれていた事も裏切られたような、愉快な感覚でした。
ネズミならば確かに人の手の大きさ位であることも不思議ではなく、それどころかそれくらいの大きさである事が、現実ではあり得る事のはずなのですが。
絵本の中のお話であること、人と会話ができる設定のお話であるのだから、と自分の中で整理し、まだ示されてもいない、ネズミの大きさを勝手に思い浮かべていました。
それがまさかの大きさだったとは、動揺とともに、勝手な思い込みを恥じるとともに、そりゃあネズミだものねと妙に納得してしまった場面でした。
ネズミが話していることも、ネズミとモチ屋さんが電話を繋げていることは現実感はないですが、ネズミの大きさは現実味に帯びているという、奇妙な物語に引き込まれます。
それと同時に、勝手な思い込みを持つ事は危険であることを改めて感じました。
相手の言いたいこと伝えたいことを、こちら側の勝手な解釈で思い込んでしまうことで、お互いの認識に齟齬が生じてしまっては目も当てられなくなってしまいますよね。
自由な発想も自分の中だけで楽しめれば良いのですが、その自分の発想を相手の思考にまで求めてしまうと危険ですね。
今回の物語ではその齟齬によって、興味をそそられていくことになったので良い結果となりました。
まさか、ネズミは現実に沿った大きさだったとは、心に響いた感銘を受けた場面でした。
そのような、感覚の齟齬がうまれた物語は、ネズミのおまわりさんの所にモチ屋さんからの電話がかかってくるところから始まります。
ここでは、両者の全体の大きさを対比出来ないように描かれています。
それでも、感の良い人ならばこの場面で上半身しか描かれていないモチ屋さんと、全体が描かれているネズミのおまわりさんであることに、何かしらを感じ取れるのかも知れません。
モチ屋さんは、電話でネズミのおまわりさんにモチが盗まれたと告げます。
その後、逃げた先を指し示しながら
もちどろぼうは あなの なかに はいっていきました!
絵本 もちどろぼうとおまわりさん より引用
とネズミのおまわりさんに伝えます。
そこに描かれたのは大きなモチ屋さんの横顔と、指し示す左手と、小さな穴と、小さなネズミのおまわりさんでした。
そういえばネズミは小さいよねと、ネズミの大きさについて勝手な思い込みをしていたなと、感じてしまいました。おまわりさんの制服を着ていることは現実感からは遠のきますが…
穴に入ってドロボウを見つけようとする、おまわりさん。
いきなりモチを見つけます、そのモチはドロボウはあっちに言ったと話します。
早速その方角に向かうと思われた矢先に、モチがしゃべるなんておかしいとのナレーションがはいります。
え!ここにきて現実的な事を…… ネズミも話していますが…
そんな無茶苦茶なところも、思考を振り回される事も、面白いですね。
モチがしゃべる事に疑問を感じた、おまわりさん。その疑問は正解で、モチの中にモチドロボウが隠れていました。
そこからは愉快な逃走劇が始まります。
ネズミとドロボウのモチを使った奇妙で奇天烈な鬼ごっこ。
見事にドロボウを捕まえ、ドロボウにもうモチを盗まないと約束させたおまわりさん。
最後はモチ屋さんもネズミのおまわりさんもドロボウも皆が笑顔で向かえられました。
そんな奇妙で愉快な逃走劇を直接読みたい場合は
もちどろぼうとおまわりさん へんみあやか
こどものとも年中向き 2023年1月号 通巻442号 福音館書店
を是非読んでみたください。
皆様にはどの様な新しい響きがあるのか楽しみです。
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